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保岡委員 戦後四十年
余りに及ぶ
国際交流の
進展、これは
観光目的の往来はもとより、企業の
相互進出、さらには
政治、
経済、学術、
文化などいろいろな
分野において著しいものがあります。一方、こうした
我が国の急激な
国際化ないし
国際交流の
進展に伴って、
我が国の
国際的責任や使命はますます大きくなってまいっておりますし、その反面、さまざまな
緊張が生まれて厳しい
環境にも立たされてきております。その中で、遺憾ながらいろいろな誤解や不信などに基づくトラブルな
ども増加しておりまして、その原因は
外国との
言語、
風俗、
習慣などの相違や、それらに基づく考え方の違いによるものも相当多いと思われます。しかし、我々
日本は、いや応なしに訪れる
国際化の中でこれらの
障害を克服して国際的な
責任を果たし、
名実ともに
国際交流の実を上げて立派な
国際社会の一員となるようにしなければならないのは当然であります。
そこで、さきにも述べたとおり、
国際化が急速に進む中であらゆる
分野で
緊張が広がって、解決すべき問題が質量とも拡大していく中で、
政府も
民間も優秀な
通訳を必要としているはずでありますけれ
ども、その
必要性は満たされているか、
政府や
民間の
通訳の実情や問題を把握することは極めて重要なことであると思います。実は、きょうは時間が
余りありませんので、細かくお伺いすることができませんけれ
ども、いずれはこの問題について深く
検討して
質疑をしたいと思いますので、
政府の
関係者におかれましては、その正確な把握を要望しておきたいと思います。
今述べましたように、
外交関係の
発言、これは常に重要な意義を有しますし、
政府機関の
発言ともなれば、
担当者としての
発言にとどまらないで、
政府、
国家を代表する
発言もあり得るわけであります。
外務省を初め
各省もその必要に応じた
通訳の
養成に努めていることとは思いますが、事の
重要性にかんがみて、
政府全体として統一的に、合理的かつ
目的にかなった
通訳の
養成の
システムと、より正確な
通訳をするための
研究や
マニュアルの
開発などを考えるべきではないかと思います。そういった
意味で、先ほどお話ししたように、
外務省や
各省で
通訳をどのように
養成しているかとか、どのような
研修を行い、またこの
能力の
向上を図っているか、そういうことを伺いたいと思いますが、それが時間の
関係できょうはできないと思いますので、その点については改めて
質問をすることにいたします。
そういった各
役所の
通訳の
必要性というものを、
政府全体として共通する
分野において統一的に
養成していきます。
通訳というのは非常に高い技術というのか
能力を必要とする、ただ
言葉を置きかえればいいというのではありません。例えば、かつて
佐藤総理と
ニクソン大統領との
繊維交渉において
輸出規制をいろいろ話し合ったときに、
佐藤総理が善処します、こういう
日本語を使ったところが、
通訳が
アイ ウイル トライマイベスト、最大の
努力、できるだけの
努力をいたします、そういう
趣旨の訳をしました。
しかし、
佐藤総理にしても、よく
政府の
関係者が善処しますと言うときは、非常に厳しい、難しい
環境にあるときは、できるだけ
努力してやれる
方法がないか考えてみますが、いい
方法が見つからないかもしれませんというようなニュアンスを含めて、消極的な
意味で善処するという
言葉を使う場合も間々あるわけで、どちらかというと、
佐藤総理はそういう
趣旨で使われたのではないかと思われるわけです。これは想像になるわけですが、本来そういうことであれば、
アイ シャル シー ホワット
アイ キャン ドゥーといいますか、何か
自分のできることを
検討してみたいと思いますぐらいに訳すべきところを、先ほどのような積極的な訳をしたために、
相手はそういう訳をした場合には
約束ととるというようなことで、
佐藤総理はその後なかなか
約束を実行しないということで、
アメリカではいろいろこれが非常に不興を買ったというようなことも聞いております。
事ほどさように、先ごろはまた
中曽根総理が
日本を大きな空母にしたいとか何か
日本語で言ったのを、不沈空母というようにしゃれた訳をしたために、これがまた
日本で非常に問題になりました。こういうように、これから非常に
国際化が進み、
緊張も増大していくと、あらゆる
分野で解決すべき問題も続出してくるわけで、
外交面
一つとっても、このように
通訳というものは非常に高い
能力を要します。
大臣の癖までよく知っておって、この人が例えば善処しますと言うときははっきりした
約束だとか、後ろ向きの
発言だとか、そういうことまでよく知っていて
通訳しなければならないとか、いろいろな
背景事情から、いろいろ事前に相当な準備をしたり知識を得たりしてかからなければ、正しい
通訳がなかなかできません。
通訳というのは、そういうふうに心理学的にもまた生理学的にも、例えば
日本語と
英語みたいに非常に構造の違う
通訳をする場合には非常に難しい
メカニズムを持っているので、そういうことの
研究もしなければなりません。また、どういう場合に間違いが生ずるかといういろいろな例もよく
研究しなければなりません。そして、正しい
通訳をするための
マニュアルというか、
方法を
研究していかなければならない、そういう面があるのではないでしょうか。
そういう
研究や、それから
