○柳澤錬造君 私が難民の問題に取り組むようになったのもそこなんですけれ
ども、五十三年の年末ごろだったんですが、外国からのあるマル秘の手紙が世界で
日本ほど恥ずべき国はないと言っている。ベトナム戦争であれだけ金もうけをしておきながらベトナム難民についてはたった一
家族三名しか受け入れていないと、そしてこうずっといろいろなことがそこに書いてある手紙を受け取って、そしてこの
国会へ持ち出してきたら、それで五十四年すぐ
政府でも五百名の受け入れの枠を決めてくれたわけなんです。その後毎年のようにやっていってそれが五百が千になり三千、五千と、今一万までふやしてはいるわけですよ。
それで
官房長官、今言われたお金でこうしているから、なにしているからと、そういうことを
政府の皆さん方は言われるけれ
ども、そういうことの言えるような状態ではないことはおわかりだと思うんです。つい数日前の朝日新聞でも書いていますけれ
ども、「難民に捨てられた
日本」と言っているわけでしょう。これは外国の新聞記者じゃないんですよ。
日本の新聞記者が難民の問題をいろいろ調べて、どんどんどんどん素通りしてアメリカやカナダへ行かれるので、そういう点でもって、何で
日本の定住を希望しなかったんだと言ったら、自分の友達は
日本に定住を希望したけれ
ども、何年たっても許可が出ないんですと。ですから、その辺のお
考えをやっぱり根本から改めていただかなきゃいけないと思うんです。
栃木県の足尾町なんかでは数年前町議会が決議をして、そして土地は提供するから建物だけは
政府の方で建てるようにしてくれませんかと、それで難民については受け入れましょう、
日本語の教育も私たちがやりましょう、あと就職の方もこの周辺でもって全部責任を持ってやりますと。時の外務大臣にそれをお願いしたときにはそれは非常にいいじゃないかと言ってくれたんだけれ
ども、
委員会の席でそれを言ったときには
政府側の答弁というのは、いやまだ受け入れの枠が余っていますから別にそんなものを建てる必要はありません
し、そういうことについてやる
考えはございませんという答弁しか出てこない。だからその辺が、アメリカまでと言わなくてもせめてもう少し――ヨーロッパなりオーストラリア、はるか遠い国がもっともっと受け入れているわけなんですよ。一番近い
日本がわずかにやっと今ここで五千幾らというところへ来ている。ヨーロッパの遠い国だってそうなんですよ。カナダも十一万三千何がし、オーストラリアも十一万一千、フランスでも十万というように、みんなそうやって遠い国でもそれだけのものを受け入れてやっているわけなんですから、だからもう少し人間的な心の温かさというものを持ってそして受け入れて、こういう人たちをやっぱり助けてあげるということをしていただきたいと思うんです。
それで、決してそれは
日本の国にとって私はマイナスではないと思うんですよ。必ずそういう人たちが今度将来大きくなったとき、大きくというか先になって
日本でもって受けた恩義というものは忘れないで、
日本という国はいい国だと言うようになると思うんです。今のようなことをしておれば、それはもう
日本のような憎たらしい国はありますかというようなことしかよそへ行って言わない。それがゆえにどんどんどんどんここのところ
日本の国を素通りしてアメリカなりカナダなりヨーロッパなりへ行ってしまうんですから、その辺
官房長官や関係のお役所の皆さん方がやっぱりもうちょっと人間味の温かさでもって受け入れてほしい、扱ってほしいというふうに思うんですけれ
ども、いかがですか。