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説明員(星野
進保君) 私の方から現在
国土審議会で策定をお願いしております第四次全国総合開発
計画と
不況地域と申しますか、
地域との関連についてどういう
検討をしているかということを
説明せよという御命令でございますのでこれから御
説明申し上げたいと思います。
資料といたしましては、二枚紙の
資料で「
不況地域と四全総
計画」ということでポイントだけ引用してあるところがございます。ほぼこれに沿いまして御
説明させていただきたいと思います。
まず二番目のところ、2という番号がついておりますが、2のところをちょっとごらんいただきますと、「
国土庁試案では、
国土構造上の問題として
東京一極集中と
地方圏の停滞について次のように記述している。」という箇所がございます。今度の第四次全国総合開発
計画の中で
基本的な問題意識としておりますのが
東京一極集中ということと、それと裏腹の
関係でございます
地方圏の停滞ということの問題意識でございます。
ここにポイントだけ抽象的に書いてございますが、「五十年代後半に至り、
東京圏への高次
都市機能の一極集中と人口の再集中が生じている。」これは
先生方御案内のとおり、人口統計で見ますと、
昭和五十年から五十五年ぐらいまで大
都市圏においても人口の流入というのはほぼ横ばいであったわけでございますが、五十五年以降
東京圏だけが人口の流入がまた見られるようになった。それが今日まで依然として続いておるということでございまして、俗に申しますれば、人口につきまして
東京圏だけがひとり勝ちしているという
状況でございます。それが
東京圏への人口の再集中が生じているということでございます。
それからさらにこれも御案内のとおり、
東京圏では特に
昭和五十年代の後半から国際金融でありますとかあるいは
情報機能でありますとか、そういったようないわゆる
都市機能が
東京圏に急速に集中しております。これは指標的に見ますと、
外国企業の事務所でありますとか、あるいは
外国人の居住者の数でありますとか、いろんな指標、あるいは金融指標でございますと預貯金の比率でございますとか、そういったようなものを調べてみますと、
東京への機能の集中というのがかなり著しく、しかもそれが増加傾向にあるということがうかがえるわけでございます。
したがいまして、この文書にございますように、「この傾向が更に進展すれば、
東京圏の居住環境の改善を難しくするばかりでなく、限りある
国土資源と人間活動のバランスが崩れ、貴重な
国土を良好な状態で将来に引き継ぐことも困難となる。」と。
国土政策自体が
基本的な目標というのは
国土の均衡ある
発展ということでございますので、現在の
東京一極集中、それで
地方が衰退しておるという
状況は
国土政策の点から見ても望ましくない
状況でございます。
今度は、他方、
地方圏についてはと書いてございますが、「他方、
地方圏では急速な産業構造の転換による素材型産業や輸出依存型産業の不振等により雇用問題が深刻化している
地域が多く見られる。また、過疎
地域での引き続く人口減少ばかりでなく道県単位でも再び人口減少が生じるなど、
地域振興の上で大きな課題が現出している。」と。繰り返してございますが、都道府県単位で人口を見てみますと、たしか五十年は
東京だけが減少で、ほかの県は増加しておったわけでありますが、最近に至りましてまた県で人口減少が見られる県が出てきたということでございます。特に、ここで
地方圏について申しておりますのは、「産業構造の転換による素材型産業や輸出依存型産業の不振等により」ということでございます。
これも
先生方御案内のとおりだと思いますが、今度の第四次全国総合開発
計画の一等最初につくりました第一全総、第一次全国総合開発
計画は
昭和三十七年につくったわけでございますが、
昭和三十七年につくった全国総合開発
計画の
一つの目玉の政策というのが新産
都市の形成といったようなことを考えたわけでございます。これは、要するに、開発のおくれた
地域に工業基地をつくりまして、その
地域の開発の起爆剤にしようということで、大分鶴崎でございますとか、八戸でございますとか、富山高岡でございますとか、大消費地からかなり離れた
地域で工業基地をつくりまして、そこの工業基地の集積を
活用して
地域開発の起爆剤にしようということで開発を進めたわけでございます。
それで、当時の新産
