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安藤委員 いろいろこういう意見がある、こういう意見があるという
紹介ではありませんよ、私が今
紹介しましたのは。明らかにこういうふうにいきたい、こういうふうにいくべきである、こう言っておられるのですよ。私はこれを読んで実は愕然としたわけであります。
ほかにもたくさんありますが省略しますけれ
ども、もう一つだけ例を挙げましょうか。
これは、いわゆる砂防指定地に指定された沢が公の営造物と言えるかどうかという議論をしておられるところがあるのです。この
関係についてはA地裁が出題をしてB高裁とC地裁とD地裁がそれぞれ意見を述べられたのですが、B高裁は肯定、公の営造物と認めるべきである、C地裁も肯定、D地裁は否定、そう見るべきではない、こう意見が分かれたのですね。そうしましたら、「砂防指定地として、私人の行為が制限されたり受忍義務が課せられたというだけでは、国や地方公共団体が当該山の斜面を支配管理しているということができないのはもちろんであり、このような
意味においても、公の営造物ということはできないであろう。 ただし、砂防設備が
設置された場合、これが「公の営造物」に該当するのは当然であり、」云々というふうに書いてあるのですね。これは意見が分かれたのを一方の意見にくみしておる、こういうことを言っておられるわけです。そうすると否定した方ですか、それになるわけですね。片一方の意見は、おまえは間違っておるのだよ、こう言っておるのと同じことになる。そうすると、やはりこれはお互いに意見を交換する場というのではなくなっていると私は思うのです。
ほかにも、発電用ダムを建設した電力会社の責任がどうかとか、自然公物も公の営造物に含まれるかどうか、急傾斜地に集中豪雨があった場合の責任はどうかとか、損害賠償の算定に当たって考慮すべき
事項はどうか、全部意見があって最後にこうだという結論を出しておられるのですよ。時間がありませんから省略し史すが、またほかの機会でもいいですけれ
ども、これはやはり憲法それから
裁判所法の
趣旨に反することを最高裁事務当局がやっておられるとしか私は思えないわけです。
そこで、この民事局回答、意見なるものが、具体的な
裁判に対してどういう影響が出ておるかということを示しながらお尋ねします。
申し上げるのは、先ほどの財政的、
社会的、時間的な制約というのは、この直後に出された大東水害の最高裁の判決にそのまますぱっと出ておるのですよ。判決の当否を私は言うわけじゃありませんよ。この協議会がなされておったころは、大東水害判決がちょうど書き終わっておるころじゃないのか。大東水害判決は翌年の一月ですからね。全く同じ理論が展開されておる。
私が申し上げるのは、
昭和五十九年五月二十九日のいわゆる長良川・墨俣水害訴訟の判決の
関係であります。もちろん改めて断っておきますが、この判決がいいか悪いかということを申し上げているのではありませんよ。この協議会があった後です。同じ水害での訴訟が起きたいわゆる長良川・安八水害訴訟、これが一審原告勝訴、
被害者の方です。ところがこの墨俣水害訴訟は、同じ岐阜地方
裁判所の判決であるけれ
ども全然違う判決だというので、当否はともかくとして、いろいろ
社会的にも大きな問題になった判決であります。
それで、この審理をしたし、それから判決を言い渡しをされた岐阜地方
裁判所のそのときの
裁判長は渡辺剛男とおっしゃる方であります。私は、これは想像でありますが、恐らくこの
昭和五十八年十二月二日の協議会にこの渡辺
判事も出席をされておっていろいろメモをおとりになったのではないか。
まず第一に、この判決の「理由」のところでありますが、「理由」の第二の「河川管理の瑕疵に関する主位的主張について」、そのうちの二の一の「工事実施基本計画及び計画高水位の意義」の目のところで、「河川の管理については、道路その他の営造物の管理とは異なる特質及びそれに基づく諸制約が存するのであって、」云々と言って、「すなわち、河川は、本来自然発生的な公共用物であって、もともと洪水等の自然的原因による災害をもたらす危険性を内包しているものであるから、河川の管理は、当初から人工的に安全性を備えた物として
設置される道路その他の営造物とは性質を異にし、本来的にかかる災害発生の危険性をはらむ河川を対象として管理者による公用開始のための特別の行為を要することなく開始されるのが
通常であって、」そして、「堤防の安全性を高めるなどの治水事業を行うことによって達成されていくことが当初から予定されているものということができる。」こういうくだりがあるのです。
私は、それぞれの一つ一つの言い分の項目を見ますと、全くこれは、先ほどの協議会の資料として出された中の二十四ページにあるのですが、「そもそも河川については天然のままで営造物といえるかどうかについて争いがあり、これを肯定するとしても、河川の特性、すなわち、道路はそれを
設置することにより危険が発生するものであるから、その対応
措置を講じた上で管理を開始することができるが、河川は本来危険を内包したままの状態で管理を開始せざるを得ないのであり、河川管理はこれを逐次安全なものにしていく過程であること、」こういうような言い方、これは一つ一つ項目別に言っておられるのをやると完全に一致するのですよ。これでまた私は愕然としたわけであります。
それと、「瑕疵の
推定の要件」という項目が同じ「河川管理の瑕疵に関する主位的主張について」というところの
判断であるのですが、ここでも同じような
判断をしておられるのです。この判決は「
一般に構造物がその設計外力以下の外力に耐えられなかった場合、当該構造物に欠陥が内在することによるものと事実上
推定し得ることは明らかであるところ、」「計画高水位以下の水位の洪水の
通常の作用により破堤した場合には、反証のない限り、古事実から河川の管理に瑕疵があったことを事実上
推定し得るものというべきである。」こういうような言い方ですね。これは、この協議をまとめた「執務資料」によりますと、「次に、内在欠陥型については、設計外力以下の流量の洪水で破堤又はいつ水したときは、そのことからかしを事実上
推定してもよいであろう。」こうなっておるわけですよ。先ほど私が読んだ判決の文章と全く一緒なんです。
だから、私はこういうふうに影響されているというふうにしか思えないわけです。そして、結局この判決は、まだ河川の改修が全部完了してないということでもって
被害者側の原告の請求を棄却しておられるわけです。その
関係は、判決は財政的な事情とかなんとかかんとかからまだ未完成であるからといって責任を問うわけにはいかぬ、こう言っておみえになるわけですが、「執務資料」の
関係でいくと、先ほど言いましたように、財政的な制約を肯定すべきである、肯定したい、こう言っておられるわけですね。だから、そういうことがこうやってあらわれてきているというふうに私は思わざるを得ない。となると、そんなことはないとおっしゃりたいに決まっておるのですが、この協議、民事局の意見というものが現実に
裁判官の審理の内容、そしてその結論である判決に影響を与えているのではないかという疑いを持たざるを得ぬと思うのですが、この点どういうふうにお考えですか。