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1988-02-19 第112回国会 参議院 国民生活に関する調査会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和六十三年二月十九日(金曜日)    午前十時開会     ─────────────   出席者は左のとおり。     会 長         長田 裕二君     理 事                 斎藤栄三郎君                 水谷  力君                 矢野俊比古君                 山口 哲夫君                 高木健太郎君     委 員                 井上 吉夫君                 小野 清子君                 大島 友治君                 大塚清次郎君                 倉田 寛之君                 斎藤 文夫君                 寺内 弘子君                 二木 秀夫君                 向山 一人君                 糸久八重子君                 村沢  牧君                 山本 正和君                 近藤 忠孝君                 抜山 映子君                 平野  清君    事務局側        第二特別調査室        長        菊池  守君    参考人        日本大学人口研        究所名誉所長   黒田 俊夫君       歌    手 アグネスチャン君        成城大学教授   森岡 清美君        中央大学教授   中村 方子君        明治大学教授   吉田 忠雄君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○委員派遣承認要求に関する件 ○国民生活に関する調査  (出生率動向対応に関する件)     ─────────────
  2. 長田裕二

    会長長田裕二君) ただいまから国民生活に関する調査会を開会いたします。  まず、委員派遣承認要求に関する件についてお諮りいたします。  人口動向国民生活に関する諸問題の実情調査のため、委員派遣を行いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 長田裕二

    会長長田裕二君) 御異議ないと認めます。  つきましては、派遣委員派遣地派遣期間等決定は、これを会長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 長田裕二

    会長長田裕二君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ─────────────
  5. 長田裕二

    会長長田裕二君) 国民生活に関する調査を議題とし、出生率動向対応について参考人から意見を聴取いたします。  本日は、お手元に配付の参考人名簿のとおり五名の方々に順次御出席をいただいております。  まず、日本大学人口研究所名誉所長黒田俊夫君及び歌手アグネスチャン君から意見を聴取いたします。  この際、御両人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ、本調査会に御出席をいただきましてありがとうございました。  本日は、出生率動向対応につきまして忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査参考にいたしたいと存じます。  議事の進め方といたしましては、まず最初に三十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対しお答えをいただく方法で進めてまいりたいと存じます。  それでは、まず黒田参考人にお願いいたします。
  6. 黒田俊夫

    参考人黒田俊夫君) 御紹介ありがとうございました。黒田でございます。  日本人口出生率動向対応という大変難しい課題をいただきまして、私の個人的な意見を申し上げてみたいと思うのですが、お手元に一応の要旨は書いておいたのでございますけれども、かなり細かいことが書いてございますので、最初に一応の結論のようなことを申し上げておいた方がよろしいかなと思います。そして、あと許される時間、説明に費やしてはどうかなと思っております。  この出生率というのは、非常に簡単な現象のようでございますけれども非常に複雑な現象である。特に人々がどのような子供の持ち方をするかということは決して単純な現象じゃございませんで、社会全体の経済あるいは文化ですとか、あるいは社会制度あるいは技術の発展、こういったような大きな社会全体の動きに対する国民の意識、それからこれに対する行動、いわば国民環境に対する適応の行動である、こういうことが言えようかと思います。それから、この問題は第二次大戦後、世界のあるいは人類の大きな課題になってきた。  第二点は、出生というのは、死亡移動といった人口動態がございますが、その結果としての年齢構造、最近よく言われておりますような人口高齢化でございますが、こういう現象と不可分の関係にあるということ、決して出生出生だけじゃございませんで、出生というのは死亡移動関係ございます。それからその結果としての年齢構造というものとも不可分の関係にある。  それから第三点でございますが、出生率政策的に誘導するということ、例えば上げるとか下げるとかということは非常に困難だということでございます、これは例えばフランスですとか、あるいは中国あるいはインドなんかの例を挙げられると思いますけれども。  第四番目は、日本戦前というのは非常に長い間過剰人口という問題に苦しんできたわけでございますが、国土あるいは人口あるいは資源、こういったような非常に困難な状況にあったわけでございますが、戦後この不利な条件というものを逆にとったといいましょうか、逆手にとる、人口が多い、国土が狭い、資源がない、こういう悪条件というものを逆にとったわけでございますけれども経済復興近代成長、こういうものに成功してきたわけでございますが、これも日本の非常に例の少ない世界的な経験と思いますが、その場合に、人口経済というものが相互に非常にうまく適応していったといいましょうか、二つ条件が重なったということ、非常に幸運であったわけでございます。  それから第五番目に、いわば一つ結論でございますけれども、こういう状況の中で家族というものに対する考え方、これは国際的に見ましてもそうですけれども家族という単位で物を考えるというのは案外これは薄いわけでございまして、国勢調査なんかもいわば個人単位でやっておりますし、家族単位として物を考える。殊に最近では、アメリカでは家族とは何かということ、あるいは結婚とは何かというような根本問題が起きて おりまして、家族を中心として物を考える。  いわば私は家族開発というような言葉を使っておるんでございますけれども仏教なんかにも開発という言葉があることを私知ったんでございます。経典にあるんだそうでございますが、開発というのは仏教の方ではカイファと読むんだそうですが、開発というのは何かというと、人間が持っている能力というもの、これはなかなか表へ出てきませんで、その持っている人間能力を最大限に引き出して、そして社会全体のために働いてもらう、貢献してもらうというのが開発だそうでございますけれども、私はいわば家族開発といったことが日本のこれからの非常に重要な大きな課題であろうと思います。  これは日本だけじゃございませんで、世界的な課題でございますけれども家族の安定といいますか、あるいは豊かさ、あるいは健康、こういった点に最大の個人努力あるいは政府政策というものがあっていいんじゃなかろうか、そういうように考えるわけでございます。  それから最後に、よく昔から日本生命線ということを言われましたけれども、現在の日本生命線というのは地球全体、世界全体である。世界全体が平和でなければ、世界の繁栄がなければ日本は存立し得ない、極めて常識でございますけれども、そういうようなことを考えているわけでございます。  この結論関係しまして、もう一度この対策というものをどういうように考えていったらいいんだろうか。出生率の問題は後ほど若干また戻りたいと思いますけれども出生率変化というものに対して我々はどのように考えていったらいいんだろうかという対策の問題でございますけれども、現在出生率がまだまだ下がっております。どこまで下がるかということは大変大きな問題でございますけれども、そこに一つの、国際的にもそうですけれども、若干の不安がないわけじゃありません。どこまで下がっていくんだろうか、そうなれば労働力が不足しないだろうか、いろんな問題が考えられるんですけれども、私は、その出生率を余り動かすということは、これは余り賛成いたしません。非常に大変な努力が必要でございますけれども、それにしては効果が非常に少ないということで、我々が持っている人口の面からの問題というのは人間の質じゃないかと思います。  人間の質をどうして上げていくか。これは能力なり、あるいは健康なりいろいろございますけれども、そういう面から、出生からくる多少の不安があるとすれば、そこに解決の道があるんじゃないだろうか。しかもそのこと自身は我々人間社会にとって非常に重大な人権に即応するような問題かと思うのですけれども、それはどういうことかというと、それは死亡対策でございます。  生まれてきた者が死亡する、何ら大した理由がなくて死亡する、これは大変な人間の重大な生命の損失でございますから、その死亡を抑える、改善するということ。これはどのような社会でも、どのような時代でも反対の意見はないわけでございますが、例えば日本の青少年の事故の死亡あるいは中高年の自殺の問題あるいは乳幼児死亡、現在日本では世界最低でございますけれども、なお問題があろうかと思いますが、そういったような死亡対策を考える。生まれた者が死亡しないでこれが健全に社会のために働けるということ。  それから第二番目は、高齢人口健康対策でございます。先生方御承知のように、日本人口高齢化というのは大変な速度で進んでいるわけでございますが、その高齢人口の健康というもの、病気をしないで健康で働いてもらうということは、これは一つの重要な労働力の強化になるわけでございまして、そういうような面で出生率が上がらなくてもやりようがいろいろあるのではなかろうか。  それからもう一つ、よく言われますようなロボット対策でございますが、福祉の面ですとかあるいは危険のあるような労働に対するロボット対策、こういうようなものがあろうかと思うのですけれども、つまり人間の質を高める、能力を高める、健康を高める、こういったようなことで対策は十分に持っていけるんではなかろうか、こういう気がいたします。  それからもう一つ人口の分布の問題でございますけれども、これから労働力人口というのは高齢化していきます、あるいは減少していきますが、その場合に、それじゃ絶対的な不足があるかというと、必ずしもそうではない。例えば地域によって人口が余っている、あるいはある産業では労働力が余っている、ある労働力は足らない、こういったような、私ども大ざっぱな計算をいたしましても、今世紀末までぐらいに例えば五十歳末満のところの人口では千万ぐらい減りますけれども、五十歳以上の、中高年齢以上の人口で千万ふえる。数でいきますとそれでつじつまが合うんですけれども、ただ、そういうような地域によって過不足がある、あるいは産業によって過不足がある、こういうような調整というものも十分可能ではなかろうか、こういうように考えるわけでございます。  少しもとへ戻りまして、皆さんのお手元に配付してございますこの出生率動向現状を少し考えてみたいと思うのですが、一枚めくっていただきますと、昨年の、六十二年の日本人口動態統計がございます。厚生省で毎年おつくりになっているものでございますけれども、この図だけで結構でございますが、図を見ていただきますと、第二次大戦後の日本人口普通出生率でございますが、こういうような非常に目覚ましい変化をしております。終戦後のベビーブームの後一挙にこの出生率が下がってまいります。普通出生率で申し上げますと三四といったような水準から一七、十年間で半分に下がる、こういうような現象が起きております。その後若干十年近く安定しまして、その後例のひのえうまのところで日本の歴史にないような一三という大変な、とんでもない出生率低下が起きたわけでございますが、これは一時的なことでございまして、その後若干上がってまいりました。これは第一次の出生ブームの赤ちゃんが結婚期に入りましたから、ある意味では当然のことでございますけれども、若干出生率が上がってくる。  そして、四十八年を一つのピークといたしまして、その後また一挙に下がっております。昨年が一一・二でございます。この下がり方でございますけれども、第二次の低下が始まっている。第一次がベビーブームの後の大変な出生率低下。その後若干安定、若干上昇がありましたけれども、再び昭和四十八年からここにございますようなかなり強い、しかも低下一方という状況が続いております。このことから、当然に人口年齢構造変化、いわゆる高齢化ということが不可避的に起きてまいります。  その問題は別といたしまして、この下がり方、この水準は一体どういうような意味を持っているんだろうか。これは私ども人口関係者だけではなくて先生方も非常に関心のおありのところでございますけれども一つ問題は、日本人口出生率がどこまで下がるのかということでございます。非常に難しい問題でございまして、結論をなかなか出しにくいのでございますけれども一つ考えられることは、理論的には当然のことでございますけれども、だれもが子供を産まなくなるということはない、これは言えそうですね。ある年に、来年はだれも子供を産むのをやめようじゃないかというようなコンセンサスを得られるわけはございませんし、そういうことはあり得ない。  そういたしますと、どこまで下がるのか、これをどういうことで考えたらいいかということでございますけれども、また最初の、表の一枚目に戻りたいと思いますけれども、そこの1のところに「日本人口出生率動向」と書いてございますが、欧米に例のない速度低下してきた。これは後発国でございますのである程度当然なんですけれども、大変な速度で下がってきた。その下がり方は今の図にございますように最近は鈍化しております。これは当然のことですけれども西ドイツが最近が一〇あるいは九、これが世界最低でご ざいます。戦前でも最低フランスの一三ぐらいでございますが、ドイツの一〇・二。  そうしますと、日本の一一・二というのは、昨年でございますから一年ずれがありますけれども、大体そういうところへ落ちているんです。ですから欧米の中で一番低いのは西ドイツで、その次は日本でございます。くしくも敗戦国でございますけれども、この二つ敗戦大国世界で一、二を争うような低い出生率になっている。  この低下をどういうように将来の予測をするかということで、二番目に「出生率低下の限界」という言葉がございますが、理論的には今申し上げたようにゼロになるということはあり得ない。それで、世界的な動向から一応考えてみますと、どうやら世界最低のところまできているということからいいますと、そうやたらに下がることはないだろう。  それから二番目は「出生率低下についての国民認識」でございます。日本人口が、最近では出生率がどんどん減って、最近では人口の減少さえ起きているというようなことをよく聞くんですが、これは事実じゃございませんけれども、こんなに下がっていいんだろうかという、日本人口出生率、我々が産んでいる子供状態というのはこういう状態にあるんだということの認識国民に高まってまいります。  それから第三番目は「出生に対する国民態度」でございます。これは価値観というのでございますけれども厚生省の六十一年の調査がございます。それから毎日新聞社が二年に一回の家族計画調査をやっているんでございますが、そういうもので、国民がどういうような子供に対する価値観を持っているんだろうか。一番最近の新しい、六十一年の厚生省の推計を見ますと、望ましい子供の数というのは三人だ、これが圧倒的に多く出ております。    〔会長退席理事斎藤栄三郎着席〕 この三人が一番多いというのは、戦後のいろいろの調査を見ましても日本人理想子供数というのは大体三人、私ども常識的に理解できるわけでございまして、二人では一人が死ぬと少ない、だからもう一人あった方がいいんじゃないかな、三人あれば男の子と女の子の大体何とかバランスがとれるんじゃないだろうか、こういったような国民理解だと思うのですけれども、三人を希望する者が圧倒的に多いという結果が六十一年の調査に出ております。  そのときにどういうような子供に対する考え方を持っているか、これ見ますと、私どもも少し驚くんですけれども子供がいると家庭が明るくなる、それから子供があることが生きがいだ、それから夫婦のきずなになる、こういったのが主な理由になっておりまして、老後の支えになるというような考え方は非常に少ないですね。それから家の跡継ぎというものもほとんど考えてない。極めて少ないんです。子供を持つこと自身喜びであるという考え方です。  それを私ども、一昨年中国でも調査してみたんですけれども、都会と農村では違ってくるんですが、子供を持つことが喜びであるというのが都市では圧倒的に多いわけです。農村になりますと、今度は老後の扶養に子供が欲しいんだ、こういうのが多くなってまいります。これはちょうど日本の戦後、三十年代ごろまでのあれに似ているかと思います、農村でございますが。非常に注目すべき点は、子供を持つことは経済的にも精神的にも負担であるという考え方が、これは都市でも二八%、農村でも二三%ですね。これは子供を持つことがいかに大変かということについての理解が非常に強いわけでございます。  これは中国での比較でございますけれども日本の場合に三児が理想だといっているんですけれども現実は二人以下になっておりますね。そうしますと、理想はそうなんだけれども実際はそう持てない、あるいは持つとまずい、あるいは持ちたくない、こういう意思があらわれていると思うのですが、これはただし厚生省調査というのはほとんど農村県でございまして、都市大阪市だけでございます、これサンプルでございますけれども。あとは東北、四国、九州の農村県が四つ、秋田、山梨、香川、宮崎でございまして、都市大阪市だけでございます。この辺ちょっと高く出る可能性が十分あるわけです。しかも去年の四月に子供を産んだ夫婦についての質問でございますので若干高くなる可能性が出てまいります。  毎日新聞がやっています調査と比較してみた場合に、毎日新聞が二年ごとにやっておりますけれども、五十四年ごろまでは理想子供数は三人だったんです。五十四年以降理想子供数が二人に変わってまいりました。理想子供数二人、非常に厳しいですね、日本人子供に対する価値観というものは。それは、例の石油ショック以降の経済不況が始まってくるんですけれども、そういうような理想子供数を二人と考える者が一番多くなる、三人よりも二人と考える者が多くなってきたわけです。そのころはちょうど日本人口出生率が下がり始める時期に対応しております。そういうことから、私ども主観的な子供価値観に対する調査でも日本の実際の出生率動きと非常によく対応しているということが理解できたわけでございます。    〔理事斎藤栄三郎退席会長着席〕  そういうので、二人と三人と大分違うんですけれども、ただ、毎日新聞の一番新しい調査厚生省のあれに対応しておりますのは、あなたが考える理想子供数日本人としての理想子供数という二つ質問を設けてございます。あなたの場合は非常に切実でございますね、自分の身の回りを考えて理想を考えますから。日本人夫婦にとってはどのぐらいが理想と考えますかというのになりますと、三人が六〇%というふうに変わってまいります。その六〇%と六十一年の厚生省のあれに対応しているんですけれども、この理想子供数というのは非常に微妙な動きを若干しておりますけれども、これは一応定着してしまいますとなかなか変わりにくいということ。  そこで、どの辺で出生率低下がとまるか、それからさらにこれが上がる傾向になるのかということでございますけれども、非常に難しいですね。問題はこの低下がいつとまるか、これはなかなか上がることは期待しにくいですね。少なくとも今世紀末近くまでは現在の水準を若干上がり下がりしながら動いていくだろうということはほぼ考えられるんじゃないかと思います。しかし今世紀末まで余り動かないということは、日本人口の十年、二十年、三十年ぐらい先はほとんど変わらないということですね。つまり、例えば昭和二十二年、三年、四年のベビーブーム人口老人人口に入るのは六十五年たってからですから、そうしますと、来世紀の二〇一〇年あたり以降になります。ですから、それ以降に生まれた者は全部その先でございますから、今から出生率が少し上がり下がりしましても日本人口全体の動きとは余り関係がない。それから、これが五〇年以降ということになりますと、これは全くもうどうにもならない、予測がつかないことですが、一〇年、二〇年は多少の変化があっても現状と余り変わらないだろうというふうに考えていきますと、上がることを期待するという、期待するという言葉はおかしいですが、上がる方向に動くんだろうかということを理解できるような証拠は今のところ私はないと言っていいんじゃないかと思う。現状のままいくであろう、こういうことでございます。  それから、もう時間が余りなくなってきましたけれども、「出生率水準動向決定要因」とそこに書いてございますが、一つは、皆さん方先生方少し奇異に思われるかもしれませんけれども出生水準を決める最も基本的な要因というのは死亡でございますね。生まれた者は死ぬわけでございますが、どの程度死ぬかという問題、これが逆に出生率を決めます。昔は死亡率が非常に高いですね。だから、たくさん産んでおかないと生き残っている者は少ないわけですから、死亡率が高いと出生率が高い、死亡率が低くなっていくと出生率も下がる、こういう傾向が基本的にあります。  しかし、直接的な要因、今度はその上に乗っか りまして、これは非常に長期的な要因ですけれども現状から見ると、今申し上げましたように、我々が持っている現在の生活水準ですとか、あるいは家族制度ですとか、あるいは景気がどうなるんだとか定年がどうなるんだとか、いろいろな問題がありますけれども、我々の社会現状というもの、それに対応して態度が決まっていく。ですから現実の直接要因基本的要因というのは区別して考えなきゃいかぬわけですけれども、そういう社会経済全体の動き環境というもの、それから結婚年齢、それから結婚率、それから未婚率、生涯結婚しない者がどのぐらいふえていくんだろうか、こういったことが具体的に影響してまいります。  それから、政府対策ということも影響してくるわけでございますけれども中国の例があるいは先生方参考になるかなと思うのですけれども政府政策が成功している唯一の例だと思います。さっぱり成功してないのがフランスでございまして、政策を一生懸命やるんですけれども国民はさっぱり言うことを聞かないという。中国の場合の政策、これは非常に徹底しております。いかにして国民コンセンサスを得るかということ、なぜ子供を少なく持たなきゃならぬのか、なぜその方がいいのか、これはもう本当に最高上層部から末端の、いわゆる草の根、ルートといいましょうか、庶民に至るまで徹底した教育をやっております。この教育大学先生まで動員しまして、若い男女、あるいは結婚した若い者について、なぜ中国出生率が高いと困るのかということについての徹底した議論をやっております。  こういうことの成功の唯一の例でございますけれども、しかし、その中国でもそれじゃ国民が持っている伝統的なあれを無視しているかというと、そうじゃありません。最近ようやくと申しましょうか、八四年から例えば一人っ子政策の中で、最初に産んだ子が女の子で一人である場合、一人っ子、私はもう産みませんという子供が女の子である場合には、場合によってはもう一人認めてあげましょう。いろいろな、殊にまだ農村人口多いですから、多子多福といったような伝統的な習慣が強いところでございますので、そういうような考慮も今始めております。しかしそれは、そういう事情を聞きながら、場合によっては認めてあげましょうと。しかし三人、四人というようなところがまだあるものですから、そういうところは抑えていく、そして二〇〇〇年の人口を何とか二十億台に抑えようという政策をやっているわけでございますけれども政府政策対策というのは中国の例が唯一の例と思いますけれども、そういう対策というものがある程度影響してくるということは考えられます。  時間がなくなりましたが、もう一つ出生率低下高齢化の問題でございます。国民決定した出生率の中で、死亡率の中で、その中でどういうことが起きてくるのか、それに対して我々はどういう手を打つべきなのか。将来の人口は、もう二〇年、三〇年ごろまではほとんど決まっておりますが、そういうような人口の構成の変化というのは今世紀末までが中高年、それ以降が老年人口の激増ということでございますが、その中でのこの課題から来る対策は私は家族開発ということにあるのではなかろうか、こういうふうに思っております。ありがとうございました。
  7. 長田裕二

