○伊江朝雄君 さっき
質問を終わった
青木委員も、関連
質問いたしました穐山
委員も、続いて
質問いたします私も国有
鉄道では同僚の議員でございます。いささか
国鉄づいた
質問が続きますが、私は
青木委員あるいは穐山
委員の
質問とはちょっと角度を変えた
質疑になろうかと思うのであります。したがいまして、その
質疑に入ります前に、少し前置きが長くなりますけれ
ども、私見を交えながら申し上げてみたいと思うのであります。
私は三十年
間国鉄に勤務をいたしました。退職する十年前から、残念ながら
国鉄の
経営の
危機が逐年大きく重圧になってまいり、
監理委員会の御指摘のようないろんな制約はあったにしましても、それを解決し得なかったという、あるいは対処し得なかったということについては
責任を感じている一人であります。その私が国
会議員の立場で
国鉄改革法の
審議をし、そして今日代表
質問をさせていただくこの立場に立ったことに、非常に私は宿命的な因縁を感じます。しかしさはさりながら、
日本国有鉄道という
経営形態が消滅するにしても、独占性を失った
鉄道であるにしても、
鉄道事業というものが
日本の陸上輸送にとっては欠かせない
事業であるというところからこれを活性化し、効率的な運営に持っていこうというこの
改革法案は、私
どもにとってみれば非常に救いのと申しますよりも、
責任逃れとは申しませんけれ
ども、これに肩がわりして、私
ども一生懸命一日も早い成立を祈ることが私の今日の立場であろうということでこれから私は
質問をしてまいりたいと思うのでございます。
総理、先月の十月十四日は
鉄道記念日だったんです。
鉄道記念日は、御承知のとおり今から百十四年前の明治五年になるわけでありますけれ
ども、新橋と横浜の間に
鉄道が呱々の声を上げた記念すべき日なのでございますが、この日は、
国鉄の
本社を初め、全国の
鉄道管理局でいろいろと永年勤続の表彰式やらあるいは功績者の表彰など多彩な記念行事が行われるわけでございますが、東京の
国鉄本社におきましても、これは例年恒例でございますけれ
ども、
国鉄のOBが発起人になりまして、これが主催いたします
鉄道記念日のパーティーがあるわけでございます。ことしは国有
鉄道として最後の
鉄道記念日だということで、集う者ひとしく感無量な集まりでございました。しかしながら、集まった連中はじめじめした空気ではございませんで、雰囲気は、現職の今日取っ組んでいる新しい
鉄道、新生に向かっての
努力に対して、その労を多とし激励をする声が非常に多うございました。これは偽らざる私の印象として申し上げるわけです。非常に明るい雰囲気でございました。恐らくこれは集まったOBの
皆さん方の気持ちを率直にあらわしていることであろうと思います。自分たちにはできなかった、現在の後輩の連中に迷惑をかけている、だから諸君しっかりやってくれという激励のことであったと私は思っているのでございます。
ここに持ってまいりましたのは、
総理、これは私の
国鉄時代に同じ職場で勤務していた連中あるいはかかわりのあった連中、それが立派な、優秀な成績で現場長を務め、そして管理職を務めて卒業した連中の、一部の連中からのこれは手紙であります。中身はいろいろございますけれ
ども、ひとしく今私が申しましたように、新生
鉄道に向かって頑張ってほしい、もう暗い
鉄道からは抜けたい、これをひしひしと訴えているんです。そのうちの
一つを私は御披露申し上げたい、前置きはやめますけれ
ども。
「
国鉄改革も正念場を迎えましたが、過日、二日間」、これは
衆議院のことでございます。「
特別委員会各党総括
質問のテレビ放映には異常な関心を持って注視した一人でございます。私は、戦前、新潟駅の駅手が振り出しで兵隊の五年間を含め通算三十八年
国鉄に在職」いたしました。——後ちょっと除きます。その間、各駅長、運輸長などを勤めて「
国鉄に対する愛着は人後に落ちないと自負しております。また
国鉄経営破局の
責任の一端も自覚いたしております。世の識者の中に
国鉄改革は十年間遅過ぎたとの指摘もありますが、私も同感であります。」中略いたしまして、「明治の初めの文明開化から戦後の
経済大国に至るまで国の大動脈として貢献した輝やかしい歴史には限りない郷愁があり、分割・民営化には、特に
国鉄で働いた者として万感胸に迫るものがあります。だが、将来にわたって
鉄道が
国民に愛され栄えていくためには、
国鉄改革は避けて通れない道であると思っております。」、こういうふうになっています。
これは私が言ってつくらせた私に対する激励文でもございません。あの
衆議院の総括
質疑を見たOBの感激の余りのこれは手紙でございます。したがって、全国の
