○
猪瀬参考人 ただいま御紹介いただきました
猪瀬でございますが、ほかにもお二方いらっしゃいますものですから、私、実はこの数年間
OECDの
科学技術政策委員会の議長を務めておりまして、どちらかと申しますと国際的と申しますか外とのかかわり合いに中心を置きまして、幾つかの
項目につきまして、全く私のプライベートの
意見を述べさせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
要点は大体
三つの大きな
ポイントに絞ってございます。お
手元に
縦長のB4の
資料がございますが、それに従いまして御説明させていただきたいと存じます。その他もう
一つ英文の
資料がございますが、これはごく最近の「
サイエンス」という
アメリカの権威ある雑誌でございますけれ
ども、それに、私これから申し上げます第三番目の
国際交流に関しまして、特に最近はシンメトリカルアクセスということでいろいろと問題が発生しておりますが、その
記事に非常によく書かれておりますので、御
参考までにお
手元にお配りいたしました。
まず、B4の
縦長の方に従いまして御説明させていただきます。
三つの大きな
ポイントというのはどういうことかと申しますと、
一つは
構造調整にかかわる問題でございます。第二番目は
基礎研究にかかわる問題でございます。第三番目は先ほど申し上げました
国際交流に関する問題というようなことで、大体十一ほどの
ポイントをここではたくさんある
ポイントの中からある程度恣意的に選びまして、それにつきまして述べてまいりたいと思います。
第一の
ポイント、
構造調整に関して申し上げたいと思いますのは、
構造調整という
目的のために
科学技術をもっと動員すべきであるというふうに私は考えているからでございます。
貿易不
均衡の改善というのが
構造調整の大きな
目的の
一つになっておりますけれ
ども、これは
輸出を抑える、あるいは
輸入をふやすということでない限り、不
均衡というのは当然改善されないわけでございまして、やはり
日本は
加工貿易国でございますから、余り極端に
輸出を抑えるということは難しい。一方、
輸入をふやすということもなかなか難しいということで、
両方のバランスをとっていくということが
現実的なソリューションではないかと思います。
まず、
輸出抑制という面で申し上げたいと思います。
最近、
貿易不
均衡で非常に
日本からの
輸出額が多いということは
アメリカや
欧州の
国々からも批判されておるところでございますが、それらの
国々は、
輸出の絶対額が多いということを問題にしておるわけでございまして、
日本が
輸出によってどれだけ
お金をもうけているかということを問題にしているわけではございません。つまり、彼らの言葉で申しますと、ペーパー・シン・
プロフィット、紙のように
利益の薄いものを
世界じゅうにまき散らす、それで
世界の
市場の秩序を乱すことが困るのだということを言っているわけでありまして、
日本が金もうけしてはいかぬということはどこの国も言ってないわけです。つまり、私
どもから見ますと
薄利多売というのは、私
ら子供のころには大売り出しのときには必ず
商店街にはのぼりが立っておりまして、
日本人にとっては
大変美徳であったわけです。その
美徳がいけない。そんな紙のように薄い
利益のものを
世界じゅうにまき散らさないでくれ、こういうことを言っているわけでございます。つまり、
薄利多売の頭の
考え方を、もっと
厚利小売といいますか
利益が厚くて
輸出額の総額としては少ないものを
輸出するということが、彼らも期待していることでございますし、また私
どもも、
構造調整、
産業構造の
転換ということでは、究極の
目的は、もっと
利益の厚い、
付加価値の高い、そして
世界で抜群の性能を持って、それによりまして価格をリードできるような、そういうものをつくらなければいかぬということになるわけでございます。そのためにはやはり今までのようなコンベンショナルなものをつくっておったのではだめでありまして、独創的な
科学技術というものがあって他の
追随を許さないような
製品ができて初めて
利益の厚い品物で生活をしていくことができるということになるわけでございます。したがいましてそのことから見ましても、
基礎研究の
充実ということあるいは
独創的科学技術の育成というものが非常に重要であるということは、これは
構造調整上からいきましても明らかであろうかというふうに思います。そういう
意味でやはり、もちろん
基礎研究というのは人類の知見を
拡大するということもございましょうけれ
ども、
日本の当面の最も
重要課題であるところの
構造調整ということに、特に
厚利小売ができるようにするためにも、
基礎研究というものが非常に重要であるという認識をできるだけ広い範囲に持っていただくことができれば大変幸せだというふうに思っております。
第二番目に、
現地生産の問題でございます。
輸出を名目上減らすために最近
