○関
嘉彦君 私は、
法律の専門家ではないのですけれ
ども、ヨーロッパの思想史を講義していた関係上、いわゆるヨーロッパの個人主義の思想が生まれてきた根底には、やはりプライバシーの問題、これから来ている。その背景には、個人の尊厳といいますか、個人が尊厳であるのは個人が人格を持っているんだ、単なる物権とは違うんだ。馬や猫とは違うんだ。馬や猫が聞いたら怒るかもしれませんけれ
ども、馬や猫とは違うんだ、人格を持っているんだ。その人格から直接に出てくるのが、他人から私生活をのぞき見されない、公開されないという非常に基本的な
権利じゃないかというふうに私は思っております。私は仮に、私事権というふうに訳して学生には
説明したことがあるのです。
その場合に、表現の自由、言論の自由というのは、これは非常に重要な
権利ですけれ
ども、人格の完成を図るための一つの手段——不可欠な手段でありますけれ
ども、これは手段的な価値のものじゃないか。したがって、表現の自由、言論の自由といっても決して無制限ではないわけです。
その意味から言いますと、どうもあの「宴のあと」の判例の法理論というのは、私は素人で全然わかりませんけれ
ども、個人のプライバシーの
権利というものを最優先して守るべきじゃないか。どうも日本ではそういう考え方が非常に薄いのじゃないか。
殊に、今度のフライデーの写真の盗み撮り
事件なんかは、先ほど
諫山委員も言われましたけれ
ども、全く個人の家をのぞき見しているわけですね。個人の家というのは、向こうの言葉で言えば一種の城、シャトーであって、これはだれでも勝手に入ることはできない、警察官でも勝手に入ることはできない、のぞき見もしてはならない。そういう考え方がどうも日本に定着していない。したがって、
裁判になった例も少ない。
私は、芸能人であるとか、スポーツの有名人が週刊誌なんかにしばしば出ておりますけれ
ども、何でああいった人たちの私生活を暴き出す必要があるのか、公の生活でやっている場合にはこれは別ですけれ
ども、その個人の家庭に入り込むとかなんとかして個人が見られたくないようなところを撮る必要があるのか、そういうことを常に非常に不満に思っております。マスコミの方に言わせると、これは
国民の知る
権利に奉仕するんだというふうに言っておりますけれ
ども、知る
権利といってもいろいろ知る
権利があると思うのです。これは全くのぞき見趣味に迎合しているにすぎない。
ちょうど、市場
経済において、消費者主権だというふうに言われているけれ
ども、実際には企業がいろんな物をつくって需要を喚起して、そしてその需要に応じてまた企業が物をつくるというふうに、そういう相互関係だと思うのですけれ
ども、マスコミの方がむしろそういった普通の人たちののぞき見を喚起しているんじゃないか。そういう点からいいまして、私は、このマスコミの人たちに大いに反省してもらいたい。
個人ののぞき見だけではなしに、私が見て非常に不愉快に感じたのは、去年の日航機墜落
事件のときですね。あれは死体、しかもちぎれた死体なんかも写しておりましたし、けがをした人たちを病院に運ぶのに、一刻を争う病人の写真を、けがをしているところの写真を無理やりに写している、これは少し行き過ぎではないか。そういったふうな一般的な問題についてはまた何か機会があったときに取り上げますけれ
ども、今度の問題に関する限りはマスコミは非常に行き過ぎている。
こういったことが横行しますと、今度は逆に、もっと言論の自由を制限しろというふうな
国民の意見が興ってきて、かえって逆効果、マスコミにとっては墓穴を掘るようなことになるのではないか。その意味において、今度東京
法務局が勧告されたことを私は歓迎するのですけれ
ども、
法務局が勧告された以上は、どこまでは許されるんだ、どこまでは許されないんだという一定の基準があったに違いないと思うし、また、判例は非常に少ないので確定していないけれ
ども、
法務局としてもプライバシーの
権利ということについて何らかのお考えがあってやられたんだろうと思うのです。その問題について人権擁護局のお考えをお伺いしたいと思います。