目的にかなった合理的な
通訳の
養成を具体的にやっていく、こういうことは各
省庁ばらばらにやるのではなくて、先ほどお話し申し上げたように
政府全体として取り組んでいく必要があるのではないだろうか、そういうふうに考えますが、これについての
担当の
役所というのはちょっとはっきりしません。
人事院かなと思って聞いてみますと、これは具体的な
通訳の
養成の実施をするときには
所管であるけれ
ども、そういう
制度を考えるのは
政策官庁だ、こういうお話で、
総務庁の方に聞いてみますと、これはまだ考えたことがないので、私たちの
所管がどうかはっきりしませんと。
もちろん
各省に聞いても、他
省庁との
関連において何か
制度を起こしたり工夫をするということは
自分の
所管だけではできないということになるわけで、こういうことはきょうは
質問はしません、答えは必要ありませんけれ
ども、
人事院も
総務庁も出席されておられますので、今後の
課題としてぜひこれを
検討し、勉強していっていただきたいと思います。
国際化が進んでいく中で
日本は非常に高い
国際的責任を負う、また、非常に重要な
役割をこれから果たしていくと思いますから、それは非常に重要な、また緊急な
課題ではないだろうか、このように思います。それと、
通訳の
養成といいますと、これは
サービス業の育成という面では
通産省に
所管がなります。それから職能、
技能の
向上という点では
労働省の
関係するところになりますけれ
ども、
専門教育という点から考えると、これは主として
文部省の
所管になるのではないかと思います。先ほど申し上げたように
通訳の
養成というのは非常に高度の
専門教育だと思います。
ところが、現状を見ますと、
日本は確かに資源のない国であって、
貿易立国でありますし、国の
近代化は、
外国からのいろいろな学ぶべき点を学んで今日まで国を発展させてきておりますから、
外国語教育というのは非常に重視されてきていて、
アメリカなどに比べればこれははるかに充実しております。しかし、御承知のように、実際には
国際交流に役立つような生きた
語学を使用し得る者がこの
教育によってたくさん生まれてくるかというと、必ずしもそうではありません。そのためいろいろと
検討すべき点があるのではないかと思います。
その
一つは、
文部大臣の
諮問機関で、
教育課程審議会という
審議会があって、そこでいわゆる
学習指導要領、カリキュラムの
見直しをしているということです。そこでは、いわゆる生きた
英語というのか、コミュニケーションを重視する
語学教育というのか、そういうものを、従来の、シェークスピアを読む力をつけるというような読み書きだけの
英語から大きく転換していく
方法を考えているということですから、これも非常に着目をして、今後の
検討をよく見きわめていかなければならない大事な点だと思います。
また一方で、
風俗、
習慣、
文化というものが異なる国に対する
認識が必要であり、非常に重要であるので、
日本人の
国際性を養う、
社会科の時間とかいろいろな他の教科で
努力が必要であります。これもまた
学習指導要領などで
見直しを進めておられると聞きますので、この点についてもまた着目して、今後
国会等でも議論を大いにしていかなければならないところではないか、こう思います。
ところが、
通訳の
養成といいますと、さっきお話ししたように非常に
専門的な
技能という点もありまして、非常に
研修を積み、一般的な勉強もしなければなりません。それから
メカニズムについても正しい理解をしていて、できるだけ誤訳をしないようにみずからも規制していかなければなりません。いろいろと非常に高い
能力を要求される面がありますから、
専門教育、例えばピアノなどは
一般教育では全員が弾けるようになるというのはなかなか難しいし、その必要もないわけですけれ
ども、それと同じように
幼児教育の時代からやはり
通訳の
養成についての素地をつくっていく、あるいはそういうものについて国民にチャンスを与えて
技能の
開発をしていくというようなことも考えなければならないのではないか、こう思います。
そういう場合に、今
学校教育、
専修学校とか
大学での
外国語部門の
制度や水準がどの
程度のものかという点を見ますと、
専修学校などでは
英会話程度の、普通のいわゆる日常的な
英会話ができる、そういう
教養程度のものを教える
システムのように思えるわけです。そしてまた
大学の方でも、
通訳についても
専門的な
教育を継続的にかなり集中してやっているというような
部門も極めて少ないのです。したがって、やはり先ほど申し上げたような
民間や
政府における
通訳の
養成というものは
大学を卒業してから始めるというので、私は非常におくれをとるのではないだろうかと思います。そこで、心理学的な、生理学的な
通訳過程における
メカニズムの
実証的研究とか
比較言語学などの
研究部門を持った
通訳養成の
専門高等教育機関などがあってよいのではないだろうか。そして、
政府の
通訳養成や各
分野の
通訳養成を引き受けて、
政府の者も
民間の者もその
通訳養成のための
高等教育機関で一括してやるような
教育機構をつくる必要はないだろうか。そういうことなどを考えます。
いろいろ前提となることを述べてまいりましたが、結論として、
文部省の方にそういうことの
検討の
必要性についてどういう
認識を持っておられるか、また、そういうことについて今後
検討していく用意があるか、まずその点から
質問に入りたいと思います。