日本では
現地生産という
方法が盛んにとられております。これは確かに
地元にとりますと
雇用機会がふえるというようなことで、短期的に見ると歓迎されておりますことではございますけれ
ども、私は
OECDに過去十年間ほど行っておりまして、この問題というのは
米欧間で長いこと論議されたところでございます。その当時は、
アメリカの私企業が多
国籍企業として
欧州に進出していく。
欧州側にしてみますと、進出された場合どういう
メリットがあるのか。短期的な
雇用機会がふえるというようなことはあるけれ
ども、しかし、
外国の
技術を持ってきて
外国の規格のものをつくって、そして
ただ物を生産するだけであるということが続きますと、何もその国の
科学技術能力に寄与するところがない。あるいは、だんだん
基幹産業をその国の
技術によって侵食されてしまうというようなことが常に言われておりまして、これに対して
アメリカ側は盛んに防戦に努めてきたわけでございますけれ
ども、最近は、
欧州の人が
アメリカに対して言っておったと同じことを
アメリカの識者が
日本に対して言うようになっております。
ですから、単なる
現地生産というようなことでこの問題を乗り切るということは、今後は非常に難しくなってくるだろう。多
国籍企業の批判をいたしましても
欧州側は、物をつくるだけではなくてそこで
研究開発もやってくれるなら、これは
地元の
科学技術能力の向上に寄与することができるのだから大いに認められるというふうなことを言っておりましたが、最近でもそういう
議論が
アメリカで出されております。こういう面でもやはり、
現地で
研究開発を進めまして、
技術革新の複雑な
プロセスはございますけれ
ども、その全
プロセスを
現地の方々と分かち合う、その
メリット、ベネフィットを分かち合うような姿勢というものが今後必要になるのではないかというふうに思うわけでございます。
二ページ目の方に参りまして、次に
輸入拡大でございます。
これも、
生産財を
輸入するということはなかなか難しい。それは、
設備投資が停滞しているということが最大の原因だと思います。
消費財は既に
飽和状態にある。原料といったようなもの、特に農産物を含む一次産品というものの
輸入をふやすか、あるいは
内需を
拡大することによって全般的に
輸入を促進するという以外に、
輸入拡大の
方法は余りないように思われるわけでございますけれ
ども、それは
先生方御
承知のとおり、
日本の
産業構造の
転換というのは、二度の
石油危機があった関係もございまして非常に省
資源、省エネルギーの面での
施策が進んでおりまして、今ここで急に
資源やエネルギーをたくさん
輸入しようと思いましても、もう
産業構造の
転換が先行しておりましてなかなか難しい。したがいまして、
円高の
メリットというものをそういう面でとるということはある程度限度があるという
状況になっております。また、
食糧等を
輸入しようということになりますと、
構造調整論等を超越したような形で、緊急時の
食糧確保というふうな
議論が相変わらずされるというふうな一種のジレンマがあるわけでございます。もちろん住宅というようなことも考えられますけれ
ども、現在のように土地が値上がりしておりますと、その
投資効果の大
部分は
値上がり部分に食われてしまうというようなことがあるわけでございます。
やはり私は、
輸入拡大にも
科学技術をもっと積極的に取り入れていただきたいというふうに考えるわけでございます。例えば
資源を
輸入するという場合でも、現在のような鉄とか
石油とかいうようなものを
輸入するのではなくて、
希少金属といったような高価なものを大量に
輸入するようなものが必要だというふうに前々から思っておりましたけれ
ども、昨今は例の
高温超電導を初めといたしましてこういうふうな新
素材というものが
現実のものになりつつあるわけでございます。こういう面で
輸入は、
素材としても希少、高価な
素材をたくさん
輸入して、それに高い
付加価値をつけて他の
追随を許さないようなものにして
外国に送り出すというふうなことも必要かと思います。
もう一方、先ほどから緊急時の
食糧確保の問題がございますが、
スイスというような国を見てみますと、あそこの国は
食糧を外から
輸入しておりますので、大体
小麦を二年間分ぐらい備蓄いたしまして、古い
小麦からだんだんリリースをしていく、
市場に出していくという
やり方をしておるわけでございますが、つまり
スイス人が二年間食っていける
小麦をいつも備蓄しておるわけでございます。そういうことが先例としてあるわけでございますので、
日本でも
食糧の
大量備蓄の
技術というものを確立することができますと、これは緊急時の
食糧確保の問題と
農業政策の問題あるいは
構造調整の問題と切り離して
議論することができて、ずっと政策的なオプションがふえてまいります。そういう面でも、
技術というものを確立させていただくことができれば非常にいいのではないかというふうに思うわけでございます。
