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1987-11-10 第110回国会 衆議院 本会議 第2号
公式Web版
会議録情報
0
昭和
六十二年十一月十日(火曜日) ――
―――――――――――
議事日程
第二号
昭和
六十二年十一月十日 午後一時
開議
第一
常任委員長
の
選挙
――
―――――――――――
○本日の
会議
に付した案件
内閣
、
地方行政
、
法務
、
外務
、
大蔵
、
文教
、社
会労働
、
農林水産
、
商工
、
運輸
、
逓信
、建 設、
科学技術
、
環境
、
予算
、
決算
及び
懲罰
の 各
常任委員長辞任
の件
議院運営委員長外
十七
常任委員長
の
選挙
土地問題及び
国土
の
利用
に関する
対策
を樹立す るため
委員
四十人よりなる
土地問題等
に関す る
特別委員会
を
設置
するの件(
議長発議
)
原子力委員会委員任命
につき
事後承認
を求める の件
井上泉
君の故
議員大西正男
君に対する
追悼演説
午後一時二分
開議
原健三郎
1
○
議長
(
原健三郎
君) これより
会議
を開きます。 ――
――◇―――――
常任委員長辞任
の件
原健三郎
2
○
議長
(
原健三郎
君)
常任委員長辞任
の件につきお諮りいたします。
内閣委員長石川要三
君、
地方行政委員長石橋一弥
君、
法務委員長大塚雄司
君、
外務委員長山口敏夫
君、
大蔵委員長池田行彦
君、
文教委員長愛知和男
君、
社会労働委員長堀内光雄
君、
農林水産委員長玉沢徳一郎
君、
商工委員長佐藤信二
君、
運輸委員長鹿野道彦
君、
逓信委員長深谷隆司
君、
建設委員長村岡
兼造君、
科学技術委員長原田昇左右
君、
環境委員長林
大幹君、
予算委員長砂田重民
君、
決算委員長堀之内久男
君及び
懲罰委員長天野公義
君から、それぞれ
常任委員長
を辞任いたしたいとの
申し出
があります。これを許可するに御
異議
はございませんか。 〔「
異議
なし」と呼ぶ者あり〕
原健三郎
3
○
議長
(
原健三郎
君) 御
異議
なしと認めます。よって、許可するに決しました。 ――
――◇―――――
常任委員長
の
選挙
原健三郎
4
○
議長
(
原健三郎
君) つきましては、
内閣委員長外
十六
常任委員長
の
選挙
を行うのでありますが、既に
議院運営委員長
が欠員となっておりますので、この際、
議院運営委員長外
十七
常任委員長
の
選挙
を行います。
谷垣禎一
5
○
谷垣禎一
君 各
常任委員長
の
選挙
は、その手続を省略して、
議長
において指名されることを望みます。
原健三郎
6
○
議長
(
原健三郎
君)
谷垣禎一
君の
動議
に御
異議
はございませんか。 〔「
異議
なし」と呼ぶ者あり〕
原健三郎
7
○
議長
(
原健三郎
君) 御
異議
なしと認めます。よって、
動議
のとおり決しました。
議長
は、各
常任委員長
を指名いたします。
議院運営委員長
三塚 博君 〔
拍手
〕
内閣委員長
竹中 修一君 〔
拍手
〕
地方行政委員長
松本 十郎君 〔
拍手
〕
法務委員長
相沢 英之君 〔
拍手
〕
外務委員長
糸山英太郎君 〔
拍手
〕
大蔵委員長
越智 通雄君 〔
拍手
〕
文教委員長
中村
靖君 〔
拍手
〕
社会労働委員長
稲垣 実男君 〔
拍手
〕
農林水産委員長
菊池福治郎
君 〔
拍手
〕
商工委員長
渡辺
秀央君 〔
拍手
〕
運輸委員長
関谷
勝嗣君
〔
拍手
〕
逓信委員長
塚原 俊平君 〔
拍手
〕
建設委員長
中村喜四郎
君 〔
拍手
〕
科学技術委員長
大坪健一郎
君 〔
拍手
〕
環境委員長
吹田 愰君 〔
拍手
〕
予算委員長
浜田 幸一君 〔
拍手
〕
決算委員長
野中 英二君 〔
拍手
〕
懲罰委員長
渡辺
栄一君 〔
拍手
〕 ――
――◇―――――
特別委員会設置
の件
原健三郎
