○
参考人(
岸康彦君) 十五分間で
農政の全般はついて申し上げることは、私のような一介の
新聞記者のとても手に余ることでありますから、今一番大事だと思われる二つの点に絞って、私の所感を若干申し述べさせていただきたいと存じます。それは、お米の問題と
市場開放の問題でございます。
まず、米でありますけれ
ども、ことし御
案内のとおり
作況指数一〇五という豊作になりました。これがしかし、我々いま
一つ素直に喜べないのが正直なところであります。
国民の多くがそうではないかと思うのですね。何といいましても、一番心配なのは三度目の
過剰米が発生しては困る、こういうことではないかと思うのであります。
我々、過去に二度
過剰米を経験いたしておりまして、そのために三兆円の国費を使っております。三兆円と申しますと、本年度の
農林水産予算三兆一千四百億円にほぼ匹敵するぐらいの額でありまして、今日の
財政状態から見ますと、何としても三度目の
過剰米の発生というものは繰り返してはならないし、またできないと思うのであります。となりますと、来年の
転作というものを
強化しなくてはならないということはもう当たり前でありまして、いわゆるポスト三期
対策、もう既に一部に伝えられておりますように、
相当な
強化が予定されているようであります。
確かに、この
転作の
強化ということは当面やむを得ないことでありますけれ
ども、しかし問題はその先がどうなるかということではないかというふうは私は思うのであります。
転作を一体いつまで続けるのか、これに終わりがあるのかどうか、こういうことこそ今、
農政が考えておくべき問題ではなかろうかと思うのであります。
秋田県でことし
転作面積が達成できなかったという問題がございますしあそこの場合、
大潟村に非常に大きな
規模の
入植者がおりまして、いわゆる
過剰作付をしているという
全国でも非常に特殊な例が、例と申しますか、特殊なケースでありますけれ
ども、しかしながら、あそこの
農民たちは
過剰作付をしてけしからぬというふうに非難をす
るだけでは事は済まないのではないかと私は思うのであります。確かに
過剰作付をしている
農民に、いわゆるエゴと申しますか、がないというふうには私も申しません。けれ
ども問題は、
大潟村の
農民だけではなくて、非常に意欲的な
農民も
相当に多くの
部分が、できることなら
転作はやめたい、米を精いっぱいつくりたいということを考えているという事実があるということなのであります。
農政というものは、何よりも意欲を持って
農業をやろうとしている
農民に力を与える、そういう
農政でなくちゃならぬと思うんです。ところが現実は、
水田の
面積が広がりますと、それに応じて
転作面積もふえるという仕組みでありますから、例えば借地をする、あるいは
請負耕作をするというようなことで
面積をふやしましても、なかなかそれが
コストダウンにつながってこない、そういう非常に大きな矛盾があるわけでして、言ってみますと、
転作に関しては一番意欲的でしかも一番苦労している
農民たちが、この
転作のあおりを食らっているんじゃないかという気持ちが非常に強いのであります。
こういうようなおかしなことをなくしていくためには、これはあくまで
一つの例でありますけれ
ども、例えば
転作に参加するかどうかということを
農民が
自分で選択する。そのかわり、与えられた量よりも過剰に
生産をした場合には、その分は安くしか買わないよと。幾らでもいいと思うんですね、安く買う。これはあくまで一例でありますけれ
ども、そういうようなことも含めまして、できるだけ
農民が
自分の主体性を持って自主的に判断をする、決めていく、そういうような余地を入れていくということが肝心ではないかというふうに思っております。
もちろん、中期的あるいは長期的に考えますとそれではだめなんで、
転作という
考え方それ自体をなくしていくという
方向でなくては
展望は開けないと思うんですね。それは第一に、米とそれからほかの
作物を輪作していく。今、
水田農業の
確立というようなことが言われておりますけれ
ども、
水田を単に米をつくるためだけに使うんじゃなくて、もっと多面的な
利用ができるようにしていく、そのための
基盤整備を進めていくということ、これが第一だろうと思うのであります。そのほかに、例えば
えさ米でも
アルコール用でも何でもいいですから、ともかく米の用途をもっと拡大していく、