最後に、
社会資本充実のための
科学技術ということでございます。
私
どもの身の回りを見渡しますと、
日本の国が非常に栄えているということを申しますけれ
ども、しかし、このままでもって私
どもがこの国を
子孫に誇りを持って譲り渡すことができるだろうかということを考えますと、実は、地価をとってみましても、
本当の
意味のインフラストラクチャーが何もないというような
状況でありまして、そういう
意味では、
社会資本充実にこの際思い切った
投資をしていくということは大変大事だというふうに考えます。しかし、これはなすべきことが余りにも多い。したがいまして、
投資効果をできるだけ高めていくということでありませんと、
社会資本の
充実というのはよくよく考えてみますとこの世に極楽を具現することでございますから、無限の金がかかってしまう。そういう
意味でもやはり
科学技術の
能力というものを
最大限に活用していただきたいというふうに思います。
現実に、
先生方御
承知のとおり、
救急医療情報システムとか
交通管制システムというものが
日本の各都道府県でえらい積極的に使われまして、それによりまして、道路の建設とか
医療設備への
投資が非常に有効に使われているということが国際的にも認められているところでございます。今後も
社会資本充実ということで
内需拡大を進められる場合には、
科学技術能力を
最大限に活用し、
投資効果を有効にしていただきたいというふうに思うわけでございます。
実際に、この国にはたくさんの
外貨があるということでございますけれ
ども、その
外貨は高金利を求めてほとんど
海外に流出してしまっているという
状況でございまして、私あたり前にもちょっと新聞にも書いたことがございますけれ
ども、
足利時代にはたびたび徳政ということが行われまして、その国の
社会システムを維持するために、借金をある時期全部パアにしてしまうということによって、
足利幕府は財政的な破局を免れて、むしろ経済的な発展がそれから生まれたというようなことも
歴史の本に書いてございますが、そういうことが
世界的規模でないとはだれも言い切れないと思います。したがいまして、この際にそれだけ蓄えた
外貨というものは、ただ金利だけの
マネーゲームのために使われていいのかどうか。私
どもの
子孫に誇ることができるような国を建設するということのために使われる方途というものを考えていただきまして、その為金が非常に有効に使えるようにぜひ
科学技術能力を動員していただきたいというふうに考えている次第でございます。
次が、第二の大
項目に入らしていただきまして、
基礎研究の問題でございます。
これは
先生方よく御
承知のとおりでございまして、
我が国では
基礎研究というものがどちらかというと軽視をされてきたというふうに、
外国からも見られております。まあ
サッチャー首相の
基礎研究ただ乗り論というのは大変有名でございまして、これはもうどこへ行きましても、
外国でまずこの話になると開口一番やられる話でございます。よくよく聞いておりますと、
日本人は
他人の
基礎研究の
成果に
ただ乗りをして、そして
応用研究や
製品化に専念して
世界じゅうの
市場を独占しているのはけしからぬ、こうおっしゃるわけですが、
基礎研究を全然しておりませんような国が
他人の
基礎研究の
成果に
ただ乗りできるはずがないのでございます。それはそれなりにやっておるのでございますけれ
ども、余り目立たない。どうして目立たないかといいますと、やはり
基礎研究への
投資が少なくて、そのための目に見えた
業績が、
応用研究や
製品化という面の
業績に比べますと出てきてないということによるわけでございます。
基礎研究をしてないわけじゃない。みんな一生懸命やっておりますけれ
ども、人も
お金も極端に少ないという
状況が続いているということになろうかと思います。
また、先ほど申しましたように、
日本の国内ではもうそろそろ
キャッチアップの
段階は卒業した、これ以上
外国から学ぶところもないので、今度は自分で知識を生み出さなければいけないという御
意見もございます。この
両方から何とか
基礎研究を強化したいというお話をいろいろ聞かされておりますけれ
ども、私をして言わしめますと、
基礎研究を強化するための
仕組みは既にかなり整っておるのでございますが、その
仕組みが実際に動き出していないということが申せるかと思います。それを申し上げるとまた
お金の話かとおっしゃいますが、まさに
お金の話でございまして、後で申し上げますけれ
ども、いろいろ
仕組みがございますけれ
ども、こういうところに何人とか、こういうところに何
講座とかいうふうな
格好で、全く
シンボリックな
格好で、ただいまお
手元にお配りしております英文の
記事にもございますけれ
ども、
アメリカのフランク・プレスというナショナル・アカデミー・オブ・
サイエンスのプレジデントは、私が大分努力いたしまして