8
○
議長
(
原健三郎
君)
特別委員会
の
設置
につきお諮りいたします。 土地問題及び
国土
の
利用
に関する
対策
を樹立するため
委員
四十人よりなる
土地問題等
に関する
特別委員会
を
設置
いたしたいと存じます。これに御
異議
はございませんか。 〔「
異議
なし」と呼ぶ者あり〕
原健三郎
9
○
議長
(
原健三郎
君) 御
異議
なしと認めます。よって、そのとおり決しました。 ただいま議決されました
特別委員会
の
委員
は追って指名いたします。 ――
――◇―――――
原子力委員会委員任命
につき
事後承認
を求めるの件
原健三郎
10
○
議長
(
原健三郎
君) お諮りいたします。
内閣
から、
原子力委員会委員
に中江要介君を任命したので、
事後
の
承認
を得たいとの
申し出
があります。
右申し出
のとおり
事後
の
承認
を与えるに
賛成
の
諸君
の
起立
を求めます。 〔
賛成者起立
〕
原健三郎
11
○
議長
(
原健三郎
君)
起立
多数。よって、
承認
を与えるに決しました。 ――
――◇―――――
原健三郎
12
○
議長
(
原健三郎
君) 御報告いたすことがあります。
議員大西正男
君は、去る九月十八日逝去されました。まことに
哀悼痛惜
の
至り
にたえません。
同君
に対する
弔詞
は、
議長
において去る十月十三日贈呈いたしました。これを朗読いたします。 〔
総員起立
〕
衆議院
は 多年
憲政
のために尽力し
さき
に
地方行政委員長
の
要職
につき また
国務大臣
の
重任
にあたられた
議員
正三位
勲一等大西正男
君の
長逝
を
哀悼
し つつしんで
弔詞
をささげます ――
―――――――――――
故
議員大西正男
君に対する
追悼演説
原健三郎
13
○
議長
(
原健三郎
君) この際、弔意を表するため、
井上泉
君から発言を求められております。これを許します。
井上泉
君。 〔
井上泉
君登壇〕
井上泉
14
○
井上泉
君 ただいま
議長
から御報告のありましたとおり、
大西正男
君は、去る九月十八日逝去されました。 私と
大西先生
は、
主義主張
こそ異にしておりましたが、私は、
先生
の誠実な
政治姿勢
に常日ごろから心服し、また尊敬するライバルとして
選挙戦
を戦ってまいりました。しかも、
高知
県
選出国会議員
は、その代表を豊かな
識見
と遠大な
洞察力
を備えた
先生
にお願いし、ともに
郷里土佐
の発展のため協力し合い、尽瘁してきたところであります。 その
先生
の突然の訃報に接した私は、立派な体格で、しかも
健康そのもの
であられた
先生
がと、ただただ驚愕し、茫然自失するばかりでありました。いかに天命とは申せ、痛恨の情ひとしお深いものを覚えずにはおられません。 ここに、私は、
諸君
の御同意を得て、
議員一同
を代表し、謹んで
哀悼
の
言葉
を申し述べたいと存じます。(
拍手
)
先生
は、かつて本
院議員
にもなられた
弁護士大西正幹先生
のただ一人の御子息として、明治四十三年十月
高知
市でお生まれになりました。
先生
は、幼少より俊英の誉れ高く、長じて
県立城東中学校
の四年を修了して、
旧制高知高等学校
に合格され、さらに
東京帝国大学法学部
に進まれたのであります。
先生
は、単に学業に秀でたばかりでなく、スポーツも万能であり、とりわけ
水泳
には目をみはるものがありました。
先生
は、
少年時代
から、生家の近くを流れる鏡川で、毎日夕方遅くなるまで
水泳
に励んでおられました。 やがて、
高知高校
三年の夏には、
全国高等学校水泳大会
に主将として出場され、百メートル自由形で一分四秒六の
高校記録
を樹立されました。また同時に、母校に二年
連続優勝
の栄誉をもたらす原動力となられためであります。(
拍手
)「
高知高校水泳部
に
大西
あり」と、その名を
全国
にとどろかせたのであります。
東京帝国大学
