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上田耕一郎君
局長の言われるとおりです。
私も、東大出版会の「ヨーロッパの
土地法制」、これはフランス、イギリス、西ドイツの研究、それから日本
開発銀行の「欧米諸国の
都市整備制度」というもの、それから石田頼房教授の「日本における
土地区画整理制度史概説」などなどを見ました。それから
建設省の方の書かれたのがございました。並木昭夫氏で、書かれた当時は
建設省都市局技術参事官、この方の「
都市整備」という著書の中に、「欧米諸国の再
開発車業
制度の概観」という節があります。
これにも書かれておりますけれ
ども、アメリカ、イギリス、フランスなどはどこでも公共的な買収、収用、それが基本で、
区画整理の
手法はこれには全くありません。ただ、西ドイツに
区画整理手法が今でもあるそうですが、これは有名なBプラン、ベバウウングスプラン、
地区詳細
計画、これを実現するという形で行われているものであるということが書かれておりまして、減歩も多少あるようです。しかし、この減歩というのも限度が決まっていて、
公共施設用地の設置者は代替地の提供義務が決まっているということになっており、特に日本では幹線道路の建設のために
区画整理、減歩が行われるんですが、西ドイツでは幹線道路等の建設のために、収用のかわりに
区画整理方式の利用は許さないということになっているということなどがあります。
今
局長お答えのように、広く行われているのは日本と韓国と台湾だ。韓国、台湾というのは日本の元植民地だったわけなので、やはり日本で独自に発達してきた
制度が韓国並びに台湾で日本と同じように使われている。最近、今のお話では、アメリカの州で一部見習おうという動きが出ているということですね。
そうしますと、歴史は非常に独特のものなんですね。日本の歴史についても、先ほどの石田氏のかなり詳細な研究が「総合
都市研究」に載っています。石田氏は自治体研究社から「日本近代
都市計画の百年」という著書もまとめられております。それから岩見良太郎氏の「
土地区画整理の研究」という、これもかなり膨大な本で、私も何も全部読んだわけじゃないんですけれ
ども、歴史の主なところはやっぱり非常に重要な日本における問題だと思って調べました。
もう時間がありませんからまたいつかの機会にしたいと
考えておりますけれ
ども、まず西ドイツから入ってきて耕地整理、つまり郊外の
土地の地主による
区画整理として明治、大正から始まったものなんです。
既成市街地に使われ始めたのは関東大震災後ですね。この関東大震災のときに特別
都市計画法というものが生まれる。それまであったいろんな制限がなくなり、特に一割までの減歩は無償ということまで決まった。これが大問題になるんですね。「日本近代
都市計画の百年」を見ますと、帝国議会で満場一致反対です、これは憲法違反だというので。当時議員は地主さんが多かったせいもあるんでしょう、一九二五年三月、衆議院で全会一致、
区画整理改善決議、それに基づいて
改正案が出たんだけれ
ども、その翌年
国会解散で廃案になってしまったという歴史があってこの特別
都市計画法が行われている。
それから戦争中にさらにこれが改悪されて、軍都
整備都市計画、それから新興工業
都市計画というので、疎開する工場をどんどん
都市計画でつくっていく。この際は減歩は四割から五割に達したという事実が述べられています。戦後、戦災復興目的で特別
都市計画法、これが
施行された。このとき一割五分まで無償減歩、これが決まるわけです。
この点で
一つおもしろいのは、この一割五分の無償減歩というのは憲法違反だということが問題になって、当時GHQのケネイ氏の見解、一割五分で無償取得するのは憲法二十九条違反だという見解が出ている。法務庁調査意見局もこれは憲法違反の
可能性があるということがこの本にも引用されている。ですから、戦前の一割無償でという減歩も帝国議会で満場一致反対なんです。戦後の戦災復興のときにもGHQから法務庁まで憲法違反の疑いが強いということが出ている。
戦前の耕地時代は、小作人と地主との闘争が赤い糸のように貫いた。
既成市街地をこういう
手法で減歩してやっていくわけですから、これは住民と
施行者、特に
地方公共団体あるいは行政庁との大対決が戦前も戦後もずっと貫かれてきた。その中で次々に日本における
都市計画の最大の柱としてこれが成長、発展してきて、ついに今我々が審議しているきょうの
第三者制度の創設等々というところまで行くわけであります。
それで、この独自の
土地区画整理法、これが
昭和二十九年、一九五四年に単独法として成立しまして、減歩については減歩補償ということになる。この減歩補償というのは、もういろんな学者の見解があるんでしょうけれ
ども、私が見た岩見さんなどの見解によると、整理前と整理後の価格で、整理後が整理前の価格を下回らなければ補償しないでいいんだと。そうしますと物すごい改悪だ、下回らなければ一切補償しないでいいということになった恐るべきものだという判定が下されています。これは学者すべての見解ではもちろんないでしょうけれ
ども。
午前中の
局長の答弁だと、今減歩はどうなっているかというと、戦前は一割とか一割五分とかが無償というんだから、大体一〇%前後だったようです、特に耕地整理なんかの場合は。戦後大きな街路を、十二メーター以上の話も先ほど出ましたけれ
ども、やるということになるとこれはなかなか大変なことになるので、先ほどの答弁では、公共減歩、保留
地域歩を入れて平均で三三・五%という答弁ですね。
住都公団施行平均四四・六%という答弁ですね。これは大変なことだと思うんですよ。三割、四割減歩で取られて、これは不動産資本にとっては、受益者負担でいい、地価が上がるからというんでしょうけれ
ども、それこそ一般のただ住んでいる住民、小さな店舗、生存権に基づいて小さな
土地を持っている人にとってはこれは大変なことで、大問題が起きていくと思うんです。
こういう国際的な歴史を見ると、私は、皆さん方が非常に自信をお持ちの
土地区画整理というのは、むしろ日本のおくれた政治の、国民の権利がまだまだ確立されていない、しかもお上の言うことにはというところの政治のおくれが生み出した、戦前、戦後、戦争を通じ、軍国主義を通じ、自民党の独裁的支配の三十年を通じて発展してきた
制度ではないかと思うんです。
これは
大臣にお
考えをお聞きしても、なかなかこれは大問題ですけれ
ども、我々はどうもそういうふうにしか思えませんが、最後にひとつお
考えがあったらお願いします。