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山口最高裁判所長官代理者 昭和二十二年に
簡易裁判所が少額の民事
事件あるいは軽微な刑事
事件、これを簡易な手続で迅速に処理する、国民に親しまれる
裁判所としてスタートしたわけでございます。その当時、
法案作成の過程におきましては、例えば、その当時
市町村の数が一万ぐらいございましたけれ
ども、
市町村ごとに対応して置くべきでないかという議論もございましたし、
警察署が千百ございましたけれ
ども、
警察署ごとに対応して置くべきではないかという議論もあったわけでございます。ただ、それはいろいろな
審議の過程を経まして、結果的には五百五十七でスタートしているわけでございます。
裁判所といたしましては、政府の方の御協力もいただきまして、当初はバラック住まいでございますとか倉庫の二階を借りているとか、場合によりますと
警察署の一部を借りてスタートしたわけでございますけれ
ども、
昭和二十年代、三十年代にはかなりの
予算を獲得いたしまして、その当時といたしましては、木造ではございますけれ
ども、立派な
庁舎を建てて
簡裁の運営に当たってきたわけでございます。
簡裁判事につきましても徐々にその充実を図ってきて、三十年代以降になったわけでございます。
三十年代以降になりますと、これは社会が安定してまいりまして、二十年代に多うございました刑事の統制令違反というような
事件あるいは窃盗
事件というものがかなり減ってまいっております。民事の
事件の方も、農事調停等が結構ありましたのが、やはり社会が落ちついてまいりますと減ってまいります。そういうふうに
事件数が減ってまいりまして、その結果として
裁判官を常駐しておくわけにはいかないような
状況になってきた。
これはどうも洋の東西を問わずあるようでございまして、フランスの場合も、二千ほどの治安
裁判所がございましたけれ
ども、
昭和三十年代に四百数十の小審
裁判所に改編しているわけでございます。そのときもやはり司法の集団移住は田舎からの集団移住の後を追って行われたというふうなことが言われているようでございまして、私
どもの方の
簡易裁判所もやはりそのような
人口の
都市集中、それに伴う
事件数の減少ということでそのような結果になったのではなかろうかと思っております。
その後いろいろな議論の過程がございます。
昭和四十五年に事物管轄の
改正をしていただきましたときにも、
簡易裁判所の特則を活用するようにということで、私
どももそれなりの努力をしてきたつもりではございます。それから、
昭和四十九年には調停制度の
改正がございまして、これにつきましてはかなりの力を注ぎまして、その当時四万件を切りそうであった調停
事件もその後どんどんふえてくるような形になったわけでございます。
それなりに私
どもは努力してきたわけでございますが、いかんせん
社会事情の激変に伴いまして、
利用度の少ない
簡易裁判所がやはり
利用度の少ないままにとまっておる、こういう
状況でございまして、これまで
簡易裁判所の運営につきましていろいろな御批判のあることも
承知いたしております。今回の
適正配置を契機といたしまして、本当に国民によく利用していただく
簡易裁判所という姿をつくり出していただきたい、かように
考えているわけでございまして、ひとつ御理解を賜りたいと
考えております。