○
秋山長造君
刑事局長のお話では、両
事件についても警察と十分連絡をとりながらやっておられるということですから、そのお言葉をそのまま信頼しまして、その言葉どおり一層緊密な連絡、協調しながら
事件の解決のために全力を挙げていただきたいと思います。これは
国民に対して安心を与えるということと同時に、
検察なり警察に対する
国民の信頼というものが揺らぎかねませんからね。特に阪神地方を中心にいろんな
事件がここ数年来起こっていますね。これじゃ本当に私はいかぬなと思うんです。大阪や神戸の辺へ行っても、一般の人は
検察とは言いません、警察なんかに対してどういうようにみんな言っているかということを、声なき声に謙虚に耳を傾けられて、そして反省されるべき点は反省されにゃいかぬと思うんですね。
私は、
検察界のある長老、
検察の最高位におったような方で今一線を引いておられるような方何人がおつき合いがあるんですが、そういう方といろんな話をしておりますと、こういうことをおっしゃる方々がありますね。やっぱりそれは上級幹部の身の処し方、やり方、いろんなことについて下はじっと見ておりますと。だから、やっぱり上が上なら下も下というようなことにならぬようにしてもらわぬと、訓示を垂れたとか通達を回したとかいうような通り一遍のことでなかなか締まるものでもありませんというようなことを、グリコ
事件とか、次から次へ起こるいろんな
事件に関連しておっしゃるわけですよ。だれがどうとか、どのケースについてだれがどうしたとかこうしたとかいうことは私は申し上げませんけれどもね。
これは、警察にしても
検察にしても一つの国家権力でしょうが。この権力に対する信なくば立たずということは私は本当に真理だと思うんですね。それに対する信頼というものがありませんと、
犯罪の捜査にしても何にしても、それはかけ声ほどうまくいかぬと思うので、これは転ばぬ先のつえということにもなりますけれども、先ほど法務大臣もおっしゃっておるとおりでありまして、この冒頭の大臣の基本姿勢というものを末端までよく徹底させて、
検察自身も頑張っていただきたい。警察はまた別な機会に主に警察をやって、激励しようと思っているんですけれども、激励する前に、警察も反省することは反省してもらわぬと、だらしなくなっている節々が、これは世間で言われていますよ。こういう問題についても我々としてはただもどかしいの一語に尽きるので、もどかしいものだからあれこれ申し上げるわけですけれどもね。私の申し上げる真意だけはひとつ素直にお受け取りいただきたい。
検察行政の問題についてはそれくらいにして、次に平沢問題について若干。
先ほどの大臣の御答弁では、三十二年もほったらかしたのは、結局、次から次に再審の請求が出たりなんなりして、とにかく延び延びになったのが主たる原因のようなお話でしたが、そういうこともなかったとは言えぬでしょうが、それだけではどうも世間も納得しませんし、私どももそれだけかなと思うんで、やっぱりその根本に、法務当局にその死刑の執行をためらわれる理由がおありだったんじゃないか、最高裁の判決は出たものの、捜査の過程等勘案してどうもやっぱり何か割り切れぬ何物かが残っておる、そういうものが引っかかってずるずる今日まで来たんじゃないかという疑惑を、疑問をぬぐい切れぬわけですよ。これはもう理屈じゃなしにそういう感じを
国民感情として持たしていることは、これは否定できぬですよ。そういうことについて法務大臣あるいは法務当局がどういうようにお考えになっているか。
せんだって、私も亡くなったときの新聞の記事を気をつけて読んでおったら、
刑事局長は記者会見をやられて、談話のようなことをちょっと発表されておったですが、
〔理事名尾良孝君退席、
委員長着席〕
裁判の執行に
関係する立場として平沢死亡について所感などを述べるのは差し控えたいとか遠慮したいとか、そういうことを述べる立場じゃないというようなことをどの新聞でもおっしゃっておるから、恐らくそういうことをおっしゃったんだろうと思うんです。それはそれでわからぬことはありません。わからぬことはないが、それはそれとしてこういう何か納得し切れぬ、どう考えてみても納得し切れぬ何物かが残っておるわけです。これは恐らく
遠藤法務大臣もそういうお気持ちは残っておられるんではないかと思うんで、そういうことがあるから法務大臣になられても判こをつかれなかったんだろうと思うんです。
こういう問題はどういうように
説明したらいいんでしょうか、もう疑問を残したままで時の経過で消えていくのを待つということ以外にないんでしょうか。またこの経過にかんがみて、例えば、死刑囚の年齢、あるいは健康あるいはさらに恩赦、あるいは仮釈放とか、何かそういうようなことについて今の
制度のままでいいんだというように突っ張っていっていいのかどうか。そういうことについてもこれを一つの貴重な教訓として再検討の余地があるんじゃないだろうか。
それからもう一つは、今の
制度上から言えば
裁判所は判決を下したらもう後は一切タッチしない、後は全部
検察の方へお任せということのようですけれども、一体それで本当にいいんだろうか。それは
裁判所対
検察庁という
関係ではいいかもしれぬけれども、
国民は
裁判所であろうと
検察庁であろうと、もうそんなことよりも何よりも
国民の
人権とか
国民の生命、財産、自由とかそういうものが大事ですから、役所の都合で縄張りがどっちにあろうとそういうことは問題ではないんで、要するに、国として一体それでいいのかと、こうなるからそうすればやっぱり
裁判所としても無関心でおれぬのではないかと思うけれども、判決を下すまではおれの仕事で後はもうそっちだと、これでいいのかどうかということ。特にこういう問題について
最高裁判所なり、あなたの、
裁判所の方はどういう御見解を持たれるんですか。何かコメントをされたんですか。されるつもりはないんですか、どうですか。両方へお尋ねします。