を卒業された
先生
は、
昭和
十二年
司法省
に入省され、やがて検事として活躍されました。この間、
先生
は三たび、通算四年有余にわたり軍務に服されました。 我が国の敗戦を機に、
先生
は
司法省
を退職され、
昭和
二十一年
郷里高知
市において
弁護士
を開業し、戦後の混乱と疲弊の中で市民のために献身されました。 しかしながら、
昭和
二十一年、戦後初めて行われた第二十二回
衆議院議員
総
選挙
に、
郷党
の推挙ど
先輩有志
の強い要請もだしがたく
高知
県全県区から立候補されましたが、善戦むなしく次点で苦杯を喫しました。しかし、捲土重来を期された
先生
は、
昭和
二十四年に行われた第二十四回総
選挙
において
見事当選
を果たされ、本
院議員
の栄冠を獲得されたのであります。(
拍手
) 本
院議員
として一期活躍された後、
弁護士業
に専念されつつ、
高知
県の
地方労働委員会会長
、
高知
大学
の
労働法
の講師にも当たっておられましたが、
先生
は、
昭和
三十八年に再び本
院議員
として復帰され、当選すること前後九何、
在職
二十四年九カ月の長きにわたって国政に尽力されました。 本
院議員
として、
先生
は、
地方行政
、
運輸
、
予算
、
災害対策
など各種の
常任委員会
や
特別委員会
の理事を歴任され、
昭和
五十年には
地方行政委員長
の
要職
に就任されました。
地方行政
を
民主主義
の根幹と位置づけておられた
先生
は、誠実にして公平無私な
委員会運営
を行い、
与野党委員
のひとしく敬服するところでありました。
昭和
五十四年に第二次
大平内閣
の
郵政大臣
に任ぜられた
先生
は、就任後、旬日を
経ずし
て、来るべき
高齢化社会
にふさわしい新たな
郵便年金制度
の創設に意欲を燃やされ、みずから先頭に立って
関係方面
との折衝に当たり、持ち前の
行政手腕
をもってその実現への基礎を築かれたのであります。 また、
先生
は、
衛星放送
の分野においても大きな
功績
を残されました。今日、NHKの
衛星試験放送
を通じて、広く世界の報道と
文化
を茶の間で享受できるようになりましたが、これはたれよりも
放送衛星
の
重要性
、
技術開発
の
緊急性
を強く指摘され、卓越した
洞察力
によってその
開発
に着手し、これを強力に推進された
先生
の御尽力によるものと申しても決して過言ではありません。(
拍手
) 党にあっては、
人事局長
、副
幹事長
、
議員総会会長等
を歴任され、党の
重要施策
の立案、決定に大きな役割を担われました。 また、郷土の
後進性
からの脱却を図るため、
高速自動車国道建設促進
、宿毛湾港の
重要港湾
への昇格、
高知
空港の整備など、陸、海、空の
交通基盤
の
促進
に心血を注がれ、さらに、県下の無医村に心を痛められた
先生
は、
医科大学
を誘致すべく夜を日に継いで奔走され、ついに
高知
医科大学
の創立として実を結び、県民の医療に対する不安を解消されたことも
先生
の特筆すべき
功績
と申せましょう。(
拍手
)
大西先生
は、
政治家
として、これら幾多の
功績
を残されながらも、「
国会議員
である自分は単にお手伝いをしただけにすぎない」とあくまでも謙虚な態度で終始され、決してみずからを誇示される方ではありませんでした。そのため、
支援者
をして、「
大西先生
の
仕事ぶり
に比較して
選挙
が楽にならない」と嘆かせたものであります。この逸話こそ、
手柄話
を好ます、ただ黙々として世のため人のために尽くされた
先生
のお
人柄
を如実に物語っているものと申せましょう。(
拍手
) 「百術は一誠にしかず」を
生活信条
としておられた
先生
は、人に接し、事を処するに誠の一字を糧とし、勇気を鋼として、一たん決断すれば何事にもめげず、じゅんじゅんと事の道理を説かれ、所期の目的を貫徹されたのであります。
さき
に申し述べましたように、
高校時代