東京大学に今までに
歴史上初めて
寄附講座をとってきたのでございますが、そのことを御本人に大いに私が申しまして、今度こういう面でも努力しているんだ、それは大変結構だけれ
ども何しろ四
講座ではこれは全く
シンボリックですよ、そんなもので
日米間の
国際交流が飛躍的に高まるというわけではないんだ、あなたのアクションは非常に評価するけれ
ども、こういうものを今後いかに拡充していくかということは
日本の政府なり
日本人全体の責務ではないか、このような
格好で
シンボリックなものをあちこち見せられてこれでやっておりますと言われたのでは、我々としては納得しないのだということを言われたのでございますが、そういうことがあったわけでございます。
それでまず、私は、
一つは
経済優先という点を、この際
基礎研究を考える場合にはしばらくおきまして、そのしがらみを断ってお考えいただく必要があろうかというふうに考えるわけでございます。その辺が三ページから四ページに書いてございます。何しろ
日本ではかなりの
楽観論がございます。これだけ今までよくやってきたぞ、これから
日本人が
基礎研究をやろうということになったら
本当にやるぞ、だからほっといても大丈夫だというふうなお考えもございますし、もう一方、やはり
日本はもうしがない
加工貿易の
商人国家だ、生き延びていくためには金もうけだけやればいいのであって、役に立たないことと金にならないことはやらぬ方がいい、特に
基礎研究なんてやりますと、
成功の確率が非常に低い、結局は
学者どもの
知的欲求心を満足させて終わってしまう、そんなことはこのような
商人国家にとっては全く身分不相応だからやめた方がいいという御
意見をいまだに聞くわけであります。
そこで、これは
両方ともコンプレックス、非常に自信過剰の面と全く
自信喪失の面がごっちゃになって
基礎研先の問題が論ぜられる。ところがよくよく考えてみますとその根底には、戦後三十年間、四十年間の
経済復興の
歴史の中で
我が国は
経済優先、
経済性が高い、
効率性が高い、
成功率が高いといったようなことを非常に気にしてきたということがあるわけでございます。ところが
基礎研究というものは、実はそういうふうな役に立つとか金になるとか
成功率が高くなければいけないなんということを考えておりますと実にならないということでございます。やはりこの際そういったような枠をまず外しまして
意識改革をしてこの
基礎研究に取り組みませんと、一見
基礎研究らしい
応用研究ばかりが流行してしまいまして、相変わらず
外国から見ると
日本はこういう面での貢献が非常に足りないという話になってくる。それと、まあ私は、思い切って
意識改革をするために、国立ても民間と第三セクターみたいにして大
研究所をつくりまして、その
研究所の名前をインスティチュート・フォー・ユースレス・リサーチ、
無用学研究所ということにしていただいたらどうかということをたびたび御提唱申し上げている次第でございます、
もう
一つは、いや、そんなことをしてもだめだ、
日本人はもともと
独創性がないのだから、いかに金を使っても何してもだめだという御
意見もあるわけでございますが、
日本人にどれだけ
独創性があるかないかということについては、今までまだちゃんとした実験がされていないわけでございます。というのは、明治以後今日まで
キャッチアップの
段階でございましたから、そういう
段階で
日本人の
本当の
意味の
独創性を発揮するというチャンスは比較的少なかった。なぜかと申しますと、そういう
キャッチアップというものは、どうしても
欧米流の物の
考え方をし、その後を追いかけていくわけでございますが、その
欧米流の物の
考え方というのは非常に
論理性の強い物の
考え方でございます。一方、
日本人というのは非常に感性的な、直観的な面ですぐれている。
日本の芸術その他が
外国人に高く評価されているのはまさにそこにあるということでございます。せっかく得意の非常にみずみずしい感性を持った
日本人が、
欧米流の
デカルト流と申しますか、非常に論理的な物の
考え方に
自分自身を閉じ込めまして追いかけていったということがあるわけでございまして、この際そういった枠を外しまして、そして思い切って
日本人の本来のすぐれた性質が
最大限に発揮できるような方策を講ずるべきではないか。
私、学生さんを見ておりましても、大体二種類ございまして、
一つのグループの
人たちは、非常に
直観力が強い。しかし物をまとめるのは下手だ。もう
一つは、
直観力はちょっと劣るけれ
ども非常に論理的に物を詰めていくのがうまい。この
両方を持った人というのは天才だと思いますが、大体どちらかしかない。
日本人はどちらかというと
前者の方で、ヨーロッパの人は
後者の方であるというふうな印象を私はずっと持ってきたわけでございますが、後の方でも書いてございますように、戦後の
日本の
教育の
やり方が若干問題があったのか、どうも
前者よりも
後者の人がどんどんふえてくる。つまり、