コスト的に引き合わないとかいろいろ言われておりますけれ
ども、しかしながらそのための
努力というものは常に続けていく必要があるんではないかと思っております。
それから、次は
食管制度であります。この
制度は、本来、申し上げるまでもありませんけれ
ども、
流通する米の
全量を
政府が管理することによって、これは足りない
時代にできた
制度でありますから、公平に分けるという
原則でやってきております。しかしながら、三十年代ぐらいからでありましょうか、米の事情が変わってくるに伴って実際には
相当手直しが行われておりまして、例えば本来の
制度にはなかった
自主流通米というような
制度を導入しております。
今日、どういうことが起こっておるかと申しますと、
政府が管理しているといっている米の中で四五%ぐらいは
自主流通米になっております。過去の例を見ますと、
自主流通米が五〇%を超えた時期も実際にあったんですね。つまり、ほぼ半分は
政府の枠内ではあるけれ
ども、実際には自主的に
流通をしておるという
状況ができている。しかも、これ以外に百万トンともあるいは二百万トンとも言われるような
自由米、
やみ米が存在しておる。これは現に存在しているわけでありまして、これでも
全量統制というふうに言えるのかどうかという疑問が出てくるのは当然ではないかと思うのであります。
農業団体は常に
食管堅持ということを言っておられます。ところが、実際にじゃ堅持していると言っているその
食管の中身はどうかといいますと、かなり空洞化しているんではないかというのが事実ではないかと思うのであります。
そういう中で、ことし
政府は二度までも
経済の
原則から外れたことをいたしました。その第一は、
消費者米価の値上げであります。二月に行われました。それから第二点は、
生産者米価の
据え置きであります。三・八%
引き下げの
米審諮問があった中での
据え置き。この二点であります。いずれも米の需給が著しく緩和しているというこの
経済の
原則からは全く奇妙なことだと言わなくてはならぬと思うのであります。
今非常に大事なことは、これは米だけに限りませんけれ
ども、
農業、
農政についてできるだけ広範な
国民の
理解を得なくてはならない時期ではないかと思うのでありますが、こういうことをしていますと、現に私の周りの
主婦たちもそうでありますが、これじゃ
食管だめですよという
言い方に変わってきているんですね。これではいけないんじゃないかと思うのであります。
長い目で見ますと、やることは二つありまして、
一つは
生産者米価の
引き下げであります。これによって浮いたお金をもっとほかの大事なこと、例えば先ほど申しましたような
基盤整備につぎ込んでいく、あるいは
構造政策のためにそれを使っていくということ、さらに少しでもいいからその分を
消費者に還元をしていくと、こういうことをしてまいりませんと、いずれ米は
消費者からそっぽを向かれることが目に見えているという気がするのであります。それが輸入したっていいじゃないのという声にいずれはなってくるんじゃないかということを恐れるのであります。
第二点は、
統制そのものの
方式を改めていくということでございます。いきなり
間接統制へ進んでいくのか、あるいは
部分管理というような
方式をとっていくのか、または今の
方式を少しずつさらに
手直しをしていくのか、やり方はいろいろあると思いますけれ
ども、大事なことは、こういう時期に当たってみんながそれぞれの
立場から
議論をし合うことだと思うんですね。つまり、今までとかく
食管堅持の
建前にこだわりまして率直な
議論をし合ってない。もうそういう時期ではないんではないかという気が私はしているのであります。
時間もありますので、ちょっと先を急ぎますが、もう
一つ市場開放問題に触れておきたいのでありますが、御承知のように我が国は二十二の
農林水産物につきまして
残存輸入制限をしております。このほかに、六
品目については
国家貿易だということでやはり
輸入数量制限をしております。
残存輸入制限についての
日本の
立場というものは、それぞれの
品目が
日本の
農業あるいは特定の
地域にとってはもう極めて重要な
農産物であるからこれは簡単に
自由化はできないと、これが
日本側の主張でございます。しかしながら、
日本が
国際社会で生き抜いていく、そういう上でいつまでたっても全部が全部だめだという
