○
福間知之君 ただいまの
説明じゃ具体的にイメージが浮かんでこないんですけれ
ども、私は、ああいう背景があってこういう
法改正もし、
日米の
関係を
考えると、
ココムに一応協力をするという
立場からすれば、よほど必要なときにこの防衛庁の参加というものはこれはやむを得ないのかもしれませんが、実質国内的には私は余り好ましくない、そういうふうに思います。だから、対外的にそういうポーズをとるという必要があるその限りでは、まあこれも問題の運用の仕方ですからよいかと思いますけれ
ども、そんなようなトーンでやっぱり運用をしてもらうことが望ましいというふうに申し上げておきたいと思うんです。
それで、時間も迫ってきましたので、最後に私若干の所見を申し述べて、細々した問題幾つかお聞きをしましたけれ
ども、全般として
考えを申し上げておきたいと思うんです。
今回のこの
法改正が
提出される
契機となったのが、言うまでもなく
東芝機械事件でございましたし、
大臣も
事件解決のために
アメリカへ訪問されたり努力をしてこられたわけであります。しかし、今回の
法改正にいわゆる
安全保障条項が盛られたことに見られますように、事柄は、
我が国が
ココム体制を国内法的にも明文する形で是認するかどうかという一国の将来の命運を左右する重大な内容を含んでいると思うわけであります。このような重大な問題を、
アメリカで
東芝機械事件が問題になったということで急ぎ
法改正を行おうということで、しかもただいまの国会は臨時国会でございますので、スピード
審議がどうしても必要だということで出されてしまっているわけであります。こういうふうな泥縄的な
対応というものでは内容は非常に重大過ぎる、私はそういうふうに思うところであります。
ところで、私
たち日本の国は、
アメリカの
議会や
政府の動向は一挙手一投足に至るまで
情報機関を通じて報道されております。これらのマスコミの報道は、それが事実であるにしても、多くの場合一面の事実を
指摘するにすぎない。
アメリカ国民の全体像とは必ずしも言えない、先ほ
ども当局も述べられたように、私もそういうふうに思っているわけです。今回の
東芝事件におきまして自由
貿易体制そのものを揺るがしかねないところの包括通商
法案あるいは
東芝制裁条項というものの成立の可能性というあいくちが目の前に突きつけられておりますので、私
たちは大変これは困難を感じでいるわけですけれ
ども、先ほど言ったように、
アメリカ国民全体の意思は必ずしもそうだと思わないということで、今後の取り極みに万全を期していただきたいと思うのであります。
現在、
我が国と
米国の間におきましては、世論
調査などを見ても、
我が国の
国民の反米感情というものがやや高まっておるというふうに感じます。そして、この反米感情の根本には、
貿易摩擦の激化に伴うところの
米国側の激しい
日本たたき、ジャパンバッシングがある。ところで、今日の
状況は、彼我の歴史的な背景の違いやら、あるいはまた当時の
我が国の国力と現在のそれの違いはあるにせよ、かの大正初期に起こりましたカリフォルニア州の排日
法案成立をめぐって吹き荒れた反日あるいは反米のあらしに似通ったものがあるような気がします。
児島襄という作家の「平和の失速」という
記事によりますと、大正当時、
外務省の参
事官でありました、そして後に首相になられたかの幣原喜重郎氏に対しまして、当時の駐米英国大使のJ・ブライスという方が、
アメリカという国は外国に対して不正を働くことがあっても相手の抗議には応じない性癖がある、癖がある。しかしその不正は
米国人自身の発意で矯正されておる。これは
米国の著しい特徴であって、黙ってその時期が来るのを待つのが最も賢明だ、功を急いで紛争を重ねては元も子もないよと幣原さんに忠告されたということであります。
歴史的に見ましても、
米国はその当時の排日
法案のほかにも、古くは西部開拓に伴うインディアン戦争、新しくは戦後のマッカーシー旋風、黒人差別と公民権運動などなどに見られるように、巨大な不正の激しい盛り上がりとそれに対する急激な反省という歴史の大きな振り子を幾たびとなく経験しております。
現在、大幅な
貿易黒字という
我が国の一種の負い目があるとしても、燃え盛っている
アメリカ議会の姿に恐れをなして、
我が国の基本たる国際協調主義、平和主義の原則を揺るがしかねないこの
安保条項を含む
外為法の
改正を早急に進めることは、必ずしもそれが
アメリカの怒りを静めるものになるのかどうか、
我が国の国益にかなったものなのかどうか、慎重に
考える必要があると思うのであります。
本来、したがって、この
法律改正はもう少し時間をかけて
審議をすべきであった。しかし、今置かれている事情からして、私は不十分ながら限られた時間で、だが真剣に国会は議論をして、問題を後にさらに残してでも
対応を急がねばならぬと、こういうふうな心境にあることを申し上げて、私の
質問を終わります。