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小渡委員 琉球政府の立法していました
水先人の
資格は今申し上げたとおりです。千トン以上です。ですから、
乙種船長資格で十分だったのですね。それとまた、
甲種一等航海士でも
水先人の
試験に合格すれば、それでもパイロットになれたわけなんです。そういうことがあるのです。
ところが、
ガルフだとか
石油企業が
沖縄に誘致されて後問題になってくるのでございますが、
米軍は
民政府の指令一号を発布いたしまして、
沖縄のそのような
水先案内人では、とてもじゃないけれども、何十万トン、何万トンという船をあの
桟橋に横づけさせて安全、無事に運航することは不可能である、こういう見地に立ちまして、そして英国から
技術を導入するのです。
技術導入審議会を経まして導入します。それで、彼らによって一時船の出入りの
水先を行うのでございますけれども、もともと
琉球政府といたしましては可能な限り
沖縄に本籍を有する者、現住所のある者から採用してくれということで、当時
甲種船長免許を取得しておるのはだれかといろいろ調べましたら十五名ぐらいおられたのです。だが、それぞれ仕事にはまだついていらっしゃるし、なかなかその
機会がなかった。
ところが、この
宮城君、これは
琉球政府の職員だったのです。
甲種船長免許を持っている、
商船大学の出身なんです。
崎浜君も
甲種船長免許を取得していまして、
琉球海運にいたわけです。この二人をスカウトしまして、それでこれだけではあんなでかい船を安全に横づけさせるということは困難だということで
特殊訓練に入るわけです。
ガルフ社が六カ月間にわたる長い
期間訓練をいたしまして、そしてようやく
バーシングマスターとしてこれに
資格を与え、
高等弁務官からも任命されるわけなんです。当時そういう形をとっておるわけですね。
ところが、そういう
経緯を経て十六年間、さっき申し上げました隻数を出入りさせていながら、
ただの一件も
事故がないということですよ。あんなに岩礁の起伏の多い
金武湾です。そして、台風の常連の
地域とも言われているところで、避難、
離着桟橋、こういうことを完璧に行った。この
技術は高く評価されてしかるべきである、このように私は思うのです。少なくともこの二人にはまだ戦後は終わっていないし、
復帰も終わっていない、このように思うわけです。それはなぜかと言えば、何の
資格も与えられないからなんです。
そして、
那覇の
水先案内人会の
水先案内人が五名ほどおられます、故人になった方もおられるけれども、名前を挙げるのは控えますが、この皆さんは
甲種の
船長免許を持っておられる方は一人もいないわけです。みんな
乙種免許ですよ。そういうことで、そのまま三千トン以上の、三年間の
船長経験もお持ちにならないのにかかわらず、
復帰の時点で
水先区に
指定し、
特措法で取り扱いましてこれらを全部
水先人として認めたわけです。片方は
水先区に
指定していないからということが
ただ一つの理由であるとするならば、今後どうするつもりなのかということを私は
調査してみました。
ここに
運輸省の
資料があるのです。この
運輸省の
資料によりますと、全部説明すると時間がないのですが、「
水先区
新設(案)」というのがある。
三つ案がありますよ。この案のどれを採用したらいいかということを
海上安全船員教育審議会等に
諮問をしております。まだ正式なものは何も出ていないようでございます。これを読み上げると時間がかかりますから別に読み上げませんが、
三つ案がございます。
三つ案がございますけれども、これはこの案によりまして、
中城湾港が六十五年には
公共埠頭が完成する
予定になっているわけですが、それを前提といたしまして、その六十五年に施行する。要するに、
水先区として
指定をして施行をする、こういう御
予定を立てられて、六十四年には
政省令の改正を行おう。それから、六十二年、六十三年、ことし、来年、
水先部会などにいろいろ
諮問したりなんかして検討してもらおう。その検討してもらうのが先ほど言った三案である、こういうことでございます。その三案の中には、六十五年から
水先区として施行しよう。またもう
一つの方は、六十五年でもない、もうちょっと先、
実情を十分把握してから
水先区に
指定してもいいじゃないかというような案もあるわけです。もう
一つは、もっと早くやるべきだという案なんですよ。その
三つなんです。
ですが、いずれの場合におきましても、さっき言った二人ともう一人、
長山行雄さんという人がいる。これは
琉球政府時代に
本土に籍を置く者で、
技術導入審議会の議を経て
バーシングマスターに採用された方でございます。もちろん
甲種船長免許を持っているわけです。いずれの場合も
水先案内人としては認められておりません。だから、
毎日戦々恐々とした生活を送っているのです。もう僕らは見込みがないのじゃないか、どんなにまじめに、どんなに確実に当時の事情の許す限り法令や
規則に従って行動をしておっても、
運輸省がそれを評価しないということになると、我々の生きる道はないのではないかという問題があるのですよ。それについて、今度は
運輸省はどう考えているのですか。身分につきましてどうしようと思いますか。それをお答えください。