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安永英雄君 後で申しますけれ
ども、メリットとしては、今おっしゃるのを要約すると、訟務関係あたりで
刑事事件に弱いのでこれへ持ってくるということだろうと思うんです。それからまた、
裁判官については検事の仕事あたり等もやってみて、これは教育のためにやっていくんだと、今の
お話を聞いていますと、交流の目的は大体そういうところにあると言うんですが、それは全然してはならないとか不必要だというわけではないんですけれ
ども、これが今、つい最近まで公判で検事の席に
検察官として座っておる方が
裁判官の席に座っていらっしゃる。
裁判官であった人が国側の指定代理人として法廷に座っていらっしゃる。これは私は異常な形だと思うんですよ。
私は、このことは、特に長い間今みたいな
考え方で交流をされていっていますから、現在のところでは制度まではいかないにしてもそれに近いような交流が今の目的でもってやられておるとすれば、
裁判官の意識の中にはいつの間にか一体感、それから同質感といいますか、そういったものが自然自然にたまってきちゃって、司法権の独立、確立、こういつたものを侵害するというところまで行きやしないか、行っているんじゃないかというふうに私は感じるんですが、そういう交流のことについて私が言ったようなことはありませんか。
あなた方内部の問題としてはないとおっしゃるかもしれないけれ
ども、実際に
裁判に直面する国民、こういう者にとってはこれは
気持ちのいいものじゃありませんよ。
先ほどまで検事の方におったのが
裁判官の方におる。
裁判官でやっておった人が検事の方におる。訟務検事さんの仕事に
裁判官が行っていて大体三年ぐらいするとまたもとに帰るとか、こういう交流は
先ほど言ったメリットよりも、今言ったように司法権の独立というふうな問題等々を比べ合わせますと大したメリットじゃないというふうに私は思うんですけれ
ども、どうでしょうか。今おっしゃったようなことは、例えば、
民事に弱いので持ってきているんだとか、あるいは
裁判官の勉強をさせるためにそういう検事の仕事もちょっとさせておった方がいいんだというふうな、そういうことは研修とかなんとかということで他に手段はありませんか。
国民の目からそういった目で見られるような、極端に言うならば司法と
検察がとにかく癒着している。これはほとんどそういう状態が来たら
裁判官は忌避しましょう。また、
裁判所の方も同一
事件あたりでそんな形をとるはずはない。しかし、実際に
裁判を受ける側には、検事だった人が
裁判官になり、
裁判官でやっていた人が検事になっている、こういったことが不信を招くのは人情じゃないでしょうか。そういった点が長い間に生まれてきていますよ。私なんかも時々相談を受けたりなんかしますけれ
ども、あの
裁判官の前歴をちょっと聞いてみてくれぬか、調べてみてくれぬか、こういうふうなこともよくあることなんですけれ
ども、そのときに必ずこの問題が出てくる。それくらいに、両役所の関係で勉強させるとか
民事には弱いからと、こういったぐらいの理由で今みたいな雰囲気をつくるのは私はいけないと思うんですよ。
この点、特に今の訟務検事の問題等につきましては、ごく最近国民が国を相手取っての
訴訟が次々次々
増加してきておるという状態から
考えるなら、これはもう
考えなきゃならぬ時期に来ているんじゃないか。研修とかなんとかでかわるべき、今の目的を達するためには、
裁判官に検事の立場からいった勉強をさせるとかいう方法は別にないか。
民事に弱いからといって持ってくるのは、これは何とか内部で片づければ片づく問題でしょう。こういった制度化しつつある
裁判所と法務省の人事の交流というのは見直しの時期というふうに私は思うが、この点それぞれの立場から御意見を願いたいと思うし、法務大臣のこの点についてのお
考えをお聞きしたいと思うんです。