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馬場委員 厚生省に対して
判決は、食品衛生法と強力な
行政指導によって水俣湾内における魚介類の摂取、販売等を禁止する措置をとらなかった、この
責任が問われておるわけでございます。今よく聞き取れなかったのですが、事実の
認定に誤りがあるとか、法令の施行について意見が違うとかいうようなことをおっしゃったわけでございますけれども、実はこれは後の方で農水省の漁業法とか、あるいは
熊本県漁業調整規則に従って十分法令の施行をしなかったということを言われておりますし、通産省なんかも排水の排出停止とか規制をしなかった、そういうところが法令に照らして間違っておると言われておるわけでございます。何か皆さん方のお話を聞いておると、とにかく事実に誤認がある、法令適用について見解の違いがある、こういうことが大体
控訴の理由のようですけれども、事実の誤認というのは、私は現地の生まれですからよく知っているのですが、そういうことは実はない。
具体的に申し上げますと、この
水俣病は
昭和三十一年に公式発見とされておるのですけれども、実はその前から
患者も出ておるわけですね。そこで、資料としてここに持ってきましたので一番古いのは
昭和二十七年です。
昭和二十七年に水俣市の漁協が
熊本県の水産課に対しまして、どうもチッソから出ておる排水がおかしいと思う、だから排水の
調査をしてください、また水俣湾内の
調査をしてくださいという依頼が二十六年にあったのですけれども、その年は台風があったものですから、二十七年に
熊本県の水産課の三好という技師が
調査に行って、
昭和二十七年の八月二十七日に「新日本窒素肥料株式会社水俣工場排水
調査」という復命書を出しておるわけでございます。「新日本窒素肥料株式会社廃水
調査を命により
調査しましたので別紙の通り復命します。」といって報告をしておる中で、「現在漁業の
被害と考えられるものは、この百間に排水される汚水の
影響と、百間港内にあった従前堆積した残澤」であるという報告をして、
対策として「排水に対して必要によっては分析し、成分を明確にしておくことが望ましい。」「排水の直接
被害の点と長年月に亘る累積
被害を考慮する必要がある。」こういうことを
水俣病が公式発見される前に実は報告しておるのです。このときに
熊本県あるいは
関係省庁がこの三好さんの報告に基づいてチッソの排水を
調査しておれば、
水俣病はほとんどわずかで、何人かで済んだのではないか。こういう事実があるのですから、この報告書を握りつぶした
責任というのはあるのじゃないか、そういうぐあいに思います。
さらにもう一つ、
水俣病が公式発見とされました三十一年の翌年の三十二年にまた水俣漁協の方から実態
調査の
要求があって、今度は内藤という
熊本県水産課の技師が
調査に行って復命書を公文書で出しておる。この公文書の中で、「現在この一帯においては漁獲皆無で漁民はこの付近で魚介類をとる事に恐怖を
感じており、奇病
発生が今後も予測される」「海岸一帯顕著にみられることは磯に付着している、かき、ふじつぼ等の脱落で、特に干潮線付近のものは死殻のみで、満潮線付近にわずかに生貝をみとめられるが、その肉質は外殻の大きさに比較し小さく、しかもその色は濁った白色又は暗灰色を呈し、繁元前の状態にある、又これと同時に体長一糎前後の二枚貝の死殻が多数認められた。」また「明神岬の内側恋路島の東岸には海藻類の付着がほとんどなく」「岩礁は灰色に覆れ海藻類は全然認められない。 なお海岸に死した小魚、しゃこの漂着が認められ、翼、脚のきかない、かいつぶりを発見した」、こういうことが書いてある。そして水俣市漁協に
対策委員会ができまして、この
対策委員会が、工場汚悪水が奇病とのかかわりにおいて漁業資源に大きな
影響を及ぼしていると
委員会としては判断するので、新日窒工場に対し完全浄化装置の申し入れを行っているが、県または国からの強力な勧告をお願いします、こういうことが公式発見された
昭和三十一年の翌年の三十二年に実は出ておるのです。
こういうことをこの復命書に基づいて国と県が行っていればこんな