言い方は私は通用しないと思うのであります。
こういうことを申し上げますと、いや
農業というものは本来
保護が必要なんだという反論が必ず出るだろうと思います。全くそのとおりでありまして、
アメリカにしろECにしろ、
農業は非常に大きな
財政負担でもって維持されているということは全く事実でございます。
農業に
保護が必要だという点はまさにそのとおりでありますけれ
ども、しかしだからといって
日本のような
経済大国の
農業が過大な
保護を受けていていいと、こういう理由にはなかなかなりにくいということであります。
日本が
ガットに加盟していないのなら別でありますけれ
ども、
貿易の障害を取り除くということを目的としております
ガットに
日本はみずから進んで加盟をしたのでありまして、そういう国が二十二
品目全部についていつまでたっても永久にだめだと、こういうことでは諸外国が納得するはずはないのでありまして、それだけならいいんですが、
日本国内の
消費者たちもだんだんとこれはどうもおかしいんじゃないかということに気がついてきているような気がするのであります。
では、
日本の
農業をつぶさないで、しかも
国際化時代、
市場開放の
時代に対応していくにはどう
したらいいのか。一口に申せば
段階的自由化というふうに言ったらいいでありましょうか、要するにそれぞれの
品目ごとにある時点を決めまして
自由化をだんだんに進めていくと、こういうことであります。一体、今二十二
品目輸入制限をしておりまして、この全部が本当に
自由化できないのかどうかということをとことんまで洗い直してみる必要があると思うんです。
一体、いつになればそれぞれの
品目が
自由化できるのか。あるいは仮に
自由化をした場合に、それの見返りと申しますか、それに対してその
農産物の
生産されておる
地域にどういうような手を打っていったらその
地域の
経済が破壊されないで済むのか。あるいは今、
数量制限をやっておりますけれ
ども、それにかわるような
国境措置というものはないのかどうか。例えばことし行われました皮革あるいは革靴といったようなものがありますけれ
ども、あの場合
関税割り当て制をとったんですけれ
ども、それだけじゃなくって、例えば
季節関税というような
考え方もあるでしょうし、
課徴金というような
考え方もあると思います。いろんな
考え方あるわけで、こういったことを
一つ一つ丹念にこれは検討しておく。
今まではどうも
自由化反対という
建前だけが非常に強く出ておりまして、別個のところから
可能性を検討していくということがなかったように思うんであります。しかしながら、今となっては譲るべきところは譲るという
方向を出していく、これが
国際社会で
日本が生きていく道ではなかろうかと思うんでありまして、そうでないと、二十二
品目にこだわるがために肝心の米について、もう
自由化してもいいんじゃないかという声が逆に高まってきやしないか、内外からのプレッシャーがかかってきやしないかということを恐れるのであります。
もちろん、米につきましては既に全面開放していいという声もあります。ありますけれ
ども、何といいましても、米は第一に
日本の風土に一番適した
作物でありますし、それから第二に今日なお
農業総
産出額の三分の一を米が占めるという極めて重要な産物でありますから、これは
自由化となると慎重の上にも慎重を期すべきことはもう当然であります。ですから、そのためにも、
つまり米を守るためにも譲るべきところは譲っていく、そして
日本の
立場というもの、
国際社会に生きていくという
日本の
立場というものを各国に
理解をしてもらう、これが肝要ではないかと思うのであります。
今、
日本の
農業というものは、各方面から
批判にさらされておりまして非常につらい
立場に置かれておりますけれ
ども、見方を変えますと、
国民のこんなに多くが
農業に対してあるいは食糧問題に対して関心を持ってくれた時期というのは、戦争直後を除きますとかつてなかったんではないかという気がいたします。そういう意味では、私は今は願ってもないチャンスではないかという気もするのでありまして、こういう時期を逃さずに
農業に対して十分な率直な
議論をみんなが交わし合う、こういう中で
国民の
理解を深めていくということが何より大事ではないかと思うのであります。
以上、大変急ぎましたけれ
ども、
参考人としての
意見を申し述べました。ありがとうございました。