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宇野国務大臣 私、よく申すのでございますが、戦前の
我が国の貿易額は極めて微々たるものでありまして、
昭和初期には、金解禁問題を通じましていろいろな政党が争ったという時代がございました。つまり、金解禁をすれば、輸出の極めて小さな
日本は、金はすべて海外へ流出するではないか、片一方では、いや、思い切ってデフレ政策をとって対外競争力をつけるべし、しからば出た金は再び戻ってくるであろう、こういうようなことが真剣に
昭和初頭に繰り返されました。しかしながら、依然
我が国の貿易は余り振るわなかった
傾向でございましたから、
日本もドイツも、あるいは諸外国が、言うならば自国通貨の切り下げをいたしまして輸出振興を図ったということは歴史に歴然たるところがございます。
その結果、
各国は、外国製品が入ってくることは自国製品の妨害になるというので関税を高めました。さらには非関税障壁をつくったと私は考えております。そういう結果、むしろ
世界貿易はシュリンクした、シュリンクの結果新しいマーケットを設けたい、こんなことが第二次
世界大戦の
一つの動機になったというような歴史もありますし、私たちもそれも
一つの話だろうと考えております。
そうした中において、戦後
アメリカのGNPの二十分の一でございました
日本が、四十三年たった今日、二分の一であり、なおかつ実質ナンバーワンというふうにいわれております。この間は、どういたしましても、やはり自由貿易というものが盛んになったおかげである、私はこういうふうに断定してもよいのではなかろうか。もちろん資源小国あるいはまた食糧小国の
日本でございますが、国民のたゆまざる技術革新、さらには経営改善、これが今日の立派な
経済体系をつくり上げてきたのではなかろうか。
しかしながら、やはり貿易でございますから、要は自由貿易主義というものが戦前のあの保護主義にかわって誕生いたしました。それがガットであり、今御
審議を願っております
世銀であり、さらには
IMFである、こういうふうに私は考えますと、そういう波に乗って
日本は大きくなった。したがいまして、その波に乗り切れない独立国もまだまだたくさんいらっしゃるわけでございますから、私たちはやはりそういう
意味におきまして、開かれた
日本、さらには
世界に
貢献する
日本でなくてはならないというのが今日の私たちの考え方でございます。
特にそれは、
途上国のみならず先進国も、
日本に対しましてこの四十数年間にわたりまして非常に協力を願った、そういうような感謝の念もどこかにあらわさなくてはならない、ひとりで大きくなったんじゃないということが大切ではなかろうか、私はかように存じております。