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参考人(中村方子君) 中村でございます。
そのレジュメに書いてございますように、私はただいま中央
大学におきまして
経済学部におきまして
生命科学という講義を担当いたしております。
生命科学というのは大変聞きなれないというような方もございますけれ
ども、科学技術庁の定義あるいは朝日新聞による定義等もございますけれ
ども、私はここには
日本学術会議第六十六回総会の定義を
参考に書きました。「
生命科学は、一人の
人間の
生命をまっとうし、将来にわたって人類が存続することを強く志向する総合科学である」、このような立場から中央
大学で講義を行っております。
ですけれ
ども、私の専門といたしますところは動物生態学でございます。それで、もうちょっと前置きをいたしますと、私は新制
大学の第一回卒業生で、
社会に出ましてからはある公立
大学の理学部で二十六年間助手をいたしまして、それから今の中央
大学の
経済学部に移りまして九年たった、こういう
状態でございます。一人の
子供の母親として生きてまいりました。そんな立場から、ここで書いてございますように、
人口問題に関しまして一人の母親である婦人の立場からと、それから勤労者であり研究者である女性の立場から、この両方から発言をさせていただきたいと思います。
それで、参議院からいただきました資料、昨年十二月十日の河野
参考人のお話の中にございますけれ
ども、戦後十年の間に
日本におきまして非常に
出生率が下がったということがございます。
昭和二十二年千人に対して
出生数は三十四・三人であったものが、
昭和三十年には半減いたしまして千人に対して十七・二人、そしていろいろございますけれ
ども、
昭和六十一年になりまして千人に対して十一・四人の
出生数である、こういうお話がございました。
そのような参議院のこの
調査会における
皆さんのいろいろな勉強ぶりを御一緒に勉強したつもりで拝見いたしておりますと、私のかつての生きてきた
状態と非常に重なるわけでございます。それがこの一番目のところに書きました「平和な
社会を望みます。」ということなんです。
それで、戦後一時
ベビーブームというのがございました。けれ
どもそのときに
子供を
出生した方々というのは、旧来の
日本の家長制のもとにおいて男性の意思によって主として
出生が、
子供が生まれるということが決められていた、そういう尾を引いた方々が戦後一時たくさんの
子供を産まれたと思います。そしてその後、平和憲法のもとにおきまして女性も産むことに関しての意思
決定ができるようになったとき、女性は平和な世の中でなければ母親になりたくない、こういうことを望んだと思います。私も当然そうでございました。
実は、きょう来ながら
毎日新聞の「女の気持ち」というのを読んでまいりました。女性公務員の方でございますけれ
ども、出産休暇が来るのを待ち望んでいる
状態のところで非常に重症の妊娠中毒症にかかりまして未熟児を産みました。けれ
ども母親も
子供も命を取りとめまして、それについて大変感謝の意思を投書したものでございました。
今のように科学が進んだ時代におきましても、職業を持って
社会参加している女性が
日本の非常に短い産休、それを待ち望みながら出産するということは大変命がけの
状態でございます。でもそれを覚悟して母性を持った女性であれば母親になりたいと思います。そして大変命がけで
子供を産むとき、その
子供が、自分がかつて戦火をくぐってやっと生き延びたような、あるいは餓死寸前の生活を経て大人になったような、そのような戦禍のもとに置かれる
状態に自分の苦労して産んだ
子供が置かれるならば、恐らく自分の意思で出産を決められる女性は母親になることを拒否するわけでございます。ですから、女性が
子供を産むときは大変
社会が平和であることを望むわけでございます。
私は一児の母となりました。この子が将来にわたってその
生命を全うできるような平和な世の中が続いてほしい、そのような世の中をずっと私たちは守り続ける義務があるのではないか、母親になったときからさらに強くそのようなことを望んだわけでございます。
二番目の問題として挙げましたのは、健康に関する問題でございます。
ここに挙げましたけれ
ども、
昭和五十三年、五十四年、五十五年、五十六年度におきます東京都立病産院における先天異常モニタリングを見ますと、千人のうち死産児は十四・四二人、先天異常者数は七十二・七二人、
