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参考人(
岸本重陳君) 最初に、弁解で恐縮でございますが、私どもの
横浜国立大学経済学部は、今回の
入学試験の
やり方として
A日程と
B日程と両方に定員を半々に分けてやっております。三月一日に
A日程の
試験が無事に終わりました。あす
B日程がございます。私、直接実務の方の
責任者をしているわけじゃございませんが、今回の
入試制度改革の素案をつくった、学部内では
入試制度検討委員会と言っておりますが、それの
委員長をしておりまして、さて
合格発表、いわゆる水増しをどれくらいするかとかそういうふうな問題に、いろいろなデータを眺めながら、できるだけぴたりとした
着地点を見つけたいなどという仕事に日夜没頭させられておりまして、本日伺うについても十分な
資料その他の整理をしないままで伺っております。したがって不十分な
お話を申し上げるかもしれませんが、御容赦いただければ幸いです。
結論から申しまして、私、
内需拡大という
言葉は、
中身を伴わないまま随分ひとり歩きしているなという印象を持たざるを得ません。
こんなことを申し上げると
委員の
先生方からひどいおしかりを受け、かつ
不快感を露骨に表明されるかもしれませんが、例えば過
ぐる衆参同日
選挙の際に、ある
新聞社から頼まれて、私は
候補者諸
先生方の
演説を聞いてそれで
経済的知識の
程度、あるいは現下における経済問題の
理解の
程度について採点しろと言われまして、
自動車を動かしながらも
カーラジオで
政見演説放送を聞きまくっておりました。幸いにしてといいましょうか、私にとっては個人的には大変幸いなことに、
衆参同日
選挙の結果がああいうふうになりましたので、これわざわざ分析しても
意味がないということに
新聞社の方も考えてしまったもので原稿を書く手間が省けたのでありますが、そのときに伺っておってつくづく痛感いたしました。
先生方は
お話が巧みでいらっしゃいますから、恐らく聞いている限り
言葉としてはつながっているわけですね。
日本は大変厳しい
国際環境の
もと、何としても
国際協調で生きていかなければなりません。それのためには何としても
輸入を拡大し、
内需を拡大しなくてはなりませんてなことをおっしゃっているわけで、聞いている限り
演説の
調子としてはまことに名
調子でつながっている。しかし論理的にどうかといったら、私はそれ多分論理的に
意味なさないと思うのです。
つまり、今みたいに
経済成長率が非常に低い、言ってみれば
国民の所得が余り伸びていかない、ほとんど
停滞ぎみであるというときには、
輸入をふやせばこれは
内需が食われてしまうというゼロサムゲームの
関係にあることは、これは明白であります。そういった
ゼロサム性を無視して
輸入をふやすことで
内需の
増大が同時達成できるかのごとく、もしくは
内需の
増大と
輸入の
増大とが両立し得るかのごとく
議論が立てられ過ぎている、私は強くそう思った次第でございます。
それは何も
候補者諸
先生方の御
理解に限ってそう言えるのではなくて、私は今日政府の
考え方もやはりそういった不
整合性に陥っているのではないかと強く思わざるを得ません。昨年五月一日に、
東京サミットを前にして、
経済構造調整について、その
推進要綱というものが閣議決定され発表されております。それを拝見いたしましても、私は
内需拡大ということとその整合する
対外経済政策というものが盛り込まれているとはどうしても思えない次第であります。
それはともかくとして、積極的に
意見を申し上げるために話を転換させてもらいますと、
内需拡大の問題を考えるときには、私は少なくとも三つの点をぴちっと押さえておかないと
議論が空回りするのではないかと思うわけであります。
一つは、何のための
内需拡大なのか。何のために
内需を拡大しなきゃいけないのかというその大前提になる
議論、ここをしっかりやっておかなきゃいけないのじゃないか。それから第二には、いかなる
内容の
内需拡大をするのか。
内需が拡大されさえすれば何でもいいというわけにはいかない。これは後で申しますとおり、第一点の何のための
内需拡大がということと
密接不可分にかかわってくるわけでして、何のための
内需拡大なのかということがはっきりしてくるならば、どんな
中身でも
内需と言われるものがふえればいいというふうにはやっぱりいきかねる。望ましい
内容の
内需拡大でなければならない。その
