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山崎参考人 山崎將宏でございます。
国立病院・
療養所職員労働組合の代表といたしまして、本日
参考人に呼ばれました。非常に光栄でございます。私どもの職員労働組合は、
国立病院・
療養所、全国三百幾つある多数の中のただ
一つの同盟傘下の組合でございます。そんなこともありまして、百二十人ばかりの一労働組合の代表でありますが、この重要な
会議の
参考人として
出席をさせていただき、発言をさせていただきますことは非常に光栄でございます。
今ほど三人の
参考人の方がるる
お話しなさいましたが、私は今も申し上げましたとおり百二十人ばかりの労働組合の代表でしかございません。また今話題に上がっております
病院・
療養所の一職員でもございます。したがいまして、日本の
医療はどうあるべきかなどという非常におこがましい見識などは申し上げるべくもございません。ただ、一職員といたしまして、三十年になろうとします職員の経験から——
国立病院は少ないですけれど、
療養所は多いです。私は
療養所でございます。その
療養所のたどってまいりました道を申し上げまして、
先生方のきょうの審議の参考にいたすことができますならば幸いだと思います。
まず、行革による
国立病院・
療養所の再
編成問題は、
懇談会の
意見に基づいて
統廃合の具体的例が発表になったわけでございますけれども、私といたしましては、これは赤字ローカル線廃止の
病院版であると新聞にも書いてありますとおり、経費の削減のために
二つを
一つにし、あるいは三つを
一つにして数を減らして、総体の
予算は変わりないというような、非常にぶった切りの方法だと思いまして、
反対を表明するものでございます。
先ほども申し上げましたとおり、少し
療養所の実態を申し上げたいと思いますが、私どもの
国立療養所は、戦前
昭和十四年に傷痍軍人
療養所として開院、発足いたしました。柏崎の人里離れました米山のふもとの寂しいところに建ったのでございます。一番多いときには七百床の
ベッドがございました。御
承知のとおり、
結核といいますと、人に嫌われ、近くで呼吸することさえも避けていた実態がございます。それが
国立療養所の多くが使命といたしました
結核撲滅で、
昭和三十年代に入りますと急速に減少いたしまして、死亡一位から十位以下に転落するというありさまでございます。そうしますと、
結核療養所の多くは空床になるわけでございます。百五十から二百くらいの
ベッドでございますと、例えば
結核患者が半分に減少いたしましても百でございますから小回りがききます。ですけれども、我々
療養所の七百近い
ベッドでございますと、同じ半分が三百五十です。
三百五十の空床をどう転換するかということでございますけれども、まず隘路になりますのは、先ほど申し上げたように、
結核は怖いイメージがございますし、町の外れに追いやってございます。そのあいた
ベッドにおいそれと入ってくる疾病というものは限度がございます。それからもう
一つは、先ほども御指摘された先生がございますけれども、
病院はおおむね患者さん四人に一人の看護婦、
療養所は七人に一人ということで、もちろん
結核は当時大気、安静、栄養ということで手もかかりませんからそれでよかったのでしょうけれども、さて違う疾病を入れるといたしましても、その
基準を破ってまで受け入れる疾病がなかなかなかったのでございます。
今のイメージと人員不足と
地域外にあるというこの三点が大きな悪条件になりまして転換が遅くなったのでございます。でも、そういう悪条件の中から何とか脱却を図りながら、
施設も老朽化したのが永久建築化されますとともに、個々でその転換を模索していたわけです。この辺に国の
政策医療というものが十年あるいは十五年くらい前に行われていたならば、
療養所の多くは今のような赤字だという非難を受けないで済んだのではなかろうかと思います。
それでも個々にその生きる道を模索し今日に至ったわけでございますけれども、私の
療養所で申し上げますならば、小児慢性疾患
病院ということで機能付与いたしておりますが、そこに至るまでには、重症心身
障害児を収容いたしました。それから
筋ジストロフィーを収容いたしました。そのようにして空床を生かすべく
努力をしてまいりました。それがようやく功を奏しまして、二年前に院長みずから小児科の先生が着任いたしました。それによりまして七人の小児科のスタッフが集まられました。
よく社会は人が動かすと申しますが、
病院も人が動かします。まずはお医者さんでございます。かつてはうちの
病院の重症患者がよその
病院へ転院する場合もあったわけでございますけれども、最近はよその
病院からうちの
病院に転院してくるケースが多くなりました。さきおとといも、私がこの
参考人として出頭するに当たり原稿をまとめております十時過ぎに、隣の柿崎町から高熱患者が来るので髄液の検査をするから出てきてほしいという呼び出しがございました。十時半から検査に入ったわけでございますけれども、その成績が出ようとするころ小児科の先生が来られまして、おい
山崎、寝ようとしたところ大変だったなと言われたのですが、いいえ先生、実はこうこうこういうわけで
国立療養所の再
編成問題で
参考人として呼ばれ、発言してきたいという
お話をいたしましたら、二人の小児科の先生から、
病院の設備が不十分で
自分たちが思うように動けないから、そういうものに対して
