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1988-04-26 第112回国会 衆議院 内閣委員会 第8号 公式Web版

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  1. 会議録情報

    昭和六十三年四月二十六日(火曜日)     午前十時二十二分開議  出席委員    委員長 竹中 修一君    理事 近岡理一郎君 理事 月原 茂皓君    理事 戸塚 進也君 理事 前田 武志君    理事 宮下 創平君 理事 田口 健二君    理事 竹内 勝彦君 理事 和田 一仁君       内海 英男君    小沢 辰男君       大村 襄治君    河野 洋平君       宮里 松正君    村井  仁君       森下 元晴君    谷津 義男君       角屋堅次郎君    広瀬 秀吉君       渡部 行雄君    井上 和久君       鈴切 康雄君    川端 達夫君       浦井  洋君    柴田 睦夫君  出席国務大臣         国 務 大 臣        (内閣官房長官) 小渕 恵三君  出席政府委員         内閣法制局長官 味村  治君         内閣総理大臣官         房参事官    平野 治生君         総務庁恩給局長 石川 雅嗣君         外務大臣官房審         議官      谷野作太郎君         外務省条約局長 斉藤 邦彦君  委員外出席者         大蔵省主計局共         済課長     山口 公生君         大蔵省主計局主         計官      若林 勝三君         大蔵省理財局総         務課長     米澤 潤一君         厚生省援護局援         護課長     山岸 親雄君         参  考  人         (全国抑留者補         償協議会会長) 斎藤 六郎君         参  考  人         (明治学院大学         法学部教授)  廣瀬 善男君         参  考  人         (全国軍人恩給         欠格者個人給付         実現推進連絡協         議会代表委員事         務局担当)   新島 重吉君         内閣委員会調査         室長      大澤 利貞君     ───────────── 委員の異動 四月二十二日  辞任         補欠選任   井上 和久君     伏木 和雄君 同日  辞任         補欠選任   伏木 和雄君     井上 和久君 同月二十六日  辞任         補欠選任   河本 敏夫君     小沢 辰男君   大出  俊君     渡部 行雄君 同日  辞任         補欠選任   小沢 辰男君     河本 敏夫君   渡部 行雄君     大出  俊君     ───────────── 四月二十六日  防衛庁設置法及び自衛隊法の一部を改正する法律案内閣提出第七号) 同月二十五日  スパイ防止法制定に関する請願船田元紹介)(第一六五〇号)  国家機密法制定反対に関する請願田口健二紹介)(第一六五一号)  国家秘密法案の再提出反対に関する請願中村巖紹介)(第一六五二号) 同月二十六日  国家秘密法制定反対に関する請願草野威紹介)(第一八二八号)  国家機密法制定反対に関する請願中路雅弘紹介)(第一八九〇号)  国家秘密法案の再提出反対に関する請願松本善明紹介)(第一八九一号)  スパイ防止法制定に関する請願原口昇左右紹介)(第一九四二号) は本委員会に付託された。     ───────────── 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  平和祈念事業特別基金等に関する法律案内閣提出第二七号)  被抑留者等に対する特別給付金支給に関する法律案角屋堅次郎君外四名提出衆法第二号)      ────◇─────
  2. 竹中委員長(竹中修一)

    竹中委員長 これより会議を開きます。  内閣提出平和祈念事業特別基金等に関する法律案及び角屋堅次郎君外四名提出、被抑留者等に対する特別給付金支給に関する法律案の両案を一括して議題といたします。  この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。  両案審査のため、本日及び来る二十八日、参考人出席を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 竹中委員長(竹中修一)

    竹中委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。  本日は、参考人として全国抑留者補償協議会会長斎藤六郎君、明治学院大学法学部教授廣瀬善男君及び全国軍人恩給欠格者個人給付実現推進連絡協議会代表委員事務局担当新島重吉君の御出席を願い、来る二十八日の人選につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 竹中委員長(竹中修一)

    竹中委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。     ─────────────
  5. 竹中委員長(竹中修一)

    竹中委員長 この際、参考人各位に申し上げます。  本日は、御多用中のところ御出席いただきましてまことにありがとうございます。  御意見の聴取は質疑応答の形で行います。  なお、念のため申し上げますが、参考人委員長の許可を得て御発言願い、また、委員に対しては質疑ができないことになっておりますので、さよう御了承願います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。渡部行雄君。
  6. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 きょうは、実は外務省の方で参議院との関係でどうしても時間が限られていると言いますので、順序を変えて、まず最初外務省からお伺いいたしたいと思います。  条約局長は、今まで私とのやりとりももう大分やりましたからおおよそのことはわかっておられると思いますが、ここで私がお尋ねしたいのは、捕虜に対する待遇に関するジュネーブ条約は、いつから日本に適用され、そしてその実施義務はいつから負うことになったのか、この辺を明らかにしていただきたいと思います。
  7. 斉藤(邦彦)政府委員(外務省)(斉藤邦彦)

    斉藤邦彦政府委員外務省) ただいまお尋ねの条約は、一九四九年の捕虜待遇に関するジュネーブ条約のことだと存じますけれども、この条約につきましては、我が国昭和二十八年、一九五三年に加盟しております。したがいまして、我が国がこの条約実施義務を負いましたのは一九五三年からでございます。
  8. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 この条約は突如としてできたのではなくして、もうずっと以前から交戦法規というものがだんだん体系化されて現在のジュネーブ条約になっておると思いますが、そういう一連の流れというものをあなたはお認めになりますか。
  9. 斉藤(邦彦)政府委員(外務省)(斉藤邦彦)

    斉藤邦彦政府委員外務省) そのとおりでございまして、捕虜待遇に関しましては国際慣習法という形で徐々に形成されてまいりました。第二次大戦時点におきましては、有効に存在していた条約といたしましては一九〇七年のいわゆるヘーグ陸戦法規というのがございます。この中に捕虜の労働に関する規定がございます。我が国はこの条約当事国となっておりました。それから、一九二九年にも捕虜取り扱いに関する条約が作成されております。我が国はこの条約には加盟しておりませんでした。これらの条約は、基本的には国際慣習法として成立しておりました捕虜待遇に関するいろいろな考え方を成文化したものでございます。  そのほかにも、この条約をつくるときに、改めて慣習法法典化ということではなく、新たに規定した部分というのもございます。ただし、基本的な流れといたしましては、徐々に形成されてまいりました国際慣習法を成文化したということでございます。  一九四九年の条約もこの流れに沿って作成されたものでございます。ただし、この一九四九年の条約になりますと、非常にいろいろ詳細な実務的な規定が含まれております。このような部分につきましては、国際慣習法法典化という性質のものではなくて、その時点での立法的な性格を持っていたものというふうに考えるべきだろうと存じます。
  10. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 そこで、日本国際法を適用した最初戦争というのは大体日清戦争と言われておるわけです。そして日清戦争日露戦争とあったこの二つ戦争で、とりわけ日本国際法を遵守した、こういう一つ世界からの歴史的評価を受けておるということをあなたはお認めになりますか。
  11. 斉藤(邦彦)政府委員(外務省)(斉藤邦彦)

    斉藤邦彦政府委員外務省) そのように評価されているということは、私も承知しております。  条約に関して申し上げれば、一八九九年に作成されました陸戦法規慣例ニ関スル条約というのがございまして、日本はこの条約を一九〇〇年に批准、公布しております。したがいまして、日露戦争に関しましては、この条約規定実施する義務というのは日本条約上の問題といたしましても負っていたということでございます。
  12. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 そこで、日露戦争を例にとって申し上げますと、   日露戦争においては、開戦早々の二月中旬に俘虜取扱規則を定め、次いで俘虜情報局を設置した。さらに、俘虜給与規則――後に俘虜取扱細則を以てこれに代える――、俘虜給与規程俘虜処罰件等法令を相次いで整備した。   これらの法令に基づき、松山その他の地に収容されたロシア軍捕虜は手厚いといってよい程の待遇を受けた。風俗習慣の相違による多少の軋轢はあったにせよ、ほとんどの物資は自由に購入でき、捕虜相手の商店が増え、外出や借家住まいまで許されるという待遇は、少なくとも捕虜将校が当時の平均的日本人よりも上質の生活を享受していたのではないかとさえ思わせる。  こういうふうになっておるわけですが、これを読んで、日露戦争当時でさえこれだけのことをやったのに比べて、第二次世界大戦における捕虜待遇については、日本は一体国際的に見てどういう水準にあるのか、その辺について御見解をお聞かせ願いたいと思います。
  13. 斉藤(邦彦)政府委員(外務省)(斉藤邦彦)

    斉藤邦彦政府委員外務省) ただいま御質問の点につきまして、私の立場にある者がお答えするのが適当かどうか必ずしも自信がございませんけれども、日本が負っておりました条約上の義務ということでお答えさせていただくとすれば、日本は一九〇七年の陸戦法規に関する捕虜待遇に関する規定実施する義務を負っておりました。  そのほかに、それに加えまして、先ほどもちょっと申し上げました一九二九年の捕虜待遇に関する条約、これは日本は加盟いたしませんでしたけれども、一方的な意図表明として、連合国に対しまして、日本はこの条約当事国としての義務は負っていないけれども、この条約規定に沿った取り扱い捕虜に対して行う意向であるという通告をしていたと承知しております。
  14. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 そこで、第二次世界大戦というのは何も日本兵だけが捕虜になったのではなくて、日本に対しても米兵や英国の兵士が日本捕虜になったのは御承知であろうと思います。この際、一体日本は何法に基づいてこれらの捕虜に対して待遇をしたのか、お聞かせ願いたいと思います。
  15. 斉藤(邦彦)政府委員(外務省)(斉藤邦彦)

    斉藤邦彦政府委員外務省) 基本的には、あらゆる国家を拘束していると考えられます捕虜待遇に関する一般国際法慣習国際法に従って日本捕虜取り扱いをしたというふうに承知しております。
  16. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 そうすると、国際法慣習に従って対処したと言われると、やはり加盟期日としての義務は生じなくとも、当然に戦争法規の準用と申しますか、遵守するのは国際慣例上当たり前だと思いますか。
  17. 斉藤(邦彦)政府委員(外務省)(斉藤邦彦)

    斉藤邦彦政府委員外務省) そのとおりと存じます。  それから、先ほど私、国際法の面に限って御答弁いたしましたけれども、国内的な措置といたしましては、俘虜取り扱いに関するいろいろな部内法規がございまして、具体的にはこれらに従って扱ったというふうに承知しております。
  18. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 このジュネーブ条約、正確に言うと捕虜待遇に関する千九百四十九年八月十二日のジュネーブ条約の第二条の三項に、仮に戦争の一方の国が締約国でなかった場合でも、この条約規定を受諾し、かつ、適用するときは、この条約によって拘束されるという趣旨のことが書かれておるわけですが、そうなると、連合国軍は、一部は別としまして、ほとんどこの条約締約国になっていたわけですから、当然に日本に対してもこの条約が適用されると解釈されていいのではないかと思いますが、どうでしょうか。
  19. 斉藤(邦彦)政府委員(外務省)(斉藤邦彦)

    斉藤邦彦政府委員外務省) 一九四九年のジュネーブ条約の第二条三項の規定は、ただいま御指摘のとおりでございます。  それから、ただいまの御質問は理論上の問題といたしましてはそのとおりでございますけれども、この条約が作成されましたのは一九四九年でございますので、ただいまの御質問の中の連合国という言葉が第二次大戦中の連合国という意味で使われているとすれば、第二次大戦時点ではこの条約はまだできておりませんでしたので、適用云々という問題は生じないと考えられます。
  20. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 そこで、第二次大戦中はその義務が生じないと言われておりますけれども、大蔵省財政史室編昭和財政史」第一巻の中で、こういうことが書かれているのです。「第三節 在外債務処理 ③ 捕虜労賃カード等……連合軍捕虜として収容された日本軍兵員が労役に服して交付を受けた労賃カード等未払いのもの」ここが大事なんですよ。「(一九二九年七月ジュネーブ締結された「捕虜待遇に関する条約」により抑留当局捕虜に対して公正な労賃支払義務を負うが、その未払い分日本政府に転嫁される。)」と書かれているのです。  そうすると、当然に、この労賃というソ連の未払い分日本政府支払わなければならないと解釈するのが当たり前じゃないでしょうか。
  21. 斉藤(邦彦)政府委員(外務省)(斉藤邦彦)

    斉藤邦彦政府委員外務省) ただいま御指摘大蔵省の文書、私は申しわけございませんが存じませんでした。  条約関係について申し上げますと、ただいま御引用のありました一九二九年の捕虜取り扱いに関する条約につきましては、先ほど申し上げましたとおり、我が国政府の一方的な意図として、この規定趣旨に沿って捕虜を扱うという通告はしておりますけれども、この条約そのもの当事国には日本はなっておりませんので、この条約のすべての規定実施する義務というのは法律的には負っていなかったということだろうと存じます。
  22. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 そこで、先ほども言いましたが、国際的に見て、日本捕虜に対する考え方というものは権衡がとれておりますか。均衡と申しますか、そういうものがとれていると考えますか。
  23. 斉藤(邦彦)政府委員(外務省)(斉藤邦彦)

    斉藤邦彦政府委員外務省) そこらになりますと私の御答弁する資格を超えるような気がいたしますけれども、第二次大戦中におきます我が国外国捕虜取り扱いは、 一部適当でなかった点があるという批判があることは承知しております。それから他方我が国捕虜になられた方々取り扱い、これも一部の国におきましては極めて適切を欠いた事例があるというふうに承知しております。
  24. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 いよいよ時間が参りますようですから、最後に、この条約誤訳の問題。  今のジュネーブ条約の六十七条ですね。今まで外務省は、これは字句間違い程度であって内容には影響ない、こういうふうに言われてきましたが、しかしよく読んでみると、この六十七条の二行目の「抑留国行つたすべての支払は、」というところの「抑留国」は「当該国」、つまり日本国ということですね。「当該国行つたすべての支払」というのは、これは第六十条あるいは第六十三条第三項または第六十八条を指して言っているので、当てはめればやはりこれは日本国と解釈していいわけですよ。これはお認めになりますか。
  25. 斉藤(邦彦)政府委員(外務省)一つの点を申し上げさせていただきたいと思います。 (斉藤邦彦)

    斉藤邦彦政府委員外務省一つの点を申し上げさせていただきたいと思います。  第一点は、この六十七条の趣旨と申しますのは、抑留国または所属国が行いました支払いを、最終的に敵対行為が終了した後に関係国の間で取り決めをつくって清算しろという規定でございますので、いずれの国が補償責任を負うかという問題とは直接関係がない規定だというふうに考えております。  それからもう一点の、この「当該国」がどちらの国かという点でございますけれども、これは従来の訳語が不適当であるという御指摘をいただきましてから、我々も慎重に検討いたしまして、諸外国考え方等も照会したところでございます。その結果、従来の訳文は、これは申し訳ございませんでしたけれども不適当だったという結論に達しました。  他方、では、それはどう訳すべきかという点につきましていろいろ考えました結果、諸外国考え方参考にいたしまして、これは一概にどちらの国、すなわち所属国とも抑留国ともこの条文の上からは決めがたいという結論に達しまして、その結果、原文そのままに訳した言葉、すなわち「当該国」というふうに訳した次第でございます。
  26. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 ただ双方の国が清算事務をするというふうに解釈されているが、私はとんでもないと思うのですよ。これはつまり第六十条で、抑留国支払った俸給は前払いとする。そうすると、これは逆に前のように訳せば、ここを「抑留国」と訳せば抑留国義務があることになって、その抑留国義務を果たさなかった場合はいたし方なくなってしまうのですよ。ところが、これを「当該国」と訳すと、相手の国が日本にかわって前払いをしない場合は日本がしなければならないというふうに解釈が出てくるのですよ。そういうふうに解釈しなければこの条約は死んでしまうのです。ですから、この条約は、ただ字句だけの問題でなしに、内容に踏み込んだ問題なんですよ。その辺はどういうふうに思いますか。
  27. 斉藤(邦彦)政府委員(外務省)(斉藤邦彦)

    斉藤邦彦政府委員外務省) 私どもも六十七条のこの部分規定内容関係がないということを申し上げているわけではございませんで、ここを抑留国と考えるか所属国と考えるかによって、いずれの国が補償責任を負うかという問題には直接つながらないということを申し上げている次第でございます。  ここで、英語で申しまして「ザ・セッド・パワー」となっております部分は、六十三条三項及び六十八条に基づいて行った支払いという文脈の中で出てくるわけでございまして、この六十三条三項それから六十八条を見ますと、これは場合によりまして所属国が行うであろう支払いもあれば抑留国が行うであろう支払いもございますので、ここは原文のとおり「当該国」と訳さざるを得ないというふうに我々考えた次第でございます。
  28. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 最後に、これで終わりますからひとつ勘弁してください。  この内容にかかわる訳文誤訳改正となると、これは一般法律改正と同じような手続をとらなければならないと私は思いますよ。しかるに、官報告示で簡単に一部訂正というような格好で訂正がなされておる。これは違法じゃないか。国会に諮って承認されたその条文が、その内容にかかわった文言が訂正されるとなると、これはやはり法律改正と同じ手続をしなければならないと思います。もちろん、諸外国には英語とフランス語の原文が渡っているのですから、そちらには影響を及ぼす必要はなかろうと思いますけれども、その点はいかがでしょうか。
  29. 斉藤(邦彦)政府委員(外務省)(斉藤邦彦)

    斉藤邦彦政府委員外務省) 外務省といたしまして、訳語が不適切であった、誤った訳語であったということにつきましては、大変申しわけなく考えております。  ただいま御質問の点でございますけれども、条約締結というのは正文に基づいて行われるものでございまして、正文テキストが表現している条約内容我が国が拘束されるというのが条約締結の法律的な性格でございます。この訳文訂正ということは、訳文でございますけれども、日本語のテキストにつきましてそれを正文に即した表現に改めるということでございますので、我が国が拘束されることを約束した条約内容自体には何ら変更があるわけではございません。したがいまして、政府といたしましては、条約締結事務を所掌しております外務省告示という形で、その訂正を広く国民の方に知っていただく必要があると考えまして、訳文訂正につきまして告示をさせていただいた次第でございます。
  30. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 時間が参りましたので、大変ありがとうございました。これでどうぞお帰りください。  それでは最初に戻りますが、まず内閣官房長官にお伺いいたします。  この平和祈念事業特別基金等に関する法律案につきまして、その性格を明確に御説明願いたいと思います。つまり、この法案は、まず第一に恩給欠格者問題、そして戦後強制抑留者問題、さらに在外財産問題、この三つの問題が基盤となっておるようでございますが、この三つの問題は、それぞれ全く性質を異にする問題であるわけです。これを十把一からげにして処理しようとしたこの法案というものの考え方、これを明らかにしていただきたいと思います。
  31. 小渕国務大臣(小渕恵三)

    小渕国務大臣 お答えいたします。  恩給欠格者問題、それから戦後強制抑留者問題、在外財産問題を中心とするいわゆる戦後処理問題につきましては、昭和五十九年十二月の内閣官房長官提出をされました戦後処理問題懇談会報告趣旨にのっとって所要の措置を講ずることを基本方針とし、その具体的内容について種々検討調査を行ってきた結果、昭和六十三年、平和祈念事業特別基金を設立し、関係者に対し慰藉の念を示す事業を行うとともに、本邦に帰還した戦後強制抑留者に対し慰労品贈呈等を行うこととし、これらの措置を講ずるためこの法案提出したところでございます。  そこで、委員指摘の点につきましては、この戦後処理問題については経過も委員十分御承知のところだと思いますけれども、政府といたしましては、昭和四十二年に引揚者に対する特別交付金交付をもって一切の戦後処理問題については終結したものとするという考え方を示してきたところでございますが、その後、今申し上げました諸問題についていまだ未処理であるというお考えが出てまいりました。  その後、この問題について今申し上げた懇談会を設置いたしまして、再度この戦後処理問題についての有識者の考え方をお聞きいたしました結果、「国において措置すべきものはないとの結論に至らざるをえなかった。」という御報告をちょうだいいたしたゆえに、政府といたしましてはその懇談会趣旨にのっとって今回この法律案を提案するような措置を講じた、こういう経緯でございます。
  32. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 この法案戦争犠牲者に対する慰藉の念をあらわすことと永遠の平和を祈念するための事業をやるということ、せんじ詰めるとこの二つに集約されると思いますが、そうなるとこの事業永遠に続けることになるでしょうか。
  33. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 ただいま先生からお話のございましたとおりに、この基金は、そういう関係者方々戦争犠牲による労苦についての国民の理解を深めること等により関係者に対して慰藉の念を示す事業を行う基金をつくる、こういうことでございます。  この基金は、御承知のように戦後処理問題懇談会におきまして、さきのそういう問題にかかわった方々が大変な御苦労をされた、そういう御苦労されたことについて後世の方々に語り継ぐ必要もあるではないか、こういうような観点もございましてこの基金をつくろうという御提案が実はあったわけでございます。  その意味におきまして、永遠という言葉はともかくといたしましても、こういう方々の御苦労というものが十分に国民方々に語り継がれる、そういう限りにおいてはこの基金の目的を達成するまで続く可能性があるということかと思っております。
  34. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 戦後処理問題は一応これで終了したという趣旨の御答弁がありましたが、これからいろいろなまた新たな問題が出てくるのではないかと懸念されるのですけれども、そういう場合にはやはりこれで終わったということで全部断り続けるおつもりかどうか。
  35. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 この基金の対象といたします範囲と申しますか、それは先生お話にもございましたとおりに、恩給欠格者の問題あるいは戦後強制抑留者の問題あるいはいわゆる在外財産と申しますか引揚者方々、こういう方々の問題が戦後処理懇において取り上げられて、こういう問題に関するいわゆる戦後処理というものはこの基金において処理するということで、これらの問題にいわば終止符を打つ、こういう趣旨でございます。  先生お話がございましたほかの問題が出たらどうかということでございますが、そういう問題がどういう問題であるか明らかではございませんのではっきりは申し上げかねるわけでございますけれども、いずれにいたしましても、今私が申し上げた三問題を中心とするいわゆる戦後処理問題、そういうことが基金の目的でございますから、今後それに関連するような問題が出た場合には、この基金の対象として考えていくことではないだろうか、このように思っております。
  36. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 この間の佐藤信二委員質問した際の官房長官の御答弁の中で、戦災遺児等のいわゆる内地において戦争災害をこうむった人たちに対してもこの事業の一環として考えるという御答弁がありました。今の答弁とは大分違うようですが、どうでしょうか。
  37. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 先般、佐藤信二先生からこの場で御質問がございました。戦後処理問題懇談会報告に基づいてこの基金をつくるということならば、つまり戦争犠牲による関係者方々の御労苦について例えば資料を収集したり展示したりあるいは記録をつくったりそういうことを調べるということならば、その精神において、本土と申しますか内地におきまして例えば空襲で亡くなった方々、こういう方々戦争犠牲によるのではないだろうか、そういう限りにおいてはこの基金の対象となり得るではないかという御質問がございました。  戦後処理問題懇談会の席上におきましても、いわゆる一般戦災と申しますか、そういう空襲等によって亡くなった方々お話も議論の対象になったというふうに私ども承知いたしております。その限りにおきまして、平和を祈念するという意味におきましてそういう戦争犠牲方々のことも問題になるのではないかという御質問に対しまして、そういうことも広い意味で含まれるという趣旨を答えたわけでございます。
  38. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 今出ている法案全部の中で、特に私はこれから戦後強制抑留者問題について御質問を展開したいと思います。  今度とった御処置は補償と考えていいのか、それとも単なる見舞いとして考えるのか、これはどういうふうに考えたらいいでしょうか。
  39. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 戦後強制抑留者方々に対する個別的な問題につきましては、先生既に御承知のように、一昨年の十二月でございましたか、政府と党の間の合意でもそのようなことが取り決められたわけでございますが、その場合におきまして、これまでの経緯を踏まえて個別に慰労の気持ちをあらわすという気持ちでつくれというお話等もございました。そういう精神にのっとって、今回、戦後処理懇趣旨基本方針としてこの基金をつくり、そして戦後強制抑留者方々に対する慰労品贈呈等事業を行うということにした次第でございます。
  40. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 要領よく簡単に答えてください。私の聞いているのは、補償と考えるのか見舞いと考えるのか、どっちなんだということです。
  41. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 見舞いという言葉はあれでございますが、少なくとも補償という意味ではございません。
  42. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 次にお伺いいたしますが、同じく本日議題となっております日本社会党・護憲共同、公明党・国民会議及び民社党・民主連合から共同提案になっておる被抑留者等に対する特別給付金支給に関する法律案について、内閣官房長官はどう思いますか。――これは内閣官房長官、あなたが答えなければ答える人いないよ。
  43. 小渕国務大臣(小渕恵三)

    小渕国務大臣 それぞれのお立場でこの問題について熱心に御議論を展開してきたところでございますが、それを前提といたしましてそれぞれの党において御提案されたものにつきましては、承知をいたしますと同時に、そのお立場にのっとって御提案されたものだ、そう考えております。
  44. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 この法案は、本来自民党がつくって、去る総選挙前に全野党に議員立法として国会に提出したいと思うがどうかということで、我々もこれを了承し、全会一致でこれが国会提出の寸前までいったことは御承知でしょう。そして、自民党の総務会の承認も経て出す寸前になって、これは自民党の三役預かりということで出されないでしまった。そして、その次の国会で必ず成立させますとこの責任者の方が我々に約束をしたのであります。ところが次の臨時国会が召集されるや、ここで解散されたのです。そして自民党は、この法案を選挙に非常に上手に活用された、利用された。そういういきさつがあるものですから、まさか自民党が立案したものを、出す人が違うことによって反対する理由はないだろう、こういうことで、その内容はほとんど変わらない、時期的な問題で一部改正してこの三党の共同提案になったわけですが、そういう一つの経過をあなたは御存じだろうと思います。とにかくこの三野党から出された法案を否決する理由は全くないと思いますが、いかがでしょうか。
  45. 小渕国務大臣(小渕恵三)

