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参考人(
並木信義君)
並木でございます。
私のきょうの発言項目というのは、お手元にお配りしてあると存じますが、三項目書いてあるわけであります。ここに書いてございます項目は、実は通常皆様方が
新聞、雑誌、テレビその他では絶対ごらんにならない、そういう項目でございます。それは私自身、最近の
議論、これは極めて根本的な問題に対して一過性の取り扱いをしておる、そういう感じがございますから、皆様方にいかに現在の
議論の仕方がある意味で浅薄であるかということを御理解いただくために、現在いろいろな論壇等で絶対に取り上げられていないと思うような点をお話ししたいと思っているわけです。
第一の、「
日本病(明治百年病)の原因、診断及び
対策」という点でございますが、皆様方英国病という言葉はよく御存じだと思うのでありますけれども、現在の症状は、これはいわば
日本病と言うべき症状なのであります。
英国病と
日本病はどう違うかといいますと、英国病というのは、世界に先駆けて近代化いたしまして、その近代化した結果としまして、英
国内の人的資源その他が
産業界から離れまして文化面その他の領域に移ってしまったわけです。
産業面、特に
製造業から離れてしまいましてその他の領域に移っていった、それが根本的に英国病の原因である。一体それでは
日本病と言っているのはどういうことであるかといいますと、これは全然別なんであります。
この
日本病ということを御理解いただくために、私はここで明治百年病という言葉を使っておりますが、この明治百年病というのはどういう意味であるかといいますと、例えば明治維新の当初、
日本の国際的な立ちおくれというのは一体何年であったかということをまずお
考えいただきたい。明治元年において
日本が近代国家をつくって近代化に乗り出した当初において、一体
日本の対国際的な立ちおくれというのはどのくらいであったと
考えたらいいのであるか。この点は恐らく皆様方御多忙で平素そういうことはお
考えになる暇ないと思うのでありますが、私は今二千枚以上の大著を執筆中でございまして、その中で五十年のおくれである、そういう結論を出しているのであります。
その五十年のおくれであるというのはどういう意味であるかといいますと、これは例えば教育制度なんかをとりますと、意外なほどおくれていないのでございますよ。例えばオックスフォード、ケンブリッジに近代的な理工学教育が導入された時点と東京大学工学部発足の時点とを比較いたしますと三十年とおくれていない。それから、
アメリカで有名なMIT、マサチューセッツ・インスティチュート・オブ・テクノロジーと比較いたしましても二、三十年とおくれていない。世界で最も最初に近代工学教育を実施したのはナポレオン戦争中に発足しましたフランスのエコールポリテクニックでございますが、これも実際に教育を開始したのは実は一八三〇年代でございまして、発足はもっと昔ですが、これと比較しましても五十年しかおくれていない。つまり、これは
一つの比較の尺度でございますが、近代
日本発足時点でまず五十年のおくれと見るのが適当なんであります。
この五十年のおくれということの意味はどういう意味であるかといいますと、例えば石油危機の前に
日本が欧米諸国に追いついていたと仮定しますと、これは明治百年です。つまり百年間に百五十年分の仕事をしたということを意味するのです。明治百年にして出発点の五十年のおくれを取り戻してそれで追いついたということは、百年間に実は百五十年間の仕事をしたということを意味するのであります。これが現在の
構造調整問題の
基本認識であるべきなんです。
わずか百年間に百五十年分の仕事をこなした
社会はそれなりにいろいろな深刻なひずみを持っているわけです。私はこの間、韓国
経済新聞の社長と話しまして、韓国も韓国病なんだろうという話をしまして、
意見は一致したわけでありますが、この
日本病、韓国病というのは、英国病と逆に極めて短期間におくれを取り戻す大変急スピードな成長をやったそういう
社会の問題点である。
これから申し上げますのは、皆さん絶対に通常の
議論には出ていない論点でございますからよく御記憶願いたいと思うのでありますが、例えば百年間に百五十年分の仕事をする
社会のひずみというのはどういうものであるか。第二次大戦前の
日本が
政府として、国家としてやったことは、これは富国強兵だけですね、はっきり言いまして。
国民生活なんというのは二の次である。間違いない。そうしますと、国民は老後は
