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柴田(弘)
委員 佐藤農水
大臣に
質問をさせていただく機会をいただきまして非常に光栄に思います。
昭和五十五年の衆参ダブル選挙の直後に災害対策特別
委員会でお互いに
理事をやっておりました。当時は、三百人以上が亡くなられた長崎のあの水害の問題あるいはまた島根県、山陰地方の水害の問題、そしてたしかその明くる年には三宅島の大爆発がありまして自衛隊のヘリコプターに乗って一緒に行ったと思います。あのときはたしか
大臣の提案で議員立法もできました。非常に懐かしく思いまして、農水
大臣になられましたことをまずもちまして心からお祝い申し上げ、
質問に入りたいと思います。
〔笹山
委員長代理退席、保利
委員長代理着席〕
きょう私が取り上げる問題は地元の問題で非常に恐縮に存ずるわけでありますが、名古屋市を北から南に流れる堀川の問題でございます。実は先ほど建設
委員会において
質問をしてまいりまして、建設
大臣等から非常に前向きな発言もちょうだいをいたしましたし、農水省の課長さんからもきっぱりとした
答弁をいただきまして、一歩前進した、このように私は考えているわけであります。
大臣、所管以外のことで非常に申しわけございませんが、後から
関係が出てきますのでいろいろ
質問いたします。パンフレットも既に差し上げてありますのでお聞きいたします。
この堀川再生の問題で、私は
昭和六十一年三月六日の予算
委員会で時の建設
大臣江藤隆美氏に
質問をいたしました。木曽川導水事業を初めといたしまして非常に前向きに、
柴田さん、川は魚が泳ぐようにならなきゃだめですよ、こういう積極的な
答弁をいただきました。それで、国会が明けましてわざわざ名古屋に来ていただきまして堀川も視察いただいたのですが、見ていただくとわかりますが、上流の北区地点ではもう雑草がぼうぼうと生えまして土が埋まっております。川の流れもほとんどない。下流の納屋橋地区あるいは白鳥地区に参りますと水はありますがヘドロがいっぱい堆積している。もう臭くて臭くてしようがない川なんですよ。それで、農水省のある方が、私がきょう
質問をするということでわざわざ東京から視察にみえたのです。熱心だと思います。非常に感心だなと思って僕は敬意を表しているわけであります、名前を言うと差しさわりがありますので申しませんが。
大臣に御
質問したいのは、所管外のことでまことに申しわけありませんが、堀川の再生には三つあるわけでございます。
一つは、いわゆる民活を導入いたしました納屋橋付近の市街地再開発事業でございます。これは建設省も補助していこう、こういう
考え方でおるわけでございます。地域の活性化という観点。
第二点は、ヘドロを除去し、護岸をしっかりする、いわゆる堀川の総合的な整備事業があります。これも
昭和六十一年に都市小河川事業として建設省の方で採択をいただきまして、名古屋市も六十四年、来年が市制百周年記念になるわけです。だから、国、県、市が三分の一ずつ事業費を出して積極的に取り組んでいこう、今こういう体制になっているわけであります。
三点目が、問題の流況調整河川木曽川導水事業ということでありまして、幾ら川をきれいにしてヘドロを除去しても、やはり水の流れがなければだめだということで、この木曽川導水事業が
昭和四十七年に国の事業として採択をされました。そして、五十八年から六十九年まで十二年間かかってやろう、こういうことになっておったわけでありますが、今になっても肝心の木曽川導水事業は行われていないわけなんです。行われていない原因は、後からまたいろいろとやってまいります。いずれにいたしましても、今言いました三点がいわゆる堀川再生の一番重要な事業だと思います。
まず
大臣、川はきれいにしなければならないと思います。江藤
大臣もかつて、魚が泳ぐようにならなければならないだろう、こういうふうにもおっしゃっておりました。今、越智建設
大臣に
質問してきたばかりですが、積極的にこの三つの事業に
対応してまいります、こういうふうな御
答弁もいただきました。この三点の堀川再生について、農水
大臣、所管外で申しわけございません、三回申しわけないと申しましたが、いかがな御所見でございましょうか、御
認識のほどをひとつお聞かせをいただきたいと思います。