○山原
委員 防衛大学を例にとりますと、これは教授も含めて全部自衛官なんですね。そして、これは各種
学校になっているわけです。そうなってくると、あなたのおっしゃることは、まず
学校教育法を変えるわけでしょう。しかも
単位の互換ということになってきますと、これは明らかに軍学の協同の
推進ということに行くわけですね。しかもそういうものが今度できる
大学審議会の重要な
課題の
一つである、こういうふうになりますと、早くもこの
大学審議会というものが非常に危険な
内容を持っておるということを露呈したのではないかと思います。これは後で
大学の自治の問題等も時間があればやりたいと思いますけれ
ども、そういう単純な答弁をここでされたら困るのですよ。私はこの
委員会で十九人の
文部大臣には会っております。けれ
ども、これほど憲法、
教育基本法なんか全く
関係ないかのごとき発言が次々続いてくることについて、きょうはちょっと意外な感じがしていることを最初に申し上げておきたいと思うのです。
文部省自体だってそうでしょう。今まであなたの今答弁したようなことは
文部省は言ってないのです。
私はここに「
教育基本法の解説」、これはかつての
文部省の調査
局長の辻田さんと東京
大学教授の田中二郎さんが監修したものですが、この中に学問の自由についてどれほど多くの言葉を割いているか。一行だけ読んでみますと、例えば「国家及び国策の名においていかに学問の自由が侵害されたことであ
ろうか。」という戦前のあの苦い経験のもとに、学問の自由、それを保障する
大学の自治というものが確立されたのが戦後
大学の基本的な理念なんです。このことをしっかり踏まえておかないと、
文部省自体がもうすっかり変わっている。
しかも、私はちょっとこれは最後に申し上げようと思ったのですけれ
ども、
大学の自治の破壊の歴史を見てみますと、私はこう思っております。学問、研究の自由の発展というのは、本質的に国家権力による干渉、抑圧とは相入れないものである、これが世界の学問、研究に対する規定だと私は思っているのです。ところが、戦前の姿を思い起こしてみますと、一八九二年に東京帝国
大学の久米邦武さんが
大学から追われました。これはいわゆる古代史の研究の中からあの神道を批判したということで
大学を追われていくわけです。そして一九〇五年には、日露戦争における
政府の外交政策を批判したということで、戸水寛人さんら東京帝国
大学教授七名が休職処分を受けるわけです。それから一九一四年になりますと、京都帝国
大学におきまして沢柳総長が、人事の一掃ということで文科、医科、理工系七名の教授を
辞任させるという事件が起こりまして、これに対しては反対の運動が起こりまして、ついに沢柳総長は退陣を迫られるという事件が起こっています。一九二〇年、ちょうど六十七年前になりますけれ
ども、御承知の森戸辰男さんの事件が起こっておりまして、彼は東京
大学の経済学部の教授で、クロポトキンの社会思想の研究、これが国体に反し、国家存立の基礎を侵害するということで休職になり、裁判の結果三カ月の禁錮ということになっています。
こういうふうに追っていきますと、一九二八年には河上肇あるいは平野義太郎、向坂、石浜、佐々などという各
大学の教授が退職を迫られる。一九三一年、これは中国に対する侵略が始まったときに滝川事件が起こっているわけです。滝川事件というのは、御承知のように、犯罪が発生するのは社会が悪いということを言ったことですね。それから、姦通罪は男女平等にすべきであると言ったことが、犯罪として、危険思想として追われている、そして休職処分を受け、この休戦処分に反対した五名の教授がまた解任をされるという事態が起こって、一九三五年に美濃部達吉氏の天皇
機関説。私はあのときのことを覚えているのです。天皇
機関説というのは学説としては当時の主流であったわけです。しかも
政府公認の理論であったわけです。これがひっかかってくるわけですね。そして矢内原忠雄さんの
辞任、一九三八年には御承知のように河合栄治郎さん、この人は
文部省に協力してきた人です。自由主義者です。左傾した学生をいわゆる思想善導してきた人ですね。この人がまた追われていく。そして一九三九年には早稲田
大学の津田左右吉博士が
辞任、そして書物の発禁。私は一例を挙げたわけですけれ
ども、こういう歴史を戦前においてたどって、そしてわだつみの悲劇にまでいくわけですね。
大学というものの自由、学問の自由がいささかでも侵害されるときは、それは際限なく広がっていって、国そのものが誤る方向へ行ったというこの歴史の経過を見ましたときに、
大学の自治、学問の自由、これは守りますと口ではおっしゃいます、それから塩川
文部大臣も、過去の百年の歴史の中で