意味で、いかなる
内容のということが問われなければいけないと思うのです。もちろん、その
目的と
内容がそれなりに明確になったといたしましても、第三には、それを実現するためにいかにして達成するかという
手段の問題が重要であります。経済的な
政策手段というものはそうオプションが多いわけではございません。しかし、それでも同じ
目的の同じ
内容のことを達成するのに、例えば
効果の時期的なあらわれ方、あるいは
効果の
地域的なあらわれ方、あるいはまた
効果の階層的なあらわれ方、それらにはやはりかなりな違いがあり得るわけでして、いかにして達成するかという
手段のオプションに関してやはり慎重に考えなきゃいけないと思うわけであります。
以上の三つのような、何のための、そしていかなる、いかにしてという三つの問題点を意識しながら申し上げたいと存じますが、まず第一点の何のための
内需拡大かという点で申せば、これは恐らくどなたも
意見が一致するだろうと思います。
一つには、何といっても当面の経済摩擦を解消しなきゃいけない。当面の経済摩擦を解消するためには、
内需拡大というものが必要であるという点では恐らくどなたも一致できると思います。短期的な
政策目標として当面の経済摩擦の解消ということになるわけです。中長期的に見た場合にはどうか。
内需拡大の中長期的な目標としては、やはり
国際協調型の
産業構造をつくり上げるということに尽きると思うのです。これも、こういうように言う限りではどなたも
意見の一致が見られるだろうと推定できます。ただし、実は短期的に見て当面の経済摩擦を解消するために
内需拡大が必要だという点では賛成、一致があるといいましても、実はそこには物すごいニュアンスの隔たりがあるわけです。
当面の経済摩擦を解消するのに
内需拡大なんてそんな迂遠な
政策で間に合うものか、こういう
議論が十分成り立ち得ます。私は、ある
意味ではその立場に立っております。しかし、そうかといって
内需拡大をおっぽらかして当面の経済摩擦の解消があり得るわけではないということもこれははっきりしているわけでして、そこいらの重なりの部分、重ならない部分の大きさ、それはいろいろケースはあるにしても、まあまあ一致できる範囲は存在しようか、こう思うわけです。
その当面の経済摩擦解消のために何としても、つまりそれだけで足りるかどうかは別として、しかし何としても
内需拡大は必要だという点で合意が得られるとしたら、どういうのでしょうか、その
政策効果というものをどう評価するか、そこで
意見が分かれてくるわけですから、そこが問題の焦点になろうかと思うのです。
御承知のとおり、経済摩擦というのは今のところ
貿易摩擦である。もちろん、この
貿易摩擦の根底には文化摩擦を含むものがあって、もしそういう
言葉を使っていいとすれば経済・文化の摩擦にもう今や発展していると。だから、これを単なる
貿易摩擦と呼ぶのは大変おかしいという段階でもある、こういう見方が可能であります。
しかし、まだ当面のところは一応
貿易摩擦だと言っていい。恐らく早ければこの八〇年代末から、遅くも九〇年代初めには火を噴き始めるであろう投資摩擦まで現在は行っていないと。そういう
意味では
貿易摩擦段階にとどまっていることを今与えられた天の時として、何とかしてこの経済摩擦、経済・文化摩擦の延焼拡大をとめなきゃいかぬわけですが、ともかくこういった
貿易摩擦がなぜ生じているか、この点でも恐らく非常に共通認識がありながら、同時に非常に大きな見解の隔たりがあると言っていいんじゃないかと思うのです。
貿易摩擦が生じているのは、例えば
日本の貿易黒字が大きいからである。八六年末九百億ドルになんなんとするというもうギネスブックものの、一九八〇年にサウジアラビアが達成した四百十億ドルという史上最高の貿易黒字を
日本はこの三年間連年塗りかえてきて最長不倒距離を更新中なわけでありますが、この貿易黒字が問題であると。そこに焦点を合わせるならば貿易黒字を減らせばいいと。貿易黒字は何か。
輸出マイナス
輸入が
プラスになっているからである。しからば
輸入をふやせばいい、こういう
対応になろうかと思います。アクセントが
輸入増大の方に向けられるということになろうかと思うのです。
しかし、私の見解で言えば貿易黒字が大きいというのは結果であって、この結果を小さくするためには原因の方を何とかしなきゃいかぬ。原因の方を何とかするというのはどういうことか。端的に言って
輸出を落とすしかない。
