○村瀬説明員 初めに調査の件からまいりたいと思いますけれ
ども、終戦から現在まで未帰還調査というものを実施しておりまして、
政府といたしましては山西軍参加者が現在
中国に残留しているということは認識しておりません。しかしながら、ただいま
先生からお話がございましたように、民間の
方々が直接
現地の方に参りましていろいろと御調査をされている、そういう状況であるということでございましたけれ
ども、私
どもそういう確かな情報がございますれば調査を行うことを
検討してまいりたい、そういうふうに考えております。
それから、
援護の問題でございますが、現在そのような地区に、山西省に元
日本の将兵の方
たちあるいは
一般邦人の方
たちが残留しておるということであれば、その方が
日本に帰国したい、永住したいという場合もありますでしょうし、一時帰国したい、こういう場合もありますでしょうが、いずれも
援護の
対象といたしております。その二点、お答えいたします。
それから、
経緯の方を御説明いたします。
終戦に伴いまして、
中国山西省にありました
日本軍は、停戦協定に基づきまして当時の
中国国民政府の山西軍に降伏の手続をすることになっておったわけですが、
昭和二十年十月、山西省を支配しておりました山西軍は、当時
中国共産党軍への対抗上、
日本軍第一軍でございますが、これの将兵及び在留邦人に山西軍への参加を勧誘いたしまして、これによりまして多数の
方々が参加されたのでございます。
二十年の末から二十一年の一月にかけまして、第一軍の司令官は全将兵の
内地帰還の方針を各兵団に説明いたしまして帰還を説得いたしたわけでございますけれ
ども、あくまで山西軍に参加残留された将兵の
方々約二千六百名につきましては、
現地除隊の
措置をとったわけでございます。このほか
一般邦人で残留を希望する
方々を合わせまして、約二千九百五十名が残ったものと思われております。
その後情勢が鎮静化いたしまして、
昭和二十二年から三十九年にかけまして約二千四百名の
方々が逐次引き揚げてまいったわけでございますが、これらの帰還者からの情報によりますれば、約五百五十名の
方々が亡くなったと思われます。
これらの死亡者の扱いでございますが、
昭和三十一年以降、
先ほど先生からのお話がございましたように、
国会におきまして、軍の命令によりまたは命令があると誤解して残ったのであるから、
現地除隊ではなく死亡時に
軍人であったとして扱うべきである、こういう議論がございました。それで、
昭和三十八年から
現地死亡者につきまして
現地除隊の扱いを個別に見直しをしているところでございます。現在断片的に残っております
記録によりますれば、
昭和四十八年二月の時点でございますが、二百六十名の死亡者について
現地除隊を解除しておるところでございます。
このような経過となっております。