都市が期待しました産業構造というのは、鉄鋼のコンビナートでありますとか、石油のコンビナートでありますとか、いわゆる重化学工業型の産業構造であったわけでありますが、最近、特に
昭和四十八年のオイルショック後の
状況で言いますと、非常に省エネ、省資源型の産業構造に急速に転換いたしまして、こういうエネルギーあるいは資源を多く使う産業というのが総体的に不振になってまいりました。したがいまして、そういう
意味では、いわゆる高度成長期に大
都市に集中するいわゆる重化学工業を
地方へ分散させた。そのことが逆に言いますと、今日そういう重化学工業地帯での雇用問題、そういうものが出てきておるということで、産業構造の転換ということが非常に今日的な問題を投げかけておるということになるかと思います。
この全体のテーマでございます
内需拡大と、それからそれの
地域的な受けとめ方といいますか、そういう観点から申しますと、恐らく、後ほどまた繰り返し御
説明さしていただきますが、
日本が黒字で、いわゆる
世界経済の中で黒字化して一人勝ちしていることと、それから
東京がいろいろな機能が集まって、現在集中で一人勝ちしているといいますか、そういう
状況になっているということが、どうも平仄が一致していることだろうということであります、
これは我が国の経済構造あるいは産業構造そのものの
状況でありますので、まあ一言で言いますと、従来より製造工業といいますか、あるいは生産をする分野という分野から、いわゆる通常言われておりますソフト化、サービス化といいますか、あるいはさらにもっとはっきり言ってしまえば金融依存型の経済構造にだんだん変わりつつあるということが非常に大きいのではないだろうか。そういう金融依存型の経済構造に変わっているところに、これからの
国土政策として、
一つの現象的には
東京一極集中ということが非常に今起こっておる。それをどうやってまた、まあ一言で言えば科学技術立国型といいますか、そういう科学だとか技術だとか、そういったようなものを基礎にした、将来二十一世紀を見据えたような
国土構造にしていくかということが、実は、次の3にあります
地域の
活性化を図る場合の
基本的な態度ではないだろうかというふうに考えるわけであります。
それは一言で言いますと、ここもかなりはしょった表現になっておりますが、最初に読まさせていただきますと、
地域における就業の場の確保を図り、その
活性化を進めるためには、定住圏の範囲を超えたより広域的な観点からの対応が重要となっている。そのため、高速交通体系等
地域づくりのための基礎的条件を
整備し、
地域の競争力を高めつつ
地域相互の分担と連携
関係の深化を図る必要がある。これにより、
地域が相互に競争し、連捜しあって、
活性化を図り、各
地域が産業、科学技術、文化、学術、観光等それぞれの特性を発揮して個性豊かな
地域へと
発展していくことが課題である、ということでありまして、一言で申し上げますれば、各
地域で今非常に自発的にいろんな工夫が出てきておりまして、例えば、事例で申し上げますと、東北
地方でインテリジェント・コスモス
構想というような格好で、大学のネットワークを中心にしながら新しい光ファイバーでありますとか、あるいは半導体でありますとか、あるいは新素材とかいったような新しい科学技術の基礎になるようなことを東北
地方の大学がネットワークを組みまして
研究開発していくということをまず基礎に置きまして、それをさらに応用をしていくといういろいろな財団が恐らくこれから
検討されることになるのだろうと思いますが、財団が
検討され、さらにその周辺
地域には恐らく、いわゆる
企業、そういったようなものが具体的に実用化していくといったような組み合わせになって、各
地域で新しい科学技術あるいは産業の芽が生えていくというようなことが現に進みつつあるわけでありまして、そういうある
意味でRアンドDといいますか、科学技術的なものをしんにして、これは東北大学の西沢先生の言葉でありますが、我が国が対外摩擦で非難されるのは、かりてきた技術で大量に生産をして、それを輸出するから非難されるのであって、むしろ自主開発でといいますか、創造的技術を開発することによって、それによって海外に貢献するということになれば、海外から貿易摩擦等で非難されるということもそれほど極端にはならないんじゃないかというお言葉もありますが、まさにそうでありまして、各
地域でその
地域に合ったような新しい科学技術あるいは文化、そういったようなものを開発することによりまして
地域が
活性化すると同時に、国際的にも貢献していくといったような展望を踏まえた
