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参考人(
伊藤善市君) このたびは多
極分散型国土形成促進法案の
参考人として
意見を述べる
機会を与えられまして、大変ありがたく思います。
多
極分散型の
国土形成をやるということは、
東京一極集中に対する
一つの政策なのでありますけれ
ども、
東京は第二次大戦後その膨張を抑えられながらも拡大の一途をたどってきたという事実がございます。しかし、この
東京の膨張というのは戦後的現象ではないのでありまして、むしろ戦前において際立っておったわけです。
若干の数字を挙げます。今から百十年前の明治十三年の
東京の
人口は九十六万です。それが二十年後の明治三十三年には百九十一万とほぼ倍増をしております。さらに二十年後の大正九年には三百七十万、ほぼ倍増です。それが
昭和十五年になりますと七百四十万、これも倍増、きっちり倍増になっております。それが
昭和二十年には戦争に負けまして三百四十万に減りました。しかし十年たった
昭和三十年には八百万にふえ、現在およそ千二百万という数字になっておるのは御
承知のとおりでございます。つまりこの数字は、戦前の
東京というのは実は二十年ごとに倍増してきたという大変な増加のスピードでございますが、戦後の方は、ふえてはおりますけれ
ども、その
ふえ方は鈍化しているという事実がございます。
私
どもは
人口の問題をもっぱら夜間
人口を
中心に議論しがちなのでありますけれ
ども、実際は
東京の活動を支えておりますのは昼間の
人口であり、さらに全国から人が集まってきて滞留して、そこで会議に参加したりあるいは
東京見物をしたりいろんな催しに参加したりしまして、一時滞留
人口としているわけですが、それはもっと多いのでございます。
東京二十三区とニューヨークとでは大体夜間
人口はほぼ同じでございます。ところが昼間の就業
人口について見ますと、ニューヨークが三百万であるのに
東京はその倍の六百万でございます。しかも、その六百万のうち二百万というのは二十三区以外から通勤しているわけでございまして、これは三多摩あるいは武蔵野市とか三鷹市でございますけれ
ども、特に顕著なのは一都三県のうちの三県ですね。そこから通っておるし、最近では茨城県とかあるいは栃木県あたりからも一部通っている人がいる。この人たちが活動をしておって、これが
東京の交通手段が極めて混雑の激しいものになっているということの
一つの証明なんでございます。
ですから、こういう状況であり、しかも
東京の
人口というのは確かにふえてはきているんですけれ
ども、減った場合もある。大きく減ったときを見ますと、明治維新、
関東大震災、第二次大戦、こういうふうに変革の時期ないしは不幸な時期、そういうときには
人口は激減しておるのでありますけれ
ども、その後十年もたたない間にたくましくまたよみがえってきている。したがって、不幸な事件を契機としないで幸せな時期にこれを
分散するということはそう簡単ではないのでありまして、なぜかといいますと、人々は
住宅は不十分とはいいながら、守るべきものをたくさん持ってきた。
人間関係であるとか社会的地位であるとか、あるいはいろんな仕事であるとか、そういった守るべきものがたくさんあるのでそれはそう簡単ではない。だから、今回このような
分散のための促進
法案をつくって
四全総を実のあるものにしようというのは極めて意義のあることでございまして、これが一日も早く成立することを望んでいるわけでございます。
今
遷都論が新聞ではいろいろ騒がれておりますけれ
ども、私は、これはもう非常に長く時間のかかる問題でありまして、思いつきとかあるいは我田引水型のコンクールといったような状況ではまだ実のあるものにはならない、時間をかけてそれは
検討すべきだと思いますけれ
ども、したがって今度の
法律に
関係させて考えますと、やはり
四全総で基本的に考えたあの方針に沿って
段階を踏んでできるものからやっていくというのが望ましいと思います。
そこでは
東京というのは、三全総までいろいろ
東京の問題が考えられてはきましたけれ
ども、専ら
東京圏というのは過密
地域である、過密の対策としてどういうふうに手を打つか、その問題から一全総、新全総、三全総と考えられてきた。ところが
四全総におきましては、一体
東京は何なのか。
