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参考人(
中野貞一郎君) ただいま御紹介をいただきました
中野貞一郎でございます。
大学で
民事訴訟法の研究をいたしておりますので、昨年の
簡易裁判所の
適正配置に関する法制審議会
司法制度部会の審議及び
答申に参加させていただき、それを踏まえまして、現在、皆様御審議中の
下級裁判所の
設立及び
管轄区域に関する
法律の一部を
改正する
法律案につきまして、いささかの私見を申し述べさせていただきます。
最初に申し上げたいと思いますのは、
簡易裁判所の
適正配置の必然性でございます。
申すまでもなく、
裁判所も社会機構の一環でありまして、社会の
変化、進展と歩調を合わせて進むべきものでございます。
簡易裁判所は御
承知のとおり、
昭和二十二年、戦後間もなくの
司法改革によって新しく設けられました
最下級審の
裁判所でございまして、その
配置に当たりましては、新憲法の令状主義の要諦から警察署の
配置との関連、これが重視されましたほか、当時の
交通事情や
人口分布等が基準にされましたことは当然でございます。その設置後、既に四十年の歳月をけみしまして、その間に社会事情は大きく
変化いたしました。
人口は約一・五倍にふえ、しかも
都市部での
増加あるいは郡部での減少というこの二つの相反する
現象、両極化
現象というものが進んでまいりまして、他面では鉄道・バス路線、道路網の発達、整備、それに加えまして、当時何人も予想しなかったような自動車保有台数の激増、日常的
交通手段としての車の利用、こういったものが大幅に
交通事情を改善、変容してまいりました。これらは
簡裁に提起されます
事件にいろいろな影響を与えたのであります。
行政にありましては、行政区画の広域化でありますとかあるいは警察組織の改変によりましてこういう社会事情の
変化に対応してまいりましたけれども、ひとり
裁判所はこの動きの中に取り残されてまいりました。
現在、ここで御審議いただいておりますこの
下級裁判所の
設立及び
管轄区域に関する
法律の一部
改正というのは、何よりも
簡裁発足当時の
配置の基礎になった客観的な事情変更ということに合わせる、アジャストするということから出てきているわけでございまして、この
改正はいつかは必ずなされなければならなかった、本来ならばもっと早く出てきてしかるべきものであったと思われるのであります。
ほかの国の例をとりましても、例えば、ドゴールの
訴訟改革は一九五八年でございますが、これはそれまでの治安
裁判所が約二千近くあったものを四百五十五庁の
小審裁判所へ移したと言われておりますが、これは
交通事情の
変化、予算の効率的な利用といった点が基本になっているようでございます。
現在の日本で、これまで取り残されてきた
裁判所改革というものが今動き出したのはなぜかということでございますけれども、これは二面の理由があるということでございます。
一つは、当初
配置の不合理が顕在化してどうにもならなくなった、こういうことであります。現在、
裁判官を常置させることができない、
事件数が少ない
簡易裁判所が全国で百四十庁に上っておるわけであります。
裁判所を置く以上は
事件の受け付け、書類の授受などのために最低限の人員
配置はどうしても不可欠でございますし、庁舎、備品等の整備を要する、こういう非効率的な運営を余儀なくされまして、隔地に赴いてまいります
裁判官や
弁護士の
負担も大きい。これが
簡裁にとどまらず
裁判所全体の合理的運営を妨げてきたというのが実情でございまして、これにもはや耐えられない段階に来ているということが
一つでございます。
もう
一つは、これまで各
参考人も申されましたとおり、最近の
大都市における
簡裁事件の急激な
増加でございます。特に、
昭和五十年代以降の
消費者信用の飛躍的な膨張というものをバックに、例えば、十年前に比べまして三倍以上に当たるような数が出てきている。特に
大都市におきましてはまさに爆発的に膨張しているわけでございまして、現在のまま推移いたしますと、
大都市簡裁は
