○飯塚公述人 私は、公認会計士、税理士、そのほかにTKC全
国会という北海道から沖縄まで散在する六千名の会計人の集団であるTKC全
国会というところの会長をやらせていただいております。その飯塚毅でございます。
私は、
昭和六十二年度国家
予算への
意見表明を求められているものでありますけれども、時間の割り当てが少のうございますので、そのうちに含まれている
売上税問題等、若干の問題について発言させていただきます。
まず結論を先に申し上げますと、私は
売上税法と称するEC型付加価値税法の
導入には賛成であります。なぜかと申しますと、これは日本国憲法第十四条の
国民の法のもとの平等
原則を確実に一歩前進させるものという性格を持っているからであります。もちろん、法案そのものは不備なものであり、今後幾多の修正についての論議があることは否定できません。しかし、私としては、条文中に幾多の欠陥があるとしても、この法律を
我が国の法体系の中に定着せしめていく意義は巨大なるものがあるのでありまして、その
中心的な価値は平等
原則、
国民の平等
原則及び租税
正義の
実現にあるというふうに私は判断いたしております。
去年の夏から年末にかけまして、
政府の
税制調査会あるいは
自民党の
税制調査会において
売上税または日本型付加価値税が論議されましたときに、私の脳裏にぴんときたものがございまして、それは一九六六年十二月二十日の西ドイツにおける憲法裁判所の判決であります。
この判決は、一九一六年第一次大戦当時、一九一六年の六月二十六日に制定されたところの商品販売印紙税という、原名はバーレンウムザッツシュテンペルと申しますけれども、この税法、こういう法律名で始まったドイツの
売上税、その憲法裁判所の判決が出るまでの
売上税について、ドイツの憲法裁判所は無効を宣言したのであります。御承知と思いますけれども、ニヒティヒエルクレルンクという無効宣言というのを発したのであります。私はそのことをたまたま記憶のどこかに残しておりまして、ああ、まさにドイツの憲法裁判所が今までの
売上税法は無効だ、無効である
理由、それは
国民の平等性を破壊しておるということなんですね。その根拠は、裁判所の判決によりますと、ドイツの憲法つまり今の基本法の第三条、法の前の平等という平等権と、租税
正義に反するからというものであります。判決文を見ますと、租税
正義というのはジュトイエルゲレビティッヒカイトと書いてあります。そういうものに反している、だから今までの
売上税は無効である、憲法に反しているから無効である、こういう議論なんですね。
このときまでのドイツの
売上税法は
サービスには
課税せず、したがって
国民が漏れなく平等に税を
負担するという思想からは遠かったのであります。今回の
我が国の
売上税法は、
サービスへの
課税を含んでおる、
国民が漏れなく平等に税を
負担するという思想を含んでおります。私が
売上税法の
導入に賛成する論拠はここにございます。
もちろん、平等
原則と租税
正義とを貫くということになれば、まあ恐れ多い話でありますけれども、
政治家の
脱税を暗黙に慫慂していると認められる政治資金規正法という天下公知のざる法、これを改めて、第四条に第六項として、この法律において「会計監査を行うべき者」とは、公認会計士及び開業五年以上の税理士をいうとの文言を加え、アメリカ、イギリス及びドイツの
政治家と同じように、日本の
政治家も
国民の指導者として
脱税には全くなじまない存在であるということを法律の上で明確にすべきだというふうに私は考えます。
この点の改革をみずから宣明なさるならば、
選挙民たる
国民は、我らの選んだ
先生方も国家
国民のために身を張って厳然として租税
正義の貫徹を実践しておられる、だからもうそうなったら我々も自分の懐ばかり考えているわけにいかないということで、自分の懐ばかり考えている点では申しわけないと考えて、必ずそういう気持ちを持つに至るであろう。政治屋ではない
政治家として長く
国民の崇敬の的となっていくか否かは、
先生方の見識と決断にかかっていると拝察する次第であります。
また、非
課税品目の範囲をできるだけ狭める、同時に
売上税の免税業者数をできるだけ少なくすることが、平等
原則と租税
正義とを
実現するための絶対の要件であることを強調申し上げないわけにはまいりません。
御承知のようにイギリスでは、この種の
売上税はバリュー・アッディド・タックス・アクトというふうに呼ばれております。この
売上税の納税義務者は、イギリスにあっては一年間の売上高が邦貨換算で四百八十万円以上ということになっています。四百八十万円以下の人は
