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参考人(
松田修君) 御紹介にあずかりました
専修大学の
松田でございます。
本日は、
財政の問題につきまして
私見を述べる
機会を与えていただき大変ありがとうございました。既にもうお二人の
参考人から
大変参考になる重要な論点が出てきております。できるだけ私は重複を避けながら
私見を開陳させていただきたい、そういうふうに
考えております次第でございます。
さて、
財政の
再建の問題でございますが、既に五十五年度以降とられてきました
財政再建のそれぞれの官庁及び
国会での御
努力、そういうものが実を結びまして、
国民経済的に見ました場合にはかなり望ましい
状況が出ているところだったと私は
考えておりますが、さらに最近になりまして、もう
一つ新しい
状況が出てきたというのが私の見方でございます。
と申しますのは、御
案内のとおり、六十一年度の第三・四半期以降、
日本の
経済はそれまでの
円高不況、俗にいいます
円高不況という
状況からようやく脱する兆しを見せ始めまして、六十二年度になりまして以降は顕著に
拡大の方向をたどるというふうな
状況を見せ始めているわけでございますが、それ自体がまた
財政の
再建にとりまして極めて望ましい
効果ないしは
影響をもたらしてきているということが最近になって認められる
状況になってきたというのが私の認識であります。それが第二点でございます。
以上の
二つの点について、もう少し具体的にお話を申し上げたいわけでございますが、
国債の管理及び
財政の問題につきまして、やはり一番問題になりますのは、もちろん
国民経済、とりわけ
国民の所得にとりまして、巨額に上ります
国債発行残高から生じます
利払い費の
負担というものがどんどんどんどん上がっていく、つまり発散的に
負担がふえてくるという
状況が一番望ましくない
状況、まさにこれはマクロ
経済的に見ても、
財政破綻のケースでございます。そういう
状況を避けなければならないということは、これはどのようなお方でもお
考えになる問題でございますが、そういうふうな
状況というのは、六十一年度ないし六十二年度以降、どうやら避け得る
可能性が出てきたというのが
実情だと
考えております。
と申しますのは、御
案内のとおり、六十一年度以降、六十二年もそうでございますが、当初
ベースで
考えました場合でも、
国債の
利払い費と、それから
国債の
新規発行額とがほぼ
同額になっている、あるいは六十二年度当初で見ました場合には、むしろ
利払い費の方が
国債の
新規発行額を上回っているというふうな
状況でございます。これは、俗に
借金の
利払いのために
国債を
発行しているのではないか、これは
サラ金財政ではないかという批判がないではないわけでございますが、しかし逆に
観点を少し変えて見ます場合には、
利払い費と
国債の
新規発行額が
同額であるということは、それはある
意味では、
GNP(
国民総生産)の、
つまり国の
経済の
規模に対する
国債の
残高が次第に
一定水準に収れんしていく
可能性を深めているということを
意味すると
考えられるわけであります。と申しますのは、言うまでもなく
GNPというのは、名目の
成長率の複利の計算でふえていくわけでございましょう。一方、
国債の
利払い費だけが
新規の
国債発行額として出てくる場合には、その
国債の
残高というのは
国債の利子分の複利計算でふえてくるということでございますから、
残高は利子の複利計算、それから
GNPは名目
成長率の複利計算で伸びていく。
そこで、もしも
利払い費の利子率が名目の
成長率を上回りまするとこれは問題でございますが、これは恐らく両者は大体同
水準に落ちついていくというのが均衡
経済の常識でございましょうから、大体こういうふうに
国債の
利払い分だけ
新規国債が
発行されるという
状況は、
GNPの中に占めます
国債残高の比率がどうやら四三ないし四五%というところで収れん
状況に入ってきたということのあらわれである、というふうに
考えてもそう大きな間違いではないと
考えていたわけでございます。
しかしその後、六十三年度の
予算におきまして、
国債の
新規発行額は顕著に
利払い費を下回る八兆円強、九兆円弱というふうな
水準になっているわけでございますから、恐らくこの
状況から