問題解決能力のある人は多くなってきたのですけれ
ども、
問題発見能力あるいは
問題形成能力に欠ける人がふえてきた。これは、私も
教育者の一人でございますので、私も責任のあるところだと思いますが、これを今後どうしたらいいかということは、やはり基本的に
欧米流の
論理的思考からの脱却という点にまで立ち返って考えていただくことができれば大変幸せだというふうに思っている次第でございます。
次に、五ページにまいりまして、私は
大学の
人間でございますので、
大学の
人間として
基礎研究をどう考えるかという御質問が出るかと思いまして若干用意してまいりましたが、
大学でまあ言えますことは、
戦前は、
旧制大学とか
旧制高校あるいは
旧制の
専門学校ということで
高等教育も非常に多様であったのでございますけれ
ども、戦後は、
アメリカが参りまして、こういう学校はすべて
同一レベルの
新制大学になってしまった。そしてそれが
アメリカ流のカリキュラムで大体標準的なメニューというような
格好になって、その数も四百以上ふえてまいったのでございますけれ
ども、その結果、いわゆる
教育の
民主化という面では非常に
業績が上がった。つまり、高度の
経済成長と
産業規模の
拡大を支えるための良質で大量な要員の供給ということは、これによって実現されたというふうに思うわけでございますが、その反面、
高等教育は非常に画一的なものになってしまいました。これは、
戦前の
高等教育の方がはるかに多様でございましたが、画一的になり、数がふえ、しかも、いろいろ経済的な困難もありまして、それらに十分なファイナンスができませんでしたために、資金的あるいは人的な
資源が非常にフラグメンテーション、細分化されてしまいまして、そのために、結果的に見ますと
海外の
一流大学に比べますと
基礎研究は極端に弱体化してきているというのが現状かと思います。
その面で、これまた長くなりますので簡単にさしていただきますが、
大学における
基礎研究というのは、これはあくまでも非常に自由な、全く無制約なもとで自由な発想を伸ばしていくという面で
基礎研究に大きな役割があるわけでございます。そのために各教官に一人
当たり積算校費というものも配分され、あるいは
科学研究費というものも配分されてきておりますが、そのいずれをとりましても、どうも
外国の研究
投資に比べますと大きな格差があるわけでございます。もちろん、巨額の資金が必要となるようないわゆる巨大科学と申しますか、核融合であるとかあるいは高エネルギー物理とか宇宙科学といったような面ではかなり手厚い研究支援がされてはおりますけれ
ども、昨今の
高温超電導でごらんになりますように、
基礎研究というものの中には、非常に広い範囲にその可能性が分布しておりまして、比較的少額の
お金でも、それを継続的に維持してまいりますとある時期突然花が開くというものがたくさんあるわけでございます。ですから、
基礎研究イコール巨大科学ではないのであって、むしろ小さな
サイエンスとしての
基礎研究というものが非常に広い範囲に分布している。これらをサポートしていくという面では、残念ながら欧米に比べますと
日本はかなり、極端にと言った方がいいかもしれませんけれ
ども、おくれがございます。そんなような点を見ますと、
仕組みとしてはそれぞれに
科学研究費があり、教官当たりの積算校費というものはあるのでございますけれ
ども、それが十分なファイナンスをするようにはできていないために機能していないという面が、私から見ますとかなり顕著のように考えるわけでございます。
また、民間との協力関係につきましても、いろいろ難しい点がございますが、この点ではいろいろな面で最近改善が見られております。特に工学の分野では、産業界との密接な協力関係がございませんと、産業界における
現実の、
本当のリアルな問題というものをつかんでくることができない。つかんでくることができませんと、
大学の先生はどうしても基礎的といいますか、非常に抽象的な理論的な面に走っていってしまいまして、工学的なインパクトのある研究ができなくなってくるという問題がございます。最近は民間との共同研究制度というものもできましたし、先ほど申しましたように
寄附講座を受け入れることのお許しも得られまして、産業界で非常に熱心にこのことをサポートしていただいておりますので、今後はこういうものが、先ほど申しましたように
シンボリックではなく、実際
日本じゅうどこにでも
寄附講座がある、あるいは共同研究がやられているというふうな
格好に、規模の
拡大といいますか、中身をつくっていくということが大変大事であるというふうに思うわけでございます。
その次、ちょっとページが間違っておりまして、六ページがございませんで七ページになっておりますが、カリキュラムの問題等につきましてもやはりいろいろ考えるべき点があろうと思いますし、また、最近は知識の陳腐化というのが非常に激しくなりまして、私が学校を出たころには、知識の半減期と申しまして、学校で習った知識が半分ぐらい役に立つのが何年間ぐらいかということになりますと、大体十年というふうに言われておったのですが、最近私の同僚が同じような質問を学校を出た