東京は一国の
首都であるということは皆知っておるわけですけれ
ども、最近時の変化は何かということについて、
東京は
世界都市としての新たな
機能が、前からありましたけれ
どもこの数年非常に顕著である。つまり、国際的な
経済社会の中に占める
東京の役割が増大をしたという国際的な変化というものが、あるいは構造変化というものが
東京をこのように変えていったんだという認識のもとに、では
東京をどうするかということが
四全総で議論され、大げさに言えば、
東京とはそもそも何かということが初めて問われたのでございます。
私は企画部会に所属しましていろいろ案をつくるときに参加したのでありまして、いろいろ吟味したのでありますけれ
ども、そこでは、
東京が
世界都市として今後も伸びていくだろうし、また伸びるべきである。ロンドン、ニューヨーク、
東京、これは今三極でそれぞれ頑張っているわけでありますけれ
ども、今後もさらに
東京が果たすべき役割は大きいし、また期待されている。それならばよその
都市から見て、よその
都市と比べて遜色のないすぐれた
機能で、みんなから歓迎されるようなそういう
東京にしなければならないのではないか。
しかしそのことは、何でもかんでも全部
東京に集めるということじゃないのであって、国際的
機能であっても何も
東京でひとり占めする必要はない。そこで三全総では
大阪圏、
名古屋圏というふうにそれぞれ考えまして、
東京圏は国際金融、情報
機能の面で
世界の中枢
都市の
一つだ、それをさらにリファインしていく。
大阪圏は
経済、文化、学術研究の面で国際的
拠点に育てていく。
名古屋圏は
世界的な
産業技術都市を目指してやっていくんだ。
これは今後もこの線でもって、国際的
機能というものを
東京圏だけじゃなしに
大阪圏、
名古屋圏で、あるいはもっと別の圏を含めてやるべきであるし、既に三全総のときには札幌とか仙台とか福岡とかそういうところにも国際的な
規模のものを、
研究機関であるとか文化
機関を置くべきだということを言っているわけでありまして、そういうような形で国際的
機能も必要なものは問題の性質に応じて
分散をさせることが必要であります。
同時に、これまで
日本列島は、第一
国土軸ということで、
東京から博多までおよそ千キロございますけれ
ども、その線に沿って
発展してきた。事実は北九州の方から順番に東進して、京都、
大阪の時代というのはかなり王朝文化が長かったわけでありまして、その後江戸、
東京となっているわけで、事実は西から順番に来たのでありますけれ
ども、第二
国土軸として
東京から仙台を通って札幌に行きますとちょうどこれがまた一千キロであります。
国土庁では新全総以来第一
国土軸と第二
国土軸という言葉を使いまして、第二
国土軸のポテンシャルが大きいからそこでいろんな
機能を分担してもらうという発想があったわけであります。
そういうわけで、例えば仙台は
首都機能の一部を補う、あるいは
首都機能の一部を代替する、そういうふうにして
東京だけに余りにも荷重のかかったそれを軽減してやるということが必要ではないかという発想があるわけでありまして、
四全総では、小
委員会では重都という構想を出しているわけであります。つまり、
東京から三十キロ圏内というのはすぐ近いわけですけれ
ども、
東京六十キロ圏内あたりに
業務核都市という構想がございますけれ
ども、百キロ以上離れて三百キロ以内ぐらいのところにそれを展開させる。ですから、最近の言葉で言えば分都ということでありますが、分都の一形態としての重都、それを強調しているわけであります。
つまり、情報その他の
東京一極集中に伴ういろんなプラス・マイナスがございますけれ
ども、特に重要なのは、もし地震が来たらどうなるかということであります。現在、地震につきましては、いつ地震に見舞われても不思議でないそれだけの時間的なインターバルを経ておるわけでありまして、ナショナルセキュリティーをどうするかということが極めて重要だと思います。ですから
四全総でも断っておりますし、今度の
法案でもこの災害の防止ということにつきましては既に、二十一条ですか触れてはございますけれ
ども、しかし、災害の被害拡大を防止するというそういうだけじゃなしに、これは起こる
可能性が非常に高いのでありますから、そうなっても政治的な
行政的な意思決定の
