○下村泰君 そうして、経過的に申しますと、今年の十一月五日に衆議院で社会党の上田哲議員が同じことを申し上げています。雪が降ってくる寒い中をこの筋ジストロフィーのお子さん二人が親御さんと御一緒に、校門の中へ入れてもらえないので、校門のところまで行って、登校するときの友達と
言葉を交わす、下校してくるときの友達と
言葉を交わす、それでうちへ帰ってくるわけですね。それがこの二人の子供にとっては生きがいなわけですよ、目下のところ。ところが、これから寒くなる、これをほっておいてはいかぬのじゃないかという御質問があったわけです。そこで
学校当局の方がやったのが、保健室を設けてくれた。保健室を設けてくれたのはいいけれ
ども、条件がある。保健室で暖をとる。二番目が、時間は午前八時十五分から三十分まで十五分間。三番目が、保健室以外の立入禁止。何にもならぬです、これは。この親御さんにとってみては、教室の片隅でもいいんですよ。親御さんはこの二人を抱えるようにして皆さんの
教育状態を見たい。必死の願いなんです、これが。体裁のいいいじめだわね、これでは。あちらの言い方としては、これから寒くなるとこういうスロープや何かが凍る。凍ったら危なくてとてもほうっておけない、だからこういうふうにしているんだ。これは体裁のいい言いわけですわな。
そこで私は、皆さんと問答をやっても仕方がないことだ、この問題は。それで、このお母さんが登校の日から日記をつけているんです。その日記の中の、全部とまでいきませんが、これからお読みします、時間の許す限り。聞いていてください。NHKでやる声優さんとは多少違いますから、上手に聞いていただけるかわかりませんけれ
どもね。四月七日の日新小入学式から「大すけ・さとこの自主登校日記」というタイトルでつけ始めたわけです。
4月8日 自主登校第1日。(私
たちが住む)県営住宅には日新小に通う子供が大勢いる。そんな中に交じって大輔とさとこは二人乗りバギーに乗って
学校までお散歩。今朝は真史君と一緒。
これはお友達でしょう。
学校の玄関先で登校してくる友だちに「オハヨ!」と声をかける。皆川君は小2の男の子。
「足どうしたの?」
「歩けないんだよ」
「エーッ、薬つければ治るのに」
子供らしい発想。どんな病気も薬つけて治るといいね。
5月7日 今朝は雨、登校はお休み。それでも子供
たち、いつものように目が覚める。
「ガッコウ?」
「ウーン、今朝は雨が降っているから休もうか」
「イヤッ!ガッコウッテ イキタイヨ」
大輔とさとこは
学校が好きです。
6月10日 今日は日新小の遠足。県営住宅の近くにバスがずらりと並ぶ。友だちが皆、うれしそうな顔をしてバスに乗り込む。
「サット(さとこのこと)、バイバーイ」「大ちゃん、バイバーイ」
さとこはしきりにバスに乗りたがる。二人とも行きたいね。
気がとがめます。
6月15日 今日は日新小の運動会。
参加できない運動会、見るだけではつまらないね。幼稚園の時は、車イスに乗ったり先生
たちがだっこしたりで、全部の競技に
参加できた。でも
学校って、そうはいかないのかな。
3時過ぎ、恵太君らが遊びに来た。「ぼく
たちのクラス、玉入れ三等だった」
「じゃあ、一等は?」
「うん、大ちゃん
たちのクラス!」
何気ないこの返事、私がびっくり。3組のことです。以前、「大ちゃん何組?」と聞くので「3組に入りたいね」と答えたことがある。恵太君は3組が大すけのクラスと考えているんだ。
7月7日(月) 日新小創立記念日
今日は七夕さま。歩ちゃん(一年三組)が「さとちゃんの足が早く治りますように」と短冊に書いてくれた。歩ちゃんのお母さんが「大ちゃんとさとちゃんが一日も早く日新小に通えますように」、私が「二人に大勢の友だちができますように」。いろんな願い事がつるされた笹(ささ)の葉は、「願い事、きっとかなえてあげますよ」と言っているかのように、ベランダで風に揺れていた。
7月11日(金) 大輔が初めて”いざりはい”をしました。1メートル。できないと思っていた。びっくりです。今の大輔、ボールを投げるのも以前と違う。男の子の強さが出ている。声も大きくなった。物を持ち上げる事にも自分なりに考えて、工夫している。
”あきらめる”姿勢から”挑戦、工夫”の姿勢へ。とても進歩しています。
大輔がんばれ!意欲ってとても大事です。大輔のそんな姿、母さんとてもうれしいです。
飛ばすところもあります。
7月26日(土) 今日から夏休み。ラジオ体操、張り切って
参加しました。
6時に起きるのきついけど、迎えに来る友だちの声に、二人とも目が覚めます。着替えの間、玄関で待っていてくれました。
体操が終わってからも外で遊んでいます。朝食とる間もないほど、友だちが出たり入ったり……これが夏休みの間、続くのかなあとうれしい悲鳴。
つまり、この経過を見ると、この大輔君という先ほど
局長がお答えになった重度の何もできそうもない子が、
学校の校門に立っているだけで、そこで友だちと話し合うだけで、ちょっと語り合うだけでこれだけ機能が動いていくんです。
