○堀
委員 きょうはほかにもう一つやりたい問題がございますので、副総裁、どうもありがとうございました。
最後に、私どもは、
大蔵省の皆さんとも
日本銀行の皆さんとも御意見を十分に聞きながら、ひとつ自民党や各党の皆さんと協議をして、この前近代的、不合理な
日本銀行法の
改正をぜひ議員立法でやりたいと思いますが、そういう点でいろいろと皆さんの知恵をかしていただいて、こういうどうもアナクロニズムだけは改めたいと思っておりますので、
越智委員長にもひとつ御配慮をいただきたいと思います。
最後に、実は
大臣がこの中でお触れになっていることでありますけれども、
金融・
資本市場の
自由化、
国際化につきましては、昨年六月に「
金融・
資本市場の
自由化、
国際化に関する当面の展望」を発表し、その後、その方向に沿って、各般の
措置が講じられてきているところであります。
さらに、
先物市場の
整備拡充につきましては、
証券先物市場の一層の
整備、
金融先物市場の創設及び
海外金融先物取引の一層の
自由化を進めていく
予定であります。
今後とも、
我が国金融・
資本市場が
内外に対して十分な貢献を果たし得るよう、一層の
自由化、
国際化を進めてまいりたいと
考えております。
このように
大臣、実はきょうごあいさつをいただいたわけであります。
そうして、実はこの間の二十五日の本
会議の演説の中で、竹下総理はこういうふうに言っておられます。
地価上昇の原因の一つは、東京への人口や諸機能の一極集中であります。
政府としては、第四次全国総合開発
計画の着実な
推進等を通じ、都市・産業機能の地方への分散により、東京への過剰な依存からの脱却を図るよう努めてまいります。
また、この一環として、
政府機関等の地方移転を推進していくこととしており、そのため、今般、移転方針について、決定を行ったところであります。
それからちょっと先へ行きまして、
第四次全国総合開発
計画は、地域の創意と工夫を基軸とした地域づくりを基本とし、そのための基盤となる交通、情報通信体系の
整備と交流促進のためのソフト面の
施策の拡充を内容とする交流ネットワーク構想の推進により、多極分散型の国土の形成を図ることとしております。
こういうふうに総理はおっしゃっておりますね。
実は、先ほどの
金融先物問題と今のこの総理の御発言とを重ねてみますと、既に大阪
証券取引所が株先五〇をやっておりまして、東京
証券取引所は
国債の先物をやっております。この間、
大蔵省として銀行局、
証券局、国際
金融局の合意になった一応の先物に関する構想の発表がございました。私は、当面あの構想に沿って、この通常
国会に
大臣も法案を出したい、こうおっしゃっておりますので、法案が出されてくるのだと思うのであります。
実は私、昨年の十月十日からワシントンへ参りまして、その後ニューヨークに参りまして、さらに、ブラックマンデーの日はニューヨークにおりましたけれども、その二日後にシカゴへ参りまして、そうしてシカゴ・マーカンタイルあるいはボード・オブ・トレードあるいはオプション取引所を詳しく視察をしてまいりました。そうして感じたことなのでありますけれども、やはり日本も先物の取引というものは必要だ。それがスペキュレーションかヘッジかというような議論はもう幾らやっても切りのない問題ですが、それはそれに参加する方たちのビヘービアの問題であります。ですから私は、
市場そのものには、こういうふうにやったらこれはヘッジであって、こうやったらスペキュレーションだなんということはないわけでありますから、そういう点で私も、この
国会に先物の法案が出されることについては大変結構だと思うのでありますが、あの
考え方からいきますと、どうも東京の場合には東京の
証券取引所で
証券関係のものをおやりになるようで、
金融関係はどこかに
金融関係の先物取引所をおつくりになるということになるのだろうと私は見ているのです。
そこで、今の東京集中型という総理のお話。アメリカで見ますと、
株式現物とその他の
金融関係というのはニューヨークに集中をしております。ですから一極集中になっているのですけれども、ところが先物オプションはシカゴにあるわけでございますね。これは沿革があると私は思うのです。それはなぜかというと、シカゴというのはアメリカ中部の農産物の最大の集散地でございましたから、あそこでは商品取引が非常なウエートを持っておった。ところが、さすがのアメリカも農産物だけで商品取引がうまくいくわけもないので、そこで取引所の皆さんは頭を働かせて、
金融や
証券やいろんな先物をあそこで開発された。
私はアメリカへ参りましたときに、ルーダーSEC