人たちにいたしましたところが、平均五年、短い人は二、三年というふうに言っております。つまり、五年ないし二、三年たちますと、せっかく習った知識の半分はむだになってしまうという時代でございます。
ところが、今までの
大学教育というのは、
大学院
教育も含めまして、非常に頭のフレッシュな若い
人たちに社会に出ていく初速度をつけてやるということが
教育になっておりまして、その後のいわゆる継続
教育という面は、
大学はほとんど関与してこなかった。いわゆる受託研究員を受け入れるとかなんとかということで細々やってはおりますけれ
ども、卒業生を一生役に立つ知識のリフレッシュされた専門家として面倒を見るということは今までやられておりませんので、これは私自身非常に反省をしているところでございますが、今後こういう面でも拡充がぜひ必要である。そうしませんと、せっかく
お金をつぎ込んでも使い物になるブレーンがないということになってしまってはまた困るだろうというふうにも思うわけでございます。この点につきましては、長くなりますのでここでとめさしていただきます。
最後に、
国際交流の問題を申し上げてみたいと存じます。
日本の立場ということを考えますと、最近
アメリカ側等から、
日本は
アメリカの知識を恣意的に使って、それで先ほど申しましたように
アメリカの
市場を独占しておる、これはけしからぬ、もともと私たちの知識を使ったのだからしかるべくあいさつしろ、こういうふうなこともよく言われておりまして、これは先ほど申しましたシンメトリカルアクセスの
議論の発端になっております。しかし、私
どもから見ますと、
日米間とかいうふうなそういうバイラテラルな問題ではなくて、もっとグローバルにいわゆる自由
世界ということを考えてみますと、今まで
アメリカもドイツも
日本も、お互いに自分の
技術を開示いたしまして、そしてお互いに相手のやっていることを見ながら
技術開発をやってきた。そこで初めて、
研究開発投資の重複もしませんでしたし、また国際的な工業標準をつくる上でも非常に有効であったわけでございます。
最近
アメリカ等でココムにも関連していろいろ話も出ておりますが、ココムだけではございませんで、先端
技術というものの中身を見ると、ほとんど全部がいわゆるデュアルユーステクノロジー、軍用にも使えるけれ
ども民間にも使えるということで、みんなミリタリークリティカルだというふうな
考え方を、特に
科学技術の現場にいらっしゃらない軍人であるとか政治家の方々は考えやすい。そうなってきますと、こういう話というのは、ほとんどすべての先端
技術にこれを及ぼしてしまうということになりかねないわけでございます。そういうようなことになりますと、
日本も
技術を囲い込むことになるしドイツも囲い込むことにもなる。西側の
世界はそれぞれに非常な
研究開発の重複
投資に悩まされ、しかもでき上がった
技術はそれぞれ違ったものになりますから、国際的な標準化も非常に難しくなってくるいうことで、ひいては西側全体の
技術レベルが落ち、経済レベルが落ち、
経済成長が落ち、そして政治的不和につながっていきまして、
世界の平和にも重大な脅威になるのではないかというふうに私は思いまして、このことは常に
アメリカの方々に訴えておるところでございます。一方、
アメリカがなぜ戦後、特に一九三〇年の後半から
世界に冠たる
科学技術国になったかと申しますと、これは
アメリカ人の努力にもよると思いますけれ
ども、最大のインパクトは、ヒトラーという人が出てまいりまして大変抑圧的な政治をしてきた。そのためにユダヤ系を中心とする優秀な学者がみんな
アメリカへ逃げてしまった。
アメリカはその方たちを非常に厚遇をいたしまして、そしてその結果その方たちの研究
成果というものが非常に上がりまして、今日のような
アメリカの
科学技術面での優位が達成されたわけでございます。
そういうことを考えますと、
日本としても、
アメリカに次ぐ
科学技術大国でございますので、ぜひ
世界の、特に自由
世界の間での
科学技術の人的交流、情報交流というもののレベルを、
アメリカの政策がどうであろうとも、もし
アメリカの政策が非常に規制的なものになるなら、その分を補完するぐらいにふやしていく、そして自由
世界の中での
国際交流の総体的なレベルを落とさないようにするということが、これは
日本にとっても非常に大事なことでございますが、恐らく今から何十年もたつと
アメリカからも非常に感謝されるのではないかというふうに思うわけでございます。そういう
意味で、研究者の交流それから情報交流という面で、これも
仕組みはあるのでございますけれ
ども、残念ながら非常に規模が小さいということがございますので、ぜひこういう面を拡充強化をしていただきたいと思うわけでございます。
研究者交流について申し上げますと、私もその一人でございますけれ
