○高桑栄松君 受験
機会の多数化というのは入学
機会の多数化ではないと僕は申し上げましたが、今の同時に、同時にじゃないな、二つの
学校を一遍に受けられる——今まではどちらかだったわけですね。共通一次が済んだらあとはどちらかだったわけだ。その人の勝負にかけたわけだ。今度は両方受けられるとすると、大学の序列化は明快に出てくるわけですね、今度は。だから私は、大学の序列化ということは偏差値なんですよ。偏差値のいい人がいい
学校に入るということだ。ですから、偏差値をここで解決をしないで受験の
機会みたいなことだけをやっているから、偏差値で、一点足りなかった人はAには入られない。しかし、AもBも入ったらいい方に行きたい、こうなるわけだ。それ、全部もうはっきり。そうすると、仮に
学校の格差があれば、両方入ったらもうBは捨てるわけですよ。そうすると、関西の某々大学は全部いなくなるかもしれないわけだ。そういうことになるわけですよね。
ですから、とれによる期待というのは、私がさっき言った大学入試のラジカルな変更がないのではないのか。つまり、
問題点は偏差値輪切りなんだから、そして我々は遠い遠い過ぎ去ったことだから、うまくいったからよかったとは思っていますけれ
ども、やっぱり僕らのときも一点を争ったことは間違いない。しかし、一点違ったからこの大学に入れた。たった一点違ったから、例えば
英語の定冠詞theをつけたかつけないかでこっちは落ちた。これだけの違いでもう全く人生が違うわけだ。
人間がそんなに差があるんだろうかというところが私は入試の問題だと思うんです。
ですから、これからは
大臣のいい知恵があればというところを少しだけ、まあいい知恵かどうか知りませんが、御参考に。
それは、私が前に申し上げた、松永さんのころから申し上げたハードル論なんです。一点を争うから偏差値というもののいい人が絶対いい方へ行く。したがって、幾つも受けさせてくれたらいい人だけがどこかに入れる。悪い人は絶対入れない。それだけ
人間の差があるのか。私はそんな差があってたまるかと
思いますね。たった一点で違うんです。私は試験の
委員長もしたことがあるんですが、一点違うとそこで何人か違ってくるんです。一点少なくしてやればどうなる。もう十人ぐらい違ってくるわけだ、すぐ。それで及落が決まることの方がかわいそうなわけです。ですからボーダーライン、ボーダーラインじゃないな、そのちょうど合格圏内プラスマイナス何点かの間は、もうその能力において変わりないですよ。それを一点で切るから偏差値輪切り。その一点を多く取るための技術、これが塾なわけだ。だからそこに受験産業というものが栄えてくるわけです。だから、
学校の
先生は多分平均値で、しかもできない子を何とか引き上げ。ようとして
努力しているから、できる子の方は余り構われない。できる子が塾に行ったらどんどん進んでいける。こういう複式みたいなやり方があるんだろうと思うんです。まあ私よく知らないんですけれ
どもね、塾というのは行ったことないからわからないですけれ
ども、そうじゃないかなと思うんですよね。
ですから、今大学入試だけで、後は
高等学校も同じようなことを応用問題で
考えてもらうわけですが、今大学入試というのは、
学校教育の一応の終点は大学なんだから、そうすると、大学に入るために小中高があるように今やっているわけだ。それはまあ現実の問題ですよね。そして、大学にみんな入りたい。しかし、大学で授業を受ける基礎学力は、
一定の学力ない人はだめなんだから、これはもう私も大学の教授しておりまして、だめな者は入ったってだめなんです。しかし、
努力もしないで、一点差だけで入ったのでいいのかということになるわけだ。入ってもだめなやつがいっぱいいるわけです。落第が出てきます。落ちたのですばらしくできるのがいると思うんです。ですから、その辺が問題なので、一点を争って加算をするから塾が栄え、偏差値がはっきりしてきて、その一点でとるから某A大学とB大学との差がはっきりしている。だから、受験
機会を幾ら与えても、偏差値で一点すぐれた人がそっちへ行く。これで
人間の生涯の序列が決められては本当に大変だと
思います。
しかも、
日本の一点を争う入試というのは、模範解答を要求しているんですよね。模範解答なんです。それ以外の解答を書いた人はだめにするんだ。ですから、模範解答だけを要求されるから、模範生だけが入ってくる。そして大学の場合、
一定の偏差値だけの人というと、ある
一定の方向を持ったような人だけしか入ってこないわけですね。それこそ多様な学生は入ってきません。ですから、多様な学生が入らない大学で、
一定の同じようなレベルの
人間だけが勉強していると、同じような
人間、カラーが生まれてくるのではないか。これは個の確立からはほど遠いんですね。やっぱり
日本はどうも集団指向だと思うんです。個の確立という
言葉も今度の最終答申にちゃんと入りましたよね。御存じですか。いや、本当に入って、私はああよかったなと、やっぱり数十遍言ったら一遍ぐらい入るようになる。最終答申第一章3、「
教育の基本的在り方」の(2)に、「個の確立」という
言葉が出てきているんですが、この個の確立のない
教育というのは国際化にはなりません。どこ行っても同じ返事するのは
日本人かどうか知らぬが、国際的に通用しない。だから、
我が国は国際化の中ではどれくらいおくれているのかなと。これは非常に重要だと思うんです、テンポ速いですから。