出生、死産しないで生まれた人の大体七・四%の人は先天異常でございます。非常に多数の人々が東京都におきまして先天異常の
状態で生まれております。これは枯れ葉剤の問題で非常に問題になったベトナム等における先天異常の出現率よりもずっと高い
状態において東京都においては先天異常児が生まれている。そのような化学汚染や何かが進んでいるのが私たちをめぐる情勢でございます。
私は
生命科学を講義いたしておりまして、例えば残留農薬の問題と奇型猿の
状態、これの問題について話すと同時にビデオテープを見せたりいたしまして残留農薬の危険性等について講義をいた
しますと、学生が、譲義を聞いたから自分たちはそのようなことに対して大変関心を持てるけれ
ども、そうでなく出産する人たちは一体どんなことに注意をしたらいいんだろうと言ってきます。
ともあれ、ここ私たちの身近においてどんどん進行している
生命に関するこのような危機、この問題を私たちは改善することなしに
子供を産むことは大変気になっている問題でございます。私は大分前に
子供を産みましたので、この事情よりは随分ましだったと思いますけれ
ども、私たちをめぐる情勢、これは随分ひどいものがございます。
ここに挙げましたけれ
ども、淡路島におきます先天異常の猿、これは輸入小麦でえづけいたしました場合に、非常にひどい場合に二三・二%も手足に先天異常のある猿が生まれました。そしてそのような死んだ猿を集めまして獣医
大学の和
先生が分析なさったものが「続奇型ザルは警告する」というテレビで放映されました。それを見ましたところ、手足に異常のない猿の肝臓にへプタクロールという農薬が〇・六七ppm見られるのでございますけれ
ども、手足に異常のある猿には四・九六ppm、解毒作用を持っているところの器官である肝臓に約七倍のへプタクロールが蓄積しているということがわかりました。このような残留農薬によって恐らく、よってと言うとまずいです。そうような残留農薬が割合奇型と関連があるのではないかということを懸念させるようなデータがテレビの中では映し出されておりました。
ともあれ、先天異常を持って生まれた七・数%の人々、その人々は一体何の
要因によってそのようなことが起こっているのか、そういうことを知るすべもなく、私たちの身の回りに非常に多くの危険が今起こっているということがありますと母親はなかなか出産することをためらいがちでございます。
さらに、その(2)の下のところに書きましたお米の問題でございますけれ
ども、米を輸入しろというようなさまざまな圧力がございます。サイエンティフィック・アメリカンというアメリカにおける科学雑誌の一九八二年のものに示されたところによりますと、カリフォルニアの水田におきましては、
日本では大変危険な農薬として一九七二年以来製造も使用も禁止されているところのパラチオンが一万二千トンまかれまして、そしてそれがお米に〇・一ppm、残留許容ということでございます。そのような制度が許されているお米、そういうものだということを明らかにすることなく、安いとかうまいとか、あるいは貿易摩擦解消とかいうことでこのような危険な米をさらに食べ続けるような
状況がもし起こるなら、私たちはもっと次世代あるいは未来に向かって危険な
状態を残すと思います。
ともあれ、自分の命をかけて次世代を
出生する母親は非常に健康な
子供の
出生を望むわけでございます。危険が非常に懸念されるとき、安心して
出生することはできません。政治においてそのようなことの配慮を望む次第でございます。
三番目と四番目に書きました問題は、女性という
一つの性に対する
社会の
認識の問題でございます。
きょうの
毎日新聞の社説には「女性排除の論理は立たない」というものがございました。これは我が国の首相の先ごろの発言、及びあるトンネルへの女性記者及びカメラ撮影者の立ち入りを拒んだ問題に関することを取り上げたものでございました。戦後の憲法が決められまして、そして両性の平等がうたわれてから四十二年以上もたった今、なおかつ
日本には非常に強い性差別の
状況が残っているわけでございます。そのようなところで女性は自分と同じような差別をされる女性をもし産んだら
社会が改善されない限り同じような苦しみを味わうのではないか。こういうことで、非常に罪の意識と申しますか、喜んで次世代を産むことはできない
状態がございます。
もう
一つ、(4)のところに「新国際
経済秩序の確立と尊重」と書きましたのは、これはやはり性の問題とかかわるわけでございますけれ
