○内藤功君 唯一の
被爆国の
厚生省の
答弁ですからぬ。非常にかたくなで、また冷たい感じがするわけです。前段においてせっかく熱意あふるるお話のように聞こえたのが、これでは私
ども非常に失望するわけであります。
広島、長崎に
原爆が投下されて四十三年に間もなくなろうとしております。私は、毎年八月、
東京・品川のお寺で
東京都
原爆被害者団体協議会東友会の方が
原爆犠牲者合同慰霊祭をおやりになるのに参加をさせていただき、心から追悼申し上げるとともに、
被爆者遺族の方のお話を聞くことが政治家としての大事な原点だと思って毎年伺っておるわけでございます。
先ほどから基本問題懇談会の
報告を引用されておりまして、
一般戦災との違いは
放射線による
被害の特異なところだと強調されます。しかし、これは、とりようで大変いろんな問題があると思うんですね。
原爆は、その性格上、無差別、非
戦闘員も含む大量虐殺の兵器だという点で、ほかのいかなる兵器とも違うというところが大きな問題点であります。その殺傷・破壊の態様、それから
被害の長く人体と自然に深刻なる影響を及ぼすこと、人体のみならず子々孫々にも及ぶというこの特異性、これがやはり大きな問題だと思うんですね。
マーシャルというアメリカ陸軍参謀総長は、投下直後に弁解をして、
戦争終結を早めるために、数千万人の米人の命を守るために投下したなどと言っていますが、これは国際法・条約に違反することは明らかな残虐な兵器であります。本来ならば、日本は、
敗戦国といえ
ども、この
被害について、条約に基づく損害賠償請求権を国際法上留保すべきものであったにかかわらず、サンフランシスコ条約でこれを放棄してしまう。その結果、数十万の方々が米
政府に対する損害賠償の固有の権利を喪失してしまったわけであります。そうなった場合、法的には、日本
政府の責任においてこの
医療、
生活保障その他の責任を
国民に対して負ってくるのが当然でございます。
まあ理屈っぽく言いましたけれ
ども、これが私
どもが一貫して
国家補償による
援護法の
制定を要求しておる根本の道理であります。法理でもあるわけです。
私は、最近の被団協の
調査によりまして、自分の生きる支えとして
援護法制定の日まで生き抜くことというのを三四・二%、三千八百十五人のお方が挙げていられることは非常に深刻に
考えていただかなきゃならぬ問題だと思います。国がやりませんと地方自治体の方でも非常に困っておりまして、地方自治体でも既に
東京都、それから鎌倉、藤沢、三鷹、日野というところで、地方自治体の非常に困難な財政
条件下ですが、一定の限界のある
援護条例をつくる動きが出てきております。国が率先してやらなくちゃならぬ問題だと思うんです。
この
答弁は、聞いても恐らく同僚議員に対するお答えと同じものでありましょうから、私は、そういう同じ
答弁ならあえて求めません。
時間がありませんから、この基本問題懇談会の
考え方の間違い、一つは、
原爆投下は「
戦争終結への直接的契機ともなった。」、これは許すべからざることです。
原爆投下をある
意味で美化しているわけですからね。
二点目は、
受忍論です。
受忍というのは、音がうるさいとか震動がひどいとかいうのを我慢せいということですから、それをどうして
原爆の場合に応用できるか。これはもう絶対容認できないですよ。
それから、開戦、講和という政治行為に
不法行為責任を追及できないと言いますが、ここで追及しようとしているのは、国際法違反の残虐行為の責任は問い得るんだと、そんな問題ですから、これは全然違っていますよ。
それから、「
対策の真の対象そのものは、漸減していく」と言っておりますが、老齢化、健康
生活不安でかえってふえていきますよ。のみならず、今までは
被爆者ということを公にせず、年をとって今になってこれを名のってくる方がいるのは
現実の問題です。
私は、今、時間の関係でこの三点に絞りましたが、こういう基本問題懇談会の答申を金科玉条のようにして今でも
受忍論を言っているということは、
大臣、ぜひ
考え直してもらいたいということを強く要望して、私は
質問を終わるものであります。
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