負担事件の重圧に耐え切れず、機能麻痺に陥るおそれがございます。人員や財政の支出がスムーズにやられるならばその困難は切り抜けられるでありましょうけれども、
裁判所としては、
大都市簡裁の
統合、再編成を急ぐ以外に、差し迫った危惧を脱する道はないと思われるのでございます。
第二の
問題点は、
簡易裁判所の使命、性格から見て、今回の
改正法案のような形で再
配置をすることが妥当なのかどうかという点でございます。
簡易裁判所制度の
発足当時におきましては、
簡易裁判所の
理念として、
国民一般にとって最も身近な親しみやすい
裁判所を設けて、
少額、軽微な
事件を
簡易な
手続で迅速に処理させるいわゆる民衆
裁判所である、駆け込み
裁判所である、これを全国津々浦々に設けるのだということがうたわれたのでありますが、今回のように
簡易裁判所を大幅に
整理統合するというのは、この
理念に逆行するものではないかという疑問が出されているわけでございます。
この点につきましては、私は次の三点を指摘したいと思うわけでございます。
第一は、駆け込み
裁判所ということが、
裁判所をどんどん利用できる、
裁判所へのいわゆるアクセスということを言うのであれば、それは
裁判所への場所的、物理的な
距離の問題ではないはずでございまして、むしろ、実効的な権利保護が受けられることのたやすさというものが問題になるはずでございます。
裁判官がいない、月に四回あるいは二回というようなテンポでしかやってこない。あるいは
事件の受け付けのために必要な最低限の
職員さえもそろわないいわゆる二人庁というようなものが現在四十五庁もある。あるいは全部事務を移転してしまった庁もある。こういう
状況でございまして、現在の
配置のままの
簡裁すべてにおいて万全の体制を維持することはできない。多少遠くても
裁判官の常駐する設備の整った
裁判所で迅速な
裁判を受ける、あるいは
弁護士さんが
独立簡裁のある地域にほとんどおられないということも事実でございまして、
弁護士さんの受任を得て実効的な権利保護が受けられるという状態を確保しなければならない、こういうことであります。
第二は、
簡易裁判所の役割、これは駆け込み
裁判所としてだけつくられたものではなく、同時に、
地方裁判所と並んで第一審の管轄を分担する
裁判所だという点でございます。
殊に、
刑事では微罪
事件は
裁判所に参りませんから、
簡易裁判所は当然
小型地裁の性格を持たざるを得ない、こういうことでありまして、三審制度のほかに駆け込み
裁判所があるわけではなく、
簡易裁判所はれっきとした三審制度の
最下級審裁判所として
地方裁判所と並ぶものであるわけでございます。これは
江藤参考人も既に詳しく申されたとおりでございます。
第三は、駆け込み
裁判所という
理念は、アメリカ占領下におきましてアメリカの
少額裁判所、スモール・クレームズ・コートを
一つのモデルにしたものでございます。しかし、
紛争があれば直ちに
裁判所に駆け込むという発想は、もともと日本社会に異質なものでございます。法というものが機能いたしますのは、特に文化、伝統を異にする
国民が共存しているところでは法が唯一の基準になるわけでありまして、社会の
紛争を
一つの統一基準で裁こうとすれば、それは法しかないということであります。アメリカにおきまして
裁判所が非常によく利用されているのはそのことが根本の理由でございます。
最近も、ミノルタという会社がアメリカで訴えられたという記事が新聞に出ておりましたが、現在、日本の大きな自動車会社は、それぞれ三ケタ以上の
訴訟事件をアメリカで持っているというようなことが言われています。これはアメリカの
国民が、
国民生活の中で隣人とのトラブルでもあるいは親子のトラブルでも
裁判所に持ち込むと同じように、企業におきましても、企業のビジネス手断として、あるいは企業の戦略として
訴訟を利用するということが社会の
一つの風潮なんでございまして、こういった点にアメリカ社会の特徴がある。単一民族で
一つの共通のモラル、倫理、礼儀、こういったもので支配されております社会におきましては、法は真っ先に出てくることはないんでありまして、これは日本だけではなく、韓国におきましても、あるいは中国におきましてもそうなんです。