ども、毎日のようにたくさんの女性が貧しい国から
日本に参ります。そして、あからさまでなくてもその方たちは性を
経済的なものにかえなければならない
状態に置かれております。同じ性に属する者たちが
日本の国内においてそのような
状態に置かれているとき、すなわち自分の同性が平等の
状態に置かれないときに、女性はそのような
社会において産む性であることを非常に疎ましく思います。貧しい国であればその貧しい国に対して、国連で採択いたし、そして実行されているはずの新国際
経済秩序の尊重を行うことによって、そういう貧しい国の人々がそのような貧しさゆえに性というものを売り物にしないで済む
状況をつくり上げていくことが、
日本の中においてもっと女性と男性の平等を確立する、そして自主的に次世代を産んでいくことを可能にする
状態をつくると思います。
その次の(5)と(6)のところの問題、これはやはり
日本の
社会においてなお根強く残っておりますところの、先ほど森岡
先生の方からお話しございましたような
社会制度としての女性に対するさまざまな、何といいましょうか、しわ寄せ、老人介護の問題あるいはさまざまな
地域における問題等を、それは女性の役割であるというような形におきましてしわ寄せしていく。そういうところで、例えば
子供が学校へ参りますと、
子供がかわいくないんですかというような
一つの
子供を人質にとったような
状態の中でどんどん雑用がしわ寄せされていく。それは父親ではなくて母親にかかっていく。そうなりますと、母親は一人
子供がいれば仕事を続ける上にはそのような仕事はもうとても手いっぱいだ。まして老人介護の問題までも女性に全部かかってくるのでは、とてももっと
子供を育てることはできない、こういう
状態が起こってまいります。ここで「アンペイドワークの
社会的評価」と書きました。
それからもう
一つ、私は日野市の婦人問題懇談会の
委員として女性問題についての提言をまとめて提出したわけでございますけれ
ども、その中では、高齢者でも十分
社会参加の力を持った方、あるいはもうちょっと別な方々も含めてでございますけれ
ども、そのような方の参加によって女性がもっと
子供を育てながら、仕事をしながら伸び伸びみんな生きていけるようにということでボランタリー・アソシエーション・システムというものの提言も行いました。
ともあれ、この(5)と(6)は
一つの
日本の
社会のあり方に対する提言、その問題を説明いたしてございます。
私がきょう最も力を入れて話したかったのは(7)と(8)の問題でございます。(7)のところには、「
大学及び研究機関における女性の就職・昇進にかんする平等を確保・推進する事と
現状に関する国による
調査の実施と分析・
対策を示す事を望みます」。八番目には、「
大学教員の産前産後休暇中の代替員を確保できるよう
対策を講ずるように望みます」。この
二つの問題をここに書きました。これは私の
一つの職業的経験、生きてきた時間の半分以上を
大学の教員として過ごしてきたわけでございますけれ
ども、その中で強く女性の出産の問題とかかわって感じてきた問題をここに挙げました。
それは科学研究費プロジェクト総合研究Aというので、
昭和五十七年、五十八年、五十九年度の報告にも大分まとめてございまして、そのデータをそこに挙げてございます。女性が男性と同じようにその
能力を研究生活という形で
社会に還元していきたいと思いますときに、まず修業を終えまして、そしてその次の
状態としては就職できないと特に自然科学系においては研究を続けることができません。けれ
ども日本の
社会におきましては、女性が研究者として就業できる
チャンスというのが非常に少ないわけでございます。
大学教育までは要するに試験に受かれば女性でも入れます。けれ
ども卒業した人たちの就業の
チャンスというのは非常に狭められております。
それは例えば司法研修所の教官の発言、一九七七年、大分問題になりましたけれ
ども、僕は勉強する女性は嫌いだ、司法研修所の研修が終わったら早く家庭に入っていい奥さんになれということ
を非常に正直におっしゃった方がございますけれ
ども。いろいろ問題になりますと余り今度は正直におっしゃる方が少なくなりながら、やはりそういう方というのは非常に多うございまして、そして
大学の人事等を
決定する方たちも勉強する女性、研究する女性は嫌いだなんというようなことでなかなか就業の機会を女性に対して開かないわけでございます。
東京都の婦人問題解決のための実施細目、
