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嶋崎委員 諮問の第十二号「科学技術政策
大綱について」という非常に重大な
提言があっているのです。説明は要りません、時間がないですから。
僕の申し上げたいのはこういうことです。科学技術
会議と学術
会議は相互に連携する仕組みになっておるのです。
大臣は
御存じかどうか知りませんが、科学技術
会議の中には
日本学術
会議連絡部会というのがあるのです。そして、学者の代表機関である学術
会議と科学技術庁所管の科学技術
会議は、
大学における研究
教育の特に先端
教育などについてやったものにつきまして相互に科学技術交流するのです。そして、科学技術
会議は科学技術
会議で現実的な諸
課題、産業
社会にもこたえるためにテーマを決めて意見を述べるのです。わかりますね。
一方、
文部省には
大学審議会ができた。これは
基本的な事項を
審議するのです。ここで
大学院を
審議するのです。しかも、この
審議はどこから始まったかといえば
臨教審答申に基づいているのです。
臨教審の総責任者は内閣総理
大臣です。そこに学術
会議は勧告できるのです。科学技術
会議が内閣総理
大臣にちゃんと
答申したり意見を述べることができる。そうしたら
臨教審はそれを受けて、今後
教育改革をやるときには、今学術
会議はどんな要請をしているか、科学技術
会議はどんな
課題を提起しているかを受けて、
大学審議会がこれを検討することにやぶさかでないようでなければならないはずだと僕は思う。
そういう観点から、
大学審議会のこの人選は何ですか。国立
大学協会というのはどんなふうに関連しているか非常に疑問だ。国立
大学の
先生は二、三いますよ。三対三ぐらいだ、国立と私立は。それから財界の人は半分、五人ぐらいいますね。——もう時間がありませんから言いっ放しにしておきましょう。
最終答申に出てくるところで、国立
大学はどんな基礎研究をするかという
答申の
基本が出ています。私立
大学はそれに対してどんな役割をするかというのは
臨教審答申に出ている。ところがこれは国立
大学中心です、依然として発想は。その国立
大学の
大学院問題や
日本の
大学院制度を議論するときに、学者の議会である学術
会議が勧告したり、科学技術
会議が意見を述べているのを受けて、この内部で検討するための体制というものを考えるときには、その人選に当たっては、
大学審議会並びに
大学院の検討
委員会の
審議に当たっては、密接にそういうところと関連を持つような
委員を少なくとも一人や二人は入れておかなければならぬと僕は思う。そういう配慮が全然ない。この
意味でも、
臨教審答申の高等
教育改革問題というのは、偉い人が集まっていろんな御議論をなさったかもしらぬが、
国民の税金を使って今日まで積み上げてきた
我が国の科学技術
会議の成果や学術
会議の成果や、そういうものを踏まえて今後どのような方向づけをするかという議論のまじめさに欠けておる、私はこう思う。
そういう
意味で、この
委員の人選という問題を考える際には、好きな人を集めておるわけじゃないでしょうけれ
ども、
我が国の科学技術先端を含めて全体の動きがどうなっているかがもっと反映できるような、そういう
委員構成を検討すべきであるというのが一つ。この中に
教育法や
教育関係の学者は一人もおらぬ。なぜですか。六法全書を解説している、
我が国のみんなが勉強する法学全集の中の「
教育六法」は兼子仁
先生が書いているのですよ。何も兼子
先生と僕は言っていないですが、こういう流れの学者は一人もいない。どういうわけですか。
日本の
大学の
基本を
審議するのに、
現行教育法制の中できちんと
憲法や
教育基本法や
大学のあり方というものを踏まえながらみんなの意見を聞こうという学者が入っていてもいいじゃないですか。ともかく
中教審には
教育学者を今まで外してきた。そして、
臨教審を初めとして一切
日本の
教育学界の成果というものを受けとめようとしないで来た。
教育学という学問は戦後の学問ですから蓄積がおくれたことは間違いない。しかし今はもう相当な蓄積ができています。そういう
意味で、人選問題についても私は疑義があるのです。開かれた
大学とか開かれた
審議会とか言うけれ
ども、そういう観点について、今後国立
学校設置法その他の段階でもっと詰めた議論をさせていただきたいと思います。
最後に残ったのは
大学入試、この
大学入試は、もう新聞で
御存じのとおり、すべての大新聞の論説はちょっと待てと言っている。
大学入試について大変御努力なさって、
私学に参加してもらうとかいうような努力をなさっているのはわかるけれ
ども、共通テスト以外の何物でもありません。
学習度をテストするのでしょう。そして共通一次みたいなものをやるのでしょう。そして今度は、それと
大学の選考をコミットしてリンクさせるのでしょう。適性検査じゃなくて、能力じゃなくて、到達度でしょう。何も
基本は変わってないじゃないですか。そして去年、ことしはどうですか。受験生はたまったものじゃない。
教育改革の動向は生徒不在です。これは国大協にも責任がある。しかし、
文部省は今度は相当なくちばしを入れてやっているようだから、
文部省にも責任はありますよ。そういう
意味で、国立
学校設置法の際にもう一遍議論しますが、時間が来ましたのでこれでやめますが、最後に一言。だけ問題を提起しておきましょう。
私はこんなことを申し上げたかったのです。一番
最初に、第十三期の
中教審、そこで議論された
幾つかの
課題、先ほど申し上げました。今度の
国会にそれがみんな
法律となって出てきたのです。
臨教審の路線というものの中にはかつての
中教審にはなかったものが確かに付加されている、生涯
学習がそうだ。しかし、要するに
臨教審というのは
中教審と比べて大変な金額、予算を使っている。私、ここに資料があるけれ
ども、物すごい金を使っていますよ。そして、その
臨教審がやった結果は、かつて
文部省が追求してきたもの、
中教審でのつまみ食いをして、そして今
国会にそのまま出してきただけじゃないですか。そういう
意味では、
臨教審というものを受けたこの
教育改革というのは大変問題があるというふうに私たちは考えざるを得ない。
これから
法案を個別にやって今後
審議していきますが、時間をちょっと経過いたしましたが、前は一時間半なんということじゃなかったのですけれ
ども、このごろえらい
委員会の
審議の時間が短うなりまして、ちょっと時間をオーバーいたしましたけれ
ども、問題提起ということで、今後とも論争を深めてまいりたいと思います。
以上で終わります。