○板垣正君 そこで、私は歴史の事実ということについて申し述べ、さらに御見解を承りたいと思います。
この歴史の事実というのは、講和条約がかけられました
昭和二十六年十月から十一月にかけて、平和条約及び日米安全保障条約特別
委員会が衆参に設けられ、これらの議事録を改めて読み直してみたわけであります。
こうしたものを読みますと、第十一条に関しまして、当然平和条約で解消されるべき問題が和解と信頼の条約と言われながら、不幸にしてこの第十一条のような規定が置かれたことは大変遺憾であるというような意見がいろいろ述べられております。さらには、この十一条によりますと、日本内地に服役している者については日本政府の勧告、
関係政府の決定があれば減刑等ができますけれ
ども、なおモンテンルパとか豪州あたりにいる海外の者は釈放できない、そういうことに論議がやはり集中しております。外地にいる人を速やかに政府は救出をしろという声が非常にいろいろ論議をされておる。また、政府の立場からも当時高まっておりました、いわゆる戦犯釈放についての国民感情、国民運動、そういうものを受けながら最善の努力をするということが述べられております。
さらに、講和発効後でございますけれ
ども、
昭和二十七年十二月九日、衆議院本
会議におきまして、戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議が行われております。この決議は、当時の自由党の田子一民氏外五十八名、自由党と改進党、両社会党、無所属倶楽部の共同提案によるものでございます。
この決議におきましては、独立を回復して半年たっておるけれ
ども、今なお巣鴨には、当時八百十名、さらに海外には三百八名、しかもそのうち五十九名は死刑の判決を受けておる、こういう
状況についてこれらの助命、内地送還、赦免、減刑、仮出獄、こうしたことを促進すべきであるということを強く政府に迫った決議が採択されているわけであります。
なお、これに先立ち政府においても、
昭和二十七年の八月にいわゆるB、C級の戦犯に関して釈放の勧告を
関係諸国に出しております。さらに、二十七年の十月にはいわゆるA級も含めたB、C級全戦犯の釈放の勧告を連合国に提出をしてその促進を図っておるという事実も背景にあったわけであります。
そして、この議事録、これは官房長官まだ見ておられなかったらぜひ、私は一つの歴史的文書であるというふうに
考えるわけであります。
特に論議をされておりますのが、いわゆるB、C級を扱いました軍事裁判の問題であります。この軍事裁判には約五千名が戦後起訴をされ、約千百名の人々が死刑に処せられておる。しかし、いわゆるB、C級については言葉も通じない、弁護権も決して十分ではない、そしてまた、時間的にも非常にたってしまっておる、あるいは人違いがある、そして全く関知しないことについて刑を受けておる、あるいは全く事実無根のことが裁判にかけられる、言うなれば、まさに暗黒裁判、勝者の憎悪による復讐裁判。このB、C級戦犯の異常なそうした姿についても、この二十七年、独立回復後半年の衆議院本
会議においていろいろ論議がされておる。さらには、東京裁判につきましても、パール判事が日本無罪論と言われますけれ
ども、いわゆる東京裁判というものが法的正義を破壊したんだという立場に立ったいろいろな発言等も引用されつつ、この勝者のみに適用される法律、罪刑法定主義も無視し、いわゆる事後法の扱いによって行われた裁判、こうした一方的な文明の破壊、こういうこともその時点において国会論議の中で各党から論議が行われている。この記録を改めて見たわけであります。
さらに下がりまして、四十年八月六日の衆議院
内閣委員会でありますが、高瀬傳
委員がこのように述べております。判決の容認と裁判自体の正当性に対する日本政府の見解披瀝は別の問題ではないか、将来子孫に非常に重大な影響がある、政府として統一見解を持つ必要があるのではないか、勝者の敗者に対する裁き、国際的にはあり得ないことである、時期が来たらそういうことに対する政府の見解もちゃんとしておいてもらいたい、それが子孫に対する現在生きている者の義務ではないかと思う、研究してもらいたいという発言もとどめられております。
以上、るる申し上げましたように、この裁判について私はきょうあえて内容について申し上げようとは思いません。ただ、先ほど官房長官から、
内閣法制局長官から、そして外交当局から御答弁があったように、事実においてこの裁判を受諾しておるということにおいて今なお我が国が拘束をされ、そしてこれに対する国としての見解を述べることがなし得ないとするならば、まさに先ほど来申し上げましたような講和後のあの歴史の流れの中で、国会の中で、これは背景における国民的な運動という盛り上がりの中、堂々たる真実を求め、折り目を正すべきであるとする議論が高らかに行われたということに思いをいたしますときに、戦後四十三年を経て今なおこうした御答弁、こうした政府の態度に接しざるを得ないということはまことに残念であります。
特にこの問題は、今申し上げましたように、第十一条で受けとめましたのは、東京裁判もありますけれ
ども、いわゆる暗黒裁判と言われるB、C級をめぐるあの外地におけるあるいは内地における裁判の
実態ということでございます。こうしたものも含めてこれを受諾したということは、冒頭申し上げましたように、この判決を受諾する、日本政府がかわって刑を執行する、ここにまさに
目的があり、その趣旨があったのではないか。ちなみに講和条約の英文の正文、あるいはフランス語あるいはスペイン語、これが正文になっているようでございますが、専門的な国際法学者のこれらの
検討、研究等におきましても、これらの正文におきましてはやはり素直に判決を受諾する、そういう趣旨に読まれるということを専門家の意見として伺っております。
そういうことで今こそ、先ほどの高瀬傳
委員が四十年八月六日に言われた「時期が来たらそういうことに対する政府の見解もちゃんとしておいてほしい。これは子孫に対する現在生きている者の義務ではないか」と。我々はやはり今日あるのもあの先輩たちが築き上げてきたあの叫び、その流れ、これはやはりその歴史を継承し、そして我々の責務を果たし、次の代に伝えていかなければならない、そういう立場においてまさに今時期が来ているのではないのか。東京裁判が正当、これに批判ができない、こういうことによって日本は国際法を無視した侵略国家であり、犯罪国家である、悪い国なんだという主張が今なおいろいろ見られることはまことに遺憾であります。やはり、国家には名誉があります。また、民族には誇りがあります。しかも、私
ども真に戦争を反省し、そしてまた、平和を何よりも守っていかなければならないという思いにおいて断じて人後に落ちるものではありません。また、これは自由民主党の、また国の一つの国是であろう、国民的なまさに基盤であろう。しかも、なおかつ今申し上げましたような立場において、政府の見解を重ねてお伺いしたいわけであります。
官房長官、いかがでしょうか。まず、政府として、東京裁判あるいは軍事裁判等について、これはもう受諾したんだから全くタブーだ、あるいはこれに対する批判はできないんだ、こういう立場というものはやはりもうはっきり脱却をして、今直ちにこれに対する見解を出すか出さないかは別として、それに対しては独立国家として、自由なる国家としてこれに対して自由なる見解は持ち得るという、せめてそういう立場をこの際明らかにしていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。