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薮仲委員 きょうは本当に時間がないので、もっと細かく具体的にやりたいのですが、それだけにしておきます。
私は、
長崎と聞くと、この
委員会で、五十七年の
長崎の集中豪雨、三百名を超す方が亡くなられた、あのことをずっと思い起こしながら、私は十年間この
災害対策の
委員を続けてまいりました。今でも年間二百名からのとうとい人命が失われる、非常に心の痛む残念な思いでおるわけでございますけれ
ども、私はあのときを思い起こしましてその
会議録を読んでみました。
これは当時の
長崎の地域防災計画ですが、この五ページには雨について書いてあります、
長崎は年間雨量が二千ミリだ、そして二百ミリ降るとがけ崩れ、三百ミリで河川はんらん、地すべり、四百ミリの雨で大地すべり、山津波の大
災害が予想される、五ページにこう書いてあります。さらに、百四十五ページには警戒
体制の取り組み方が書いてあります。
これはそのときやりましたのできょうはやめておきますけれ
ども、何を言いたいかというと、このように立派な地域防災計画は、
災害対策基本法で日本全国の県、
市町村に全部形だけはあるのです、一ところが、なぜ三百名の方が亡くなってしまったか。あのとき私は気象庁に雨量の合計を聞きました。その雨量の合計は、この
災害対策の計画の中では二百ミリを超えればというのに、それじゃ
災害対策本部ができたのはどうなんだ、千ミリを超えたときにできたのです、これはわずか一カ月の半分の十五日間で、
長崎県に一年間二千ミリ振るものが千ミリを超える雨が降ったのです、それなのに
災害対策本部ができたのは、千ミリを超えて初めて夜の二十時三十分にできたわけです。これで十分な
災害対策が対応できるか、できないじゃないか。
私は、紙の上でこんな地域防災計画をつくっても
意味はないとは言いません。しかし、これが生かされて、避難命令も書いてあっても避難命令も出せなかった、こういうことを二度と起こさないでほしい、生きた地域防災をつくってほしいと、あのとき当時の消防庁
長官の砂子田さんに言いました。
長官はこの中で、人命をたっとばなければならないし、見直しをいたします、しかも厳しく見直しをするということで、その後何回かごの地域防災計画は見直しをしてくださっておられます、
しかし、私は果たしてこれで大丈夫なのかなと、いつも心が痛んでおるわけでございまして、特に気象庁から
長崎の十日からの雨量を私はもらっているわけでございますが、わずか三日間で二百三十八ミリ、二百ミリを超えているのです。それでも
災害対策本部はできなかった。しかも十日間過ぎたときにはもう六百ミリ近い。それでも
災害対策本部はできなかった。書かれることと現実の対応とは余りにも違い過ぎる。
このことで消防庁は、今の関根
長官も非常に御苦労なさって見直しをするということでおられましたけれ
ども、この地域防災計画をしっかり見直していただくことと、長年私は
国土庁長官に、今我々国民は、気象庁のあの気象衛星の情報とアメダスの雨量だけで
災害に対応しなければならない、しかし、
建設省を初め各
省庁の持っている山腹崩壊であるとか土石流危険渓流とか、全部データを集積して
国土庁が防災についてのペンタゴンになってほしい、時々刻々わかるようにしてほしいとお願いをしてまいりました。
きょうは時間がありませんからこれでやめますけれ
ども、消防庁、どうか地域防災計画をしっかり見直していただきたい、一カ所でも二カ所でも、責任を持ってしっかりとやっていただきたい。その決意と、
国土庁長官に、
国土庁が本当の
意味での防災の中枢機能を果たしていただくような防災局といいますか、
中心とした
国土庁であってほしい。この防災マップ等についての御決意を伺って、
質問を終わりたいと思います。