大学の自治や学問の自由というものを言わなかった
政府はないということもこの間おっしゃっておりましたけれ
ども、口でおっしゃっても、こういう現実の歴史があるということを
考えますと、ここで私はこのことを本当に
考えなければならぬと思うわけでございます。
そして、先ほ
ども例えば今度は
文部省は政策官庁に脱皮するという言葉が出てきていましたね。これは
臨教審の中にある言葉ではありますけれ
ども、これは明らかに
臨教審の逸脱なんです。
教育基本法はどう書いてあります。行政官庁の任務は明記しておるわけですね。
教育基本法第十条は、何遍読んでもここに、「
教育行政は、この自覚のもとに、
教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」これが
文部省に与えられた大きな任務なんです。その
文部省が今度は政策官庁に脱皮していくという言葉が使われるわけですが、私はこのことについても大きな危惧の念を持ちまして、このまま
大学審議会が
設置されれば悔いを千載に残すということすら感じております。だから、そういう意味でこれから
質問していきたいと思います。
第一は、わずか二十名の
審議委員で、
大学は国
公立大学、短大は今数を調べておりませんが、国
公立大学だけで四百五十八校ありますよ。それをわずか二十人の
審議会が基本的なものを含めてすべてを差配していくことができるなどという
法律は、私は
考えることもできませんね。これが
大学の自由あるいは学問の自由に介入しない、
関係はないなどということはまさに乱暴な理論であって、わずか二十名による
大学審議会の
設置そのものが本当に乱暴な法案の
提出だと言わざるを得ないのでありまして、そのことを最初に申し上げておきたいと思います。
それからもう
一つは、先ほどの林先生の
質問にもありましたが、各方面から反対の決議や要請書が来ているわけでございまして、これは私は当然だと思うのです。私はずっと今まで来ました数字を調べてみますと、短大を含めまして三十五
大学、この中には十二の
大学、二十三の学部教授会が含まれております。この名前を挙げる時間がありませんから省略いたしますけれ
ども、そのほかに、例えばきのうは各党に対して憲法学者の要請がございました。これは八十数名の著名な憲法学者が名を連ねまして、この法案に対する違憲性を心配をして持ってこられたわけでございます。恐らくこれは
文部省へも行っておるのではないかと思います。また最近、九州九
大学の元学長三十一名の方が訴えを出されているわけでございまして、正規の
機関でも決議がなされております。これを無視して法案の
審議をするということは、不誠実なやり方でございます。これらの方々は必ずしもすべて革新とか進歩の人ばかりではありません、純粋な学者として、この
大学審議会法案に対して危惧を持っているということに対して、私たちは真摯にこれを受けとめる姿勢がなくして、何が
大学人の意見を聞いた、
国民の意見を聞いたなどということが言えるでしょうか。一番衝にあるこの人たちの意見を本当に謙虚に聞く耳を持つことが今大事ではないかというふうに思うわけです。
それからもう
一つは、これは
委員長にお願いしたいわけですが、今度の
審議に当たりまして、二日間、十時間という意見が自民党の方から出されました。
法律の成立を急ぐ
気持ちはわからぬではありません、国会というのは絶えず動いていますから。けれ
ども、そんな拙速でいいのかということはお互いに
考える必要があると思うのです。筑波
大学のときにどれだけこの文教
委員会が
審議をしたかというと、衆議院だけで十二日間やっています。その時間が五十五時間です。しかもあのときは、筑波
大学というのは東京
教育大学が移転をするに当たって発展的に筑波
大学にいくという、
一つの
大学の問題であったわけですね。それでも五十五時間の
審議をしているのです。今度の場合は、この
大学審議会は
臨教審のように三年間の期限があるわけじゃありませんから、恒久的な組織として置かれるわけですね。しかも
大学のすべてを取り扱うものでございますから、これがどういう
中身を持っているか、これがどういうふうな
審議をしていくのか、あるいはどういう構成なのかということを尋ねるのは国
会議員の責務でございまして、これを拙速でやるなどということはいささかもできない
課題だと思っておるわけでございます。このことを申し上げておきたいと思いますが、この点について私は本当に率直に塩川
文部大臣の御見解を伺っておきたい。そして、
愛知委員長に対しましても、やはりこの
審議は本当に議を尽くすところまで
審議をすべきであるというこの
気持ちに対しまして、
愛知委員長の御見解もこの際冒頭に伺っておきたいのであります。