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参考人(
久米三四郎君) 大阪大学の久米でございます。
私は、
原子力発電に懐疑的な
立場からこれまでその
安全性について研究してきました。それで、本日は急なことでしたので、お送りいただきました二つの資料、
法律案資料というのと
法律案参考資料というこの二つの資料に基づきまして、本
改正案についての
意見を申し述べたいと思います。
結論から申しまして、私はこの
改正には反対であります。その
理由の最も重要な点は、本
改正の
前提に同意できないからであります。
法律案資料の一ページに「
改正する
法律案提案理由説明」という項がありまして、その中に、「今や、核
燃料サイクル
事業の本格化の時代を迎えようとしております。」と書いてあります。しかし、私にはとてもそうは思えないのです。
いわゆる核
燃料サイクルを必要とする
目的は、言うまでもありませんが、
プルトニウムを
利用するということであります。それに関連した中心的な
事業は、再
処理とそれから
プルトニウムを生産する増殖炉とであります。これら二つの
事業に適用されています
技術の原理というのは、既に何十年も前からわかっていたわけであります。しかし、これらの
事業の
実用化は、従来からかけ声は勇ましいのですが、依然としてどの国でも成功していません。それは
実用化に伴う
技術的、経済的、社会的な困難をいまだに乗り越えることができないからです。
そうした困難の根源は、言うまでもありませんが、死の灰や
プルトニウムなど、厄介な放射性
毒物を大量に取り扱わねばならないということにあります。
少し具体的に申しますと、
使用済み燃料の再
処理では、
原子炉の
運転中に
燃料棒の中に閉じ込められていた多量の死の灰や
プルトニウムを硝酸で溶かし出す、そういうことから始めまして、遠隔操作ではございますが、化学
処理を施していきます。ところが、この硝酸は極めて腐食性が強くて、ステンレスのタンクやパイプに穴をあけ、その補修に大変な手間を要します。また、操作の途中で一たん溶けていた
物質が再び不溶性のものになってパイプやフィルターに詰まるという厄介なことが起こります。その上、硝酸に溶けた
プルトニウムは、その濃度や操作量の調整を誤りますと、臨界爆発という
核物質に特有な厄介な
事故を引き起こしかねません。当然ですが、日常的に環境に捨てられる放射能の量も
原子力発電所に比べてけた違いに多くなってしまいます。
こうした
技術的困難を克服しようとすれば、当然ですが、大変なお金がかかります。例えば
日本の動燃の再
処理工場では、
処理する
使用済み燃料一トン当たり約二億円の
処理料金を
電力会社から取っているようです。これは採算ベースではないと思いますが、それでも
プルトニウム一キログラム当たり約三千万という値段になっているわけです。同じ価値の
濃縮ウランはほぼその十分の一のコストで入手できるわけであります。ところが、
原子力発電の世界的な伸び悩みで
ウランがだぶついてきてその価格低下が起こっています。その一方で、これから申し上げますように、
プルトニウムを必要とするはずだった増殖炉の
開発も挫折してしまい、コストの高い
プルトニウムの売れ先がなくなってしまっているのです。
軍事用の再
処理では世界の先頭にあった米国でさえ、商業用の再
処理、つまり平和産業としての再
処理事業は幾つかの会社が試みてきましたけれども、すべて失敗に終わっています。ヨーロッパでも、EC諸国が共同してやろうとしていましたベルギーの再
処理工場も、十年以上も前に店じまいしたままであります。
それで、最近ではどの国でも
使用済み燃料を再
処理しないで、そのまま貯蔵したり最終処分したりする方向、いわゆるワンススルー方式と呼ばれておりますが、そういう方式への傾斜を強めてきています。
日本でだけ奇跡が起こるとはとても思えないのです。
同じようなことは
プルトニウム増殖炉についても起こっています。
プルトニウムを本格的に
利用しようと思えば、現在の
軽水炉の
使用済み燃料から取り出した
プルトニウムだけではとても足りません。その
プルトニウムを元金にして
プルトニウムをふやしていけるような
原子炉が必要です。この
原子炉のことを増殖炉と呼んでいますが、現在のところ金属ナトリウムを冷却材に使う
高速増殖炉が最も実用に近い位置にいるとされています。ところが、この型の
原子炉は、チェルノブイリ
原子炉と同様に、一たん炉心で蒸気の泡が発生しますと、反応度、つまり核分裂の勢いが大きくなるという欠点を持っています。さらに炉心溶融によっても反応度がふえるという性質もありますから、
原子炉暴走の危険は
軽水炉に比べてずっと大きくなると考えています。それに、金属ナトリウムという厄介なものを冷却材に使いますから、
原子炉や配管の腐食あるいはナトリウムの熱的な性質のために配管などが破損しやすいといった欠点、さらには、よく御存じのとおり、金属ナトリウムというのは空気や水と触れますと火災や水素爆発を起こすという特有の危険も持っています。こうした多くの困難を経済性を保ちながら乗り越え、
実用化していくことの見込みが立っていないのです。
それで、米国
政府は
国会の決議に基づいて約五年前に
高速増殖炉原型炉の
開発予算を打ち切りました。これに対して
フランスでは、
原型炉のフェニックスから