売上税を払わないでもいいんだよと、こうなっている。非
課税品目の領域は全部で十一品目でございます。西ドイツにおいても、過去一年間の売上高が邦貨換算で百七十万円、これはそのときのマルクの相場によりますけれども、百七十万円以上の者が納税義務者となっておる。そうして非
課税品目の領域もほぼイギリスと同じであります。すなわち、両国とも非
課税業者及び非
課税品目領域をもうこれ以上は客観的に絞ることは不可能だと思われる限度にまで絞っております。これが公平
原則と租税
正義実現の
現実的な限界であると私は考えます。そういう
現実的な限界と客観的にも認められる、そこまで実は絞っているのであります。
本来、新型
間接税である
売上税発想の契機は、直接税と
間接税との
比率、すなわち
直間比率の
見直し論にあったはずでございます。
ちなみに、
昭和五十五年以来、
我が国の歳入に占める直接税、つまり
法人税、
所得税、相続税というような直接税の割合は七〇%を超えており、
昭和六十一年度
予算においては七二・九%と見積もられております。そのように増加しつつある直接税の中で、
法人税と源泉
所得税の割合が一層増加しつつあります。もうそれは限度です。これが不公平
税制の是正、
サラリーマン減税、
法人税減税を求める声へとつながっていったのであります。それでは
直間比率の
見直しとはどういうことかということでございますが、それは、だれにどれだけ税を
負担してもらうかという問題であることは言うまでもないことであります。そして、今回の
売上税を
導入する目的は、国際比較においても突出し過ぎてしまった企業及び
サラリーマンの
税負担というものを
軽減し、さらに
高齢化社会に対する対策も今のうちに準備する、その分だけ消費者全般に
税負担を肩がわりしてもらおうというものであったはずであります。
しかし、今回の
売上税法案は、この点で基本的な意思決定を極めておろそかにしていると言わざるを得ないものであります。消費者全般に肩がわりしてもらおうとするならば、企業あるいは
事業者が
売上税を一切自己
負担しないで済むような仕組み、イギリスやドイツのようなそういう仕組みを法案の中に盛り込むべきであって、実態として
事業者が
売上税の相当部分を自己
負担しなければならないような
税制ならば、それは
売上税という新型の直接税になってしまう。そこがポイントなんです。
すなわち、我々の申し上げる
売上税の消費者への転嫁が容易に行われるためにも、また
課税の公平さのためにも、非
課税基準をできる限り低く抑える、また非
課税品目領域は思い切って絞り込む必要があるというふうに私は考えます。
これを逆にして、非
課税品目領域を拡大し、非
課税業者の範囲を拡大していった場合に結果はどうなるか。答えは明白であります。公平
原則は破られ、限りなく不公平を拡大し、租税
正義の
実現からは限りなく遠ざかり、顕著な不公平と不
正義とがはんらんすることになり、
国民は反乱気分にさえなっていきます。それは
課税基準の比較において、イギリスの二十倍強、西ドイツの五十八倍強の不公平、不
正義の
実現ということになるわけであります。日本は一億ですからね。利益を要求するという集団、大概の集団が
政治家の
先生方のところに押し寄せます。そういう利益要求集団が政治に圧力をかけた場合、現在の法律案程度にまで正しい法理論をゆがめることができるという見本であるというふうに私は考えるわけであります。
物が豊かで世の中が平穏無事である場合、
国民の過半数は革命思想を持たず、革命思想から離れて保守主義者になってまいります。これは古代の聖人の教えるところであります。それが突如として極端な不公平、不
正義にさらされた場合、
国民大衆は裏切られたと感ずる、そして怒りを示すのは当然だろうと私は思います。
そこに欠けているのは何か。何が欠けているのか、
我が国の
国会に、それは純粋な洞察力であります。カントと並び称せられるドイツの哲学者ヘーゲル、彼は一八〇七年に「精神現象論」、フェノメノロジー・デス・ガイステスという書物を書きました、波はそのフェリックス・マイナー社版の四百十三ページでこう言っています。「ティライネアインジヒトイストアルゾーゼルプストバーレスヴィッセン」こう言っています。「純粋洞察力は、それ自体、人間最高の学である」こういうふうに言っています。
私は同時に、東洋のインドのお釈迦様の教えがこれと同じだなと思っております。つまり、お釈迦様は阿含経という経典の中で、信ずるということ、これは我々の尊敬する