    会長長田裕二君) 有意義なお話をまことにありがとうございました。  それでは、次にアグネス参考人にお願いいたします。
  8. アグネス・チャン

    参考人アグネスチャン君) 皆さんこんにちは、アグネスです。きょう皆さんの前でお話しするというのをとても光栄に思っているんですけれども、とても上がっています。できるだけはっきり、私の日本語ですけれども、頑張ってしゃべりますのでよろしくお願いします。  自分の実体験に基づいて話してくれればいいと言われましたけれども、私が日本の中の一人の女性として認められたことというのはやっぱり結婚じゃないかなと思いました。やっぱり結婚によって入籍しまして、日本の中の一人の女性として初めてそういうふうに認められるようになったと思うんです。だから、やっぱり話するんだったらそこから始まるんじゃないかなと思いました。  私は香港生まれで香港育ちで、十七歳まではずっと香港でした。ボランティア活動によっていろんなチャリティーコンサートに出演したことによって香港でスカウトされ、そして十七歳で日本にやってきて歌手として仕事をし始めたんです。それで、その間はカナダにも行きまして、また日本に戻ってきて、縁があって日本の男性から結婚してくれませんかというような話があって、それで初めてああそうですねという気持ちになったんです。私はすごく自分の気持ちに素直で、結婚したいなと思いました。  その話を香港にいる親に話しに香港へ帰ったんです。そうしたら思いがけないほど大反対されたんです。親はなぜ反対しているかをなかなか言ってくれなかったんです。香港でずっと私が歌を歌っていたとき見守ってくれた記者たちの記者会見のときに、いろんな反対する理由がはっきりしてきたんです。一つは、皆さんが私に急に聞いたんですけれども、日中戦争起きたらどうするんですかとか、子供が生まれたら、もし男の子だったら日本兵ですか中国兵ですか、その子は日本人殺せますか中国人殺せますかというきつい話が来たんですね。ああそうか、戦争の傷というのは、私は全然戦争を知らなかったから当然終わっていると思ったのが、やっぱり周りの人たちの中にはまだ深いんだなとすごく痛いほど知らされたというような感じなんです。そのときすごく自分が悔しかったというようなことは、私は戦争について全く無勉強だったんですね。だからその場で自分の意見を述べなかった。ただひたすら泣いちゃったりしてたんです。やっぱり子供が生まれたらいろんな問題を抱えるんじゃないか、それも不安になったんです。  もう一つ皆さんが反対していた、特に家族とかお友達が反対していた理由というのは、日本がもしかして昔と同じように亭主関白の世界ではないか、女性がそこへ行ったら、そこで結婚したら家庭に入って大変な思いをするんじゃないか、男性の言うとおりにしなきゃやっていけないんじゃないか、そういうようなイメージをいまだに外国では持っているみたいなんです。女性はそこで結婚したらもう人生はおしまいみたいに、大変な家庭の中で苦労するんじゃないかというイメージがやっぱりいまだに外国ではあるみたいなんです。だから私は、お友達に言われましたけれども、もしあなたが男性だったらきっとみんなは反対しないだろうということだったんです。女性だから男性社会日本へお嫁に行くというのはよくない、それはかわいそうなことだと、むしろみんながかわいそうだな、心配だなということで反対していたみたいなんです。  自分の実体験の上で余りそういうふうに感じませんでしたので、日本に長くいたんですけれども、女性なのか男性なのか独身で働いているときは余り感じなかったんです。そうか、結婚したらそうなっちゃうのかなとそのときも不安でしたが、でも日本に戻ってきて今の主人とすごくいろいろパニックに陥ってけんかしていろいろあったんですけれども、最終的にはやっぱり結婚しましょうというような結論が出て、自分たちで頑張れば周りの人も認めてくれるだろうし、幸せになれば親もきっとわかってくれるだろうと、そういう決心をして結婚したんです。  幸い結婚したら余り反対の声とかもみんな言わなくなったし、和やかな雰囲気になったんですよ。一番助けの神というのは、結婚してから割とすぐなんですけれども妊娠したんですよね。子供ができたというようなことがわかったんです。そうしたら、血がつながっちゃうと親戚というようなことで本当に周りの人から温かい目線が来て、そして、よかったでしょう、すぐ子供ができてと主人も言われて、みんながすごく喜んでくれたんですね。それからすごく和やかな雰囲気ができたんです。  結婚して、そして子供ができて、よく日本のお友達から言われることは、仕事はどうするのと言われたんです。私は香港生まれ香港育ちのせいなのか、結婚しても子供を持っても仕事するのは当然だと思っていたんです。だからそう聞かれたときに、ああ続けますよと割と自然体で答えたりしていたんです。みんながほうと答えるんですね。どうしてほうと言うのかなと最初は全く理解できなかったんです。妊娠しているときでも仕事するんですかと言われたので、うん、もし私の妊娠が順調だったら続けますよということを答えたら、またほうと言われるんですよね。大きなおなか抱えて大丈夫なのか、大変なんでしょうとかよく言われましたけれども、でも自分はやっぱり働けるときは働くのは当然だろうというような考えだったので余りわからなかったんです。だから最初、おなかが大きくて職場で働いていたというようなことだけで周りから気遣ってくれたり、ああ優しいなと思ったり、頑張って働かなきゃと余計に自分はそう思ったんです。  自分の子供日本の血そして中国の血が流れている。この子は、やっぱりああお母さんは日本人結婚してよかったねと、僕は日本人でよかったねと育てたい。それと同時に、やっぱり彼が自分はどういう人間になりたいのかと自分で考えられるような子になってほしいなと思って私はカナダへ行って子供を産みました。なぜかというと、もう一つの国籍を抱えてもらいたいなと思ったんです。そうすると、大人になるときに私は何人になりたいか自分で決めなきゃいけない、その結論は自分で出さなきゃいけないからきっと彼に悩みを与えた方がいいんじゃないかと思うんです。ただ日本の中であぐらかいて育っちゃうと日本の中でしか生活できないと、これから国際化していく地球だから、彼がほかの国に行って生活できない子になったら心配だなと思ったんです。  だから、大人になったら、ああそうか、私は生活したいところで生活すればいいんだ。もちろん民族的なこととか、親の血とかそれは受け継ぐんですけれども、国籍というのは無意味なことなんだと自分で考えてほしいなと思うんです。もしカナダの方が生活しやすいんだったらカナダで生活してもらいたいし、やっぱり自分は日本社会の中で貢献できる人間になれそうだなと思って日本に残ってくれたらもっとうれしいし、そういう意味でやっぱり悩みを与えたいなと思ってカナダで出産しました。  出産してちょっと休んで香港へ帰って、また日本に戻ってきたんです。そうしたら、今まで抱えたレギュラーのテレビの番組とかラジオの番組とか、あと自分が書いていた雑誌の連載とか、そういうのを再開してくださいということになってきたんで、子供とそして仕事というのは、私は初めてこのジレンマに陥ったんです。どうしようというようなことになったんです。  それで、うちの母がずっと私が出産するときにそばにいたんで、私は初めての子なんで子育てというのはやっぱり母から教わるしかないということがあったんですよ。うちの母はとにかくもう子供抱きっ放しの育て方なんです。もちろん母乳ということで、そして子供を置くと怒られるんですね。というのは、子供はもう生まれたときから家族の一員だ、子供が寝ているときには食事しない、子供が起きたら一緒に抱きながら食事しなさい、いつもおんぶや抱っこをした方が子供とのコミュニケーションができる、そういうふうに言われていて、ああそうかと思って、それで結局ずっと見ていると、言葉はできないし余り何の動作もないんですけれども、足指とか小指とかで子供は一生懸命大人にコミュニケーションしているんですね。そういうときにこたえてあげると余り泣かないんです。泣くというのは子供の仕事とずっと言われていたんですけれども、むしろそれは最後の手段でもあるんですね。かばってよというしるしみたいなんです。ずっとかばっていると、もちろん笑うし泣くんだけれども最低限すごくハッピーに子供がいるように見えるんですよ。ああこの子育てはもしかしたら正解なのかな、カナダで児童心理学を学んだとき、子供は放して育つんだというのはむしろ不正解かな、そういうふうに考えが変わったんです。  仕事に復帰しなきゃいけない、最初の番組を収録するとき、私は完全母乳だったんです。子供はまだ三カ月半ぐらいだったんです、四カ月になるところかな。それでどうしようかと考えていたんです。まあ一回だけの収録ですから三時間ぐらいで終わると思うし、連れていってもいいかと主人に聞いたんです。そうすると主人はえっと言ったんですね。私は皆さんに迷惑かけないから、多分その間に一回おっぱいやりたいんで連れていきたいんですと言ったんです。そうしたら、テレビ局の人たちもああ構いませんよと言われましたんで、それで私は連れていきました。多分それが子連れ仕事人というあだ名の始まりだったと思います。  でも、連れていって意外と赤ん坊というのは余り泣かないもんだなと、自分もああそうだなと思ったんです。それで、自分の本番の間にはだれかに見てもらって、そしてその間におっぱいやって、割とスムーズにいけたんです。テレビ局の人たちもすごく理解があって、部屋を用意してくれて、布団も用意してくれて、そこで子供を寝かすことができたんです。ずっと割と仕事をセーブしていましたので、理解あるところだけ足を運んでいましたので、順調だなと思っていたんです。子供を連れていって仕事ができて、本当にラッキーだなと自分は思っていたんですね。でも、思いがけなく、やっぱりこれはちょっと違うんじゃないかというような声も出たんです。  まず最初は、本当に私のことをよくかわいがってくれた芸能界の先輩から心配の意味で話が来たんです。子供を連れていって、むしろ子供にもよくないだろうし、そして周りに迷惑をかけるかもしれないし、やっぱり夢を売る商売ですから、そこで子供を連れていると自分のイメージが傷つくよと注意してくれたんです。本当は親心から注意してくれたことが、何となくマスコミに取り上げられたら、何かまるで先輩が鬼みたいで、連れてきてはいけませんよみたいに言われたみたいで、先輩にもすごい迷惑をかけちゃったんです。そうすると周りに連れていいのか連れてよくないのかというような議論が徐々に広まっていったみたいなんです。  そのとき私がすごくびっくりしたある出来事があったんですけれども、初めて東京を離れて講演会へ行ったんです、ある大学に。そして初めて子供を連れていくというふうなことで自分も緊張していたし、どうなるのかなといろいろ考えていましたんですけれども、いきなり講演会へ行ってから次の週にある大手の週刊誌に記事が載ったんです。何か学校の側で子連れで来ることを反対、アグネスという講師を迎える、そういうことは反対という記事が出たんです。調べてみたら、実際には本当に大学の中のいろんな問題があって、そしてちょっと政治的に偏った先生がいまして、その先生と何人かの生徒がやったことみたいなんです。すべての生徒が反対してはいなかったんですね。そして私が行ったときも皆さんすごい喜んでくれたので、そういうこともあるんだなと自分も思っていたんですが、でも、やっぱり間違えた報道をされているんだから週刊誌の方に足を運んだんです。  そうしたら、まず最初言われたのは、その記者から言われたことなんですけれども、主人から聞いてびっくりしたんですが、私は子連れ反対だからねと言ったんです。でも、そのこととこのことは違うと私は思いました。子連れが反対だからちょっと事実に基づいた記事でなくて曲がった記事を書いちゃうというその先入観がすごく何か変だなと思いました。すごく悲しんで私はずっと悩みました、もしかして子連れで仕事に行くというのはすごい常識外れなのかなと思って。  もう一つ、すごく実感したというのは、子供を連れて仕事へ行くというのがこんなに話題になるというのは不思議なことだなと思いました。もし私が香港で子連れで仕事に行ってもきっとみんな が、ああそう、勝手にすればみたいにされると思うんです。仕事に影響しなければ、仕事に影響したらいけませんよということぐらいしか言われないんだろうと思うんです。だから、まだ日本では子供を連れているお母さん、それが出歩く、仕事場に連れていくというのはやっぱりすごく変わったことをやってしまった部分なんだなと痛感したんです。そのときはもう褒めてくれる人が出てくるとちょっと安心、ほっとする、ちょっとこう言われると、ああやっぱり私いけないのかなと、もう気持ちが激しく揺れ動いた時期があったんです。でも、周りの人がすごく励ましてくれて、そしてその週刊誌の中の人たちもやっぱりすごく私の気持ちをわかってくれて、それで皆さんの協力によって本当によく理解してくれてようやく今日まで仕事を順調にやることができたんです。  ただし、私はすごく思ったのは、きっと私と同じ悩みに陥った親たちがたくさんいたんだろうなと思いました。仕事を続けるか子供の面倒見るか、子供も大切、仕事もしたい、社会参加もしたい、そして自分のやっている仕事にすごく意味を感じる、これをライフワークにしたい、だけど子供を産みたい、そのジレンマに陥っている日本の女性がものすごく大勢いるんじゃないかなと痛感したんです。  私が今仕事をやっている中で、子供の雑誌に、親が見る雑誌なんですけれども、連載している、そしてテレビでも赤ちゃんの番組をやっています。その中からいろんな親の手紙とか話とか、そして講演会に出かける先でいろんな親の話を聞くと、やっぱりこれは一番今女性が悩んでいる問題だと思ったんです。女性が働くか働かないかというのは問題外だと、もう五割過ぎました、もう働いている女性は六割近いんだという現状があるみたいなんですけれども、だけど女性の天職とも言われる子育てとそしてこの社会参加とどうやってバランスとっていけばいいんだろうと、きっとだれもが考えているときじゃないかなと思うんですよ。  私の友達もやっぱり子供はつくらないという友達がふえたんです。何でかというと、やっぱり大学を卒業して自分の仕事をして、むしろ自分が本当に仕事をやめる気があれば子供は産めるんですけれども、そういう気がなければやっぱり産めないんじゃないかという気持ちなんです。だから、みんながよく言うんですけれども、考えて子供をつくるんだったら絶対つくれないと言うんです。だから、もうえいっと何も考えずに、できてしまえばそれで産めますと言うんです。私も理想としては三人子供を産みたいんですが、でもやっぱり考えてしまうと三人産むのは怖くて絶対産めないと思うんです。だから、もう考えないでえいっと妊娠してしまうのしか道がないと思っています。  私がとても思うのは、子供ってすごい宝ですね。本当です。仕事とか自分の楽しみとかよりもっとすばらしいものであるというのは確かなんです。本当に考えずに私に子供ができたことは、むしろ私にとって一番ラッキーだったことじゃないかなと思います。子供を産んで初めて、ああ世の中というのはだれもが親で、だれもが子なんですねというようなことなんです。今まで独身のときは全く半分以上の人たちの気持ちがわからなかったんだ、責任感もなかったんだなと思いました。  私みたいな人でも親になっていいのか、命預かっていいのかという不安などあったんですけれども子供がいろいろ教えてくれます。そして子供が導いてくれるんです、こうすればいい、ああすればいい。子供の目を見て、子供に一番尽くそうというような気持ちがあれば何となく道が開くんです。きっとそれなりの仕事もあるんだろう。私も子供が生まれて、もう今一年三カ月半なんだけれども、やっぱり海外の取材とかそういうのは全部控えたんです。子供がちゃんといろんなしるしを出してくれるんです。きょうも子供は連れてこなかったんですけれども、でも——そうなんです、ちょっとずつ子供から親離れし始めるんですね。ああここなんだな、こういうしるしでいろいろ導いてくれるんだと。  やっぱり仕事をしていても私は子供を産むべきなんだと思います。ただし、その生まれた子供をどうするのかというのは、やっぱりその女性だけが考える問題じゃないんだなあと最近は痛感しました。女性運動は女性だけやっては何の意味もないんです。女性運動はむしろ男性運動だと私は思います。本当にどんな男性でもやっぱりお父さんですから、自分の子供をかわいがる気持ちで周りの子供、周りの女性をかわいがれば、女性運動はきっと男性運動に生まれ変わるんじゃないかと私は思うんです。  むしろ職場へ行って一番驚いたというのは、怖いおじさんの親の顔をのぞけるというようなことなんです。子供を連れていますよね。そうしたら、いつもむすっとしているおじさんでも急に振り向いて、いないいないばあっとやるんですよね。そうしたら何かすごくほっとする。私はこのおじさんともうつながりがあるんだなと、命って回って回ってつながっているんだなと実感するんですよ。だから、ことしはバレンタインデーでたくさんチョコを配りました。とういのは、そういうおじさんたちのかわいい一面を本当に感激、感動しているんです。  私がただの特例ではやっぱり寂しいなと思います。やっぱりいろんな女性も私と同じような条件で子育てできたら、きっとみんなもためらわずに子供を産むと思います。一人、二人、三人でも産むんじゃないかなと思うんです。  日本は何となく赤ん坊を連れているお母さんにアレルギーがあるような気がするんです。本当は一人一人はないと思いますが、社会体制の上では、言わしてもらえばあるんじゃないかなと思います。  その例は、一つは私がこの前出会ったんですけれども、休みをいただいて主人と子供三人で箱根へ行ったんです。主人が、君ももうずっとフランス料理なんか食べてないし、たまにはいいところで食事しましょう、あのホテルのレストランはすごくおいしいから連れていってあげると言って、それを目指して、そこで泊まって優雅な食事をしようという、本当に浮き浮きして目指して行ったんです。そうしてそのホテルに着いたら、一番いいレストランから赤ん坊お断りですと言われたんです。赤ん坊を連れているんだったら、今特別にある宴会場に設立したベビーレストランみたいなところに食べにいってくださいと言われたんです。はるばる横浜から箱根までそのフランス料理を目指して行ったんで、もう涙が出るぐらい、赤ん坊抱えてそのレストランの前で泣きそうになっちゃったんです。  じゃ、外へ食べに行こうと、やっぱりその宴会場見たら、ああちょっとここで食べるんだったらここまで来るんじゃないな、外へ食べに行こうと言ったんです。外は雪だったんです、たまたま。遅くなったら戻ってこられないんだろうな、どうしようと悩んじゃったんです。結局そのホテルをチェックアウトして別のホテルにチェックインして、そのホテルは一番のいいレストランでも赤ん坊大歓迎ですと言われたんで、そこで御飯食べたんですけれども。  でも、そのとき私思ったのは、ホテルだけじゃないんです。いろんなところ、やっぱり子連れのお母さんというのは行けないのね。それを痛感して、私たちはことしは子連れでも、赤ん坊大歓迎のコンサートやろうというようなことになったんです。今はいろんな企画をして、もう泣くや、うんちするや、おっぱいやるや、何でも結構です、連れてきてください、そういうコンサートをやろうと自分は思っています。  子供、お母さん、本当は家庭の一番基本。社会というのは家庭が基本ですから、だから社会の基本というのはむしろやっぱり子供、赤ん坊とお母さんじゃないかなと思うんです。だから、一番平和で豊かな世界というのは、きっとその子供とお母さん、そば近くで育てられること、そしてお母さんが意味を持って、退屈しなく生活できることが一番豊かな社会ではないかなと思います。物質的に豊かだけでなくて、そういう精神的に家庭の中 が和やかな雰囲気になれるような豊かさをやっぱり二十一世紀に向けて限りなくお父さんたちの手によってつくってもらいたいなと、自分はそう思います。  女性が働きたいと言うと、何かすごく現代社会でウーマンズリブから生まれたことだと思いがちなんですけれども、でも私はそうは思わないんです。ちょっと人類の歴史を振り返ってみて、一番最初人類がいるときには、まず男の人はハンターですね、外へ行って猟をする、例えば動物を殺したりとか魚をとったり。つまり危険であるもの、体力を必要とするものは男性が出ていくんですね。何日間も帰ってこないかもしれない、ライオンに殺されて全然戻ってこないかもしれない、そういう危険な仕事、体力を必要とする仕事は男性がやっていたと思います。  女性はその間何をしているかというと、女性はギャザラーなんですね。ギャザラーというのは、つまりいろんなものを集める人だったと思います。農業が成り立つ前の社会だったら女性は木の実を探したり果物を探したり、子供を連れながらいろんな食べ物を探し回っていたと思うんです。男性が戻ってこない場合、自分の物で子供を育てて自分の命をつなげていたと思うんです。だから、家庭を支えていくというのにはもう大昔から女性は貢献していた、それが一番自然だったと思うんです。  それが文化の発達、そして農業社会、そして人間はいろんなものを保つことを覚えたんですね。こうやってお米つくれば、冬の雪が降っているときでもこれをたくさんつくっておけば大丈夫だ。だんだん人間が毎日毎日出ていって働かなくても食べていけるような社会をつくり上げたことによっていろんな役割分担がまた変わってきたと思うんです。でも、人間はやっぱり自然が一番いいと思うので、女性も男性と、男性並みというのは私は反対なんだけれども、そして女性は子供を育てるのが天職だと思うんですけれども、それと両方できるような状況ができたら多分みんながためらわずに子供を産むことにつながるんじゃないかなと思います。  何か生意気なことをたくさんしゃべってしまいましたが、以上です。
  9. 長田裕二

    会長長田裕二君) まことに有意義な御意見をありがとうございました。  以上で両参考人からの意見聴取は終わりました。  これより両参考人に対する質疑を行います。  質疑のある方は会長の許可を得て順次御発言を願います。
  10. 山口哲夫

    ○山口哲夫君 お二人の参考人、大変有意義なお話をありがとうございました。  まず、アグネス参考人にお尋ねいたします。  私はファンの一人でございまして、きょうはわざわざ参考人としておいでいただいたことを大変うれしく思っております。  それから、今お話にもありました例の大学での講演の一件、中央公論のたしか昨年の十月号だったと思いますけれども、読ませていただきました。何か変な中傷の中で非常に一生懸命に頑張っている、そういうお姿を感じまして非常に感銘を受けました。これからもぜひひとついいお仕事をしていただくように、ファンの一人としてもお願いしたいと思うのです。  それで、質問ですけれども出生率の問題と子育てというのは私非常に関係が深いんじゃないかなというふうに思うのですね。それで、著書の中にも書いてありましたけれども、太陽と空気と水、これは子育ての上においては大変な関連があるんだ、こんなふうに書いてありましたけれども、そういう点から見ると、今の日本というのはそういう子育ての環境の面で、例えば物質的な面、それから今お話があった精神的な面、非常にたくさん問題があるんじゃないかなというふうに思うのですね。特にあなたは外国で随分お暮らしになっていらっしゃるし、またたくさんの国々を見て回っていらっしゃるので、そういう国々と比較されて日本の子育て上のいろんな環境問題についてたくさん問題を抱えていらっしゃると思いますので、ひとつ率直な感じというか、外国と比較してこうしてほしいというようなことがあれば教えていただきたいなと思います。それが一つです。  それからもう一つは、本の中にも書いてありましたけれども、三つ子の魂百までもというのは非常に大事だと。それで、少なくとも子供が一年半くらいになるまでは一緒に生活をしたいというふうにおっしゃいました。私も非常にやっぱり三歳児までは大切な時期だというふうにいつも思っているんですけれども、そういう点からいきますと、できれば普通のサラリーマンも子供を連れて職場に来れるんであればいいんですけれども、なかなかそういう保育というものも完備されていないと思うのですね。  それで、一つの方法としては、育児休暇というものをもっと、せめて一年間くらいは職場を離れて子供教育というか子育てに専念して、そしてまたそれが終わったらもとの職場に帰れるようなそういう育児休暇制度というのは必要だと思うんですね。幸い今日本でも保母さんとか看護婦さんとか先生とか一部の職業については認められておりますけれども、できるならばやっぱりある程度の給与も与えながらすべてのサラリーマンにそういう制度というものをつくった方がいいんじゃないかなと私は日ごろ考えているんですけれども、国際的な感覚でほかの国々も見ていらっしゃると思いますので、そういう比較において今の育児休暇の問題等についてどうお考えか、この二つをお聞きしたいと思うのです。  それから、黒田参考人にはこれで二度お話を聞かせていただきまして、大変参考になりました。  それで、一つはお話にもありました理想とする子供の数というものですね。これはそれぞれ人によってみんな違うと思うのですね、考え方が。ただ、考え方が違うんでしょうけれども、これはその考え方というのは、今もお話しいたしました子育ての環境によってもまた変わってくるんではないだろうか、そんなふうに私は思うのです。例えば、子供を育てるために条件が整っているんであれば三人でも四人でも欲しいというふうに考える方もいらっしゃるでしょうし、それから住宅が狭くなければもう一人欲しいとか、あるいは経済的にもっと所得が高ければというような、それぞれの環境によって理想的な子供の数というのはやっぱり変わってくるんじゃないだろうかな、そんなふうに思うのですけれども、そういう点で今の日本の行政の中でどういう問題があるか、先生のお考えとしてどの辺に問題が今あるのか、ひとつ率直な御意見もお聞かせいただければありがたい、こう思います。  以上です。
  11. 長田裕二

    会長長田裕二君) それでは、アグネス参考人からお願いいたします。
  12. アグネス・チャン

    参考人アグネスチャン君) 環境のことなんですけれども、多分日本が外国と比べて一番私は子供にとってかわいそうだなと思うことは、一つは家が狭いということだと思います。生活する環境がとても狭いというようなところがやっぱり外国とちょっと違うと思うんです。ただし、それは先進国の豊かな国と比べたらそうなんですけれども、もっといろんなひどい環境で生活している子供たちもたくさん世の中にいますから、それと比べれば日本環境に文句をつけるところというのは少ないと思うんです。  ただし、精神の面だと思うんです、子供を産むか産まないかというような部分で。親がどのくらい本当に自分の子供にベストを尽くせるか、その自信があるかどうかという問題だと思うんです。それがやっぱり自分と同レベルで考えるのですから、外国、例えばアフリカの子とか東南アジアの子とかと比べて、自分が産むか産まないかではなくて、自分が育てられた環境、そして自分がよりいい環境子供を育てていけるかどうかというようなことを考えて、そして自分で産むか産まないかというようなことを考えるから、一人ぐらいだったら何とか大学まで自分で責任を持って経済の上でも育てていけるだろうと思う親は多いと思 います。二人、三人になると、もしかして経済的にもだめになっちゃうだろうし、一人だったらまだ共稼ぎは何とかやっていけるんだけれども、二人、三人になっちゃうとお母さんもかかりっ切りになっちゃって、お母さんの分の収入がなくなって、それは直接経済的にも減りますよね。それと同時に、負担が大きくなると不安だなと思う人が確かにたくさんいます。私の友達の中にもそういう人がたくさんいるし、番組を見ていらっしゃる皆さんからの手紙を読んでも、そういう反響があるんです。  自分が親に育てられた環境よりもひどい環境子供には与えたくない。それよりよい環境が約束されるんだったらそれは産めるんだろう。特に一人産んだことのある夫婦はそう思うと思うんです。子供っていかにかわいいかって、やっぱり産んでみなきゃわかりませんから。だから、一人産んだら本当は二人欲しいんですけど、不安をたくさん抱えてしまうというのは確かに若い夫婦の間にあると思います。  もう一つは、子育ての休みのことなんですけれども、すべてのサラリーマンはどうかわかりません。子育てはやっぱり特に子供が一歳半までは母親がやるべきだと私は考えているんです。男の人ができないことはやっぱりたくさんあると思います、まず、おっぱいは出ないし。そしていろんな意味で母親は子育てに向いているんですよね、体つきからいろんな意味で。おっぱいもそうだし、お母さんの方がやっぱり体がやわらかいんだから子供も気持ちいいだろうし、そしてお母さんも子育てによって女性のいろんなヒステリアとか我慢できない部分とか、それが直るんですよね、子供を抱えていると。ある意味では、私は一歳半までは子供はお母さんが育て、一歳半以後はむしろお父さんの責任が大きくなってきてもいいと思うんです。  男性はともかく女性には認めてあげるべきことが、特権を与えることが必要だと思うんです。子供を抱えている母親に特別にいろんな特権を与えることがいいことだとすごく思います。むしろ子供を抱えた母親がもう一度社会に戻ったときに、視野が広がって、もっといろんな意見が言えて、もっと鋭いものを持つようになると思うんです。もう一度迎えられる状況もあるべきだと私は思うんです、それはむしろ皆さんの幸せにつながるのだと思いますから。そういう意味では、スウェーデンとかウーマンズリブがすごく盛んだった国とか、ヨーロッパのいろんな国ではもっと女性が働ける状況があると思うんです、日本と比べて。  もう一つは、これは法律ではないんです。日本はむしろ女性が仕事やめて家へ帰って子育てしてた方が賛美されるところなんですね。何となく一般的な気持ちですか、それが結構私のお友達の中でもプレッシャーを感じるみたいなんです。私だって働きたいんです、でも、やっぱり子供のために我慢しているという人がたくさんいる。働いていて子供たちをやむを得なく保育園に預けるお母さんが、何となく後ろめたい気持ちを抱えているお母さんがいるんですよね。だから、むしろ法律とかそれよりも、一般の人たちにそういう気持ちがやっぱりあるんですよね。それはすごくほかの国と違うと思うんです。  さっき先生中国の話をしましたけれども中国では本当に男女平等です。その一つの証拠は、子供が生まれて一カ月たったらもう職場へ連れていくんですね。大体どの職場でも保育園があります。その保育園は大体ちょっとだけ費用取るんですけれども、ほとんどただと一緒です。一カ月で一円とか二十セントとかそういうのしか取らないんですね。そうすると、休みのときに母親が行っておっぱいやって、昼御飯のときには一緒に昼寝をしまして、また職場に戻って、またおっぱいやって、そして帰るときには一緒に連れていく。母親も男女平等ですからもちろん単身赴任というようなこともあり得ます。例えば三日間、四日間家をあけなきゃいけない。その場合は男性が自分の保育園に連れていけます。というのは、その保育園というのは女性だけが使うものではなくて、男性も使えるんです。そうするとお父さんと一緒にいられるんですね、赤ん坊が。それがやっぱり安心して子供を育てられる一つの大きな環境でもあるんじゃないかなと思うんです。  もう一つは、最近日本は余り年寄りと一緒に住むことができなくなったというか、しなくなったということがあると思うんですね。香港の場合とか東南アジアの場合だったら、みんな親と一緒に住みますから赤ん坊の面倒を結構親が見てくれるんで、そうするとお互いにプラスになって、自分の老後子供が見てくれる、子供が働いている間は孫の世話をする、そういう自然にできた一つの流れがあるので、割と女性はその分は楽だと思います。  欧米の方はベビーシッターというシステムのすごく整ったのがありまして、小さい十何歳とかの女の子がやっぱり二、三歳の子供のベビーシッティングをするんですね。それは自分が大人になってからの子供の世話の練習でもある、お小遣い稼ぐ一つの手段でもあるんですね。そういういろんな社会の上で女性の負担が軽くなるようなシステムがあるので、きっとその辺は日本と違うんじゃないかなと私は日本に来てそう感じました。  でも、最近若い人の間には結構意識が変わってきた。男性もすごく育児に積極的に参加してくれたり、むしろ子供喜びであると考える人がたくさんふえたので、きょうこの場に来られることも、きっと皆さんがそういう問題に気づいたことだと思うから、きっとこれから日本もすごく変わって、日本独自で日本女性に合ったような特権とかいろんな社会づくりができると私は思います。  ぜひ皆さんよろしくお願いします。
  13. 山口哲夫

    ○山口哲夫君 ありがとうございました。
  14. 長田裕二

    会長長田裕二君) 黒田参考人お願いします。
  15. 黒田俊夫

    参考人黒田俊夫君) 今、アグネスさんから大変適切なお話があったわけでございますけれども先生のおっしゃるとおり、どのぐらい、いつ何人の子供を持つかというのは、国連のあれにありますように、人権に近いもの。事実おっしゃるとおり、個人個人あるいは夫婦ごとに違うわけですけれども、しかし、これは全体として見ますと、例えば日本の場合ですと、昨年あるいは一昨年あたりの推移でいきますと、そのときの一年間の出生ですけれども夫婦当たりに一・七とか、普通言いましたら二人でございますけれども国民全体から見れば二人という選択傾向があるわけですね。  フィリピンへ行けばまだ依然として五人あるいは六人、インドネシアもそうですが。それからタイあたりが最近家族計画が非常に普及してまいりましたので四人ぐらいまで下がってきました。ですから個人のあれはあるんですけれども、やはりその国々の社会経済あるいは文化、宗教までございますけれども、例えばフィリピンの場合には政府はいろんな努力をしているんですけれども一つの大きな原因というのはカトリックというのがやはり根強いものがあります。ですから、フィリピンの出生はインドネシア、タイあたりと比べてどうしてもおくれます。  そこで、どういうようになれば出生に対する態度が変わるんだろうかという、非常に難しいんですけれども、先ほどちょっとフランスの例を申し上げましたけれども、第二次大戦の末期から七、八年、大変な家族手当制度を実施したわけです。ちょっとこれはどこの国もまねできないような大変な家族手当でございまして、最初一人子供ができると主人の月給の五〇%、例えば二十万円の月給ですと十万円の手当が出るわけですね。二人目の子供を産みますと三〇%、六万円ですか、三番目を産みますと二割ですから四万円と、三人子供を産みますとちょうど月給が倍になる。そういうべらぼうな家族手当制度を実施いたしまして、一時ちょっと効果がありました。ですが、インフレその他でもとのもくあみになりまして、それから政府自身もとても予算的に不可能に近いということがありました。  日本の場合に何が原因だろうかということを考える場合に、今どういうところにきてこうなってきたのかということを考える必要があると思うの ですが、例えば、よく言われる住宅の問題ですとか、今お話が出ましたけれども教育の問題ですとか、いろんな社会経済条件というもの。それからもう一つ忘れてはならないのは、非常に急激に日本の所得水準が上がってまいりました、非常に高い。生活水準が上がってまいりました。その上がる過程の中で出生抑制というのはかなり強くききます。  つまり、早く高い生活をしたいというために、子供を二人じゃ困る、三人じゃ困るという、一生懸命働いて生活上げたいと。上がってしまいますと今度はこれを維持しなきゃならないというようなことから、子供とそれから自分たちの生活費、子供を入れての生活費、これを考えますと、いろんな専門家がこれを評価するわけですけれども、今のように、例えば中国での一人ぐらいですとまさに子供を持つこと自身喜びであるというようなことが言えるんですけれども、さて二人、三人、日本では教育割合高いですから三人とも大学にやるというとこれはもうほとんど不可能に近いですね、幾ら国立に入れたってとてもじゃないですけれども。殊に地方からですと教育だけでもう親は参ってしまいます。  そういうような、先生おっしゃるとおり環境、いろんな意味社会経済あるいは文化という環境国民に対してそういうような子供に対する価値観というものを与えておりますので、しかも現状では、やっと日本経済が少し上向きになってまいりましたけれども現状から見ると国民の生活に対する感覚というのは、よく世論調査なんか出ますけれども日本の高度経済成長というもの、経済力は非常に強いのですけれども、それじゃ我々個人の生活はどうなのかというと全然それがぴんとこないというような感覚の中で高い生活水準を維持していこうとしますと、子供を産めばということになりますと、一人持っている場合にもう二人、もう三人という条件ができるだろうかどうか、これは私は非常に難しいだろうと思うのです。  ソ連なんかも非常に出生率低下で、ある意味じゃ政府は困っているんですが、しかし、ソ連の出生率というのは白系ロシア人だけの出生じゃなくて、いわゆる少数民族も、少数民族は現在合計すれば白系ロシア人より多いわけですけれども。その白系ロシア人のところでは出生率はもう平均子供一人です。そんなことから、このままいくとソ連の常備軍を維持することも不可能になってくる。徴兵年齢を下げなければいかぬというようなことも起きているんですけれども、そういう問題があります。  どうしてそれを上げようかというときに、どうも日本の場合、当分の間まだまだ私は子供に対する価値観が変わるような政策というものは不可能じゃないか。非常に難しいんですね。ですから、そのことよりも生まれた子供に対する政策ですね。例えばアグネスさんがお一人持っていらっしゃる。そのお一人の子供があってそして親が働くという場合に、今の生活保護もありますし、先生おっしゃったような一年間は育児休暇を与えるとか、生まれた子供、これは一〇〇%立派に育てるという方に政策の重点を移すのが私はいいんじゃなかろうか。出生率が上がる方向への政策というのは、今フランスの例を申し上げましたけれども、あるいはソ連にいたしましても、膨大な金がかかって、そして効果が上がらない。これはやはり子供を持つというのは個々個人の場で考える、あるいは夫婦の場で考えるわけですから、それを国民全体、平均水準として上がる方向に持っていくというのは私は非常に困難である。それよりむしろ、生まれた子供は立派に健康で教育から何からすべての点において満足いけるような方向に持っていける。このことがもしできれば、このことがやがて今先生おっしゃったような方向に、もう一人持っていいなという気持ちを起こさせる契機になるかもしれません。その前に私はその方の政策が一番大事じゃないかなという感じがいたします。
  16. 山口哲夫