考えますと、六十一年度ないしは六十二年度あたりを
ピークにいたしまして、
GNPに占めます
国債残高の比率というのは次第に漸減の方向、低下の方向をたどるというふうな、極めて望ましい
状況が出てきているというふうに
考えるわけであります。
ただ問題は、もう
一つの問題、
財政本来のあり方から見まして、俗に言います赤字
国債、
特例公債でございますが、それがいまだにまだ
発行せざるを得ないという
状況である。これは恐らく今、これまで申しましたようなマクロ
経済的な
観点だけでは判断できない問題を持っている。つまり
財政というのも
一つの
会計でございますから、
会計というものにはやはり
一つのディシプリンと申しますか、倫理観というか
節度というものが必要でありまして、先ほど
館参考人からお話がございましたように、
特例公債が
発行されているということは、
経済主体としての
財政そのものが負の貯蓄、つまりマイナスの貯蓄というのを持っているということであります。そういうふうなマイナスの貯蓄を出し続けるということは、
一つの
会計としての、
一般会計としてのやはり
健全性、
節度の維持というところから確かに問題があるということは言わざるを得ないわけでございます。
その場合にもう
一つ、
経済的に一体赤字
国債が本当に悪いのかどうかという問題になるわけで、倫理観だけではなくて
経済的にも問題があるのではないか、確かにございます。それは、例えば赤字
国債というのは、今申しましたようにマイナスの貯蓄でございますから、したがって、例えば中央
政府なら中央
政府というものがありまして、それの資産と負債の関係を
考えました場合、負債がどんどんふえていくわけでありますから、資産から負債を引きました分の正味資産というものはだんだん減ってくる、逆にマイナスになっていく。現実に
国民所得統計、企画庁の出しました統計によりましても、中央
政府の正味資産というのは大きなマイナスになっているという
状況になっているわけでございまして、そういうふうな正味資産というものがあるからこそ、ある程度
国民に対する公共財のサービスあるいは福祉サービスというのができるというふうに観念いたしました場合には、そういうふうな正味資産の減っていく
状況というのは、果たして望ましいかどうかというのは多大の問題があるわけでございます。
しかし、この点につきましても、先ほど申しましたような六十一年度第三・四半期からの
経済、俗に申します
円高不況からの
脱却の動きが
財政に極めて望ましい
影響を与えているということも見逃すことはできない点だと私は
考えております。もちろんそれまでに今までの
財政再建ないしは行政改革という面からの御
努力が実を結んだ点、例えば
NTT株の売却収益が入ってきたというふうな望ましい条件がつけ加わったことは事実でございますけれ
ども、それだけではなくて、内需の
拡大、
経済の
拡大というものを通じまして税収がそれまで以上にふえてくるというふうな、極端な言い方をいたしますと
財政が、
拡大均衡とは申しませんが、
拡大均衡化の方向に動き出したやに見られるというところが重要な点であるというふうに
考えられるわけであります。もちろん俗に申します
円高不況からの
脱却というのは、それだれその相対関係の
変化に対する
民間経済の適切なる
対応というものが実を結んだことは間違いございません。しかし、それだけではなくて、六十一年度以降とられました
財政面での
景気の下降を防ぐようなそれなりの御
努力、とりわけ六十二年度の
補正予算以後のいわゆる
経済対策というものがそれなりの働きをしたことは間違いないのではないかというふうに私は思っているわけでございます。
経済学の部門におきましても、
財政の
景気刺激ないしは成長に対する
効果というものは、以前ほど高くないというのがもちろん多数
意見ではございますけれ
ども、しかし、五十七、八、九年ごろの
財政を見ました場合には、
財政の
再建という問題から生じますとりわけ公的固定資本形成の伸び悩みないしはマイナスというものが
経済全体の成長の足をむしろ引っ張ったという面はないとは言えないわけでございまして、例えば半年度
ベース、つまり四—九、十—三月というふうな半年度
ベースで見ました場合の公的固定資本形成のそのときそのときの成長に対する寄与度、これはパーセントポイントで出しますが、寄与度を見ましても、五十四年度以降は、半期
