○安倍(基)
委員 いろいろ君主制を見たときに、
日本の戦後のいわば天皇家と皇室というものは、よく
考えますると権限的にはイギリスの王室よりも弱い権限を持っていますね。というのは、イギリスの王室の場合には、例えば総理
大臣の指名などについて、慣例としてもちろん議会のいわば指名された者を選ぶことになっております。権限的には国王の権限を徐々に議会が
制約してきたという形でございましたが、戦前の
日本の天皇に近いいわば権限をいまだ持っておられる。それからもう
一つは、もちろん最大の資産の所有者であると同時に、イギリスの場合には周りに貴族というものがあるわけですね。この貴族社会のよしあしという問題はあるかと思いますけれ
ども、ダイアナ妃につきましても伯爵のいわば末裔であるというような、
一つの貴族階級がずっとこれを囲んでおる。それはいいか悪いかという問題はあるとしても、例えばこういう妃殿下のいわば御選択という面におきましても幅が広い要素、幅が広いと言っては変ですけれ
ども、
一つの階層があるわけですね。現在
日本の場合にはいわばそういう皇族、華族というのはほとんどなくなった。それは民主制のいい点ではありますけれ
ども、反面、こういうときにどういう人を選んでもいいのかというような話になってくる。
私は野党でございますから、どっちかといえばそういう階級社会に反対的な要素もございますけれ
ども、しかしこういう皇室というもの、御承知のようにウォルター・バジョットというのが、英法を御勉強になった方は御存じですけれ
ども、「英国の国家構造」という本を書いた有名な人がおりますね。その人が言っているのは、王室は畏敬せられねばならない、敬われねばならないということを言っているわけですね。それはそれなりに
一つの卓見じゃないか。そうなりますと、この御結婚が全くマイホーム的なというか、御本人のお気に召す、あるいは皇太子殿下のお気に召すということだけで処理されては大変なことになるよ。しかも皇室というものがそういう英国の王室に比べても、なお以前よりも、いわば先々どうなることやら。
私は個人的な話をしては申しわけないのですけれ
ども、私の父が終戦のときにポツダム宣言を受諾するかしないかというときに阿南、松阪両
大臣とともに、天皇制を保障したものであるかについて再照会を主張したわけです。戦後おやじが巣鴨に入りまして、その後、終戦に反対した人間の息子という非難を私は随分受けたわけです。私はそのときに、何でああいうときに再照会をすべきだったかと非常に疑問に思って、随分批判的だったわけです、私自身も学生時代は自治会でいささかピンク色というか、左がかった動きもいたしましたから。けれ
ども、おやじが巣鴨から出てきて、つまり戦後の
日本を復興するためには皇室というものが必要なんだ、皇室という存在がないと
日本の戦後の復興はできない、私はそう思ったからあえて非難を顧みずそういうことを言ったのだ、そういったことでございました。
私自身も、海外に行きましてほかの国の連中が、これは余談になりますけれ
ども、あるモロッコの人間が、エンペラー睦仁を知っているかというような話を私に、私、フルブラィトに留学していたときに聞きました。睦仁というお名前を存じ上げているのは我々の世代以上と思いますけれ
ども、そういう世界の後進国と言われているところの人間がエンペラー睦仁を知っているかということを言うように、
日本の皇室というものが非常に意味を持っているということを再発見したわけでございますけれ
ども、ただ、これがこれからどういうぐあいに行くのか、本当に今までの形で行けるのかどうかという重大問題が、私はこの御結婚問題にかかわっているという気がするのです。
いろいろ言いたいことはございますけれ
ども、私は選挙民に対してよく言うのですけれ
ども、
日本の皇室というものが何で意味があるのか。例えば政治家で首相になるというのは、相当権謀術数を弄してどうにかのし上がっていく。その間には随分汚れたこともやる。力はあり政策はわかっても、道徳的な意味で非常に汚れてくる。そこを、生まれながらにしていわば国の象徴という立場にある皇室というものがやはり精神的なよりどころとして社会の安定のために非常に大切なのだ、ここに皇室の意味がある、私はそういう発言をして選挙民に話しているわけです。
建国記念日なんかも高千穂の歌を歌いに出席するわけでございますけれ
ども、それだけにこれからの皇室がやはり一面において権威を持ち続けていかなければならない。その面から、単にマイホーム的な、御本人がよければよろしい、御本人が決められればよろしい、あるいは私
どもの家庭であれば、自分の子供が気に入ればいいだろう、子供の幸福のためにはこういう人を、選んだ人間がいい、それをオーケーするというようなことでございますけれ
ども、皇太子御夫妻がそういったことじゃないと思いますけれ
ども、私が一番心配していますのは、今上天皇がもう御高齢でございます。今上天皇が御存命中は皇室に対する畏敬の念というものが本当に
全国民の中に広がっておる。皇太子殿下が即位され、あるいは浩宮が即位されるころになって果たして皇室の権威というか、そういういわば立場、地位というものが憲法の一条だけで保障されるのかどうか。これはやはり国民挙げてこの方なら本当に、妃殿下の選択というのは御本人の問題でございますけれ
ども、こういった天皇、皇后であればというような、本当に国民挙げて歓迎する形でないと、日教組あたりがいろいろ教育している若い世代がどんどん大きくなったときに皇室はどうなるのか。
特にイギリスのように周りにそういう藩屏というのがない皇室であります。その面で、私は今度の、これからの選択は本当に慎重を期さねばならないと思っておりますが、その点でこういった広い
観点から、将来皇后になられる方の選択はどうすべきであるかということを中心に、むしろ宮内庁が積極的に御推薦申し上げる姿勢が必要なんじゃないか。かつては小泉信三さん、私、小泉信三さんを必ずしもいいとは思っておりませんけれ
ども、代々、
昭和、大正のころは元老的な存在が、恐らくそれなりのアドバイスをされてこられたと思います。今上陛下の場合には、御承知のように杉浦重剛さんがずっと帝王教育を、帝王学を、毎日精進潔斎しながら教えられて、それがやはり今世紀最大のエンペラーとも称すべき今上天皇の精神的な土壌になっておられると思いますけれ
ども、これが本当に今上陛下がお亡くなりになり、そして皇太子殿下が即位され、浩宮様が即位されるころにどういう形であるのかということを
考えますと、浩宮の御結婚問題というのは試金石というか、非常に意味の大きな問題だと思います。
そんな意味で、週刊誌がとらえているような、御本人のお気に召す、あるいは皇太子殿下のお気に召すということだけではいかない。もっともっと広い範囲から本当に厳しい選択の上で御推薦申し上げて、そして御本人のお気に召すというものを探すという姿勢が必要かと思います。この点、宮内庁の担当者としての次長、長官にもお話ししたいと思いますけれ
ども、そのお
考えと、国務
大臣としての法務
大臣、皇室
会議というものは御承知のように衆参両院の議長、副議長、総理
大臣、宮内庁長官、特に最高裁の代表が入っておる、立法、司法、行政の中心人物がおる、そういう機関でございますから、この点につきまして宮内庁のお答えとともに国務
大臣としての法務
大臣のお
考えをお聞きしたいと思います。