    ○山口哲夫君 ありがとうございました。
  17. 小野清子

    ○小野清子君 それでは、アグネスさんの方から御質問申し上げたいと思います。  大変すばらしいお話を拝聴させていただきましてありがとうございました。もしもアグネスさんじゃなくて日本の女性がアグネスさんと同じことをしたらどんな風が吹いたんだろうなということを今思いましたし、また、ある意味ではアグネスさんが非常に新しい感覚の中で、当世珍しいといえば珍しい、ある意味では日本も古くからあったのではないかと思えることをなすったということ、これは非常にいい意味社会に考える一つの視点になったのではないかと思うのです。  私ども小学校時代に、そういえば友達が子供をおぶってきて教室の中に置いたということも今思い起こしました。そしてまた、教師も休み時間に今で言う用務員室で自分の子供にお乳を飲ませ、それを私どもが見に行った経験もあります。ですから、考えてみると決して新しいことでもなくて、以前の日本に多々あったことだなというそんな気持ちを持ちながらお話をお伺いさせていただきました。  私は、フィリピンにお邪魔したときに大学へお邪魔をしたら、おなかの大きい学生さんが多くてびっくりしたことがあるんです。これは、私も慶応義塾大学に勤めておりましたが、一度も目にしたことはありませんでしたので大変びっくりしましたし、また、そこで年齢の幅がある大学生というその姿に出会ったということも私にとっては大変勉強であったわけです。  やはりこれからの時代は、先ほどお話がありましたように国際時代になり、それから生涯教育時代になって、いろんな意味でいろんな方々が学び、そして社会の中で活動していくものだろうと思うわけですけれども、どちらかといえば、今までは闘うよりは女性は身を引く、そういう感じが日本の中で美徳とされていましたし、時代が新しくなったとはいえ、まだまだそのような風紀というものがあるような気がいたします。  教職についている者とか、あるいは一つ社会の中の枠の中の女性の場合には今ある程度社会保障というものが確立されてきているわけでございます、十分ではありませんけれども。しかし、アグネスさんの場合には自由業に値するわけですね。ですから、そういう立場でせっかくの機会ですから御質問させていただきたいと思うのですけれども、国や社会が自由業の皆さんに対する対処をしていくということと同時に、自由業の方々はそれ以上に個人のお考えというものが非常に大きな自分の意思を貫いていく上での支えになるのではないか、そんなふうにも思います。  それで、アグネスさんの立場において、子供は自由に、計画出産などということじゃなくてすばらしい家族生活というものを描いていきたいというお話ですが、その辺を具体的に、今片手で子供が抱けるからまだいいんですが、これが両手になり、おぶうということになって、三人になることを想定した場合、どういうふうにその辺はお考えになっていらっしゃるのか、お話をお伺いしたいと思います。
  18. アグネス・チャン

    参考人アグネスチャン君) そうなんです、私もその問題悩んでいるんですよね。本当は一番理想なのは、子供が一歳半くらいになってまた次の子供ができて、理想としては私は三人子供が欲しいんです。  それで、さっき先生が、昔から日本も三人の子供理想で、一人が死んだら二人じゃ少ないんだから、三人だったら男、女がちゃんといい割合になるなとおっしゃったんですけれども、私が三人が欲しいというのは、初めて一つ社会ができるんですよね、三人になると。二人だと偏ってしまう可能性もあるし、三人になると、どうやって社会の中でつき合っていくかという、ちっちゃい社会が自分の兄弟の中でできるんですね。それは児童心理学を学んだときでも、やっぱり一番理想的な数としては最低三人だということで、そうすると割といろんな構成が生まれ、いろんなことで、何というのかな、こすり合いながら育っていくんだと言われていたんで、ずっと結婚前から三人欲 しいと思っていたんです。  でも、今考えると、一歳半の和平を抱いて大きなおなかを抱えて仕事ができるのかなとか、ちゃんと妻もできるのかなとか、いろいろ考えてしまうと本当に怖いんです。これは一番自分の正直な気持ちなんですね。それからどうなっちゃうんだろうという、本当にわからない、想像できないんです。だから想像してはいけないと今自分に言っているんです。想像したら絶対いろいろ多分考え過ぎてしまうんじゃないかと思うんです。むしろ本当に三人が自分の理想だったらやってみるべきで、生まれたらきっと何か道が開くんじゃないかと思うんですね。生まれてから考えようと。  例えば、私が妊娠して、妊娠だって最初が順調だったら二回目も順調とは限りませんし、どういう子が生まれるかわからないし、かかり切りになっちゃうかもしれないけれども、それでもいい、自然な流れでやってみようというのが今の気持ちなんです。もし、そのときにどうしても働けなくなっちゃう、それだったらそれはきっと一つのしるしで、まず子育てというしるしであるし、それで何かの条件があって自分も働けるんだったら働き続けたいと思っているんです。  でも、私はさっき先生もおっしゃったように自由業だけやっぱりすごく特例なんですよ。普通の女性はとても私みたいに、えいとかああとか言って、やっちゃえとか、そういうのはできませんから、その意味ではみんなの参考にもならないという気持ちは本当にあるんです。  私はいつも思っているんですけれども、仕事場に託児所をつくってくださいというのは、何かすごく無理な頼みみたいにみんなが考えるかもしれないけど、でも本当に看護婦さんがいて、そして何人もベビーベットを置いて女性たちがずらっと並んで毎日面倒を見るというようなことじゃなくて、ボランティアが一人、二人いて、一つの会社の空き室があれば本当はできることなんですよね。だから本当に具体的な、一人、二人でもいいからそういう力から始めれば夢じゃないと思うんです。  だから、働く女性たちの間に、何か自分の生み出す方法を考えるというのが一番今できることじゃないかと思ったんです。そうしたら、この前、TBSのアナウンサーの若い女の子がいまして、みんなで話し合って冗談で言ったんです。方法はあると言ったんです。みんな一遍に産めば怖くないねと言って、アナウンサーすべて消えたらいけませんから、一遍に産んだら絶対託児所はできるねとか言って、そういうような冗談なんですけれども、そういうことなんですよね。  だから、ほほ笑ましいことなんだと思って、じゃちょっとのぞいてみようかとか、例えば田中君の子はどういう顔しているのかとか、何か見に行ったり、そういう上司がいたりするときっとすごく仕事場も和やかになるんだろうし、えいっとすべて一〇〇%やろうと思わないで、本当に小さいスケールからやり出すときっと夢じゃないなと、どうしても私はそう考えがちなんです。だから、いつかはそういうのができるんじゃないかなと思うんです。八百屋さんのおばさんが子供をしよって働いている姿、魚屋さんの奥さんが子供をしょって仕事もできるんですから、何かできないのかなとどうしても私は思いがちなんですけれども、ぜひ皆さんも、皆さんの力によって何とかしてください。お願いします。
  19. 小野清子

    ○小野清子君 ぜひ頑張って道をつくっていただきたいと思います。  それでは、黒田先生の方に御質問申し上げたいと思います。  幾つかございますのですけれども日本は大変経済成長も急激でございましたね。そして高齢化社会の到来も急激でございました。そして出生率低下もこれ急激でございまして、どうして欧米に例のないこういう急速なる低下なり成長なり、こういう傾向というのはどういうことなのか。大変別々の問題ですけれども、いわゆる急激な部分の共通という点に関して先生はどんなお考えをお持ちなのか、その辺をちょっとお伺いしたいと思います。  それから、先ほど出生率低下の限界にもう接近しつつあるという、この限界の根拠を先ほど先生は、世界、特に西独がこの辺が底つきと思うところであるというお話で、それに対して日本も数字が近づいているということから大体この辺が限界ではないかというふうなお話でございましたけれども、その辺もう少し具体的な点のお言葉をちょうだいしたいと思います。  それから三点目は、出生率低下というのは、これからロボット時代と言われているわけですけれども、そうした意味でもやはり労働力の不足とか経済社会に及ぼす影響というものがいろいろ考えられると思います。若者が不足してくる。先ほどまたその具体的な例もお話しくださいましたけれども、今日本では外国人労働者の問題とかいろんな点が具体的に始まってきておりますし、また一番身近なところでは、町の中に青年がいなくなって町の活力が低調、いわゆるお祭りができない、運動会がやれないとか、町づくりの意味での姿が変わってくる、こういう点もあろうかと思います。  このごろ私テレビを見ていて気がつくんですけれども、以前は家族という単位の番組が非常に多うございまして、いつでも家族がテーブルに座って食事をしているというのがいっときテレビ番組で大変どの局も多かったんですが、最近はクイズ番組的なものが多くて、個人でいわゆる何というんでしょうか、家庭の中の一人で見ていててもテレビが相手をしてくれるような、何か番組自身がそういう非常に少人数的なものに対処するような番組が多くなってきたのかな、そんな気持ちもするわけです。世の中のいわゆる少子化、子供の数が少なくなってきているということにそういういろいろなものが合わせてきているというふうな感じがなきにしもあらずと思うのですけれども、その辺は先生どんなふうにお考えになっていらっしゃるか、お伺いしたいと思います。  ロボットというのは産業社会にとりまして、先ほど危険な仕事は特にロボットが代行するというお話がございましたが、第三次産業がこれからますます盛んになっていくことを考えますと、やはり人間に対するサービスというのは人間が最もふさわしいわけで、人間以上のことはできないわけでございますね。そういった意味からくる人口問題というものもやはり考えていかなければならないんではないかな、そんなふうに思います。  あと、高齢化人口健康対策と活用という言葉がございましたけれども、家庭とか家族というのは、これはお互い夫婦子供たちが支え合い、そして協力し合って、また愛し合って生きていく原点だと私自身も思うわけですが、最近子供を持ちたがらない夫婦がふえてきている。これは先ほど先生の方からお話がございました高度成長、あるいは生活水準を維持していくため、あるいは自分の生きがいを自分自身だけに求める、そういう傾向からこういうふうになっていくのか。しかし、こういう夫婦がふえているからいわゆる子供たちの数というものも一・何がしかという数字に落ち込んでいくわけですけれども、こういう方々のパーセンテージというものは、産めない方も含まれますけれども出ているのかどうか、ちょっとその辺もし数字がございましたらお教えいただきたいと思います。  それから、いわゆる人間の質の向上と人口問題というものをどう考えていくかということをふと思ったわけです。アグネスさんの方からもお話がありまして、兄弟というのはお互いにもみ、もまれながら向上していくというお話でしたが、兄弟が少ないということは、特に性別が男女という場合にはけんかをしないとか、友好関係ばかりで、いい意味でいがみ合いの中から協調性とか、協力とか、競争心、闘志とか、今カルガリーの冬季オリンピックが開かれているわけですけれども、アイスホッケーのすさまじい戦いぶりを見ていますと、まさに闘争心というのは、これは人から植えつけられるというよりは三つ子の魂百までの子供時代に自然の中で培われていく私は人間の原点の ような気もするわけです。そうした意味で、やはり人間性というものとこの人口の問題というものは、ある意味では切っても切れない関係があるのではないか。  特に、一人っ子といいますと、親は危ないということで外には出さない、それからスポーツもやらせない、人にまみえさせて、けんかしてたたかれると文句を言うとか、いろいろな意味の制約が入ってくるわけでございます。ですから、そんな意味から考える人間性というものと人口問題というものがどんな形で先生のところに例えばおありになるのか、その辺をお伺いしたいと思います。  人口問題というのが、指令をして決して上向きにも低下にも至らないというお話を先生からもいただいたわけですが、産めよふやせよというわけにもいきませんし、しかし日本民族というものをやはり心身ともに高めて活力ある次の時代に引き継いでいくためには、やはり何かしなければいけないし、その何かしなければいけない何が可能性であるのか。それは先ほど先生がおっしゃられた教育という問題があるということでございましたけれども人間の生き方とか考え方というものを教育であらわす場合に、それはどういう形でもってそれをお考えになっているのか。  最後に、生まれた子供を立派に育てるというお話が先ほどございました。確かに子供を立派に育てようとして一人の子供しか産まず、ここに出てくるプラス面と同時にマイナス面が過保護、過干渉、過度の期待と、これがかかってくるわけでございまして、この辺が非常に子育てをする親にとっての悩みであり、これがやはり人口問題と人間の質という問題との絡みの中で私は大変大きな問題になってくるのではないかと思います。  大変いろいろと数が多うございますけれども、お答えをいただきたいと思います。
  20. 黒田俊夫

    参考人黒田俊夫君) 大変広範な、人口問題というのは私はそういう問題だと思ってはおるんですけれども、お答えする資格がなかなかなさそうでございます。  ただ、私が感じていることを若干申し上げてみようと思うのですが、非常に広い経済社会、文化、あらゆる問題に入ってきます。  一つ最初に申し上げておきたいと思いますのは、日本人口の規模と国土とそれから資源の問題ですね。これはもう私らも小学校時代から、中学時代から、日本人口が多くて、国土が狭くて、そして資源のない国だというのを教わってきたわけなんですけれども、このことは案外ばかにならない条件なんです。  例えば日本の明治の初めの人口が三千五百万です。人口密度が九十何人です、一平方キロについて百人ぐらいです。現在のフランス人口密度が百人ぐらいです。ですから、明治のときと現在のフランスとが密度から言うと同じなんです。ということは、いかに日本人口密度が高かったか、現在も高いかということ。私は別に人類学者でも何でもないんですけれども、どうもこの条件が別に五十年前から始まったわけじゃない、百年前じゃない、何百年前から同じですね、その当時日本人口少ないですし、外国も人口少なかったわけですから。人口密度がこんなに高いということは、もう非常に狭いところに押し合いへし合い住んでいる。私は、これは一つこのことがいろんな日本人の生活条件ですとかあるいは物の考え方とかへ影響しているんじゃなかろうかという気がするんです。  そういうことを、例えば経済、その上にもう一つ殊に教育を考えなきゃいかぬと思うのですけれども、戦後の高度経済成長というのは、日本国土は焼け野原になったんですが、焼け野原にならなかったのは頭です。頭に明治から植えつけられた教育というもの、あるいは知識の集積というものは、これは焼けていないわけです。  それから、今の密度との関係から、日本人というのは非常に早いですね、物事をやるのが。非常に早いです。何というんでしょうか、これは私は今の民族性というもの、あるいは国土条件というもの、こういうものがいろいろ絡まってまいってきておると思うのですけれども、元来日本は貧乏ですね、昔から貧乏なんです。しかし戦争によって本当に貧乏になっちゃったですね。働くだけの能力だとか頭はあるわけです。働かなきゃいけないんです。その貧乏の中からいわゆる勤勉というものはこれは出てくるわけですが、それに政府政策もよかったわけですが、そういう中で高度経済成長。教育というのは決して低くありませんから、外国でできたものを全部持ってきてすぐやるということ、それをさらにいいものにするというようなことは非常に早いです。  そういうことがいろいろな条件経済成長の方はいろいろ考えられるんですけれども、それに対応しまして人口の方も出生率が、終戦直後のベビーブームから、三四から一七、十年間で一七、半分にしてしまったんですね。これはアメリカの学者は当時びっくりしまして、こんなばかなことが、西欧社会でないアジアの野蛮国の日本でこんなことが起きるはずがないというので、だんだんやっている間に、これは奇跡だと、あるいは例外、それから日本の統計がおかしいんだと、こういうようないろんな理屈をつけて言われてきたほど出生率低下、それから死亡率低下が激しかったわけです。  それで、その経済成長ともう一つ今の人口変化との対応なんですけれども、これ非常に日本は運がよかったと思うのですけれども、三年間だけですけれどもベビーブーム持ちましたですね。一年間に二百七十万の赤ちゃんを産んだんです。十年たちますと、もう百万以上少なくなって百五十万ぐらいに減ってしまったわけですね、出生率が。高度経済成長の始まったころに、そのベビーブームで生まれた赤ちゃんは十五年後には十五歳になっています。高度経済成長で本当に必要な若い労働力を十五年前に日本人は産んでいるわけです。そのつもりで産んだんじゃないんですけれども、十五年後の高度経済成長に役立つための赤ちゃんを今うんと産んでおこうというのではなかったんですけれども、当時金の卵と言われました。中学卒業して大都市に集まってくるわけですが、それは物すごく日本の高度経済成長に役立ったわけなんです。  今度はその出生率が下がるということが余りにも激しいものだから世界に例のない高齢化をもたらすわけです。いいことというのは続くものじゃないんですね、人間の、個人の生涯と同じことですけれども。  その問題は別としまして、今の出生率の問題で限界という御質問がありましたが、ドイツの先ほど普通の出生率で申し上げましたけれども、一〇ということで、日本が一一ということで大体同じになったと。しかし、もう一つ細かい計数で申し上げますと、夫婦当たりの出生子供数というのは最近では一・四ぐらいになっています。まだドイツは減っているんですけれども日本が大体一・七です。実際に子供を持っているのは日本夫婦は全部平均で見ますと二人ぐらいなんですけれども、産み方から見ると、現在は日本が一・七でドイツが一・四、それをまだ少し上回っていると。ドイツに大体接近したということ、しかしドイツのようにはならないだろうという私の印象ですね。  なぜかというと、いろいろな理屈があるんですけれども、ドイツなんかへいらした方はおわかりだと思いますけれども日本の場合の国境とドイツの国境とは全く違うんです。日本は幸か不幸か海に恵まれております。一つ柱があって、その境界の先には鉄砲を持ってどこかの国の人がいるというわけじゃなくて。ドイツは囲まれているわけです。私どもドイツの連中と話をしましても、やはり日本なんかと違うなというのは、ちょうど北朝鮮と南朝鮮の関係のあの三十八度線のようなものでございます、あれと同じです。ただ、韓国の人のそういう政治、軍事に対する不安というもの、我々なかなかわかりにくいんですが、それと同じことです。ドイツがそうです。  そうしますと、さもありなんなと思いますのは、結婚だとか子供を持つというようなことよりも、自分たちが育ってきた、自分たちはしかも日本と 同じように高度経済成長、非常に所得水準が高い、生活水準非常に高いです。そういう環境の中で子供を持つとか、二人持つとか、三人持つとかというようなことは考えられないですね。いかに自分たちはこの高い生活の中でエンジョイしようかという気持ちの方が非常に強くなる。若干日本もそこへいって、日本はもうドイツに接近してきましてもそこまではいかないだろうと、いろんな条件考えますと。しかしドイツが世界最低であるということ、それが今まで我々人間社会が持っている最低出生率でございます。  今後どうなるかというときに三つ考えられます。まだまだ下がるんだということ、もう下がらないで平行線になるだろう、あるいはもう少し上がり出すだろう、この三つ考えられるわけです。私どもの間でもみんな意見がかなり違うんですけれども、私自身は、これはまだ上がりはしない、当分の間上がらない、到底これは上がらない。しかし、最近の動きは、非常にここ数年の間、夫婦当たりの出生率という言葉で申し上げてきましたが、これが大体一・八なり一・七ぐらいです。ほとんど動かないですよ。わずかばかり動いているんです。ですから、これがそれ以上に動くということはまずなかろうというような、ドイツの例ですとか、あるいは国際的なあれだとか、あるいは日本動向なんか見まして、普通出生率では結婚年齢人口結婚年齢によって若干動きます。ですから、これによって今後若干の動きはあっても、今のような水準の線を若干上がり下がりはするけれども下がってしまうとか上がるということはないだろう。だからそういう意味ではほぼ限界に接近してきたんだろう、こういうふうに思うわけなんです。  それから、ロボットの点ですが、私これも殊さら挙げましたのは、ロボットでもって労働力不足を補うということじゃなくて、人間の活動、例えば工場なんかで非常に危険性がある仕事ですとか、あるいは福祉の面で女性ではなかなかやれないようないろんな寝たきり老人だとかございます。そういうところにロボットというものを活用すればいいんであって、それもあるいは労働力不足かもしれませんけれども、しかし、労働力不足ということよりも、むしろ私はそういう危険性のあるところへ持っていけばいいんだと、事実そういうように動いているわけですが、経済の生産性も上げておりますし、それはそれでまた私いいと思うのです。そういう意味でロボットというのは労働力の不足にかえるというほどのことは私は考えていないわけで、その前にやることはたくさんあるんだと。  今、分布の不均衡のことをおっしゃいましたけれども、一部の大都市には若者が集中する。それから、いわゆる過疎地域ができて若者がいない、だから消防隊も編成できないんで女性だけで、奥さん方だけで消防隊を編成するというようなところもございます。しかし、これも多少緩和してきているようです。若干緩和してきている。ですから、これは人口の分布の不均等ですから、これは政策によってかなり動きます。そこにいたのでは働くところがないから動いたのであって、働くところがあれば必ずしも大都市に行く必要がない、そういう人口が相当います。  それが、私が言い始めたんですけれども、Uターンというのはそういうことで起きてきたわけですが、大都市環境が悪くなってくる、大都市に生涯いてもつまらない、環境のいい自分の郷里に帰る。そこに仕事がないから帰れない。それが開発計画によりまして地方に雇用機会が大分ふえてきましたのでそういう傾向は出ておりますが、ちょっと心配なのは最近また逆の傾向が出ておるんですけれども。そういう人口の分布の不均等という問題、これを申し上げたわけでございます。  もう一つ出生率低下と子の差ということをおっしゃったんですけれども、これは確かにおっしゃるとおりで、過保護の問題あるいは栄養上の肥満児の問題とかいろんな問題出てきておるんですけれども、例えば肥満児の問題なんかもう相当解決してきました。あることが起きれば必ず反対の現象が起きるので、例えば中国でも一人っ子政策教育者の間で非常に大きな問題になっています。今おっしゃったように子供は三人、四人おるとその家庭の中で鍛えられます、教育、訓練される機会があるから。という意味で過保護になって弱くなるという、これもあるんですけれども、その逆を考えますと、それじゃたくさん産んだ方がいいじゃないか、こう出るんですけれども、それは簡単にいかないものですから、それじゃどうしたらいいか。  例えば中国の場合ですと、これはもう一〇〇%女性も働いておりますから、だから奥さんは子供があれば、必ずこれは大学でも企業でも病院でも全部保育施設を持っていますから、保育所へ行けば集団ですから、家へ帰れば過保護なんですけれども、昼間はたくさんの子供と一緒に教育されているわけです。だから私は教育の問題というのは中国の場合には余りないんじゃないかな、日本の場合にむしろそれがあるんじゃないかなという感じがいたします。一つの面が非常に急速にいきますと反面別の現象が起きてきますので、そのときにそれじゃどうしたらいいかという対策を私は急いで考えなければいけないという問題あるんですけれども、そうかといってもとへ戻すわけにいきませんから。  それから高齢人口の増加の問題、これは私は案外楽観的なんですけれども、高齢者の例えば日本の国勢調査で就業率で見ますと、男性とりますと、六十から六十四歳ですとこれは八〇%働いています。それから六十五から六十九歳、これが六〇%働いています。それから七十から七十四歳が四〇%ぐらい、八十五歳以上でも一〇%働いております。これは世界じゅうに例がないんですけれども、働かざるを得ないという反面もあるんですけれども働けるという面もありますね。ということは、高齢者の健康状態が昔と非常に変わってきました。これは私ども常識的に、私の子供時代の六十歳といえばもう大変な老人ですけれども、私、現在私の親よりは年をとりまして、もうそろそろ八十に近いんですけれども、おやじよりはるかに元気だなと思っているんですけれども、一般的にそうじゃないでしょうか。今の七十歳というのは昔の五十ぐらいでしょうか、大ざっぱに言いまして。これは文部省の調査なんかもございますけれども、非常に健康はよくなっています。  それから働けるということ、働くことはかえって逆に健康にもいいということ。やはり働ける場のない定年退職後の方が早く病気になったりなんかする例がたくさんあるんですけれども、しかも日本は高学歴社会ですから、これからの高齢者はますます高学歴の老人がふえます。皆さんこれ全部いろいろな経験を持っている。そういう人たちをアメリカ流に遊ばしておいたんでは意味ないんで、やはり日本の儒教的精神で、働くことに生きがいを感ずるとかあるわけで、しかも働けるものを持っておりますから、そういう意味ではまだまだ活用するといいますか、働く機会をつくってあげるということが私は政府、企業の仕事と思います。  それから質の問題が出ました。私どもが質と言う場合、時にはよく優生保護の問題が出るんですけれども、それから結婚の問題だとかそういう問題があるんですけれども、そういう問題じゃなくて、いわば教育、訓練による能力の問題、そういう面から見た質の問題です。  例えば戦後の経済成長もそうですし、やはり日本人口の質の問題、そういったような質というもの、あるいはもう一つ考えれば教育の問題あるいは訓練の問題、そういうような政策というものが効果を持ってきたんだろうと、遠くさかのぼれば。あるいは徳川時代の塾がございます、寺子屋とかいろいろありますけれども、ああいう教育という問題が日本ではうまく作用してきたなという感じがするわけでして、その数の問題よりも私は質の問題を高めると。死亡の問題もそうですけれども、いたずらに日本では青少年の事故死、交通事故なんか非常に多いわけでして、生まれてきた者を学校まで卒業させて全部死んでしまうんですから、大変なこれは国家的に見ても人間資源のむ だになるわけでして、そういうところに力を入れる。  それはクォリティー・オブ・ライフと言いますけれども、生活環境、先ほどおっしゃったようなクォリティー・オブ・ライフという問題、人間能力、質の問題、健康の問題、こういうものです。そういう意味で、人口の方でも数の人口学と質の人口学と両方の面があるわけですが、殊に今申し上げた死亡の問題ですとか健康水準、疾病構造、そういう問題たくさんあるわけです。
  21. 小野清子

