○伏見康治君 せっかく
大臣がおいでになりますんですが、残念ながら私のきょうの
質問は専ら秘密特許関係で、余り
大臣に直接お伺いすることがないのはまことに残念なんです。先日の予算
委員会のときにも実はちょっと触れたんでございますが、そのときは時間がございませんでして十分
質問ができなかったように思いますので、きょうはこの秘密特許の問題だけに限定して
お話を承りたいと思っております。
せっかく
大臣がおられますから、おもしろい
お話を一つ先に申し上げましょう、
質問ではないんですが。
大臣は御存じないと思いますが、私は折り紙の大家なんですね。それで、つい先週、自分が偉いと思っている何人かの折り紙の作家を集めまして会合をやって、非常に楽しかったんです。その席にわざわざ丹波の山奥から藤本修三さんという方があらわれました。田舎の高等学校の
先生なんですが、この
先生は世界的に有名な折り紙の作家なんです。
日本では余り知られていない、むしろ外国でよく知られている。しょっちゅうヨーロッパ、特にイギリスの折り紙に関心を持っている方々と文通しておられる方です。
この方と
お話をして大変楽しかったんですが、そのときたまたま私の机の上に乗っておりました最近出ました数学の対称性に関する、シンメトリーに関する大変分厚い、大きな本がございましたんで、それを藤本
先生がごらんになっておりましたら、その中に
アメリカのある大学の数学の
先生が何か論文を載せておられる。その論文の中身が、実は藤本
先生が考えたことがそっくり載っておるわけです。そして、しかも藤本
先生の名前が引用していない。その
アメリカの数学の
先生というのは、実は藤本さんとしょっちゅう文通しておられる方なんです。したがって十分お互いのことを知っているはずであるのに、いわば藤本さんの知恵を盗んで、しかもそれに対してごあいさつがない。藤本
先生、大変憤慨されたんですが、これが知的所有権というものの一つのあらわれです。
そして、知的所有権が無視されているという例は、
日本人も相当やっているかもしれませんが、
アメリカの学者も盛んにやっておりまして、もっと具体的にこれは相当シリアスな問題になる。藤本
先生のケースはそれほどシリアスでないと思います。藤本
先生自身も抗議の手紙は書くけれ
ども、別に裁判にかけるつもりはないと言っておられましたが、もう少し裁判ざたになってもいいと思われるようなケースが頻々として起こっております。
私は物理屋ですが、
アメリカの物理学関係の雑誌がございまして、それには速報誌というのがございます。何か
日本の学者が新しい思いつきをしたというわけで、その速報誌に載せるわけですね。載せようとして投書するわけです。
アメリカの雑誌には、何も
アメリカに限りません、しかるべき学会誌でありますというと、すべてレフェリーというのがありまして、レフェリーがその論文を審査いたしまして載せる価値があるかないかを
判断するわけですね。ところが、しばしばレフェリーの段階で論文の内容が盗まれるわけです。つまり、あるレフェリーはその論文を読んでそれを棄却してしまう。棄却しておいて、自分の頭の中にその内容を取り込んで別の自分の名前の論文を書いてしまうというケースが間々起こっております。
これも知的所有権の一つのバイオレーションだと思いますが、しかし、こういうものも、一定の利益に結びつけて金銭ざたで物事をおさめるという形にすべきものではないと私は思うんですね。こういうものはすべて科学者のお互いのモラルの問題であって、そういうものはモラルの問題として片づけるべきものであって、裁判ざたにするのは間違いであろうと思います。
特許制度というものがイギリスで近代的な形になりましたのは前世紀の半ばごろだと思うんですが、ちょうどそのころ、物理の方で申しますというと、マイケル・ファラデーという大変偉い
先生が次から次へ発見をされた時代ですね。そのころは電磁気に関する研究が世界的に流行いたしまして、ヨーロッパの
各国で電磁気に関する発見が相次いで起こったわけでございます。そういう情勢の中では、おれの方が先だという争いが必ず起こるものでございまして、そのことをセツルするためにマイケル・ファラデーが言い出して、プライオリティー、つまり論文のどっちが先かというプライオリティーを決めるのにどうするかという手続問題を決めました。
それは、しかるべき学会誌というものにその論文を投稿した、そしてその学会が受け取った日付をその論文に必ず書くわけです。受け付け何月何日と書くわけです。その前後によって、どちらが先に発見をしたかという日取りにしようではないかという提案がマイケル・ファラデーによってなされまして、それ以後、学者の間では論文が載った日付をもって、論文がいわばしかるべき学会誌に届けられた日付をもってその発明がなされた日付とするということによってプライオリティーを決めようということになりまして、それが現代までずっと続いているわけです。
湯川秀樹
先生の例えば中間子の発表というのは、口頭で発表された時期とそれから
日本物理学会、その当時は数学物理学会でしたが、その雑誌に受理されたのと一年間ギャップがございまして、したがっていろいろなお祝いをするときにはその学会誌に出た日付をもっていろんなことをいたしますが、実際はそれより以前に発表されているんです。そういうこともございますが、この論文のプライオリティーも別に金銭で片づく問題ではございません。これもやはり完全に学者のモラルの問題として処理すべき問題だと私は思っております。
商売の問題とそれからそういうモラルの問題とどこで区別をつけるかということはだんだん難しくなってくるとは思いますが、そういう学問的な研究の段階にまでその特許的な精神が入り過ぎますというと、学問を非常に阻害することになると思います。
今の若い人はしばしばとんでもない誤解をしているんですが、例えば
日本物理学会というものは文部省のお金で運営されているものと間違えているような学生がしばしばあらわれます。それから、特許についても、特許というものは秘密だと思っている人がたくさんいます。そこで、改めて特許の精神というものは公開にあるということをこの際繰り返して申し上げておきたいと思います。
その公開であるべき特許に秘密特許というのが今押しつけられようとしていると思うのでございますが、これは
アメリカさんとの接触の結果そういうことになりつつあると思うのでございます。
まず私が伺いたいと思いますのは、
アメリカの秘密特許の制度というものはどういう制度なのか。つまり、これは特許の根本精神である公開の原則といったようなものを破るんですから、相当
アメリカといっても無理をしていると思うんですが、どういうふうに
アメリカの国内では秘密特許というのをなさっているのかという
アメリカの特許制度の
お話をちょっと承りたいと思います。