    小渕国務大臣 渡部委員今御指摘の経過につきましては、私も承知をいたしておるつもりでございます。ただ、今政府の立場でございますので、それぞれ政党間の話し合いの経過につきましてその是非を論ずることは差し控えさせていただきたいと思います。  いずれにいたしましても、今回政府として提案いたしましたこの法律案につきましては、最終的に与党でございます自由民主党との間に合意が成立をいたしまして成立に至ったものでございますので、段々の経過につきましては十分熟知しているつもりでございますが、最終的には政府としてはこうした法案の成立によって国会の御承認も得たいというのが政府の基本的立場でございます。
  46. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 立場が変われば考え方も変わるというのは私は大嫌いなんですよ。自分が一たん賛成し、あるいは一つ意見を持っておれば、立場がどうあろうとそれを貫くのがやはり大衆に責任を負う政治家の義務じゃないでしょうか、私はそういうふうに考えるのです。  したがって、そういう点で、この法案に対して、これはやはり採決すべきである。しかも官房長官が当時これに賛成されたんですから、どんな立場であろうと賛成されたことには間違いないわけで、今や官房長官としてまさに飛ぶ鳥を落とす勢いなんですから、あなたの腹一つでこんなものはどうにでもなると私は思います。しかも、それほど大変な、国が滅ぶような補償の金でもないわけですから、むしろ今海外援助をしておる金よりもはるかに小さい金なんですから、そのくらいのことは当然考えられると思うのですが、いかがでしょうか。
  47. 小渕国務大臣(小渕恵三)

    小渕国務大臣 飛ぶ鳥を落とす勢いということでございますが、そんな力はありませんで、今内閣の番頭役に徹しておるところでございます。  そこで、政治家として、私も実は以前にも増して本問題につきまして自由民主党の一国会議員として対応してきたことは事実でございます。しかし、立場が変わって考え方を変えたがと言われますと、個人的な考え方としては私もこうした問題についてもいろいろ意見は持っております。しかし、政府の一員として諸般の情勢を判断しながらすべてを取りまとめていかなければならない、また、政府・与党でございます自由民主党との話し合いの中でいろいろと経過を踏まえながら結論を得ていかなければならない、取りまとめの責任もまた負っておるわけでございまして、その立場から、今回このような法律案を成案を得、そして与党との話し合いも成立し、そして御提案をして今国会にお諮りをしておるという立場でございますので、ぜひ御理解をいただきたいと存じます。
  48. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 それでは次に参考人の方にお願いするわけですが、まず最初に、全国抑留者補償協議会中央本部会長の斎藤六郎さんからお願いしたいと思います。  質問する前に、本日は大変御多忙のところ、しかも遠路お越しいただきまして、私どもの法案審議に御協力くださいますことに、衷心より感謝申し上げたいと思います。  早速お伺い申し上げますが、第一に、全抑協の組織の実態とその主なる活動について御説明をお願いしたいと思います。
  49. 斎藤参考人(斎藤六郎)

    斎藤参考人 全国抑留者補償協議会の組織は、現在三十一都道府県にまたがっておりまして、加盟人員は七万九千名であります。うち会費完納者が五万三千名となっております。  主な活動といたしましては、創立大会で決めました三つの事項がございます。それを今日まで運動方針の大きなものとしております。  一つは、ソビエトにおいて亡くなった戦友の遺骨を日本に持ち帰るということ、これにつきましては日ソ両国に陳情する、こういうことであります。それに付随いたしまして墓参を行うということであります。  それから二つ目は、私どもはソ連に参りましたときに、日本政府が二九年捕虜条約に加盟しておらない時代の捕虜でありまして、条約を知らざるがために非常に困難に遭遇してまいりました。そういうことから、ジュネーブ条約日本の国内に定着させる運動を第二の目的に持っております。  第三は、現在御審議いただいておりますように、シベリア抑留者が向こうで働きましてもらうことができなかった未払い賃金を条約に基づいて日本政府から補償していただきたいという、以上の三つの目的を持って運動しております。
  50. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 次に、ソ連抑留中に行われたいわゆる強制労働の実態と、そして労働賃金の関係について知っておられることをお話し願いたいと思います。
  51. 斎藤参考人(斎藤六郎)

    斎藤参考人 ソ連には、昭和二十年の日ソ戦争の敗戦の結果連行せられまして、五十七万数千名が向こうに渡ったわけであります。向こうに渡りましてから、ソ連の方はほとんど一日も休ませないで、直ちに強制労働に服せしめられたわけであります。  労働は、私どもの経験した体験から申し上げますと、厳寒のときは三十五度以下の場合には労働を休ませない、三十五度以上になりますと凍傷の関係からドクターストップがかかる、そういうことで非常に過酷な労働でありました。確かにソ連労働者と同じ待遇だということは言われておりましたが、実際には捕虜は月に一度、多くて二度の休みしか与えられませんでした。それから、労働時間もソビエトの労働組合に準じてということで、建前は八時間労働になっておりましたが、一方、ソ連では労働に課するにノルマというものがございまして、そのノルマが終了、完成しませんと食糧が減給されるというパーセント給養法をしいておりましたので、どうしてもその労働は十時間、多くは十二時間、夜を徹することもしばしばであったわけであります。  そういうことで犠牲者も多く、初年度当初において私どもの推定におきましては六万八千名、死亡者があります。七万近くは第一年度に犠牲で倒れたもの、こういうふうに理解しております。  ソ連は私どもを遇するに、日本捕虜将校に対する収容所規則、それから一般兵に対する規則、これをソ連の内務省本部から示達されておりましたが、その中には労働賃金に関する条項は含まれておりませんので、その点につきましてはソ連はヘーグを適用する、このように言明しておりました。しかし、ヘーグでは労働の賃金は剰余金があれば捕虜支給するとなっておりましたが、確かに計算上は四百五十六ルーブリというものが我々のノルマ、労働賃金でありまして、それを私ども当然に受け取る権利はあったわけでありますが、これはソ連の言い分でありますが、日本国が将来、講和の際にあなた方に今食べさせているところの衣食住の費用が払えるか払えないか、それがまだはっきりしておらぬから、あなた方の労賃から四百五十六ルーブリの衣食住の経費は中間で我々が保留するということで、実質労働賃金はほとんどのものが支給されなかったわけであります。  今私どもが国会に請願し、運動しておりますのは、この未払いに終わっている労働賃金を日本政府にお願いしておる、こういうことであります。  なお、この労働賃金の問題に関しましては、日本に帰りましてのことでございまするが、日本の外交官である与謝野先生とかあるいは朝海浩一郎先生とかが米英にまたがる連合国捕虜取り扱いについて書かれたいろいろな著述を見まして、私どもは大いに啓発されたわけであります。それを見ますと、第二次大戦後の捕虜の労働賃金の未払い日本国で払うということを、そのころの当局の要路にあった方はいろいろな書類に残されているわけであります。  そういうことから私どもは、外交資料館に参りあるいは公文書館に参り、国立図書館に参りあるいはアメリカの図書館に参りまして、日本捕虜に対する米英軍の占領当時の記録をいろいろ集めました。そういう中から私どもは、南方から帰った捕虜方々日本政府から補償されておるというところの日本政府の文書に突き当たりました。及び日本政府から依頼を受けてその支給をした日本銀行の公式の文書も、日本銀行へ行って私どもは手にすることができました。  そういうことから私どもは、我々の労働賃金というものは日ソ両国間においてはまだ未解決のままに残されておる、こういうことはやはり日本政府から今の四九年条約に基づきましていただくことができるのだ、こういう立場で労働賃金に対する考えを持っておるわけであります。ソ連からは現在まで一銭ももらっておりません。
  52. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 次に、全抑協は毎日のように広報を定期的に出しておられるようですが、その広報の中に、こういう文書、これは多分全抑協の主張の裏づけとしての証拠にしたいということで出ておるのではないかと思いますが、時間の関係で私が読みますからそれぞれ後でお答え願いたいと思います。全部は読みません。  まず第一番目にこういう文書があるのです。「宛 連合国最高司令官総司令部」「発 連絡中央事務局、東京」「件名 被保護人員の賃金について」「一九四六年七月十七日」、そして「局長に代わって 連絡中央事務局 連絡課長 T・カツベ」、こういうふうに書かれているのです。もちろんこの中には五項目にわたる文章が載っているわけです。これが第一点。  それから第二点は、「連合軍最高司令官総司令部」「一九四六年八月二十六日」「覚書宛先 日本帝国政府」「経由機関 連絡中央事務局 東京」「件名 ヤスタロウ・ヤマモトに対する戦時捕虜賃金の支払いについて」、後ずっと文章が書かれておって、最後に「最高司令官に代わって 軍務局長 陸軍大佐 AGD ジョン・B・コーリィ」、これが第二番目の文書であります。  それから第三番目の文書としましては、「昭和二十三年六月八日」「大蔵省管理局長 大蔵省理財局長」「日本銀行外事局長殿」となって、「英軍の発行した個人計算カードの支払について」、そして上の方に「日本政府」、下の方に「大蔵省」と書かれて、そこに前文から五項目の文章が書かれておる文書でございます。これが第三番目です。  それから第四番目に、「宛 連合軍最高司令官総司令部 (仮訳)」「発 東京中央連絡局」「件名 ソ連領土ないしソ連管理地区における戦時日本捕虜の所得及び個人的金銭」と書かれて、その下に「一九四七年三月十八日」、そして1、2、3、4とそれぞれ文章が書かれ、その四番目に、「本件に関する大蔵省の書簡を同封して供覧に付する。」「局長代理 中央連絡局総務部長(朝海)」と書かれているのです。  そして最後に第五番目の文書は、「大蔵省財政史室編 監修者、安藤良雄東大名誉教授 「昭和財政史」第一巻(昭和五十九年五月十日発行)」「第三節 在外債務処理」、そして③とあって、これは先ほど読みましたいわゆる捕虜賃金カードの件についてであります。これによって日本政府支払い義務というのが裏づけられていると思います。  以上の五つの文書についてひとつ御意見をお聞かせ願いたいと思います。
  53. 斎藤参考人(斎藤六郎)

    斎藤参考人 お答えいたします。  先生からお示しのありました五つの文書は、私どもが日本外務省及び外交史料館及び国立図書館、それからアメリカの国立図書館、関係の占領軍物資が保管されておる役所がアメリカに別にございまして、それらから入手した文書であります。  第一のものは、豪州で捕虜になりました日本の兵隊が、日本に帰りましたときに証明書を持ってまいりました。その証明書は、三百オーストラリア・ポンドを労働賃金として日本に持って帰った。そうすると、当時日本政府は、下士官は千円、それ以下は没収といいますかお預かりといいますか、そういう国内法をしいておりましたから、ヤマモトにこれを渡さなかった。それでヤマモトは連合軍司令部にこのことを請願したわけであります。その請願に対する回答として出したのは、捕虜に対する労働賃金はそんなことで押さえてはならない、日本政府支払義務があるということをマッカーサー司令部から日本政府に出されたのが一と二の往復文書であります。これによって、日本円にして六万三百円、当時国家公務員のベースが五千二百円の時代でありますから、おおむね一年分に当たる労賃日本政府支払ったわけであります。  とりわけこの文書の中で大事なのは、支払うことを認める、支払うことを許すという言葉を使っておられるわけでありまして、この点は、後から日本政府がお気づきになってこの支払い日本国義務と理解したからこそ、これは命令ではなく日本政府支払います、それは認める、こういうようなやりとりになっておるわけであります。  なお、この文書を翻訳された方々は、当時外務省におられまして、後の最高裁の裁判官にもなられました方と共同作業をやられました高野雄一東大法学部教授、私は直接行ってこの方にお聞きじました。そうしたら、その当時そういうことで翻訳し、これは私が預かったものに間違いございません、そのサインは私のものですということを御本人から認めていただいております。  それから、これを裏づけるものといたしまして、私どもは外務省なり大蔵省にもいろいろ折衝したわけでありますが、大蔵省の書庫の中からは、若干のものは出ましたけれども基本的なものは出ない。そこでいろいろ要路の人、外務省の御先輩の方から御指導を受けましたところ、確かにそれは日本政府がプロパーでやったのではなくて、日本銀行を仲介して支払ったということをお聞きしましたので、英国会議員のごあっせんで日本銀行本店に行きました。そして、そこのこの方面の事務的な責任者にお会いしまして当時の一件記録簿を見せていただいたところ、先生お示しの大蔵省の管理局長及び理財局長の、イギリスから捕虜になって労働賃金をもらわないで帰ってきた者に対してはその金額を日本政府支払います、当時で一ポンド二百円の交換率でお支払いしますという文書の現物を私ども見たわけであります。それがこの三番目のものであります。  米英豪に対するところの労働賃金の未払いは、今申しましたようなぐあいに日本政府が全額支払っておりますので、これで問題は解消したわけであります。もっとも南方に抑留された者は約百数十万でありますが、この労働賃金の対象になった者は、大蔵省の当時の資料によりますと六万名弱であります。地域としては、マレーとかシンガポールとかグアムとか、ごく一部です。この地点のことをいろいろ調べてみますと、これは戦後一年半ぐらいの期間にわたって南方作業隊という団体を米英軍が組織させまして、日本軍が港にあるいは鉄橋にいろいろな阻害行為をした、そのしゅんせつあるいは復旧工事のために残された、そういう人々がこの労働に服した、その方々に対しては日本政府補償するという建前のようであります。全体として南方は強制労働をさせられないで帰ってきたという実情になっているわけであります。  それに対しまして四番目のものは、ソ連からの引き揚げは、南方に約二年ほどおくれまして、昭和二十三年、二十四年、二十五年が最盛期で帰ってきたわけであります。シベリアから帰ってきた者は無一文、無財産で帰ってきたということが当時の舞鶴の引揚援護局でわかりまして、そこから厚生省に対して報告が出ております。多分それを受けてでありましょう。日本政府は当時のマッカーサー司令部に対して、ソ連における捕虜に対しても日本政府補償する用意があるので、ついては、ソ連で何のだれがしがどの程度の労働に服したか、その証明書もしくは領収書、つまりここで言うところの書き物が必要であるから、それをマッカーサー司令部を通じてソ連政府から受領されるようにという申し入れをしたのがこの文書であります。  これは先ほど言いましたところの後の特命駐米大使になられた朝海浩一郎さんが翻訳されたものであって、先生もそれは私がやったものだということを認めておられるわけであります。これは幸いに原文、英文で書かれたものと翻訳されたものを外交史料館から私ども入手しております。  それによりますと、日本人がソビエトで働いてもらえなかったもの、あるいはソ連が不当に取り上げたもの、そういうものについては日本政府がソ連にかわってこれを支払うから、その明細が必要なんだ。そしてその残余の問題でありますが、つまり日本政府が我々捕虜に対して払ったその後始末のことであります。先ほど渡部先生からお話がありましたように、これは後からソ連と日本の国際間で決着しよう、こういうことをここの文書の中で言っておられるわけであります。でありますから私は、日本政府が当時この四九年条約を米英軍の指導のもとに実施せられた、このように理解しておるわけであります。  また、これにつきまして何か政府部内に閣議決定であるとか米軍に対するところの内閣の責任文書があるかどうか探しました。その中では、昭和二十四年でありますかワシントンの極東委員会における会議でも、日本におけるところの未払い労働賃金の支払い国際法にかなったものであるという諸国の合意が行われておるわけであります。  なお、これを受けまして大蔵省では、そういう戦後の一切のいきさつ、もちろん捕虜に対する労働賃金の支払いというものは微々たる問題でありまするけれども、占領軍費の転換の問題であるとか占領軍の費用に関するいろいろの国家支出のあり方とか国会の議決のあり方とか、そういうことを一切まとめられて、「昭和財政史」という十巻にわたる大冊を昭和五十九年五月に公刊されたわけであります。これには別巻三巻もございまして、それらの資料の中で、捕虜に払った労働賃金の性格につきまして、これは一九二九年七月ジュネーブ締結された条約に従って未払い労働賃金というものは日本国支払義務がある、日本国責任転嫁されたのだということの明確な表現が残っておるわけであります。  なお、この監修者であった安藤先生は現在お亡くなりになられましたが、直接執筆された方は、現在東大の名誉教授で経済の専門家で残っております。なお、一緒に執筆された方は現在大蔵省に残っておられるわけであります。二、三の方がこの執筆及び資料の提供に参加されたようであります。  それから、大蔵省の内部の資料といたしまして、これに至る経過というものは私どもはまだ公表しておりませんけれども、幾つかありますが、どこを押しても、これは日本政府国際法認め義務として承認して支払ったものであって、別に日本国会において諮って立法を講じたものではない。つまり、国内法でどうこうしたものではなくて、当時の国際法日本政府なりに判断して支払ったものと理解しておるわけであります。  そういうことにつきまして一言つけ加えさせていただきますと、ヘーグ条約、これは日本も加盟して拘束力があるという先ほどお話でありましたが、そのとおりだと思います。このヘーグ条約の六条、七条でありましたか、その中には、捕虜の労働賃金は支払うべし、こうあるわけであります。しかし、当時のヘーグ条約は国際間の権利義務をうたったものであって、捕虜個人についてはその権利が及ばなかったと理解されておる条約でありまして、その表現もいわば国家責任を預けたということから、我々捕虜については直接請求権を認めたものでないというようなことも言われておるわけであります。  しかし、二九年条約になりますとこれがいささか趣を変えてまいりまして、捕虜は労働賃金を受ける権利あるべし、こう言い切っておるわけであります。こうなってきますと、少なからず捕虜個人にその権利請求権に近いものをお認めになっておる。  また、昭和十六年の第二次大戦、米英開戦に当たって国際赤十字から、日本はこの二九年条約をお認めになりますかどうしますかという問い合わせがあった際に、日本政府は、これを認めます、準用するということも認めますということをお答えしておるわけであります。これはいずれも外務省の文書によって私拝見したわけであります。追っかけ国際赤十字の方から、準用というものの内容はどういうものであるかという質問がございました。それに対してまた日本外務省は、陸軍省と打ち合わせの上、これは条約全体に拘束されるという意味ではなくて、捕まえた捕虜の衣食住、つまり給養面についてはそれを適用する、このようにして、捕虜の食いぶち、衣料その他生活関係についてはそのとおりなのだ、こういうお答えを公文で発しておるわけであります。  なお、昭和十七年九月十二日には、当時外務大臣でありました東条英機さんが、スイスの特命全権公使、その当時の日本条約上の保護国ですか代理国でありますか、そういうことであったと思いますが、その方に文書を出しまして、「帝国政府ハ各交戦国ニ依り支給セラレタル捕虜ニ対スル給養額ハ戦争終了後捕虜ノ兵役ニ服シタル国ニ依リ返済セラルルモノト了解ス」、非常に明快なことをおっしゃっておる。これを国際的にも外務省から発信せられておるわけであります。一口に言えば、日本の兵隊がアメリカ、イギリスあるいはソビエト、どこに抑留され捕虜として呻吟しようとも、そこでかかった衣食住の費用は戦争が終わってから日本国がそれを持つのだ、こう了解する。これは、当然二九年条約にそういうことの規定があるわけでありますから、それを踏まえて当時の外務省なり東条さんが言われたものと思います。  なお、ついでのことに、この際東条さんは、それまで、明治二十七、八年あるいは三十七、八年にかけてつくられた日本捕虜法規十二及び政令、通達九十七、これを全面的に改変したわけであります。あるものは国会にかけ、あるものは省令として提出され、昭和十九年の末ごろになってようやく完了した。しかしながら、時既に遅く、末端にその二九年条約の改正通達が行き渡る前に、悲しいかな日本国は無条約のままに戦争を行いましたから、我が民族としては第二次大戦のあのような恥辱を受けたわけでありますし、我々ソ連に参りましても、ソ連になすべき正当な主張の根拠を持っておらなかったわけであります。そういうことで十四時間も十五時間も牛馬のごとく使われた。  この点、日本政府はこの辺でこういうことを改めていただいて、国家義務をきちんとしていただかないことには、この問題を慰労金十万円で済まされては私どもとしてはまことに残念至極に思うわけなのです。金額を言うわけではありません。労働賃金は、戦争を始めた国相互にあるのであります。  なお、日露戦争の場合のポーツマス条約の第十三条後段におきましても、当時のロシアの捕虜が松山などに七万数千名おりまして、日本捕虜は二千七百何十名がソ連のモスクワ近郊のメドブェージ村、ここにおりまして、戦後この決着は小村さんとロシアの全権との間に行われたわけでありますが、この際の交換条約の中でも、相互の兵隊の食いぶちは両国が持ちましょうということが明文で示されておる。既に明治の昔から、捕虜の食いぶち、捕虜の労働賃金というものはその母国に所属するということは明らかなことでありますので、こういう点を単に今政府提出法案のように、シベリア抑留者に対しては別なのだから、特別の事情があるから十万円お上げするということではなしに、特別の事情があるということまでは一歩前進だと思いますが、その特別の事情は何かといえば、戦争犠牲者として捕虜の問題は条約を抜きにしてはいけない問題ではないか、このように考えておるわけであります。  以上が資料の説明であります。
  54. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 大変ありがとうございました。  今まであなたが御主張された中で何か具体的な証拠がありましたら、その証拠品を委員長を通して内閣官房長官にお見せいただきたいと思います。
  55. 斎藤参考人(斎藤六郎)

    斎藤参考人 ここに全部持ってきておるわけではありません。ただ、南方から帰られた方が日本政府から補償を受けたその通知書及びその方の身分を証明するもの、それから、その方が引き揚げ地点で日本政府から国内法としての二百円をもらって、そのほかに労働賃金として千四百三十何円を受けたという日本政府の資料がここにあります。いま一つは、英国軍が発行した英国労働カードと申しますか、これは日本政府認めてお支払いになったわけでありますが、これのいずれも実物を持っておりますので、委員長にお目にかけたいと思います。
  56. 竹中委員長(竹中修一)

    竹中委員長 今の書類を私の手元にいただきましたが、先ほど渡部委員からお話のありました官房の方にこれを提出するという手続がございますので、一たんここでお預かりいたします。そして、後でまた委員長の方で処理をさせていただきたいと思います。  質疑を続けていただきます。
  57. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 わかりました。どうもありがとうございます。  それでは次に、政府提出法案の説明の中で、戦後処理問題懇談会は、二年半にわたり慎重かつ公平な検討が行われたと言われておりますが、この点はどのようにお考えになられるか、御感想のほどをお述べいただきたいと思います。また、この政府提出法案に対する御意見等がありましたら、お聞かせ願いたいと思います。
  58. 斎藤参考人(斎藤六郎)

    斎藤参考人 民間懇談会のこの経過につきましては、政府からきのういただきました資料によりますと、民間懇談会は公正かつ云々ということで政府に答申されたと言いますが、私はこの公正にはいささか不満を持っておるわけであります。  なぜなれば、シベリア抑留団体は相沢さんが会長をやられるものと私が会長をやるものと二つあるが、私どもの意見というのは最後まで聞こうとしなかった。数からいえば我々の方が一万数千多いわけであります。歴史も古いわけであります。そこで、これは国会の先生にお願いして水上座長にも要求したわけでありますが、最後まで我々の意見を聞くことはなかった。ですから、結果として出てきたものは、シベリア抑留者の問題につきましては非常にかすみのかかったものであって、国際法との関係や諸文書というものはこの委員会では恐らく目にとめないであの結論を出されたのだろうと思います。  そのいわばいささか公正を欠いたと思われる節が現在の政府法案にもありまして、政府法案の提案理由の中に戦争犠牲者という言葉が随所に使われておりますが、もし戦争犠牲者ということのとらまえ方をしますれば、この場合は、日本にはそれ以前の国内法があるわけでありますから、先ほど条約局長が御説明になった四九年条約は、日本の国会でこれを満場一致で承認したわけでありますから、以降はこれは国内法であるわけであります。この国内法があって、しかも憲法上、日本政府が、国会が承認した条約は最大の尊重を要するとうたっているわけでありますから、少なくとも戦争犠牲者に関すな法案をつくる場合には、その条約を参照するなり尊重すべきであったのではなかろうか。  そうすれば当然に出てくる問題は、一昨年七月に自由民主党の先生が出されたあの法案にいかなければならないと私は思うのです。あの法案の提案理由の中には、ソビエトから帰ってきた捕虜の方は労働賃金を受けておらない、南方は受けておるから、このためにこの法案を組むのだ。私はああいうことでは自由民主党の先生方には心から感謝し、まさにこれあるべきだ、こう思っておりましたし、現在野党の先生がそういうことでその法案を一層強めた形で出されておるところの労働賃金、それが今回の補償でなくてはならないし、戦後処理を終わらんとするならば、政府としてはそこに踏み切るべきであろうと思います。  私どもといたしましては、四十年間日の目を見なかったシベリアの問題について、政府が一歩前進されて、十万円なり、あるいは法律上の措置を図られたことにつきましては心から感謝いたすものでありますけれども、しかし問題はこれでは解決はしない。まさに問題はここが出発点であって、今後いろいろこの問題に対する法律の決着も遠からず出るでありましょうし、問題はこれからだ、こう理解しておるわけであります。  特に今回の法律を見ましても、これは政府、立法当局も当然に気づかれたと思うのでありますが、これは呉越同舟の法案でありまして、民間答申としましては個別措置をやらない、こう言いながら、途中になりますと苦しい申しわけをして、シベリアは別なのだから十万円ということを出しておるわけであります。これはもともと法律上任意でやるべきものと国家義務としてやるべきものをごっちゃにしたからこういうことになるのであって、この法案というものは、補償すべきものと任意で慰労すべきところの諸問題とを正確に区別してやらないことには百年たっても問題は解決はしないのだということを、私は最後に申し上げておきたいと思います。
  59. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 ちょっと参考人、まだ私、終わっていないのです。  最後に、簡単でいいですから、あなたがこれだけは言っておきたいということがあれば、ひとつお願いしたいと思います。なければ、このままで結構ですが。
  60. 斎藤参考人(斎藤六郎)

    斎藤参考人 私は、民主憲法を理解しておる者でありますから、我々の意見意見としましても、決まったことには服従していかなければならぬ。そういう見地から見ますと、今の政府から出されておる法案の中で、同じソ連に抑留されても、千島、樺太、北方領土の関係の者は、これは多分政治的な判断からだと思いますが、あれは日本国の領土である、外国ではないのだということから除外されるということを事務当局から伺ったわけでありますが、これは全くもって間違いであって、日本政府、厚生省、いろいろな今日までの引揚者対策の中では、ソ連地域の中では管理地域として北方四島なども含んでおるわけでありますから、私はこういうことはやはりきちんとしていただきたい。  それからいま一つは、国民の理解を得ながら慰藉するのだということをうたわれておりまして、私もこれは同感であります。国民の税金をちょうだいするわけでありますから、そうあらなくてはなりません。そうしますと、シベリア現地で亡くなった者を除外するということも私は了解できません。我々達者で帰ってきた者はまだしも、あそこで倒れた者を除外するということは理屈以前の問題だろう。これはしかし、今の法律がこのまま通りますと、残念無念なことに適用にならない。仮に政府案が国会で承認される場合であっても、そういうことだけは改めていただかないことには、現実の問題、理論を離れて反対運動が力強く残っていくだろう、私はそう思います。  終わります。
  61. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 斎藤参考人には、大変長い間本当にいろいろと御協力ありがとうございました。  これをもって斎藤参考人に対する御質問は終わります。  続いて、明治学院大学法学部教授、法学博士の廣瀬善男参考人にお伺いいたします。  質問の前に、まず、本日は大変御多忙にもかかわらず貴重なお時間を割いていただき、本審議に御協力くださいますことを本当にありがたく、心から感謝申し上げます。     〔委員長退席、前田委員長代理着席〕  では、早速お伺いいたします。  第一番目は、今まで日本のかかわった戦争戦争法の実践において、とりわけ日清、日露の戦争においては日本国際法を遵守した、こういう評価がありますが、その後、日本国際法を疎んじるようになったというのはどういうことなのか、ひとつ御見解を承りたいと思います。
  62. 廣瀬参考人(廣瀬善男)