    ○小野清子君 ありがとうございました。ちょっと多く質問し過ぎまして申しわけございません。
  22. 高木健太郎

    高木健太郎君 黒田先生から前にもお話伺いましたし、また、いろいろの著書も拝見いたしまして、該博の知識をお持ちでございますので、もう私から何か質問といっても大したことはございませんが、私医者でございますので、その方面のことをちょっとお聞きしたいと思うのです。  私が、もう前に調べたことだからわかりませんが、現在人工中絶というものはどれくらい行われているんだろうか。私が十年ぐらい前か十五年ぐらい前に調べたときには大体八十万ぐらいが届け出があるもの、黙って隠してやっているのがそれの三倍ぐらいあるということですから二百四十万ぐらいあるんじゃないかという話を私聞いたことがございますが、現在の出生率先生ここにお書きになりましたように百三十五万でございますから、二百四十万というとそれの倍ぐらいになってしまう。現在どれぐらい中絶が行われているだろうか。これが実はさっきもちょっとお話出ました優生保護法ということで経済条項がございますので、医師の方はその経済条項にのっとって中絶をしている。何か堕胎法というものはあってもないようなものでございますが、現在はどのようになっているものでしょうか。
  23. 黒田俊夫

    参考人黒田俊夫君) なかなか難しい統計上の問題ですけれども、優生保護法の統計から見ますと、先生がおっしゃった八十万からずっと減っております。現在六十万に下がっておりますので、届け出に関する限りは確実に減っております。ただ、おっしゃいます届け出に出てこないもの、これは統計に出ないわけですからわからぬわけですけれども、私の印象、私は医者ではございませんので、産婦人科という医者じゃないものですからわかりませんけれども、昔のようにやみでやらなきゃならない場合というのは昔より減っているんじゃないのか。ある要因ではふえているかもしれないが、全体として私はやみでやらなきゃならない理由はむしろ減っているのじゃないのか。昔よく届け出の三倍、四倍と言われましたけれども、そんなにひどくはないんじゃないかということ。しかし、これはわかりません。お医者さんに聞きましても全然わかりません。これは調査不可能です。地域へ入りましてお医者さんらに調べましても、三回行くと三回とも違ってしまうんです。本当のことはわかりません。何か推計するより方法がない。届け出はわかっていますので、何かの実地調査から届け出の何倍ぐらいあるんだろうかというようなことが出れば、五十万の二倍とすれば百万というようなことになると思いますけれども、しかし届け出は減っております。確実に減っています。これはいい傾向じゃないかと思うのですけれども
  24. 高木健太郎

    高木健太郎君 この方々がどうして中絶されたか、医者の方で調べればある程度わかるんじゃないかと思うのですけれども、どういう原因があるかということも一遍調べなきゃならぬのじゃないかと思います。六十万といってももっと隠れたものもございますから、それの二倍か三倍かあるんだろうと思うのです。百二十万とかそんな数になるんじゃないのか。この人たちがなぜ中絶をしなければならなかったのか。もちろん若い中学生や高校生はよく中絶するということは聞いておりますけれども、こういうのは隠れてやっているわけです。だから、これを調べれば少し人口出生率が落ちるということを幾らか減らすこともできるんじゃないかという気が私したものですからお聞きしたわけでございます。これはまた官庁の方でひとつ調べていただくようにお願いしたいと思います。  もう一つは、出生率が落ちるということで先生もここへたくさん原因をいろいろ挙げておられますけれども子供が一人か二人ぐらいだったならばたえられるけれども、一番大きいのは、教育が非常に高度化しましたので大学までみんなやってしまうというわけです。ほとんどの家庭が、四〇%から五〇%近くが高等教育を受ける。それの授業料あるいは教育費というものが非常に高い。だから二人ぐらいまでならば、例えば田舎におって東京に子供を出すといっても何とか養っていけるんですけれども、それが三人となると東京に出して勉強させるということは、これはもうとてもできない。そういうことで悩んでおられる御家庭が多いんじゃないか、こう思うのですが、これはどのぐらいのウエートになるものでしょうか、子供出生率を落とすという原因について。
  25. 黒田俊夫

    参考人黒田俊夫君) これは計量的に非常に難しくて言えない問題ですけれども、非常に大きいんじゃないでしょうか。  戦後、若干の調査がございまして、なぜ家族計画をやるか、子供を少なく持つか、昭和五十年ごろの一番大きい要因は食べていけない、経済理由です。食べていけないから数を減らす。それから五十五年ごろになりますと子供教育、今おっしゃった子供教育が一番大きい要因になっているわけです。子供をできるだけ高校、大学教育してやらなきゃならぬから家族計画するんだという。それから六十年ごろになりますと子供教育が二番目に下がりまして、母性、母親の健康、美容という問題が上がってまいります。大分理由が高度化してくるんですけれども、非常におもしろい調査だと思います。それでも二番目にはやはり教育があります。ですから、終戦直後のころの貧困は別といたしまして、その後は教育、文化ということが理由のようです。
  26. 高木健太郎

    高木健太郎君 私、聞きまして、私医学関係なんですけれども、私立の医科大学に入るとしますと初めに二千万ぐらいかかるんだそうです。それから一年に三百万ぐらいかかる。それに下宿料とか入れるともっと高くなるんじゃないか。そうすると、年間五百万ぐらいの給与取りは、サラリーマンは子供を一人ぐらいまでは何とかやれても、二人三人になると、とてもやれないというようなことを父兄から聞くわけなんです。だから、やはりこれ大きいから、こちらの方を下げてやらないとどうにもならないんじゃないかという気がするんです。
  27. 黒田俊夫

    参考人黒田俊夫君) 非常に大きいと思います。教育熱心というのは、日本が特にそうですけれども、韓国なんかもそうですけれども中国もだんだんそうなってまいりましたけれども、やはりこの東アジア圏はそうです。殊に日本は昔からあれですから今おっしゃるとおりじゃないでしょうか。これら負担を何らかの意味ではもっともっと軽くできないかと、私どもそう思います。
  28. 高木健太郎

    高木健太郎君 日本が将来立っていくのには科学技術ということが非常に重要であるというようなことが言われているのに、その教育が思うままに任せないということになると、これ私問題かなと思っておったわけです。  それからもう一つは、三人ぐらい産みたいということがございます、大体の御希望が。多いのが三人ぐらいだと、子供さんが。そのうち男と女というのは比率はどうでしょうか、男の子を産みたい、女の子を産みたいという。
  29. 黒田俊夫

    参考人黒田俊夫君) 日本の場合はほとんどありません。ほとんど消えてしまいました。男が欲しい、女が欲しいという、ゼロじゃありませんけれども。台湾の調査それから中国調査なんか、それから韓国はまだまだ強いですけれども日本じゃほとんどなきに等しいんじゃないでしょうか、聞けば言うかもしれませんけれども。だからというので家族計画の上にそれが出てくるというのは、私らの今までやった範囲ではほとんど認められません。
  30. 高木健太郎

    高木健太郎君 田舎の方では、私新潟にもおっ たんですが、男と杉の子は育たない、女の子の方がうまくいくというので、女の子を産む人が多いんです。あれは経済的に言う理由でしょうか。昔は女の子をどこかにやってしまうとか働きに出すとかそういうことがあって、男の子はなかなか働きに出せなかったという、田舎の方ではそうだったんですが、今はそんなことはないんでしょうか。
  31. 黒田俊夫

    参考人黒田俊夫君) 今はございません。昔、我々が覚えているのは一姫二太郎という、最初が女の子ですと、後、男が生まれても女が生まれてもよく面倒を見てくれますし、一番初めは女の子で二番目が男というのは我々日本人の伝統的な理想じゃなかったでしょうか、なかなかうまいこといきませんけれども
  32. 高木健太郎

    高木健太郎君 ありがとうございました。  それでは、アグネスさんにお伺いいたしたいと思います。  自分の経験を通して本当にすばらしいお話をお伺いいたしました。本当に立派なお母さんだなという気がいたします。子供にいろいろ教わることがあるということをおっしゃいましたけれども、私はアグネスさんから見ますとおじいさんぐらいでございますから、お孫さんから私習ったような、非常に感銘を受けました。本当にありがとうございます。  そこで、今度子連れのコンサートをお開きになる。成功を祈りますが、どうもああいう公の大勢人の集まるところではやはり子供さんが嫌われる。私たち選挙演説に参りましても、子供さんが後ろで泣きますと、邪魔だから出ていけというようなことをよく言うんですけれども、そういうことはどうしたらいいでしょうか。アグネスさんのお子さんは余りお泣きにならないんですが、非常に泣く赤ちゃんがおる。それから新幹線の中なんかでよく赤ん坊が非常に泣いて、それから暴れて、だだこねて、走り回ってというような、これは教育かもしれません、アグネスさんの子供さんは非常にいいわけですが、そういうのはどうしたらいいとお考えですか。やはり抱いてやらないから、あるいは愛情が足りないからそんな子供になるんでしょうか。
  33. アグネス・チャン

    参考人アグネスチャン君) それは多分子供の性格によると思うんですね。すごい暴れたくなる子供もいれば泣きやすい子もいるんです、多分幾ら抱いてやっても。でも、社会に迷惑かけているというのは、いろんなところで、いろんな人が迷惑かけ合っているんですよ。  例えば車を運転している人だったら排気ガスを出しているんだし、たばこを吸う人だったらたばこの煙を出しているんだし、新幹線の中で子供は三時間くらいは泣かないけれども、三時間たばこを吸い続けるおじさんがいるんですね。だから、その公害と比べれば、どっちが悪いかというのはとても言いにくい部分もあると思うんです。でも子供が泣くと集中できないというのは確かなんです。それはむしろみんなが親心を持っているからだと思います。ああかわいそうだ、何とかとめなきゃと、どうしても心が乱れちゃう。だからむしろ人間の一番きれいな、美しい部分を子供が呼び起こしているんだなと私思うんですよね。うるさいと言いながらも、その子がかわいそうだからと思っているんですよね。もし全然何とも子供のことを思わなければうるさいも思わない、もう全然気にしないと思うんです。気にするだけ、やっぱり人間性がまだ残っていると私は思うんです。怖いことというのは、自分も社会人、そして社会のルールを守ろうと努力し過ぎて自分も親であることを忘れちゃうときがすごくあるんですね。そういう部分はやっぱり忘れたくないと自分はすごくそう思います。  私の講演会とか何かも子供を連れてくる場合もあるんです。そうすると、最初泣くとみんながわっと見るんですね、そこを。十五分も泣いちゃうとだれも見ないんですね、もうなれちゃって。結局私も大きな声でしゃべる、そうするとみんなに聞こえる。子供も飽きるんです、泣いているうちに。泣いているうちにちょっと外へ行っちゃう母親もいるし。だから何とか道はあると私思うんです。どこへでも子供を持っていくというのは私も反対なんですけれども、でも許される場所はきっとあるんじゃないかなと思います。今度新幹線とか飛行機で子供が泣いてもぜひそばに行って、いないいないばあとか何かやってやったら、もしかして喜ぶかもしれない。  絶対私思うのは、若い母親は慌てるんですよ。私もそうなんですけれども、ああ泣いちゃった泣いちゃったと思って、かえって泣かすんですよね。自分の不安で子供は泣いちゃう。で、後ろのおじさんが急に後ろから、ばあ、れろれろれろとやると子供はキャーキャー笑うんですよね。すごく助かるんです。むしろ育児の経験の豊かな人たちがその母親を落ちつけることが多分一番近い道だと思うんです。
  34. 高木健太郎

    高木健太郎君 そうだと思います。私もいろいろ教えられるところございますから、今度私はぶくぶくばあをやりたいと思います。  実は今、老人がふえまして、二〇二〇年には二四%になるという黒田先生のお話なんですけれども、それに使っている国家の金というのはかなり大きいと思うのです。それに比較して、これは黒田先生にお聞きした方がいいんですけれども、保育園だとかあるいは保育所、あるいはベビーシッターとか、そういうものはボランティアでやっているんでしょうが、子供に対して六歳ぐらいまで使っている金と、それから老人対策に使っている金と、どのくらいのものでしょうか。私は、アグネスさんがおっしゃったように、やっぱりもっと生まれてくる子供、生まれた子供というものに対して、より国家はもっと大きな目を向けなきゃいかぬ。考えないで産んだんだからおまえの勝手だというんじゃなくて、将来の日本をしょって立つ子供だからそれを何とか育てていこうと、そのためにかなり私はお金使ったっていいんじゃないかなというふうに思っているんですが、どれくらいの比率になるものでしょうか。これは黒田先生にお聞きした方がいいと思いますけれども
  35. 黒田俊夫

    参考人黒田俊夫君) 日本子供をどこまでにするか、零歳から十四歳にするか、最近はもう十九歳までにしなきゃいけないんですけれども、それと六十五歳以上の老人とどのぐらい社会的に金がかかるか。これは非常に難しいんですけれども、私どもは勘では、国連がやった計算ですとか、イギリス、フランスがやったのがあるんですが、もう古いんですけれども、例えば零歳から十四歳の子供を育てる場合と、それから高校、大学まで行くと十九歳までになりますけれども、それを区別するとややこしくなるんですけれども、一応子供とそれから老人との経費は今のところは大体半々じゃないかなと。だけれどもこれからは先生おっしゃるように老人の方がうんと多くなります。ますます多くなります。ですから、恐らく子供の方が減りますから、子供は減っていくわけですから、数の上では。だから、それだけ総額としては負担が減るわけですね。老人の負担がふえるのはこれはやむを得ないんですけれども、だけれども子供の方は減るんですから、子供の方に対する費用を減らさないように、ふやしていかなきゃならぬと思うんです、実数は減るんですから。ですから費用はむしろそちらにかけていくようにした方が、そちらの方にというのじゃなしに、減る割合を減らさないで、むしろふやす方向に、子供に対しては。老人のふえるのは、これはやむを得ませんから。
  36. 高木健太郎

    高木健太郎君 そうでございますね。どうもありがとうございました。
  37. アグネス・チャン

    参考人アグネスチャン君) でも私は老人の方にお金かけるのは賛成です。やっぱりすばらしい老後が送れなければ生きていきたくないんですよね。そして子供も、もし老後ちゃんと生きていけなげればつくらない方がいいと。老人はやっぱり自分の未来ですから、そういう意味で自分で見ていて格好よく年とれるんだなという社会の方がやっぱりいい社会だと思うんですよ。自分も努力すればそういうふうになれるんだな、子供もそういうふうに約束されるんだな、そうすると、じゃもう一人産もうとか、そういう気が起きると思う んですよ。だから、バランスはよくわかりませんけれども、やっぱり老人と子供は同じぐらい大切だと思います。
  38. 高木健太郎

    高木健太郎君 ありがとうございました。時間が来ましたので……。
  39. 近藤忠孝

    ○近藤忠孝君 最初アグネス参考人質問いたしますが、先ほど、日本人結婚することについて大反対があって、その理由としては、亭主関白、男性天国でかわいそうだというんですが、先ほどお話聞いておって、子連れ労働でいろいろ苦労されたというのは私はその一つ現象だと思うのです。しかしそれ以外、全体としまして言われたほどの男性天国であったのかどうか。これは実際の家庭生活まで立ち入るかもしれませんけれども、全体含めてそういうことでなかったかどうか、あるいはまた改善されつつあるのか、その辺についての率直な御意見があればお聞きしたいと思うのです。
  40. アグネス・チャン

    参考人アグネスチャン君) 外国の人たちはちょっと誤解している部分もあると思います。確かに表向きは男性社会だと思います。社会の上で女性が肩を同じぐらい並べて仕事をしようとするとこれは大変なことです。いまだに不可能だと思います。いろんなことを犠牲にしなければだめだろうし、幾ら犠牲にして勉強しても男性並みとはならないと思うんです。  ただし、女性の間では外国の女性より幸せの部分もあると思います。それは、例えば男性の給料袋は全部女性に上げちゃうという、これはすごく特例であると思いますね。そうすると経済力、お金持っている満足感はあると思うんです。それによって自分の家庭を守るんだ、お父さんにお小遣いやっているんだ、そういう気持ちは、幻の上で満足している部分があると思うんです。  だけれど表向きは、外国とか外の人から見れば、やっぱり女性は男性の後ろに歩く、男性より先に口きかない、どんな人が集まってもお茶くむのは絶対女性、おふろでも何でも男性が先、そういうような表向きな段取りとかそういうのは、やっぱり外国の人たちから見ればこれは惨めな生活をしているなと思われるのはしようがないと思うんです。これが日本の中では美徳とされているんですよね。男性を立てる女性こそすばらしい女性、男性を立てられない女性というのは心の狭い女性と考えられるみたいな感じなんですけれども。外国はむしろレディーファーストで、男性は女性を大事にする、女性を立てる男性がそれこそジェントルマン、女性を大切にしない人というのはむしろジェントルマンじゃない、よくない人だと見られるんですよね。その根本的な違いがやっぱりあると思うんです。ただし、これからは多分変わってくると思います。  うちも、うちの親の前では私を立ててねと一生懸命主人に頼んでいます、主人の親の前では私が一生懸命立てますからと言って。だれもいないときには本当に平等になるんです。何が一番楽かというと、だれもいない、平等の二人でいるときが一番ほっとするんです。そういうふうに若い人たちも求めているんですよね。平等でいられることが男性にとっても女性にとっても楽なんです。だから、それが一番自然だったら、きっとこれから変わるんじゃないかなと思います。自分の子供の時代になったら外国並みになっていたらいいなと私思います。そうじゃないと、もし彼が中国の女性に恋したらまた反対されると嫌だから、だからぜひそういうような平等的になってほしいなと思います。
  41. 近藤忠孝

    ○近藤忠孝君 率直にありがとうございました。  黒田参考人に、出生率政策で誘導することが極めて困難だというお話ずっと伺いまして、それはそれでわかったんですが、ただそれに関して私二つ疑問があるんです。第一は、出生率はどうあるべきかということを検討したり議論することまで放棄する意味じゃないんじゃないかと思うのですが、その点が第一点。それからもう一つは、じゃ、あるべき出生率はどうかというのがもし出た場合、それに向かっての政策を、先生の御意見だとそういったことを考えること自身むだなことだという趣旨かどうか、そうでもないような気がするんですが、その辺を端的にお伺いしたいのが第一点です。  それから、老人が実際労働している状況についてお話がありました。これについては、今高齢化社会危機論というのがあります。要するに、現在は六人で一人の老人を養う、しかし二十一世紀になったらそれが二人か三人で一人だから養う方が大変じゃないかという議論なんですが、それはさっきの先生のお話のとおり、老人が実際働いていますから決して養われる側だけではないということと、それから幼年者が減った分が年寄りに回っていく分と、それから私は、もう一つは、この議論の中にはやっぱり生産性が向上していくという、この辺が全く欠落しているんじゃないかと思って、かなり短絡的な意見じゃないかと思うんですが、その点について御意見をお聞きしたいと思うのです。
  42. 黒田俊夫

    参考人黒田俊夫君) 出生率の問題は政策論の問題として私どもは今までの経験から申し上げたんですけれども、しかし今後どうなるかという、あるいは望ましいといいましょうか、ある意味では望ましいと思うんですけれども、いわゆる静止人口という、減少するんでなくていわゆる安定するということが望ましいのであって、それまでにどのような過程をとっていくんだろうかと。ただ、そのときに政策からいきますと、直接の政策というのは案外効果がない。なぜならば、だれも自分たちが何人の子供をいつ持つかは自分たちの問題であって人の問題ではないんだと、こんなこと国の問題じゃないじゃないかと。これは世界じゅう、あるいは人権という言葉で言われるんです、これは当然のことなんだけれども。  それがどのように動いているのかということを我々研究しなきゃいけませんし、私、理論的にはどういうのが一番望ましいかということは考えられます。しかし国民がどのように望んでいくかということは、これはまた別問題なんですけれども。例えば大体二〇三〇年、四〇年ごろにほぼ静止人口に達するであろうというような計算をしたりしますけれども、ですから、それを議論しちゃいけないというわけじゃもちろんありません。現実にはいろんなことを考えて、その影響を考えなきゃいけませんから、こういった場合にはどうなるんだろうか、この場合はどうなるかということを考えますと、それはおっしゃるとおり決してちゅうちょしておりません。大いにそれは研究対象にしております。  それからもう一つ高齢化の問題なんですけれども、その前に、人口という現象、殊に出生という現象を余りコントロールを考えない方がいいんじゃないかという、今のことで申し上げるんですけれども。  後の高齢化の問題、日本の場合には欧米の経験以上に非常に速度が速いので非常に問題がきついということだけははっきりしております。ただ、それじゃ望みがないのかという、非常に暗い感じが出てくるんですが、私はそうは思っておりません。    〔会長退席理事斎藤栄三郎着席〕 殊に日本の今の高学歴化という問題、それから今世紀末までは高齢化じゃなくて中高年化でございますので、中高年対策というものは特に重要である。中高年対策をやりますと、その人が来世紀老人になりますので、中高年対策と老人対策というのは別にしちゃいけない。中高年対策イコール老人対策になるんだという、将来の。しかもそれが質的に非常に向上になってまいります。先ほど申し上げましたような健康の面から見ても、それから労働意欲の面から見ても、情報化時代でございますので、この高齢化の人の労働力化を十分に考えていかなければいけない。それをやるならば、いわゆる高齢負担というのが減りますね。所得制限なんかございますので、働くことによって財政的にも、あるいは医療費の負担も軽減されるという方向へ向ける可能性がありますので、私はこれは案外悲観していないんですけれども。  それから生産性の方は、先生おっしゃるとおり 科学技術の進歩がございますので、これをうまく適用していけばいい。今の老人は二十年先の老人じゃないわけです。    〔理事斎藤栄三郎退席会長着席〕 今の老人と二十年先の老人とは質的にも学歴的にも全く違うわけです。異質の人口になります。そういう意味で、個人それから企業、それから政府政策よろしければ私は十分にやっていける、そういうように思っております。
  43. 平野清

    ○平野清君 どうも両参考人には長時間御苦労さまでございます。  余り時間がありませんので、まずアグネスさんにぜひお伺いしたいんですけれども、一般論のことは、育児のことやなんかはほかの先生方皆さんお聞きになりました。坊やを産まれたときカナダに行かれたとかで、もう国籍なんというものはほとんど無意味なものだと、これからの国際社会に国際人として育てたいというような話がございました。  日本でも農村ではお嫁さんがいなくて外国から花嫁さんを連れてきたりして、いろいろ人口対策をやっているわけです。この国会でも、今お話聞かれているとおり、日本人人口がどうだ、将来のフランスと比べたらどうだとか、そういう日本人日本人とこういうふうに言葉が出てくるんですけれども、国際人の一人として、そういう日本人そのものの人口問題の討議ということに、きょうお話聞いていてどういう御感想をお持ちになったかなということをちょっとお聞きしたいのです。  それから黒田先生には、一番大事なことは家族開発だというふうにおっしゃったんですけれども、その家族開発というのは具体的にどういうことを指されているのか。  それからもう一つ西ドイツ日本が両方敗戦国で、その敗戦国が両国とも物すごい異常なほどの出生率低下を来している。その原因は、ただ終戦に打ちひしがれた国民が希望がなくてそうなってしまったのか。今でも低いということは、そういうことが裏づけられないわけですね。そこのところをちょっと御説明いただければと思います。
  44. アグネス・チャン

    参考人アグネスチャン君) 私は国際結婚大賛成です。もちろん、連れてきて、そのお嫁さんは余り来たくない、愛してない人と結婚させちゃうというのはあれなんですけど、でも国際結婚によって二つの文化が一人の子供の中に育っていくというのは何よりもすばらしいと思うんです。日本人が減るから危ないとかどうしようとか、そういうのは多分すごいわがままな考えだなといろんな人考えるかもしれませんけれども、でも、子供を持つ意味、赤ん坊が生まれる意味というのはそこじゃないんですよね。私は子供というのはもっと深い意味があると思います。親になって初めて命は何なんだろうってわかるんです。何で私は死ぬんだろうとか、何で私は子供を産むんだろうって、いろんな苦労をしながらわかってくるんですよね。言葉には説明しにくいんだけど、うちの子が寝ていると、目をつぶっているとうちのお父さんにそっくりなんです。お父さんはもう亡くなったんですけど、ああそうか、この子が生きている中にうちのお父さんは生きているんだなと実感するんですね。で、彼が目をあくとしゅうとめさんにそっくりなんですよ。キャーキャー笑うとすごくそっくりなんです。ああそうか、こうやってやっぱり命がつながっているんだな、だから人は生まれて人は死ぬんだな、どんどんめぐりがこうやって丸く丸くやっていくんだなというすごい実感をしたんです。この子が日本人であろうが中国人であろうがアメリカ人であろうがアフリカ人であろうが、かわいいなと思ってしまうんです。自分の子供を持って初めてやっぱりほかの子供がいかに大切なのかとわかってきたんです。  たまに渋谷とかなんか歩くと、人間が多くて、もう早くうちへ帰ろうかと思うくらい人間に嫌になっちゃうんだけれど、でもそういう人たちを見ると、ああだれもが子だったんだ、二十四時間寝ないで、泣いて、おっぱいやって、あやして育てた母親がいると思うと、ああみんな大事なんだ、ああ転ばないようにと思うんですよね。その気持ちは親にならなきゃわからないと思うんです。  うちの母は割とすごいミーハーで、余り普通難しい話しない人なんですけれども、うちの子が生まれて、私がああだれもがこうだったんだねとか言ったら、彼女が急に言うんです。戦争は残酷ですよ、一発でもう何十年間の涙が、汗が消えるんだからって言うんですね。だから平和を願う心も結局親になって強くなったし、子供を持つことというのは一つの民族を消えさせないためだけではないとすごく実感したんです。どんどん多分国際結婚はふえると思うし、それによってまたいろんな人がいろんな意味を感じる、そして子供を育てるんじゃないかなと思います。
  45. 平野清

    ○平野清君 どうもありがとうございました。
  46. 黒田俊夫

    参考人黒田俊夫君) ドイツとの比較でございますが、殊さらドイツを挙げたわけでございますけれども、ヨーロッパは全般に出生率が低うございます。もちろん差があるわけですけれども、とにかくほとんど例外なく夫婦当たりの出生子供数は二人以下でございます。その中で一番低いのがドイツでございます。戦前ですとフランスが一番低かったわけですが、ヨーロッパ全体の中での、こういう西欧文化というものの中での出生率低下だと思いますけれども、ドイツの場合には、やはり敗戦とそれから現在の状況というものが特にドイツの出生率を下げている要因じゃないだろうか。ほかの国も全部低いわけです、その中で特にひどいわけですから。  日本の場合は、ほとんど出生死亡低下というものは近代化に伴って起きてくるんですけれども、私ども人口転換という妙な言葉を使っておるんですが、日本が戦後では欧米以外では最初の経験なんでして、それだけにこの低下が厳しかったということです。  どういう点が似ているかというと、どちらも敗戦国であり、教育水準の高いところであり、科学技術の面では向こうの方が先輩ですけれども、戦後の中では日本の方が追いついてきたわけでして、なぜそうなったのかというのは非常に難しい問題ですし、私ども何とも言えませんけれども、ただ、全体として日本の近代化とかあるいは工業化も戦争前から欧米型といいますか、ヨーロッパの後をついていったわけです。その中で一躍欧米水準経済的にはついていったわけです。ただ、人間の方の行動子供を持つという行動についてはドイツとの違いというものを私どもはよくこれは説明しかねますけれども、やはり日本の場合の特殊の条件の中で下がってきたことであるんですけれども、それがたまたまドイツと非常によく似ているということで例として申し上げたわけであります。  なかなか難しい問題でして、どうしてこうなったのか。例えば中国の場合も、一九六九年から七九年のちょうど十年間ですけれども日本と全く同じように三四から一七下がっている。十年間に同じ水準から同じ水準に下がっている。なぜだろうか。これなんかも私ども説明し切れないです。偶然といえば偶然のようですし、やっぱりアジア文化というか儒教圏といいますか、何かそんなところへ持っていくだけでは説明つきそうもないんですけれども、そういうことでございます。
  47. 平野清