貿易摩擦というのは、黒字というような非常に抽象的なレベルで起きているのではなくて、
日本の
自動車産業とアメリカの
自動車産業、
日本の家電
産業とヨーロッパの家電
産業、当該
産業ごとにそれぞれの
産業の、各国
産業の利害をかけて、浮沈をかけて摩擦が起きているわけですから、総括的に黒字をいじろうとしても個別
産業ごとの摩擦なんという問題が解決できるわけはないと私は思うわけです。
日本からの
輸出を何とか相手国の当該
産業が納得する水準まで低下させるしか当面の
貿易摩擦の解消策というのはないだろうと私は思うわけです。
そういう脈絡で言うと、私の場合、
内需拡大策が
貿易摩擦解消のために必要不可欠であるという根拠は、
輸出に回っている摩擦
産業の
製品を今ほど大きな割合で
輸出に回さないでも国
内需要でさばけるようにするという、いわば
輸出の
内需転換のために
内需拡大が必要だということになるわけです。
輸出をただ落とすというだけでは当然その
輸出に大きく依存している
企業、
産業は
不況状態に陥ります。そしてまた、それら
産業の
不況状態が引き金で、
氏原先生御指摘のような連関をたどって他の
産業部門へ、あるいは
地域へと
不況は波及的に広がっていきます。
したがって、ただ
輸出を落とせだけでは済まないわけです。
輸出を落としても
企業の方が操業度を落とさないで済む、活動レベルを下げないで済むというように補完しなきゃいけない。その補完のためには
内需を拡大するしかない。つまり、
輸出産業が今まで
輸出に回していた分のかなりな割合を
内需に振りかえて転換した場合に、そこで玉突き現象が起きて
輸出でないほかの
産業の
需要が食われてしまったというのでは
日本全体にとっては不景気はなくならないわけでありまして、そういった玉突きを起こさせないためには
内需の絶対量というものを拡大していかなきゃいけないと。私の場合、当面の摩擦解消策としての
内需拡大策、それの
意味づけとしてはそういうように考えるわけです。
そのための
手段ということについては後で申し上げたいと存じますが、長期的に見て、
国際協調型の
産業構造をつくる、そのためにも
内需拡大が必要だという点は、これは非常に共通
理解が、共適合意が得られやすい論点かと思います。余り大きく
輸出に依存しないでも、諸外国がぜひともメード・イン・ジャパンでなきゃいけないというものを諸外国が納得する範囲で売っていても、
日本の
企業が着実に成長を遂げ、そしてその
企業のそういった成長に相伴って
国民生活が向上を続けていける、そういった
産業構造、これはどう考えてみたってやはり
内需が一番大きな支えになっている
産業構造なわけでして、
輸出依存度をできるだけ減らしていける
産業構造をつくる、それが
内需基盤のものであるということは論をまたないわけであります。
しかし、私どうもその点では、先ほども例に挙げた
経済構造調整推進要綱のようなものに盛られている
政策は中長期的な
対応として直接投資の
推進を掲げていて、
日本の国でつくったものを国境を越えて
海外に
輸出するからだから問題が起きるので、よその国の中に工場進出して、そしてよその国で物をつくれば、それはもう
輸出じゃないんだから摩擦が少なくなるであろうというような点にアクセントが置かれ過ぎていると思うのです。それは一見非常に積極的な
海外進出型の
企業展開のように見え、そういった
海外進出型
企業展開によって
日本に本社を置く
日本企業が隆々と発展し、その成果が
国民に還元されてきて
日本国の経済自体もまた隆々と発展できる、こういった構図を思い描いているように見えるのです。
しかし、私はもう現段階で、例えば昨年の三月ごろ一ドル百七十円に移ったときに二つほどの
自動車会社が国内工場を縮小して台湾工場を拡大し、そこで
生産した車を
日本に逆
輸入する、こういうことを既にやっておりますが、この百五十円定着段階で、先般も
新聞に出ておりましたように、ある大きな
自動車会社が逆
輸入方式に大々的に踏み切ると。恐らくこれが百四十円定着という段階になれば、私これは極めて近いと思っておりますが、その段階に来れば
日本の
自動車企業はほとんどが
海外立地に全面的に踏み切る羽目に陥るのではないか、そう私は見ております。そうなった場合に、それはもはや積極的な
意味での
海外進出型というよりも、
日本脱出型の
海外展開であると見るべきであります。
現在の円レートを前提にする限り、既に
日本の労働者の、特に製造工業における労働者の平均給与はアメリカの労働者のそれと変わらなくなってしまったと。そうすると、
