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田村国務大臣 大変残念な事件でありますし、同時に申しわけのない問題であります。
私は率直に言って、虚偽の申告をした、これを見抜けなかった。しかも、それには余りにも一人当たりの
仕事が多過ぎた、だから不可能であった、物理的に不可能であったということを言う人もありましょうけれ
ども、私自身は、虚偽の申告をした
企業の罪はこれはもう問題にならない、まさに犯罪者であります。でありますから、これはもう申すに及ばない。問題は
通産省の責任、私はいかに見抜けなかったといえ
ども、これにひっかかったということは、組織としての
通産省の責任はまさに重大であると思います。私は今、
通産省が妙に責任回避の言いわけはすべきでないと思うのです。
通産省という組織の責任は重大である。しかも、
東芝機械がごまかしてまでもライセンスを得なければならなかった、なぜごまかさなければならなかったか、それほど重要な機械であったからであります。これがボルトやナットならこんなことはないわけであります。ですから、そういう点で
影響の大きさというものもまた当然のことだと思います。
私は、実を申しますと、これが新聞報道されまして最初に耳にいたしましたときに、これは大変なことが起こった、すぐに登庁して役人を呼んで事情を聞きました。やはり
通産省の責任だ、はっきり言って。その時期で――こういうことは、まだ私は公的に申したことはありませんが、
小川君の御
質問にあえて私が率直に
お答えするとすれば、その時点で私は実は辞表を懐にしました。辞表を書きました、はっきり言って。そして、いつでも責任をその意味ではとる態勢をつくったわけです。心構えをつくったわけです。ただ、だからといってやらなきゃならんことがある。それは、まず訪米であります。
そこで、
アメリカへ参りまして、いろんな方にお目にかかりました。これはもう本当によくまあ三日間であんなにたくさん会えたものだ。中には、私は査問
委員会にかかるような惨めな思いもいたしました。しかし、総じて行
政府は非常に理解を示してくれたし、起こったことはしようがないが、とにかく再発防止に専念してくれ。特に、今は亡き
ボルドリッジ商務長官が私に対して相談をかけてくれて、いろんな点で私の意見を非常に満足すべき意見であると言って新聞にキャンペーンしてくれた、あの友情を忘れることはできません。ワシントン・ポストに、私の説明したこと、
日本政府の決意というものがボルドリッジを満足せしめたというようなキャンペーンまでしてくれたわけであります。それは本当にうれしい限りでありましたが、しかし
議会筋は、保護主義を絶対排するという、そういう風潮も強くありましたが、中には非常に厳しい
日本に対する批判もありました。批判というより、むしろ攻撃と言った方がいいでしょう。今ここに村岡君たちがおりますが、私
どもはあたかも査問
委員会に引き出されたような感じすらいたしました。私はそれに対して反論しようとして、通政
局長が私に「冷静に」と書いた紙を回してきて、私はそこで今は感情を顔に出しちゃいかぬと思って、
自分の心を静めましたけれ
ども、それはひどいものでございました。
ただ、だからといって
通産省の責任を私は回避しちゃいけないと思うのです。
通産省がやらなきゃならぬ
仕事は何か。それは、再発防止ということを徹底してやることだということです。今、一人一人の役人に、あれが責任がどうとかこうとか、こういう探索をする向きも中にはあるようでありますけれ
ども、これは私は絶対に受け入れるわけにまいりません。
通産省の役人一人一人を犠牲にして首を切ってみたところで何にもならないのであります。もしそれをどうしてもしなきゃならぬのなら、この
田村の首を差し出します。私は
自分の首を差し出してでも、
通産省の官僚だけは守ってやりとうございます。それよりも、
通産省の組織としての責任、これが大きいわけでありますから、今いろいろなことでお願いをいたしております。私が
アメリカの行
政府に一応の評価を受けた、そして
議会の相当数の方々にも評価を受けた、この私の
アメリカでしゃべってまいりました内容を早く実行するということが何よりも必要であろう、これが私たちの責任のとり方、このように考えております。
少し御答弁が長くなりましたけれ
ども、非常に重要な問題でございますから、あえて私の心境も申し添えまして、
通産省の責任問題について
お答えをしたわけであります。