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国務大臣(
宮澤喜一君) 戦後四十年余りたちまして、
我が国は自由
世界における第二の
経済大国と言われるまでになりましたが、そう言われておる割には
国民の
社会資本、我々個人の住宅にいたしましても、また下水道あるいは治山治水、農村の基盤整備等々すべてを含めました
社会資本、公園などもそうでございますが、いかにも貧弱であるということはすべての人が私は認めるところだろうと思います。これは
日本が資源がない国でございますから、輸出をしなければ生きられないということを戦後一生懸命考え、
努力をした結果として
経済大国になりはいたしましたが、しかし輸出をし過ぎて批判を受けるというところまでになっておりますことは、よく御
承知のとおりでございます。
そうであるとすれば、もともと働いた成果というものは、やはり
一つは自分の身の回りの整備ということに使うのが当然のことでございますから、外国から言われるまでもなく、言われればなおさらのことでございますが、我々の
社会資本の整備のためにこの
経済のエネルギーを使うべきではないかということをかねて実は申しておったところでございます。
たまたま最近になりまして激化いたしました国際的な批判は、振り返ってみますと、一九八〇年、
昭和五十五年でございますが、八〇年の
我が国の貿易
黒字は六十億
ドルでございます。それが五年後に六百何十億
ドルになったわけでございますから、この五年間のところに非常に問題があったということは明らかであって、たまたまこの時期が非常な
ドル高の時期であって、
我が国の輸出がしやすかった円安の時期でございます。あるいは石油価格がどんどん上昇いたしましたために、もう一遍輸出をしなければ生きられないというような意識が高くあったといったようなことが原因になっておると思いますが、この五年間に
我が国の
経済の輸出依存体質がまた過度になったというふうに思われます。それが今日のごく最近の
背景でございます。
そういう
状況でございますから、いよいよ我々としては
内需の
拡大、それは
社会資本の充実ということであろうと存じますけれども、しなければならない。その命題は強まりこそすれ弱まることはないというふうに考えておりますが、ただ
社会資本というものが御
承知のようにかなりの部分がどうしても国の、あるいは公共の投資によらなければ整備しがたいものである。全部がそうだとは申しません。工夫によりましていろいろ民間の力を拝借することができますけれども、やはりかなりのいわば呼び水を財政がしなければならない、負担をしなければならないということも事実である。その財政が大変に苦しいということから、思い切ったことがなかなかできないでおるということであったと思います。
就任以来、何とかして財政も苦労しながらでもそういう
努力をしなければならないと、役所の諸君ともいろいろ話をいたしておりまして、そういう方向に少しずつ何とか財政としても動いてまいりたい。また、考えようによりますと、そういうことで
内需の振興ができますならば、
我が国の
経済にはもう少し潜在
成長率があると私は考えておりますので、その結果として
成長率が一ポイントでも二ポイントでも高くなりますと自然増収ということも考え得る、企業の活動が大きくなればそれは当然そういうことになるはずでございますから、そうでありますと、それは財政の現状をそういう形から
改善するということもあながち不可能ではないのではないかというふうに考えつつ現在に至っておるわけでございます。
かねて考えておりますことはやはり何とかしてやっていかなければならない。これは個人の考えと申しますよりは、
我が国の
社会資本が極めて不十分であって、しかも後十何年しますと老齢化社会に入ってまいりますので、こういう大きな問題を片づける
国民的なエネルギーが今日ほどあるかどうか、今から必ずしも明らかでございませんので、今がその時期であるというふうに考えておるわけでございます。
後段に政治
資金、政治に金がかかる
お話がございまして、私どもと申しますか、あるいはお互いと申し上げてよろしいのかと思いますが、政治活動をいたしておりますと、やはりある程度の金が要るということは否定ができません。しかし、それはやはり自発的な浄財による援助にとどめるべきものであって、それが先ほども
お話のございましたような、現今のような風潮にまでなりましたことは、なかなか自発的なという範囲にとどまっておるとも断じがたい、あっちこっちにいわば御迷惑をかけるようなことになりかねないのでございますから、これはやはりお互いに私ども考えてまいらなければならないことではないかというふうに思っております。