○柴田(弘)
委員 大臣、三、四分どうぞ。
私は、
地方への権限移譲に関連をいたしまして、地元の名古屋市の堀川の問題を取り上げてみたいと思います。
今
大臣もおっしゃいましたように、
地方自治体も力がついてきたのだから
地方自治体でできることはどんどん財源を移譲し権限を移譲してやっていくんだ、これは私はそうだと思います。ところが、堀川の再生の問題、特に流況調整河川木曽川導水事業、これは国の直轄事業でありますが、今日まで遅々として進んでいないわけであります。それで、きょうはいろいろと建設省あるいは農水省、
通産省、厚生省、
自治省等々に聞いてまいりたいし、最後に
大臣の所見も伺っていきたいわけであります。
この堀川は、名古屋市の
中心を流れる川でありまして、名古屋城の築材や
生活物資輸送のために人工的に開削された川であります。古くから経済活動や交通に利用されていたほか、名古屋市民の憩いの場として親しまれてまいりました。今をさかのぼること三百七十年前の慶長十五年、一六一〇年に、当時の武将でありました福島正則によって開削されたと伝えられております。その後、半世紀を経ました寛文三年、一六六三年の夏には御用水が開削をされ、守山区竜泉寺下の庄内川から取水した水が矢田川の下をくぐり名古屋城のお堀まで引かれ、お堀から堀川にも入るようになったと伝えられております。明治九年から十年、一八七六年から七七年でありますが、矢田川の下を伏越して堀川に注ぐ川がつくられた。この川を担当した技師の名前からこの堀川は黒川とも呼ばれているわけであります。延長は名古屋市内だけで十六・二キロの今の姿がほぼ完成したわけであります。
最近、愛知県が行いました堀川のヘドロ固化実験工事の際に明らかになったのでありますが、護岸が予想以上に老朽化をしていて、早急に抜本的な改修事業が必要であるわけであります。
こうした中で、堀川の清流化や親水性、治水機能の向上を図るために、建設省では
昭和六十一年度から堀川を都市小河川改修事業に採択したわけであります。地元の名古屋市でも、
一つは河川改修による治水機能の向上、第二番目には水辺環境の改善による都市魅力の向上、三つ目には沿岸市街地の
整備活性化、この三つを柱に総合的に
整備を推進すべく現在構想づくりを進めているわけであります。その前
段階といたしまして、本年一月には、地元の学識経験者や有識者で構成する堀川
懇談会から名古屋市長に対しまして「堀川総合
整備構想策定のための提言」がなされています。これによりますと、堀川再生のタイムスケジュールとして、名古屋市制施行百周年に当たる来年の
昭和六十四年に本格的な工事に着手し、
昭和八十五年、西暦二〇一〇年でございますが、このときには堀川の浄化を果たすとともに、名古屋市の都心に当たる納屋橋地区を初めとした拠点的な市街地の
整備を行うことなどを構想の中に盛り込むように提言をいたしました。
ところで、名古屋市ではこの提言を受けまして、河川管理者である愛知県とも協力しながら、建設省の提唱しておりますところのマイタウン・マイリバー構想のモデルともなる堀川総合
整備構想づくりを精力的に進めているわけでございます。一方、堀川沿岸の納屋橋地区では、商業業務の
中心地として町の活性化を図るため、
民間再開発の動きも出るなど、堀川再生の動きは民活事業を含めて官民共同のプロジェクトになろうとしているわけでございます。
そこで、まず私は建設省に
お尋ねいたすわけでありますが、この官民共同のプロジェクト、
民間再開発というのは、具体的に申しますと納屋橋を
中心といたしました堀川左岸の北は錦橋、南は天王崎橋の四百メーターの間で商業業務を行っている方たちが現在広小路セントラルエリヤ活性化
協議会を結成し、
昭和六十四年までには市街地の再開発組合を結成し、青写真をつくってスタートする、こういう構想を持っているわけであります。お聞きいたしますと、建設省では
昭和六十二年度には既にこの
調査費が国費として六百万、事業費は千八百万でありますからその三分の一、
昭和六十三年度には四百万、事業費は千二百万ですからその三分の一でありますが、これを地区の現況あるいはつくるべき施設の概要等々の基本計画策定のための
調査費として名古屋市の方に出しているわけでございます。その辺の事実
関係と、事業費は七百億と聞いておりますがそれはどうか。そして今後六十四年以降、そのうちの一、二割の
補助対象基本額、これについて三分の一を
補助するということであります。設計費とかビルのエレベーター等が
補助対象になるわけでありますが、そこら辺の事実
関係につきましてまず建設省にお聞きをしておきたいと思います。