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国務大臣(
橋本龍太郎君) 事務方の諸君が、恐ろしく克明に長い答弁要旨を書いてくれたのですが、これを読みますと時間が非常にかかりますので、少し簡単に改めて申し上げてみたいと思います。
まず第一に、御
指摘を受けました五十七年の九月の閣議決定と申しますものは、臨時行政
調査会の行政改革に関する第三次
答申の趣旨を受け、国鉄再建のために当面緊急に講ずべき事項として定められたものでありました。そして、その後国鉄再建監理
委員会の
意見を踏まえて、国鉄の分割・民営化という抜本的な改革が実施をされることになりましたし、またその後におきまして、
整備新幹線につきましての六十年八月の
政府与党の申し合わせというものから、
整備新幹線財源
問題等検討
委員会というものが各種の前提条件についての検討を行うような
状態になりました。また、昨年の六月にも臨時行政改革推進
審議会から、その取り扱いについての
答申がなされたわけでありまして、五十七年九月の時点とは大きく
状況が変わっております。国鉄そのものが新生
JR各社に姿を変えたと、これが象徴するように
状況が大変大きく変わりました。
また、鉄建公団につきましては、五十四年の十二月の閣議決定におきまして「青函トンネルの本体
工事が完了した時点において、他との統合等を図る。」ということを定めたわけでおりますが、この時点で想定をいたしておりましたものは、統合をいたすとなればその対象は国鉄ということで、この文書をまとめたわけであります。
当時私は党側の行政改革の責任者としてこの点に携わっておりましたが、五十四年当時、国有
鉄道との統合というものを頭の中に描いておりましたけれ
ども、鉄建公団というものの本格的な将来の姿というものをまだ私
ども自体が模索をしておりましたために、「他との統合等を図る。」といった文章でこれをまとめました。
ところが、これもその統合対象として考えておりました国有
鉄道、いわば想定されていた結婚相手がいなくなってしまったわけでありまして、「他との統合等を図る。」というこの鉄建公団に対する当時の閣議決定というものは、いわばその統合相手を失ったわけであります。そして、その
状況の変わってまいりました中で、例えば旧国鉄、現旅客会社の京葉緑のような大都市
交通線の
建設でありますとか、小田急線のような民鉄線の
建設でありますとか、あるいは智頭線に代表されるような第三セクター線の
建設といった
鉄道建設業務の実態の中で果たす
役割というものを考えれば、むしろ鉄建公団というものは存続をさせていく。その方が
方向として正しいのではなかろうか。
また、これまで培われてきた
鉄道建設について、殊に大規模
工事についての技術的な蓄積というものを維持し得る方途を考える方がより適切であると判断される
状況になってまいりました。
そうした
状態を踏まえて、いわばその
状況変化の中で、昨年末に行われました
昭和六十二
年度の
予算編成の際、従来の閣議決定を変更するなど
政府一与党の間の申し合わせが行われまして、これを受けて一月三十日の閣議決定を行ったわけであります。
まさに
委員がいろいろな御不安を持つと言われましたが、私は、これは不安というよりもまさに国有
鉄道というものが分割・民営という
状態になることをだれも想定しなかった当時における閣議決定というもの、また国有
鉄道事業というものを再建していこうとする間の応急——経過過程における閣議決定というもの、これらは、その実態に合わせて所要の変更を加えたことは適切であったと、そのように考えております。