    ○平野清君 家族開発というのをちょっとだけ、ほんの少し、もう時間ありませんので一言。
  48. 黒田俊夫

    参考人黒田俊夫君) これは先生方にぜひ考えていただきたいというのが私の結論でございまして、今申し上げた死亡の問題あるいはいわゆる家庭の問題、いろいろたくさん問題あると思いますけれども、そういうところに焦点を置いていただきたいということ。今までどうかすれば家族単位で考えるということは一般に少なかったわけです、例外的だった。これは、その点は欧米の方が、例えばフランスなんかは家族法というのがございますけれども、やはり家族という点に新しい視点を置いて考えていく必要があるんじゃないだろうか。  それからもう一つは、家族の形態がどんどん変わっております。例えば老人の一人世帯、それか ら老人夫婦だけの世帯、これが猛烈にふえております。そういうことで今までの核家族ですとかあるいは同居の三代家族形態とか、こういうものが、この形態そのものがどんどん変わっているんです。ですから、これを考えにぜひ入れていかないと経済社会政策が立たないんじゃないだろうかとぐらいまで私は思っております。  人口の問題も家族というところに焦点を持っていくということが一つの私どもの目標といいますか、中をどうするか、これはぜひ先生方にお考えいただきたいなと思っております。
  49. 長田裕二

    会長長田裕二君) 以上で両参考人に対する質疑は終わりました。  黒田参考人アグネス参考人にはお忙しい中を御出席いただきましてまことにありがとうございました。ただいまお述べいただきました御意見等は今後の調査参考にさせていただきます。お二人の参考人に対しまして調査会を代表して厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)  午前の調査はこの程度にとどめ、午後一時三十分まで休憩いたします。    午後零時三十六分休憩      ─────・─────    午後一時三十四分開会
  50. 長田裕二

    会長長田裕二君) ただいまから国民生活に関する調査会を再開いたします。  休憩前に引き続き、国民生活に関する調査を議題とし、出生率動向対応について参考人から意見を聴取いたします。  まず、成城大学教授森岡清美君、中央大学教授中村方子君及び明治大学教授吉田忠雄君から意見を聴取いたします。  この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ、本調査会に御出席をいただきましてまことにありがとうございました。  本日は、出生率動向対応について忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査参考にいたしたいと存じます。  議事の進め方といたしましては、まず最初に三十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対しお答えをいただく方法で進めてまいりたいと存じます。  それでは、森岡参考人にお願いいたします。
  51. 森岡清美

    参考人(森岡清美君) 森岡でございます。  私には家族について一般的な話をするようにという御依頼をちょうだいしたのですが、出生率動向、特に昭和二十五、六年以降の低下家族生活にどんな影響をもたらしているか、出生率低下だけが要因じゃございませんけれども、ほかの諸要因と絡み合いましてどういうふうな影響を家族生活に及ぼしているかということを中心に申し上げたいと思います。私の用意いたしましたレジュメが七ページ以降にございますので、御参照いただきますれば幸いでございます。  まず、出生率低下が少子家族化と申しますか、兄弟数の少ない家族をもたらします。これが戦後のいわゆる核家族化という動向と相まちまして、家庭は社会的訓練の場という意味と愛情充足の場という意味をも持っているわけでございますが、その前者の方の意味をかなり弱めているのではないかと考えられます。  核家族化につきましては、既に先生方よく御存じでございますけれども、用意いたしました九ページにございますが、図の1をごらんいただきますと、「夫婦家族率の推移」とございますが、これは実は核家族化の推移でございまして、「一般方式」というのは、これは各省庁でおやりになっております方式でございます。それに対して私が自分の名前をつけておりますが、この方式の方がよくはないかなと思ってやっておるわけですが、これをごらんいただきましてもわかりますように、一九五五年、昭和三十年から七五年、昭和五十年までの二十年間に著しく伸びた。また、この期間でございますけれども、その隣の図6をごらんいただきますと、「平均世帯規模の推移」、これは少子家族化とすぐさま連絡をする動向でございますけれども、同じく一九五五年から七五年、昭和三十年から五十年までの間に急速に低下しておる。率で申しますと、図の1で申しますと、昭和三十年、一九五五年は六二%でございますが、昭和五十年、一九七五年は七四・二%と、この二十年間に一二・二%上昇し、また、その中央の昭和三十五年から四十五年の間に八%の上昇という空前絶後の上昇を記録いたしました。  図の6で申しますと、この小家族化でございますが、昭和三十年からの二十年間に実に一・三人の減、五・一二人から昭和五十年の三・八四人まで一・三人の減を記録しております。言いかえますと、ちょうど高度経済成長の時期に、核家族化の面におきましても小家族化の面におきましても日本家族はこういうふうな空前絶後の変化を記録したわけでございます。  さて、そういうふうな社会的な背景と家族の背景をお考えいただきまして、ただいま申しましたように、家庭の意義が、愛情充足というのは基本的な機能でございますけれども、これに純化いたしまして、しつけと申しますか、そういう点では、兄弟がない一人っ子とかせいぜい二人であるとか、また核家族化の影響といたしまして祖父母の同居がないということから世代を隔てた訓練が欠けます関係上、社会的な訓練、しつけというものが欠けるおそれが出てきたと考えられます。したがいまして、保育所等集団保育の機関を子供社会的な訓練の場としても充実する必要があるのではないか。単に保育だけではなくて、社会的な集団訓練の場としても見直す必要がありはしないかと考えます。  第二に、ただいま申しました少子家族化が所得水準また生活程度の向上、これは特に昭和四十年から五十年の間に顕著でございますけれども、そういうふうなトレンドと、また家事育児専業の母親の増加ということに支えられまして母親が子育てに手間暇をかけ過ぎる。したがいまして、過保護、過干渉というふうな傾向が顕著になったように思われます。  この件と関連をするわけでございますが、昭和二十年代ごろまでの子育てといいますのは、母親が生活のために、特に自営業を中心として苦労する、あるいは家計補助的な就労をするということに加えまして、まだ拡大家族的な家族環境にございますので、そうした人間関係の中で苦労する母親というイメージが大変強かったわけでございます。  日本人の母親の概念を研究しました人の意見によりますと、母親の概念には三つほどある。一つは、苦労する母親、また苦労の中で子育てを、子を生きがいとする母親。したがいまして、日本人は原罪に対して原恩と申しますか、母に対して原恩を感ずるというふうに言われます。第二に、母に迷惑をかけた、かけ過ぎた。それに報いることも償うこともできない。したがいまして、罪の意識の対象としての母というのがもう一つの概念だと言われます。第三に、そのような重い恩を背負った母に対しまして、母の期待に背くことはできない、背くような行動はできない。したがいまして、他面から申しますと自由を奪う母、あるいは重荷となる母、こういうニュアンスもあると言われておるわけでございます。  そのような生活のために、また家族環境の中で苦労しておる母親を見ても、なおかつ原恩を感じつつも重荷という節もございましたわけですが、今日の、子供の数が少なくなり、また生活程度が向上しまして、母親が生活のために就労する、あるいは家族関係も簡単になってその中で苦労するということが少なくなった現状におきまして、さらに進学について画一的な価値観に支えられた現在、子供をよい学校に入れるために苦労するというのが現在の母親の苦労になっているやに思われます。  言いかえますと、かつては子供を育てるにつきまして自営業とかあるいは家族関係というふうなものを媒介にして子供のために尽くした。今はス トレートに子供のために尽くすということになりますというと、かつての母につきましても重荷という点がございましたから、今日では一層子供の受け取り方が重荷としての母という嫌いも出てまいります。  簡単には申せませんけれども昭和五十五年ごろから新聞紙上注目されました家庭内暴力等の問題、学校と家庭の接点で発生しております種々の今日的問題はその辺に起源するところもありはしないか。これは少子化の大変間接的な影響でございますけれども、そういう点も考えられるわけでございます。  第二といたしまして、「出生率変化」と書いてありますが、これは「低下」の誤りでございます。  出生率低下と寿命の延びから、日本人、特に子育てに直接関与いたします女性の家族的なライフサイクルの変化、これはもう先生方よく御存じのところでございますので詳しく申す必要はございませんが、図の2を見ていただきましたらわかりますような、一九二〇年結婚コーホートとそれから一九六〇年結婚コーホートの比較をいたしておりますけれども、こういうふうな大きな図が示しますような変化。しかもこれに加えまして、拡大家族的な家族形成でなくて夫婦単位家族形成パターンが定着いたしておりますので、かつては子育てに一生を埋めたわけでございますが、女性が子育ての後に社会活動に充て得る余暇が出てきた。特に子供が少ないということがそういうことを保障しておるわけでございます。そういたしますと、子育て以外にも生きがいを持つことが必要になってきたという状況でございます。  そのような状況の中で女性が就労いたします場合に、それは自己実現のためということがございますし、あるいは子供教育費が非常に高まる時期に家計補助的な意味ということもございますが、就業をします場合に、なかんずくキャリア的な中断をしない就業をします場合に家庭内役割の再編成が必至となってまいりますが、御承知のように、そうは申しましても現実はなかなかそうはいきませんで、共働きの夫の場合と、そしてそうでない夫の場合の家事育児への参加の時間などを比較した研究もございますが、大した差はないという状況でございます。  これは夫の側の仕事の要請もございますけれども、また一面では御承知の根強い性別役割分担の意識もございますし、さらに先ほど申しましたような母親のイメージ、つまり子供に尽くす、子供のために苦労する母親というイメージが、男性と女性の間におきましては男性の側から女性の側へ投影されると申しますか、家族関係といたしましては夫婦関係に投影されまして、そこに夫の側の甘えが生ずる、大きな子供になる、そういう意識もそこにあずかって力があるかと思います。  しかしながら、母子関係自身が少しずつ変化いたしてまいりまして、コインロッカーに子供を捨てる母親あるいは救護院で措置を必要とする子供の場合に、今日では母親が蒸発しました父子家庭のケースが多くなっているというふうに報告されておりますが、そういうふうなケースがだんだん出てまいりました。そうしますと、子供のために一生を埋めない母親ということから、従来の母子関係、また母親のイメージに変化が起こりまして、そしてさまざまな問題もありますけれども、他面では子供の自立性を培うということにもなる一面もあろうかと思います。  なお第三に、中年女性、特に四十歳から五十四歳層にふえた離婚のことを十ページの図の3で御紹介しておきましたけれども、離婚は、離婚をした女性の年齢で申しまして二十五歳から三十四歳層が最も件数が多いのでございますが、昭和三十五年を一〇〇とした指数でその推移を調べてみますというと、四十歳から五十四歳層が特に伸びが大きいのでございまして、大体七倍。平均的には総数では三倍ぐらいのところを七倍。その前後の、四十歳から五十四歳の前後、三十五歳から三十九歳、五十五歳から五十九歳というのが六倍ぐらいということで中年女性に離婚がふえておるというふうな状況でございます。  これは、パートタイムを含めて就業する既婚女子がふえ、経済的に若干自立への手がかりが与えられるということに加えまして、人生、子育ての後余命が二十年くらいもあるということになりますと、子供の将来について何ほどか目安がついてまいりますというと自分の結婚について考え直すということにもなるわけでございます。  かつて昭和三十年ごろ、石川達三氏の「四十八歳の抵抗」という小説が読売新聞に連載されまして相当な人気でございましたが、四十八歳の抵抗は今日ではもう男子にとりまして全く死語でございます。全く実感のない言葉でございますが、言いかえますと、今日女性は四十八歳の再出発をしようとしているのではないかというふうな感じがするわけでございます。  第三に、少子家族化が今後の問題といたしまして親老後の問題ということになるわけでございます。  御承知のように、夫婦単位家族形成、世帯形成というパターンに加えまして、親子同居率が低下した。図の4にもございますけれども、特に問題となります老親介護、これは多く女性が担当してまいりましたけれども、同居でないとなかなかこれはできないという状況でございます。そうしますと、従来日本の同居型扶養、これは図の5に少し挙げておきましたわけでございますが、同居のべネフィットと申しますか、同居が老親扶養のために大変都合のいい居住形態であるということから、特に逆機能面、プライバシーの侵害等々について余り意識が高くない状況におきましては同居型扶養が大変好まれてきたわけでありますし、また現在もこれが主流でございますが、あわせて、子供が少ない状況の中では近居型扶養と申しますか、比較的近くに住んで親を扶養する、世話をする、そういう形態が少しずつ出てきておるように思いますけれども、これは一層今後助長されなければなるまいかと思います。  親老後の問題といたしましては、自営業世帯における少子家族化がもたらす問題として後継者難、特に農家継承の困難性というのは言うまでもないところでございます。  最後に、家族の現代的な変化と残された機能ということで、出生率低下の問題とは少し離れますけれども、一般的なレビューをしてみたいと思います。  そこで、申し上げたい一点は、戦後日本家族は二段の変化をしたのではないかと考えられるところでございます。  第一段は、比較的人数の多い、また比較的構成の複雑な家族形態、拡大家族等と申しますけれども、そういうものから小核家族化と申しますか、少子核家族へというふうな動向でございまして、これは先ほど図の1並びに図の6でごらんいただいたところでございますが、昭和四十年代までこういう動向が顕著でございました。人数が少なくなりますと、家族の外からさまざまなダメージといいますか、あるいは要請がありましたときに、それをプールして家族の中でうまく消化して対応していく、いわばリスクプーリング・ファンクションというものを持っているわけでございますが、人数が多いと、この力、この機能は大きい。しかしながら、人数が少ないと、分散しようにも分散のしようがございませんので低いということになるわけでございます。これが第一段でございます。  しかしながら、この家族が小さくなりましても、なおいわゆるマイホーム主義的に一応集団的な結束がございましたわけですが、ところが、その次の今日的な変化は、マイホーム主義的な結合からいわば個別化した夫婦、親子の同居集団というふうな状況に少しずつ傾いていやしないかと考えられます。貧しければ少ない数でも家族が団結をして助け合って一体となって頑張るわけでございますが、こう豊かになりますと、それぞれが個別的な関心を追求することができるというところから、個別化という状況が今日かなり顕著ではないかと思います。  夫婦は二人三脚と結婚式でよく申しますけれど も、今の夫婦は二人四脚であるかもしれません。それからまた子供になりますと、少ない人数の子供でありますのに、なおかつ個室、しかもテレビつき、ファミコンつきということになりますと一層寄り合い世帯ということになります。個室に加えまして個食と申しますか、食事時間が食い違います関係上、それぞれ別々に食べるということも少なくございません。夕食ぐらいは一緒ということもどのくらい行われておりますか、個食という傾向がかなり顕著のように考えられます。  しかしながら、家族には依然として家族でなければ担当できない機能がございまして、それは子を産み育てる。しかし、産み育てると申しましても、その出生率をどうするか、低下した状況にどう対応するかということがこの調査会の重大な課題と伺っておりますけれども、ともかく子供は、出生率と申しましても、宙ではなくて家族の中で生起する問題でございます。もう一つは、成人に情緒的な安定を与えるということが、これが基本的な家族固有の機能かと考えますけれども、先ほど申しましたように、今日のような個別化した家族関係におきましては、相当この点でもぐらつきがありはしないかと考えられます。  そこで、家族機能を補強するものといたしまして、案外だんだんと友人関係というものが以前に比べましては重要になっておりますが、もちろんこの近親のネットワークをしっかりとするということが重要でございまして、「異居近親」と書きましたけれども、これは大体子供の時代に同じ核家族のメンバーであったという、親子、兄弟という、それが成人後も引き続いて極めて密接な関係を継続するということでございますが、それは正月とかあるいは休暇、以前は家族家族ぐるみで働いた。今日は家族ぐるみで余暇を利用する、休暇を利用するということもぼつぼつ行われておるようでございます。それから、この調査会課題とは少し違いますけれども、案外法事というものが励行されておるわけでございますが、これまた自己確認の機会を提供するという意味もございまして、異居近親のネットワークを守る力を持っておるように思います。そうした異居近親のネットワークが一つの大きな支えになりはしないか。  それからもう一つは、社会的な公助の制度とネットワークでございますが、これは特に親老後の問題のところでさまざま今日少子、子供の数が少ない、したがって一組の夫婦が二組の親を抱えなければいけないというふうな状況も実際の問題となっております今日におきまして、社会的な公助の制度とネットワークということが大変重要でございます。  少し急ぎましたので大分省きましたけれども、一応このくらいで最初の私の御報告はおしまいにさせていただきたいと思います。ありがとうございました。
  52. 長田裕二

    会長長田裕二君) 有意義なお話をありがとうございました。  次に、中村参考人にお願いいたします。
  53. 中村方子

    参考人(中村方子君) 中村でございます。  そのレジュメに書いてございますように、私はただいま中央大学におきまして経済学部におきまして生命科学という講義を担当いたしております。生命科学というのは大変聞きなれないというような方もございますけれども、科学技術庁の定義あるいは朝日新聞による定義等もございますけれども、私はここには日本学術会議第六十六回総会の定義を参考に書きました。「生命科学は、一人の人間生命をまっとうし、将来にわたって人類が存続することを強く志向する総合科学である」、このような立場から中央大学で講義を行っております。  ですけれども、私の専門といたしますところは動物生態学でございます。それで、もうちょっと前置きをいたしますと、私は新制大学の第一回卒業生で、社会に出ましてからはある公立大学の理学部で二十六年間助手をいたしまして、それから今の中央大学経済学部に移りまして九年たった、こういう状態でございます。一人の子供の母親として生きてまいりました。そんな立場から、ここで書いてございますように、人口問題に関しまして一人の母親である婦人の立場からと、それから勤労者であり研究者である女性の立場から、この両方から発言をさせていただきたいと思います。  それで、参議院からいただきました資料、昨年十二月十日の河野参考人のお話の中にございますけれども、戦後十年の間に日本におきまして非常に出生率が下がったということがございます。昭和二十二年千人に対して出生数は三十四・三人であったものが、昭和三十年には半減いたしまして千人に対して十七・二人、そしていろいろございますけれども昭和六十一年になりまして千人に対して十一・四人の出生数である、こういうお話がございました。  そのような参議院のこの調査会における皆さんのいろいろな勉強ぶりを御一緒に勉強したつもりで拝見いたしておりますと、私のかつての生きてきた状態と非常に重なるわけでございます。それがこの一番目のところに書きました「平和な社会を望みます。」ということなんです。  それで、戦後一時ベビーブームというのがございました。けれどもそのときに子供出生した方々というのは、旧来の日本の家長制のもとにおいて男性の意思によって主として出生が、子供が生まれるということが決められていた、そういう尾を引いた方々が戦後一時たくさんの子供を産まれたと思います。そしてその後、平和憲法のもとにおきまして女性も産むことに関しての意思決定ができるようになったとき、女性は平和な世の中でなければ母親になりたくない、こういうことを望んだと思います。私も当然そうでございました。  実は、きょう来ながら毎日新聞の「女の気持ち」というのを読んでまいりました。女性公務員の方でございますけれども、出産休暇が来るのを待ち望んでいる状態のところで非常に重症の妊娠中毒症にかかりまして未熟児を産みました。けれども母親も子供も命を取りとめまして、それについて大変感謝の意思を投書したものでございました。  今のように科学が進んだ時代におきましても、職業を持って社会参加している女性が日本の非常に短い産休、それを待ち望みながら出産するということは大変命がけの状態でございます。でもそれを覚悟して母性を持った女性であれば母親になりたいと思います。そして大変命がけで子供を産むとき、その子供が、自分がかつて戦火をくぐってやっと生き延びたような、あるいは餓死寸前の生活を経て大人になったような、そのような戦禍のもとに置かれる状態に自分の苦労して産んだ子供が置かれるならば、恐らく自分の意思で出産を決められる女性は母親になることを拒否するわけでございます。ですから、女性が子供を産むときは大変社会が平和であることを望むわけでございます。  私は一児の母となりました。この子が将来にわたってその生命を全うできるような平和な世の中が続いてほしい、そのような世の中をずっと私たちは守り続ける義務があるのではないか、母親になったときからさらに強くそのようなことを望んだわけでございます。  二番目の問題として挙げましたのは、健康に関する問題でございます。  ここに挙げましたけれども昭和五十三年、五十四年、五十五年、五十六年度におきます東京都立病産院における先天異常モニタリングを見ますと、千人のうち死産児は十四・四二人、先天異常者数は七十二・七二人、出生、死産しないで生まれた人の大体七・四%の人は先天異常でございます。非常に多数の人々が東京都におきまして先天異常の状態で生まれております。これは枯れ葉剤の問題で非常に問題になったベトナム等における先天異常の出現率よりもずっと高い状態において東京都においては先天異常児が生まれている。そのような化学汚染や何かが進んでいるのが私たちをめぐる情勢でございます。  私は生命科学を講義いたしておりまして、例えば残留農薬の問題と奇型猿の状態、これの問題について話すと同時にビデオテープを見せたりいたしまして残留農薬の危険性等について講義をいた しますと、学生が、譲義を聞いたから自分たちはそのようなことに対して大変関心を持てるけれども、そうでなく出産する人たちは一体どんなことに注意をしたらいいんだろうと言ってきます。  ともあれ、ここ私たちの身近においてどんどん進行している生命に関するこのような危機、この問題を私たちは改善することなしに子供を産むことは大変気になっている問題でございます。私は大分前に子供を産みましたので、この事情よりは随分ましだったと思いますけれども、私たちをめぐる情勢、これは随分ひどいものがございます。  ここに挙げましたけれども、淡路島におきます先天異常の猿、これは輸入小麦でえづけいたしました場合に、非常にひどい場合に二三・二%も手足に先天異常のある猿が生まれました。そしてそのような死んだ猿を集めまして獣医大学の和先生が分析なさったものが「続奇型ザルは警告する」というテレビで放映されました。それを見ましたところ、手足に異常のない猿の肝臓にへプタクロールという農薬が〇・六七ppm見られるのでございますけれども、手足に異常のある猿には四・九六ppm、解毒作用を持っているところの器官である肝臓に約七倍のへプタクロールが蓄積しているということがわかりました。このような残留農薬によって恐らく、よってと言うとまずいです。そうような残留農薬が割合奇型と関連があるのではないかということを懸念させるようなデータがテレビの中では映し出されておりました。  ともあれ、先天異常を持って生まれた七・数%の人々、その人々は一体何の要因によってそのようなことが起こっているのか、そういうことを知るすべもなく、私たちの身の回りに非常に多くの危険が今起こっているということがありますと母親はなかなか出産することをためらいがちでございます。  さらに、その(2)の下のところに書きましたお米の問題でございますけれども、米を輸入しろというようなさまざまな圧力がございます。サイエンティフィック・アメリカンというアメリカにおける科学雑誌の一九八二年のものに示されたところによりますと、カリフォルニアの水田におきましては、日本では大変危険な農薬として一九七二年以来製造も使用も禁止されているところのパラチオンが一万二千トンまかれまして、そしてそれがお米に〇・一ppm、残留許容ということでございます。そのような制度が許されているお米、そういうものだということを明らかにすることなく、安いとかうまいとか、あるいは貿易摩擦解消とかいうことでこのような危険な米をさらに食べ続けるような状況がもし起こるなら、私たちはもっと次世代あるいは未来に向かって危険な状態を残すと思います。  ともあれ、自分の命をかけて次世代を出生する母親は非常に健康な子供出生を望むわけでございます。危険が非常に懸念されるとき、安心して出生することはできません。政治においてそのようなことの配慮を望む次第でございます。  三番目と四番目に書きました問題は、女性という一つの性に対する社会認識の問題でございます。  きょうの毎日新聞の社説には「女性排除の論理は立たない」というものがございました。これは我が国の首相の先ごろの発言、及びあるトンネルへの女性記者及びカメラ撮影者の立ち入りを拒んだ問題に関することを取り上げたものでございました。戦後の憲法が決められまして、そして両性の平等がうたわれてから四十二年以上もたった今、なおかつ日本には非常に強い性差別の状況が残っているわけでございます。そのようなところで女性は自分と同じような差別をされる女性をもし産んだら社会が改善されない限り同じような苦しみを味わうのではないか。こういうことで、非常に罪の意識と申しますか、喜んで次世代を産むことはできない状態がございます。  もう一つ、(4)のところに「新国際経済秩序の確立と尊重」と書きましたのは、これはやはり性の問題とかかわるわけでございますけれども、毎日のようにたくさんの女性が貧しい国から日本に参ります。そして、あからさまでなくてもその方たちは性を経済的なものにかえなければならない状態に置かれております。同じ性に属する者たちが日本の国内においてそのような状態に置かれているとき、すなわち自分の同性が平等の状態に置かれないときに、女性はそのような社会において産む性であることを非常に疎ましく思います。貧しい国であればその貧しい国に対して、国連で採択いたし、そして実行されているはずの新国際経済秩序の尊重を行うことによって、そういう貧しい国の人々がそのような貧しさゆえに性というものを売り物にしないで済む状況をつくり上げていくことが、日本の中においてもっと女性と男性の平等を確立する、そして自主的に次世代を産んでいくことを可能にする状態をつくると思います。  その次の(5)と(6)のところの問題、これはやはり日本社会においてなお根強く残っておりますところの、先ほど森岡先生の方からお話しございましたような社会制度としての女性に対するさまざまな、何といいましょうか、しわ寄せ、老人介護の問題あるいはさまざまな地域における問題等を、それは女性の役割であるというような形におきましてしわ寄せしていく。そういうところで、例えば子供が学校へ参りますと、子供がかわいくないんですかというような一つ子供を人質にとったような状態の中でどんどん雑用がしわ寄せされていく。それは父親ではなくて母親にかかっていく。そうなりますと、母親は一人子供がいれば仕事を続ける上にはそのような仕事はもうとても手いっぱいだ。まして老人介護の問題までも女性に全部かかってくるのでは、とてももっと子供を育てることはできない、こういう状態が起こってまいります。ここで「アンペイドワークの社会的評価」と書きました。  それからもう一つ、私は日野市の婦人問題懇談会の委員として女性問題についての提言をまとめて提出したわけでございますけれども、その中では、高齢者でも十分社会参加の力を持った方、あるいはもうちょっと別な方々も含めてでございますけれども、そのような方の参加によって女性がもっと子供を育てながら、仕事をしながら伸び伸びみんな生きていけるようにということでボランタリー・アソシエーション・システムというものの提言も行いました。  ともあれ、この(5)と(6)は一つ日本社会のあり方に対する提言、その問題を説明いたしてございます。  私がきょう最も力を入れて話したかったのは(7)と(8)の問題でございます。(7)のところには、「大学及び研究機関における女性の就職・昇進にかんする平等を確保・推進する事と現状に関する国による調査の実施と分析・対策を示す事を望みます」。八番目には、「大学教員の産前産後休暇中の代替員を確保できるよう対策を講ずるように望みます」。この二つの問題をここに書きました。これは私の一つの職業的経験、生きてきた時間の半分以上を大学の教員として過ごしてきたわけでございますけれども、その中で強く女性の出産の問題とかかわって感じてきた問題をここに挙げました。  それは科学研究費プロジェクト総合研究Aというので、昭和五十七年、五十八年、五十九年度の報告にも大分まとめてございまして、そのデータをそこに挙げてございます。女性が男性と同じようにその能力を研究生活という形で社会に還元していきたいと思いますときに、まず修業を終えまして、そしてその次の状態としては就職できないと特に自然科学系においては研究を続けることができません。けれども日本社会におきましては、女性が研究者として就業できるチャンスというのが非常に少ないわけでございます。大学教育までは要するに試験に受かれば女性でも入れます。けれども卒業した人たちの就業のチャンスというのは非常に狭められております。  それは例えば司法研修所の教官の発言、一九七七年、大分問題になりましたけれども、僕は勉強する女性は嫌いだ、司法研修所の研修が終わったら早く家庭に入っていい奥さんになれということ を非常に正直におっしゃった方がございますけれども。いろいろ問題になりますと余り今度は正直におっしゃる方が少なくなりながら、やはりそういう方というのは非常に多うございまして、そして大学の人事等を決定する方たちも勉強する女性、研究する女性は嫌いだなんというようなことでなかなか就業の機会を女性に対して開かないわけでございます。  東京都の婦人問題解決のための実施細目、昭和六十二年度のデータがございますけれども、東京都におきましてはこのような問題について積極的に改善をするということで実施細目を挙げておりますけれども、それを見ましても、女性の教員の割合は、六十一年度が八・九%だったものが六十二年度になってやっと一〇・四%。その中で助手が一番多いわけですけれども、そういう状態で今でも男性に対して保障するというか、努力を約束した東京都、これは国公立の機関で私が知っている初めてのところでございますけれども、そこにおいてやっと女性の研究者の採用は一〇・四%でございます。  研究者になろうと思った人が就職できませんと例えば北海道の公募に応じる、あるいは九州、沖縄の公募に応じる。東京にいましてもいろいろなところの公募に応じてどこに採用されるかわからないような、もちろん夫婦が別れて生活しなければなりません。そういう状態においてなかなか母親になるということはできない。これが研究者女性の置かれた状態でございます。ということで、このところでは女性がもっとその能力を発揮できるような就業、昇進のチャンスを保障できなければ女性は安心して母親になれないんだということを書きました。  もう一つは、出産に際しての研究者女性の置かれた状態でございます。もう時間が余りございませんので細かくはお話しできないかと思いますけれども、科学研究費によりまして調査いたしましたところで、Qの4のiというデータがお手元に示されております。十四ページの一番上でございますけれども、ここには研究におきましてアンケート調査を行いました場合の研究者女性の産前休暇、産後休暇の規定と実際、そして規定がない職場でどうなっているかということがございます。  細かくは触れませんけれども、例えば産前休暇が一週から五週という規定のところが回答した人の一一・九%ございます。二十五名でございまして一一・九%ですけれども、実際一週から五週しか産前休暇をとらなかった人は回答したうちの百三名、回答者のうちの五〇・二%の人は一週から五週の産前休暇しかとっておりません。労働基準法におきまして産前休暇は六週間が保障されております。産後休暇を見ますと、規定が一週間から五週のところが回答者のうちの一一%、二十三名で一一%でございまして、実際一週から五週とった人は四十四名、回答した人のうちの二〇・一%が労働基準法を下回って一週から五週までの産後休暇をとっております。労働基準法におきまして、このように産後休暇を縮小するときには、医師がそのようなことがよろしいと認めた職務において本人が申し出た場合に就業を許すということでございますけれども、実際研究機関における女性は喜んで産前産後の休暇を縮小しているわけではございません。  その問題は、その後Qの4のiiというところ、産休中の仕事の処理の問題あるいはその他の問題のところにもいろいろ出ているわけでございますけれども、そうせざるを得ない、そうしなければ職業を続けられないという状態の中で研究者である女性たちは産前産後の休暇を縮小いたしております。そして、Qの4のiiiというところに挙げましたけれども、妊娠・出産異常、これは重症のつわり、妊娠中毒症、切迫流産、早産、いろいろございますけれども、百四十六名が複数回答、二百十五回答いたしました。全回答申中子供のある者が三百三十名でございまして、出産異常は百四十六名、四四・二%の研究者である女性は出産異常という形で子供を産んでおります。  そのまとめのところに書きましたけれども、研究者である女性は平均して出産数は〇・七八人でございます。二千名の研究者女性に無作為的に調査をいたしましたところ七百十二名の女性からの回答があったわけでございますけれども、無配偶者が三百二十五名、四五・六%でございます。結婚することをあきらめなければ研究者として残っていけないというその圧力が非常に強うございまして、四五・六%は無配偶者。男性の場合には八・五%でございます。そのような状態の中で有配偶者の女性が子供を産んだ場合の女性の平均出産数は〇・七八人。そして千名の男性のアンケートのうち四百四十七名の回答がございましたけれども、その回答者中男性の平均子供数は一・四一人。大体女性に対して二倍近い状態でございます、それでも少ないわけですけれども。  私も一人の子供の母となりましたけれども、たまたまキュリー夫人にあこがれまして、ノーベル賞をもらうような研究をしながら二人の母として立派に母親の役割を果たし、そのお嬢さんもまたノーベル賞を受けるような立派な科学者になられた。できるならその足元にでも及びたい、これが科学者になった理由でございますけれども子供を産んでみて、もう一人子供を産んだら私は死んでしまうというような、初めての経験だからしゃにむに過ごしてしまいましたけれども、もちろん異常出産でございましたし、子供は初めての誕生日までに四回も四十度を超す熱を出しました。よく生き延びてくれたと思いますけれども日本の女性研究者に対する状況というのは実にひどいものがございます。  この十三ページの下に書きましたけれども、女子教職員の出産に際しての補助教育職員の確保に関する法律というのがございまして、かつて日本におきまして小学校の先生たちも非常に大変な状態で出産いたしておりましたけれども昭和三十年にこの法律ができ、その後何回かの改正を経まして、今大学教員以外の女性教員は前よりは大分異常出産やなんかも減りまして健康な状況にございます。けれども研究機関及び大学における女性教員はそのような法律の改正を望んでも改正は行われず、異常出産をしなければ母親にもなれないような危険な状態があるわけでございます。そのような状態の改善を非常に望むわけでございます。  もうちょっとだけお話ししたいのですけれども、私は先ほど申し上げましたように動物生態学というのが専門でございます。それで、生態学の立場といたしまして一九六七年から五年ほど、この地球全体に一体どれだけの人口を養える生物生産力があるか、そのことを研究しようという世界的な科学者の連帯の中で、インターナショナル・バイオロジカル・プログラム、IBPと申しておりますけれども、そのような研究に携わりましていろいろ研究いたしました。そのIBPの研究調査の結果といたしますと、地球上には大体三百五十億人から四百五十億人の人口を養う生物生産力があるということがわかりました。ですけれども、これはこの前河野参考人の話にございましたように国境というものがなければの問題で、分配というものにアンバランスがなければそれだけの人間を養える状態がございます。  ところが、今私どもの国家、日本人口について見ますと、大体地球上に三百五十億人の人々が住んだときと同じような密度で日本人口はこの日本国土に住んでいるわけでございます。アメリカにおきましてジョージア大学の生態学の教授、オダム博士が試算を行いましたところ、人間が快適な生活を行うためには一人につき二ヘクタールの広さが必要であるということを述べております。アメリカの国土人口の割合はそのときで二倍に達するまではその状況が保てるというのがその状態でございました。日本においてはこの地球が養える人口密度と同じ状態を達成しているのが現状でございます。ですから、これから日本において人口がもっとふえるのが望ましいかどうかということになりますと、私は生態学者の立場といたしますと大分ちゅうちょいたすわけでござ います。  ただ、今回のこの調査会の企画は大変すばらしいと思いましたのは、今まで日本におきまして一体国民にどのような人口政策があって、そしてその人口政策のもとにどのような国民の生活が営まれるのかというそのコンセンサスがなかったわけでございます。もし日本人口が一億二千万でとまるならばこういう国民生活が可能であろう。あるいは一億四千万において静止人口になるならばこうである。そのために人口増加率はどうであるか、あるいは生活の質はどうであるか、そういう状況の提示とコンセンサスの成立というのは今までなかったわけでございますけれども、本調査会において多分そのようなことを今後心がけていかれるであろうことを期待いたしまして、大変この調査会はすばらしいことと思います。  そのように私ども国土において人口が今もう相当十分に多いということが思われるということをお話しいたしましたけれども、でも、私たちはこの国の主権者である国民として、制度の悪さゆえに命がけであるから子供を産めないのではなくて、やはり子供を産むならば自分の意思で、そして子供を産むことを大変幸福なこととして産める状況をつくっていってほしいと思います。妊娠中毒症で命を落とすかもしれないということを気にしながら、職業を持つならその覚悟で母親にならなければならないような情勢、これは私はぜひとも改めなければならない政治の状況であると思います。  以上をもちまして発言を終わります。
  54. 長田裕二