実証炉のスーパーフェニックスへと進めてきましたが、ついに昨年スーパーフェニックスでのナトリウム漏れ
事故をきっかけに、EC諸国と共同で進めようとしていた本格的な
高速増殖炉計画を当分凍結し、一から検討し直すとの方針を明らかにしています。ひとり
ソ連だけが相変わらず
高速増殖炉の
開発を進めるとしていますが、
ソ連でも採算性の要求が高まれば、無理をしてチェルノブイリ
事故のような大災害に見舞われるかあるいは
開発を中止するかといった事態になるのではないかと考えています。
日本では
原型炉の「
もんじゅ」の
建設が
敦賀で進められていますが、あのタイプの増殖炉で
実用化していけるとはだれも思っていないのではないでしょうか。
これまで述べてきましたように、核
燃料サイクルという言葉が使われ始めたころに抱かれていたバラ色の期待は今や虚像となり、宝のはずだった
プルトニウムは不幸を呼ぶ石となってきています。私には
日本においてだけ核
燃料サイクル
事業の本格化の時代を迎えるという見通しの現実的な根拠がどこにあるのか全く理解できません。
通産通は、手元にお配りしました資料1にありますように、
日本の
原子力がひとり立ちできない産業から「経済
原則の働く「通常の産業」」になってほしいと期待しています。しかし、もし核
燃料サイクル
事業の本格化という重荷を
原子力産業が背負い込めば、そうした期待もますます遠のくでしょう。スリーマイル島
事故やチェルノブイリの
事故も
原子力の経済的環境の悪化の中で発生しています。その上、もし使い道のない
プルトニウムをため込むというような愚かなことをすれば、そのための経済的負担の増大はいわゆる
プルトニウムプレッシャーを高め、軍事転用への傾斜を強めていくでしょう。
次に、本
改正案の内容について述べておきます。
何より奇異に感じましたのは、
改正の肝心の中身が不明なままということでした。例えば、第二条の第五項に今回の
改正の
対象となる
特定核燃料物質の定義が述べられていますが、具体的な内容は
政令にゆだねられています。
対象さえはっきりしていないままの
法案審議など、私たち自然
科学者には不思議です。例えば、
改正案では廃棄の
事業にまで
規制の網がかけられていますが、廃棄しようというものの中にどうして
特定核燃料物質というような大事なものが入ってくるのか私には理解できません。中身が不明ということでは、
改正案の中心となっています
防護措置と
防護規定の内容も一切省令にゆだねられたままです。このままではどうにでも解釈できるようなものができるのではないかと案じています。
ここで、
核物質の
規制という名目で
公開の幅が狭められている例を
一つ挙げておきます。
昨年十月に
日本原電
敦賀一
号炉で出力低下中に
運転員のパルプ操作ミスで出力が急上昇し、
原子炉が緊急停止するという
事故が発生しました。私たちは、この
事故が
原子炉暴走
事故の先駆け的な
事故であるとして重視し、その経過の検討を続けてきています。そのためには、当然
事故に関する資料が必要です。ところが、
敦賀の市民グループが
敦賀市に要求して入手した
日本原電からの
報告書では、その中の合計十二枚のデータが県や市当局によって墨で塗りつぶされていたのです。このことは衆議院でも問題になり、これまで九枚が
公開され、あと三枚の資料がお手元の資料2にございますように、今なお墨塗りのままとなっています。
このうちの一枚、「添付資料—2」と書いてござ
いますデータですが、これは今回の
事故の原因となった重要なバルブの位置を示す図面なのですが、それが
公開できない
理由が、県や通産省の説明では、
核物質防護のためとなっているとのことです。しかし、私には
核物質の操作とは何の
関係もないこのバルブの位置がどうしてそうした
理由で
公開できないのか全く理解できません。
最後に、
改正によって新たに追加されようとしています罰則について一言申しておきます。
私は、長い間弁護補佐人の一人として伊方原発の設置許可取り消し請求裁判にかかわってきましたが、その際、国の代理人の
方々は、今回
改正されようとしています
原子炉等規制法について次のように述べておられました。この
法律は、
原子炉設置者などの
事業者に安全
規制のために守るべき要件を明確にして
事業の許可を与えるためのもので、
一般住民は直接には何の
関係もない。ところが、今回追加された罰則は、明らかに不
特定多数の人々を
対象にしており、これまであった
罰則規定とはまるで異質なもののように思います。
このように、取ってつけたような
法律構成をなぜとらねばならないのか素人の私にはわかりませんが、何か異様さだけがぎらぎらと光っているように思います。また文章的にも、例えば七十六条の二に「その放射線を発散させて、」とありますが、「その」とは一体何を指すのか。それから、放射線を発散させるという表現は、私の授業であれば恐らくペケになると思います。また、「未遂」という言葉が意味する範囲も、私のような素人には無限定過ぎて薄気味悪く思われます。
核物質防護のための
規制の強化は、肝心の物の
規制を外れて、人を見たら泥棒と思え式の人間監視の方向に向かわざるを得なくなると思います。核
燃料輸送の監視行動についてのお手元の資料3にあります誤った報道騒ぎもその一例だと思います。恐らく
核物質の
規制を強めれば強めるほど、
一般の人たちは
原子力の本質的な恐ろしさを知り、世論の支持を失った
原子力はその終えんに向かって速度を速めることと思います。
以上です。