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政府委員(
畠山襄君) 最初に輸出
契約が結ばれましたのは昭和五十六年ぐらいであったかと思います。それで、五十六年の四月に東芝機械が和光交易の仲介で、そして伊藤忠と一緒になって輸出
契約を
締結したということ、これは後からわかったわけでございますけれ
ども、そういうことになっております。
それで、それに基づきまして五十六年の八月に虚偽の申請をいたしまして、虚偽の申請といいますのは、本来九軸同時制御の工作機械であったわけでございますが、これを二軸しか同時制御ではないというふうに記載をいたしました申請書で、非該当証明を
通産省から取得をいたしたわけでございます。それに基づいてずうっと機械が五十八年にかけて出ていくということになるわけでございます。
その間、もう
一つの五軸というのも五十八年の四月に
契約が
締結をされまして、それも同年九月に九軸機と同様の手口と申しますかやり方で、非該当証明を
通産省から受け取っているわけでございます。私
どもは、輸出承認という行為は、したがっていずれの場合も行っておりません。それから五十九年の六月に、別にプロペラ加工に関するプログラムを無許可で
ソ連に東芝機械が出しております。
以上のことはいずれも非該当証明の点を除きましては後からわかったわけでございますが、六十年の十二月に、そのわかる契機となりました元和光交易の社員、熊谷という人でございますが、これが
ココム議長に密告といいますか、投書といいますか、そういうことをいたしました。それが
外務省から
通産省に公電で参りまして、そして
外務省主宰の
関係五省庁連絡会、
外務、
通産、警察、法務、大蔵でございますが、その連絡会でその状況が報告をされました。それを受けまして当省といたしまして、伊藤忠、東芝機械の担当部長等から十回にわたってヒアリングをやっております。その間、一月には五省庁の連絡会がもう一度ございました。
それで、ヒアリングを行いました際に東芝機械が主張しましたのは、主として次の三点でございます。それは、第一に機械本体は九軸あるんだけれ
ども、同時に制御できるのは二軸でしかない。それから第二点といたしましては、それに附属しております制御装置、NC装置は、これはノルウ
エーのコンダスベルグ社から供給されるものであるけれ
ども、それは二軸用のものでしかないというコンダスベルグ社が出した証明書がある。それから第三点といたしましては、
先ほど五十九年に出したと申し上げましたプログラムでございますが、これも同時二軸用であるということでございました。
通産省といたしましては、例えばそのプログラムにつきまして試験所に検査を依頼して、これが二軸用のものなのか、あるいはそれ以上のものなのかというようなことを調べるとかいろいろやりましたけれ
ども、輸出令に違反するものであるという確証を得られませんものでしたから、六十一年の三月になりまして、
関係五省庁連絡会におきまして不正輸出の疑いの明白な根拠は見出されなかった旨報告をいたしたわけでございます。それを
外務省が
ココム議長に伝えたと、そういうことがまずございました。
それから六十一年の六月に、
米側から
外務省を通じて同様の照会がございましたが、これにつきましては同年の初めに十回にわたるヒアリングを行って、調査結果があるということで回答をいたしております。
ところが六十一年の十二月になりまして、
米国側から本件は
安全保障上重大な懸念があるという
指摘がございまして、それが
外務省を通じて当省にその
指摘がもたらされました。私
どもといたしましては、この投書事件を根拠にする主張であるとすれば、それについては十分な不正輸出の疑いの明白な根拠は見出されなかったので、それ以外に
米側として何か材料を持っているのかということを本年の一月から二月にかけて
米側に問い合わせを行っておりました。三月に若干その問い合わせに答えたような資料が参りまして、私
どもといたしましても、そういう資料も参りましたので本格的に調査をした方がいいということで、本格的な調査を三月の末から四月の初めにかけて
実施をする決意をし、また
実施をしたわけでございます。
それで、
通産省といたしまして、東芝機械、伊藤忠、それから和光交易、こういった会社の人々を集中的に事情聴取をいたしまして、そして追及いたしました結果、東芝機械が本件工作機械の本体が同時九軸というものであるということ、それからそういう自白といいますか、そういう確認を東芝機械から得ることになりまして、その結果を四月半ばに警察に説明をした。それで、二十八日に当省として東芝機械を外為法違反で告発をいたしたわけでございます。この際告発をいたしましたのは、九軸とか五軸のハード自体は時効が成立をいたしておりましたので、最後に出ましたプログラムの無許可輸出の告発をいたしたわけでございます。
それで、五月十五日になりまして、その刑事
手続とは別に行政制裁といたしまして、外為法五十三条に基づく東芝機械の共産圏向け輸出一年間禁止という処分と、伊藤忠に対する三カ月の工作機械の共産圏向け輸出禁止指示という
措置をとりました。
そういうことでまいりまして、その段階では
アメリカは
日本の対応を高く評価いたしまして、
日本政府のとった迅速かつ果断な
措置を評価するという
態度を表明いたしておりました。ところが、だんだん議会がいろいろ貿易
法案等を
審議しております際に、本件もだんだん問題視をしてまいりまして、六月の半ばに、下院でございますが、本件によって生じた損害を
日本から賠償するように国務長官は
交渉しなければいけないというような法律を四百十五対一ですか、圧倒的な多数で可決をするというようなこともありまして、そこへ、さっきちょっと申し上げました五軸の事件というものの調査もそのころ終わりましたのが
新聞に漏れまして、こんなのも別にあったんだというようなことから、米
政府側もやや
態度を硬化させまして事態が非常に深刻なことになってきたわけでございます。
そういうこともありまして、
通産大臣が六月二十三日に談話を
発表されるとか、
外務大臣もコメントを
発表するとか、あるいは六月三十日に
中曽根総理が再発防止策の検討を指示されるとか、そういうことがございました。
他方、
米国では東芝グループあるいはノルウェーのコンダスベルググループ等々、一九八〇年から現在までに違反を起こした
企業に対する制裁、二年間から五年間の輸入禁止などを
内容としますいわゆる東芝制裁
法案が米上院を通過するというようなことも起こったわけでございます。その後、外為法の
改正案等をまとめて
通産大臣が訪米された。まとめてというか、内々まとめまして、そういう再発防止策の説明等に
通産大臣が訪米されたというような経緯と相なっております。