予算をつけてくれるよう頑張ってきてほしいというふうに励まされてまいりました。
例えば、てんかんで診断するとすれば脳波が一番でございますけれども、そのいい先生が診られますと、大学附属
病院では脳波が込んでおりまして十日も二十日も待たなければだめだ。私たちの
病院は幸いまだ脳波はそれほど力を入れておりませんでしたので、すぐとれるというようなことで、大学附属
病院からうちへ転院してくるケースもございます。したがいまして、最近の例で申し上げますならば、私が担当しております脳波検査は、一月二十名そこそこだったものが、今は六十名にも及んでおります。
それから次に、採算を度外視した
病院をどこに求めるか、これからのいわゆる
国立療養所の使命は何であるだろうかということにちょっと触れたいと思うのです。
先生方がもう触れられたとおり、
民間と同じ
医療をやったのではだめだと思います。先ほども新潟県の
医療圏の話が出ておりましたけれども、十三の
医療圏でございますが、その十三の
医療圏、
一つ一つに本当は
国立病院が欲しいと私は思います。大きくなくてもいい、百から二百でも結構ですから、各
医療圏に
一つずつの
国立病院が欲しいと思います。そして
難病であろうと採算に合わない患者さんであろうと
地域の方をそこに収容すべきだと思います。
と申しますのは、ある特殊な疾患を集めますと、例えばてんかんということでてんかんの患者さんを収容いたしますと、患者さんの心理といたしまして、そこへ入りたがらないのであります。そこの
病院に入っているということはてんかんということが証明されるわけでございます。それよりは一般
病院の中でてんかんの治療を受けたいというのが患者さんの心理でございます。
それから、私の小児
病院で申し上げますならば、小さいお子さんが入られますと、当然お母さんも一緒に付き添われます。その兄弟が乳飲み子の方もおられます。そうしますと、遠い
病院に通院あるいは入院しなければならないとしますと、病気になった患者さんばかりでなく家庭にも悲劇が及びます。そういう面からも、
一つの
医療圏の中で
国立もしくは公立の
病院にかかれるような
医療体制が望ましいのではないでしょうか、そんなふうに思います。
設備の不十分な点につきましては、柏崎にはそれこそ完成いたしますと世界一と言われる原子力発電所がございます。それから今のコンピューターの先端をいきます日本電気のグループ会社もございます。たまたまことし両方を見学することができました。コンピューターを駆使したすばらしい設備でございます。ああ
病院にもあの一部でもいいからコンピューターが入って能率が上がったらいいなと思ったのが偽らざる感想でございます。そんな大それたことを申し上げるまでもなく、もっともっとひどいのが実態でございまして、もう二十年近くもかかるでしょうか。
二・八
体制が今でもまだ完全でございません。まず
病院が一〇〇%目標、
療養所はまだ七五%が目標というありさまで、目標でその
状態でございます。一日も早く二・八
体制を確立していただきたいと思う。
最近、新聞をにぎわしております四週六休問題につきましても、人事院勧告の中で
意見書として出ましたとおり、一割のところがまだ試行しておりませんが、その一割は
国立病院と
療養所でございます。その点からも劣悪な労働条件にございます。
それから、
療養所には外来の
定員が確立しておりません。うちの場合ですと、一人だけ、婦長だけが認められている
状態でございます。外来患者は現在は一日に百十人から二十人、多い場合には百六十人でございます。もちろん一人では対応できませんから五、六人で対応しておりますけれども、各病棟からの応援態勢というような極めて不規則な
状態で賄っているのが現実でございます。
それから、二・八どころか、重症心身
障害児でございますと、夜間は二人ではもう対応できません。三人あるいは四人にしなければならないような状況がございます。
これら劣悪な中で我々
国立療養所が国としての使命を果たせといってもなかなか無理でございます。反面、御指摘のありますとおり、公務員は親方日の丸だという批判もございます。確かに企業
努力が欠けている面もあります。それにつきましては率直に認め、これから謙虚な気持ちで進まなければならないと思っておりますが、何しろ設備等に不備がございます。
医療機器も非常に高額になってきておりますので、先ほど申し上げました各
医療圏に
一つずつ
病院が欲しいという場合に、その
一つ一つに同じ
機械を全部入れる必要はないと私は思います。最近の高額機器は検体処理能力が非常に高まっております。したがいまして、新潟県でいいますならば、県に
一つ国立のセンターを置いて、例えば私の担当の検査ならば、そこで集中して処理をするということも当然あり得ていいのではないだろうかと思います。それから先ほどの各
医療圏において、それぞれの疾患が五人、三人とおった場合には、専門の
医師が巡回で診療してもいいのではないだろうかと思います。
それやこれやざっくばらんになりましたけれども、先ほど申し上げましたとおり、全体の
予算を変えず
病院を縮小することによって再
編成を乗り切ろうということではなくて、
一つ一つの
病院を
充実させまして、患者さんとしては遠くの
病院には行けない、行くことによって家庭の悲劇が大きくなるわけでございますから、その辺を御賢察の上、この
法案に対する考察を
お願いしたいと思います。
以上で終わらせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)