簡裁が駆け込み
裁判所として成長してこなかった基盤は、日本社会の特質にある。日本には日本に合った
紛争解決制度として、調停とかあるいは新しい
少額裁判というものが利用されなければならない、こういうことでございます。
最後に、
改正案の評価、将来への展望ということでございます。
確かに、これまで四十年にわたって存在してまいりました
簡易裁判所が、他の
簡易裁判所に
統合される、廃止されるというのは、その地域住民にとりましては何といっても不便なことであり、どんなへんぴなところにおきましてもそこに
裁判所があるということが周辺住民の法意識を高め、あるいは
紛争解決の役に立つということはもちろん否定できません。しかし、
裁判所は国家の
裁判所として限られた人員、施設、予算の
範囲内で運用されなければならないわけでございまして、この限られた人員や予算をできるだけ効率的に配分して、できるだけ
充実した機能を果たしてもらうということが必要であります。四十年の実績、
人口動態、
交通事情の推移というものを考慮して今回再
配置が行われますのは当然であり、
一つの必然でしかない。そして、
統合されました
配置のもとで人的、物的に
充実された形で
簡裁の機能を確保し、向上させるということが目標とならなければならないということであります。
今次の
改正案が基本にしております
事件数と所要時間をもとにした立案の形式でございますが、これは私は妥当なものだと思うわけであります。
年間の
事件数、
民事訴訟、
刑事訴訟、調停
事件、これを合わせて百件というのは、全
簡裁の
裁判官一人当たりの平均件数の三分の一を割っているわけでございますし、また、
統合される
裁判所までの所要時間一時間という基準も、社会通念上、
裁判所の利用に当たりましてその
程度の
負担は当然許されるであろう、極めて常識的な、
国民の納得を得やすい基準と思われるわけでございます。
答申の出しました数から
改正案では四十八庁
独立簡裁が減っているわけでありますが、これは
答申案が全国的に公平な形で行われるように実施基準を出したのに対しまして、各
簡裁の個別事情、地域の実態に即して修正したものでございまして、その間の
裁判所、
弁護士会、各地の自治体等が払われました絶大な努力に敬意を表したいと思うわけであります。
このように、四十年近く手がつけられていなかった
裁判所制度の見直しという今回の
改正は、対象を
簡裁の
適正配置ということに限定しておりますけれども、これは
簡裁の
適正配置にとどまるものではなく、広く
裁判所の機能の
充実、改善の大きなきっかけになると思われるのでございます。
大都市簡裁における今後の、例えば、専門部制を導入するとか・あるいはコンピューターを導入して能率的に処理する。これは西ドイツにおきましては、一九七六年の
民事訴訟法改正法、いわゆる簡素化法というものによりまして
法律を
改正いたしましてコンピューターの導入を許したわけでございまして、これによりまして大量の督促
事件というものが極めて迅速に処理されるようになっているわけであります。このような
措置は、今後の日本におきましてもやがてはぜひ必要なことでございます。
また、この
簡易裁判所の
充実を
契機に、各
参考人も申されましたように、一般の
少額請求
事件をくみ上げて日本の
紛争解決として適当な
手続を新しく探し求めまして、あるいは調停制度の
充実した利用によりまして解決を図っていく、あるいは
簡裁のなくなったところへの出張調停あるいは出張審判を考える、こういった
措置が今考えられているようでございますけれども、それはぜひとも今後の課題として逐次実現されていかなければならない。あるいは
簡易裁判所に併置されておりました家庭
裁判所支部の
統廃合の問題、あるいは地裁の
支部の設置の見直しなど、今後、
簡裁の
適正配置をきっかけとして多くの課題が次々に解決されていくということを切に希望し、そのための努力を期待したい、こういうふうに考えるわけでございます。
以上の次第で、今次の
改正案に対しましてその
成立を切に希望し期待するものでございます。
どうもありがとうございました。