続けます。これは八月七日の日記ですが、非常に長いのでちょっと削らせていただきます。
昨年4月、大阪・羽曳野の小
学校に行った陽子ちゃん。秋田市在住時、市教委に養護
学校を勧められ、再三の話し合いでも親の希望がかなわず、引っ越した。そこでは、「特殊学級でいいのですか? 普通学級でやってみて下さい」と、
教育委員会にいわれた。今では普通学級の中の人気者。「大阪に来て陽子は本当に幸せ」と、お母さんはしみじみといっていた。
こういう
委員会もあるんですよ、こういう
教育委員会も。ここなんだ、本当にいろんな差のあるのは。そうすると、
教育委員会のこういうことを認定したり査定したりする人
たちが、いかに親身になり、いかにその親御さんの気持ちになって、そのお子さんをとことんまで検査をして結果を出してくれるかくれないかがこういうことになるわけでしょうね。
8月22日(金) PM2、県
教育委員会室にて証拠閲覧。初めてわが子の判定に目を通す。ずいぶん市教委に都合の良いように書かれている。できない印がいっぱい。こんなことできます、これもできますと心で反発。こんな程度にしか見ていないのかと驚く。
おわかりでしょうか。ここのところが問題なんですよ。
この書類がいろんな人に回覧され、はんこを押されて市就学指導
委員会(15人の先生、この中にわが子を直接、よく知っているのは一人だけ)にかけられる。その結果が、親の合意のないままに養護
学校への指定通知。
市教委に紹介された県小児療育センター。初めての先生の診断書一枚、たった一度わずか10数分、子供を
テストしただけですべてが決まっている。一番子供の状態を
理解している幼稚園の先生の
意見は、
最初から聞こうとしていない。
私は、「あゆみの箱」という運動を
昭和三十八年からやっておりますので、こういうことに携わる先生方、それから特殊学級あるいは養護
学校の先生方の御苦労、わかりますよ。わからないのではないんです。けれ
ども、ちょっとした心の油断と申しましょうね。いいかげんにやっているとは言いません、そんな失礼なことは。しかし、
判断を下す方のちょっとした心の緩みと申しましょうかね、そんなようなことでこういう結果を招きかねないということです。
10月8日(水) 子供
たちの
教育 何度考えても良い
結論が出ない。日新小の学籍を得られる、大輔とさとこが普通の
学校生活、社会生活に
参加できる、と思ってきた。
学校に行くことになった時のことだけを心配してきた。
「この半年、子供
たちに
教育を受けさせていない」といわれた。養護
学校に出向くことが、真剣に
教育のことを考えているというのですか?
ここなんですよ、親の気持ちは。先ほ
ども申し上げましたように、養護
学校へ行ける状態ならいいんですよ。何回も申し上げるようですけれ
ども、この筋ジストロフィーというのは、いつ生命を断たれるかわからないんですよ。ですから、親御さんにしてみれば、わずかな期間でもということになるんでしょうね、これは。
四月、二人に友だちがほしいと願った。そしてこの半年で本当に二人のことを
理解してくれる友だちを得ることができた。それは私が計画したことでも
お願いしたのでもなかった。子供ならだれでも持っている思いやりや優しさを向ける
対象にわが子がなったから。そんな友だちが周囲に集まって、純粋でほほえましい子供集団ができた。
友だちの介助の中で、二人は確実に成長している。今はそれでいいと思った。
万一、「学籍は養護
学校のまま」という
結論が出たら……ご養護
学校という集団生活の中でわが子が得るものは何かと考えた時、わが子の瞳(ひとみ)の輝きが消えていく姿しか目に浮かばない。
10月19日 友だちが来て、一緒に昼食、それから外へ。大輔がけがをしてから一カ月、今では友だちが車イスにさわると「ダメ!」と怒る。そして下手ながらも自分で動かす。けがが大きな意欲を生み出してくれた。いつになったら、どうしたら自分でやるのかと心配したのがウソのよう。
11月27日 今朝は雪。天気が悪くもう3日も登校休み。それでも子供
たちは、いつもの時間に起きる。せめて校舎内に入ることが許されるなら、走ってでも登校したいのに。交流を望んででかけていくことを、
学校も知っているのに。せっかく用意された「保健室」も意味がない。
学校や市教委の
やり方に、冷たい世間の風、感じます。そろそろ「冬休み」かな。
私は涙腺故障者ですのでね、本当にお見苦しいことでまことに申しわけないんですけれ
ども、弱いんですよ私はこういうのに。あと、読みたいけれ
どももう読めません。
こういうのを、今まで
大臣お聞きになってくださって、早急には
結論は出ないでしょう。でも、今申し上げたように、市教委のメンツとかなんとかと言っている場合じゃないんですよ、この場合は。数度申し上げていますけれ
ども、いつ命を断たれるかわからないんです、この筋ジストロフィーというのは。それだけに、この親御さん
たちの心はよくわかるんです、僕は。
何とか考えていただけませんか。