    廣瀬参考人 日本が第二次大戦中を通じて、交戦法規、わけても捕虜待遇に関して十分国際法規を守らなかったというのは客観的な事実でありますし、今までの御証言でもはっきりしていると思います。残念でありますが、この点は国際的に定着した評判だと思います。  しかし、先ほど渡部議員からも御指摘がありましたように、明治期以降第二次大戦まで、少なくとも、第一次大戦もそうでありますが、その時代において日本が交戦に従事したときには、極めてよく交戦法規を守っておる。捕虜待遇についても、極めて西欧的な文明のもとで規定された条約法規を遵守しているわけです。それは一つには、日本が文明開化を掲げて、文明国としてヨーロッパ諸国に追いつこうとする努力の中での国民的意識、政府の意識がそこまで高まっていたからであろうと思います。これは非常に見事なほど国際的にも評価される態度であったと思います。  しかし、昭和期に入りまして日本が大陸諸国に軍隊を向けるに及びましてから、これは一つの侵略であったかもしれませんが、そういった段階の中で、残念ながら国際的な平和に関する意識、わけても交戦上の法規を守りにくい国民的な意識が次第に定着していった。その中で、やはり交戦上捕虜を捕らえた場合においても、各種の条約体制ではっきり固まっております捕虜に対する取り扱い規定を遵守する意思を次第に持たなくなっていく。のみならず、日本の我々の軍隊に対しても、仮に捕虜になった場合にどういう待遇を受けるべきかという教育も次第にしなくなっていく。これは日本が大陸政策を進める段階で平和意思を次第に失っていったことの帰結であろうかと思います。  それで、日本軍の捕虜がどのような状況で捕虜になった場合にどう取り扱われるべきかの意識を軍事教育の中でも一切してきていない。上層部においても、交戦法規、わけても捕虜に対する条約体制に対する理解をほとんど欠いていた。この二つの面から、外国軍隊の捕虜に対しても、あるいは日本軍の残念ながら捕虜になった場合に対しての教育も十分でなくて、がむしゃらな侵略状況の中でこうした法意識の低下を招いていったのだろうと私は思います。その点では、明治、大正期を通じて十分に文明国としての交戦法規遵守の実を上げたことと対比して、非常に残念なことだと思っております。
  63. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 質問を続ける中で参考人先生がどういう権威を持たれておる先生なのかというのがわからない方もおるかと思いますので、先生は今日、学会等あるいはその他の会議等に参加されてどういう地位におられるか、そしてまた著名な著書についてひとつお聞かせ願えるならばお聞かせ願いたいと思います。
  64. 廣瀬参考人(廣瀬善男)

    廣瀬参考人 それでは簡単に申し上げます。  私は現在明治学院大学の法学部の教授でありまして、国際法を専攻しておりますが、その他に学会の活動といたしましては、日本国際法学会というのがございますが、そこの理事もしております。  そして私の主たる学問的業績でありますけれども、幾つか著書あるいは論文等がありますが、主要な内容といいますか問題関心といいますか、それは、一つは武力行使に関する国際的な規制の問題、これが一つであります。それから第二は人権の保護、人権あるいは人道に関する国際的保護の問題。この二つがやはり主要な関心事でありまして、またそういうことと関連いたしまして、例えば著書として国際法上の「国家責任論の再構成」という本もあります。これは、国家が違法行為に対してどのような責任を持つべきかということを書いた本であります。  以上でございます。
  65. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 そのほかにも先生がこういう本の中に書かれているのを私は存じておりますが、とにかく日本国際法では権威者でございまして、私は先生の論文を常日ごろ非常に敬意を払って読ましていただいております。  そこで次に、第二次世界大戦では連合国と枢軸国の戦いということであったわけですが、その終息に当たっては、この関係各国に捕虜問題というのが発生したと思います。したがって、その交戦国の中で、戦争捕虜に対する処置としてどの国がどのようにやられているか、こういうことについて、一つは比較的にお述べいただきたいと思います。そしてその中で日本は一体どうなのかということについても御説明願いたいと思います。
  66. 廣瀬参考人(廣瀬善男)

    廣瀬参考人 第二次大戦後の捕虜に対する特に補償関係の体制でありますけれども、もちろん今日では一九四九年のジュネーブ第三条約でこの点ははっきり極めて細かく規定してあります。しかし、このジュネーブ条約体制の、特に捕虜条約関係でいいのでありますけれども、そこの内容としますところは、特に重要な部分につきましてはこれはもうほとんど異論がないのでありますけれども、一世紀近い捕虜に関する交戦法規の集大成でありまして、したがいまして、この一九四九年のジュネーブ条約に突如あらわれた創設的な、初めてつくるというようなものではなくて、慣行的な積み重ねの上でできたものを成文化しているということであります。細かい点は多少立法的なところもありますが、ほとんど中心的な規定はそうであります。特に本件の捕虜待遇については、その点をよく承知していただきたいと思います。  そして、今お尋ねの第二次大戦後、多くの交戦国が、これは日本以外にもアメリカ、イギリス、それからフランスや西ドイツあるいはノルウェー、デンマーク、スウェーデン、いろいろな国があるのでありますが、その多くの欧米の諸国が戦後間もなく捕虜に対する救済といいますか補償の法律をつくりまして、そして捕虜に対してその実害に応じた補償を行っているということを承知しておかなければなりません。  一つ例を挙げておきますけれども、例えばアメリカでは一九四八年、まだ一九四九年のジュネーブ条約ができていない段階でありますけれども、アメリカの外で捕虜になった、日本で捕らえられたアメリカ軍捕虜もおりましたが、そういう者も含めて捕虜に対して請求権法というのを成立させております。  その中でどうしても承知しておきたいことでありますが、その法律をつくる際に、日本においてアメリカ軍捕虜がどのように取り扱われたかを詳細に論じた中で、日本は一九二九年の捕虜条約には加入していない、しかし、だからといってそれに拘束されないというわけにはいかないのだとはっきり申しているということであります。  そして、その根拠は何かというと、一つはもちろん、これは後でもちょっと触れますけれども、日本が第二次大戦中に、一九四二年でありますけれども、先ほど何度か指摘されておりますように、この捕虜条約、一九二九年を含めて一九〇七年の交戦法規もそうでありますが、そういった捕虜関係の一九二九年条約規定を準用する、遵守するという声明を発していることが一つ挙げられております。  実はついでながらここで申しておきますけれども、これは一方的宣言であるから決して条約に拘束されたものではない、国際法的に拘束されるわけではない、勝手に日本がそうした恩恵でやったのだというふうな議論もあるようでありますが、これは誤りであります。  なぜかといいますと、これは第二次大戦後、まだ二十年ほど前でありますけれども、フランスが太平洋で核実験をしましたときに、これに対してニュージーランドとオーストラリアが国際司法裁判所に提訴したときに、これは最終的には訴訟は却下されたのでありますが、そのときにフランスは一方的に太平洋での地上での核実験はしないという宣言をしました。この宣言、これは一方的宣言ではありますが、これに対して国際司法裁判所は法的な拘束力を認めているのであります。決して相手方との合意に基づいたわけでも何でもありませんが、一方的宣言でも拘束力を認める、この点をよく承知しておきたいのであります。  さて、もとに戻りまして、実はここが非常に重要なことでありますけれども、アメリカの議会で捕虜に対する請求権法が成立いたしましたときに、日本は一九二九年条約には加入していないけれども、この規定捕虜に対する、捕虜を人道的に取り扱うという基本的な条約規定でありますが、これは慣習法として成立していて、この条約に入ると入らないとにかかわらずこれは日本を拘束するものである、そういう前提のもとに、本来ならば日本が虐待した捕虜に対して賠償を支払うべきであるけれども、それは当然のことであるけれども、当面直ちにアメリカの国内法としてアメリカ政府がこの被害を受けた捕虜に対して補償を行いますという規定でありました。つまりここには慣習法として捕虜に関する規定が、条約に仮に入ってなくても成立しているのだというはっきりした認識があるということです。  そして、これもちなみに申しておきますけれども、基本的な加害者は日本でありますから、日本が本来加害上の賠償責任を負うべきであるけれども、しかし捕虜個人に対しては、これは軍人でありますが、アメリカ政府責任を負う、つまり捕虜個人との関係では本国政府補償義務を負うという形でこの法律が成立していることでございます。  したがいまして、第二次大戦を終息されました対日平和条約では、十六条に、アメリカは自分の国でこういう補償を自分の国の捕虜に対してしているのだから、その本来の責任を持つ日本に対して求償権を行使しているのであります。そして日本人があるいは日本国が中立国等にかつて持っていた財産を国際赤十字委員会が集めまして、それを清算してそれを各捕虜に、これも重要なことでありますが、捕虜個人がこの条約上の対象になっているということ、決してアメリカ国ということではないこと、この点をよく承知しておいていただきたいのですが、捕虜及びその家族にこれを支払うということがはっきり対日平和条約十六条に出ているということであります。  この点が一つの典型的な例でありまして、ほかにも欧米の多くの国がそういう捕虜の債権に対して、本来の加害責任がある国ではなくて、具体的には本国が求償上の責任を負っている、救済上の責任を負っている、補償上の責任を負ってそういった措置を各国の国内法令ではっきりさせているということが戦後の特徴であるということを申し上げておきたいと思います。
  67. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 先ほど条約局長から、捕虜に関するジュネーブ条約日本が加盟して正式に日本に効力を発したのは一九五三年である、こういう趣旨のことが答弁されたのでありますが、これは正式に加盟したとなれば当然この条約を受けて国内法を整備する義務日本に生じてくると思いますが、先生いかがでしょう。
  68. 廣瀬参考人(廣瀬善男)

    廣瀬参考人 結論から申し上げたいと思いますが、もちろんその一九四九年条約体制もそうでありますけれども、こういう規定条約上で成立しました場合には、その規定はそのまま国内法として成立しておりまして、これはちょっと難しい言葉で申し上げて申しわけありませんけれども、セルフエグゼキューティングな条約一つでありまして、公布することによってそれ自体が国内法と同じ効力を持っております。  しかし同時に、その具体化につきましては、この条約をつくるときにも、はっきりこれは文書的にも十分証明できるのでありますけれども、国際赤十字委員会関係者等を含めてそういった条文の実質的作成に携わった人たちの文書でもはっきりしておりますけれども、この条約の違反があった場合にそれを救済するにはどうしたらいいかという問題が出たのでありまして、つまり、具体的な補償のために国内法をつくっていないとこれは実際上補償も出せないじゃないかという場合については、条約は基本的な義務を各国に負わせているのであるから、その国の方式によって、場合によってはもちろん捕虜個人は裁判所にその執行を要求することもできるけれども、その間に国内機関が、立法機関がそうでありますが、十分その条約義務を履行するような措置をとることが十分了解されるということになっているのであります。  その意味では、戦後随分たちましたけれども、今日この法律、私は義務としての補償という形をとらない法律では不十分だと考えておりますけれども、それができてきたということはジュネーブ条約体制の一つの実現であろうかというふうにも考えております。
  69. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 この国際慣習法というのも国内の慣習法も、私は一般法に優先する考え方が成立してよいのじゃないかと思います。したがって、慣習法だから義務づけられていないという解釈は私は法律解釈に誤りがあるのじゃないか、慣習法であればあるほどそれを一般法に優先して考えていかなければならない、対処していかなければならない、こういうふうに思いますが、いかがでしょうか。
  70. 廣瀬参考人(廣瀬善男)

    廣瀬参考人 捕虜待遇に関して、特に本国補償方式を念頭に置いていただいていいのでありますけれども、この慣習法性格につきまして今御質問がありましたので申し上げておきますけれども、その前にもう一つ事例を挙げておきたいと思うのです。  先ほどアメリカの例を申し上げましたけれども、実は第二次大戦後、旧ドイツの捕虜取り扱い、これも非常に残虐な取り扱いをして問題になったのでありますが、この旧ドイツに抑留された連合国兵士、これはソ連兵も含めてでありますが、この賠償問題、責任問題を追及した第二次大戦後のヨーロッパにおける国際裁判所の判決が随分ありますが、その中でもこういうことを言っているのであります。  これはソ連兵がたまたま捕虜になってドイツに抑留されて、そして非常に虐待を受けたことに対する責任追及の裁判でありますけれども、この判決の中で、ソ連は一九二九年条約に参加していない、しかし慣習法として捕虜を人道的に取り扱うべきだということは確立しているという判決が相次いでいるのであります。ですから、まさに日本が一九二九年条約に参加していなくても慣習法として拘束されているといって裁判規範としてはっきり認定されているということは承知しておかなければならないことであります。  それから、今御質問慣習法の効力に関してでありますけれども、重要なことは、捕虜に対する交戦法規上の取り扱いというのは、一世紀にわたる慣行の中で成立しただけではなくて、人権保護、特に交戦法上の人道保護という重要な国際法上のジャンルの中で確立したものでありまして、例えば一九〇七年のハーグ規定というのがありますが、この前文を見ますと、これは一九〇七年、随分前のことでありますけれども、交戦法規上の規定はいろいろ書く、しかしそれですべてのことを網羅するわけにはいかない、交戦手段も進歩する、技術的な進歩もある、いろいろな取り扱いも違う、文明も進む、そうなりますと、捕虜に対してどういうふうに取り扱うかという問題はそのときどきに決めていかなければならないことであって、一つ条約、つまりこの一九〇七年条約をつくったからその規定だけですべてを律するわけにいかない。  しかし、ここが重要でありますが、この前文の中では、そういう完全な法規ができるまでの間においては、文明国の間に存立するところの慣習、人道の法則及び公共良心に従って取り扱うべしというふうな、これはマルテンス条項といいますが、こういう規定がはっきりうたわれておりますし、その規定は実は一九四九年のジュネーブ条約の中にもこれと同じ条項が入っているのでありまして、仮にこの条約から脱退する国があっても、このような基本的な人道の原則に反するようなことは、この条約から脱退した場合でも許されないという規定がはっきりあります。この人道に基づく取り扱いというのは慣習国際法上でも非常に重要な規定でありまして、もちろん日本の憲法でも人権尊重は基本的な義務になっておりますけれども、そういう意味からいいまして、慣習法が今日成立しているというのは、むしろ慣習法の中での法の一般原則的な、極めて基本規定として成立しているということであります。  もう一つだけつけ加えて申し上げますけれども、ジュネーブ条約の中では、今言ったように条約から抜けてもそういう人道に反するようなことからは逸脱できないという規定のほかに、一九四九年のジュネーブ条約規定されたことは、仮に文章的に新規定のように見えるかもしれないけれども、それは一九二九年の条約とかあるいは一九〇七年の条約という、もとにあった基本規定をコンプリメンタリー、補完し、あるいはリプレース、これとかわるもの、代替するものだといって、この捕虜条約体制に関する法的保護の一体性、一貫性を強調しているのであります。  したがいまして、この条約に入ってないから、いや、この条約が新しいからといって、その間にギャップがあって、ギャップのある場合には何の法規もないのだ、これは勝手に各国が国内法でやればいいんだというわけにはいかないのであります。やはり一定の条約体制というものがあって、その生々発展の中に新しい条約がつくられる、しかしその条約は過去の条約と一体化関係を持つということであって、過去に行われた第二次大戦中の事件に対しても一九四九年条約がそのまま一体的に適用されるというのが原則になっているということであります。  さらに申し上げますけれども、実はこの慣習法の問題でありますが、慣習法の成立をもし阻止したいというのであるならば、これは利害関係国が明確に他国の実践に対して、留保なり解釈なり、そういった異議申し立てをしなければならないはずであります。そうでなければ自国に対する拘束力を持つ慣習法の成立を妨げることはできないというのが国際法の原則であります。  例えば、この捕虜待遇に対して、先ほど言いましたようにアメリカその他欧米の多くの国が戦後捕虜に対する補償法を成立させましたときに、もし仮に日本が、それは捕虜待遇条約上の義務ではなくて各国が任意に勝手に恩恵的にやっているんだ、自分たちは義務としてそれを認めませんよというのであるならば、日本は、第二次大戦後この一九四九年条約に参加するまでの期間、各国のそういった先例に対してそうした留保あるいは解釈等を踏まえた異議申し立てをジュネーブの国際赤十字委員会通告しておくべきであっただろうと思います。  もちろんそれだけで慣習法としての成立を妨げ得たかどうかは別問題でありますけれども、少なくともそうした努力をとらない限り、日本は、戦争中自分の国の軍隊が捕虜になっただけではなくて連合国の多くの軍人をも捕虜にしておりますから、極めて強い利害関係国でありますから、そういった各国の捕虜に対する戦後補償体制に対して、この条約体制上の一切の見解も申し述べていないということは、これは捕虜に対する本国補償方式が捕虜に対する救済の一環として義務であるということの承認、慣習法的成立を認めたと言わざるを得ないわけであります。  さらにもう一つだけ申し上げておきますけれども、実は捕虜労賃に対する請求の性質でありますけれども、先ほど何度か強制労働という言葉が出ておりました。しかし、この強制労働というのは二つの類型があるのでありまして、一つは肉体的に過酷な条件で行われる労働、強制労働、これは違反として禁止されております。第二次大戦後の国際裁判所の判決がはっきり出ております。同時にもう一つは、無償で労働させる、ただで労働させる、労働してもそれに対して一切の賃金も支払わないということであるならば、これも一種の強制労働でありまして、文明国はこれを是認することはできない。仮に社会体制が違う国であっても、労賃支払いは極めて基本的人権の一つでありまして、これはジュネーブ条約体制の捕虜に対する重要な義務規範であるということを私は申し上げておきたいと思います。
  71. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 この捕虜待遇に関するジュネーブ条約は、これは明らかに人道法と言ってもよいと私は思いますが、人道法であるとすれば、当然平和憲法を持つ日本は人権条項を持っておりますから、そういう立場からこの捕虜問題を考える責任があると思うのです。したがって、人道上の問題というのはどれほど立派にやってもこれでやり過ぎたということはないと思うのです。  問題は、国際的な均衡の中で日本がどうしてもそれを実行できる力がない、経済力がない、そういう場合においてはある程度満足できるまでにいかなくてもやむを得ないのではないかと思いますけれども、今日、世界一の金持ち国と言われる日本が、西ドイツやイタリーやその他の国が立派に捕虜に対する補償法をつくって手当てをしておるのに日本だけがそれをやらないというのは、これは憲法の立場からいっても、また国際法の立場からいっても、慣習の過去の経過からいっても私はおかしいと思いますが、先生の御意見をお聞かせ願いたいと思います。
  72. 廣瀬参考人(廣瀬善男)

    廣瀬参考人 私も結論的に同じでありまして、日本は憲法上人権尊重を掲げておりますとともに、平和主義の国家として国際的にも評価されているわけであります。  実はここで今の渡部議員の御質問に関連して申し上げてみたいと思うのでありますけれども、武力紛争というのは国際社会で今日でも絶えないわけであります。御存じのようにイラン・イラク戦争はそうでありますが、そういった場合に日本が国際的な責任を果たしたいというのであるならば、交戦法上の手段を十分守り得るかどうかの監視手段を買って出ることが将来あり得るとするならば、これはもちろん兵器の使用の問題、捕虜待遇も含めてそうでありますけれども、日本がそういった武力紛争の絶えない国際社会で平和のために人道のために活動したいというのが願いであるとするならば、ジュネーブ条約体制に対して十分なコミットをして、国際的な責任を果たし得るということを国内法上もはっきりさせていただきたい。  私は、本件についてもその一環としてとらえる今日的意味が十分あるだろうと考えております。
  73. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 最後参考人に、ぜひこの機会に捕虜に関する問題について日本政府に要求したい等の御意見があれば、お述べいただきたいと思います。
  74. 廣瀬参考人(廣瀬善男)

    廣瀬参考人 私といたしましては二つだけ申し上げておきたいと思うのでありますが、一つは、シベリア抑留者等に関する捕虜損害につきましては、これはやはり特別な国際法上の義務の履行の問題であって、一般戦争損害とは区別されなければならない、財政上の問題云々とは別にして、この義務だけは国際的に明らかにしておく、ジュネーブ国際赤十字委員会に対する責任だろうというふうにも私は考えております。これが一つであります。  それから第二は、これは私、資料をいただいていろいろな角度から検討しているのでありますが、被抑留者特別給付金法案につきましては、確かに四つの段階を分けて補償内容、給付金の内容を区別しておるようでありますから、それは捕虜の実態、被害の実態にできるだけ即応しようという形なんだろうと思いまして、評価しております。  さらには年金恩給受給者に対しても支給するということのようでありますが、これも捕虜損害に対する捕虜労賃補償については、これは国際的な義務でありますから、年金受給という問題とは全く別であるということからも、この被抑留者に対する特別給付金法案については比較的私の今まで申し上げたことに近いかなと思っておるのであります。  ただ、一つだけちょっと気になることは、これは政府提案といいますか、平和祈念事業のファンドの構想を見ますと、確かに被抑留者の労苦をしのびということで、過去の過ちは繰り返すまいという意図なんだろうと思いますし、それから、永遠の平和を祈念するということでありますから、これ自体も決して悪くはないと思うのであります。しかし、この基金の活動内容を見ますと、例えば過去のいろいろな資料の陳列とか、あるいは労苦に関する講演会の開催とかいろいろなことが規定されておりますが、このやり方いかんによりまして、交戦国、特にソ連に対する友好関係を阻害する懸念があるのではないかと私は考えまして、この総論的な平和祈念ということはいいのでありますが、それが運用いかんによってかなりの危険性をはらみはしないだろうかということをもやや懸念しております。
  75. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 参考人には長時間にわたって大変ありがとうございました。以上で参考人に対する御質問を終わります。  さて、次に、大蔵省の方にお伺いしますが、先ほど斎藤参考人の方から提出されたこの証拠品については間違いありませんか。
  76. 米澤説明員(米澤潤一)

    ○米澤説明員 斎藤参考人の方からお話のありました昭和二十三年六月八日付の大蔵省管理局長、理財局長連名の日本銀行外事局長あての通達、蔵管管第三百九十二号というのは存在しております。そして、これがそれとの関係で、私ども実務を行っておりませんものですから、今いただきましたものはいずれもその実際の処理に係るものと思われますので、これはちょっと私どもの方では確認のしようがございませんが、そういう通達が存在していることは事実でございます。
  77. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 大蔵省の方、どうも御苦労さまでした。あと結構です。  最後に、内閣法制局長官にお伺いします。  先ほど条約局長と私のやりとりを聞いておられたと思いますが、この誤訳をした場合、その訂正官報告示でやられたようですが、それは適法でしょうか。
  78. 味村政府委員(味村治)

    ○味村政府委員 先ほど条約局長が申されておりましたが、この条約締結正文に基づいて行うわけでございますし、条約内容正文によって示されている。御指摘ジュネーブ条約、これは正文は英文と仏文ということになっているわけでございます。したがいまして、我が国が拘束されますジュネーブ条約内容というものは、英文、仏文のそういう正文によって表現されている内容ということになるわけでございます。  それで、非常に適切でない訳が行われまして、これは条約の審査を行います私ども法制局としても申しわけないと存じておるわけであります。しかし、そのように不適切な表現を適切な表現に変えるということは、これは条約の中身自体には関係がないわけでございまして、一たん国会の承認を得まして締結した条約内容たる法規範そのものは、既にジュネーブ条約の公布によりまして、その正文の示しておる内容によりまして全体として効力を生じているわけでございます。したがいまして、今回は改めて公布の手続とかあるいは国会の御承認というようなことを経る必要がないというように考えます。  しかしながら、当然日本語文の中身を訂正するわけでございますので、これは広く国民に知っていただく必要があるということで、外務省告示ということで訂正をするということに私どもも賛成をいたした次第でございます。
  79. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 これは確かに原文は全然変わっていないわけで、原文訂正ではないわけですから、その効力には無関係なわけですね。しかし、日本の国会を通過する場合、いわゆる国会の承認を得る場合、あるいは天皇に奏上して国事行為として認められる場合、私は日本語文で出されていると思うのですよ。つまり、間違った訳文によって国会議員に明示し、説明し、そして天皇陛下にも同じような説明をして、そしてそれは間違えましたというのは、知らないうちにそっと直してしまってはおかしいじゃないか、私は、これはまさに詐欺行為みたいになるのじゃないかと思うのです。詐欺というのはまあ金銭が絡むかもしれませんけれども、そうでない、いわゆるだました行為になるのじゃないか、こういうふうに思われるわけですが、どういうふうなものでしょうか。  国会は「抑留国」というふうにして承認したわけだ。ところが、後からそれは「当該国」になる。「当該国」は、この日ソ関係においては日本になるわけですよ。ソ連と日本の立場が逆転してしまったわけです。そうすると、私どもが条約承認のときの認識とは全く違った形で今度は訂正されてきておるとなれば、これは承認のし直しが必要じゃないでしょうか。
  80. 味村政府委員(味村治)

    ○味村政府委員 条約日本訳文を作成するということは、政府責任においていたすわけでございます。したがって、政府としてはこの条約訳文正文によって表現されております条約内容を正確に示すように訳文を作成しなければいかぬ、これは当然政府責任でございます。  今回の場合には、先ほど申し上げましたように一部不適切な語があったわけでございますが、条約は既に国会におきまして正文によって示されている内容を持っている条約として御承認をいただいておりますし、公布もそのようなものとして全体的に行われているというふうに言わざるを得ません。  しかし、先ほど申し上げましたように、こっそり直すというわけではございませんで、そのことはやはり国民に知っていただく必要がありますので、外務省の方から官報で告示をしたということになっているわけでございます。
  81. 渡部(行)委員(渡部行雄)

    渡部(行)委員 時間が参りましたので、以上で終わります。どうもありがとうございました。
  82. 前田委員長代理(前田武志)

    ○前田委員長代理 参考人各位には、御多用中のところ本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございました。  井上和久君。
  83. 井上(和)委員(井上和久)

