○田中参考人 田中でございます。
資料をお
手元にお配りしてあるかと思いますけれ
ども、時間がございませんので、できるだけ手短に、それをごらんいただきながら御意見を申し上げたいと思います。
私は今は大学の教師をしておりますけれ
ども、十五年前までは、アジアから
日本に勉強に来ていた留学生の団体で仕事をしておりました。そこで十年ばかり仕事をしていたのですが、そのときに非常にぶちまけて話をしてくれた学生の一人が、田中さん、
日本では
外国人というのは字で書くときには外の国の人と書くけれ
ども、
日本人の内心では国を害する人というように思っているのではないかということを言われたことが非常に強烈な印象として残っていて、この
外国人登録法の問題というのは、
日本の国際的な評価あるいは
日本の社会の体質にかかわる大変根の深い問題を内蔵した問題だということを私はかねがね考えてきたものです。そういう立場から、今回の法案について若干申し上げてみたいと思います。
外国人登録法にはいろいろな問題がありますけれ
ども、今回は、主として指紋問題を中心に議論されてきた経緯がございますので、時間の
関係で指紋に限定して申し上げてみたいと思います。
指紋
制度につきましては、御承知のように法の制定そのものは、細かくは申し上げる時間がありませんけれ
ども、簡単に一言で申し上げれば、すぐお隣で朝鮮戦争が勃発する、いわば準戦時体制下における極めて特殊な
法律として制定をされた、このことをまず大前提に考えていかざるを得ないだろう。現実には指紋の採取を一九五五年から実施し、採取した指紋を、私の調べたのでは二十名からの指紋係によって詳細な換価分類、照合作業を行うという形でスタートしたのですけれ
ども、実際に事を運んでいく上で、
外国人登録の不正常な状態というのはほぼ終了している、実際の運用の中からもほとんどそういう問題はなくなったということが次第に明らかになってくるわけです。
実務の上に直接その変化があらわれできますのは、一九七〇年の換価分類の廃止。これをやりませんと、二重登録というのは永久に発見できないわけです。同一人物がAとBの区役所で切りかえを幾らしていっても、同じ人が来るわけですから、幾ら照合しても指紋は食い違いはないわけですね。それを中央で照合して初めて不正が発見できるわけですから、二重登録については基本的に問題がない。
〔今枝
委員長代理退席、太田
委員長代理
着席〕
さらに、再交付のときに十本の指紋を採取するという
制度を実施していたのですが、これも一九七一年に廃止いたします。再交付の場合には、場合によっては他人に譲渡する
目的で新たなる
登録証の交付を受けるということがあり得るという恐らく観点から、通常と異なって十指の指紋を要求するという
制度を運用してきたのですけれ
ども、これも七一年に廃止になって、今では再交付でも一指指紋で済む。
さらに一九七四年になりますと、極めて重要な指紋原紙、法務省に集中管理される指紋原紙については、切りかえ時はもう送付する必要がない。これは大変大胆な措置だと思うのです。
法律上には押捺
義務がきちっと
明文で
規定されているわけです。しかも、それの不押捺については刑事罰が担保されている。そういう
義務をあえて通達でもって省略するということが具体的に実現されたということは、裏側から見れば、それには及ばない、既に現状は完全に安定しているという認識だ。私は、今日ではもう指紋
制度というのは導入時とは全く違った状況ですから、その必要性はなくなっている、しかもそれは実務の中で明らかになっているというように考えております。
指紋
制度については、具体的な担当者である、現在も入管にお見えになるようですけれ
ども、かつての登録課調査指導係長の小島さんという方が書かれた言葉が、この法案を読むにつけても思い出されるわけです。「もし、一度だけ押させることとすれば、登録における指紋
制度は、その意義を全く失い、
外国人に対するいやがらせ以外の何ものでもなくなってしまうのである。」私は、今回の法案がまさに嫌がらせだけが残るという点で極めて残念な法案だということを申し上げざるを得ない。
それからさらに、先ほどお話がありましたように、ラミネートカードが導入されるわけですけれ
ども、これも同じく法務省に長くお勤めになって、参事官まで果たされた竹内昭太郎さんという方が指紋問題の議論の中で新聞に投稿された文章の中に、「自動車運転免許証のように、張り替えのきかない刷り込み写真を利用できれば、指紋はまず不要」という意見を述べられた。今回はまさに自動車免許証のようなラミネートカードが盛り込まれているにもかかわらず、なおかつ指紋
制度が温存されているという点でも、私は大変不満を表明せざるを得ない。
次に、
外国人の指紋
制度を考える場合に、ぜひ私たちが考える必要があると思っていますのは、一体
日本人の人物の特定なり同一人性の確認というのはいかになっているか。かく言う私が、真実に田中宏であるかどうかというのはいかなる方法で証明できるだろうか。実は私は、第三者に対して、絶対入れかわっていないということを証明する手段方法は持ち合わせておりません。きょうの参考人の中では、河
昌玉さんだけが確実に河さんであるということを証明できる。なぜ
外国人にだけそういう必要性を要求しなければならないのか。
日本では、旅券、運転免許証いずれも他人が使用するというときには極めて好ましくない事態が生ずるわけですけれ
ども、そこまでは要求をしていない。それは、人権にかかわる重要な指紋採取であるからに違いないと思うのですね。
さらに、国際的に考えても、法務省の調査によりますと、
日本以外に二十五カ国で
外国人一般から指紋を採取しているという調査結果が出ておりますけれ