ども、戦後三十年間、
アメリカはフルブライト計画、あるいはドイツではフンボルト財団といったようなものがございまして、非常に大勢の
日本人の研究者を招きまして自由な研究の場を提供してくれたわけでございます。私も実はフルブライトから旅費をもらいまして
アメリカに参りまして、ペンシルバニア
大学、それからベル
研究所というところへ行っております。もちろん私も向こうにおります間にディジタル交換の
基礎研究を発明してベル
研究所に上げたというようなことがございますから、応分のお返しはしておりますけれ
ども、確かにミューチュアリーベネフィシャルの関係があるわけでして、向こう側にもお返しはしましたけれ
ども、私自身も率直に言いまして
アメリカのすぐれた研究環境というものを非常に高く評価している次第でございまして、そういうことで大変お世話になっている。
ところが、
日本もそれぞれフルブライトの
お金を若干出すとか
アメリカの
大学に
寄附講座をつくるということで、応分のことをしているとは思うのですが、やはり
外国から見ますと、これだけの
アメリカやドイツの努力に対して、
日本は何もしてくれてないではないかという印象を持たれておるわけでございます。特に、大勢の人を自分の方は受け入れているのに、
日本は一向受け入れてくれないではないかと。私
どもの方から申しますと、そうはいってもあなた方は最近
日本のことに関心を持ったのであって、今までは、
日本のことを話してやろうと言ったって話を聞く耳もなかったじゃないの、大体今ごろそんなことを決心してもそうすぐにはできませんよ、
日本の社会に来て
日本語をしゃべらなくてどうやって生活するんですというようなことをよく言っておりますけれ
ども、向こうは、いや、それはそうかもしれないけれ
ども、ともかく
日本は今まで何もしてくれなかったというようなことで、この問題は大分あつれきがふえてきているという
状況でございます。
日本が
お金をどうも
応用研究や開発研究にかけて、政府がそちらの方にたくさん
お金を出して叱咤激励している。これをいわゆるターゲティング・インダストリアル・ポリシーズと申しまして、そういうことをするのはトレードディストーティングであるというようなことを盛んに言っておりましたが、
アメリカ側も、政府の
お金を使うにしたってもっと
基礎研究に
お金を使ったらどうか、
基礎研究に
お金を使って人類の知見をふやしてもらうということについては、
アメリカ側は反対どころか大賛成なので、ぜひそういうふうにしてくれというようなことを言っている。これはヨーロッパでもみんなそうでございます。
したがいまして、先ほど申しました、
アメリカがユダヤ人を初めとする
欧州のすぐれた学者をたくさん受け入れて
アメリカの
科学技術能力を格段に高めだということを考えますと、もしも現在のように若干
アメリカ側が
外国人を規制するというような方向に向かっていくなら、それを補完するような努力を
日本側でしたらどうだろうか。
今まで
日本は単一民族国家ということを言われておりますけれ
ども、よくよく考えてみますと、
日本が大きな発展を遂げたときには必ず
外国の血が入ってきております。特に、第七世紀、八世紀ごろの、それまで
日本は全く部族の集団であったのが初めて国家らしい体制を整えた時期には、非常にすぐれた
外国の
人たちが大勢入ってきている。例えばあのころ最もすぐれた天皇であられた桓武天皇のお母さんは帰化人であるということは、
歴史でもはっきり書かれております。それほどに
日本は、当時には
外国の血というものを入れまして、そしてそれをてこにしまして発展をしてきたということを考えますと、この際
日本にも大勢の人が入ってきていただくということが大事なのではないかと思います。
私も、
東京大学工学部長をいたしておりますときに、そういうことも考えまして、国際的にオープンになった先端
科学技術研究センターというものをつくらしていただきたいということで、これをお認めをいただきまして、そこへ先ほど申しました寄附部門もつけまして、その寄附部門は、企業から
お金をいただきまして部門をつくりまして、その部門の教授は
外国から来ていただくということで現在交渉中でございますが、大変すぐれた、
アメリカの工学アカデミーのメンバーをしております、光通信の第一人者の方にまず第一号として来ていただけるように話が進んでおるところでございます。向こうも、
日本へ行きますとなかなか暮らしが大変だ、何しろドルが安いんだからとか住居が狭いとか、さらに、奥さんが大体仕事を持っておられますので、
アメリカの仕事と同じような仕事を
日本で探してくれと、こう言われたところでなかなかないわけでございます。
そういうことで大変難しいのでございますけれ
ども、一度こういうことがうまくまいりますと、
アメリカの
先生方も言われているのですけれ
ども、爆発的に