    井上(和)委員 初めに官房長官にお尋ねをいたしたいと思います。  我が国は、戦後四十余年を経まして、国民の懸命な努力によりまして世界で一、二を争うような経済大国と言われるようにまで発展をいたしてまいりました。しかしながら、さきの大戦におきまして三百十万人に及ぶ国民、あるいはアジアにおいては二千万人にも及ぶというとうとい命が失われました。  経済大国であるとかあるいは四十余年が過ぎたといいましても、この大戦の傷跡は物心ともにわたりまして今なおいえていないというのが現状であるというふうに私は思います。戦争のために傷つき、あるいは家族を失い、さらには生活基盤を喪失したこういういわゆる戦争犠牲者の多くにとっては、まだ戦争の傷跡を引っ張っておるわけでありますから、戦争犠牲者の皆さんにとりましては戦後は終わっていない、こういうふうな認識があろうかと私は思います。  政府は、これまでそういう戦争犠牲者の救済のために、その段階ごとで戦後処理を行ってこられたのでありますが、関係者の多くの皆さんから今なお戦後処理問題の解決、特に個人補償であるとかそれを国家補償でやっていただきたいという強い要望がございまして、こういうふうな問題を含めまして、この戦後処理問題ということについては大変重要な問題であると思います。このことにつきまして、まず官房長官、この戦後処理問題についての総体的な認識をお伺いいたしたいと思います。
  84. 小渕国務大臣(小渕恵三)

    小渕国務大臣 今日の平和であります日本の姿を見ましたときに、戦中戦後、この戦争によって大変御苦労され、また犠牲になられた方々の御労苦あればこそと改めて考えるわけでございます。  そこで、委員指摘のように、戦後そうした方々に対する措置につきましては、その都度、政府といたしましても財政状況厳しき折にあっても可能な限り努力を積み重ねてきたところでございますが、順次こうした問題の取り扱いをいたしてまいりました経過の中で、一つ昭和四十二年にこの引揚者に対する特別交付金を二千億弱支出をいたしました。  その折、政府としては、戦後の処理問題については一つの区切りである、そういう考え方をいたしたわけでございますが、その後、いろいろのお立場の方々からこれまた御要望が出てまいりまして、そうした問題の取り扱いにつきまして政府としてもいかになすべきか検討いたしましたが、委員御案内のとおりに、前内閣のときに戦後処理問題懇談会を設置いたしまして、その御答申を得まして、その結果、「国において措置すべきものはないとの結論に至らざるをえなかった。」ということでございまして、恩欠の問題あるいは在外財産の問題あるいはシベリア抑留者に対する補償の問題等、種々ございましたが、そうしたものを一括いたしまして、平和祈念事業の特別事業としてその基金の中でこうした問題について区切りをつけたい、こういうことで今法案提出し御審議を願っておる、こういう経過でございます。     〔前田委員長代理退席、委員長着席〕
  85. 井上(和)委員(井上和久)

    井上(和)委員 一つの区切りをつけたいという御意向でございます。  この平和祈念事業特別基金法案の提案理由の説明の中で、「戦後処理問題懇談会報告趣旨に沿って所要の措置を講ずることを基本方針とする」、このように説明をされておるわけでありますが、この戦後処理懇報告というのは、いわゆる戦後処理問題については「もはやこれ以上国において措置すべきものはない」、こう提言をいたしておるわけであります。  しかし、今回、シベリア抑留者においては、金額は少ないわけでありますが個別補償措置をとられておるわけであります。シベリア抑留者への補償はもっと手厚くなさるべきであるというふうに私は思っておりますが、それはそれといたしまして、一律十万円というようにシベリア抑留者のみに措置をされました。「これ以上国において措置すべきものはない」、これが基本方針、答申でありまして、それに沿ってやる事業の中でシベリア抑留者に対してのみこういう個別補償措置をおとりをいただくということであります。矛盾とは申しませんが、先ほどの話とこれはすっきりしておるのだろうかというふうな気持ちが多少私はするわけですが、ここのところ、長官、いかがでしょう。
  86. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 ただいま先生からお話ございましたとおりに、戦後処理問題懇談会報告におきましては、これ以上国において補償すべきものはないということで、義務的なと申しますか、国として何かやらなければいけないというような点についてはないという結論を出したわけでございます。  ただ、そういうことを基本方針として政府におきまして関係方面といろいろ話をしている中で、いわゆるシベリア抑留者の方々につきましては、やはりああいうような特別な事情で強制労働に服したという事情もある、こういうこともございまして、関係方面ともいろいろ調査検討、協議をいたしまして、今回このような法案を出させていただくようになった次第でございます。
  87. 井上(和)委員(井上和久)

    井上(和)委員 これで再度いわば終止符を打つことができないだろうか、こういうふうなことだと思うのですが、こうなりますと、だれでも不安といいましょうか疑問に思うのは、恩欠者の問題はどうするのだろうか、あるいは引揚者に対してどのように対応するのか、こういうふうな気持ちが自然に出てくると思います。これについてお答えをいただきたいと思います。
  88. 小渕国務大臣(小渕恵三)

    小渕国務大臣 恩欠の問題あるいは在外財産問題につきましては、先ほど申し上げました平和祈念事業特別基金内に設けられます運営委員会におきまして事業のあり方について協議されることになっておりますので、この委員会にふさわしい方々を御選定をいただきまして、そうした方々の御議論またお考えをもとにしてそうした問題の処理はされていくものだ、こう考えております。
  89. 井上(和)委員(井上和久)

    井上(和)委員 もちろん、シベリア等で特別な状況の中で御苦労された方という認識、それも大切なことだと私は思うし、そう思っていただくことは結構なんですが、期間が短いがゆえにということで結局恩欠者という立場に追いやられておる、こういう人たちもやはり、まさに言います一銭五厘の紙でやっていって、一切をほうり出して命がけで戦った、こういうことにおいてはシベリアの方々とも何ら遜色のない苦労であったというふうに私は思うわけでございます。したがいまして、そういうふうなことから考えまして、ぜひこの問題を重要な問題として取り上げて認識をいただきたいというふうに思うわけであります。  そこで、御存じのように野党が、今我々が法案提出をしておるわけでありますが、これにつきましてもう一度見解を伺っておきたいと思います。
  90. 小渕国務大臣(小渕恵三)

    小渕国務大臣 ここで提案理由の説明がございまして、私も拝聴いたしておりました。それぞれの党におきましてこの戦後処理問題につきまして御検討いただきました結果を法律案としておまとめいただきまして提案をされておりますので、それはそれなりに、それぞれの政党のお考えをまとめられたものとして評価をいたしておりますが、政府といたしましては、申すまでもありませんが、現在、政府提案の法律案を御審議願っておりますので、私どもといたしましては、この問題の処理としては、この法律案をもって今後成立させていただければ誠実にこの処理をいたしていきたい、こう思っております。
  91. 井上(和)委員(井上和久)

    井上(和)委員 三月二十二日の当内閣委員会におきまして、我が党の竹内委員質問がございました。それで、基金の目的、事業、広い意味でこれは個別給付も含めてとらえて考えている、こう答弁をされておるわけであります。問題はここだと思うのですが、この平和祈念事業特別基金を設立することを提唱されたのはどこなんでしょうか。
  92. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 この法案提出するに至った一番の基本と申しますか、そこは戦後処理問題懇談会、こういう問題につきまして政府の方からいろいろお願いいたしました戦後処理問題懇談会報告というものを基本方針としてこの法案ができているということでございます。
  93. 井上(和)委員(井上和久)

    井上(和)委員 お伺いをしたいと思いますが、戦後処理問題懇談会でどういうことを検討されたか。  大体大別いたしますと、一つが、処理が残されている戦後被害があるのかどうか、また、二番目には、これまでに講じられた措置に不均衡なものがありはしないか、さらに、その後の事情の変化によってこれまでの措置を見直す必要があるのではないか、これらについて二年間検討をなされたということだと思います。その結果、特に恩給欠格者あるいは戦後強制抑留者在外財産等の問題を含めて、結論として、「もはやこれ以上国において措置すべきものはない」という結論を出し、平和祈念事業特別基金の提唱を報告としてまとめて提出をなさったというふうに理解をしておるわけであります。  したがいまして、それを基本方針とするということは、政府は、もはや戦後処理は終わったのだ、しかし関係者の心情を思うとこれだけはやっておこうじゃないかということで、記録を残したりあるいは出版事業をしたり調査研究という形を示したのじゃないかというふうに思います。だから、戦後処理は終わったとする平和祈念事業特別基金でもう一度個別給付あるいは個別措置も含まれますと言っても、なかなかこれは信じられにくいのでありますが、この点について明らかにしてもらいたいと思います。
  94. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 既に御承知のように、戦後処理問題懇談会というのは審議会というかそういうものではございませんで、これは懇談会という言葉に出ておりますとおりに、いわばそういう有識者の方々の御意見を聞いて政府の施策の参考にしよう、こういうことで、この三問題、恩給欠格者問題、それから戦後強制抑留者問題あるいは在外財産問題等につきましてそれを中心とするいわゆる戦後処理問題についてどうあるべきかということをお聞きしたわけでございます。その結果、ただいま先生もおっしゃいましたとおりに、今までのいろいろな政府における諸措置を検討した結果、国においてこれ以上特に措置するようなものはないけれども、戦後四十年にならんという中で関係者方々の心情に思いをいたすとき、やはり何かこういうことをすべきではないだろうか、そういうようなお考えに基づいて戦後処理懇報告ができた、これはただいま先生がおっしゃったとおりでございます。  したがいまして、政府は、そういうふうに御依頼を申し上げた経緯もこれあり、また、そういうことを基本方針としながら、なおかついわゆるシベリア戦後強制抑留者方々に対しては、それらの方々が置かれた特別な事情というものを加味しながらこの法案を作成するに至った、こういう経緯があるわけでございます。
  95. 井上(和)委員(井上和久)

    井上(和)委員 だから、平和祈念事業というその事業の中で、今後個別的な措置あるいは個別的給付、そういう問題というものは引き続き審議をされるということでいいのですか。
  96. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 法案に即して申し上げますと、二十七条に基金の業務というのが載っております。この中に一項というのがございまして、「基金は、第三条の目的を達成するため、次の業務を行う。」ということで、具体的に一号から、資料の収集とか調査研究とか出版物その他の記録とか、そういうことがございます。その中で第五号というところに「前各号に掲げるもののほか、第三条の目的を達成するために必要な業務を行うこと。」ということになっておりまして、これが具体的には明記されてないわけでございます。この第二十七条一項五号の「第三条の目的を達成するために必要な業務」の内容につきましては、先ほど官房長官からお答え申し上げましたとおりに、運営委員会等の協議を経て行っていこうということでございますから、その協議の結果を見て、私どもどういうことができるのか考えていきたいというふうに思っております。
  97. 井上(和)委員(井上和久)

    井上(和)委員 結局、運営委員会の審議の状況を見守ってというふうなことだと思うのですが、そういうふうになりますと、その運営委員会の審議の中で個別給付というものはもうやりませんということが審議の結果として出された場合には、それで政府はそうですかということで受けとめてしまうということになりますと、非常に――私が考えますに、この問題というのは政府自体がしっかりとかかわっていくべき問題であり、政府がやるべき話だというふうに思うわけなのです。それが、一法人をつくってそこで一切のことを進める、そこが進めたのだから政府はそれを認めるというふうになってしまうのだということになりますと、非常に責任を回避することになりはしないかというふうに私は思いますとともに、この運営委員会というものの審議ぐあいによって政府の判断が決まるということになることは大変問題であるというふうに思うわけであります。  こういうふうなことを含めまして、個人補償ヘの可能性というものをぜひ残してもらいたいと思うし、それについてもう一度御答弁を願いたいと思います。
  98. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 いずれにいたしましても、運営委員会でどういう協議がなされるか、政府としてはその推移を見守ってまいりたい、このように考えております。
  99. 井上(和)委員(井上和久)

    井上(和)委員 だから、その運営委員会の推移を見守って、そしてそれに沿って、それを政府認めるだけという立場をとるようになってしまうのでは、こういうふうな大変な問題というものが、ある意味では無責任に進んでしまいはしないかということを私は申し上げているのでありまして、運営委員会の審議の状況の推移によるのですということだけではいけないと思います。というのは、これによって結局は個人補償への道というものがもう閉ざされてしまうかどうかということの瀬戸際でもあるわけでありますので、ここのところはしっかりしてもらわないと困るというふうに私は思います。  例えば欠格者のことにつきまして伺いたいと思うのですけれども、今二百九十五万とかあるいは三百万というふうに言われておりますそういう欠格者の方々がおられるわけなんですが、こういうふうなことになりますと、一つの法人だけで運営をしていってそこでもって決定をするということになりますと、大変無理があるのじゃないかというふうに思うわけなんです。なぜかならば、例えば三百万ということになりますと、今回のように、低いと言いながらも一応シベリアの抑留者と同じように扱おうかということになれば、十万円ということですと相当な金額になると思うのです。そんなことをいわば一法人だけでやれということは適切でないのじゃないかというふうな気がするのです。三千億円もかかるような仕事にやってみたらなるわけでありますから、その点についてもう一度答えてもらいたいと思います。
  100. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 基金事業の中で先生がおっしゃっているような問題についてどういう取り扱いになるか、先ほど申しましたとおりに運営委員会の推移を見守るということになるわけでございますが、その基金性格そのものも、確かに一法人ではございますけれども、いわば国の仕事をかわって行うという意味におきまして、今御審議いただいておりますとおりに、その業務等についても法律できちっと書く、いわゆる私どもで認可法人と申しておるわけでございますけれども、国の業務をかわって行うだけの何と申しますか形を備えた法人というふうに考えておりますので、そういういろいろな業務につきまして、直接私どもも十分その法人の業務と申しますか仕事の仕方については注意しながら進めていきたい、このように思っております。
  101. 井上(和)委員(井上和久)

    井上(和)委員 注意しながらなんて言うと、私はこの前の質問で官房長官にお伺いをいたしましたのですが、そういう言葉がわからぬのですよ。注意するなんと言ったら、しっかり見ていて、こういうことがいけないなと思ったら直ちにそれをとめてそして変えさすとか、そういうふうなことが注意なのか、非常にわかりにくいことをすぐ言うからいかぬと思います。もっとわかりやすく答えてもらいたいと思うのです。  とにかく、例えばの話といたしまして、三百万からの恩欠者の方々に対して対処するとなれば三千億もかかろうかというのが、この案では出資総額二百億円の法人で三千億円に及ぶかという話のことについては、もうやれないと考えるのがある意味では素直な見方ではないかというふうに私は思うのです。したがいまして、こういうふうな意味からいいまして、注意するというふうな意味ではなくして、もっと具体的に、この基金でそれが十分にやっていけるかどうかということについて言ってもらいたいと思います。
  102. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 この基金の監督権は内閣総理大臣にございます。きちっとやっていけるものというふうに思っております。
  103. 井上(和)委員(井上和久)

    井上(和)委員 官房長官、戦後処理ということは大変長く続いていくものだというふうに思います。この祈念事業というものをおやりになることに対して私は反対するつもりはないのですが、永遠の平和を祈念する事業ということですが、本当の平和を祈念する事業というものは、むしろ政府がこの戦後処理について、戦争における傷というものに徹底的にかかわって、そして徹底的に最後まで拾い上げるというか関与する、このことをすることが最も永遠の平和を祈念する事業になるんだというふうに私は思うのです。  これをしたからこれで一応区切りましょう、これをするから区切りましょう、悪く言えば早くやめようやめようというのではなくして、もっともっといろいろな意味で、この大戦によって被害を受けた方々、それによって損傷を受けた方々、そういう人に対して単なる慰藉ではなくして、本当に政府自体がもっと根底的に、いつまでもこのことに対しては私たちはかかわりますという姿勢を持つことが、私は永遠の平和を祈念する姿勢であるというふうに思うのですが、いかがでしょうか。
  104. 小渕国務大臣(小渕恵三)

    小渕国務大臣 大戦の後始末と申しますか、あるいはその犠牲者に対する補償の問題等は、戦後、政府としても先ほど申し上げましたように懸命に努力をしてまいりました。戦没者の遺家族の問題あるいは軍人恩給の問題その他でき得る限りの努力をいたしてきた次第でございますが、その後、いろいろな方々から、なお傷跡は残っておるということで、それぞれのお考えに基づいて処理問題として提起されてきました。そういうことで、冒頭、委員の御質問にもお答えをいたしましたが、戦後何回か政府としては一応の戦後の未処理の問題についての区切りという形をとったこともございますが、なおかつ、御指摘のように今問題になっております三つの問題も含めまして提起されてきたわけでございます。  そういった形で、今回はこの法律案をもって一応戦後の処理問題には終結を図りたい、こういう考えでおりますが、なおそれぞれの御意見もあろうかと思いますので、私どもといたしましては耳を傾けることにやぶさかではありませんが、しかし、段々の経緯の中で懇談会ができ上がって、そこでこのような方式によって問題を解決せよ、こういうことでございましたので、この段階では、この戦後の処理問題については幕を引きたいというのが政府考え方でございます。
  105. 井上(和)委員(井上和久)

    井上(和)委員 処理懇報告書というものを見せてもらいましたけれども、まだまだ戦後処理の問題で触れてないと私が見ても思うようなものがたくさんございます。  例えば、原爆被爆者の救済のための被爆者援護法の早期制定、あるいは中国残留孤児の問題、また北朝鮮残留孤児の実態の調査、さらには北朝鮮の日本人妻の墓参、里帰りの実現、サハリン残留朝鮮人問題、あるいは未収集の戦没者の遺骨の問題、これらは非常に大事な問題だと思います。恩欠者あるいはシベリア抑留者あるいは在外財産、この三つだけが問題ではなくして、これらの諸問題というものは、戦後の処理の上において大変な意味を持っておると私は思うわけであります。  これらの問題が、この平和祈念事業というもの一法人だけで、ある意味ではもう一切あなた方に任せるよ、そうなってしまうということに対して非常に私は憂いを持つものでありまして、今例として申し上げました事柄に対しても、政府自体がかかわりをぜひお持ちいただきたいという願いがあるのですが、いかがでしょう、もう一度官房長官。
  106. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 既に御承知のとおりに、この基金は、いわゆる戦後処理問題と称しておりますが、その中心的なものはいわゆる恩給欠格者問題あるいはシベリア抑留者の方々の問題、さらには引揚者方々在外財産、こういう問題を中心とするいわゆる戦後処理問題についての最終的解決を図るための基金ということでございます。  ただいま先生が御指摘ございました諸問題は、非常に外交に触れる問題あるいは既に他の省庁等において手がけている問題じゃないかというふうに思っております。実は、戦後処理懇の中ではそういう問題については触れないでいこうという基本的なお話が冒頭あったことはあるいは御承知かと思います。したがいまして、私どもこのいわゆる戦後処理問題というのは、私が先ほど申しました三問題を中心としたいわゆる戦後処理問題、これについての最終的な解決を図るための基金をつくる、こういう趣旨であることを御理解賜りたいと思っております。
  107. 井上(和)委員(井上和久)

    井上(和)委員 私が申し上げておるのは、こういうふうな事柄も戦後処理のことになるでしょうということを言っておるわけなんです。だから、こんなことについても政府としてはしっかりととらえて今後かかわっていただけると思うのです。それで、こういうことも含めて見解をお願いしたわけでありまして、ちょっと違うと思いますよ。
  108. 小渕国務大臣(小渕恵三)

    小渕国務大臣 委員指摘のことは、広く戦後の処理問題ということでお挙げをされたテーマであろうと思います。中国人の残留孤児の問題等々お挙げになられましたが、それは政府といたしましてもそれぞれの役所におきましてもできる限りの対応をしてきたところでございまして、したがって、今度の法律案は、今平野室長が答えたとおりでございますが、その他の御指摘されたような問題につきましては、原爆の被害者の救済の問題等におきましても財政的にもできる限りの措置を今日もとっておるところでございまして、なおこういった問題につきましては、誠実にそれぞれの問題に対処して政府としては努力をいたしていくことは言うまでもない、こう思っております。
  109. 井上(和)委員(井上和久)

    井上(和)委員 ぜひともよろしくお願いをしたいと思います。  次に、平和祈念事業の特別基金について具体的な問題を二、三お伺いをしておきたいと思います。  まず、基金が設立をされますと、それの人員構成というのはどういうふうにお考えなんでしょうか。
  110. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 こういう行政改革が非常に厳しい情勢の中で新しく法人を設けるということでございますので、できる限り効率よく業務を進めていきたい、こういうふうに考えております。  そういう意味におきまして、新しくできます基金のいわば職員の数は、定員十六名というふうに考えております。それ以外に役員が、法律にも載っておりますけれども、理事長、理事あるいは監事という最小限のメンバーで臨んでいきたい、このように考えております。
  111. 井上(和)委員(井上和久)

    井上(和)委員 だから具体的に数で教えてもらいたいと思います。同時に、この基金の運営予算、人件費というのは大体どのぐらいかかるであろうと見ておられるのか、あわせてその数で教えてください。
  112. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 初年度と申しますのは六十三年度、今年度でございますが、今年度、基金の運営費として約五億円計上されております。そのうち、先生が今おっしゃいました人件費とか物件費とかいわゆる管理費的なものは、おおむね三億円程度ではないかというふうに思っております。
  113. 井上(和)委員(井上和久)

    井上(和)委員 五億円ということであります。大変なお金でございまして、十万円が何倍になるか、大変な数だと思います。というのは、もしこういうふうにたくさんお金がかかるということになって、こういう組織ができるたびに役人さんの天下りの場所が一つふえるのかなという気が純粋にするわけでありまして、もちろんそういうふうなことだけではないと思いますけれども、ちょっと憂いを持つわけであります。  それから、抑留者の帰国時期にかなりのばらつきがあるというふうに伺っております。一番早く帰国された方と最も長く抑留された方の期間はどのぐらいございましょう。
  114. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 お話がございましたとおりに、一番早い方で二十一年までにお帰りになった方がいらっしゃいますが、大きく分けてソ連等からお帰りになった方、シベリアの抑留者の方々につきましては三十一年ごろで大体終わっております。ただ、これは厚生省の資料でございますが、その後ぽつぼつと一人だとか二人だとかいうのはございますけれども、大筋におきましては三十一年でいわゆるシベリアからの抑留者の方々は終わっているということが言えようかと思います。
  115. 井上(和)委員(井上和久)

    井上(和)委員 今伺いましたように、二十一年から三十一年ですから十年間もばらつきがあるわけであります。ところが、今回の慰労金という形では一律十万円、金額でいうとそういうふうに言われておるわけでありますが、こういうことから考えましても、一律というのは平等なようですが、これが一番不平等じゃないかという気がするわけであります。そういう意味からいいまして、この三党が提出しております法律案のように段階をつけてやっていただきたい、ぜひ修正をしてもらいたいという要望をしたいと思うのですが、いかがですか。
  116. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 今回いわゆるシベリア抑留者の方々に慰労金、おっしゃるように十万円でございますが支給することにいたしましたのは、先ほどもちょっと申しましたけれども、戦後という特別なときに、戦争が終わった後にあの酷寒の地で強制労働に服されたという特殊事情を考えた、こういうところから個別に慰労の気持ちをあらわしたいということでこういう措置をすることにしたということでございます。確かに十万円は高いとか低いとかいろいろ議論はございますけれども、そういう方々に対して今まで国として、例えばシベリアの期間も足して恩給をもらっている方とか、そういうふうにシベリアの抑留期間に対して何らかの国の気持ちをあらわさせていただいた方々は別でございますが、そういうこともしていなかった方々に対して国として慰労の気持ちをあらわしたいということで、いろいろな点を考えて十万円にしたということでございますから、ぜひ御理解を賜りたいと思っております。
  117. 井上(和)委員(井上和久)

    井上(和)委員 大変わかりにくく感じるのかもわかりませんけれども、十年間も差があるということは、極端に言えば十年おった人は五年おった人の倍も苦しんだということになるわけです。だから、それを同じに扱うことが正しいのではない、正しくないということを申し上げておるわけです。したがいまして、私ども三党の提出した法律案はそういうことがきちっと分けてございます、その方が正しいのじゃないですか、ぜひそういうふうにしてもらいたいがどうですかということを聞いておるのです。
  118. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 少し言葉足らずであったかと思いますが、私ども今回そういうシベリアの抑留者の方々に個別に慰労の気持ちをあらわすため、書状と慰労の品と慰労金ということを一応考えたわけでございます。全員の方々に一応書状と慰労の品ということでございますが、ただいまお話がございました慰労金につきましては、恩給等を受給していない方々のために、確かにささやかであるかもしれませんけれども、国としての慰労の気持ちをあらわすため十万円にさせていただいたということでございます。こういうことは若干あれかと思いますけれども、仮に十年いらっしゃった場合には、この方々は加算年等もございますからきっと恩給などをもらっていらっしゃるのじゃないかな、そんなふうに思っておるところでございます。
  119. 井上(和)委員(井上和久)

    井上(和)委員 時間がありませんので次に行きます。  定義についてでありますが、第二条の中で、「この法律において「戦後強制抑留者」とは、昭和二十年八月九日以来の戦争の結果、同年九月二日以後ソヴィエト社会主義共和国連邦又はモンゴル人民共和国の地域において強制抑留された者で本邦に帰還したものをいう。」こういうふうに定めてあるわけでありますが、抑留中に死亡された方というのが含まれないのかどうか。
  120. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 この法律の定義では含まれておりません。
  121. 井上(和)委員(井上和久)

    井上(和)委員 これはなぜ含まれないのでしょうね。行って抑留をされて強制労働に従事して、そして亡くなったのです。そういう人が亡くなったというのは、もちろん事情はいろいろあろうと思いますけれども、その過酷な条件に耐えられなかったという事実があるし、わかりやすく言うと、帰ってきた人よりもひどくこたえた、その人にしてみたら死ぬぐらいこたえたということだと思うのです。その方々については慰藉の中に入らないというのは非常に不満なんですが、どうですか。
  122. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 この特別基金は、既に御承知のとおりに、「今次の大戦における尊い戦争犠牲を銘記し、かつ、永遠の平和を祈念するため、」ということが第三条に基金の目的としてうたわれているわけでございます。そういう基金の目的に照らしてシベリア抑留者の方々を見た場合には、現地で亡くなった方も含まれるというふうに私どもは考えております。  やや法律的に申し上げて恐縮でございますが、ここで言う「戦後強制抑留者」は、先ほど申しましたとおり定義としては死亡者をなくしているわけでございますが、一条に、「引き揚げた者等」ということで「等」という言葉も実は使っているわけでございます。そういうところで、法律上におきましてはこの基金の対象としてその関係者の中には当然のことながら現地で亡くなった方も含むというふうに私ども考えております。ただ、定義でそれを外しましたのは、そういう方々で本邦に帰還された方々に対しては、個別に慰労の気持ちをあらわすため書状や慰労の品、あるいは恩給等を受給されていない方にはさらに慰労金を差し上げようということにいたしましたので、法律の定義上の問題としては除いた、こういうことでございまして、考え方としては、先生もおっしゃいましたとおりに現地で亡くなった方も含めてこの基金の対象となるということでございます。
  123. 井上(和)委員(井上和久)