ベースで見まして公的固定資本形成が二期続けて、つまり二半期を通じて続けてプラスになったことはないわけでございます。プラスになったりマイナスになったりゼロになったりしているわけでございます。それが改まりましたのが六十年度の下期以降でございます。
六十年度の下期以降は、公的固定資本形成の実質
成長率に対する寄与度はずっとプラスを続けておりまして、この辺から
日本経済の
円高不況への
対応というのがどうやら軌道に乗ってくるというふうなその足がかりをつくったという
可能性はあり得るわけでございます。六十年度下期の公的固定資本形成が、その前の期、つまり六十年度上期に比べましてプラスになりましたのは、恐らくこれはその当時におきまして公共投資のおくれが出まして、下期になってそれがふえてくるというふうな
状況だったと思いますが、六十一年度以降はそれなりに
財政の方も極端な成長の足を引っ張るというふうな
状況から変わってきていたということがここにあらわれておりますのではないでしょうかというふうに思うわけでありまして、六十二年度下期以降、六十二年度の上期までしか私は手元に数字は持っておりませんが、成長の寄与度はずっとプラス、つまり四期続けてプラスということは、五十四年度以降には少なくともそういう
状況はなかった、そういうふうな
財政が積極的に足を引っ張ることがなくなったことが
円高不況からの
脱却の
一つの大きな要素になったんだろうというふうに私は認識しているわけでございます。
そういうわけでございますので、
財政というものは、先ほど申しましたマクロ
経済的に見ましても、
財政そのものの中での赤字
国債の問題につきましても、どうやら
現状はそれほど楽観はできないにしても、方向としては若干希望の持てる
状況が出てきたことは間違いなかろうというふうに
考えておりますとともに、現実にも赤字
国債の
発行額は、先ほど両
参考人がおっしゃいました六十五年度に赤字
国債から
脱却という
可能性は強いばかりでなく、私個人は、うまくいきますと六十四年度の決算
ベースでは、ひょっとすると赤字
国債ゼロに近いところまで持っていける
可能性もあり得るのではないかというふうに
考えているわけでございます。
新聞報道でございますが、印紙税を含めました税収でございますが、六十二年度は決算
ベースで恐らく税収は四十五兆円ぐらいまでなるんじゃないかというふうに言われておりますが、そういうふうな
状況が続きますならば、六十四年度中に赤字
国債脱却というのはやろうと思ったらできないことでもなかろうかというふうに私は
考えているわけでございます。
そういうことでございますので、それはやはり
財政が緊縮からある程度中立的になってきたということが、これが今のような
拡大均衡化の方向を出してきたということだろうと私は
考えておりますので、今後、
財政は極端な緊縮を避け、しかしみだりに
拡大する必要はないのであって、今のような
経済の
状況ですと
財政が
経済全体を引っ張るという必要はないわけでありますから、少なくとも中立、つまり公的固定資本形成が名目の
成長率と同じぐらい伸びるような、そういうふうな
状況をつくっていく方が望ましいのではないかというふうに
考えているわけでございます。
最後に、だからといってすべて楽観的というふうに申し上げているわけじゃございませんで、まだまだ行政改革は当然必要でございます。御
案内のとおり、国の
財政というものは、実のところ申して、ほとんどが
特別会計でございますとかあるいは地方への補助金でございますとか、あるいは公社公団のようなそういうところへ
繰り入れられているのが大部分でございます。
一般会計独自で使っているのはそんなに多くございません。恐らく一五%以内というふうに
考えております。
そういうことを
考えますと、やはり
特別会計あるいは公社公団あるいは補助金というものを制度的にもう一段見直しまして、そうして効率的で健全な
財政支出をしていかなければならないという点におきましては、何ら以前と事態は変わっていない。ただ、方向としましては、若干と申しますか、希望が見えてきたということでございまして、私は本年度につきましては、少なくとも今のような好調な
経済の
拡大基調が続くということを
考えております。それを前提にいたしますなら、マクロ
経済的に見ましても、
財政本来の姿で見ましても、方向は
改善方向にあるというのが私の
考え方でございます。
どうもありがとうございました。