    会長長田裕二君) 有意義なお話をありがとうございました。  それでは次に、吉田参考人にお願いいたします。
  55. 吉田忠雄

    参考人(吉田忠雄君) 私、人口論の講座を三十年間持ってまいりまして、日本出生率動向にも深い関心を持ってまいりました。そしていろいろな著作その他を通じまして日本出生率はやや低目ではないかという問題提起をしてまいりました。  きょうこちらへ参りまして、特に高齢化との関連に力点を置いてというふうな依頼を受けまして、そうした出生率動向関係のある高齢化を中心にしながら申し上げたいと思うのでありますが、しかしその基本となるものもやはり申し上げたいと思いまして、高齢化の方に重点を置き、一般論を簡潔に申し上げたい、こう思うのであります。  高齢化、今日の日本で大変流行になっておりますが、高齢化出生率の激減が主因であります。戦前日本では産めよふやせよという人口増加政策をとり、そして第二次大戦後、今度は産まないことを美徳とするような雰囲気の中で出生率に急ブレーキがかけられ急転換したのであります。その後遺症が間もなく高齢化問題となってあらわれるということであります。  ただ、過去日本経済の高度成長を見ますと、年とった方は少なく、若い方も少なくしか産んでいない、結果として生産年齢人口が極めて多いために高度成長をしたということであります。その人口構造が変わりましたならば高度成長の有力な要因一つは欠けてくるということが予想できるのであります。したがって、人口政策は長期的な見通し、少なくとも五十年から百年の先を考えて慎重に練っていかなければならないと思ます。にもかかわらず、第二次大戦後の日本人口転換は私は成功であったと思います。比較的高い出生率・高い死亡から、今日、低出生・低死亡人口転換をなし遂げた。これはほぼ成功し、国際的にも高い評価を得ていると思うのであります。ただ、急ブレーキで人口転換をなし遂げましたわけで、その結果として特に経済社会の点でいろいろな問題を引き起こすであろうということが予想されるのであります。  ただ、現在程度の高齢化ではまだ先進国の例がございますけれども、やがてその先進諸国を追い越し、六十五歳以上を仮に高齢者と名づけるといたしますと、六十五歳以上の人口の比率が二〇%を超えるような状況は人類の初体験でありまして、いろいろ予想はされますが、大変な事態になるだろうということが想像できるのであります。労働力の不足、あるいは消費構造の変化、あるいは医療に対する需要が非常に高まるということ、あるいは高齢者の再婚問題、こうした社会的あるいは経済的な激動が予想されるのであります。  国際的にほぼ人口動向出生動向について一致した意見が認められているのは静止人口にしようということであります。これは主としてふえ過ぎた人口に対して静止人口にしようという政策提言がなされ、ほぼ意見の一致を見たのでありますが、一部の国々では、静止人口現状を固定するものである、貧富の差をそのまま固定するものだという反対論もございます。私は静止人口の見方を日本も受けとめるべきであろうと考えております。  諸外国の例を見ますと、この静止人口の見方に対して異論のあるような政策を進めてきた国、私四つほど例を挙げたいと思うのであります。  まず第一に、ソ連はロシア人、ロシア民族の出生減退、それから非ロシア人の出生増加に悩みまして、ソ連がイスラム化されるというふうな懸念も抱いている、こう推測しているのでありますが、今日のソ連では、ロシア人に赤ちゃんを産んでもらい、非ロシア人の出生をコントロールすることから、児童手当を二人もしくは三人まで出し、ロシア人に二人もしくは三人までできる限り産んでもらうようにし、非ロシア人の出生をコントロールすることを検討中であります。  フランスでは、十九世紀から対独感情を高めてまいりまして、出産奨励策を進めてまいりました。我が国の諸政策と比べて注目すべきものは、主婦専業手当とでも名づけるものを行っていることでありまして、今日もこれを政策としてとっております。これは出生率上昇政策のねらいであります。  中国では、御承知のとおり一人っ子政策をとってまいりましたが、ごく最近出生に対して急ブレーキをかけましたために高齢化も予想されるという声が出、一人っ子政策を若干緩めております。  スウェーデンでは、私は人口政策として最も慎重かつ成功した国だと考えておりますけれども、一九三四年、ミュルダール夫妻が人口減退、出生率の減退に警告を発しました。出生率が減退のまま推移していったならばスウェーデンのデモクラシーは危機に直面する、こう警告を発したのであります。この一九三四年のスウェーデンの純再生産率は今日の日本の純再生産率にほぼ該当いたします。そして、このミュルダールの警告がもとになりましてスウェーデンで人口委員会が設けられ、一九三七年の母子国会と呼ばれる国会によって、安心して赤ちゃんを産めるような政策、これが福祉政策のきっかけになり、今日見られるような福祉政策を進めていったのは出生率の下落に対する警告が出発点になっていたということであります。  さて、そうした中で出産と家庭の問題でありますが、私は家庭というものについて三つの原則を唱えてまいりました。家庭は自由である、プライバシーの殿堂であると思います。二番目は、家庭は社会と調和する。第三番目は、家庭は子供に未来を与えるという考え方であります。  このことを前提にいたしまして出産ということを考えますと、産まない自由と産む自由を確保することが望ましいと考えます。  まず、産まない自由ということを確保するために家族計画の普及と教育、これは不可欠のことであり、社会全体としてももっともっと家族計画の知識の普及が望まれるものであります。特に中学生、高校生、これらについて家族計画の教育があってよいと思います。特に性教育についていろいろな問題が提起されておりますけれども家族計画の普及を望むものであります。  ただ、この産まない自由といっても、社会全体が余りにも低過ぎる出生の場合に産まない自由があるのかどうか、このぎりぎりの段階での問題提起もなされてよいと思うのであります。私は、日本人が自分の家族のことを考えて低出生でも構わないという決断を下した場合には産まない自由を認めるべきだと考えております。ただ、そこへ至 るまで、この低出生社会全体の危機を招くという教育をやった上での選択であってほしいと思うものであります。産まない自由をまず確保する。同時にまた産む自由も確保する。産みたくとも産めない現実を考えて、その産みたくとも産めない現実の阻害要因政策的に一つ一つ取り除いていくことであります。  現代の日本人でなぜ出生率が低いかの三つの大きな要因として考えられるのは、住宅事情と子供教育と自分の老後のことであろうと思うのであります。  お手元の十六ページに日本の再生産の指標を表にしてまとめたものがございます。  注目すべきものは、この(3)の「純再生産率」というところでありまして、一ならば静止人口が維持され、そして一以下ならばマイナス、一以上ならばふえていくという指標であります。我が国の場合には、この表によりますと、昭和三十年過ぎから一を割り、そしてやがて回復し、やがて〇・九台になり、今日の〇・八台の水準に来ているのであります。  この純再生産率が日本で一体どうなるだろうかということを私は私の研究室でいろいろ推計をやってみましたが、結論から申しますと、どうも一定の法則性は出ません。よくわからないというのが結論であります。ただ、一前後あるいは一を少し下回る、私はこれは静止人口による静止社会で健全な社会だと思いますけれども、〇・九を割り〇・八、さらに落ち込んでいく傾向なしとはしないと考えると問題があるのではなかろうかと思うのであります。  次のページに諸外国の純再生産率をまとめてみたのであります。  表3、下の方でありますけれども日本は右側の方で、日本よりもまだ低い国がカナダ、オーストリアあるいはノルウェー、スイス、オランダ、デンマーク、西ドイツとあります。西ドイツでは〇・六八という数字で、大変深刻な問題を抱えているのであります。こうした中で日本のこの純再生産率の低い状況を高めるかどうか、これが本調査会でも大変重要な課題になっていると思うのであります。  私は、この純再生産率を高める、あるいは人口増加政策をとるということについては反対であります。大変な問題を醸し出すということを主張し、そして各家庭で自発的にどうするかを決めることが大事でありまして、国の政策としてとることには反対であります。  ただ、このような危機的な状況について、第二次世界大戦後の日本社会ではほとんど警告はなされていなかったということであります。ただ一度だけ、昭和四十四年八月、人口問題審議会の中間答申で次のような警告がなされております。少々長くなりますが、重要なポイントでありますので読み上げたいと思います。   近来、死亡率の改善はいちじるしいが、出生力の減退がはなはだしく、純再生産率は一を割って縮小再生産のポテンシャルがすでに最近一〇年以上も持続している。もしも、今後、このような状態が持続するとすれば、近い将来において、生産年齢人口の増加はさらに急速に収縮し、ひいては、労働力人口の増加も加速度的に縮小するものと見られる。そこで、出生力の回復を図り、できる限り速やかに、純再生産率を一に回復させることを目途とし、出生力の減退に参与しているとみられる経済的および社会要因に対して、適切な経済開発と均衡のとれた社会開発が強力に実施されることが強く要望される。  このような答申がなされたのでありますが、その後このような考え方は全く消えていってしまったのであります。そして特に昭和五十年前後以降、我が国の国内でいろいろ提起されまして、子供は二人までという考え方が普及して定着していったのであります。このことは、アメリカの将来委員会が、二児制と三児制とを比較し、二児制が望ましいということを発表いたしました。  私は、アメリカの将来委員会のこの報告に対して賛意を表するものでありますが、それは平均して二人ということであります。ところが、二人までということと平均して二人ということとは内容が異なってくるのであります。こうして我が国では子供は二人までということで、出産できない家庭もあり出産を望まない家庭もある、こういうことから我が国の純再生産率はかなり低い水準にいったということであります。にもかかわらず私は、プライバシーを優先し、そしていろいろな諸対策はその対応として出すべきである、人口を基本として対応はその後だという考え方をとるものであります。  ただ、そうした中で家庭づくりもいろいろ変化をしてまいりました。例えば非婚時代というふうなことが言われるように結婚形態が変わり男女の役割も変化し、妊娠、出産、育児に対する社会的評価をもっと高めねばならない時代に入っていると思うのであります。  こうした中で、高齢化対策としてまず必要なことは人口教育ということであります。  我が国の大学人口論の講座があるのは、私はせいぜい十そこそこであろうと思うのであります。私も幸い三十年くらい前から講座を担当しておりますけれども、国立大学で私の知る限り二つくらいではないかと思うのであります。ほか私立大学で十大学あるかどうか、人口教育はしたがって我が国ではほとんどないに等しいような状況であり、まして高校、中学では人口問題の教育は本当にわずかな時間が割かれているにすぎないのであります。例えばアメリカの場合にはほとんどの大学人口論の講座が置かれておりますし、一つ大学で複数の講座も置かれており、人口の実情を国民全体が認識するということからスタートしているのであります。  このように、まず人口教育を始め、そしてその結果、プライバシーを中心にしながら結果として産みたい人に産めるような社会的な諸条件を整備していく、このことを望むものであります。  出生率の低減によって高齢化が起こってまいりました。今後ますます激しくなっていくわけでありますが、この出生力の回復のために、私は三つの主な点、まず赤ちゃんを産めるような住宅条件、赤ちゃんを安心して産めるような教育費のかからないような教育制度、それから子供に頼らなくとも生きられるような老後政策、これ以外にもいろいろありますが、私は主としてこの三つの対策をまず講ずることが必要であろうと思うのであります。  住宅については、多世帯、三世代が同居できるような住宅に対して税対策でいろいろ考慮する、あるいは高齢者は高齢者だけで住みたいと思うときに住める高齢者住宅を整備していく、このような住宅政策を進めていくことであります。  子供教育費がかかり過ぎるので子供を産めないという、これも現実に起こっていることであります。私は、教育ローンを大々的に進めていくことを期待するのであります。高校までは親が負担をする、そして大学につきましては本人が授業料、生活費その他について負担するというふうな制度的な改革が出生率に初めて回復の条件を与えていくものと思います。  第三の老後については、高齢化社会を考えますと、まず雇用が第一であります。定年の延長が最も望まれるのであります。子供と同居することを望む、子供の世話になるという親もおりますが、子供とは別に独立して暮らしたい、そして老後の生活が安定しているならば赤ちゃんを産みたいし、産もうというふうな結果をもたらすと思うのであります。その意味で、高齢化対策としてまず定年延長でありますが、速やかに六十歳の定年を実現し、そして高齢化が本格化する二十年ないし三十年以内に定年を六十七ないし七十歳くらいまで延ばすことであります。特に、今日の時点で国連では高齢者ということを六十五歳以上というふうに考えておりますが、私は、今日の日本であるいは高齢化が本格化する、このことを考えますと、六十五歳というのは決して高齢者ではないと。もし高齢者と言うならば七十歳あるいは七十五歳以 上を高齢者と考える時代に移り変わっていくものと考えております。  この定年延長をまず図り、第二に年金であります。我が国では定年と年金支給との年齢に間隔がありますけれども、これをドッキングさせ、そしてフレキシブルなものによって年金負担を軽減し、同時に働ける間は働いて、年金をもらわなかった時期が多ければプラスアルファされるような年金制度の改正が望ましいと思うのであります。  第三に医療でありまして、特に年を加えるごとに病気は多くなってまいります。我が国の高齢者医療を考えてみますと、通院する回数が諸外国の約二倍、入院日数が諸外国の二倍ないし三倍くらいになっているのであります。これを回復するためには在宅ケアを重視する、あるいは高齢者につきましても、六十五歳以上を高齢者というふうなことを考えていく場合には、六十五歳から七十五歳を前期高齢者と考え、七十五歳以上と別な扱いをし、前期高齢者に元気な場合には働いていただくようないろいろな政策をとることであります。  このような高齢化対策をとりまして、さらに住宅、子供と同居するのかしないのか、どちらでも選択できるプライバシーを確立していくことであります。  今後予想される課題としてはいろいろ考えられるのであります。  第一に労働力の問題でありまして、六十五歳以上の人々が多くなり、あるいは定年が延長されますとさらにそれ以上の方々が多くなるのであります。その労働力の不足ということで、ヨーロッパ諸国の場合には大抵外国人労働力を導入したのであります。日本も外国人労働力に依存する可能性なしとはしないのであります。私は人の自由化という意味で外国人労働力の導入には賛成でありますが、単純労働者を日本に呼び寄せ、日本人の嫌がる下仕事を外国人にさせようという発想は異常であります。思い上がりであります。このような外国人労働力、予想される未来に対して日本としてはとるべきではないと思うのであります。  第二の教育ローンは、子弟の大学教育に余りにもお金がかかり過ぎる。そのために育英制度あるいは銀行で教育ローンとして本人に貸し付ける、このような制度の普及が望まれるのであります。  第三に主婦専業手当であります。これはフランスで実施しているものでありますが、家庭で赤ちゃんを産み育てる主婦の収入が在職中の収入と余り大きな落差がないようにする、フランスではこれを単独賃金手当、こう命名しておりますけれども、主婦に国から月給を出しているということであります。現在のところ、このような主婦専業手当はフランス以外は支払っておりませんが、この問題は、産みたくとも産めない、このような状況に検討されてよい課題であろうと思うのであります。  第四に児童手当であります。  今日、企業と国とで両方から児童手当が出ております。できることならば整合化されることが望ましいと思いますし、しかも三人目からではなしに、すべての児童に児童手当を出す、このような課題で取り組んでいただきたいものだと思うのであります。  以上で私の趣旨を申し上げて終わりたいと思います。ありがとうございました。
  56. 長田裕二

    会長長田裕二君) 以上で参考人からの意見聴取は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行います。  質疑のある方は会長の許可を得て順次御発言願います。
  57. 山本正和

    ○山本正和君 私どもが今から勉強しなきゃいけない事項につきまして大変丁寧に御説明いただきまして、まず感謝申し上げます。  レデイーファーストということで中村先生からまずお伺いしたいのでございます。  先生からいろいろと婦人労働、特に婦人研究者の職業生活あるいは研究生活、さらには育児、また婦人として生きていくための大変困難な条件等にも触れましてお話しをいただきました。私も実は長い間高等学校の教員をしておりましたから、教員の中での婦人労働の問題、いろんな悩みも聞きまして、自分なりにいろいろな取り組みもしてまいりました。  現在、幼小中高あるいは看護婦さん等に産前産後の休暇あるいは代替要員の確保というふうなものが、十分ではございませんけれども、ある程度なされておりまして、これはほとんどの人が享受している。さらに、現在教職員とそれから看護婦さんあるいは保母さんには育児休業というものが一年間保障されておりまして、その間は代替要員でもってどうやら授業のかわりを確保することもやっておるわけです。これも大体今学校ではほとんど八割近い該当教職員が一年間の休暇をとってきている県がふえております。まだやっぱりどうしても二割ぐらいは、子供を育てながらでも働きたい、学校で子供を教えたいということで、これは産前産後の休暇はおとりになりますけれども、あと育児休業をとらずに、自分としてどうしても子供を育てながらでも学校の子供たちの教育をやっていきたい、こういうことで自発的におとりにならない方もおみえになるわけであります。  制度としてそういうふうな形で確立されてくるのでありますが、私もいろいろ婦人教師やあるいは看護婦さん等と話をしておりまして大変戸惑いを感ずるのは、実は自分の子供を育てながら、と同時に自分の仕事に対しても大変な関心といいましょうか、執着といいましょうか、その仕事をしていきたいという気持ちがあると。一年間休んでしまうことに対して非常に不安がある、片一方で。要するに、仕事から一年間離れた場合に自分がそれでおくれていきはしないか。あるいはまた自分が直接担任した子供たち、一年生で担任した子供が今度二年生になる、その二年生の子供の面倒を見たいけれども、その面倒を見られないところの寂しさですね。  そういうふうな問題等ございまして、大変これは、男にも育児休業を保障している国もありますから、男女の別にどちらが子供を育てなければいけない、そういう言い方はおかしいというので男子にもということを言っておりますが、実際問題としては、これは教育学的にあるいは教育論的に言えば一歳半までの子供に母親の与える影響というのは一生の問題だと。ですから、非行児等を調査いたしまして、これは教育学の立場でいろいろ議論したのがあるんですけれども、そうしますと、例えば問題行動を起こした子供の中に、全部じゃありませんが、一般的な形として、一歳半ぐらいまで母親と一緒におって、本当に母親に抱っこされて育てられたか育てられていなかったかというのがかなりな相関関係を持って出てまいります。  要するに、母親というその母性の持っている特色といいましょうか、あるいはとうとさといいましょうか、そこから生まれてくる子供へのいろんな影響というものが、いろんな問題が出てまいりますから、そういうふうなことを含めて考えますと非常に難しい問題だろうというふうに思うのです。  しかし、やっぱりこれはいずれ解決しなければいけないのでありますけれども、そういう意味で、婦人が安心して子供を産んで、そして職業生活や研究生活も保障されるための、そういう形での問題の研究というものが、私もこれはいろいろいろんな方々からお聞きしてはおるんですけれども、まだ総合的に婦人自身の手によって、あるいは婦人自身がかなり詳細な調査等をなされていないような気がしてならないんですけれども、その辺の問題につきまして、もし先生の方で御承知でございましたら御紹介をいただけないか。  要するに、婦人が安心して子供を産んで、そして育児あるいは家庭、それから職業、研究というふうなものもあわせてやっていくためにどうしたらいいかを婦人みずからで考えていくというふうな企画なりあるいはそういうもの等がおありでございましたらお知らせいただきたいということと、あわせまして、先生から先ほど御説明していただきましたけれども、もう少し御意見を賜りたい、こういうふうに思っております。これが第一 点でございます。
  58. 中村方子

