○安倍(基)
委員 まあ、これは細かい話はいいです。要するに、もしこの橋ができたころには当然相当上がるわけですよ、大分先の話だから。ということは、公共
投資というものは周辺にいろいろな利得をもたらすのです。
この間実はある週刊誌に、光が丘あたりの何か住宅公団のマンションに六千倍ぐらいの人が殺到したという話がございます。なぜかといいますと、そこに地下鉄ができる、それだけでもってすごい値上がりを示す。したがいまして、公共
事業というものは、必ずその周辺に相当の利益をもたらす。それは、場合によって大なり小なりあると思います、それはどの辺までが利得がどうかという問題はあるかと思いますけれども。公共
事業、公共
事業といっても、すべて公共
事業は国のためだと言いますが、本人が自分たちで負担してできるものであればそれだけ効率もシビアに考えるけれども、いわば一般の納税者の負担でそういうことがあると、その公共
事業が行われた地域だけが非常に利得して、しかもその周辺の人間が利得するという問題があるのですね。
でございますから、税の上でいわゆるクロヨンとかいろいろ言っていますが、こういった公共
事業におけるいわば所得差の発生、例えば田中さんの鳥屋野潟事件というのがございますね。何か堤防をつくった、提防をつくった後はその辺の土地が非常によくなるので、田中元首相のいわば関連企業がそこを買った、それでまた大きな金脈であるという問題が起こったわけですけれども、もし田中さん系の企業が買わなくても、堤防ができればその辺の人々はすごい利得を受けるわけです。たまたま、それを事前に知って買ったということでもって問題となっているだけであって、そこに堤防をつくる必要があって堤防をつくったならば、その周辺の人間はべらぼうな利得を受けるわけです。それは否定し得ない事実です。さっきの地下鉄の駅ができれば、それだけでその周辺の価値が暴騰するということと同じなわけですね。したがいまして、公共
事業というものは今までプラス面ばかり考えられておった。
確かに、それに関連する公共資産といいますけれども、本当は、一番の原点は、その周辺の人間が儀性を払い、金を出し合ってつくるのが原点であるべきなんですね、本来は。それでなければ、公共
事業を行ったときにそれによって個人的に得る果実というものは、何らかの形で吸収してもしかるべきである。現在は、最後には土地を売るときにすごい税金を課するじゃないかという話が生じますけれども、土地を売るのは随分先の話だし、しかも、そのときの土地税制というのはそのときで変わる。したがいまして、私が公共
事業に考えるべきことは、効率的な運用ということがまず第一。そのためには、やはり親方日の丸ではいけない。親方日の丸の面があるにしても、それはそれなりの受益者負担というものがなければ、公共
事業を受けるところだけが得をする。例えば新潟県だけ得をするとか、まあそれは語弊があるかもしれませんけれども、そういう要素がどうしてもあるのですね。私は、何も貧乏なところに金を持っていってはいかぬと言うのじゃないけれども、これからは、公共
事業がいいという公共
事業の神話というか、その面ももう一遍吟味すべきなんだ。
公共
事業か減税かというときに、減税はいかにも恒久
財源がない、そういうような言い方をしますけれども、減税の場合には非常に広くそれで益を受ける者が多いわけです。公共
事業の場合には資産と言うけれども、その資産をもらうところは限定されるわけです。そのために、その地区の者が得をする。だからこそ、陳情合戦あるいは集票のために政治家が公共
事業を持っていくというシステムにならざるを得ない。公共
事業のプラス面というのが非常に大きく言われておりましたけれども、さっき私は、公共
事業か減税かというときに公共
事業はすべて善である、減税は後の
財源がないから悪であるというような考え方はおかしいのじゃないか。今度の
NTT、これを一時的に公共
事業に流用するといいますけれども、
一つには、さっきいみじくも正森
委員が
指摘しましたように、一度始めた
事業というのはそう簡単にやめられない。そのときになって大きなツケが回ってくるということが
一つございます。
〔熊川
委員長代理退席、
委員長着席〕
もう
一つは、安易なやり方であればどうしても効率性が無視される。東京湾横断道路をつくって、最後には大地震か何かあって、メガロポリスが相当ひどい目に思うということも私は考えていますけれども、そうう本当の
意味の長期的な効率を考えているのかどうか。それぞれの公共
事業において、果たしてこの
NTTの売却益を、公共
事業だからいい、公共
事業だからいいという言う方で考えでいいのだろうか。
非常に基本論になりますが、私は実地いろいろなところで
アメリカのある一都市の例を言ったのですけれども、あるところで新しい発電所をつくる、そのときに、要するに新しい負担をみんながしょってつくるか、あるいは今のままで我慢するか、地方自治体はかんかんがくがく議論して、そのあげく昔のままで我慢した。自分たちが負担すれば、それだけシビアに物を考える。
私は、何も貧乏な地方自治体と富裕な自治体と格差がそのままでいいということじゃ絶対ないのです。やはりこれは
財源の地方配分の問題も起こりますし、私は今度の論文の中で、これは前から
指摘しているところですけれども、メガロポリスに
財源が集中し過ぎている、ですから幾ら土地が上がっても、そして固定資産税が上がっても、それはメガロポリスに集中するばかりだ、ですから土地税制に手をつけても
意味がない、譲渡だけに目をつけると、そこがやはり土地政策の大きなネックになっておるということを私は
指摘しましたけれども、今度の
NTTの考え方が、基本的には公共
事業なら資産が残るというだけの話で、だけというのは言い方は悪いけれども、その辺に重点を置いて、減税は恒久
財源がないからだめだという思想がある。
公共
事業が非常に波及効果があった時代ならまた別なんですが、公共
事業の場合にもいい公共
事業と
意味のない公共
事業とがある。これをいかにして選別していくかというシステムがない限り、これはむしろ非常に富の不公平を生んでくる。その
意味で、今度の
NTTのいわば剰余金を使って一挙にどんどん公共
事業をふやすという話が、ルーズな公共
事業をむしろふやしていくのじゃないかという懸念を大きく持つわけです。この話はかり余り長くなりますとあれでございますけれども、この辺私は公共
事業についてのいわば反省が要るのじゃないかと思います。
これと関連しまして、過日私の同僚議員が、今度の公共
事業は土地の取得費を減らした、二〇%くらいが平均値であって、あとは波及効果を考えて、要するに土地の取得のない場所でやるというような言い方をされました。それは
一つの考え方かもしれませんけれども、逆にしかし土地の取得が必要のない公共
事業というのは、ある
意味からいうと
経済効率の悪い、つくってみても余り大した
意味のない公共
事業かもしれないのですが、土地の取得を減らしたところの公共
事業というのはどういうことを言っておられるのですか。