政治家を信ずるのも同じであります。信ずるということ、同時に洞察力を持つこと、さらに心を耕すこと、この三つが人生における最高の条件であるということをお釈迦様は繰り返し繰り返し阿含経の中で説いておられます。
次に、先ほど私は冒頭において、「もちろん法案そのものは不備なものであり、今後幾多の修正についての論議があることは否定できません。」と申し上げましたけれども、その不備なるものとはどこかでありますが、この法案提出の巻き起こすであろう
国民各層の不満爆発の洞察がほとんどなかったという点がその第一点であります。
私は数年末、
国会の
公聴会に出させていただきまして、
国民に租税
正義というものを守ってもらうためには、
サラリーマンとのつり合いから、サミット構成国の
平均値ぐらいの罰則規定を設けて、商人の記帳義務を強行規定とすべきだということを繰り返して訴えてまいりました。
脱税の未遂犯というのは処罰すべきだと繰り返して訴えてきました。
例えばアメリカでは、一九八三年の九月以降は未遂犯は十万ドルです。十万ドル、すなわち千五百万円以下の罰金、または五年以下の懲役、または両罰の併科ということに定められております。これは内国歳入法の七千二百一条に書いてある明文規定であります。
日本ではどうか。
国民に対し、租税債務について厳格な姿勢を求めるとの国家意思が示されていない。ですから、
世界じゅうに類例を見ない、弁護士を約五百名調査したるところその約八割が
脱税していたというようなことが先ごろ東京国税局の発表であったのでありますけれども、もう日本はここまで堕落している。弁護士の
先生方を調査されて、それで八割が
脱税しているということがわかった。これは堕落以外の何物でもありませんよ。しかも、行政当局は
脱税した弁護士諸公を訴追したのかどうか、全然我々は聞いておりません。こういう納税環境を放置しておいては、不公平
税制の是正は上でもできないのじゃないかと心配する次第であります。
さらに、イギリス初めほとんどの先進国の税法は、
売上税を含めて、収税官吏の権力をかさに着た収税の仕方あるいは収税に当たっての歴然たる不当行為に対しては罰則規定を持っておりはす。イギリスの場合は付加価値税法の三十九条にその罰則規定がありますへ、なぜ日本だけは封建国家の伝統を、まあ守っているのだろうと思うのですけれども、伝統を残してそういう規定を設けないのかなと、修正、改革を願うべき点は、免税業者の範囲とか非
課税品目領域の数とかのほかにもまだあるわけであります。
また、十二分に時間をかけて
審議することが必要であると申しましたのは、私は実務家でありますからはっきりわかるのですけれども、
売上税法に基づく帳簿記帳、あるいはもっと端的に仕訳と言ってもいいと思いますけれども、このままの
売上税法では、とにかく免税品目がべらぼうに多いのですから、五十一品目というのはあれは間違いですよ、五十一品目領域ですから何千という免税があるのですよ。そこが問題なんです。
売上税法に基づく帳簿記帳あるいは端的に仕訳と言ったっていいのですけれども、このままの
売上税法では、この仕訳や会計処理を即座にできる企業の経
理事務担当者というのはほとんどいないということでございます。この事実をどう見るかでございます。
日本の場合、免税品目領域はイギリスや西ドイツの約五倍、これが通常は免税品と
課税品とが混合されて販売されるという、そういう形態をとっています。そのときに免税品と
課税品とが区分けされて、税額がその都度計算されなければならないということになります。そこへ値引きや割引という問題が介入してまいります。あるいは割り戻しというのが介入してまいります。それらの会計処理は容易なものではありません。このままでは全国的に事務不能に陥ることは絶対に確実ですから、免税品目領域を思い切って減らしていただきたい。
同時に、
課税の不公平を避けるためには、非
課税業者を英、独並みに減らすことが不可欠であります。そうして
税率は当分の間三%、いや二%、その程度でいいと思うのです。
国民がこの税法になれるまではそのぐらいでよろしい、私はこう見ております。もちろん、決定は
先生方の掌中にありますから、我々はただ
先生方にお訴えするだけです。
去る三月六日、ことしの三月六日でありますが、西ドイツのハンブルク大学の税法学担当教授A・J・レードラーという博士が私を訪ねてまいりました。私はその会食の途中で質問しました。今あなたの国の
売上税というのはウムザッツシュトイエル(メールベルトシュトイェル)と書いてある、