    井上(和)委員 ぜひそこのところを注意してもらいたいと思うのです。私はいつもこういうことを御質問申し上げるときに勉強してみて思うのですが、途中亡くなった方々とか、あるいは恩給の問題にしてもそうですが、「兵」と書いてありますね。そしてずっと段階があって「大将」と書いてあります。こういうふうに段階があって、そしてそれが非常に金額が違うのです。兵という人がいただくのと大将がいただくお金がどのくらい違いますか、言ってみてください。段階ごとに、大まかで結構です。
  124. 石川(雅)政府委員(石川雅嗣)

    ○石川(雅)政府委員 お答え申し上げます。  ただいま御質問のございました旧軍人の普通恩給受給者についての受給額でございますが、兵については現在受給者は四十三万九千五百五十人ございますが、平均年額が四十五万五千八百九十七円ということになっております。それから、大将につきましては現在該当する者がございませんので数字は出てまいりません。(井上(和)委員「その下を読んでくださいよ、人のいるところを」と呼ぶ)それでは、現在受けている階級で一番高いところが中将でございますが、受給者が三十四人、平均年額は三百六十三万四千九百八十二円ということになっております。  ただし、これだけの差が出てくる理由といたしましては、恩給は御承知のように最終の給与と在職年でもって計算するわけでございますけれども、兵につきましては、加算年を入れまして十二年に到達しているわけでございますが、実在職年は平均で四・七年でございます。それから中将につきましては三十一・一年、これだけの実在職年の違いがある、こういうことでございます。
  125. 井上(和)委員(井上和久)

    井上(和)委員 これは素人考えというか私の思いつきでありますけれども、大将の命も兵の命も同じだと思うのです。まして御苦労というものを見たときに、私はもちろん、若いこともありまして軍隊の組織とかそんなものは知らないわけでありますが、兵と言われた方々は本当にまさに文字どおり最前線でやったと思うのです。大将あるいは中将という人は、毎日の生活にしてもすごくよかったというふうな認識を私は持っておるのです。それが、戦争が終わって恩給で補償されるという場合にも、その段階がそのまま、ここにずっといろいろあります、これは見ましたね、書いてあるのですが、こんなに段階がつくってあって、そしてこれで、今聞いたのでも三百二十万も差があるのです。こんなことが現実にあるということは私は大変おかしいのじゃないかなという気がするのです。  何も私が言うのは、例えば偉い人というか、たくさんもらっている人を減せと言うのじゃないのです。それは結構なんですが、私はそれよりも兵と言われる方々の分をもっと引き上げるのが本当に正しいのじゃないかという気がいたします。こういうふうな段階が戦後もそのまま残って、現実に今もこれだけの差をもってやっておることが、私は非常に不可解というかわからない気持ちがするのです。戦争という一つの事柄の中では同じだったろうし、まして生命と生命は同じであろうわけなんでありますから、ぜひそういうことを、これは私が感じることでありますので、申し上げておきたいと思います。  このように戦後の問題についていろいろあるわけでありますが、ここのところで申し上げておきたいのは、そのようにお亡くなりになった方、その人たちを決して忘れないようにしてもらいたいし、そういう方々の遺族の皆さんや関係者方々に対して十分に補償をしてあげてほしいという願いを私は持っておるわけであります。  もう時間がございませんので、次に参ります。  実は、これもあるところからお話を聞いたのでありますが、旧陸軍が広島県の大久野島というところに、昭和二年から終戦までの間、旧陸軍東京第二造兵廠忠海製造所が設置されまして、イペリットとかルイサイト、あるいは青酸、ホスゲン等の毒ガスが製造されていたのでありますが、これら毒ガスの製造工場で働いていた方々は、毒ガスの汚染によりまして障害を受け、戦後四十年を経た今におきましても、ある調査では数千人と言われておりますが入院や治療を続けておる状態であります。また、これまでにも千三百名余の方が毒ガス汚染によって亡くなっておるということであります。  これらの方々はどのような法律によって救済をされておるのだろうか、私はこれが非常に心配でございまして、まずお聞きをしておきたいと思います。
  126. 山口説明員(山口公生)

    ○山口説明員 お答え申し上げます。  ガス障害者の救済のための措置といたしましては、昭和二十九年の行政措置におきまして特別措置要綱というのを定めまして、実質的に行政措置としての救済をやっております。そこでは、ガスの患者さんに対して療養費をお支払いするというようなこと、それから公務傷病年金等をお支払いするというようなことをやっております。
  127. 山岸説明員(山岸親雄)

    ○山岸説明員 ただいまの大蔵省からのお答えのほかに、厚生省の関係で戦傷病者戦没者遺族等援護法という法律がございます。この法律によりまして、ただいまの大久野島の毒ガス製造従事者のうち、私どもは内地軍属と申しておりますが、軍属であった方、あるいは動員学徒ないし女子挺身隊等国家総動員法によりまして動員された方々、この方々は援護法上で準軍属という身分を与えられておりまして、この方々が業務に従事したことによりまして第五款症以上の障害を有した場合、あるいはそれによりまして死亡された場合のその遺族の方々に対しましては、障害年金、遺族年金、遺族給与金もしくは弔慰金を支給することになっております。
  128. 井上(和)委員(井上和久)

    井上(和)委員 昭和二十九年までに亡くなられた方というのはどういうふうになっておりますか。
  129. 山岸説明員(山岸親雄)

    ○山岸説明員 お答え申し上げます。  今私が申し上げました二十九年の特別措置要綱におきます行政措置は、二十九年の段階でガスの障害で非常に苦しんでおられる方に療養を十全にやっていただきたいという趣旨で設けた措置でございまして、それ以前に亡くなられた方につきましてはこの措置の適用はないということでございます。
  130. 井上(和)委員(井上和久)

    井上(和)委員 これも先ほどシベリアのときに申し上げましたけれども、二十九年以後生きていた場合にこういうことが救済されるわけでありまして、亡くなった人はそういう救済に入らないという、今言われたとおりなんですね。  そうなりますと、結局、毒ガスというものを扱って、これは最も悲惨な、ここにも本が出されてございまして、「地図から消された島」という本当にすばらしい本でございましたが、この中にも出ておりますように、大変な状況の中で、死ぬるにしましても、がんの症状よりももっと怖いような、まさに肺なんかぼろぼろになって死んでいった。そういう事柄がほとんどここに書かれてございますが、そういう大変な状況であって、まさに、死んだ、それが早く死んだということはひどかったということだと私は思うのです。そういう人は二十九年以前だからこの対象から外れるのですということは、私は本当にやりきれない気持ちがするわけなんです。こういう方々に対してぜひとも救済の措置を講じるべきだと思うのですが、どうですか。
  131. 山岸説明員(山岸親雄)

    ○山岸説明員 ただいま御紹介申し上げました戦傷病者戦没者遺族等援護法によりますと、これは累次改正を経ておりますので法律が適用されたのは昭和三十八年になるわけでございますけれども、この援護法の対象になる方につきましては、昭和十二年以降戦争が終わるまでの勤務により障害を受けた方について、先ほど紹介申し上げました補償をするようになっております。
  132. 井上(和)委員(井上和久)

    井上(和)委員 ぜひそういうことに心を用いてもらいたいと思います。  例えば傷病手帳が来ることになっているのです、今はちゃんと。ところが、それがはっきりして傷病手帳をいただくにしても、その手続が非常に手間がかかって、遅くて、私のいただいたいろいろな書類の中にも出ておるのですけれども、手帳をいただいた次の日に亡くなったというようなことがたくさんあるそうです。そんなことでは本当に手続のために人間の生命が失われる、それを見過ごすことになってしまうわけでありまして、こういうことはよくないと思います。ぜひともそういうことについて迅速にやってもらいたいと思いますし、患者の皆さんの期待にこたえてもらいたいと思うのです。  それから、これは個人的な事柄になるわけなんですが、菅寿茂さんという人が実はこの大久野島で働いておりまして、昭和二十八年の二月十二日に死亡されております。なぜこういうことを言うかといいますと、この人のような人がたくさんいらっしゃるだろうと思うから私は申し上げるのですが、この方は昭和十三年から十六年まで三年間そこで毒ガスの製造に携わったのですが、もちろん体はやられまして、そして慢性毒ガス性肺壊疽という病名で亡くなっておるのです。この方は、そういう状況でありながら一切救済措置というか、この人はそのことに対して何一つも救済をされたことがないわけなんです。  これなんかを見ましても、これは厚生省自体ヘも何回かこの人が書類を出したと言っておりますから、多分そこへ出ておると思うのです。二回、三回とこの方は出したそうです。しかし、それに対しての返事がすごく長引いて、それでまた出してまた長引いてとなりまして、とうとう今になってしまったということでありますが、今現在、一切何の御返答もどういう措置もない。ただ一点、紙が来たのは、先ほど私に御答弁いただいたように、その昭和二十九年以前でございますから救われませんと書いてあるのが来ただけだそうでございます。こういうことでは、本当に苦労されたというか命がけで仕事をしていただいた皆さんに対する対処の仕方としては非常によくない、こう私は思うわけであります。  このことについてはそういうことですから、何回か書類が、多分広島県を通じて出されたと思いますが、出ておると思いますが、これはどんなでしょう。
  133. 山岸説明員(山岸親雄)

    ○山岸説明員 今先生からお話のありました菅さんの件でございますけれども、この方は従前、先ほど大蔵省の方からお答え申し上げました大蔵省サイドの給付についての御請求をしておられまして、残念ながら援護法の手続を一切していらっしゃらなかったわけでございます。非常に残念なんですけれども、もう少し早いうちにお気づきいただいたら援護法が適用されるかもしれません。ちょっと実情がわかりませんから断定はできませんけれども、身分的にも確かなようでございますので、援護法の適用の可能性があるということでございます。  それで、御指摘をいただきまして、実は県なり市町村の方、大三島町でございますか、そちらの方まで御照会申し上げたのでございますが、まだ援護法の手続を一切していらっしゃらないということでございますので、できれば援護法手続をしていただきたいというふうに考えております。
  134. 井上(和)委員(井上和久)

    井上(和)委員 そういうふうに非常に冷たいんですよ。この人はそれだったらいけておったんだろうなと思いながら、今ここでそうやって話をするんです。しっかり本人に言うてあげなければいかぬのです。本当に冷たい。こんなことではいけないと思いますよ。  例えば、今回のこの平和祈念事業につきましても、昭和六十八年でしたか、それまでの人たちが対象になるので、それ以外の人たちは対象としないと明確に書いてありますが、それじゃこれから五年間に、この平和祈念事業関係する皆さんに対して徹底的にこれを周知徹底をしなければならぬですね。これをいい加減にしておいて、あなたはこの間だったら救われたんですけれども、もう期限が来ましたからだめですよという話をするんです。そういうことを平気でするんです。一言言ってあげたら済むことが、非常に冷たいんです。先ほど聞いたのでそれがはっきりしておると思うんですね。ぜひそういうことのないようにしてもらいたいと私は思います。  それと、最後でございますが、実は奥野国土庁長官のお話が新聞をにぎわしておりまして、私も非常に大変なことだと思うわけであります。まさにこれはいろいろ言っているような、その気持ちはないとかあるとかいう、そんなような次元の事柄ではないという気がいたします。非常に基本的な意味において、戦争というものに対して、戦後というものに対して、あるいは近隣諸国に対しての考え方というか、我が国の態度というものに影響をしてくると思うのですが、これについて官房長官の御所見を伺いたいと思います。
  135. 小渕国務大臣(小渕恵三)

    小渕国務大臣 御指摘の奥野国土庁長官の発言が中国の新聞等の批判的反応を招く事態となりましたことは、遺憾に存じております。  政府といたしましては、日中共同声明の中で述べられております過去の歴史に対する認識にいささかの変化もないということを改めて表明いたしたいと思います。  なお、靖国神社公式参拝問題に関する政府の立場は、既に明らかにされておりますように、公式参拝の実施を願う国民や遺族の感情を尊重することは政治を行う者の当然の責務でありますが、他方、国際関係を重視し、近隣諸国の国民感情にも適切に配慮しなければならないということにつきましては、政府としてもより慎重でなければならない、このように考えております。
  136. 井上(和)委員(井上和久)

    井上(和)委員 大変ありがとうございました。終わります。
  137. 竹中委員長(竹中修一)

    竹中委員長 この際、暫時休憩いたします。     午後一時二十六分休憩      ────◇─────     午後三時七分開議
  138. 竹中委員長(竹中修一)

    竹中委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。川端達夫君。
  139. 川端委員(川端達夫)

    ○川端委員 長官どうも御苦労さまです。  平和祈念事業特別基金等に関する法律案について幾つか御質問申し上げたいと思います。  まず冒頭に、この法律案は、いわゆる戦後処理問題というのでいろんな問題があり、具体的に中身のもう決まっているもの、あるいは問題として残っているもの、たくさんあるわけですけれども、そういう諸問題の施策の一つとして提案をされてきたというふうに考えているのですが、この法案が戦後処理における施策の中でどのように位置づけられているのか、この法案趣旨とともに長官からお伺いをしたいというふうに思いますので、よろしくお願いします。
  140. 小渕国務大臣(小渕恵三)

    小渕国務大臣 政府といたしましては、昭和四十二年の引揚者に対する特別交付金支給をもちまして実は戦後処理に関する措置は一応終了したと考えてきたところでございましたが、恩給欠格者問題、戦後強制抑留者問題、在外財産問題などいわゆる戦後処理問題についてなお一部に強い御要望がありましたので、民間有識者による戦後処理問題懇談会を開催して検討をお願いいたしたところでございます。  政府といたしましては、五十九年十二月に内閣官房長官提出された同懇談会報告趣旨に沿って所要の措置を講ずることを基本方針といたしまして、具体的内容について種々検討調査を行ってきた結果、この法案提出するに至ったものでありまして、これをもちましていわゆる戦後処理問題については終結をさせたい、こう考えておるところでございます。
  141. 川端委員(川端達夫)

    ○川端委員 戦後処理問題懇談会の答申を受けて、それで戦後処理問題の締めくくりということで終結するという形でここにお出しになったという御答弁だったのですが、ということは、この法案の対象とされる人たちあるいは問題というものは、今長官もお述べになりましたように、いわゆる恩欠者それから強制抑留者あるいは在外資産等の問題、その三つに限定をして考えておられるというふうに受け取れるのですが、それでよろしいのでしょうか。
  142. 小渕国務大臣(小渕恵三)

    小渕国務大臣 そのとおりでございます。
  143. 川端委員(川端達夫)

    ○川端委員 法案の中にそういう人を称して「以下「関係者」と、こういうふうに書いてあるのですが、その第一条の中に、三つのそういう人で、「本邦以外の地域から引き揚げた者等」というふうに書いてあるのですが、この「等」というのはどれぐらいの範囲をお考えになっているのか、政府委員の方で結構ですので、お答え願いたいと思います。
  144. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 この「関係者」でございますけれども、大臣からお話し申されましたとおりに三つの問題ということでございます。  先ほども御質疑があったわけでございますが、シベリアに抑留された方、戦後強制抑留者というのは、例えて言うならば「本邦に帰還したもの」というふうにやや限定的に使っているわけでございます。しかしこの基金の対象とする、つまり今次の大戦における戦争犠牲を銘記し、平和を祈念する意味における基金の対象としては、当然現地で亡くなった方々も含めたいわゆるシベリアの抑留者というふうに考えることになろうかと思います。そういう意味におきまして、この「等」というところでその辺は読んでいきたいというふうに思っているところでございます。  引揚者の問題につきましても、ここに書いてございますとおり、まさに我が国にお戻りになった方ということでございますが、いろいろな観点から見ますと、現地で亡くなったような方についても、例えば記録の収集とかいうような問題になった場合には全く無視するわけにはいかないのではないか、このように考えておるわけでございます。
  145. 川端委員(川端達夫)

    ○川端委員 初めの方はよくわかったのですが、最後の方で言われた部分がちょっとあれなんですけれども、メーンとしては、対象者というのは、いわゆる恩欠者と強制抑留者と在外資産、要するに引揚者等をほとんど集中的に考えているのであるということでよろしいですね。
  146. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 そのとおりでございます。
  147. 川端委員(川端達夫)

    ○川端委員 そういう趣旨を受けて、第三条に「目的」ということで「関係者の労苦について国民の理解を深めること等により関係者に対し慰藉(しゃ)の念を示す事業を行うことを目的とする。」ということが書いてありますけれども、これを先ほど趣旨といろいろあわせて考えますと、恩欠者それから強制抑留者、在外資産の引揚者を対象にして慰藉の念を示す事業を行うことと読めるのですけれども、それでよろしいのでしょうか。
  148. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 そのとおりでございます。
  149. 川端委員(川端達夫)

    ○川端委員 というふうに考えますと、いわゆる戦後問題をいろいろな形で検討し、四十二年に終結宣言をして、その後いろいろな流れの中で懇談会の答申が出た、そういう中で三つ関係者に対して慰藉の念を示す事業をするためにこの法案が出てきたということになるわけですけれども、その目的を達するために第二十七条で「基金は、第三条の目的を達成するため、次の業務を行う。」「一 関係者の労苦に関する資料を収集し、保管し、及び展示すること。」「二 関係者の労苦に関する調査研究を行うこと。」「三 関係者の労苦に関し、出版物その他の記録を作成し、及び頒布し、並びに講演会その他の催しを実施し、及び援助し、並びにこれに参加すること。」このように、一、二、三に関しては「関係者の労苦に関し」という言葉がついて具体的な施策になっているわけですけれども、それ以下に書いてある、資料を収集したり、調査研究あるいは出版物を出すという場合の事業が、先ほどから言われている例えば恩欠者であれば、恩欠者であるからという人たちに限定をした事業としてあり得ることなのかということをお伺いしたいのです。  広く一般的に平和を祈念するということであれば、国民はいろいろな形で戦争に対してつらい思いをした、あるいは犠牲を受けたという場合に、例えばその中で兵役に参加をし戦地に実際に行った人がおられる。例えば出征するに際しては遺言をつくり、つめと髪の毛を残し、資産をそれなりに処分をして、後顧の憂いなく、いつ死んでもいいという形で出征をした。不幸にして亡くなられた方もおられる、負傷された方もおられる、生還をされた方、そういう中で、二度とこういうことを起こしてはいけないという思いの中で平和祈念事業をやる、これは理解できるのです。  そういうときに、この人たちは恩給をもらっている恩給資格者であるから事業の対象ではなくて、いろいろ計算をし加算をしても十二年にならない恩欠者であるから、この人たちを特に限定をしてこの一、二、三にある事業というのがあり得るのですか。いわゆるこの三つ事業が、恩欠者あるいは強制抑留者引揚者に限定した事業として理解できるものとしてあり得るのかどうかについてお伺いをしたいと思います。
  150. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 基金事業先生が御指摘されたとおりでございます。  先生のお尋ねは、そういういわば三問題の関係者に限ってこれだけの事業を行うのかということでございますので、私どもの方といたしましては、その基金の業務の主たる対象者というものはこの三問題に限るわけでございますけれども、ただいま先生がおっしゃいました、それでは例えば恩給欠格者方々の問題をいろいろ記録にとどめたりあるいはいろいろ調査研究する場合に恩給を受給しているような方々を除くのか、こういうお尋ねかと思っております。私は、この点は先生と恐らく同じだと思うのでございますけれども、恩給欠格者方々を考える場合に恩給受給者の方を全く除くということにもならないのだろうと思うのでございます。  ただ、私どもが考えておりますのは、そういう基金の行うさまざまな資料の収集とか調査研究とか出版物とかという場合に、その焦点と申しますか視点と申しますか、そういうものは恩給欠格者なら恩給欠格者という視点から物をとらえてそういうことをやっていきたい、こういうことでございまして、その周辺にいる人もしくはそういう状況というものを全く無視してそういうものができるとは私どもも思ってはおりません。そこに「等」という意味のいろいろな意味が含まれてくるということかと思っております。
  151. 川端委員(川端達夫)

    ○川端委員 言われることは言葉としてはわからないでもないのですけれども、現実に例えば兵役に従事をした人を通じて、その人たちの関連の資料、記録等々を集めて広く国民に周知をしていくことによって二度と戦争を起こすまいというふうなことをしよう、そして関係者に対しても慰藉をしようというときに、恩給制度というかなり複雑な表によって十二年という計算をしたときに、適用される人、されない人というふうな、まさに恩給法のお金にかかわる計算方法で、ただ一つの法律で仕切っただけの部分戦争犠牲あるいは兵役参加という人をそういうようなもので区別して、そういう人たちに中心的な視点を当てて、周辺の人は含まれるので「等」ということで事業を行うのですということが通用する理屈ですか。  具体的に言えば、この人は恩給をもらってないということで、そうしたら、戦争に行ったという部分では同じであるけれども、つらい思いをした、苦しい思いをした、家庭もいろいろなことがあったけれども、その人たちの中で、この人たちだけは恩給制度でいえば恩給をもらえなかったから気の毒な人ですよというふうな意味になってはおかしいわけでしょう。そういう意味ではどうなんですか。どうもそれがわからないのです。
  152. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 御承知のように、戦後処理懇におきますいわゆる恩給欠格者問題についての考え方というのは、国において何らかの措置を講ずることはないとしても、しかしさきの大戦であれだけ苦労されたことについてはもう全くそのとおりであるというふうにお認めになっていらっしゃるわけです。したがって、そういうような戦地における、あるいは内地かもしれませんけれども兵役に服したその間のいろいろな御苦労は、平和を祈念するという意味におきましても後世の方々にもきちっと伝えることが必要なのではないか、こういうことでこのいわゆる特別基金をつくろうということで今回法案提出させていただいたわけでございます。  したがいまして、確かに対象を例えば恩給欠格者だけに焦点を合わせてやるのかという、対人と申しますか人という観点で考えますとお話しのような点もあるかと思いますけれども、この基金取り扱います、あるいは基金の業務として考えております「関係者の労苦について国民の理解を深める」ということになりますと、恩給欠格者問題で言えば例えば兵役についた間のいろいろな公私にわたる御苦労というものを伝えたいということでございますから、私どもはその点を踏まえてこの基金の運営に当たってまいる必要があるのではないか、このように考えているわけでございます。
  153. 川端委員(川端達夫)

    ○川端委員 水かけ論になるのであれですけれども、もう一つ、こういう一、二、三の事業を中心とした部分が、平和を祈念し二度と戦争を起こさないということで国民に訴えるということは私はあると思うのです。これは認められると思います。関係者に対して特定、限定したような事業ではないと思います。今幾ら言われても、それは言いわけだと思う。同じ兵役に参加した中で、恩給の適用を受けられないという人を特定していろいろな資料を集めて、この人たちが大変だったというふうなことには私はできないと思う。そういう中でそういう人たちに慰藉ができるとお考えなんでしょうか。慰藉できますか。
  154. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 どういう気持ちを、例えば慰藉の念と申しますか、そういう事業と申しますかそういう業務の中に持つかという点があろうかと思いますが、私どもいろいろ関係者方々お話を伺っておりますと、少し先生お話から飛ぶかと思いますけれども、個人的に何らかの措置をしてくれるべきであるという要望があることはもちろんでございますけれども、そういう方々の中には、例えば我々がこういうことをやってきたということを後世に伝えて、こういうことが二度と起こらないようなこともやってもらいたい、こういう要望等も実はあるわけでございます。  したがいまして、人それぞれお考えはあろうかと思いますけれども、私どもの基金が行う業務、事業は、関係者方々慰藉に役立つと申しますか、慰藉の念を示す事業として十分意義があるものではないか、このように思っておるところでございます。
  155. 川端委員(川端達夫)

    ○川端委員 いわゆる戦後問題ということで大きく三つがある、延々とかかってきているわけですけれども、そういう中で、未処理の大きなその三つの問題をやりますよというふうな条文を、第一条の法案趣旨にそういう三つの人たちに対してこの法律はつくるのですよということを大上段でおっしゃる構成をしながら、具体的に詰めていった第二十七条においては、一般的な、戦争というものを二度と起こしてはいけないという、まさに平和祈念に対する、もっと大きな範囲での平和というものを考えたような事業を具体化する形で出てきている。  だから、法案趣旨としてあなたたちその三つの対象の人たちにこれからやりますよと言いながら、全体的に大きな形で持ってくるというところにこの法律の無理があると私は思うのです。構成がやはりおかしいのではないか。三つの問題を対象とした趣旨であるならば、しかも三つは全く関連していない問題なんですから、個々に個別にどうするのかということが出てこなければ、この法案としては大ぶろしきを広げた割に中身が何もないという評価になるだろうし、そうだからこそ具体的に本当に慰藉されたのかなという感じがすると思うし、抽象的なものにならざるを得ないと思います。  ちょっと観点を変えまして、調査をやっていますね。実情調査ということで答申の後にやっておられるのです。「特別基金に関する関係者実情調査」というのを六十一年七月におやりになっていますが、この調査の設問の趣旨と、この結果をどういうふうにこの法案には関係づけられているのか、お伺いをしたいと思います。
  156. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 ただいま先生がおっしゃいましたのは、私どもが六十年度に行いまして、たしか六十一年七月でございましたか一応資料としてまとめました「特別基金に関する関係者実情調査」のことかと思っております。  戦後処理問題懇談会報告が五十九年の十二月に出されたわけでございまして、私どもの特別基金検討調査室というのが実は六十年の四月に発足いたしました。そして、まず考えましたことは、こういう問題について関係者方々がどんなことを考えているのだろうか、こういうようなことでございます。また、どんな実情にあるのだろうか、こういうことでございましたので、当時三つの問題から実はそれぞれ一万名の方々をアトランダムに抜き取りまして、そういう方々の現在の状況と申しますか、例えば年齢とか、職業があるかとか、収入がどうとか、家族状況とか、そういったいわば生活状況というようなもの、あるいはその方がそれぞれの問題にどういうふうにおかかわり合いになったのか、例えて言うならば、恩給欠格者問題にかかわっているとすれば、そういう方々はどういう軍歴みたいなものがあったのか、あるいは特別基金というものが行うとするならばどういうようなことをお望みになるでしょうか、こういうようなことについてそういう方々に調査をしたものでございます。  私ども、この調査結果というものを十分に考えまして、今後の基金の業務を的確に運営するための重要な参考にさせていただきたい、このように考えておるところでございます。
  157. 川端委員(川端達夫)