日本の
企業にとってみれば土地代が安いだけアメリカで展開した方がマージンが大きくなるということも考えられるし、逆に言って、現在の円レートのままで、この高賃金の
状況で
生産したものを
海外に売るのではもうマージンが得られないというふうにもなると。つまり、もう大手の
輸出企業が
日本の経済環境には不適合になってしまってやむを得ず
海外に脱出せざるを得ない、そういった形の
海外進出であろう、そう思うわけです。
そうしますと、昨年五月決定の
経済構造調整推進要綱が想定するような中長期的な
対応として
海外の直接投資を促進するというのは、これは
日本において
内需に基盤を持つ
産業構造を形成するのではなくて、むしろ
産業空洞化促進型の
政策に終わってしまうのではないか。
しかし、
産業が空洞化したまま
国民は食っていくわけにはいかないのでありますから、
国民は何としてでも
産業をつくり出し、そしてそのつくり出された、言ってみれば恐らく最初は弱い
産業でしょう、そういった弱い
産業を
もとにして
輸出をやって、
原材料を買って食糧を買ってというふうなことにならざるを得ないわけでありますから、言ってみれば
輸出依存型の
産業構造は、かえってこのことによって次元を超え様相を変えてでありますけれども促進されるのではないか、こう私は懸念いたしておるわけであります。
いかなる
内容の
内需拡大かという
内容の問題に簡単に触れますならば、私はこれはどうしても今まで充足されていない種類の
需要、これが掘り起こされるような
内需拡大でなきゃいけないと思います。と申しますのは、何のための
内需拡大かという
議論を立てますと、しばしば私などがこうむる反論は、もはや
内需に拡大の余地なしと。消費はここまで飽和しておる、これ以上消費の拡大をあおるようなことは慎むべきである、省資源、省エネの見地からいっても慎むべきである、もはや拡大を奨励すべき
内需項目というようなものは見当たらないとよく反論を受けるわけです。
私は、個人消費の局面をとってみましても、あるいは社会的資本の部面をとってみましても、もう
需要が飽和し尽くしてしまっていてこれ以上ふやす必要がないとか、あるいはもうふやすべき
需要というものは見当たらないとか到底考えられません。
高齢化社会の到来が言われております。三菱総研の牧野
会長がよく強調なさるように、そうなれば
自動車産業よりも入れ歯
産業の方が売上高でいったら大きな
産業になるんです。ところが、現在入れ歯
需要というものは十分に満たされているかというと、先般のNHKの「トライ&トライ」じゃないですけれども、口に合わない入れ歯を入れて
皆さんが苦労なさっているわけです。
私自身実は身体に障害がありまして、ただ
日本国政府は私のようなレベルを身体障害者と認定してくれないのが甚だ不満でありますが、幼稚園のときから両耳の鼓膜が全くない。小中高を通じて教室の一番前に座っていても先生の話は聞こえない。そういう中を何とか生き抜いてやってきたわけでありますが、幸いにして一九六五年以降電池式の補聴器、最初はポケット型でございます、それが買えるようになりまして、現在はそれが進化して、左耳に入れているのはレーガン大統領のと同じものであります。同じブランドであります。しかしこれはなかなか高いんですね。物すごく高くて十五万円ぐらいする。しかもこれは
一つ買えばいいというものじゃないんです。すぐなくなってしまうとか、すぐ故障があるもので常時二つ三つ抱えていなきゃいけない。そうしますと、これはもう補聴器だけで年間にやはり何十万円という支出を要すると。そういった
需要は今満たされているのかといったら、多くの人が補聴器の必要を感じながら結局使わないでいると。
今、例に挙げたのは入れ歯だの補聴器だの人体機能介助具の例でしかございませんでした。しかし、こういった人体機能介助具の例に見られるように、これちょっと広げますと当然福祉関連の社会資本に容易に行き着くわけでございますが、未充足の消費
需要というものはあちこちに転がっているんじゃないでしょうか。もう抑えてもいい
需要項目、個人濫費の
需要項目というのは確かにございます。しかし、従来満たされず、したがって悶々と人が求め続けてきたものというのがまだまだあるのじゃないでしょうか。
私は、高齢化社会に入ろうとしている今、
企業にはそれらを開発していく能力があるし、それらがうまく商品化されて、うまく社会資本の整備とドッキングすれば大変な新たな