ども、その二十五カ国の中には
日本と同じような国は全くありません。
日本はいかなる国かといいますと、自国民には押捺
義務がない、そして
義務を課せられている
外国人は子々孫々永久に指紋をとられ続ける。こういう国は二十五カ国の中にはありません。したがって、現在までの調査の結果では、世界広しといえ
ども我が
日本だけである。このことを、この
制度を考えるときにいかに考えるべきか。
それから次に申し上げたいのは、指紋の問題というのは日韓
関係でさまざまに報道され、議論されてきたと思うのですが、私は大学で中国語を教えたりしている
関係もありまして、日中
関係と指紋ということについて大変重大な関心を持って調査をし、考えてきた者の一人です。先日、夏休みを利用しまして、かつての満州国、中国東北地区の現地調査に何人かの友人と行ってまいりましたけれ
ども、どうも
日本で
犯罪者以外から広範に指紋をとるという
制度は、満州国にルーツがありそうだということが現在の段階では言えると思います。
そしてそこで導入された政策
目的は、
日本に抵抗する分子を一般民衆から切り離すという、当時使われた匪民分離政策の中で、さまざまな労働者なりに居住
証明書を持たせる。現実に長春で博物館を詳細に見てまいりましたら、指紋採取の風景だとか指紋を押してある
身分証明書の現物が
日本時代のさまざまな政策の一環として陳列されていて、私たちも写真を撮って帰ってきたわけですけれ
ども、大変昔のあしき時代を思い出さざるを得なかった。日中
関係では指紋の問題というのは、かつての日中友好交流、とりわけ外交
関係のない時代に指紋問題で日中
関係が極めて険悪な空気になり、法
改正をして辛うじて日中
関係を打開したというかつての歴史があり、さらに今日でも中国人と指紋問題についてはいろいろな問題があるわけです。
一つ申し上げますと、かつて
日本と北京が外交
関係がなかった時代にLT貿易の駐在員が
日本に滞在したときには、
日本側は指紋については何ら配慮をしなかった。しかし、外交
関係がなくなった台湾の出先機関である駐日事務所のスタッフについては、特別に指紋をとらないような措置をとる。日中
関係の中でこうした措置が行われていることがこのまま放置されていいかどうか、私は甚だ疑問を感じているわけです。さらに私たちは、調査を終えた後北京で中国外務省の方にお会いして若干の意見交換の機会を持ったわけですけれ
ども、そこでアジア
局長がはっきりおっしゃられたのは、我が政府は
日本政府に対して指紋
制度の撤廃を申し入れてきている。
日本ではほとんど報道されてないようですけれ
ども、そういうはっきりした中国政府の意思を私たちは確認することができて、指紋の問題というのは決して日韓
関係だけではないということを十分法案を審議する上でお考えいただきたいということを申し上げたいと思います。
最後に、先ほどからいろいろなお話が出ていますけれ
ども、核心は、
外国人だけから指紋をとるという
制度が
日本の社会でいかなる機能を果たしているか。これは民族差別を助長する、朝鮮人だからということで就職ができない、朝鮮人だといって本名を名のって学校に行けば子供がいじめられる。こうした恐らく中曽根首相が唱える国際国家
日本の現実、これをいかに我々は改めていくか。そのときに、朝鮮人なんだから指紋をとられてもやむを得ないという感情を残すことは私たちの社会の将来のために極めてゆゆしき
制度であって、本来ならば長い歴史的な経緯を踏み越えて和解と共存を求めていかなければいけないときに、かえって反目なり差別を助長する
制度になっている。このことに思いをいたすことが大事ではないか。
私は、指紋の必要性についていろいろな政府当局の
説明を伺いましたけれ
ども、何か指紋を残すということが先にあって、それに都合のいい
理由をいろいろ考え出した。それもかなり破綻している。むしろ私は、指紋があることの異常さをまず確認をするということが前提だと思うのです。そういう歴史的な背景をきちっと踏まえるということが一番問われていることではないだろうか。私は、中国東北地区に行ったときに、指紋
制度を残して真の日中友好があり得ようかということを、指紋をとられた方々と言葉を交わしながらつぶさに印象づけられて戻ってきたわけです。
国権の最高機関である国会において、私は国会の先生方にぜひお考えいただきたいと思いますのは、この日米貿易摩擦の渦中にあって米議会は、ここ数年の審議を経て、第二次世界大戦中の日系人強制収容問題について政府の公式謝罪と生存者一人二万ドルの補償金を支払うという法案を可決しております。その法案の内容を調べてみますと、これはアメリカの名誉のためにやるんだ、アメリカの民主主義は健在であるということを証明するために私たちはこれをやらなければいけない、また、過去の過ちをきちっと受けとめることが将来に重要な教訓を残すのであるという、極めて高い立場から歴史的な遺産を処理しようとしているわけです。
日本の国会で、かつてのアジア侵略の問題について、あるいは在日朝鮮人の問題についてどれだけ真実の声を聞くということをしてきたか。法案の提案
趣旨の冒頭には「
外国人の心情を考慮して」と書いてありますけれ
ども、私の知っている限り、十六歳の子供からとられるのをやめさせたい、こういう
制度は子々孫々に残したくないと叫んでいる指紋をとられている世代の人たち、この声に対して、十六歳になったら確実にとるぞというのが今回の法案であって、これは全く心情を逆なでするものである。私は、関東大震災のときに多くの朝鮮人がいわれなく殺されたこの日に、この法案の
意味をしっかり考える必要があるのではないかと思っております。
以上で私の意見を終わります。