    ○川端委員 そういう中で事業をこれから行われる、実際には運営委員会等々でこれからは考えていくということになると答弁があると思うので聞かないですけれども、そういう事業をされるときに、今言われたようにこの調査が参考にされる。そうすると、例えば資料の収集を行うことを望みますかと言えば、望むとか、どちらかといえば望むとか、こういう答えが出ているわけですね。資料ができれば欲しいですかと言ったら、欲しいとか、どちらかといえば欲しいとか、使いますかと言えば、使うとか、どちらかといえば使うとか、こういうふうになっているわけです。  こういう聞き方をするとこういうふうに出てくるのは当たり前ですね。建物が欲しいですかと言ったら、まああればいいというのと欲しいというので、絶対要らないという人は余りおられない。使いますかというので大体ずっと相関を見てみると、体が元気であるという人の数と使いたいという人が大体比例しておるのですよ、各三つの団体で。どちらでもいいという人は、病弱であるとお答えになっている人あるいは体が悪いという、御承知のように高齢化していますから、そうも旅行もできないという人は、どこにできるのか知らないけれども、そんなところへまで行けないなという人は余り期待を持たないということで、これ自体が誘導的で、私は特にこれが参考になるということではないと思います。  そういう中で、設問はすべて、今おっしゃったのは、そういう方が基金の運用に関してどういうことをお望みなんだろうということで、参考にしたいということでお聞きになった。施設の問題あるいは資料収集の問題、研修、いろいろなことを聞いておられる。これはこれで結構です。  そういう中でオープンアンサーがありますね。このオープンアンサーに対しての報告というのは出ているのですか。それと、中身をどのように把握されているか。これは六十一年七月からですから大分たっているのですけれども、その中身を教えてください。
  158. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 オープンアンサー、つまり自由にお書きいただくということでございますから、そのまとめ方は非常に難しゅうございまして、実はこの調査票にもうまく載れなかったというのが実際でございます。ところで、そういうこともございまして、実際どういうのがオープンアンサーと申しますか、そういう自由に書いてくださいということに多かったかという点について、私どもなりに分類をいたしまして、そしていろいろ私どもの業務を推進する上の一つ参考にしたいということでやったわけでございますけれども、その中で申しますと、三問題ともに、いわば個人補償的な、的なという言い方は、例えば直接に個人補償の給付がもらいたい人とか、年金に通算してもらいたいとか、いろいろあるのでございますが、いずれにしても個人補償的な色彩の要望をされた方が非常に多うございます。それから特別基金事業、こういう事業を早くやってもらいたいというお申し出の方もかなりの数がございました。あるいはそれ以外に目立つものといたしましては、それぞれの問題の方々に、目的はあるいは違うかと思いますが、いずれにしても現地を訪問したいという方も非常に多うございました。あるいは平和のための事業というものをやってもらいたい、そういうような大きな四つ。あと細かく挙げますと、例えば戦友会をやってもらいたいとか、中には何も要らないとか、いろいろございますけれども、主なものを挙げればそういうものがあったのではないかというふうに思っております。
  159. 川端委員(川端達夫)

    ○川端委員 その分は何らか外に見える形でおまとめになっているのでしょうか。
  160. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 正直に申しまして、必ずしも十分にまとまっておりませんでした。私がそういうことで項目的にいろいろ整理をさせていただきましたけれども、十分にまだまとまってないというのが実際でございます。
  161. 川端委員(川端達夫)

    ○川端委員 結局、先ほど言いましたように、いろいろな調査で出ている分では、建物が欲しいですかと言えば、それは欲しいとか、あればいいとかいう消極的賛成というので、絶対要りませんというのは少なくなる。使いますかと言えば、使いたい、機会があれば使いたいになるし、絶対使うものか、こんちくしょうという人はほとんどおられない。これは、個別措置を行わないという前提の中でこういうことをおやりになったからそういう流れになってくる。  しかし、やはり本当の皆さんの気持ちがどうなのかというのを聞くのが本来の趣旨であるということで、あなたは個々に個別補償、お金を出すとか云々じゃなくて、個別のことをやってほしいですかということを本来聞くべきだと私は思っていました。しかし、そういうことをすると余りにも生々しいのか何か、どういうことを考えたか知りませんが、例えば「その他、特別基金事業として特に望むものがありましたら、下欄にご記入ください。」ということで出した。ここで我が党の米沢委員が六十一年の三月六日、これが七月に答えが出たわけですが、三月にそのことを聞いているわけですね。オープンアンサーはどうなりますかと言ったら、「分類づけと集計が大変だ、」だから「その部分だけおくれることもあるかもしれません。」ということで、別にちゃんとまとめる、おくれるということはまとめることになっておるわけですから。  そういう部分で言えば、まさに今言われたように、この平和祈念事業の個々の事業自体を何ら否定するものではないけれども、おのおのの人たちにとっては、きょうの午前中からのお話もいろいろ専門的にはありましたけれども、個々三つの問題、おのおの違う観点から個別に戦争の戦後処理問題として政治責任としてきっちりやっていただきたいということは別なんですよ、ここで言っておられる問題とは。そういう意味で、個別補償を望むか望まないか、個別の対処を望むか望まないか、それを答申はノーであるからということでまずばっさりしておいて、これらの人の慰藉を考えるということは無理だと思います。いやいや、こんなことをしてやるからありがたく思えということでは済まない問題だと思っております。  そういう意味で、この三問題を戦後処理問題として処理するということと、それからここでこの法案としていろいろな事業をやるということとは別の次元の問題ではないか、今のままであれば。そういうふうに考えざるを得ないのですけれども、長官、いかがでしょうか。
  162. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 先にひとつ御説明させていただきたいと思います。  確かに、この関係者実情調査というものは、先ほど私ども申しましたとおりに、私どもの部屋ができたばかりで、戦後処理懇報告に基づいてどういうことをやったらいいのかという観点からまず実情調査に手をつけたということは事実でございます。  ただ、その後、私ども政府におきましての検討にいたしましても、冒頭に官房長官から御答弁申し上げましたとおりに、戦後処理問題懇談会報告というものを基本方針としながらいろいろな観点から調査検討を行って、その結果、今回のこの法案としてまとめたということでございます。
  163. 小渕国務大臣(小渕恵三)

    小渕国務大臣 今御答弁申し上げましたが、この懇談会での結論は、特別の措置をすることには至らなかったというのが懇談会結論でございまして、にもかかわらず、今問題になっております三つの問題につきましても、それぞれの問題として今日まで運動もされてまいりましたし、個々それぞれにその事由と解決方法も、それぞれ御希望の向きから出てきたことでございます。  したがいまして、厳密に言えば、その方向それぞれに解決すべきだということになりますれば、それぞれにあるいは何らかの措置を講じなければならなかったわけでございますが、政府としては、この懇談会趣旨に基づきまして、この法案に盛られたような形でそれぞれの問題を一括してこの処理をしようという形でまとめたわけでございますので、御質問趣旨は理解するところでございますが、セパレートしてそれぞれに問題を処理しようという形をとらなかったということで御理解をいただきたいと思います。
  164. 川端委員(川端達夫)

    ○川端委員 先ほど私ずっと前半御質問した部分で言うと、実際にこの法案で考えられている先ほど申し上げたような事業というのは、思いとしてはそういうものを総決算してこの法案でしようという趣旨として出てきているのはわかるけれども、やられようとしている事業自体は、個々にフィットするものではなく、もっと大きな抽象的な事業にしかなり得ないから難しいのではないだろうか、こういうことを申し上げたわけです。そういう意味で、この法案自体が非常に無理があるのじゃないかということが一つ。  それから、よく御答弁の中に答申ではということが出てくる。そうすると、答申ではどう書いてあるかというと、三問題それぞれ個別に処理するものはないというのが一つ結論なんですね。そういう中で、この法案自体はまた後で四十三条、四十四条において、戦後強制抑留者の一部に対してだけ慰労品あるいは慰労金というのを支給しよう。これ自体は答申を尊重していないわけですね、答申では個別に措置するものはないということを明言しているわけですから。その答申に沿ってこの法案が出てきたのに、なぜこの法案に特定の一部の者だけが出てきたのかを御説明を願いたい。
  165. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 いわゆる三問題を中心といたしました戦後処理問題につきましては、お話がございましたとおりに戦後処理問題懇談会報告、この趣旨にのっとって、それを基本方針としているわけでございます。先ほど私も申しましたとおりに、そういうことを基本方針としながら、なお関係方面といろいろ調査検討を加えた結果、実はこれは御承知かと思いますけれども、一昨年政府と与党との間でいろいろ協議した結果、そういうことを基本方針としながらも、いわゆる戦後強制抑留者方々に対しては、これまでの経緯等を踏まえて個別に慰労の気持ちをあらわす措置をしよう、こういうことが私どもの最終的な結論になったわけでございます。法案はその趣旨にのっとりまして、戦後処理懇報告趣旨、これを基本方針としながらも、その後の調査検討の結果を加えて法案を作成し、ただいま御審議をいただいている、こういう経緯でございます。
  166. 川端委員(川端達夫)

    ○川端委員 今の御答弁では、なぜなのかということが、いわゆる抽象的な感情の話なんですね。いろいろ議論をした中でそういう人たちだけはと言われても、合理性のある――そういう人たちは、きょうの前段の午前中の議論の中で、やはり国には責任がある、その責任を果たすのの一部ではあるけれどもというふうに考えられたのか、いや寒いところ気の毒だったね、それで恩給に当たっていない人たちだけに限定してしようやないかというふうにされたのか、何かわからないけれども、何かもやっとしている。すべてその流れがそういうふうにはっきりとした形で処理をされてきていない。  昭和四十二年に、全部終わりました、これで一切合財何もありませんということをおっしゃった。そうしたら、いろいろな方が、いややはり権利の問題として、戦争責任の問題として考えるべきではないかということで運動をされ、多くの政治家の方も本当にそうだということで立ち上がられた。そういう中で処理懇が設置をされ、五十九年に答申をされた。ところが、それでもう何もなしだと言うと、六十一年にはまた議員立法の案までできて、選挙公約で、これをやりましょう、頑張りましょうや、政府・与党は責任を持ってやりますよとおっしゃって、一生懸命選挙をやられた。そうしたら、そのまた直後に閣議決定、選挙が終わった途端に何かもやっとした形になってくるというふうなことで、そして今度の場合もまた、なぜそうしたらシベリアの恩欠者だけが対象なんだろうかというと、よくわからない。  実際、その関係者自体が非常に振り回された形になっているわけですね。一面では、言うときに、これですべては終わっているんだからということでその処理懇の答申を盾にするわけです。ある意味ではまた違うような部分の話を出してきて、答申に完全に整合しているとは言えないようなことが盛り込まれてくるということで、実際の対象者を非常に振り回す政治に対しての不信というものを植えつけることになり、慰藉どころじゃなくてその気持ちを踏みにじることになっているのではないかというふうに思います。  その中で、二十七条の五に「前各号に掲げるもののほか、第三条の目的」、いわゆる三つのことをちゃんとするという「目的を達成するために必要な業務を行うこと。」というふうに書いてありますね。このこと自体はどういうふうに理解をしたらいいのでしょうか。
  167. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 基金の業務につきましては、ただいまもお話がございましたとおりに、二十七条に一号からずっと書いてあるわけでございます。この基金の目的を達成するために、この三号までで、四号もございますけれども、例示的に書いてあるもの以外になお関係者方々慰藉の念を示す事業というのはあり得るのではないかということでございまして、そこでこの第五号に、今お話もございましたとおりに「前各号に掲げるもののほか、第三条の目的を達成するために必要な業務を行う」、こういう規定を置きまして、今後運営委員会等で議論をされ、そして関係者方々慰藉の念を示す事業として、この基金の目的に即した業務というものがあれば行える形を法律の上でもとっておきたい、こういう趣旨でこの条項を置いたわけでございます。
  168. 川端委員(川端達夫)

    ○川端委員 いろいろとこの法案自体がその前段の趣旨、目的と事業との間に非常に乖離があるという意見を私は持っているわけです。そういう部分で唯一救われるのがこの五なんですね。これは読みようによってはいろいろ読めるのです。そういう部分では、この法案自体のそういう整合性といいますか、趣旨、目的と具体的な事業との間に余りにも間口が違い過ぎるという部分、それを合わすためにも、運営委員会等々含めて、本当にその目的に言う三つの人たちに慰藉ができる事業というのは何なのかということを、既存のいろいろなことにとらわれずにひとつ御検討していただきたいというふうに思います。  時間が迫ってきたのですが、長官、これは非常に難しい問題であるというのは重々理解をしているのですけれども、いろいろな中で、政治的に関係者に対して右往左往といいますか、結果的には心情として振り回してきたと思うのです。こういう部分で、例えば表向きで言えばもう終わったといってがっかりした、いやいや頑張らなければいけないといって頑張ってきた、先が見えてきたといって任せてくださいと言われたので、もっと頑張ったらまた落ちてしまってというようなことに結果的にはなったと思うのですけれども、そういう部分で、本当にこういう方に対しての今のお気持ちというのは正直申し上げてどうなんでしょうか。政治家として、これからも事業としては慰藉をする、気持ちとしてはそういうことを一生懸命考えておられると思うのですが、正直なところ、私は今二十七条の五号にはまだほのかに先には明かりがあるという読み方ができるのではないかというふうに申し上げただけですけれども、それをむげに、いやいや全くそういうことではないというふうにおっしゃるのかどうか、その御見解をお伺いしたいと思います。
  169. 小渕国務大臣(小渕恵三)

    小渕国務大臣 四十二年に政府としての戦後処理問題は終結したという基本方針でございましたが、川端委員指摘のように、その後、いろいろな方々からさらに御要望もありましてそうした問題を解決してまいりました。今日この三つの問題につきまして、御指摘のように本来その一つ一つの問題について別個に処理すべきだという形での運動が展開されておったことも承知をいたしておりますが、重ねてでございますけれども、政府としては、懇談会におきまして既に戦後問題として処理すべきものはないという前提のもとで報告をちょうだいをいたしました。しかし、いろいろいわゆる三問題を何とか解決をしなければならないという各党それぞれの方々の御主張もございまして、そうした問題を解決する手段として、また報告の中にもこの基金の問題が指摘されましたので、ここでこの問題処理に当たろうということで法律ができたわけでございます。  今後の問題につきましては、これをいかに考えていくかということにつきましては、有識者による運営委員会にゆだねたいというのがこの法律の趣旨でございますので、その場所におきまして適切なお答えを出していただけるものと我々は考えておるところでございます。
  170. 川端委員(川端達夫)

    ○川端委員 時間が来ましたので終わりにいたしますが、この平和祈念事業、公益事業をやられるということ自体、実は私自身も昭和二十年一月生まれですから、戦争の記憶というのはもちろん全くありません、そういう世代の者にとっても、実際にいろいろな御苦労をされた方々の記録それから思いをいろいろな形で我々の世代あるいはもっと若い世代に伝えていただくということは非常に大事なことだと思います。そういう意味ではきっちりとやっていただきたいという思いがあるのですが、それと三つのいわゆる戦後処理問題として残っている部分というのは、かなり性格が違う部分で対処せざるを得ない国の責任がまだ残されているし、これでは解決できないと思います。  そういう意味で、なお一層政府におかれて御検討あらんことをお願いいたしまして、質問を終わりにいたします。  どうもありがとうございました。
  171. 竹中委員長(竹中修一)

    竹中委員長 柴田睦夫君。  この際、参考人各位に申し上げます。  本日は、御多用中のところ御出席いただきましてありがとうございます。  御意見の聴取は質疑応答の形で行います。  なお、念のため申し上げますが、参考人委員長の許可を得て御発言願い、また、委員に対しては質疑ができないことになっておりますので、さよう御了承願います。
  172. 柴田(睦)委員(柴田睦夫)

    ○柴田(睦)委員 本日は、特別基金法案の審議に当たりましてお二人の参考人の方に御出席をいただいております。全国抑留者補償協議会の斎藤六郎会長、もう一方は、恩欠関係全国軍人恩給欠格者個人給付実現推進連絡協議会、略称恩欠給付連の新島重吉務局担当代表委員です。  お二人の方、どうもお忙しい中をおいでいただきましてありがとうございます。本来ならば在外財産関係引揚者団体の参考人の方もお呼びしたいところでございますが、本日私に与えられた時間が三十八分という短い時間でありますので、お二人にさせていただきました。関係者の皆さんのお気持ちを述べるには限られた時間でありますけれども、ひとつよろしくお願いいたします。また、国会という難しいところですけれども、ひとつ気軽にお答えを願いたいと思います。  ただ、きょうは官房長官の都合がありますので、先にまず官房長官にお伺いしておきます。  さきの太平洋戦争日本国民は軍人軍属、一般人を含め三百十万人のとうとい生命を失い、国土を焦土と化す未曾有の惨禍がもたらされました。戦後四十三年になろうとしているわけですが、いまだ異国に取り残された方もいらっしゃいます。もう戦争は再びあってはならないというのが国民の合意であると考えております。今日、日本世界有数の経済大国と言われるようになりましたが、いまだに戦後処理問題が残されているということは本当にゆゆしい事態であると思います。  官房長官、戦後四十三年になろうとしている今日まで戦後処理問題が解決してこなかったその政府責任についてどのようにお考えでしょうか、お答えをいただきたいと思います。
  173. 小渕国務大臣(小渕恵三)

    小渕国務大臣 過ぐる大戦の経験から、日本人はひとしく過去を反省し、今日の平和の存在は多くの犠牲者によって成り立っておるということも承知をいたしておることでございます。そのために、政府といたしましても戦後あらゆる点にわたりましてその傷跡をいやすべく努力をいたしてきたところでありまして、遺家族の問題を初めといたしまして、犠牲者に対する戦後の援護措置その他につきましては、許される財政の範囲で最大限の努力をいたしてきたというふうに考えております。  にもかかわりませず、今御指摘のように幾つかの問題が今日まで残されてきたということにつきましては、それぞれの問題、まことに難しい問題でありまして、事簡単に解決のできない問題であったために残されてきたものだと思います。私どもといたしましても、この機会に戦後の未処理の問題につきましては一応の区切りをつけたいということで、今回の法律案を提案いたした次第でございます。
  174. 柴田(睦)委員(柴田睦夫)

    ○柴田(睦)委員 私は、今なお戦後処理問題が国に求められているという原因、これはこれまでの国の戦後処理問題の対策が不十分であったからだと思います。政府が行いました世論調査によりましても、戦後処理問題の政府の施策が十分だったと答えている人はわずか四%であります。これに対して不十分だったと答えている人がその七倍の二八%に上っていることでも明らかだと思うわけであります。この四十三年にわたって解決を見ていない問題、これは本当に解決していかなければならない、その強い態度が必要であります。  それでは参考人の方にお伺いいたします。今回は基本的問題に絞って質問せざるを得ませんが、よろしくお願いいたします。  初めに斎藤参考人にお伺いいたします。  斎藤さんは、シベリア抑留中の労働賃金を国に要求して裁判をなさっていらっしゃいますが、この抑留中の労働賃金を国に請求するというシベリア抑留者問題の原点、どこが基本的な問題であるのか、ひとつ国民の皆さんにもわかるようにわかりやすくお話しいただきたいと思います。
  175. 斎藤参考人(斎藤六郎)

    斎藤参考人 私ども全抑協といたしまして政府に労働賃金を要求しておりますいわばこの会の原点と申しますのは、私どものシベリア抑留の体験に基づくものであります。  有名な作家山崎豊子さんのお書きになりました「不毛地帯」という小説の中にシベリア抑留のことが克明に記載されております。その中で、日本人は非常にだらしなかった、ドイツ人捕虜に比べて日本人ほどだらしない民族はないんだと非常に厳しく批判されておるようでありますが、私どもは、事実山崎豊子さんのおっしゃるように、ソ連ではドイツ人捕虜に比べて二重にも三重にもつらい労働を強いられてきたと思います。  それは、何と申しましても日本政府が一九二九年ジュネーブ捕虜条約というものを批准しないままに我々を戦争に駆り立てた。我々は条約に対して全く無知でありましたから、ドイツ軍のように敗戦ずれした国の軍隊から比べてみた場合に、ソ連から十時間労働あるいは十四時間労働を強いられても何ら抗弁する手だてを持たなかった、その残念さというものが今日の運動の原点になっておるわけであります。確かに労働賃金を我々が日本政府に要求しますということも大事でありますけれども、根本となるところのジュネーブ条約というものを日本政府が国内できっちりと実施していただきたい、そういうことも運動の原点になっておりまして、これは会創立のときの基本原則になっておるわけであります。そういうことで、ソ連でのもらわれなかった労働賃金は、今のジュネーブ条約によりますれば、やはりこれは日本政府が一たんお支払いする代替の補償義務があるんだ、支払った上で事後の問題は国際的にソ連と話し合うということが今のジュネーブ条約六十七条ではないか。しかし、惜しいかな、日本政府は長らくこの六十七条の条約を反対に理解しておりまして、補償する国を抑留国であるというふうに日本語訳をやっておられたわけであります。そういうことで、歴代の政府はこのもとに答弁をなさってきた。この問題は既に解決済みでありまするけれども、その問題が明らかになりました現在におきましては、やはりこのジュネーブ条約に基づいて捕虜未払い賃金というものは日本国で払っていただくのが法律上の義務である、国際条約上の義務であるし、日本国がこの条約を批准した限りにおいては責任があるのではなかろうか、こういうことが運動の原点になっております。
  176. 柴田(睦)委員(柴田睦夫)

    ○柴田(睦)委員 よくわかりました。  それでは、新島参考人にお伺いしますが、新島参考人の方は、恩給欠格者の問題で、軍歴期間の公的年金への通算、こうした個人補償を国に要求して運動をされておられますが、恩給欠格者問題についての原点はどこにあるのか、この点についてお伺いいたします。
  177. 新島参考人(新島重吉)

    新島参考人 まず冒頭に、このような機会を与えてくださった竹中委員長を初め諸先生方に心から感謝申し上げたいと思います。どうもありがとうございました。  ただいま御質問をいただいたわけでございますが、私どもいわゆる恩欠者、恩給資格欠格者が今運動してまいっておりますその原点は、いわゆる恩給をもらった人に比較して、ひとしく国の命令によって軍務に服した者がその期間の長短あるいはその他の事情によって極めて不公平な取り扱いを受けている、このことに対して、いわゆる終戦という思いがけない状態の中で、当然恩給欠格者に対してもすべての該当者に対してそれぞれの実績に対する応分の補償があってしかるべきだという意味での個人補償。  それから、とりわけ官民格差ということを私たち申しておりますが、戦争が済んで帰ってきて、そしてたまたま公務員になった人と民間に勤めた人、この人たちが定年に達してその段階で実に顕著に違うのは、戦前は公務員でなかった人が帰ってきて選んだ道が異なったことによって、恩給受給者に、恩給欠格者でありながら軍歴が通算されている、片っ方には通算されてない、これはいわゆる平等の原則である憲法の十四条に違反するのではないかということで、私たちは軍歴をひとしく公的年金に通算してほしいということを願って始めたのがこの運動の出発点でございます。  それから、実は全国の恩給資格欠格者の方々に、私がきょうこの時間にこの場所で質問にお答えしていろいろ可能な限りのお答えを申し上げたいということで手紙を出しているわけですが、恐らく全国の皆さん方はこの瞬間に期待をしていらっしゃるというふうに考えます。  きょうここに百通余りの手紙を持ってまいりました。わずか七十日そこそこの間に百数十通の手紙、全国の北海道から鹿児島に至るあらゆる団体、各級幹部役員の皆さん方から、嘆き、悲しみ、憤り、そしてあきらめ、さまざまな気持ちを託して私のところに届けてくださった貴重な手紙でございます。この手紙は新島個人に来た手紙ではございますけれども、心から恩欠者に対する個人補償、官民格差是正を何としてでも先生方にお願いして実現してほしいということの願いでございますので、このこともこの際申し上げておきたいというふうに考えます。
  178. 柴田(睦)委員(柴田睦夫)

    ○柴田(睦)委員 ちょっと関連して新島参考人にお伺いします。  今、新島さんのところに来たたくさんの手紙、その中で何を強く具体的な形で訴えておられますか。
  179. 新島参考人(新島重吉)

    新島参考人 ただいま申し上げました個人補償、すなわち個々人に、それぞれの恩給には到達しないけれども持っている軍歴に応じた個々の補償をしてほしい、いわゆる個人給付、個人補償といいますかをしてほしいということと、それから、今申し上げました官民格差、それをどんなことがあっても是正してほしい、憲法違反ではないかという心からの叫びであります。  それから、今は話題になっていませんが、三年未満の外地勤務者あるいは内地勤務者あるいは遺族、軍属は足切りをするということが一時ございました。そのときに運動の原点は、一カ月以上の軍籍を持っていたらみんな補償の対象になるのだということで加入を促したわけです。そして入ってこられました。ところが、私たちその勧誘した立場にある者にとっては、入ってこられた遺族、未亡人の方々が一割おられますが、この方々の前に立ったら何も申し上げることができないわけです。ただ、こうべを垂れておわびするしかない。それは私たちがおわびしなければいけないのか、あるいは、できますよ、補償しますと言った先生方にその責めを負っていただくのか、そこらに私たちは大変苦慮しております。
  180. 柴田(睦)委員(柴田睦夫)

    ○柴田(睦)委員 斎藤参考人にも関連してちょっとお伺いいたします。  会長さんですから会内においていろいろな方の御意見をお聞きになると思いますけれども、特に会内の意見として強調しておきたいということがございましたら、ひとつお願いいたします。
  181. 斎藤参考人(斎藤六郎)

    斎藤参考人 会といたしましては、賃金補償要求ということも大きな運動の柱になっておることは事実であります。しかし、私どもは、ソ連でのいろいろな思い出、悲しみ、そういうものを現在、六十を越した今の時点で考えますと、我々の味わった不幸せ、不幸というものは、日本の国会でジュネーブ条約をきちんと決めて国内的にも実施してくれるならば防がれるだろう、そういうことで、いわば賃金要求ということもありまするけれども、今回の法案を見ましても、政府措置で残念に思いましたのは、労働賃金にかわる補償ということの、当初、自民党が一昨年、選挙で示されたあの一項目が抜けていることが非常に残念だ、やはり戦争犠牲者に対するところの法律あるいは政策といたしましては、四九年条約日本国が加盟、承認している以上は、それらの条約も尊重しながら決めてほしかった、こういうことが会員の中には非常に多うございます。
  182. 柴田(睦)委員(柴田睦夫)