日本へ行きたいという人数がふえていくだろうというふうに言っております。そうなりますと先ほどのように受け入れの枠をしっかりつくっておかなければいけないということになろうかと思います。ここにも書いてございますように、
日本には一億二千万人も
人間がいるのだからもう
外国から人が入ってくるのはだめだというのが一般的な
意見でございますけれ
ども、私は、もう一億二千万人もいるのだから十万人ぐらいいい人が入ってきても別にどうということはないのじゃないかというふうに思う次第でございます。
次に、最後でございますが、九ページに参りまして、
科学技術情報交流ということもこのごろ盛んに
外国からやかましく言われております。ところが
日本は、御
承知のとおりフロー関係は非常に熱心なのでございますけれ
ども、ストックにはほとんど関心がない。情報につきましても同じでございまして、情報ストックというものについての関心が非常に低かったために、現在までデータベース等が非常におくれをとっております。私
どもはこういう関係をやっておりますものですから、過去十年間、油断というのと同じで、情報が断たれたら困るというので、油断のかわりに情断キャンペーンというのをテレビ、ラジオ等を使わしていただいてやってまいりましたけれ
ども、なかなかうまくいかないわけでございます。
最近
アメリカでは、
日本にたくさん情報を提供してやっている、その情報に見合った情報を
日本が出さないようだと今後情報はやらぬかもしれぬよというふうなことも言われておるわけでございまして、いわゆるシンメトリカルアクセスの中には情報交流も入っていく。そこで私としては、やはり
日本から発生する情報ぐらいはせめて我々の手でちゃんとデータベースの確保をして出す、あるいはさらに
外国の情報も含めて我々独自のいいデータベースをつくって
外国に情報を提供していくというようなことが必要なのではないかというふうに思いまして、私自身もこの二、三年間、
学術情報センターということで、
大学等の図書館の持っております膨大な図書や雑誌の活用を図るための目録情報システムをつくるとか、あるいは学問のために必要な二次情報データベースをつくるとか、さらには、そういうことを利用していただくための全国的なネットワークをつくるというようなことを一生懸命やってきてはおりますが、なかなか資金、人員等も、対応する
アメリカのそういう機関に比べますと弱体でございます。
例えば図書の目録でも、
アメリカにはOCLCというのとRLGと二つ大きなところがございますが、例えばOCLCをとってみますと、八百人ほどの人がおります。私のところは四十四人でございます。さらに、私
どもの方はこれ以外にもやっておりますのが二次情報のデータベースをつくることでございますが、これは例えばケミカル・アブストラクト、化学関係のところでございますと、千人の人が働いております。私
どもは先ほどの四十四人の
人間が、図書館のこともやりながらこういうこともやるというふうな
状況でございまして、自分のところを申し上げてまことに申しわけございませんが、全般的に申しまして、データベースに対する国家の
投資というのは、一番最盛期
アメリカが非常に頑張っておりました時期には、円にいたしますと年間千四百億ぐらいの
お金をつぎ込んでおります。
日本では全部合わせても五十億ぐらいでございます。現在やっと百億を超える
状況になっているということであります。こういう面の
投資を思い切ってしていただくことが非常に大事であります。
科学技術庁さんの下には特殊法人JICSTというのがございます。文部省の
大学関係には私
どもの組織がございますし、各省庁それぞれ組織を持っておられますが、お考えはいいのでしょうけれ
どもどれも非常に規模が小さい。予算も非常に限定されているというような
状況でございます。シンメトリカルアクセスということでいろいろ言われておりますけれ
ども、
人間の交流というのは、先ほど申しましたように奥さんの仕事まで見つけてやらなければなりませんので、なかなか大変なんでございますが、情報交流というのは、これは奥さんが来るわけじゃございませんので、人と
お金を思い切ってつぎ込めば、比較的早く
アメリカ側もやるよというようなことができるわけでございます。そういう面の
投資もぜひよろしくお願いいたしたいと思います。
これと並行しまして、最近は知的所有権の保護という問題がございます。いわゆる
科学技術情報の
国際交流のための国際的なルールづくりというものがある。これは
日本も基本的には賛成しているところでございますし、
アメリカも非常にこの問題を推進しておる。特に、中にはいろいろ機微な問題も含まれておりますけれ
ども、やはりこういうもののルールが確立しておりませんと、
日米間と日欧間だけではなくて、
日本とNICSとの間でも将来こういう問題は必ず起きてくる。そういう問題を一方では固めながら、情報の
国際交流を推進していくということが大変必要ではないかと思います。
ちょうど時間でございますので、これをもちまして終わらせていただきます。ありがとうございました。(拍手)