被害は起こらなかった、実はこういうぐあいに思いますし、そういう事実があっても各
省庁は事実がわからなかったとおっしゃるのかどうかわかりませんので、ちょっと主張しておきたいのです。
それからまた、ちょっと申し上げますと、
昭和三十四年には、もう熊大の研究班が
水俣病の原因物質は有機水銀であるということを発表しているわけです。また
昭和三十四年に厚生省は、チッソ水俣工場排水中の重金属が
水俣病の原因であると
関係当局に通知しておるのです。そして三十四年十一月には、厚生
大臣の諮問機関である食品衛生
調査会は厚生
大臣に、
水俣病の原因物質は有機水銀であると答申しておるのです。
大臣は余り詳しくないかもしれませんが、今私が言ったように二十七年にああいう
状況が起きましたが、公式発見とされているのは三十一年ですよ。それから三十四年にこんなことが行われておるのに、政府が有機水銀が原因だと認めたのは
昭和四十年です。九年間かかっておるのです。さらに、政府が
公害病と認めたのは
昭和四十三年ですからそれからまた三年たっておる。公式発見されてから十二年間、チッソはもうどんどん生産を増強していって水銀を垂れ流しておる、
被害を拡大させてきた、実はこういう歴史があるわけでございます。
さらに、厚生省は事実誤認だとか言いますけれども、この
水俣病を
公害病と
認定されました我が
熊本県出身の園田元厚生
大臣が、実はこういうことを私の本に寄稿していただいております。「
公害病の
認定にあたって」ということで園田さんがこういうことを言っておる。「
水俣病について、原因は「ある種の有機水銀による中毒」との結論を熊大
医学部研究班を中心とする食品衛生
調査会水俣食中毒部会が出したのが
昭和三十四年七月ですが、私が厚生
大臣に就任した
昭和四十二年十一月までに」、三十四年に答申しておるのに、園田さんが就任しました四十二年までに「政府はなんら目立った政策を打出していませんでした。」その後「厚生
大臣になってみて分ったのは、
水俣病が新日本窒素から排出された有機水銀が原因であるとの結論が出ているにもかかわらず極秘にされているということでした。」厚生省の中で極秘にされておった。「私の
公害病
認定――と
言葉でいえば簡単ですが、なにしろ明治以来、踏襲されて来た工業優先の思想を根底からくつがえす決断だっただけに、さまざまな場面で体を張らざるを得ませんでした。」そして最後に、「人間の心がにごれば、空気や水はあっという間に汚れます。他人を犠牲にしてまでも己れの利潤を追求する心がすなわち
環境を汚し、他人の
生命を平気で犠牲にするのです。」こういうことを実は言っておられるわけであります。あらゆることから考えてみましても、
控訴されました皆さん方が事実が違うとか事実
認定が違うとか言われましても、もう時間がないから言いませんが、たくさんの資料が実はあるわけです。
それから、実は
昭和十八年ごろに静岡県でカキ中毒とアサリ中毒が出た。そのとき静岡県は魚介類の採取を禁止する通知を出して、実は県の規則までつくっているのです。ここにもその回答がありますが、これは
熊本県の衛生部が静岡県の衛生部に問い合わせたもので、
昭和三十二年に回答している。それを見ると、「静岡県令第二四号 貝類ノ採捕禁止区域二関スル件左ノ通リ走ム
昭和十九年三月二十二日 静岡県知事」ということで、アサリ中毒、カキ中毒が出たものだから、静岡県知事はその
地域の魚介類の採取を禁止するという静岡県令を出しておるわけです。
熊本県が問い合わせましたところが静岡県からそういう回答が来たので、
熊本県はそういうことをやりたいと言ったら、厚生省からそういう漁獲禁止はできないという通知が
熊本県に出ているわけです。
そういうことを考えてみますと、いずれから見ても
控訴の理由というのは当たらないのではないか。事実誤認はない、事実ははっきりし過ぎるほどはっきりしておるということで、その面の
控訴の理由は失ってしまうのではないか、私はこういうぐあいに思うのです。そこで、今私が言ったことについて、それでもどの辺が違うのかということを各
省庁から、まず厚生省から言ってください。