    ○柴田(睦)委員 引き続いて、斎藤参考人にお伺いいたしますが、シベリア抑留者の場合には、今回の法案に十万円の慰労金支給規定されております。今回の法案全体でも結構ですが、今回の法案についてどのような御見解をお持ちでしょうか。
  183. 斎藤参考人(斎藤六郎)

    斎藤参考人 まず冒頭におきまして、シベリア抑留の問題は今より四十数年以前の問題であります。その問題が、この国会で政府法案によってどのような形にせよ提案され御審議を願うということは、私にとっては、この運動を主催するものにとっては非常な喜びできょうを迎えておるわけであります。  しかし,その個々の内容から見ますと、なぜあのときの、一昨年の七月の自民党で提出された案であるならば満場一致で我々も賛成できたのになあ、こう思う心でいっぱいであります。  特に、労働賃金ということを前提にしませんから、一律十万となりますと、シベリア抑留には十八年おった者もあるわけであります。我々は我々自身をポツダム捕虜と称しておりますが、ポツダム捕虜以前に昭和十四年のノモンハンの捕虜もおるわけであります。先立って昭和十三年の張鼓峰の捕虜もおるわけであります。こういう方々は、南方の小野田少尉やあるいは横井軍曹のように政府からも特別の手当も何も受けません、そういう人がこの日本の中にもまだ幾人か残存しておられる。  根本は、やはりこういうような祈念事業では救われない過去の日本捕虜政策というものを見直していただかないと、生きて帰った我々はよいけれども、あるいは我々ポツダム捕虜昭和二十年以降の捕虜はいいけれども、ノモンハンで捕虜になって生きて帰ってきた者、あるいは張鼓峰から生きて帰ってきた者、日本政府からいただいた金は、張鼓峰で捕虜になった長野県の成沢二男さんのお話によりますと、政府の方からは三万二千円受け取ったそうであります。  私はこれを知りまして、今回の法律を見ますと「昭和二十年八月九日以来の戦争」となっておりますが、こういうこともやはりもうちょっと捕虜政策全体を見直すという気持ちに立っていただいたならば、やはり今後の日本はいま少しは人道の問題でも明るくなるな、それから平和という問題、戦争の問題を国民が考えるにはちょうどいい機会ではあったのではなかろうか、それを何か十万の慰労金の問題でこれを解決されて事が終わりますとなると、そういう問題というのは依然として残されておる。  そういう面では、昭和二十二年の東京国際裁判は日本軍の敵軍に対する捕虜責任を問われたかもしれませんけれども、日本政府の、日本軍の内なる軍隊に対する捕虜取り扱い方については、まだこれは何ら国会では御問題にされておらない。法的にも清算されてない。そういう面から、依然として、この法案の御提出にもかかわらず、この問題は解決しないだろう。  今後いよいよいろいろな面で法的な判断も加わってまいりますれば、そこで初めて日本捕虜政策、かつての東条さん時代の政治の改めを今のこの民主憲法のもとに国会でやっていただけるのだな、いわばその第一歩だ、戦後処理はこれで終わったのではなくてこれがスタートだな、このように私どもは理解しております。
  184. 柴田(睦)委員(柴田睦夫)

    ○柴田(睦)委員 新島参考人にお伺いいたします。  法案では、恩欠者の関係基金慰藉するということで、慰労金といったような個人給付は一切拒否されておりますが、恩給欠格者の立場からは今回の法案に対してはどういう御見解をお持ちでしょうか、お伺いします。
  185. 新島参考人(新島重吉)

    新島参考人 率直に申し上げまして、私どもはこういう法案がこの委員会で審議されるということを大変悲しく、残念で、悔しい思いをしております。といいますのは、これは私どもが求めている、悲願としている個人補償あるいは官民格差是正とは全く無縁の異質のものでございます。  したがって、本当に恩欠者、軍人軍属の恩給欠格者に対して慰藉の心があるのだったら、それを具体的な経済的な内容によって個々人に補償してほしい。  そして一方では、先ほど申し上げましたように公務員に対しては、戦前公務員であつたろうがなかったろうが、帰ってきて公務員になったことによって通算され、でない者には全くこれは無縁であるという、そういうことは、強調申し上げますけれども憲法違反であって公平の原則にもとる。  したがって私どもは、この法案はでき得るものであればぜひひとつ出直してほしい。もう一回もとに戻って、それこそ原点にもう一回戻っていただいて、そして恩給欠格者として、昭和五十一年の六月にこの運動が始まったということを聞いておりますけれども、自来十二年、今出発点に立ったというふうに私は思います。今からこそ本当にこの恩欠者の悲願にかなう法案にしていただきたい。でなければ今出していただいている法案、すなわちいわゆる慰藉するという意味での祈念事業ということについては、私どもは大変不満であるというよりも、私たちの期待を裏切るものである、期待に沿うものじゃないということを強く感じておりますし、その声が私のところに多く寄せられております。この法案で結構だという意見一つもございません。
  186. 柴田(睦)委員(柴田睦夫)

    ○柴田(睦)委員 官房長官お留守の間にお二人の参考人の方から御意見を拝聴いたしました。午前中にも特に斎藤参考人お話しになりましたし、官房長官もまたいろいろなところで御意見を聞いておられると思いますので、十分に御理解のことだと思います。  参考人の方が今述べられましたように、今回の政府提出基金法案というのは、シベリア抑留者、恩欠者、在外財産関係者の要望ということから見ますと、これは基本的にこたえていないものであると言わなければなりません。  関係者から批判の強いもう一つの理由というのは、自民党がさきの同時選挙の公約を守らなかったということです。さきの同時選挙で、自民党の方では戦後処理問題解決促進の公約を掲げました。そして恩欠者、抑留者のそれぞれの該当者に一人五十万円から百万円の特別給付金支給する議員立法を関係団体に配付して、自民党が勝てば議員立法が実現するかのような宣伝をされまして関係者を選挙に動員されました。その結果提出されたのがこの法案になっているわけです。これでは関係者が怒るのも当然だと思います。  そこで官房長官、今回の法案に対して、内容的にもまたその経緯からも関係者から大変強い批判が出されていますが、この関係者からの批判を政府はどのように受けとめていらっしゃるのか、官房長官の御認識をお伺いしたいと思います。
  187. 小渕国務大臣(小渕恵三)

    小渕国務大臣 この法案に対しましてもさまざまな御意見のありますことは十分承知をいたしておりますが、この法案は、いわゆる戦後処理問題につきまして民間有識者による戦後処理問題懇談会報告趣旨に沿って所要の措置を講ずることを基本方針といたしまして、具体的内容について種々の検討調査を行ってきた結果、国会に提出いたしてきたものでございます。厳しい財政事情のもとで国としてできる限りの措置をいたしたものでございますので、何とぞよろしく御理解をいただきたいと存じます。
  188. 柴田(睦)委員(柴田睦夫)

    ○柴田(睦)委員 御理解をと言われても、今までのいきさつから見れば、やはりこれで戦後処理が終わりだということでは納得できないというふうに思います。  そこで政府に伺いますが、一昨年の十二月二十九日、政府は自民党との間で「戦後処理問題に関する政府・党合意」を取り交わしております。この合意文書には、自民党側からは現在総理大臣である当時の竹下幹事長を初め八人の党役員の署名、また政府側からは当時の後藤田官房長官、宮澤大蔵大臣など三名が署名されております。  この合意の第一項では、「いわゆる戦後処理問題については、先の戦後処理問題懇談会報告趣旨に沿って、特別基金を創設し、関係者の労苦を慰藉する等の事業を行うことで全て終結させるものとする。」としております。この第一項の合意の内容が今回の基金法案を指していることは明らかであります。  そこで官房長官、今回の基金法案によって政府は戦後処理問題をすべて終結させるという立場に立っておられるのでしょうか、もう一度お伺いします。
  189. 小渕国務大臣(小渕恵三)

    小渕国務大臣 たびたび御答弁申し上げておりますけれども、いろいろ戦後幾つかの経過を経まして、この戦後処理問題につきましては先ほど御答弁いたしましたように懇談会報告を得て今回の法案提出になったわけでございますが、提出に至ります間、今委員お読みの政府と自由民主党の間に六十一年の十二月にこのような政府・党の合意が成立いたしたわけでございますので、今回のこの法律案をもちまして戦後の問題についてはすべて終結をさせるものといたした次第でございます。
  190. 柴田(睦)委員(柴田睦夫)

    ○柴田(睦)委員 終結させるというように言われますけれども、ただいまの参考人お話を聞いただけでも戦後処理問題は何ら解決していないということが言えます。法案に直接関連しておられます恩欠者問題、抑留者問題それから在外財産問題にかかわる方々はもちろんのことです。そのほかの戦後処理問題もまだまだ多く残っております。とても戦後処理問題を終結させるという現状にはないのが現実だと思います。  そこで、参考人の方にもう一点ずつお伺いいたしますが、戦後処理問題を終結させるという政府の態度は、これはもう皆さん方の問題に直接かかわってくる問題ですが、まず斎藤さん、政府がこの法案によってすべての戦後処理問題を終結させるということについてどうお考えでしょうか、お伺いします。
  191. 斎藤参考人(斎藤六郎)

    斎藤参考人 私どもは、憲法の定めるところによりまして、これまで日本国政府に対しましては陳情を十年間続けてまいりました。同じように立法府に対しましては、法律をつくってくださるように各党の先生方初め立法上のお願いをしてまいりました。さらにいま一つは、司法府にもこの問題を提出しております。この三つ日本国の最高機関で決定を見た場合には、よしあしは別といたしましても、少なくとも私どもはそれに国民としては従わなければならぬと思いますが、まだ第一審の判決もありません。そういう面では、私どもはこの問題は最高裁まで争う十分に価値のある問題だ、事シベリア抑留者の立場に限って言えばそのように思っておりますから、今の立法府、行政府措置とまた別個に、司法府の判断も待っておる立場にあります。
  192. 柴田(睦)委員(柴田睦夫)

    ○柴田(睦)委員 新島さんの方は、この戦後処理問題終結という考えに対してどういうお考えでございますか。
  193. 新島参考人(新島重吉)

    新島参考人 先ほど来、小渕官房長官が御答弁の中で何回かお触れになりまして、昭和四十二年に一たんこの問題についてはピリオドを打ったことがあるんだということをおっしゃっておりました。それから二十年を経過いたしました。ようやく私たちの願いが十二年の歩みの中でここに来ているわけです。ここで幕を引いてもらったのでは困るのです。  よくこういうことが言われます。今回の法案の中のいわゆる運営委員会の業務の中で個人給付の道が開けるんだという、またぞろそういう幻想めいたことが言われている。これはただ単に口で言われているだけではなくて、文書によってもそのことが言われている。そういうことを言われているんだったら法案に入れたらいいじゃないですか。それを入れないで、あたかもそのことが実現するかのようなことを運営委員会に託すということはやめてほしいという願いです。  それと、ここで幕を引いていただいたら、もうあと二十年して再びこの問題を取り上げられるという日があったとするならば、恐らく恩給欠格者は一人も生きている人はいないだろうということが予測されます。そのような法案を私たちは歓迎するわけにはまいりません。したがって、どうかここで先生方の御良識に従って、この法案についてはぜひひとつ再検討をお願い申し上げたいというふうに考えます。  どうも大変ありがとうございました。
  194. 柴田(睦)委員(柴田睦夫)

    ○柴田(睦)委員 戦後処理問題を終結させる現状にないということは、ここにいらっしゃる皆さん方が一番よくおわかりになっていることであります。政府のやり方は、あえて言うならば終結ではなくて切り捨て、一方的な切り捨てと言うべきものであります。  我が党は戦後処理問題を終結しないという趣旨の決議案も理事会に出しましたが、官房長官に改めて戦後処理問題の終結というこの考え方の撤回を強く要求して、本日の質問を終わります。
  195. 竹中委員長(竹中修一)

    竹中委員長 参考人各位には、御多用中のところ本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございました。お引き取りを願います。  小沢辰男君。
  196. 小沢(辰)委員(小沢辰男)

    小沢(辰)委員 委員長並びに内閣委員の皆様方の御理解をいただきまして私から若干質問をさせていただく機会を得まして、本当にありがとうございます。  まず、私は総理府の平野参事官に伺いたいのでございますが、特別基金をおつくりになりまして解決すべき問題は、この法案要綱にもございますが、戦後抑留をされた皆様に対する慰藉事業、それから恩給欠格者の皆様に対するいろいろな慰藉事業、それから、さらに問題になっておりますのは引き揚げの方々の中で個人財産をなくされた方々補償の問題というような三つの問題があるわけでございますが、まず抑留者の皆様に対して、昭和六十一年末に政府・与党の合意をいたしまして、一応の決着を見たわけでございます。それがいわゆる基金の特別事業として、いろいろ慰藉事業をやり、一人十万円の慰藉料も支給し、また銀杯等の贈呈もやる、こういうことになったわけでございますが、この抑留の方々に対する慰藉事業というものは、まず感謝状、銀杯については法律は要りませんね、やれば行政措置でできると思いますが、間違いありませんか。
  197. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 先生のおっしゃるのは予算措置でできるのかというお尋ねかと思いますが……(小沢(辰)委員「行政措置並びに予算措置が裏づけになって行政府でやればできることであるか」と呼ぶ)やればできるかと思います。
  198. 小沢(辰)委員(小沢辰男)

    小沢(辰)委員 そうすると、十万円の補償をおやりになるという場合に、これは基金でなくとも国債整理基金交付公債を発行する、例えば遺族について、その未亡人に特別給付金をやる、あるいは身寄りのない老父母に給付金を支給する、これらが予算措置ができれば、そのためだけの法律をつくって従来ともやっておりますが、従って基金そのものの設立は必要はない、そういう法律さえできればそれでできるわけだと思いますが、いかがでございますか。
  199. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 政策判断は別にいたしまして、技術的にそういうことができるのかというお尋ねでございましたら、それはできるかと思います。
  200. 小沢(辰)委員(小沢辰男)

    小沢(辰)委員 そこで、この特別基金をつくるということは、一番問題になりました恩欠の方々に対する特別のいろいろ慰藉をやるために必要な法律である。この基金をつくって、その基金の運営委員会で特別事業としてその内容を決定し、政府に提議し、それを受けて政府がやる、こういうようなことでございますと、一昨年末の政府・与党合意に基づいてこの特別基金をつくったということは、まさに恩欠者のための特別な基金の設置である。それ以外には、例えば官民格差の是正のために厚生年金法あるいは国民年金法の改正でできるか、これは我が国の年金制度が積立制度をもってやっている以上、戦後四十数年たった今日、これはできませんよ。そうすれば、この基金をつくった意味はまさに恩欠の問題を処理するために基金法というものをつくり上げなければならなかったと私は理解しますが、それで間違いありませんか。
  201. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 先ほど先生の御質問に対しまして、政策判断は別にいたしまして技術的にできるかというお尋ねがございましたので、私はできると申し上げました。  ただ、この特別基金をつくる経緯につきましては、先ほど官房長官のお話にもございましたとおりに、一昨年の党と政府の合意がございまして、この合意の第一項によりまして「いわゆる戦後処理問題については、」云々ということがございまして、その中に特別基金をつくって「関係者の労苦を慰藉する等の事業を行うことで全て終結させる」こういう一項があるわけでございます。こういう政府・党の合意に基づいてこの基金をつくったわけでございます。
  202. 小沢(辰)委員(小沢辰男)

    小沢(辰)委員 それはよく知っておりますが、行政的に、技術的に、予算的に考えますと、抑留問題はこの特別基金制度そのものを特に必要としないと私は思っておるのです。しかし、政府・与党合意によってせっかくつくるこの特別基金事業として、抑留問題をその基金の中で処理せしめた方がより従来の経過から見て妥当であろうというだけの趣旨だと思いますが、いかがですか。
  203. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 お話のことはよくわかります。ただ、と申しますか、一昨年、今私が引用いたしました政府・党合意に基づきまして、一項にそういうことをうたい、二項において、「戦後処理問題のうち、戦後強制抑留者問題については、これまでの経緯等を踏まえ、関係生存者に個別に慰労の気持ちを表わすため、書状、慰労の品及び慰労金を贈呈することとし、基金の特別事業として行う。」こういうふうになっているわけでございまして、先生がおっしゃいましたとおりに基金に行わせなくてもそれはできると思うのでございますけれども、基金の特別事業として行った方が非常に効率的である、こういう観点からできたものだというふうに思っております。
  204. 小沢(辰)委員(小沢辰男)

    小沢(辰)委員 私がなぜこの点を冒頭に申し上げたかといいますと、今度の二百億の基金をつくるということは、これは恩欠者のために、いろいろな官民格差の是正に泣いてきた三年以上戦地に勤務した方々慰藉をやるために、そのためにはどうしても基金が要る、この基金の運用によってその事業をやる以外には、戦後処理懇のいろいろな経過から見てこれしかない、したがって、今度のこの基金法の主たる目的は全く恩欠者の皆さんのためである、こういうことを確認したいから言っているわけですが、あなたもその点は御異存はないと思うのです。どうですか。
  205. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 私の申し上げたことがあるいはあれだったかと思いますが、基本的には私が申しましたとおりに、この基金は、そういう政府・党の合意に基づきましていわゆる戦後の三問題に対処するために設立されるものではございますが、ただいま先生お話にございましたとおりに、昨年の予算編成時等におきまして、いろいろ先生がおっしゃったような経緯も踏まえてこの基金ができたということはよく承知いたしております。
  206. 小沢(辰)委員(小沢辰男)

    小沢(辰)委員 そうすると、私は法案内容ではなくて、この要綱を拝見しまして、第七項、基金の「業務」というのがございますね。それを読んでまいりますと、(4)、一番最後に「前各号に掲げるもののほか、」云々という書き方があります。この中で恩欠の問題を処理すると政府はおっしゃっているのですが、大体この基金が、もし私が言うように恩欠者が主たるその目的といいますか、そのためにできた基金とすれば、その基金の業務の第一に掲げるべき性格のものと思うのですが、いかがでございますか。
  207. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 この二十七条の一項の並べ方でございますが、これは先生も御承知のとおりに、私ども基金の業務、「国民の理解を深めること等により関係者に対し慰藉(しゃ)の念を示す事業」、こういうものの例示として、一の労苦に関する資料の収集とか展示、あるいは労苦に関する調査研究、さらには三号におきまして出版物その他の記録の作成、こう書いたわけでございます。  ただいま先生からお話がございました、いわゆる恩給欠格者方々に対する処遇というのは現在まだ明らかになっていないということがございまして、いわば立法技術的な方途としてこういう順序になったということかと思っております。
  208. 小沢(辰)委員(小沢辰男)

    小沢(辰)委員 しかし、私も法律屋で長い間行政官をやりましたが、こういう法律は初めてですよ。この基金の主たる目的がむしろ戦後処理の問題のそれぞれの慰藉をやるためにつくられた基金だとするならば、それをまずはっきりして、そのほかにいろいろ資料の収集とか出版事業とかそういうものもできるのだと書くのが通例なんですよ。私も法律家でございます。立法府の一人である。逆じゃないですか、これは。
  209. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 関係者方々慰藉の念を示す事業、これをどういう順番に並べるかということかと思っております。先生のお考えも、もちろん私どもより大先輩でいらっしゃいますからいろいろお詳しいかと思いますが、私どもといたしましては、そういう国民に理解を深める等の事業、その例示として関係者方々の労苦に関する資料の収集、展示、そして調査研究、あるいは出版物、こういうふうに並べまして、そしてその他いろいろまだあるか、そういう場合を想定いたしまして、この第五号と申しますか、一番最後のところに、「前各号に掲げるもののほか、内閣総理大臣の認可を受けて、その目的を達成するために必要な業務を行うこと。」と書いたわけでございまして、あるいは先生のお考えもあろうかと思いますけれども、立法技術的にはこういう書き方もあるのではないかなというふうに私どもは思っております。
  210. 小沢(辰)委員(小沢辰男)

    小沢(辰)委員 官房長官、私が今言ったことは私は当然のことだと思うのですよ。したがって、この基金の業務をもし書くとすれば、第一には、「趣旨」に書いてありますような中でのいわゆるまだ残っておる戦後処理の問題をこの基金でやることを主たる業務にして、そのほかに、この基金はせっかくつくったのだから資料の収集やそういうものもできるのだと書くべきだと思うのですが、重点は今平野さんのおっしゃるようにこの(4)にあると考えていいですか。それをはっきりしないと困る。法律技術的にはこういう書き方もあると思いますがとおっしゃったこともそれはわかりますよ。だけれども、この基金の主たる使命は一体何だ、それはやはりこの(4)にあるのですよ。その全部が政府・与党の合意ですよ。そう考えていいですね。
  211. 小渕国務大臣(小渕恵三)

    小渕国務大臣 ただいまの質疑応答を拝聴いたしておりましたが、恩欠問題に関して自由民主党、与党の中心的なまとめ役でありました小沢先生の御主張ですから、この法案の中で例えば抑留者の問題については別途行政措置でできる、したがって残された重要な問題は恩欠の問題を中心にこの法律案は成り立っておるものだという御認識は、長い間この問題に取り組んでおられた先生の御主張としてわからないではありませんが、政府といたしまして、法案といたしましては残されたいわゆる三つの問題につきましてそれぞれにこの基金の中で処理しようという考え方でございます。  したがいまして、恩欠の問題につきましては、今二十七条の四ないし五の問題については、これから運営委員会が設置されるわけでございますので、その中でこの恩欠問題についてもどのような御判断をされるか、政府としてはこれを見守っていくということでございますので、御理解いただきたいと思います。
  212. 小沢(辰)委員(小沢辰男)

    小沢(辰)委員 官房長官、ちょっと誤解がある。抑留の問題はこの法律案の中に詳しく書いてあるのです。だからそれはいいのですよ。  そうじゃなくて、この「業務」の書き方が、本来この基金というものをつくりました政府・与党の合意は、ここにありますよ、皆さんもお持ちだろうと思うのですよ。恩欠の問題を処理するためにこの基金をつくる。なぜかなれば、この経過は平野さんはよく御存じですが、我々自民党の国会議員連盟全員が入っておる特未連で合意をいたしまして、まず基金をつくれ、とにかくこの法案の出る前、恩欠で大騒ぎをするまでは、基金というものは戦後処理懇でいろいろあったけれども全然つくっていなかったのです。いろいろ恩欠の諸君がみんな運動してわあわあ言って、この六十二年末の予算編成のときに初めて二百億の基金をつくりますという合意が政府・与党でできたのです。  したがって、たまたまこの基金法というものがつくられたので、抑留の問題のいろいろな規定をその中へ入れたのですよ。経過はそのとおりなんですよ。それはあなたもよく御承知のとおりだ。とすれば、この二百億の基金をつくって、その基金の中に、今官房長官は運営委員会でと、それは今度次の問題になる。だからこの基金の主たる任務というのは、また業務というのは恩欠の問題をやるためにできたのだということを、やはり我々自民党も国会も政府も同じ考え方を持っていなければこの基金の運営がうまくいきませんよ。資料の収集とか出版物の何とかとか、そんなことばかりやっておったら、どこからその金を持ってくるのですか。そうでしょう。間違いありませんね。
  213. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 恩給欠格者問題の重要性というものは、私ども十分認識しておるつもりでございます。
  214. 小沢(辰)委員(小沢辰男)

    小沢(辰)委員 そこで第一に問題点は、二百億の基金をつくると言ったのです。いいですか。そうして、その基金の名前はともかくとして、その基金でいろいろな特別事業をやっていきます、こういうことになったんだ、政府・与党合意では。  ところが、この条文を見ると、この基金の出資金は十億とすると書いてあって、附則の方で、さらに不足の場合積み立てすることはできると書いてある。これも法律上は本末転倒なんだ。条文では、この基金基金として二百億とする、五年をめどにそこまでやりますが、当面六十三年度は十億の基金の出資といたしますと書くのが本当じゃないですか。私も長いこと法律を勉強しているのだが、どうも法律屋としておかしいじゃないですか、どうですか。
  215. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 この基金に対する出資の書き方をどうすべきかということは、先生お話ございましたが、いろいろな考え方がございまして、私ども、内閣法制局でございますが、いろいろ議論いたしました。そして結果的に、まず当初の基金の資本金、いわば出資額というものが十億円であるということを押さえよう、そうして政府基金に追加して出資することができるという条項を設けておいて、そして附則の方に、さはさりながら先生が今お話ございましたとおりに二百億というめどがあるわけでございますから、そういうものもいろいろお話はございましたけれども、関係省庁も知恵を出してやはり二百億というのを書こうということで、附則ではございましたけれども経過規定的に入れた、こういうことでございまして、確かに法律の表現の仕方はいろいろあるかと思いますが、私どもはそういうような考え方でこの法律の作成に当たったということは御理解いただきたいと思っております。
  216. 小沢(辰)委員(小沢辰男)

    小沢(辰)委員 それは官房長官、政府・与党合意をはっきり見ていただきたいのですよ。「規模は、二〇〇億円とし五年を目途とする。初年度一〇億円。」と書いてあるのです。政府・与党合意に法律上反しませんか。もし反しないと言うのならば、この附則の方で必ず二百億に五年以内にはしますと。若林君来ているが、答えなさい。
  217. 若林説明員(若林勝三)

    ○若林説明員 お答え申し上げます。  平和祈念事業特別基金に対する政府の出資につきましては、先生今御指摘のように、法附則三条により、六十三年度から五年度を目途として、二百億円となるまで出資するというふうにされておるわけでございます。  先生御高承のとおり、予算は単年度ベースでその都度検討してまいらなければならないわけでございます。本件につきましても、最終目標を念頭に置きまして、財政状況も勘案しながら決定されるものと考えられるわけでございまして、財政当局といたしましては、法案趣旨を踏まえまして二百億円の基金ができるだけ早く達成できるよう努めてまいりたいと考えておる次第でございます。
  218. 小沢(辰)委員(小沢辰男)

