○坂上
委員 私は、まず本日の討論に参加する
意味について申し上げたいと思います。二番目に、原案に反対して修正案に賛成する意見を申し上げたいと思います。三番目に、
刑事補償法の運用について意見を申し上げたいために討論に参加をいたします。
私は、
日本社会党・護憲共同を代表して、以下の意見を申し上げるものであります。
本日
刑事補償法の一部改正について議了することに、私は昨日来から強く反対をしてまいりました。しかしながらまた、議了やむなしという御意見もありましたので、私はきのうの
理事懇が終わりましてから法務部会を我が党で開いていただきました。その結果、私は次のような
提案を決に基づきましていたしたわけであります。
その
一つは、特にこの
刑事補償法の質問を
委員としてお許しをいただきたいといううちの同僚議員が一人おられるということ、よってこの人から私たちは今
提案になりました修正案もあわせて質疑をさせていただきたいということを申し入れました。そして、その質疑は四月八日の午前中一時間をもって終了してもよろしいということを通告をいたしました。そして自後、不動産登記法等の
関係について自民党が御質問をなさることについては、意見を申し上げないで賛成をするということを言ったわけでございます。このことをもとにいたしまして、けさ
理事会で議論をいたしました。
理事会といたしましては結論が出ないまま昼食になりまして、今度休憩時間で議論をいたしました。何とか譲歩してくれというので、私の方は次のような条件で譲歩することを意見表明をいたしました。
すなわち、この点については私たちは質問をこれで打ち切りましょう、そのかわり、本
会議の上程については四月八日以降に上程をしていただくよう努力をお願いしたい、こう申し入れをいたしたわけであります。出席の
理事さんらはいずれも、大変よい案であるから検討いたし、努力いたしましょうということに相なったわけであります。しかし、事は議運の問題でもあるものでございまするから、議運にそのことを要請をし、そして議運がこれを努力することを約束をしてもらうことを私は願ったわけであります。私は、早速我が方の清水勇
理事にそのことをお願いいたしました。八日以降ならばよろしい、協力をしますという回答をいただいたわけであります。
当然自民党からもそのような御回答があるかと思っておりましたところが、自民党の議運あるいは国対では、これが反対であるというような意向であります。だとするならば、私たちの最後の
提案をもとに戻しまして、次回には質疑を続行していただきたいということを申し上げたわけであります。しかるに、本日最後の
理事会におきまして
委員長は裁断をいたしまして、本日議了して討論、そして採決をするというふうに相なったわけでございます。私といたしましては、まことに不本意であるということを強く申し上げたのであります。
殊に法務の伝統は、私は大塚
委員長、相沢
委員長、それから現
委員長の三氏の指揮のもとで審議をしたわけでありますけれども、一応合意のもとで進行してきたわけでありますが、本日ここで強行されるということについては、私は極めてよき伝統とよき慣習を今ここで破壊をしたのだというふうに申し上げて過言でないだろうと思うのであります。
自来いろいろとお
話し合いの上で運営をされなければならない問題を、このようにどうしてもせっぱ詰まった事情にないのに、いろいろの
話し合いのもとに物事を進行してきたのを、本日ここで強硬に採決をされるということに強い私は憤りを感じつつ、反対の意向をその点においてまず表明をしたいのであります。
その次、二番目でございますが、原案に反対をし、修正案に賛成をするものであります。
その理由でありまするけれども、御存じのとおり
刑事補償法は刑事
訴訟法の刑事費用
補償、
国家賠償法の損害賠償、それから被疑者
補償規程と隣接をしておるわけであります。二日間にわたる討論、一日間におきまするところの参考人の意見を聴取いたしました。いずれも、
国家賠償法はほとんど機能してないということであります。そしてまた、被疑者の
補償規程についても完全なる運営がなされていないということもほぼわかったわけであります。そうだといたしますならば、私は費用
補償だけで賄えない現状から見てみまして、
刑事補償法こそもっと充実されてしかるべきだろうと思うのであります。
そこで、かつてのこの刑事
補償についての経過を申し上げますと、次のような事実が出てきておるわけであります。
まず、旧
刑事補償法はいわば昭和七年にできたものでありまして、これが一円五十八銭から二円五十一銭という平均賃金でございます。その平均賃金がありましたところへ、最高の算定基準日額が五円ということになっております。それから、この現行の
刑事補償法ができたとき、昭和二十四年の五月でございますが、三百五十二円で労働者賃金があったところが、この最高算定基準日額が四百円である、こういうことであります。その次に、昭和三十九年の改正はいわば千八十九円の労働者の平均賃金であったのでありますが、これが一千円の基準日額になっております。四十三年の改正時では、一千六百二十四円の労働賃金が一千三百円の基準日額になっておるわけでございます。昭和四十八年は、三千七百九十七円の平均賃金が二千二百円になっておるわけであります。昭和五十年の改正におきましては、一日平均賃金が五千九百十七円が、いわゆる日額といたしましては三千二百円となっております。昭和五十三年は、七千六百七十三円の賃金が四千百円ということになったわけであります。今度、これは平均賃金を
刑事補償法のパンフで言っておるわけでございまするけれども、約二分の一でございます。いわば、現在の一日平均現金給与額は一万五千九百七十七円と思われるとき、今回の一日日額の計算をこの
刑事補償法におきましては約半分、一日九千四百円という金額でございます。