昭和六十二年度のデータがございますけれ
ども、東京都におきましてはこのような問題について積極的に改善をするということで実施細目を挙げておりますけれ
ども、それを見ましても、女性の教員の割合は、六十一年度が八・九%だったものが六十二年度になってやっと一〇・四%。その中で助手が一番多いわけですけれ
ども、そういう
状態で今でも男性に対して保障するというか、
努力を約束した東京都、これは国公立の機関で私が知っている初めてのところでございますけれ
ども、そこにおいてやっと女性の研究者の採用は一〇・四%でございます。
研究者になろうと思った人が就職できませんと例えば北海道の公募に応じる、あるいは九州、沖縄の公募に応じる。東京にいましてもいろいろなところの公募に応じてどこに採用されるかわからないような、もちろん
夫婦が別れて生活しなければなりません。そういう
状態においてなかなか母親になるということはできない。これが研究者女性の置かれた
状態でございます。ということで、このところでは女性がもっとその
能力を発揮できるような就業、昇進の
チャンスを保障できなければ女性は安心して母親になれないんだということを書きました。
もう
一つは、出産に際しての研究者女性の置かれた
状態でございます。もう時間が余りございませんので細かくはお話しできないかと思いますけれ
ども、科学研究費によりまして
調査いたしましたところで、Qの4のiというデータがお
手元に示されております。十四ページの一番上でございますけれ
ども、ここには研究におきましてアンケート
調査を行いました場合の研究者女性の産前休暇、産後休暇の規定と実際、そして規定がない職場でどうなっているかということがございます。
細かくは触れませんけれ
ども、例えば産前休暇が一週から五週という規定のところが回答した人の一一・九%ございます。二十五名でございまして一一・九%ですけれ
ども、実際一週から五週しか産前休暇をとらなかった人は回答したうちの百三名、回答者のうちの五〇・二%の人は一週から五週の産前休暇しかとっておりません。
労働基準法におきまして産前休暇は六週間が保障されております。産後休暇を見ますと、規定が一週間から五週のところが回答者のうちの一一%、二十三名で一一%でございまして、実際一週から五週とった人は四十四名、回答した人のうちの二〇・一%が
労働基準法を下回って一週から五週までの産後休暇をとっております。
労働基準法におきまして、このように産後休暇を縮小するときには、医師がそのようなことがよろしいと認めた職務において本人が申し出た場合に就業を許すということでございますけれ
ども、実際研究機関における女性は喜んで産前産後の休暇を縮小しているわけではございません。
その問題は、その後Qの4のiiというところ、産休中の仕事の処理の問題あるいはその他の問題のところにもいろいろ出ているわけでございますけれ
ども、そうせざるを得ない、そうしなければ職業を続けられないという
状態の中で研究者である女性たちは産前産後の休暇を縮小いたしております。そして、Qの4のiiiというところに挙げましたけれ
ども、妊娠・出産異常、これは重症のつわり、妊娠中毒症、切迫流産、早産、いろいろございますけれ
ども、百四十六名が複数回答、二百十五回答いたしました。全回答申中
子供のある者が三百三十名でございまして、出産異常は百四十六名、四四・二%の研究者である女性は出産異常という形で
子供を産んでおります。
そのまとめのところに書きましたけれ
ども、研究者である女性は平均して出産数は〇・七八人でございます。二千名の研究者女性に無作為的に
調査をいたしましたところ七百十二名の女性からの回答があったわけでございますけれ
ども、無配偶者が三百二十五名、四五・六%でございます。
結婚することをあきらめなければ研究者として残っていけないというその圧力が非常に強うございまして、四五・六%は無配偶者。男性の場合には八・五%でございます。そのような
状態の中で有配偶者の女性が
子供を産んだ場合の女性の平均出産数は〇・七八人。そして千名の男性のアンケートのうち四百四十七名の回答がございましたけれ
ども、その回答者中男性の平均
子供数は一・四一人。大体女性に対して二倍近い
状態でございます、それでも少ないわけですけれ
ども。
私も一人の
子供の母となりましたけれ
ども、たまたまキュリー夫人にあこがれまして、ノーベル賞をもらうような研究をしながら二人の母として立派に母親の役割を果たし、そのお嬢さんもまたノーベル賞を受けるような立派な科学者になられた。できるならその足元にでも及びたい、これが科学者になった