    参考人(中村方子君) ただいま山本先生から大変ありがたい御質問をいただいたわけでございますけれども、私どもは婦人研究者に関して国としてそのような調査を行ってほしいということを強く要望いたしまして、そして学術会議も一九七六年の総会におきましてそのような要望を国に対して出したわけでございますけれども、いまだそのような調査が行われておりません。  それで、ここに書きましたように、私たちは文部省の助成金を得まして三年にわたって調査を行ったわけですけれども、東京大学天文台の古在先生なんかが大変御協力くださったのは、古在先生はいつも、天文学なんてマイノリティーな立場にいますと女性研究者というようなマイノリティーの置かれた立場というのが非常に気になるということで御協力くださったわけですけれども、そのような強力な天文学者、社会学者、経済学者等の協力も得ましたけれども、女性研究者自身は物理学者とか私のような動物生態学者とかあるいは国語学者とか、それぞれ女性問題ということではなくて全く別の立場のことを専門にしている人たちが、自分たちが余り苦しかったからこれを制度的に改善するためには現状がどうでどうなければならぬかということでやったのです。  ただ、余りにもわずかの研究費をいただきまして、そして別の本業の仕事が忙しいものですから、学術会議に提出されております全部の学会の名簿からそれぞれ比例配分して抽出した女性研究者二千名、それから男性研究者千名についてだけしか調査が行われておりません。その一部をここに示したわけでございますけれども、膨大な調査でございまして、それは全部京都大学の大型電算機にデータが入っております。  例えば、女性研究者が非常に低い地位、私も公立大学の助手を二十六年間やりましたけれども、女性というと大体教員で助手しか、余りいないんですね。教授なんというのはもう本当に数えるほどしかいないんですけれども、そういう状態能力によるのか、研究業績がないのかどうかなんということの分析も全部やって京都大学の大型電算機にデータが入っております。だれでもそれを引き出して分析したりすることができるようになっておりまして、ただいま山本先生お尋ねのような件につきましても、専門家がそれを分析なさると相当のことがわかると思うのです。  ただ、私といたしましては、先ほど申し上げたように、もう一度あなた子供を産んで育てなさいと言われたら死んでしまいますと言うくらい過酷な条件を経てきて、そしてそれは今もほとんど変わっていない。少し変わった状況というのが、産休交代員の制度が変わるだけでも随分変わるわけなんです。それは、先ほどちょっと説明を落としましたけれども、東京都の婦人問題解決のための施策の実施細目の中では、東京都の場合、大学教員に対して産休交代員が認められました。これは余り苦しかった私どもの要望を強く申し出て、それを東京都が入れてくれたわけでございますけれども、それが多分公的に認められている唯一の施策だと思います。ということで、その現状については京都大学のデータからいろいろ今後分析していただくことを強く望みたいと思います。
  59. 山本正和

    ○山本正和君 どうもありがとうございました。  それから次に、森岡先生にお尋ねしたいのでございますが、少子家族化ということから、特に高齢者、老人問題がかなり深刻な問題になってきているという形で御説明をいただきました。人口問題の最後の帰結は、いわゆる体の丈夫な老人ということよりも、最後に本当に体が弱ってきてみじめな老後を送るということに対する不安がやっぱり人口問題にもいろいろ影響するんじゃないかというようなことをお話をお伺いしながら思っておったんでございますけれども、実際に現実問題として私どもがあちらこちらでお聞きしたり、また自分たちの親族等にもそういうのが出てまいりますのは、今八十歳、九十歳のぼけ老人と言ったら悪いんですが、要するにいろんな意味での老人障害が出てきた人たちを家族で見る場合、六十歳あるいは五十歳ぐらいの、特に戦中戦後の大変苦しい中で生きてきた婦人が、特にこれは嫁とかあるいは娘とかいう立場の人がかなり大きな負担を持ちながらこういう方々のお世話をしておられる。それは経済的には困らなくても精神的、肉体的に大変な苦痛を強いられながら実際にしておられるという状況が我が国あちらこちらにありまして、新聞紙上等でも親子自殺、六十歳の娘さんが八十歳の母親と一緒に心中したとかよく載るんですけれども、そういうふうな事柄が実は、今の若い人たちが見ておっても、人口問題待てよと、子供を産んだときに、今度は自分たちが老後一体どうなっていくんだろうかというようなことも含めていろんな問題が出てきているように私は思います。  先生の御指摘の四十八歳の抵抗が四十八歳の再出発で、特に中年女性が次から次に離婚がふえてきているというようなことも含めまして、何か非常に、世代論と言ったらおかしいんですが、それぞれ自分たちの育ってきた、教育を受けてきた環境の中における自分たちの人間価値観というものからくる物すごい違いが今の人口問題のこれをいろいろ議論するときのなかなか複雑な原因の一つであるんじゃないかというようなことを思っておったんでございますけれども先生のお話の少子家族化、それから家族の現代的変化と残された機能、こういうふうな中で、もう少しそういう意味で今の一番最高齢者の問題を家族という中でどういうふうに見ていったらいいんだろうかというようなことについてのいろんな議論や、あるいはお話等ございましたらお聞かせいただきたいと思うのでございます。
  60. 森岡清美

    参考人(森岡清美君) 今、山本先生から御指摘いただきましたように、現在老人を見なきゃいけない立場にある人自身が既に老人であるというふうな状況になっておりますので、これは寿命が延びた恩恵でもありますけれども、逆に言いますと、一世帯に老人が重なっておる、世代的に重なるという状況の中で今のような扶養の非常に厳しい状況が出てきておるわけでございます。  そこで、寝たきり老人とかあるいは痴呆性の老人とかいうことになりますと、その世話は家族ではとても背負い切れないところがあると思うのです。ですから、それぞれの家族でなさっている場合でも、一定の期間に老人ホームで一日だけ引き取って見てくれるとか、その間に家族の介護者が休めるとかいうふうな社会的な手を差し伸べないとこれはやり切れない問題になっておると思うわけでございます。もちろん、その際に子供が兄弟で連絡をして助け合いながら親の世話をするということも可能な限り行われているようでございますけれども、実際問題といたしましては、結局同居するか近くにおる人のところに全面的にかかるほかはないという状況でございますので、やはりこれは社会的な手で若干のカバーをしていかないと背負い切れるものではないと思います。  現在お年寄りの世話をしておる世代というのは、親の世話は自分たちがすべきである、そういう家族倫理と申しますか、道徳観のもとに成育いたしましたから、それを自分の任務と考えて頑張っておる。頑張りながらそれを徹底的にやり切ることができない現実にぶつかるわけでございますが、しかしながら、それがもう一世代若い世代になりますというと、親の世話もございますが、やっぱり自分の一生をどうするかという自己実現に関心が向いたそういう生活の立て方をしてまいりますから、したがって、今後一層今申しましたような老親の、特に痴呆性老人とかあるいは寝たきり老人というふうな形の老人に対する介護がもっともっと深刻な問題になってくるというふうに考えます。  そうしますと、そこに社会的なケアというのが必要でございますけれども、公共的な財政にもやっぱり限度がございますから、そこに公助のほかに共助といいますか共同で助け合う。共同で助け合うという場合に兄弟では、兄弟の数がだんだん少なくなりますから、先ほどのように平均二人と、二人も切っておるというふうな御説明ござい ましたけれども、そういう状況になりますと、その共助が兄弟、私の言います異居近親というだけでは到底不可能でございまして、先ほども吉田参考人から意見の陳述がございましたように、前期高齢者がそうしたさらに自分より、中期高齢者と申しますか、そういう方々の世話のために協力をする、そういう地域的な社会的な体制づくりが今後必要ではないか。言いかえますと、まだ元気な老人、六十五歳から七十歳ぐらいまではまだ元気でございますから一般的に。そういう元気な老人がやがて元気でなくなるわけでございます。その元気でなくなった先輩の老人の世話のために協力をする、そういう社会的な地域的な体制をつくることがただいまのこの親老後の問題を少子家族化の中で何とかやりくりをしていく大変重要な事柄ではないかというふうに考えております。
  61. 山本正和

    ○山本正和君 どうもありがとうございました。  時間がございませんが、最後に吉田先生にお伺いしたいのは、人口論あるいは人口問題についての教育を普及させて、そして後はプライバシーでというお話、大変私も同感でございます。ただ、教育の場で扱うのに、今の小学校、中学校あるいは高等学校でこれを扱うとなった場合にどういうふうな格好で取り入れていくのかというので、これは今の教育課程さまざまな問題があるんですけれども、こういう社会的な問題がなかなか取り入れにくくて困っておるわけでございますけれども先生もし何か、例えばこういうふうにしたら中学校や高等学校で教育の場に取り入れやすいのじゃないかというようなことで御意見がございましたらお聞かせいただきたいと思うのでございますけれども
  62. 吉田忠雄

    参考人(吉田忠雄君) 小中学校の御質問でございますが、大変回答が難しくて、私はできたら、今年間に二時間くらいしか人口問題を扱う時間はないと思いますが、それをふやすなり、あるいは今は高等学校の例ですと政治経済の方で扱う、あるいは倫社で扱う、いろいろありますが、いろいろな部門で扱ってふやしていただきたい、こう思います。ただ、特に日本は諸外国と比べますと大学人口教育は著しくおくれているというふうに思います。御質問とは違った回答になりましたが、そんなふうに時間をふやしていただきたいということでございます。
  63. 斎藤栄三郎

    斎藤栄三郎君 三人の先生に厚くお礼を申し上げます。我々ふだんうっかりしておったり、もしくは努力不足で勉強しなかった点を御指摘、御教示いただいて非常に感謝しております。ありがとうございました。  吉田先生にお伺いいたしますが、どうも先進国の出生率低下している。しかし発展途上国の出生率はなかなか低下しない。そこで、どうもマルサスの人口論が発展途上国では生きているんじゃないだろうか。現に、私は昨年二月にケニアに参り、四月にはアルジェリアに参りましたが、この両国とも非常に出生率は高い。日本の対外援助政策というのは、マルサスの人口論の食糧の増産の方に力を注いで金を援助し技術援助をやっているわけです。しかし出生率がああ高くては幾らやってもなかなか豊かになれないのであります。そこで吉田先生に御教示いただきたいのは、日本の経験を踏まえて、発展途上国に対する出生率問題について日本が提案し、もしくはこうしたらどうですかという意見を述べる余地があるか。また具体的にはどうしたらよろしいかをお教えいただきたいと思います。
  64. 吉田忠雄

    参考人(吉田忠雄君) 日本人口転換というのは世界の奇跡だと言われるほど高い評価を一時得ておりました。しかし、その内容、特に昭和二十年代の人口転換が主として中絶だったということで背を向けられております。私は、日本世界に模範を示すためにも中絶件数を減らして家族計画を中心にして出生率を引き下げるように努力していく、これがまず出発点になると思うのであります。そして、日本開発途上国に示し得る人口コントロールの一番のかぎは教育だということ。特に一般教育の普及、義務教育を普及させること、これが日本出生減退の最大の原動力になっていると思います。日本が他の国々に対して出生死亡について直接とやかく言うのは私は間違っていると思います。その国が自発的に出てくるまで待つことだと思いますが、しかし、そのために援助できる方法は教育の援助、しかも学校教育だけではなしに、日本ではこのようにして工業を興してきたんだとか、このように産業を発展させ、産業を発展させながら同時に社会でこのような教育もやってきたんだという、開発途上国の人々に対して学校教育社会教育ともに日本がお手伝いすること、そのことがえんきょくな方法に見えながらも出生率を下落させる方法ではないかと思います。  ただ、今開発途上国では出生率は上がってないんですが、死亡率が激減しまして人口が激増しております。そうした中で、死亡率が下がって出生率は下がらない。一時過渡的なんだということでしばらくじっと見詰め、一時過渡的に増加することがあろうと思うのですが、出生率の下落のために近代化を進める教育を中心とする、これが日本開発途上国に貢献できる一番すばらしい方法じゃないかと思うのです。あるいは指導者を日本に招きまして、日本ではこのように人口をコントロールしてきたんだという生きた見本をお見せすること、これではないかと思います。  以上でございます。
  65. 斎藤栄三郎

    斎藤栄三郎君 ありがとうございました。  次に、同じく吉田先生にお願いいたしますが、先生のこの刷り物の中に人口の長期見通しを立てろ、こういうことを言っておられます。そこで、この長期というのはどの程度のものか。それから日本の静止人口はどれくらいが望ましいのか。私は下世話に、働くのは大勢で食うのは小人数で、こう言っていますが、ここまで豊かになってくるとなかなか人口をふやさないんじゃないかと思うんです。そこで、今申しましたように、長期とおっしゃるその長期の期間はどれくらいか、それから静止人口望ましいのはどれくらいか、この二点についてお教えいただきたいと思います。
  66. 吉田忠雄

    参考人(吉田忠雄君) 人口論の立場で長期というのは最低限ワンゼネレーション、できたら二ゼネレーション。つまり二十五年から五十年くらいを最小少なくとも見詰めて対策をとることが望ましいと思います。幸いなことに、人口の長期の予測はこの程度は十分できますし、確実性も高いかと思います。  それから、日本人口を静止させるため、どの程度のものにしたらいいのかということでありますが、私は、もしも日本が白紙の状態で出発するならば三、四千万くらいの人口が一番最適ではないかと考えます。経済社会あるいはそのほか国土開発その他考えますと、そのくらいが一番よいと思いますが、しかし既に人口は存在しております。急激に変化させることが不可能であります。そうならば国民が産んだその数に合わせる国土計画が望ましいのであって、人口を簡単に左右させないということであります。もし人口要員を変動させるならば、直接ではなしに間接な方法で指導と誘導を行うことは許されてよいかと思いますが、直接の方法は反対であります。住宅政策とかあるいは教育の問題とかあるいは雇用の問題で結果として出生率にはね返ることが望ましいのであって、直接は望ましくないという考え方を持ちます。  そう考えますと、今大体日本人口は一億二、三千万いきましてそれからなだらかに減ってまいります。ところが、減るとなると大抵過密過疎が逆に加速化されていくと思います。減り始めますと欲しいところに人が行かずに逆に集まるところに集まってくる、このような傾向が生まれます。  そこで、私は人口の数についてどう思うかというふうに問われましたならばこんなふうに答えているのであります。日本のこれからの将来、霧の状態である。霧の状態のときにどうしたらいいのか。動かないことが一番安全だと思います。そこで、現在の見通せる人口を大きく変化させない、ふやしも減らしもしない、その静止人口の、わずかな上下はあるかもしれませんが、その程度で対策をとることであって、新しく今後どうするかと いうふうなことは考えるべきではないと考えております。
  67. 斎藤栄三郎

    斎藤栄三郎君 吉田先生、もう一つ。  これは先生に対する最後の御質問ですが、政府に対する要望はありますか。
  68. 吉田忠雄

    参考人(吉田忠雄君) 人口問題についてもっと国民に知っていただくために、まず各大学、少なくとも国立大学人口論の講座を設けるようにしていただきたい、これが第一であります。  それから第二点に、産まない自由ということを同時に確保されなくちゃいけませんので、家族計画について、日本並びに諸外国の援助に対してもっと真剣に熱心にやっていただきたい。この二点でございます。
  69. 斎藤栄三郎

    斎藤栄三郎君 ありがとうございました。  次に、中村先生にお願いいたします。  先ほどから、国がもっと調査をするようにという要望を出しておいたにかかわらず一向に進まないということで、その原因はどこにあるとお考えでしょうか。国側が怠慢だから調査しないんですか。
  70. 中村方子

    参考人(中村方子君) 婦人研究者というのが日本における女性労働者の中のほんの一握りしかいないわけです。天文学者の古在先生が、同じくマイノリティーだから自分は協力するんだとおっしゃったように、天文学者ほどではないんですけれども、私ここへ出しましたように、日本全体で恐らく婦人研究者というのは一万四千人ぐらいというんです。そうすると、余り少ない人間に関して、何というんでしょう、私どもとしては最大の声を出しているつもりですけれども、多分ほんのささやき以下の声にしか政府にとっては聞こえないんだと思います。ですから、やはりぜひともそれをもう少し国民の声として取り上げてほしいと強く望む次第でございます。
  71. 斎藤栄三郎

    斎藤栄三郎君 中村先生政府に対してこれをやってほしいという要望をお述べいただけませんか。今のその調査はもちろんよくわかりましたが、それ以外に何かありますか。
  72. 中村方子

    参考人(中村方子君) アメリカにおきましては、大統領の命令におきましてアファーマティブアクションという行動がとられております。それは、やはりマイノリティーである有色人種に対する研究機関への就職等を保障したりする、そういう行動も一方でございましたけれども、一方女性の研究者に対しまして、国家の機関及び国家から助成がなされているような機関におきまして、例えば五年なり何なりの期間を区切りまして、そして現状を打開するためにその機関はどのような計画を立てるのか、どのような計画というか実行計画を持つのかということをちゃんと出させまして、そしてその実行がなされない場合には補助金なり何なりを多少カットするというようなそういう問題。ですから、精神的な問題だけではなくて実行を伴ったそういうアファーマティブアクション、肯定的行動と申しておきましょうか、それによって各研究機関なり何なりへの女性の就業を推進いたしております。  日本におきましても、私は新制大学一回の卒業生ですけれども、その新制大学発足前、多くの国立大学等におきましては大体女性の入学なり何なりはほとんど認められておりませんでした。戦後東大その他でも多少門戸を開かれましたけれども、ともあれ、国が運営している大学といたしまして制度的に女性を締め出した結果あるひずみが生じていたならば、その女性はきょうから差別をなくして共通に入学可能という状態にしたんだというだけではなくて、つくり出してしまったひずみならばそれを国家の責任において是正して、そしてある状態になったところでそれ以降はそれなりの力で、力といいましょうか、情勢で進むような、そういうことが行われて当然だろうと私は判断いたします。  この調査の結果の中で、調査に参加いたしました、その後、都立商科短大の学長になられました法学者の久留さんは、当然日本において女性研究者に対してアファーマティブアクションのようなものが必要であるということを申しております。私も国に対してそのようなことを強く望むものでございます。
  73. 斎藤栄三郎

    斎藤栄三郎君 中村先生、そのアメリカの成果はいかがですか。
  74. 中村方子

    参考人(中村方子君) 非常によろしいようでございます。カーネギー財団からその制度に関しての調査結果も本として出版されておりまして、日本においてぜひそのようなことが検討され、そして実行されることを望む次第でございます。
  75. 斎藤栄三郎

    斎藤栄三郎君 ありがとうございました。  森岡先生にお伺いいたしますが、先生のお立場から政府に対する要望を教えていただけませんか。
  76. 森岡清美

    参考人(森岡清美君) 最初に申し上げましたように、子供の数が少なくなった現在、またその状態がずっと続くというふうに考えてよろしいわけでございますので、そこで問題になってきますのは家庭の中でのいろんな訓練がなかなかできにくいという状況でございます。むしろ私は、家庭はやっぱり愛情充足ということに純化してもいいからそれはそれでやっておきまして、それでどうしても抜けがちになりますさまざまな社会的訓練の方は別にまた支えをつくるのがよろしいのではないかなと、家庭に求めましてもなかなかこれは現状ではうまくいかないような感じがいたしますので。そうしますと、現状では保育所でございますが、保育所は厚生省、それから幼稚園は文部省というふうに所轄の官庁が分かれておりますのも一つの問題でございますが、小さいときから私は保育所、これはやっぱり保育が中心で、社会的な訓練といいますか、一人っ子あるいはそれに近いような状態の中ではできにくい基本的な社会的訓練も保育所等で配慮ができるようなぐあいに見直しをお願いできないかというのが私の希望でございます。
  77. 斎藤栄三郎

    斎藤栄三郎君 わかりました。ありがとうございます。  吉田先生、もう一回恐縮ですが、先ほどの御発言の中でフランスが専業主婦に対してサラリーを与えているというのですが、その詳細をもうちょっと知らせていただけませんか。
  78. 吉田忠雄

    参考人(吉田忠雄君) ちょっと私の著書を持ってこなかったものですから詳しいこと、正確さの点で若干欠けるかと思いますが、頭にあるところを申し上げたいと思います。  子供の育つ、年齢制限あったと思いますけれども、それから都市によって賃金も違いますが、大体六割くらい主婦専業手当をもらっていたと記憶しております。いろいろな条件ございますけれども、職業を選ぶのか、あるいは家庭に入って政府からお金をもらって、そして子供を何歳まで育てる、その期間にもらえる単独賃金手当というのが従来の六割くらい、こんなふうに支給されているということでございます。フランスの女性たちは子供をひとり遊びさせないのであります。親が常についております。そのかわり出産、育児が義務化されているわけであります。出産、育児について無料の制度いろいろあります。妊産婦手当、出産手当があった上にこの単独賃金手当と呼ぶ主婦専業手当、主婦というよりも母親手当とでも申しましょうか、そういう月給制があるということでございます。
  79. 斎藤栄三郎

    斎藤栄三郎君 ありがとうございました。  それからもう一つ、吉田先生にお願いいたしますが、出生率の問題と宗教とは密接な関係があるとお考えでしょうか。例えばイスラム教では一夫多妻ですし、カトリックの場合は離婚を原則として認めないというようなルールがありますが、その関係いかがでしょうか。
  80. 吉田忠雄

    参考人(吉田忠雄君) 私は出生と宗教密接な関係があると思いますけれども、ただ、世の常識と違うような一面もあるということであります。  例えば、カトリックの場合ですと出産奨励も宗教だ、こう見られがちでありますけれども、聖職者は結婚いたしません。このことは出生奨励でもない。ただ、カトリック内部では産児調節につきまして是か非かということで論争があり、一定の条件ならば、例えば器具を用いなければ、自然の リズムならばいいという考え方もあり、そうでないものもあるということで、一般に喧伝されているものとは違う一面もあると思います。  イスラムにつきましては、一夫多妻制というふうなことも言われておりますが、これについて例えばイスラムの近代化している地域では、例えばトルコを例にとりますと、こうした制度を再検討するとか、イスラムといってもいろいろございます。それから四人持っていいということではなしに、例えば未亡人になった女性の生活救済のために同居しているんだというふうな解釈をなされているところもございます。ただ、イスラムの場合に、あるいはヒンズー教の場合もそうでありますが、結婚することが人間を完成させるものだという発想が底流にございまして、やや結婚奨励、多産奨励という一面がございます。  ですから、宗教というものと赤ちゃんをたくさん産まなきゃならないということとは別だという考え方、これらが定着したならば恐らく信仰心厚い国々で出生率の近代化も見られるんじゃないかと思いますが、宗教がすべてその社会を支配している限り出生率の下落はなかなか難しいのではないかと考えております。
  81. 斎藤栄三郎

    斎藤栄三郎君 どうもありがとうございました。  終わります。
  82. 高木健太郎

    高木健太郎君 お三人の参考人から大変実のあるお話を伺いまして、勉強させていただきましてまことにありがとう存じました。  そこで、お三人別々に少しずつ御質問させていただきます。  まず、森岡参考人にお伺い申し上げます。  マイホーム化というものが起こってきましたけれども、これはどのような原因でこういうマイホーム化というものが起こったとお考えでしょうか。そしてそれは現在どの方向に国民の意識としては向かっておりますでしょうか、お伺いいたします。
  83. 森岡清美

    参考人(森岡清美君) マイホーム主義という言葉が一時はやりまして、それは昭和四十年代ではなかったかと思います。  マイホーム主義とかマイホーム化ということを言います背景は、日本経済が大変成長いたします過程で労働力都市集中が、都市への移動が起こる。そうしますと、田舎から、自分たちの親族から離れまして都市移動するなりあるいは都市都市の間で移動するということになりますと、個々の核家族が自分の親兄弟の住まうところとは違うところに住むという状況が出てまいりました。そこで、余り地域ともしたがって深い関係がございませんので、地域及び自分の近い親族とは日常的な接触がさほど大きくない、そういう生活のスタイルが出てまいりまして、同時に、経済成長の恩典の中で生活に余裕ができてまいりますと、家族単位の生活の遂行、休暇、余暇利用を含めまして、そういうところから個別のマイホーム主義的な傾向が出てきたと私は観察をいたしております。  マイホーム主義というのがしばしば非難の言葉とされたわけでございます。つまり、親兄弟とかあるいは地域社会への関心もなく、もちろん国家、社会への関心も全くなく、自分たちの楽しみなり自分たちの幸せを追求するというところに非難が注がれまして、そういう非難の意味を込めたマイホーム主義ということが言われたわけでございます。  しかしながら、私の見るところでは、その段階でもなお家族としての一体性があったのではないか。    〔会長退席理事斎藤栄三郎着席〕 ところが、先ほど申し上げましたように、そうした家族の一体性といったものがその後の展開の中で少しずつ崩れてまいりまして、今日では、幼い子供がいる家庭の場合にはまだそうではございませんけれども、思春期に入った子供を持つ家庭、あるいはそれ以上の子供がある家庭につきましては個別化という状況が顕著ではないか。そうしますと、マイホーム主義も今から考えればある明るい輝かしいいい面を持っていたというふうに評価することもできようかと考えております。
  84. 高木健太郎

    高木健太郎君 今後はどのようになるとお考えでしょうか。
  85. 森岡清美

    参考人(森岡清美君) 今後は、これは大変見通しが難しいのでございますが、先ほど吉田参考人の方から人口動きは今は霧の中だとおっしゃいましたように、私はそんな感じを家族の行きようについても持っております。  といいますのは、冒頭のところで、日本の核家族化なり小家族化、つまり家族の員数が少なくなる、あるいは核家族の比率が高まるという戦後の大変大きな家族変動が昭和三十五年から五十五年ぐらいまでの二十年間に起こってしまった。全くこれは空前絶後でございます。一・三人の平均世帯規模の縮小を昭和三十五年から五十五年までにやってしまいましたが、アメリカあたりで見ますと、そのぐらいの規模の縮小のために六十年内外かかっているんです。六十年内外かかる中で次第にそういうふうな小家族的な生活へのいわば対応と申しますか、安定した生活のスタイルがだんだんと確立されてまいるわけでございますが、日本の場合何しろ急激なんです。急激な変化で、さらに個別化という状況が加わってまいりましたので、今後どういうふうに展開するか。今後もう少し個別化が展開するだろうと思いますけれども、その中でやはり家族の緩かな結束と申しますか、その中での互いの支え合いが人生にとって極めて大きな価値を持つということがもっともっと認識されていくのではないか。先ほど異居近親ネットワークということを申しましたが、それはそういうふうな認識の兆しではないかと考えております。  以上でございます。
  86. 高木健太郎

    高木健太郎君 政策としては、個別住宅を将来つくるよりも、いわゆる大家族が住める、三世帯なり三世代が住めるような将来は住宅計画をもう並行して進めるべきだとお考えでしょうか。    〔理事斎藤栄三郎退席会長着席
  87. 森岡清美