地域開発ということをやっていっていただくということがこれからの仕組みではないだろうかということであります。
そのためには、ここにくたくた書いてございますが、
地域内――今まで、これは
昭和四十四年に第二次全国総合開発
計画をつくらさしていただきまして、そのときに交通ネットワークということを一回言ったわけでありますが、確かに交通ネットワークを全国に張りめぐらしまして全
国土の開発可能性を高めるということを当時は言ったわけでございますが、その当時のネットワークの進み方が、特に当時主軸ということで、北から南にかけまして特に軸になるところを中心にして
整備を進めてきて、諸先輩のお力でそういう
整備は進んだわけでございますが、今日になってみますと、北から南に一本すうっと、例えば新幹線でも盛岡から福岡、それから高速自動車道でもむしろ北から南への縦の線の高速自動車道が
整備されておるということで、そのことが、放置しておきますと、むしろ
東京でありますとかその他の大
都市圏への集中の道具になってしまうという危険があるものですから、そういうのをさらにネットワーク化していく、つまり
地域内あるいは
地域間、そういったところでの高速交通体系の
整備というのを早める必要があるだろうということを申し上げております。そういう高速交通体系の
整備の上に乗って各
地域がそれぞれの風土に根差した形で、最初に申し上げましたような、これからの新しいいろいろな
意味での産業の芽、そういうものを培っていただくということによって
国土全体が均衡ある
発展をしていくのではないだろうかということを考えておるわけであります。
四番目でございますが、ここでは
不況地域という御
指定がございましたので
不況地域のところを特に取り上げでございますが、ここは非常に抽象的でございます、率直に申し上げまして。と申しますのは、私ども、当面の対策というよりは、
国土構造全体を変えていくことによってバランスのある
地域構造あるいはバランスのある産業構造に対応していこうということが大筋のねらいでございますので、そういう
意味では、当面どうするかということについては総体的に記述が非常に希薄であります。ただ、ここで言っておりますのは、読まさせていただきますと、
産業調整の進展、海外直接
投資の
拡大等に伴う一部
地域の深刻な活力低下に対処するため、構造的不況に陥っている造船、鉄鋼、非鉄金属をはじめ特定産業への過度の依存により
地域経済の停滞が認められる
地域及び今後停滞の生じるおそれのある
地域については、人材、技術力等の駆集積を有効に
活用し、先端技術産業等の誘致・育成を図る。また、
地域における技術力の向上、人的
能力の開発を図りつつ、新たな雇用機会の創出につながる新産業分野の開拓を進める。更に、
状況に応じ、観光レクレーション開発、海洋開発等新しい視点からの
地域づくりを積極的に
推進する、ということでございまして、
基本的には第三次全国総合開発
計画、これは
昭和五十二年でございますが、五十二年に定住圏
構想という
構想を出させていただきました。
定住圏
構想というのは、恐らく六、七町村ぐらい――市町村でございましょうか、ぐらいが
一つの固まりで、その
地域内でいわゆる当時資源制約、環境制約等がありましたので、資源制約あるいは環境制約、もっと具体的に言いますと、その中で活動することと、それを受け入れてくれる環境容量といいますか、そういうものがうまくバランスするような
地域づくりをしていくということで、自給自足経済ではないんですが、極力定住圏という
一つの、人口の数で言いますと三、四十万人ぐらいでございましょうか、そういう
地域で就業の機会もあれば
生活の一応の
施設もあるといったような
地域づくりをしていこうじゃないかということを申し上げたわけでありますが、今日、産業構造の転換が大変大きいために、定住圏の中でそれを直ちに受けとめていくということは、
不況地域を受けとめていくということはなかなか困難な分野が出てきております。したがいまして、もう少し広域的な観点から、
不況地域について対応を重ねていこうということがこの中にも幾つか見られるというふうに考えておるわけであります。したがいまして、それだけに定住と交流ということを今度申し上げておるわけでありますが、定住圏をベースにしながら、基礎にしながら、さらにそういう就業問題等についてもう少し広域的に対応していくといったようなことが必要ではないだろうか、そのことがまた新しい
地域づくりになっていくんじゃないかというようなことを述べておるわけであります。
最初の御
説明として以上で終わらさしていただきます。