売上税(付加価値税)と書いてある、だからこの税法はおたくの国ではどうだったんだ、
我が国ではこれが何か
国民に誤解されちゃって、非常な誤解の上に立った形で
政府は苦しんでおる、これはどういうふうにあなた方は考えるべきか、あなた方の経験を教えてくれと言ったのです。そうしたら彼いわく、へえ驚いたな、日本はそうか、西ドイツではこの
売上税法に当たって一人も
反対者はいなかったよと言っていましたよ。ああなるほどな、これぐらい違うのか、こう思った次第でございます。
その違いの根底にあるものは何か。
我が国では、正しい記帳の義務というものが刑罰を担保とした強行規定となっていないという点にあります。そういうことをやらせていないから、したがって、もう欲得だけで税金を考え、欲得だけで
政治家は考えている。それは困る。そういうのは困りますよ。先進国では全部、記帳というのは強行規定になっております。
またこの機会に、
我が国税法の構造的欠陥について若干
意見を述べさせていただきたいと思います。
それは、まず
我が国の
所得税法百二十条の規定でありますけれども、この規定は、シャウプ勧告書第四巻第四ページの文章を故意に曲解して、納税者が自分で
所得を計算し、自分で税額を算出して申告するんだといった論理をとっていますけれども、これは曲解です。そして、先進国における申告納
税制度のあり方とは相入れない現状をいつまでも放置させておくのでございますか。これは
自民党の
先生方に厳粛に御質問申し上げなければならぬ。
さらに、コンピューターの普及について
我が国は
世界第二位であるはずにもかかわらず、事企業がコンピューターを使って税務会計を行う、つまり自分の
所得を計算する、こういう場合に、アメリカや西ドイツの実態と異なり、何ら規制する法律を持たず、全くの野放し
状態にある。この結果、コンピューターを悪用した
脱税が横行しておるというのが現状であります。
課税の公平を
実現するためには、今やコンピューター会計法規は不可欠であります。改めて、税法の
改正に附帯して問題を提起いたしたいと存じております、
さらに
最後に、今
野党各党の
先生方は、今回の
売上税法案を撤回せよと叫んでおられます。そしてその
理由として、中曽根首相の
公約違反を
主張しておられます。法律案の撤回要求と
公約違反の問題とは同一次元の問題ではありません。その
理由は後ほど申し上げます。
繰り返しになりますけれども、前段階控除制の
売上税法というのは、現在
世界の自由主義国家の大半、すなわち四十二カ国が採用している
制度である。
我が国だけ孤立するわけにいかない。各国の大蔵省や立法当局が苦心の末に練り上げてつくった法律であり、人間の法のもとにおける平等性と租税
正義の
実現、この二つをねらった法律でありますので、この法律案は絶対に撤回すべきではないと私どもは思っております。ただ、法律案の本旨とするところと
現実のゆがめられた法律案とはちょっと違う。つまり基礎原理に若干のずれがあります。
国会において修正の討議が行わるべきことは当然であると私は信じます。
ここで
国会の
先生方には、日本国憲法第七十二条と第四十一条とをあわせ読んでいただきたいのであります。第七十二条は「内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を
国会に提出し、」云々とあります、つまり、内閣総理大臣は議案を
国会に提出するところ、そこまでの責任は負っています。その後その議案をどう取り扱うか、どうまとめていくか、これは
国会が決定するのであります。憲法第四十一条は何と言っているか、「
国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。」と定められているのではありませんか。したがって、議案というものを
国会に出すまで、別な言葉で言えば、議案が議長に渡されるまでの段階で
公約違反があったかどうかが問題であって、その後は国権の最高機関たるべき
国会がこれを自由に修正して、内閣提出の法律案とは相当程度にわたって修正され、原案が変わったものとなったとしても、そこまでは内閣総理大臣としては責任を負うわけにはいかないのであります。
こう見てまいりますと、
野党の
先生方が法律案を撤回せよと
主張されるのは、まさに政治的な発言以外の何物でもないと認められる次第であります。むしろ
野党は、より
国民の平等性を貫き、租税
正義をより
実現できるような代案を示すべき責任があると信じます。
以上をもちまして、私の発言を終わらせていただきます。ありがとうございました。(拍手)