    小沢(辰)委員 若林さん、できるだけ早く、五年を目途に、五年以内にと、いろいろな政府・与党との折衝の経過があったのです。橋本幹事長代理も中に立った。官邸で我々も話し合ったんだ。五年を目途という目途というのはなかなか法律用語に適しないから、恐らく最終的には五年間で、あるいは五年以内にというような趣旨になろうと思うから了解もしなさい。また、あのときは大蔵省責任者も官邸の中へ入っておられたんだ。  私が言わんとするのは、二百億の金は我々は手をつけませんと。いいですか。それはそれぞれ分配することだけはやめようや、あくまでも基金なんだ。そういうことまで我々は譲歩して合意してある。ということは、無利子の金を積んだようなものだよ。損するんじゃないんだよ。利子がつかないかもしらぬが、二百億を早く積んで、そしてこの事業が早く済めば、また二百億はあんたの方に返ってくるんだ。要らないんだ、これは。返ってくるんだよ。なるべく早くした方がいいじゃないですか。国債整理基金で出すのなら一遍に二百億積んでさっさとやった方が――無利子の金が十年も続いたら大変だよ、国庫は損だよ。あんたの方は短期間で、むしろ早くやった方が得じゃないですか。  この法律の書き方は、確かに法制局その他でいろいろなことがあったかもしらぬが、単年度予算の編成の原則もある、それはわかる。しかし、法律の書き方で、二百億を目標にして毎年逐次出資をしていきます、五年を目途に出資します、当年度出資金は十億です、法律で書けないことはちっともないですよ。何にも単年度予算編成に影響しませんよ。方針に逆行することはない。私も大蔵の政務次官をやったんだ。ちっとも差し支えないんだ。ただ、与党だから一歩譲って、この法案でいいけれども、必ず二百億を早く積んで、そして事業ができるようにするということを、できるだけ早く積んで、それは大蔵省も損でも何でもないんだから、金を補助金でばらまくのじゃないんだから。  官房長官、どうですか。いつまでやるかわからぬが、あなたは恐らく竹下内閣が続く限り重要な一番の大ブレーンであり、補佐だ。私の言うことは、政府の立場も考えて非常に真っ当なことを言っておると思うのですが、そのとおりですと、ただ一言答えてくださいよ。どうですか。
  219. 小渕国務大臣(小渕恵三)

    小渕国務大臣 法律の組み立て方としては、先ほど御答弁したとおり、何か法制局がどうしてもこのような法律の立て方以外になかったということでございますが、二百億につきましては、それこそ政府・与党でこれを積み立てていくということをお約束しておることでございますので、先ほど主計官が答えましたように、可能な限り早くこれを積んでいくという努力をいたすべきものと考えております。
  220. 小沢(辰)委員(小沢辰男)

    小沢(辰)委員 期待をいたします。  そこで、政府・与党合意の中では、ことしは二百億一遍に積めぬだろう、また来年どうするかということは、単年度の問題もあるから、そこでいろいろな事業をやる場合に不足も出てくるだろう、だから必要に応じ国庫が補助することができるように政府・与党合意では決まっておるのだ。法案にはない。どうするんです。必要な場合は予算措置で必ずやりますと。必要な場合だよ、必要がなければいいけれども。それは明確にしておかないと、政府・与党の合意に反する法律になる。どうだね。
  221. 若林説明員(若林勝三)

    ○若林説明員 お答えいたします。  今先生も御指摘のように、法案では、平和祈念事業特別基金は五年を目途として二百億円の基金を創設し、その果実で慰藉事業を行うということを予定しておるわけでございます。  しかし、今御指摘のように、二百億円が積み上がるまでの間、基金事業の運営に要する資金に不足を来すことは当然考えられるわけでございます。これらの点にかんがみまして、六十三年度予算におきましては既に基金事業運営費に充てるための補助として約五億円を計上いたしましたところでございます。今後とも必要に応じ予算補助を行うことによって、二百億円の達成前で基金の果実が不足する段階にあっても、基金における慰藉事業が円滑に実施できるよう財政当局としても努めてまいりたいと考えております。
  222. 小沢(辰)委員(小沢辰男)

    小沢(辰)委員 了解いたします。  そこで、この基金の中に運営委員会を設ける、関係の団体の人も委員に入れていただく、その運営委員会で特別事業のあり方を御検討願って、結論が出たら政府に提議をする、政府はそれを受けて、その運営委員会の決定を行政的な措置としてやってまいります、こういうあなた方の考え方が明確でないと、先ほどどなたかが質疑応答で、あるいは団体の方が言われましたように、この法案は全然自分たちの希望どおりになっていない、希望はどうだこうだという議論が出てくる。運営委員会慰藉事業をやるんだ。慰藉事業というのは漠然とやるんじゃないんで、慰藉というのは個人に対する慰藉に決まっているのですよ、方法はともかくとして。慰藉というものを国民全体にやります、そんな慰藉はありませんね。運営委員会で運営委員の良識をもって慰藉事業について特別事業としてこれこれをこうすべきであるということになれば、政府は当然それを受けて実施に移されるものと理解していいですね。当然だと私は思うのですが。
  223. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 お話ございましたとおりに、運営委員会でいろいろ事業のあり方について協議をされ、それが提言されることになると思います。政府はそれを受けてどうするかということを取り組むということになるわけでございまして、私ども昨年暮れの政府・党との了解事項を誠実に実行していかなければいけない、このように思っております。
  224. 小沢(辰)委員(小沢辰男)

    小沢(辰)委員 誠実に実行されることを私は確認をさせていただきます。  そこで、恩欠の方々の要求は、先ほど参考人がどなたか言われましたが、自分たちが恩給年限に達しないからそれぞれの年限に応じて何かくれ、こういう趣旨ではないのです。我々が聞いておりますのは、また私が会長をやっておる恩欠連の団体の皆さん方は、先ほど参考人が一部触れられましたが、ある人は帰ってきて公務員になって通算をされ、国鉄職員になって共済年金に通算された。農村に帰った人は国民年金の通算はできない、会社にお帰りになった人は厚生年金の通算はできない、こんな官民の不公平はない。  その官民格差を解消するために何らかの方法をとりたいという考え方から、実は最後に、わずかではありますが、その方法を一つの私の案としてまとめ、党にかける前に大蔵省に事務的にこれを検討するように言った案があります。大蔵省、主計官は知っておられると思いますけれども、その案は、官民格差の解消を、全部ではないけれども、毎月それぞれの格差是正のために少しずつでもあげ得るようにという意味で、わずかの、十年の交付公債を支給する案をつくって、私の私案として大蔵省にもやったことがあります。そしてその中に、今まで政府がやった交付公債は遺族にしてもその他にしても全部均等償還ですけれども、不均等償還の法律要綱も入れ、また政府が財政事情によっては繰り延べができる規定も置いて、国の財政事情等も十分勘案しながら、これが最良の案だと思って私が提示したことがあります。  私は、財政の状況から見たりいろいろ政府の立場から見て、その案の方が、二百億の基金を積んで利息も何も政府は取れないで、その二百億でいろいろなことをやるよりは、政府としては、また財政上の立場から非常に有利だと思うのですが、主計官はあの案とこの案と、財政の立場からどっちがすぐれた案だと思われますか。財政の事情によっては繰り延べもできる、不均等償還もできる、しかもわずかな金額である、十年間である。あの内容を頭に置いて、この二百億を積んでやるのと、財政当局として財政上どっちが有利と思われますか。
  225. 若林説明員(若林勝三)

    ○若林説明員 お答え申し上げます。  昨年末の予算編成時点におきまして、先生今お述べになられましたような御提案をちょうだいいたしておるということは私も聞いておりました。ただ、その後、その案も含めましていろいろ政府内部、与党との関係で議論がございまして今回のような法案に至ったわけでございまして、今非常に限定的に、財政当局にとって財政的にどちらが有利なんだという御指摘でございますけれども、我々としても実は先生の御提案のような案とこれを数字的にどうというような比較をしておりません。また、比較することも非常に困難な面もあろうかと思いますので、ここでどちらが有利ということはひとつ御容赦賜りたいと思います。
  226. 小沢(辰)委員(小沢辰男)

    小沢(辰)委員 なかなか苦しい答弁だと私は思うのです。しかし、それは政府としてはやむを得ぬでしょう。  そこで、私が申し上げたいのは、この法案をおつくりになって運営委員会をおつくりになり、その運営委員会の提議を政府は尊重して何らかの行政上の措置をとりますとお約束をいただきましたが、非常に大事なことは、運営委員会をやっていろいろ議論をするにも、まず実態の把握を正確にやっていかなければできませんね。恩欠者の実態、例えば年齢構成がどうなっているのか、そういう点の実態調査、実際の人たちがどれくらいいるのか。一時は、恩欠は約二百七十何万、この亡霊におびえて、恩欠は大変だ大変だ、政府の幹部もみんな恩欠の問題は三百万人も大変な問題ですとわあわあ言われている。実態を何らつかんでおらなくて、何百万という亡霊におびえて今日まで対策を延ばしてきたような気が私はするのです。  あなたは恩給当局者ですからよく知っておられるように、一時年金を支給された方々がいらっしゃいます。それを全部申し出た人一〇〇%やったとして、あのときの終戦後の方々は百万人だったでしょう。そうじゃないですか。約百万人だ、大体そうですね。そうして、しかも申請をした人はたしか半分ぐらいだ。それも間違いないと思う。大ざっぱに言って大体五割ちょっとだ。そうすると、恩欠者は大変だ大変だと大騒ぎをしておったのは、非常に調査が行き届かない、正確な数字も持たない結果だと私は思うんですよ。したがって、これから、基金ができた、法律が通った、運営委員会をやります。運営委員会で一体どういう慰藉をやるか、何人いるのかわからぬ、年齢構成もわからぬ、そんなことじゃ困りますね。そうでしょう。  私どもは、政府・与党合意の前に、官房長官おられますが、とにかく政府・与党の首脳部に三つの点を要求した。第一には基金を早急につくれ、それから第二点は少なくとも五億円の調査費を上げて正確な調査を早急にやれ、第三点は我々特未連の議員連盟が要求したあの趣旨を、それとは言わないが、その趣旨を考えに入れて最終的な決着を図ってくれ、この三点を要求したんだ。そうしたら、その三点目は余り明確に私どもの案が出ておったものですから、それが表面に出てくるようなことになってはあれだから、二百億の基金をつくることと調査をやることだけは政府・与党合意で決めた、それは御存じのとおりです。  その調査は、今年度法律が年度途中に成立するであろうから、いろいろやってみたら六千万しか調査費がない。五億円の運営費を出した、予算に計上したとさっき主計官が言われたけれども、四億四千万は別のところへ行っているわけです。六千万円で調査が全くできないか。私はやる方法はあると思う。今までは毎年、二、三年前から五百万、一千万と積んできた。調査をやりなさい、サンプリング調査をやった。そんなことでは運営委員会で正確な詳しい討議ができませんよ。どうしても実態調査をきちっと早くやらなければいけない。そうでなければ、運営委員会が個人に対するいろいろな慰藉事業をやろうと思っても、正確な実態がわからぬで議論できないじゃないですか。どうしますか。
  227. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 私ども本当に申しわけないことでございますが、恩給欠格者の実態についてどのくらい承知しているかということになりますと、先ほど先生も御引用になりましたけれども、六十一年三月の時点でどのくらいの人が生きているかという調査を一応させていただきました。その結果、一応二百七十五万人程度かなという一種の推計はあるわけでございますけれども、ただいま先生からお話がございました例えばそういう方々の年齢別とかあるいはいろいろな条件に基づいた分析はまだできておりません。  そこで今年度、基金運営、調査の関係の経費として、先ほど主計官から御答弁申しましたとおりに約五億円ございます。その中で確かに調査費というものがお話がございましたとおりに六千万円ほど計上されているわけでございます。この調査の内容、どういう調査をするかということにつきましては、率直に申し上げまして今後運営委員会でいろいろ協議をされる中でどういう調査をしたらいいのかというあるいは御指示やら必要性やらが生じてくるだろうと思いますので、今私がここでどんな調査をするのかということまで申し上げるまでは至りませんけれども、しかし運営委員会のいろいろな推移を見ながら、また基金の業務の必要性に応じて適宜適切に調査を行っていきたい、このように思っているところでございます。
  228. 小沢(辰)委員(小沢辰男)

    小沢(辰)委員 ちょっと平野さん、運営委員会で調査の方法をどうするかという議論をされると今答弁をされました。それは間違いですよ。
  229. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 私の言葉足らずでございました。私が申し上げたかったのは、運営委員会でいわばどういう事業をやるかというようなことを考えていく、その参考としての調査が必要ではないだろうか、そういう場合も考えて調査というものに取り組んでまいりたい、こういうことを申し上げたわけで、調査の方法とかそういうものを一々諮るという意味ではもちろんございません。
  230. 小沢(辰)委員(小沢辰男)

    小沢(辰)委員 三年以上外地に勤務してお帰りになった人で官民格差に泣いている方々慰藉をするためにいろいろこの慰藉事業をやる場合には、個人的に慰藉をやっていかれる場合には、官民格差なんだから差を縮めていかなければいけない、少しでもその期待にこたえるようにやっていただかなければいかぬ。これをやるかやらぬかの議論をするのが運営委員会だろうと思うんですよ。  それと同時に、今二百七十何万と言われましたが、これは軍人の勤務をされた人で、その数の中には私なんかも含まれているんだよ。私は公務員に帰ってきたから恩給通算になっているんだよ。そういう人は、我々は除いているんですよ。三年以上外地にいなければいけない。内地の人、艦砲射撃でやられたような人たちやその他の戦災者の方々との均衡を考えれば、これは泣いて我慢をしてもらっているんですよ。それらを全部ひっくるめて恩欠者は二百七十五万ですなんて言っているから、大変なことだ、大変な金が要るんだというので、みんな政府や財政当局は逃げ腰なんだ。  そうじゃないんです。本当に官民格差に泣いて慰藉しなければいけない人はもっとどんどん範囲が狭まってくるんだよ。抑留の方は戦後であるが、戦中と同じように全部戦時加算の対象になっている。また抑留の方でも帰ってきて恩給をもらっておる人、それはともかくとして、年限として通算をされている人もあるのですよ。公務員やその他の人は全部ある。抑留の方は農村と一般の民間の会社だけだなんということは全くありませんよ。私の友人にもたくさんいる。恐らくあなたの役所の周りでもいっぱいおられると思うのです。  そうすると我々は、この運営委員会でどうしても官民格差に泣いていた方々慰藉をやる事業を取り上げて考えていただかなければいかぬ。それがこの運営委員会なんだ。そのために二百億の基金をつくって、この基金をみんなにばらまくことはしませんと約束したんだ。早くこれがあれば、全部にはできないかもしらぬが、五年なり何かの交付公債ということになって、調査が行き届いて、八十以上の人は何人ある、七十五から八十の人は何人ある、七十歳から七十五の人は何人あるということがわかれば、その人方にやっていくだけの財源は十分あるんです。それだから私は、調査をきちっと早くやりなさい。それで三年前から五百億をつけるあれをつけるといっていろいろやったが、結局サンプリング調査でそんなことをやって実態がちっともはっきりしてない。  今あなたに聞けば、二百七十五万でありました、それはこの法案政府・与党の対策の対象になっている総体の数ではないんです。その辺を政府としては、せっかく戦後処理を本当にこの基金でやるのならばそれが一番の大事な点なんだ。だから私が言うのは、六千万円でひとつきちっとした調査をやりなさい。市町村は三千三百ある、十万ずつやって幾らになりますか、三億三千万だ、そうでしょう。そのうち、まず当面一番恩欠の方々が多い、そういう県を取り出して年齢構成を調べていくことだってできますよ。六千万は中央で持っておって、中央でサンプリング調査をやつたり、そんなことをやるといつまでたっても実態は明らかにならないんだ。これはやはり我々政府・与党なんだから、内閣委員会先生方もいらっしゃるのだから、よく御相談を願って、この調査の六千万の金を、実態を明らかにするために、しかも運営委員会でいろいろな措置がきちっとできるための材料を得るためにどうしたら一番正確な調査ができるかということを、この法律ができたら早く進めていかなければいかぬから十分相談をして、政府・与党相談の上で急いでこの調査をやりますということを、政府として責任を持ってお答えをいただきたいと思います。
  231. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 私、小沢先生のおっしゃっている意味はよくわかるのでございます。ただ、私どもといたしまして、これから国会で御審議をいただいて基金をつくっていただく、そしてその基金内に設けられる運営委員会において今後そういった慰藉事業のあり方について御協議をいただく、こういうことでございまして、先生の御意見として先ほど外地云々というお話もございましたけれども、その辺のやり方についても実は運営委員会で御協議をいただくということになるわけでございます。  したがいまして、そういうような運営委員会の動きなんかを見ながら調査の内容も決めていく必要があるのではないのかな、こういうことを私ども申し上げているわけでございます。ひとつ御理解を賜りたいというふうに思っております。
  232. 小沢(辰)委員(小沢辰男)

    小沢(辰)委員 それは平野さん、ちょっと本末転倒しているんだ、あなたの言うことは。運営委員会で審議をしながら、また必要性があれば調査をしていきます、そうではないのですよ。いいですか。運営委員会で特別事業としてやるためにどうしたらいいかという議論を委員がされる場合に、実態が明らかでないでできますかと言っているんですよ私は。それはだれが考えたってそうじゃないの。だから六千万使って早く実態調査をやりなさい、足りなければ来年また大蔵省は必要に応じ補助をするんだから。基金が当面六十三年度出資金十億でしょう。十分な調査費が出るはずないじゃないですか。初めは調査費として五億円を出そうという約束まで我々としたんだ。ふたをあけてみたら六千万で、あと四億四千万はほかの事業になっているんだよ。だから、これは政府・与党だから今さらわあわあ言わぬけれども、とにかく調査だけはきちんとやって、その調査の内容が運営委員の皆さん方にわかってないとできませんよ。  官房長官、どうですか。そうでしょう。だからきちっとした年齢別の調査を早くやっていくということは当然のことなんです、調査費もあるんだから。調査のやり方については関係団体の皆さん方とよく相談もし、与党の先生方とも相談をして、また野党の皆さんの意見も聞いてもいいでしょう、とにかく早くやる。実態を早く把握する。それは当然のことだと思うんですよ。私は何も無理な要求をしているのでもないし、何でもないんだ。それはそのとおりです、調査を急いでやりましょうという答弁が当然出ると思ったんだ。運営委員会のいろいろな議論を見ながら、またどういう調査が必要かも出てきますからなんてそんなばかなことを言っておったら、主計官、何のために調査費を出したのですか。  ちょっと官房長官、ぴしっと、調査は調査で実態を把握しなければ何もできないのだから、調査をやりますと言いなさいよ。大蔵省の答弁じゃないんだよ。
  233. 若林説明員(若林勝三)

    ○若林説明員 お答えいたします。  予算編成過程でいろいろ議論があった結果、戦後処理問題について基金をつくって事業を進めていく。事業を進めるに当たってはいろいろ実態を把握して、その実態を前提にしていろいろ事業を進めていく。また、その実態をどういうふうに把握していくかということ等いろいろ必要な検討事項がある。その中で調査に必要な資金というのが今回六千万予算計上されておるわけでございます。  この予算、これは直ちに調査することを前提にしておるのか、ないしはどういう調査をやればいいのかということを運営委員会がまず議論するのかということは、まさにこれから基金ができてからどれが一番いいかということは御検討いただければいいのではないかと私は思っておりまして、この六千万の予算は直ちに調査をするということなのか、どういう調査をやるかそれをまず検討すべきかということ、これは同時的に行われるべき問題であるかもしれませんけれども、観念的には分け得るのかなというふうに考えている次第でございます。
  234. 小沢(辰)委員(小沢辰男)

    小沢(辰)委員 これはおかしなことを言うね。あなた、篠沢次長に帰ってからよく聞いてみなさいよ、私の部屋でいろいろ話したんだから。  調査を、実態を把握しないで運営委員会でいろいろな話ができますか。それはまた運営委員会でいろいろな問題が出たときに、それに必要な調査ということは起こり得るかもしらぬ。それはそれとして別問題なんだ。恩欠者の実態を数字的に正確に政府がつかんでいなくて、どうしてあなた、運営委員会が開かれますか。  運営委員会というのはそんなことをやる運営委員会じゃないんだよ、最初政府・与党の合意では。それは平野さんもよく御存じだ。運営委員会というのは、特別事業としてやることのあり方を検討する運営委員会なんだよ。それがはっきりしないとこの法案はおかしいよ。平野さん、おかしいよ。それはあなたもよく知っているはずなんだ。運営委員会というのは、この法案趣旨にあるように、慰藉のいろいろな方法、どういう事業をやるか、そういうものについて審議する運営委員会なんだよ。そうでしょう。だからこそこれが提議をすると政府・与党で書いてあるんだ。その辺のところは正確に、あなた方がこの法律を出していながら運営委員会性格がはっきりしないようじゃ困るよ。これは大変なことだよ。どうですか、先生方。
  235. 小渕国務大臣(小渕恵三)

    小渕国務大臣 今御指摘をされましたことは、政府と与党との間で予算編成時にこの問題の取り扱いの中でいろいろ議論されたことは事実だろうと思います。  ただ、政府として改めて法案を提案いたしました以上は、ここでこの法律を通過させていただきまして、この運営委員会というものが設置をされた上で、ただいま小沢委員は過去の経緯も十分承知の上で、この特別事業というものの中では、当然のことながら恩欠問題についてはすべての資料が整って、調査が済んで、仮に個人的ないろいろの対策を講ずるとしたらどのくらいかかるかということまで含めてしなければならないということをみずからの前提を置きながらお話をされているわけでございますが、また、そういうことの話し合いは過去、政府と与党との間でいろいろ御論議された経過もあろうかと思いますが、現在は、法律を提案いたしました以上は、この慰藉事業について、具体的内容について、改めてこの法律が通過いたした上でこの運営委員会で決定をしていただくという建前でございませんと、この法律につきましては、あらかじめ予断を持って対処することはお許しをいただきたいと思うわけでございます。
  236. 小沢(辰)委員(小沢辰男)

    小沢(辰)委員 それはわかっているよ。いいですか、政府・与党合意、あなた方、官房長官もみんな入ってやっているんだよ。あなたも入っているんだよ、そんなことを言って。五番目にある。いいですか。「基金内に、関係者の内から、推せんされた者を含む運営委員会を設け、慰藉事業などを含めた特別事業等のあり方を協議し、政府に提議する。」になっている。調査するなんて書いてないんだ。調査の方法について審議するなんて書いてないんだ。特別事業のあり方について協議をするため運営委員会を設けているんだ。その運営委員会が特別事業のあり方を検討するに当たっては調査が必要ではないかねと私は言っているんだ。あなた方の答弁を聞いていると、ちっとも私の言うことを理解してないんだ。何もここで個別にやりなさいとか、今ここで決まりましたなんて言っていないんだ。  今、官房長官は、そのあり方は今後の問題ですと言うが、そのとおりなんだ。この運営委員会で慰請事業のあり方を検討しなさい、その委員の中には関係者からも推薦がありますよとなっているんだ。調査は別なんだ。そのためにあり方を協議するのに、実態がわからないで協議できますかと私は言っているんだ。それは当たり前のことじゃないか。そうすれば、六千万調査費を計上したのも、運営委員会の費用じゃないんだ。調査費なんだ。大蔵省、六千万ちゃんと出しているじゃないか。それで調査しなさいと言っているのに、どうしてぐずぐず言っているんだ。当たり前じゃないか。これは政府・与党だから、決して意地悪質問やってないんだ。本当にそのとおりやっているんだ。一体わかっているのかわからぬのか、これはおかしいね。調査やりますか。この法律が通ったら早く調査やりますか。当たり前のことじゃないか。
  237. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 確かに実態をしっかり把握するということは必要だということはわかっております。私どもがただ申し上げたかったのは、そういう状況に応じてきちっとした実態を把握するように今後努力していきたいと思っております。
  238. 小沢(辰)委員(小沢辰男)

    小沢(辰)委員 いや、ちょっと待ってください。それはだめだ。状況に応じてなんて、そんなばかなことありますか。そこがあなたの間違いなんだ。私が言っている六千万の調査費というのは、特別事業慰藉事業のあり方をやる運営委員会の資料として、恩欠者というものは、三年以上外地に勤務し、恩給通算のない方々の実態はこうでございます、何人でございます、その年齢はこうでございますということをちゃんとその前に調査をしておく義務があるじゃないか、君ら。何を考えておる。これは先生方みんな、だれが聞いても僕の言うとおりだと思うのです。それをはっきりしてください。そうでないとこれは進まない。  私はもう時間が来たからやめますが、当たり前のことを言っているんだ。政府を困らして言っているんじゃない。六千万お金がついているじゃないか。大蔵省は、それは別の経費でつけたのかい、六千万。実態調査の金でつけたんでしょう。我々は五億と言ったけれども、まあ当年度はあれだから六千万ということになったのだと理解をして、何も五億云々とか言ってないのだ。六千万調査費。篠沢さんは私の部屋へ来ていろいろ打ち合わせをしたのだ。確かにあのときには要望がありまして五億円と決めましたが、いやほかの金がありますので、初年度は六千万ぐらいでひとつとりあえず調査をやります、来年また必要なら追加をしてその調査費をあれします、こうなっているのだから、これは別のことを言っているのじゃないんだ。それは平野君は理解しておるはずです。何でそんなことをあれしているのです。運営委員会で何か議論があって必要な調査があればまた追加してやればいいじゃないですか。人数がどれくらいいるのか、年齢構成がどうなっているのか、その調査だけでも早くやらなければだめでしょう。  いいですね。よければこれで終わりますよ。何かさっぱりわからないのだ。理解をしてないのだ。私より理解が不足だ。君ら担当者のくせに、そんなことではだめだ。やると答弁しなさい。
  239. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 先生のおっしゃることよくわかりますし、実態をしっかり把握するということは、確かに行政を進めていく上で、施策を進めていく上で極めて重要であるということは十分認識いたしております。
  240. 小沢(辰)委員(小沢辰男)

    小沢(辰)委員 だからやるのでしょう。認識したって、六千万の金をそれでは使わないのですか。
  241. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 私が申し上げておりますのは、先生の御趣旨はよくわかるのでございますが、そしてどういう施策をやるかということについても……
  242. 小沢(辰)委員(小沢辰男)

    小沢(辰)委員 いやそれは別だと言っているのだ。委員長、注意してください。同じことばかり言っているんだもの。
  243. 平野政府委員(平野治生)

    平野政府委員 要するに、運営委員会でいろいろ決めていただくという法律の立て方になっているために、その中のいろいろなことについて私どもの方で先に云々と言うのは、私どもの立場としては非常に難しいのではないか。ただし、必要性は私は十分認識しているつもりでございます。
  244. 小沢(辰)委員(小沢辰男)

    小沢(辰)委員 これでやめますが、どうもあなたは理解が不足だ。  運営委員会の中でいろいろなことをやるための調査を言っているのじゃないのです。いいですか。どうもあなたは運営委員会でどういうことが出てきて、そのための必要な調査を何とか、それを見なければわかりませんとか、そうじゃないんだ。それがどうしてわからぬのか。  委員長政府・与党ですから、後でこれは質問でなくたってやれますから、私は後でよく教えます。  以上で終わります。ありがとうございました。
  245. 竹中委員長(竹中修一)

    竹中委員長 委員長も了解しました。  次回は、来る二十八日木曜日午前十時理事会、午前十時十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後五時三十七分散会