機能が一日も渋滞しないように重都構想というものを考える必要があります。例えば第二国会議事堂というものを準備する。
例えば仙台なら仙台に準備をする。そして年一回はそこでもって国会を開きまして、言ってみれば大相撲の仙台場所というふうに考えればよろしいと思いますけれ
ども、それでいざという場合にすぐできるようにふだんから訓練をしておく。そして、それを使わないときには
地域で使えばよろしいわけでありますけれ
ども、まずナショナルセキュリティーに備えるということが極めて重大だと思います。
東京がそういうふうに災害が起きても被害が拡大しないようにするというのはもちろん大事ですけれ
ども、
東京には一千二百万住んでいる。一都三県には三千万以上住んでいる。この人たちに食べ物、それからエネルギーその他いろんなものをどうやって運ぶかということだけでも大変なことです。水と食べ物をどうするかということも大変でございますので、同時にそういった問題については重視して考える必要があるのであります。
この
法案でも、交通体系の
整備ということは重視しておりまして、二十八条から三十条までその問題がありますし、また
鉄道と
宅地開発をどうやってドッキングさせるかということについても新しい、非常に力強い見解がございますので、これはぜひとも進めていただきたい。
明治の先輩たちは、
日本がああいう非常に貧しいときに、一万二千キロという幹線交通体系のそのうち
鉄道をやってしまったわけです。それは
鉄道に投資をするのが有意義であり、みんなが一生懸命投資をしたからだということでもありますけれ
ども、明治の先輩はああいう貧しいときに
鉄道を
中心とする交通体系の
整備を一万二千キロ以上やっちゃった。それから教育についても、あの貧しいときに海外から外国人を呼んで、当時一番月給が高いのは
日本銀行の総裁だったそうですけれ
ども、それよりももっと高い
条件で呼んで、しかもいろんな人たちを海外に留学生として出して、交通と教育を開発の戦略として使った。このことは今日のような情報社会において、また高度情報化社会におきましては同じような意味において重要なんで、そういうものをどういうふうにして
分散に使うかということを考えるべきであります。
交通体系の
整備が進んでいないところは交通体系を便利にする。先ほど
平松さんがおっしゃったように逆流
効果を受けることもございますけれ
ども、しかし、なければ、じゃ逆流
効果を受けないか。なければ、気がついたときにはじり貧でもうどうしようもないというのがこれまでの開発経験でございます。衆議院議員の定数
是正があって七つ減ったわけでありますけれ
ども、どこが減ったかといいますと、秋田二区、山形二区、新潟二区、四区、石川二区、これは能登半島ですね、それから兵庫五区、鹿児島三区、こういうふうでありまして、そこは全部新幹線も
高速道路もそれからジェット空港もないという、高速交通体系がないところがそうなっているわけであります。高速交通体系をつくればどうなるか。例えば東北
地方というのは
人口は全国で一割であって面積は二割で米は三割で出稼ぎは六割なんて言われますけれ
ども、しかし先端
技術産業の
立地件数が過去五年間で三三%であります。
なぜか。これは東北新幹線、東北縦貫
高速道路、それからジェット空港等々の
整備、あるいは今後さらに
整備されるであろうという予測、そういうことが
一つの大きな原因になっておるのであります。したがって、
四全総では今世紀末までに一千兆円ぐらいできるんだということがございますけれ
ども、交通体系を
整備してあと細かい問題は各
地域地域の自主的なそういう部分に任せればいいのでありまして、細かいところまで補助金でもってやるのは私は賛成できない。補助金というのはもろ刃の剣でありまして、麻薬的なものにもなりがちでありますし、補助金をめぐるスキャンダルということもあります。私は、
平松知事さんが一村一品運動で補助金を出さない、金の切れ目が縁の切れ目になるのはだめである、やる気があるところは自助努力でやってくれ、そのかわりマーケティングは頑張りますという、そういう自助努力の精神に拍車をかけるような金の使い方が望ましいと思うのであります。
いずれにいたしましても、災害は忘れたころにやってくるのでありまして、そういう問題も考えて
分散ということを強調していただきたい、これが私の申し上げたい点であります。
どうもありがとうございました。