委員長にお会いしたときに、ルーダーさんが言われたのは、日本は監督というのが大変にうまくいっている、それは今のCFTCとSECが別個になっていて、そしてシカゴの
証券先物についてはSECは何ら介入ができない、こういう点をおっしゃったのだと思うのでありますけれども、日本の場合には要するに
証券局、銀行局、国際
金融局、みんな
大蔵省の中にありますから非常にコントロールというのが、調整がうまくいくという
意味だったと思うのであります。
そういう
意味で、ひとつこの際大阪に今の新しい
金融先物取引所というものを一つ構築をしたらどうだろう。要するに複眼的な視野に立ってやる。これはまだどなたとも相談したことはないのでありますけれども、北浜の大阪
証券取引所というのがありますが、あれの上に少し二階か三階くらい継ぎ足して、そしてそこで一つフロアを区別して、要するに一番下は
株式の現物をやっている、二階は
証券関係の先物やオプションをやる、三階は
金融の関係のオプションや先物をやる。一つの建物の中ならば、法律は別々の法律でないと、一本で書けないのか私はよくわかりませんが、ちょっと質が違うものができると思うのです。フロアは一つのフロアですけれども、あそこへ行けばともかくもう
証券の先物も現物も、それから今の為替も金利もみんなやれるということになれば、ユーザーにとっては大変望ましいことではないか。
私は、
大蔵省の皆さんにいつも言っているのですが、何しろ日本では
証券、銀行の業際問題というのが長い歴史的な問題でありまして、私もそれに長くかかずらわってきているのですが、常に申し上げていることは、今
金融というのは
証券会社や銀行のためにあるのじゃありませんよ、要するにこれを利用する
国民と利用する企業のために
金融がサービスを提供するために
金融の
制度があるのであって、
証券会社がもうける、銀行がもうければそれで済む話じゃありません。この真ん中の
国民と企業にどのようないいサービスを提供していただいて、日本の全体の
経済がプラスになるようにするかというのが私は
金融業の本来の姿じゃないか、こういう
考えでございます。しかし、いろいろな経過がありますから、何としてもそう簡単にはいきません。
しかし、今のあれをやって、東京は恐らく二つになるでしょう。大阪はそういうふうにして一つにしましたら、そこに名称を日本
金融先物取引所、これが冠せられるわけです。なぜかというと、東京は東京
証券取引所あるいは東京
金融先物取引所でしょう。しかし、大阪の場合はともかく先物の発祥の地でございますから――ちょっとまだ少し時間がありますから、私のところの国際
金融経済研究所で十二月に出しました「当面の国際
金融の諸問題」というリーフレット、
中村正三郎先生が座長として御参加をいただいているわけでありますが、その中で私はちょっと先物のことについて書いております。要するに先物は
日本では一六〇〇年代ぐらい、つまり慶安、承応の時代のようでありますが、各大名が大量の藩米を取引をしておりました。が、実は大阪の非常に有力な米商人で、両替商を兼ねていたところの淀屋の庭先で、大勢の米商人が集まって
市場が形成されていたのであります。その
市場で米手形による延べ取引が発生した。これが米屋米市といっているようでありまして、その後この延べ取引は次第に差金決済、先物取引へと発展したようでございます。
この先物取引が公許されたのは一七〇〇年代に入ってからでありまして、その間、インフレ下にあって、米手形取引は投機取引を助長するという理由で十回ばかり規制処置、禁止令が布されたようでありますが、享保十五年(一七三〇年)八月十三日、名奉行の誉れ高い大岡越前守忠相によって、大阪の堂島米相場会所に限って、米の先物取引、帳合米取引ともいうのだそうでありますが、許可されたということであります。これが世界の先物取引の歴史的な最初のページでございます。
こうなっているわけであります。
まさに大阪は日本の、そして世界における先物取引の根源の場所でございますので、ひとつこの際大阪に、一つの建物の中で今の
証券の現物及び先物ができて、債券もできて金利もできて通貨もできるという形になりますと、ユーザーにとっては二つのところへ行かなくても、そこへ行けば用が足りるわけでありますから大変便利なわけでありまして、それをずっとやっていく過程を通じてこれはやはりお互い一つでやった方がいいじゃないかということが、現実のそういう売買の過程を通じて醸成されてくるのではないか。世界でともかくそういうものが二つあるところはほかにないと思うのですが、だれに答えてもらえばいいかな、
証券局長。