理由でございますけれ
ども、
子供を産んでみて、もう一人
子供を産んだら私は死んでしまうというような、初めての経験だからしゃにむに過ごしてしまいましたけれ
ども、もちろん異常出産でございましたし、
子供は初めての誕生日までに四回も四十度を超す熱を出しました。よく生き延びてくれたと思いますけれ
ども、
日本の女性研究者に対する
状況というのは実にひどいものがございます。
この十三ページの下に書きましたけれ
ども、女子教職員の出産に際しての補助
教育職員の確保に関する法律というのがございまして、かつて
日本におきまして小学校の
先生たちも非常に大変な
状態で出産いたしておりましたけれ
ども、
昭和三十年にこの法律ができ、その後何回かの改正を経まして、今
大学教員以外の女性教員は前よりは大分異常出産やなんかも減りまして健康な
状況にございます。けれ
ども研究機関及び
大学における女性教員はそのような法律の改正を望んでも改正は行われず、異常出産をしなければ母親にもなれないような危険な
状態があるわけでございます。そのような
状態の改善を非常に望むわけでございます。
もうちょっとだけお話ししたいのですけれ
ども、私は先ほど申し上げましたように動物生態学というのが専門でございます。それで、生態学の立場といたしまして一九六七年から五年ほど、この地球全体に一体どれだけの
人口を養える生物生産力があるか、そのことを研究しようという
世界的な科学者の連帯の中で、インターナショナル・バイオロジカル・プログラム、IBPと申しておりますけれ
ども、そのような研究に携わりましていろいろ研究いたしました。そのIBPの研究
調査の結果といたしますと、地球上には大体三百五十億人から四百五十億人の
人口を養う生物生産力があるということがわかりました。ですけれ
ども、これはこの前河野
参考人の話にございましたように国境というものがなければの問題で、分配というものにアンバランスがなければそれだけの
人間を養える
状態がございます。
ところが、今私
どもの国家、
日本の
人口について見ますと、大体地球上に三百五十億人の人々が住んだときと同じような密度で
日本の
人口はこの
日本の
国土に住んでいるわけでございます。アメリカにおきましてジョージア
大学の生態学の教授、オダム博士が試算を行いましたところ、
人間が快適な生活を行うためには一人につき二ヘクタールの広さが必要であるということを述べております。アメリカの
国土と
人口の割合はそのときで二倍に達するまではその
状況が保てるというのがその
状態でございました。
日本においてはこの地球が養える
人口密度と同じ
状態を達成しているのが
現状でございます。ですから、これから
日本において
人口がもっとふえるのが望ましいかどうかということになりますと、私は生態学者の立場といたしますと大分ちゅうちょいたすわけでござ
います。
ただ、今回のこの
調査会の企画は大変すばらしいと思いましたのは、今まで
日本におきまして一体
国民にどのような
人口政策があって、そしてその
人口政策のもとにどのような
国民の生活が営まれるのかというその
コンセンサスがなかったわけでございます。もし
日本の
人口が一億二千万でとまるならばこういう
国民生活が可能であろう。あるいは一億四千万において静止
人口になるならばこうである。そのために
人口増加率はどうであるか、あるいは生活の質はどうであるか、そういう
状況の提示と
コンセンサスの成立というのは今までなかったわけでございますけれ
ども、本
調査会において多分そのようなことを今後心がけていかれるであろうことを期待いたしまして、大変この
調査会はすばらしいことと思います。
そのように私
どもの
国土において
人口が今もう相当十分に多いということが思われるということをお話しいたしましたけれ
ども、でも、私たちはこの国の主権者である
国民として、制度の悪さゆえに命がけであるから
子供を産めないのではなくて、やはり
子供を産むならば自分の意思で、そして
子供を産むことを大変幸福なこととして産める
状況をつくっていってほしいと思います。妊娠中毒症で命を落とすかもしれないということを気にしながら、職業を持つならその覚悟で母親にならなければならないような情勢、これは私はぜひとも改めなければならない政治の
状況であると思います。
以上をもちまして発言を終わります。