産業構造基盤をつくり出すと確信いたしております。その他にも一、二例が挙げられますが、時間がございませんので省きます。
それで、いかにしてという
手段の問題でございますが、私は、例えば
公共投資をやれ、あるいは政府の方は金がない、金がないから従来
公共投資分野として政府が扱ってきたもの、これを民活でやれといった
議論、それにはそれぞれ理由があると思います。
公共投資も起こさねばなりません。特に
日本ほど、もうこれだけ自然を破壊して、都市もそれから地方も人工建造物、例えば道路を初めとする、あるいは港湾を初めとする人工建造物に依存するようになった今、更新投資だけでも大変な額に上るはずだと思います。
もしこの更新投資を怠ったならば、アメリカで一時期決定的に怠ったわけですが、そうするとニューヨークの高速道路が波を打ってしまい、そして高速道路があるところで突如として切れて、仰せその先は使い物にならないから、それ以上走らせたら危険だからというふうなことで高速道路が機能を失う、こういった事態がすぐにも予想されるわけでして、そういった中では
公共投資の重要性はこれはもう大変なものだと思います。そして、従来政府資金だけでやってきたものに民間
企業が資金を投入してやっていい
事業分野がある。このことについても私は認めるものであります。
しかしながら、未充足の
需要を掘り起こして、そしてそこに
日本経済の新たな
需要拡大の活路を見つけ、それを大道に切り開いていくといったためには、やはり私は
国民の側から、こういうものこそが欲しいのだといった、ニーズに対する
需要が次々に喚起されてこなければいけないだろうと思うのです。
企業が
対応できるのはそういった
国民側の、買い手側の、ニーズ側のシグナルが十分に上がって、それを見きわめながら
企業は
対応するわけですから、そういったシグナルが上がるようにしなければいけおい。そのためには何といったって私は相当
程度の賃上げがあって、そして
国民の方が、ああ消費ふやせるぞといった感じを持たなくてはいけないんじゃないかと思います。
この時期に賃上げなんてというふうに、よく春闘討論会なんかで
経営者の方と並びますと大抵おしかり受けます。ないそで振れるものかとよくおっしゃいます。経済学の
理解から言えばないそでは振れません。ないんだから振れません。しかしそでは振らなきゃいけないんです。どうやって振るか。つくって振るんです。振ってしまえば不思議なことにそでが生まれてくると。
そういったメカニズムが経済の中には働き得るわけでして、何も一年分、二年分の賃金ファンドを抱え込んでおいてそこから賃金払うというわけじゃなし、半年なり何なり、消費
需要がぐっと盛り上がって
企業業績が盛り上がってくるならば当初想定していた以上の賃金原資というものが
企業の手に転がり込む。そういったダイナミックな生きた姿こそが経済なのでありまして、ないそでは振れない方式で行っていたらそれはじり貧に陥るに決まっておるわけです。
この点を別の角度から申しますと、
日本は外需依存型の
経済成長かと言いますと、
需要項目だけで見たらそうじゃないわけです。
日本の総
需要のうち外需、厳密に申して純外需、
輸出などから
輸入などを引いたネットの外需はトータルな
需要、総
需要のうち三・三%しか占めておりません。残りの九六・七%、これは
内需です。
その
内需のうち一番大きいのはもちろん個人消費でありまして、去年あたりの数字で大体六四%。個人消費は単に総
需要の中の六四%という単独項目として最大の比率を占めるというのみならず、
企業の
設備投資もまたこの個人消費に依存する
関係がこの二、三年はっきりしているという
意味では、これは
企業の
設備投資のウエート一六%含めて、
日本の総
需要の八割の動向が個人消費によって左右される、こう見るべきものでありまして、この最大の
需要項目である個人消費にしかるべき同意が生まれてくるような刺激を与えなければ、私は
内需拡大の本当の動きというのは始まらぬのじゃないかと強く思うわけであります。
その点で申しますと、消費意欲をそいでしまう売上税の問題とか、あるいは貯蓄の効率を悪くして、効率が悪くなればますます貯蓄量をふやして効率の劣化をコンペンセートしなきゃいけない、そういったマル優の廃止、一律二〇%課税というような
政策は、今求められている
内需拡大、G5、G6に終わったようですが、そこで世界各国からも求められ、
日本が約束してきた
内需拡大には大変逆行的な
政策ではないかと思う次第であります。
終わります。