    参考人(森岡清美君) 私ども同様に、三世帯が住む、あるいはもっとそれ以上になるかもしれませんが、そういうふうな同居が可能な住宅というのが大変大きな問題だと思います。  現在、同居、別居と申しますけれども、かつての同居と今日の同居は相当違いまして、かつてはいわばべったり同居と申しますか、生活空間にはほとんど境がない、せいぜい寝室ぐらいである。生活時間につきましても余り個別的なものがないということで、一家べったり同居的な形であったかと思うわけでございますが、今日の同居はそうではなくていわゆる生活分離がある。老人専用の部屋などによくわかりますように、生活空間の分離それから生活費の分離、それから場合によりましては食事の分離という部分的な分離を伴っての同居。したがいまして、以前の同居じゃございません。そういうふうな同居が可能であるような住宅、これは子供が少なくなっております現在一層重要性を増すというふうに考えております。
  88. 高木健太郎

    高木健太郎君 ありがとうございました。  では次、中村参考人にお尋ね申し上げます。  中村参考人はIBPにも関係しておられた。私も十数年前にIBPに関係しておりました生理学者でございますが、大変立派なお話を伺いました。  中村参考人によりますと、IBPの計算で現在の地球の上に約三百五十億から四百億ぐらいが住めるのではないか、それは国境がないということを仮定してというお話でございますが、そのときの生活水準というものはどのように計算した上でございましょうか。私がやりました研究は人間の生存限界というようなもので、例えば暑熱、寒冷あるいは高圧、低圧、どこまで人間が耐え得るか、その範囲を全部ひっくるめて人間がどれくらい住み得るかというようなことを考えておったわけですが、先生のお話の三百五十億あるいは四百億というのはどの程度の生活水準を考えての計算でございましょうか。
  89. 中村方子

    参考人(中村方子君) お答えいたします。  これは地球上の生物生産力でございまして、陸上及び海、海域及び他の水域に関しまして、そこ がどのくらいの生産力を持つかということで、例えばたんぱく質にいたしますと、イワシやニシンやサンマのたんぱく質をとるのか、あるいは牛肉のたんぱく質をとるのか、そのあたりの問題に関しては考慮をしないで、人間の健康な生存に必要な食糧、住宅資材、衣服ですとか、そういうものを入れて海域、水域にどの程度の生産力があるか、あるいは生産が可能か、こういう計算をしたのでございます。再生産を全部裸にしてしまわないで、再生産可能な状況ででございます。  ですから、例えばやっぱりイワシよりみんな牛肉を食べたいとかいうことになりますと、これはもう既に試算によりますととても現状でも足りなくて、たしか地球上三十七億か何かで食糧だけでも限界が来てしまうのす。ですからIBPの試算というのは、要するにたんぱく質にしろ脂肪にしろ余りその質の内容を問わないということなんです。ただ分析して、それを含んでいるから家畜のえさでもいいだろう的なものではないわけでございますけれども、イワシか牛肉かは問わない、そういう試算でございます。
  90. 高木健太郎

    高木健太郎君 ありがとうございました。  それからもう一つは、ここに、先天性異常ができたということですが、これはその年次経過はどうでございましょうか、例えば十年ごとにやってみたら異常児がどれぐらいふえたか減ったかという。  それから、猿の異常児がここに書いてございますけれども、猿の場合の異常児と人間の場合の異常児とは何か関係があるとお考えでしょうか。
  91. 中村方子

    参考人(中村方子君) お答えいたします。  私がここに出しました東京都立病産院における昭和五十三年、五十四年、五十五年、五十六年度のデータは、これは帝京大学の先天異常を問題にしておられる小児科のお医者さん木田先生が「ぼくの手、おちゃわんタイプや」という四肢先天異常児の問題を扱った本の中から私引用いたしました。それで、近年において非常に先天異常児が多いということで、これは多分この先生方調査費をいただいてこの年度に調査したということで、もっと比較し得るデータはそう以前からはないんだと思うのです。それが一つ。  もう一つ、猿の問題でございますけれども、猿と人間というのは非常に生物学的に近い存在でございまして、猿がそのような残留農薬と関連があるであろうと思わざるを得ないようなことで非常に多数の先天異常の猿を生んでいるとすれば、同じようなものを食べている人間が影響を受けぬはずはないと私は思います。ただ、人間の場合に食べるものが非常に多種類にわたって複雑でございますから、あるお母さんが先天異常児を生んだ場合に、風邪薬として飲んだ薬に原因があるのか、何か食べた輸入食物の残留農薬に影響があるのか、それを異常児が生まれた後で因果関係を突きとめることは非常に難しいと思うのです。  ただ、この猿における警告、これは私は人間社会における異常児の多数出現を解くかぎであろうと思います。それを注意して注意しすぎることはないと思いますし、百年前の日本における先天異常の人の出現というのはたしかこの十分の一以下であったというようなことを木田先生は別の本に書いておられたと思います、この七・四%の十分の一以下です。それは、百年前は家族の中に先天異常の人がいるというようなことを恐らく公にすることができるような状況ではなく、そういう先天異常、例えば指が一本多いとか少ないとか、足に異常があるとか、あるいは無脳児が生まれたなんということは表に出さずやみに葬ってしまったでしょうから、そういう統計的なデータが少なかったということもあると思いますけれども、ともあれ、百年の間に数の上においては先天異常児がたしか十倍以上になったということを別の御報告に書いておられたと思います。
  92. 高木健太郎

    高木健太郎君 ありがとうございました。  この中には恐らく遺伝性のものも含まれておると思いますけれども、非常にふえたということになって、それが環境因子によるものであるとすれば非常に重要な問題であると思いますので、私もひとつ勉強させていただきたいと思っております。  最後に、時間もなくなりましたが、吉田先生にお伺い申し上げますが、先生の諸説に対しましては私も全面的に賛成するものでございまして、人口問題というものを人間的にさわっていくということは、これは非常に重要な重大な過誤を犯す危険がある、こういうふうに思っておりまして、仰せのとおりだと思います。  そこで一つ二つお聞き申し上げたいと思います。  一つは、先生がお話しになりました産まない自由というものが人間があるんだと。これでいつでも問題になりますが産まれる自由です。いわゆる胎児の産まれる自由というものが一方にあるわけでございまして、その産まない自由と産まれる自由というものをどのように調和したらよいだろうか。産児制限、バースコントロールをやるということは私は非常にいいと思いますが、戦後の人口が稠密になり、食糧不足になり、経済状態が悪いという場合に優生保護法が生まれましたけれども、それ以後もやはり相変わらず中絶というものが行われているわけです。産まない自由もありますが、産まれる自由もあるんじゃないか。そのことについて先生はどうお考えか、まず第一にお伺いしておきたいと思います。
  93. 吉田忠雄

    参考人(吉田忠雄君) 大変難しい御質問でございまして、私も明快にお答えするのを若干ちゅうちょするような気持ちを持っておりますが、ただ、胎児と産まない自由それから産まれる自由ということを考えますと、私は月別に考えたらどうかと今のところ思っております。例えば妊娠四カ月以内は産まない自由を優先する、例えば妊娠八カ月以上は胎児の生命を尊重する、これは八カ月あるいはそれ以前という考え方もございます。七カ月にする、この辺が微妙でありますが、そして仮に四ないし七はどうなのか、この辺はケース・バイ・ケースで決めることであって、一律にどちらかに決めることは悲劇を大きくするのではないか、こう考えております。したがって、産まない自由と産まれる自由、両方できる限り調和することが望ましいと考えております。
  94. 高木健太郎

    高木健太郎君 面倒なことを、私もわからないことをお聞きしましてまことにどうも恐縮でございますが、私もまた今後考えていきたいと存じておりますが、今大体どれくらい中絶があるか。先ほどの黒田先生のお話によると、届け出のあるものだけで六十万というお話を聞きましたが、先生も大体それぐらいとお考えでしょうか、中絶例です。
  95. 吉田忠雄

    参考人(吉田忠雄君) 届け出のあるものはそれだと思いますが、未届けのものは何倍かあるのではなかろうかと思います。それが本当にやみでわかりません。かつて届け出が百二、三十万のときには総計四、五百万と言われておりました。今どうなのかわかりません。本当にわかりませんけれども、特に未婚の中高生の中絶の実態を知りますと、これはほとんど未届けであろうと思いますので、かなりの数に上るのではなかろうかと思います。
  96. 高木健太郎

    高木健太郎君 ありがとうございました。  それからもう一つ、ぜひお聞きしたいのは、中高までは親が見たらどうだ、大学に入ったならば本人というお話ございました。アメリカなんかは大体そういうふうにやっているようでございますが、日本ではこれどのように制度改革をしたらよいとお考えでございましょうか。
  97. 吉田忠雄

    参考人(吉田忠雄君) 二面からアプローチすることが妥当だと思うのであります。一つは定年延長という形で賃金を一定年齢へいったら横ばいもしくは下げることであります。年功序列の賃金体系の修正ということであります。親は支払い能力がなくなる、そのかわり定年が延びていく、仮に七十歳まで延びていくためにはそれが必要であります。支払い能力はない、一方子供は学校へ行きたいというときには、親はもともと今でも大変でありますし、これから高齢化することによって賃金体系が変わってくればよけい大変であります。そうならば、できる限り速やかに子供が、進学す るかどうかは本人が決め、本人が経済的な負担をする。そうすれば大学のレジャー化も防げるという説もございます。しかし、本人が生活費並びに学費を出すためには育英制度の拡充、それから銀行のローン制度、これをそういう教育について拡大していくという金融政策課題を進めていくことが望ましいのではないかと考えます。
  98. 高木健太郎

    高木健太郎君 学生のアルバイトについてはどのようにお考えでしょうか。
  99. 吉田忠雄

    参考人(吉田忠雄君) 学生のアルバイトはそれで足りない分をやるべきであって、私は、今日大学の進学率が三〇あるいは四〇、しまいには高校並みになる可能性もなしとはしないと思いますし、全員が大学に行かなくちゃならぬということになる場合も想定できないわけではありません。そうなってまいりますと本当に不健全な社会でありまして、といいますのは、若いときに働かずに、仮に全員大学進学ということになりますと二十二歳まで若者は働かず、そのかわり年とった者が働くという大変異常な社会になります。ですから、そのときに私は恐らく違った評価、そしてまた進学率は妥当な率というものに戻るだろうと思いますが、日本で妥当な大学進学率は何%かということは決め得ないと思います。ただ、ほとんど全員が大学というのは問題のある社会ではないか、こう思います。
  100. 高木健太郎

    高木健太郎君 ありがとうございました。  時間がございませんのでこれで終わります。
  101. 近藤忠孝

    ○近藤忠孝君 最初に、吉田参考人にお願いいたしますが、先ほどのお話の中で、静止人口の見方が世界的に一致した見解である、こういうお話がございました。その後スウェーデンのミュルダールの出生率減退についての警告というお話ですが、ちょっと聞き漏らしたかもしれませんが、スウェーデンの出生率減退の状況ではこの静止人口そのものが崩れる、そういう警告だったのか、あるいはまた別の意味を持っておったのか、この点が一つであります。  それから、人口を人為的にいじることについての御意見はわかりましたが、これは十七ページの純再生産率で西ドイツなどは危機的な状況である、こういうお話がございました。そのこととの関係で今の問題どう考えるのか、以上お願いしたいと思うのです。
  102. 吉田忠雄

    参考人(吉田忠雄君) スウェーデンの例は私も著作の中でいろいろ書いて訴えてきたものでございますが、一九三四年まで人口過剰だけが人口問題と全世界の人々が信じておりました。そして減らすこと、新マルサス主義の横行、こうした状況であったのでありますが、スウェーデンでまず最初に一九三四年ミュルダール夫妻が、純再生産率が〇・八前後でございました、その状況を指摘して、これでは社会に大きな動揺が起こり、デモクラシーを維持することもできないので、少なくとも再生産率を復活させるため、数字は示しておりませんが、ミュルダール夫人は三ないし四人の赤ちゃんを産むこと、その根拠としまして、各夫婦には産めない家庭もあるので、それらを考えると三ないし四人と、こう言っております。その論拠は大変脆弱だと思います。  そのように提起して、そしてスウェーデンで二年間くらい激論になりました。実態はミュルダール夫妻の言うとおりかどうかということで激論になりまして、では国会で調査委員会を設けようということで人口委員会が設けられ、そこで答申が、ミュルダール夫妻の言っていることは妥当であるということで福祉政策の推進ということになったのであります。ですから、ねらいは恐らく静止人口にあったと思われます。  第二点で、西ドイツでありますが、西ドイツではナチス時代に産めよふやせよと政策をやりました。そのことから第二次世界大戦人口政策についてはほとんどタブーになっておりまして、何ら言えないのであります。ただ、もやもやとした雰囲気の中で、大変ではないか、そして一時外国人労働力を導入したけれども、第一世代の場合にはいいのですが、その人たちが子供たちを連れてくる、あるいはそこで結婚して赤ちゃんを産む、その教育の問題でドイツ社会と違和感をもたらしまして、特に経済が悪くなると外国人労働力出て行けというふうなトラブルを起こしております。  そこで、やっぱり出生力についてある程度回復する政策をとるべきではなかったかという声が起こりつつありますが、表ではなかなか言えない国の体質を持っているということでございます。
  103. 近藤忠孝

    ○近藤忠孝君 ありがとうございました。  次に、中村参考人にお願いします。  先ほど婦人研究者の実情、お話がございまして、十二ページの「女性教育関係者の採用及び登用」、それから産前・産後休暇等の改善というので、これは都立大学の例が出ておりまして、これはいずれも一般大学に比べていい例、進んでいる例、こういうぐあいで引用されたわけでしょうか。
  104. 中村方子

    参考人(中村方子君) さようでございます。国公立の大学において女子教員の採用、昇進に当たって政策の中に積極的にそのことを考慮するということを盛ったのはこれが初めてのものでございます。それから大学における女性教員の出産に関して代替員を確保するということをうたったのもこれが初めてでございますので、それを挙げた次第でございます。
  105. 近藤忠孝

    ○近藤忠孝君 私も都立大学の卒業でございまして、母校を褒めるわけじゃありませんけれども、学問的にもなかなかいい雰囲気のある大学だと思っておりますが、こういったことがやっぱり全国に先駆けてできたという条件はどういうところにあるとお考えですか。
  106. 中村方子

    参考人(中村方子君) これは東京都の婦人問題解決のための行動計画策定に当たりまして、日本科学者会議の婦人研究者問題委員会及び東京都立大学の組合婦人部といたしまして東京都にこのようなことを申し出ました。そして東京都は六十七団体からさまざまな申し出を政策決定に当たって受け付けたわけでございますけれども、その中の一つとして検討の結果、これをAランクの実施細目、というのはもう既にこれを実施しているということでございますけれども、Aランクの実施細目として盛り込んだ次第でございます。ですから行政側からの最初に提案ということではなくて、申し出によって調査の結果取り入れた、こういうことでございますけれども、ともあれ、公的にそのようなことが考慮された日本における最初のものと判断いたして挙げました。
  107. 近藤忠孝

    ○近藤忠孝君 これは今後さらに他の研究機関にずっと波及してどんどん後から追っていくという状況にあるのか、それともなかなか特に国立あるいは私立では難しい状況にあるのか、その辺どうでしょうか。
  108. 中村方子

    参考人(中村方子君) ぜひともこのようなことにも注目して国でも御検討いただきたく、ここに提出した次第でございますけれども、国の方では、何分先ほど申し上げましたように日本における大学及び研究機関における婦人研究者というのが推定一万四千人ぐらいでございますので、それがささやきとしてもなかなか聞こえない状態で、それは大変難しいというお返事をいつもなさるようでございます。そのときのお返事に、大体大学や研究機関の研究者の仕事というのは代替不可能である、大変特殊な職業であるということを述べておられるのでございますけれども、実は、この数字にもございますように、大学におきましても女性の研究者と言われている人は助手がほとんどでございまして、特に出産可能なときというのは助手なんです。そうしますと、助手の仕事の中には代替可能な部分というのが相当ございます。そして代替不可能な研究に関する部分は、出産に際しましても当然論文を自宅において書くとか、あるいは次の実験計画を自宅において立てるとかいうことは研究者であればやっております。  ですから、代替可能な部分をかわることによって非常に高率な異常出産等を当然防げるはずでございますので、やっぱりささやきか叫びか、そこを国として取り上げるべく検討してほしい、これがきょうここへ出てきた理由でございます。
  109. 近藤忠孝

    ○近藤忠孝君 ありがとうございました。  最後に、森岡参考人に、簡単で結構ですが、子供 夫婦と同居する割合、これは今後ふえるのか、もっと減っていく傾向にあるのか。その場合のふえるとすればその要因、あるいは減っていくとなればその要因。例えば嫁・しゅうとめの問題だとか、その他いろいろ複雑な問題があるかと思いますが、その辺について簡単にお答えいただければと思います。
  110. 森岡清美

    参考人(森岡清美君) 私が用意いたしました図の4にもございますが、一応「六十五歳以上の」というふうに親を限定しました場合に、図の4に示しておりますように、「子供夫婦と」、子供とではなくて、限定いたしまして「子供夫婦と」というふうにいたしますれば四七・九%、五割を割っておるわけでございます。  この同居率は昭和三十年前後は八割近くあったと言われておりまして、だんだんと低下しております。今後も低下するであろうというふうに言う考えもございます。ただ、これは親から見るか子供から見るかによりまして比率が変わってまいりまして、親からずっと一貫して見るとすれば、子供が少なくなった現状ではこの比率はもう少し下がるのではないかというふうに思います。ただ問題は、同居の定義をどうするかということでえらく変わってまいりまして、先ほどちょっと申しましたような、生活分離のある同居をも同居というふうに考えますればこれはそう減らない、しかし生活分離の程度をかなり限って考えますと減ってくるだろうというふうに思います。
  111. 近藤忠孝

    ○近藤忠孝君 終わります。
  112. 抜山映子

    ○抜山映子君 吉田先生にお伺いいたします。  一般的に人口が一たん低落傾向になりますとそれは加速化するというようなことが言われておりまして、低落したものをさらに増加に向けるには相当のエネルギーが要るというように聞いております。そういうわけで、私は先生人口教育というものの必要性、全く同感なんでございますが、現在のまま放置したような場合に、五十年、百年先の日本人口展望はどういうようになるのか、ちょっとお聞かせいただきたいと思います。
  113. 吉田忠雄

    参考人(吉田忠雄君) まず、日本人口動向でございますが、数十年後下落するであろう、減少するであろうということが計算上出ております。ただ、徐々に下がっていきますので、それでいいのかどうかということが第一点であります。統計のとり方によりましては、ごく最近をとれば下がっておりますので、これをずっと五十年、百年補外推計しますと下がるということになってそうなるかもしれないし、あるいは過去の状況を見ますと、二次曲線で計算いたしますとあるいは少し上向きになるのかということで、計算上はどちらとも言えないのであります。ただ、単純計算しますとどんどん下がっていく可能性があるので、そちらの方にまず重点を置いて議論すべきではないか、こう思います。  そこで、将来徐々に人口が減退していくということを前提にいたしますと、私はせめて横ばいになるような政策、間接的な政策が望ましいのではないか、こう申し上げたのであります。今まで歴史上出生率が上向きになった例は寡聞ながら知りません。下がったら大抵下がりっ放しで消えていく運命にあるようであります。そうはいっても混血とかいろいろな形でありますので、確かにその民族としては、例えばタスマニア民族とかその他いろいろの民族の興亡を見ますと確かに下がったら下がりっ放しになる傾向がある。日本はそれに該当するかどうかということは、今の段階では言えないと思います。  以上でございます。
  114. 抜山映子

    ○抜山映子君 もう一点吉田先生にお伺いしたいのですが、予想される課題の中に児童手当という項目がございます。私の聞き違いかどうかわかりませんが、たしか先生は、児童手当は第何子であるとを問わず存続すべきであるというように言われた気がしたんですけれども、児童手当は非常に富裕な一定の所得以上の者に対しても果たして与える必要があるのかというような疑問を私ちょっと持っておりまして、もう一度児童手当に関する先生の御意見をお伺いしたいのですが。
  115. 吉田忠雄

    参考人(吉田忠雄君) 現在、児童手当は二種類ございまして、一つは公的なもの、三人目から所得制限があって支給されております。いま一つは各企業、職場で大抵一子から出ているのであります。これを何らかの調整が必要であるということを申し上げまして、具体的にどうしたらいいのか私も成案を持っておりません。ただ三人目から出すというのは大変誤解を与えやすいので、出すならば一子から出していただきたい。  御質問ございました所得制限をすべきかどうかということであります。日本以外の国々で児童手当に所得制限はないというふうに私記憶しております。ですから子供はすべて平等。ただ特別高い方は児童手当辞退していただきたいと思いますが、子供は全部一律だという趣旨で実施していただきたいという趣旨で整合性ということを申し上げた次第であります。
  116. 抜山映子

    ○抜山映子君 森岡先生にお伺いしたいのですが、人口の将来の日本のあり方、これについて吉田先生は静止人口ということを言われたのですが、森岡先生はどのようにお考えでしょうか。
  117. 森岡清美

    参考人(森岡清美君) 私は人口論専門家でございませんので素人として申しますと、やはり現在の高さをめどとして考えていくのがいいのではないか。したがいまして、それ以上ふやすということではなくて、何とかそれ以下になる契機、殊に先ほどから吉田参考人御指摘のように、一たん下向きになりますとなかなかその傾向を食いとめることが難しいということでございますから、そういうことになる前にいろんな間接的な施策が必要ではないかなというふうに考えます。
  118. 抜山映子

    ○抜山映子君 最後に、中村先生にお伺いしたいのですけれども、確かに有害食品なんかをなくすということ、あるいは環境整備、育児休業制度、母性保障基本法、もろもろそういう制度をつくることによって女性が子供を産みやすい環境をつくるということは必要でしょうけれども、私が最近よく聞きますのは、子供を産むかわりに自動車を買ってエンジョイしようというような非常な、どういいますか、自分たちの生活をより大事にするというか、あるいはミーイズムというか、そういう傾向が非常に強くなっている。むしろその傾向の方が強くなっているのじゃないかという感じもするんですが、先生はそのあたりどのようにお考えになっていらっしゃいますでしょうか。
  119. 中村方子

    参考人(中村方子君) これは社会が余りにも不安に満ち満ちているので、今おっしゃるように子供を産むかわりに自動車を買うなんというようなことが多分起こってくるんだと思います。子供を産んでその成長の姿とともにあるということは非常にすばらしいことで、母性を備えた女性ならだれも自分の子供を産むということは望むわけでございますけれども、私の身近な方、この間三人がそろいましてこんな話をちょっとしましたら、三人のうち二人の方のお子さんは先天異常の方で、そのうちお一人はさらに三人のお子さんのうち二人が先天異常だというようなことをおっしゃっていました。  そういう不安に満ちた状態の中で生まれてくる子がどうかと考えると逃避的な状態にもなるんではないかと思います。ミーイズムというようなことは一つの逃避の姿であって、もし非常に健全な世の中ならば女性はすばらしい自分の次世代を産んで、その成長の姿とともにありたいだろうということを、私は生物学を学ぶ者及び自分が母性を持った者として思います。
  120. 抜山映子

    ○抜山映子君 終わります。
  121. 平野清

    ○平野清君 何しろ時間がありませんので、三人おそろいのところをお二人で大変申しわけないんですが、森岡先生と吉田先生に一問ずつ御質問をいたします。  まず、森岡先生にお尋ねしたいのですけれども、今未婚の時代ということで盛んに女性が高学歴になる、それから職業に進出をする、それから今抜山委員が言いましたとおり、生活をエンジョイしたいということで未婚とそれから晩婚が進んでおります。そうしますと、仮に未婚主義者が途中で結婚しようと思ってしますと、どうしても高齢出 産になる。そうすると子供が育つ期間に自分はどんどん老齢化してしまって、高校を出ないうちに自分がもう定年になってしまうというようなことをよく事例に聞くんですけれども、そういう傾向は今後そのまま進むのでしょうか。  それから、吉田先生にお聞きしたいのですが、先生の御提案を見ましたら、まるでサラリーマン新党の政策と何だかすっかり同じなんで大変恐縮しているんですけれども、その中でいろいろ御提言ありました、年金のことも。これから高齢化社会になって政府が慌てて今間接税だとか何かいろんな話をしておりますけれども政府がそういう形で福祉目的税みたいなものを考えることも必要でしょうけれども、若いうちから自分の将来の高齢化に備えて自助努力をすることとそれから国家政策がちょうど一致したことによって高齢化社会というものがスムーズに進むと思うのです。  そういう意味で、何か具体的な、若いうちからある程度の強制力を持って若者に高齢化社会に備える方法をとらすことがいいのか。それから、例えば公的年金なんか今税金がかかりますけれども、公的年金ぐらいは無税にするとか、何かそういうお考えがございましたらお聞かせいただきたい。
  122. 森岡清美

    参考人(森岡清美君) 晩婚傾向とそれに伴う高齢出産、そして世代間の間隔が異常に延びるということの将来の動向でございますが、現在そういうふうなケースはしばしば耳にいたしますけれども、大きな数で申しますと、例えば以前の一夫婦五、六人出産の場合の結婚から第一子出生までの間隔と、今日二人ほどの出産のスタイルの場合の結婚から第一子出生の間隔とがどうもそんなに変わらないのです。若干延びておりますけれどもえらくは変わりません。  それから、第二子を産むのが、第二子は大体末子でございますけれども、以前の、末子までゆるゆると産むかというと、そうでもなくて、一括出産と言っては言い過ぎでございますが、余り間隔を置かないで、以前の第二子よりは少しおくれますけれども産んでしまっているというふうな状況でございますから、もし晩婚の方が無子で行こうという主義で考えれば別でございますが、大体なるべく早く産むということで、結局そのような場合に晩婚になっただけ世代間の間隔は延びますけれども、全体の統計的な数値としてはさほど変わらないのではないかなというふうに考えます。
  123. 吉田忠雄

    参考人(吉田忠雄君) 間接税の問題でありますが、今政府関係者で高齢化社会だから間接税ということを議論しているようでありますが、私はこれは論理的に間違っていると思います。高齢化社会が来るということは長期的な動向でございます。既に前からわかっておりました、長い時間、そしてこれこれの高齢者対策をやる、したがって財源が足りないから制度を改める、これならわかると思いますが、直接結びつけて現在語られていることは大変問題が多い発言だと考えております。  その中で、自助努力の問題でございますけれども、今のまま進みますと、例えば六十五歳以上の人々が二〇%を占める社会ではもう年金はどう逆立ちしてもだめであります。三つの選択が迫られております。一部分の特権階級だけにするか、広く薄くするか、年齢を上げるか、どれかであります。私は、年齢を上げること、これ以外健全な社会をつくる方法はないと思います。その場合に、公的年金を無税にするかどうかは余り大した問題ではございません。大きな問題ではありますけれどもそれほど大きな問題ではなしに、問題はこの高齢化社会の枠組みをどうするかということであります。私はその突破口として提案してまいりましたものが、男はやっぱり働いた方が健康でもあるし、同時にお金を使わないで済むのであります。お金を使わないで時間をつぶすのは大変難しい技術でございまして、働きバチの日本人はそれをマスターしておりません。  したがって、私は定年延長が最もいいんじゃないか、この枠組みづくりを主としてすべきではないかと思っております。  以上でございます。
  124. 平野清

    ○平野清君 どうもありがとうございました。
  125. 長田裕二

    会長長田裕二君) 以上で参考人に対する質疑は終わりました。  森岡参考人、中村参考人乃び吉田参考人におかれましては、お忙しい中を御出席いただきましてまことにありがとうございました。お述べいただきました御意見等は今後の調査参考にさせていただきます。参考人の方々に対しまして調査会を代表して厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)  本日はこれにて散会いたします。    午後四時三十二分散会