には競泳で輝かしい
学生記録
を樹立しながらも、
大学
では勉強に力を入れるからと言われ、
先輩
の百術を尽くしての
水泳部入部
の誘いをきっぱりと断られたのであります。これは
先生
が若いころよりいかにおのれを厳しく律しておられたかを物語る証左でありましょう。 このように、権謀術数とは全く無縁な、清廉潔白かつ高邁な
人格者
であられた
先生
が、本院に設立された
政治倫理審査会
の
委員
に選ばれ、再度、
裁判官訴追委員会委員長
に推挙されたのも、けだし当然のことと言えましょう。(
拍手
) その反面、感性豊かな
先生
は、俳句や書道を趣味とされ、また軽妙洒脱な文章を物にする方でもありました。
先生
は、
昭和
三十四年に
欧米各国
を遊歴された折、その見聞をもとにして書き記された
随筆集
「壁の幻想」は、戦後
高知
県で出版された多くの書物の中でも異色あるものとして絶賛され、
昭和
三十五年度の
高知
県
出版文化賞
を受賞されたのであります。 また、
先生
は、名望蒙に生まれながらも、料亭よりもむしろ屋台を好まれ、微醺を帯びて興に乗れば「
知床旅情
」や「
人生劇場
」を口ずさむ庶民的な
政治家
でもありました。しかし、その
先生
の哀愁に満ちた歌声を拝聴することはもはやかなわぬ願いとなりました。この
寂蓼
何をもって補うべきでしょうか。
さき
に私が
先生
とお会いしました際、「
大西
さん、あなたは間もなく永年
在職議員
になられますね」と話しかけると、「いや、
郷党
や皆様の御
支援
によるたまものでして」と口元を恥じらうようにほころばせておられた
先生
のそのお姿は、今この議場にお見受けすることはできません。永年
在職議員
の表彰を目前にし、また有為半ばにして急逝せられた
先生
の御心中を察するとき、まことに無念のきわみでございます。 「
萬戸
ことごとく春に違う」、すなわち、国民の一人一人まで、みんなが豊かに楽しく過ごせる
社会
を実現することが
先生
の念願でありました。今内外に解決すべき
重要課題
が山積するとき、豊かな
識見
と温かい
人間性
を備えられた
政治家
、
大西正男先生
を失いましたことは、
自由民主党
はもとより、本院にとっても、国家にとっても大きな損失であり、惜しみても余りあるものがあります。(
拍手
) 去る九月二十日
郷里
でしめやかに営まれた御葬儀には、
内閣総理大臣代理
としての
総務庁長官
を初め、河本前国務相、同僚の
国会議員
、
全国各界各層
から多数の
参列者
の焼香の列が陸続として引きも切らず、
大西先生
への支持と信頼の大きさを改めて世に示したのであります。
大西正男先生
の精神は、その名とともに、土佐湾の白浜に強く高らかに打ち寄せる太平洋の波の音のように永遠不滅のものでありましょう。(
拍手
) ここに、謹んで
大西正男先生
の生前の御
功績
をたたえ、そのお
人柄
をしのび、重ねて心から御冥福をお祈りいたしまして、
追悼
の
言葉
といたします。(
拍手
) ――
――◇―――――
原健三郎
15
○
議長
(
原健三郎
君) 御報告いたすことがあります。 永年
在職議員
として表彰された元
議員西村英一
君は、去る九月十五日逝去されました。まことに
哀悼痛惜
の
至り
にたえません。
同君
に対する
弔詞
は、
議長
において去る十月一日贈呈いたしました。これを朗読いたします。 〔
総員起立
〕
衆議院
は 多年
憲政
のために尽力し 特に院議をもってその功労を表彰され
さき
に
建設委員長地方行政委員長
の
要職
につき またしばしば
国務大臣
の
重任
にあたられ終始
政党政治
の進展につとめられた元
自由民主党
副総裁前
衆議院議員従二位勲一等西村英一
君の
長逝
を
哀悼
し つつしんで
弔詞
をささげます ――
――◇―――――
原健三郎
16
○
議長
(
原健三郎
君) 本日は、これにて散会いたします。 午後一時二十四分散会 ――
――◇―――――