国鉄のOBが新しい
鉄道に出発するこの
改革法案の成立に大変に情熱を傾け、そして熱い目をもって
参議院の
審議を見守っているんだと私は感動を覚える一人でございます。
昭和六十年の七月二十六日、
国鉄監理委員会が、先ほ
どもいろいろお話がございましたように、答申を出されました。そしてこれが
総理に報告され、そしてまた自民党
交通部会に報告されました際に、その部会におきまして私は、私の所感と要望というものを読み上げました。ここで皆様に御披露申し上げておきます。
監理委員会の答申内容は、言ってみれば、国有
鉄道という構造物を解体して全く新らしい構造物を作る設計図であると思う。
設計図通り行われ々ば、「
鉄道国有法」が施行されて以来八〇有余年の歴史をもつ全国統一体としての国有
鉄道はその歴史を閉じることになる。これに対して、恐らく各方面からいろいろな
意見や批判が出されるであろう。
国鉄出身の私自身、誠に感無量なものがあり同時にこの設計図にはいろいろの
意見や
疑問点、卒直に云って期待外れの不満な点を持ち又相当無理な設計もあるなと思っている。しかしながら今日まで我々が解決し得なかった、長期
累積債務の
処理の仕方をはじめとして財政の
再建の手法、
合理化に伴う余剰人員の円滑な
処理や退職者の増大に伴って生ずる共済年金財政のピンチ等々難問題がこの答申を受けた
政府が挙げて解決に当ることの約束が行われるならば、又当事者である運輸省、
国鉄が答申の線に添って
努力するというのなら私は、基本的には、
監理委員会の設計図通り進められることに異存はない。特に分割といっても答申によるとメカニズムが地域的に独立した
事業部制に近い姿であるのでこの点今後の推移を注目していく。だが、しかし、個々具体的な問題の
処理に当っては、たとえば、
債務の返済に充てる
国鉄用地の売却額が答申の予定通り確保出来るのかどうか、つまり過大に過ぎないかどうか、分割された新会社の収支の見とおしは答申通り安定するのか、試算ではいずれも
黒字計上されている。特に三島基金の構想通りに三島の新会社は
経営的に成り立つのか、特殊法人であっても民鉄並みの
経営の自主性が新会社に広汎に保証されるか、又貨物新会社の
経営基盤は心配ないのか。後二年しかない短期間に果たして予定通り民営分割が発足出来るのかどうか等々、答申に添って進めていく過程において実務専門家の
国鉄サイド、或いは
政府各省サイドから答申の設計変更をしなければ実施不可能、或いは相当無理な設計という判断が出るとすれば、運輸省において
法案化の段階でこの点を十分配慮し対処されるよう強く要望しておく。次に今回特に答申に盛られた
改革の諸点は運輸省に限らず、大蔵、自治、労働、厚生等々各省のほか
政府全体が
責任をもって取組まなければ解決し得ない内容のものばかりである。運輸、
国鉄のみの
責任において実行を求めるのには荷が重すぎ不可能な内容である。答申の案は解決すべき諸点が有機的につながり、いずれもかタイトロープになっている。その
一つが崩れればすべてが瓦解してしまう危険性がある。われわれは答申が単なる診断、処方箋に終わった苦い経験を繰り返さないよう強く要望する。
これが私が
監理委員会において精いっぱい述べ得た私の国有
鉄道出身者としての
意見であります。
幸いなことに、今日までの
衆議院の段階におけるところの御
質疑の過程を通じまして
政府から御
答弁いただいたことなどを拝見すると、私が疑問に思っていたことも大分解決されてまいりました。そしてまた、
監理委員会の御指摘の線は
法案の実用化の段階で大分
修正もされてきている。これは非常にありがたいことだと思うと同時に、まず
政府が
責任を持ってこれに取り組まれたことに私は多大の敬意を表する。まず、
国鉄改革に関する関係閣僚
会議の設置を初めといたしまして、余剰人員の雇用対策の本部の設定あるいは余剰人員の雇用対策の基本方針を推進するためのいろんな手だて、
国鉄の
長期債務の
処理の方針等、確かに
政府は挙げて閣議を中心としてこれにお取り組みいただいて今日までやってきているし、またこれからもぜひやってもらわなければならない問題がたくさんございますわけでございます。
そこで、私はここにおいていろいろと申し上げたいこともありますけれ
ども、
質問する前の前置きとしていささかお耳にさわることがあるかと存じまずけれ
どもお許しいただくことにいたしまして、先立って申し上げておかなければならないことがあるわけであります。
それは何かと申しますと、今日までの
国鉄についてのいろいろの
議論は、
国鉄が今日の
経営の
危機に陥ったことに対する