ジャパンバッシングというのがあるわけでしょう。これは貿易のバッシングですね。間もなくオリジナルティーバッシングがやってきますから。学間のオリジナルティーを主張する。これにちょっとでもひっかかったらバッシングが来る。これはもう何だかに書いてあった。次にやってくるのは貿易ではない、学問のプライオリティーをだれが主張するか。
日本のような模倣先進国はもうだめです。これはシリコンバレーでもう出てきたんですけれ
どもね。シリコンバレーでもうオリジナリティーはアメリカなんだと言われて、もう大変な
日本は落とし前みたいのを取られた。今度の問題も何かそうらしいですよ。きのうのテレビで、
日本は落とし前が取れるからおどした、バッシングしたら落とし前出したのでね、こういうふうにテレビで言っていましたね。あれは説得力ありましたよ。だけれ
ども、それを言っていたニューヨーク市立大学の
日本人の教授は、やっぱり個の主張がないということを言っているんですよね。個の主張です。個の確立です。なぜ相手にされた東東芝が頑張らないんだ。みんな政府に寄りかかる。そうすると政府は——いや、これはまあ批判になるといけませんからやめます。
個の確立がないから、
教育の中で、私はやっぱり個の確立をするために入試の
改革が要るんです。だから、入試は一点を争う模範解答グループだけを入れるんじゃない。模範解答は六割でいい、例えばですね。ですから、私は共通一次賛成論者なんです。というのは、あれは客観的に点数が出ます。ただ、それの多い方を、一点多いからとるからだめなんで、例えば千点満点で六百点とか、某々大学は八百点とかね。某々大学は五百五十点でいい。それ以上は全部第一ハードルはパス。基礎学力これでよろしい。その上にもう
一つ今度大事なのは、その人が将来自発的学習する能力があるのかないのかなんですね。
日本で言うと、昔、能研テストというのがあったんですよね。例えば能研テストのようなものを使う。あれがいいかどうか私もよくわからないんだけれ
ども、それは
一つの能力テストなんですね。それは将来性を検討するような
問題点が出てくると思うんです。それがもう
一つのハードルになる。つまり、ハードルである程度ふるいにかける。二番日のハードルを何かかけてまた上げる。三番目が今度人物がありますからね。人物はやっぱり、例えば
クラブ活動、勉強ばかりじゃなく、
クラブ活動をちゃんとやっている、それにもかかわらず第一のハードルは通った。ああこれはいいなと。これがA、B、Cあったら、BならB以上をとる。それから社会奉仕ね。やっぱり地域社会
活動をちゃんと
子供のときからやっているというような、社会奉仕
活動なんか、例えば時間で採点することもできると思うんです。大ざっぱにA、B、Cとか分けて、そういうふるいにかけていく。
それからもう
一つは、例えば二次試験というのは、私は、今のようにやっぱり一点を争ってじゃなくて、例えば工学系なら数学の第二なら第二が要るよと。ごく少数の、一、二の最小限度の必要と思われる学科目だけを二次試験していく。これも私は第一はペーパー点数でなくてハードルがいいと思うんです。ですから、ハードルでやって、そして仮に定員の二割を超したとしますか。それ、さっきの
文部省が面倒見ると言った水増しです。それくらいならいいなら、それでやったらいい。そして
学校の中で、最初の一年の半年ぐらいでしっかり試験をして、本当に将来伸びそうもないのを落す。これになりますと、五月病というのはないんです。
私の経験ばかり語って申しわけありませんが、これは
議論ではないのかも知らないと思ってお話ししているんです。私がアメリカへ留学しましたときに、私はやっぱりちゃんとした、相当シビアな競争試験を通って行ったんです。そしてオリエンテーションが六週間あったと申し上げました。行って三日目に試験がありました。いやもうびっくり仰天しましてね。五月病なんてものじゃありませんよ。三日たったらもうすぐ、試験は
英語の試験でございますからね。本当に字引見ながらです。大変でした。試験に次ぐ試験がありましてね。四分の一学期の間、私はスペシャルスチューデントというやつです。つまり登録されていないんです。授業料は取っているんです。その四分の一学期で見込みがなければ落第なんですね。この人はもう単位を取れる学生になれないんです。私は幸い通りましたから、初めてレジストレーションを四分の一学期過ぎたとき
にしてもらって、今までの成果は全部単位に繰り込んで、そして三十何単位取って、私はマスターをもらってきました。それは大変な試験をしますよ。
〔
委員長退席、理事林寛子君着席〕
ですから私は、二割ぐらいをハードルで上げていって、そして基礎学力は六十点なら六十点、能力点数は五十五点なら五十五点、人物はこれとこれとハードルでやって、そしてあるパーセントでプラスパーセントを入れて、一年目で半年ぐらいの間に勝負したらいいです。どうしてもだめなのは次の
学校を受けるために排除する。来年別なところを受けなさいと。これは三年も四年もたってから落第させちゃかわいそうだ。私はそういう基本的な
考えなんです。それで、これが入試の抜本的な
改革ではないのかなといつも思っているんです。今までのものは全部一点加算ですから、一点を争っている。これは偏差値です。これを改定しないで何をいじくってもだめですね。それはもうだめです。それから
大臣言われたように、全員を入学させることはできません。それはキャパシティーだけの問題じゃない、能力の問題があります。ですから能力もテストし、一点も争わないで、しかも一点はちゃんと勉強させてやる。これが入試
改革の私の知恵なんです。
大臣に感想を求めても困るかな。大分長いレクチャーになっちゃいましたけれ
ども。