○伏見康治君 私もいろいろな質問をするように通告いたしましたけれども、時間の関係で、私自身も疲れますので適当なところで切り上げたいと思うんです。それで、テーマを
一つ限定いたしまして
大型放射光実験
施設、SORについてだけ御質問申し上げたいと思うんです。
これについては既に
木宮先生が御質問くださいましたので、大体のアウトラインは皆さん既におわかりになっていると思いますので、いきなり質問に入りたいと思うんですが、質問と申しましても、まず私の意見を申し上げないと質問の
意味がわかりかねると思いますので、二つの点から御質問申し上げたいと思うわけです。
一つは、
日本の
科学技術のすばらしい発展に対して先進国のヨーロッパ諸国や
アメリカから、
日本はただ乗りをしているという非難を絶えず受けているということは皆様よく御承知のとおりでございまして、それで、歴代の
科学技術庁長官は、ただ乗り論と言われるのは甚だ困りますので、
基礎研究からちゃんとやっていくんだということをたびたび言明されていると思うんですね。
ところが、この
大型放射光実験
施設というのをただいまの形でつくり上げるということは、
アメリカ人に言わせると、一種のただ乗りであるというふうに言われかねないわけです。と申しますのは、このSORというもの、つまりシンクロトロンという加速器がまず発明されました。この加速器を発明した駆動力は実は素粒子論者にございまして、より高いエネルギーの粒子をつくり出すということに夢中になっていて、加速器に対して新しい工夫が絶えず加えられてきた。皆さんもよく御承知のとおり、現在では大変高いエネルギーの粒子がつくれるようになっているわけです。その一こまとしてシンクロトロンというものが発明されたわけですが、その発明は三十年ぐらい前の話です。
しかし、シンクロトロンを発明された方は、それを加速器、つまり粒子の勢いをよくするということだけで、できた粒子をほかの粒子にぶつけましてそこから新しい粒子が発生してくることを
期待してやっておりましたものですから、そのシンクロトロンに、電子を高速度で回しますと、その軌道から大変いい性質を持った光が出ているということに余り気がつかなかった。しかし、窓をあけてみますというと、実は大変よく光っているということがすぐ目に見えるわけです。
それで、その光を光源として
利用しようではないかという発想がそのシンクロトロンの加速器が発達した
段階で出てきたわけでございまして、その光源として
利用する
研究というものが二十何年前に始まっていると思うんですが、それ以来いろんな形で、
アメリカで申しますと、ウィスコンシン
大学のSORとか、あるいビューロー・オブ・スタンダーズのシンクロトロンとかというのがそういう仕事を手始めに始めております。それがだんだん成績を上げてまいりましたので、今からちょうど二十年ぐらい前になりますが、
日本の科学者がそれと同じ光源用のシンクロトロンをつくろうといたしまして、田無市にあります原子核
研究所のシンクロトロン、それから出てまいります勢いのいい電子を使いまして、それを光源として
利用するという仕事を始めたわけです。
その当時、私は名古屋
大学のプラズマ
研究所の所長をしておりまして、原子核
研究所の所長さんと、それからもう一人は物性研の所長さんと三人連名で
文部省に陳情書を出しまして、そういう新しい光源をつくっていただくように
お願いした記憶があるわけですが、それが二十年ぐらい前だったと思うんですね。
つまりそれ以来いろんな工夫が積み重なりまして、だんだんシンクロトロンのエネルギーも大きくなってきて、そして御承知のように、
筑波の高エネルギー
研究所が、本来の目的であります素粒子論的な加速器のほかに、あわせて応用という面を含めて大変高エネルギーの粒子をためた装置の中でその粒子の出すシンクロトロンラジエーションを光源として
利用するという、そういう仕事を始めました。それが好企画であったのでしょう。
一つは、それをつくった当時には
世界最大のエネルギーを持ったシンクロトロンであったわけです。それから、非常に上手につくりましたので非常に
利用率が高くて、例えば現在で言うとNTT、電電公社なんかがその
一つのチャンネルを独占して
利用するとか、
民間の会社がそれを
利用するとかというような話が広がりまして非常に役に立つということが実証されたわけです、実際問題に役に立つことが。そういう
段階でこのお話が出てまいりますというと、つまり今までの二十何年間積み上げた
技術の上でそのいいところだけちょうだいするというただ乗り論的非難というものが出てくるおそれがあると思うんですね。
それで、私はこういう
計画をお立てになるときには、少なくともこういう光源というものをつくるという意識はそもそもどういうところから出てきたか。それから、これからつくるについてはもう少しただ乗り論でない要素をつけ加えるべきであるというふうな感じを持つんですが、その辺のところの今度のこういうSORをおつくりになるそのフィロソフィーというものがもしおありになっりたら聞かせていただきたいと思うんです。