経済合理的な立場からの御判断が余りにも強過ぎたんじゃなかろうか。なるほど、
国鉄を今日に陥らせたいろんな功罪の罪の面はたくさんございます。先ほ
どもいろいろと
青木委員も指摘されましたけれ
ども、私は
青木委員と違った角度からの
問題点としては、我々自身が一番よくわかっておる
問題点がございます。それは、なるほど四十数万人の職員を抱える社会集団としては大きな集団でございますから、社会現象はやはり国有
鉄道にもある。そういうことでこれは職員に非を求めなきゃならない、ひんしゅくしなければならぬ行為もたくさんあった。率直にこれは認めざるを得ない。そしてまた、国有
鉄道の性格ではございましても、取り組みにおくれをとった、
経済の動きに対してついていけなかった、反応が遅かった、職員に親方日の丸の意識がなかったとは言えない、そういう反省は労使やらなければならぬと思います。お互いに確かに甘えがあった、これは反省しなければならない。しかし、
亀井監理
委員長がいみじくも言われたのは、
経営を今日の
危機に陥れた諸
原因、
一つ一つ挙げれば
一つ一つの諸
原因は挙げられるけれ
ども、これは複合的な
原因だと。いみじくもこれは
国鉄症候群という言葉を使われた。まさに
国鉄症候群だと私は思うのであります。けだし適評であるわけであります。
しかしながら、今日まで国有
鉄道の百十四年間の運営を支えてきたその陰では、
国鉄自体のいわゆる役割、国有
鉄道を支えてきた職員の
努力というものを私は大きく見直さなきゃならぬじゃないかと、この際に。功罪の罪の面は確かに我々は反省しなければならぬ。であるがゆえに今日の
国鉄になった。それを改めて新生する
鉄道事業については、それはもう恐らく
皆さんそれを反省しながら出発を誓うでありましょうが、その今まで支えてきた大方の善良なる職員の
努力というものに私は功の面から光を当ててあげなければ、これはやられっ放し、残念であるわけでございます。したがって、これを懐古的とあるいは言われるかもしらぬし、あるいはまた身びいきだというふうにおっしゃるかもしれない。おっしゃるかもしれないけれ
ども、私は身内と言われても、この問題についてはぜひこの際
国民の皆様に
国鉄が今までやってまいった役割についていささか古い話を交えながら御披露申し上げたいと思うのであります。
昭和二十二年の八月発行の「国有
鉄道の現状」という運輸省発行の報告書、今で言う白書ですね、これに終戦のときの
国鉄の
努力が書かれております。ちょっと読んでみます。
国鉄は、全くへトへトになって終戦を迎えたのである。しかし終戦によって
国鉄の使命は終ったのではなかった。
一般産業界は仮死状態に入り、すべての生産は、敗戦を境として一時殆んど停止してしまったのであるが、
国民の足といわれ国家の動脈といわれる
国鉄は、一瞬たりとも休止することを許されない。敗戦という未曾有の
事態に逢着して
国民均しく呆然たる中に、
国鉄従事員は、一時の休息をも與えられず疲れ切った車両や施設にむちうち、新らしい使命を以つて再出発しなければならなかつたのである。
終戦直後「汽車が動いている。」とは安堵の吐息と共に到る処で聞かれた言葉であつた。たとえ旅客輸送の極度の混乱はあつたにしても、あの混沌とした世情の中にあつて、とにもかくにも輸送が止らなかったことは如何に
国民に安心を與たえ、治安の維持にひいては占領軍の無血進駐に大きな役割を果したことか。
というのが書き出しであります。
京都大学教授の会田雄次先生がある本に思い出を書いておられる。その思い出は、あの人が復員列車に乗って帰られたときに、
敗戦の混乱の中で
国鉄が動いていることがどれほど私達を励まし、復興の支えになったことか。……私達は京都駅で下車したとき列車に向かって——つまり
国鉄職員さん達に対して——脱帽敬礼、感謝を表明してから
解散したのである。
こうなんです。
国鉄の当時の使命感といいますか、これは今でも脈々と続いていると私は思う。
総理は、この終戦のときのあの輸送の状態は生々しく御記憶だと思うんです。
大臣は御幼少でございましたから余り御存じないかもしれない。したがいまして、今日まで今話を申し上げたようにやりましたその敢闘精神というのは、残念ながら今日は薄められているかもしれない。失なわれているかもしれないけれ
ども、しかしまだ、薄くはなったけれ
ども連綿として生きている、そういうふうに私は確信をいたします。私はその敢闘精神が生きていることを証明するのがこの時刻表だと思うんです。どういうことかこれから証明をいたします。
総裁、今一日当たり延べ何万本の列車が走っていて、そして一日どのぐらいの旅客、貨物を運んでいるか、ちょっと言ってみてください。