自分で面倒を見なければいけない。
政府は
社会保障もへったくれもないわけですね。富国強兵で張り切らない限り帝国主義的な圧力下でつぶれてしまうわけです。だから、好むと好まざるとにかかわらず
日本は国家としては富国強兵に奔走する。国民は自力救済である。ということは貯蓄率が高まらざるを得ないわけです。
皆さん、現代世界で先進国中貯蓄率が高い国はどことどこだか御存じでしょうか。
日本より高い先進国があるのです。それはイタリアであります。イタリアの家計貯蓄率は
日本より高い。なぜであるか。これは私時間がないからくどくど申し上げませんが、御想像をいただけるでしょう、イタリアの
社会、イタリアの国家、イタリアの
産業等々の
状況を
考えますと。だから、貯蓄率が高いということは、マル優とかなんとかとは関係がないですよ。
前川レポートは、まずマル優の廃止と石炭鉱業の
縮小という二点を取り上げましたが、理由は、貯蓄優遇だから貯蓄率が高いんだ、だから
黒字だ、こういうロジックでございますけれども、これは
日本を知らざるも甚だしい
意見でございまして、要するに貯蓄率が高いというのは
日本病のせいなんです。
例えば
ヨーロッパは、これは利子所得課税がございますけれども、
ヨーロッパは税務署が利子所得を捕捉いたしませんから事実上利子所得は課税されていないのですね。
アメリカは利子所得課税がございますけれども、
アメリカは貯蓄分は所得税を控除するという措置がございますから、したがって、マル優を廃止するということは、
日本が実は一番厳格なことをやるということになるんでありますが、実はいろいろな
審議会の
答申等におきましてはこういう冷静な国際比較なんというのは全然ないわけです。これはどうでもよろしいわけでございます。
もう
一つの問題は、余暇文明の未成熟です。
日本は百年間に百五十年分の仕事をいたしましたから余暇どころじゃないのであります。ですから、会社が休日社員を募集いたしますと定員の何十倍という応募がある。なぜか。これはやはり五十年のおくれで近代化を始めましたから蓄積がない、おまけに富国強兵下で貯蓄率を高めるという要請が極めて強かった
社会であるから、現代
日本人はこんな余暇を楽しむどころではないということが如実に出ているわけであります。これはだから今後の高失業下でワークシェアリングなんかを本当にどうやって進めるか、そういう問題を
考えます場合非常に致命的な
日本病の症状になります。
ここで、今の二点は恐らく皆様方もお気づきの点でございましょうが、お気づきでない
日本病の症状を申し上げますと、それは例えば教育制度です。
日本の教育制度がどういう点で
日本病を表現しておるかといいますと、これは大学生の年齢分布なんであります。大学生の年齢分布はスウェーデンが一番幅がある、
日本が一番幅がない、次はフランスであります。
アメリカは
日本に次ぐぐらいであります。一体これは何を意味するか。これは明治百年病でございますから、国民は一斉に教育課程をところてん式に押し出されて一直線に民間
企業に就職し精いっぱい働くのである、こういうせかせか症状が教育制度に明確に出ているんです。
こういう教育制度で教育された人が民間、
政府等に就職をいたしまして、それで
日本病
社会を築いてきたのであります。この
日本病
社会を築き上げた人が集まりましていろいろな
答申をつくって、私に言わせれば病気を巣くった本人が病気の診断をして何か
対策を
考えた、こういうわけでありますが、実はこれは診断が間違っておりますから
対策も当然間違っているわけです。
それでは一体そういう教育制度をどうしたらいいか。臨教審は何か四月だ九月だと言っておりますが、これは全然問題とは関係のないところでございます。つまり、
日本病であるということを冷静に認識いたしますと、これは
産業界の調整だなんというそんな細かい問題じゃないのであります。
次の問題はどこに出ているか、これは医療制度です。医療制度の改革なんというのは山ほど
議論はございますけれども、不思議なことに根本をついた
議論は
一つもない。どういうことであるか。富国強兵
日本が医療に力が注げただろうか、そんなことはありませんね。これは厚生省の人だって十分知っているはずでありますが、つまり戦前の
日本は、
政府は国立大学附属病院ぐらいをせいぜいやっておるだけでありまして、医療の出来は民間依存である。現在、国立精神病院が四つしかない、あとは全部民間病院である。これはつまり
日本病の最たるものでしょう。
医療は
政府なんかやっていられない、皆民間である。教育だってそうなんですよ。世界じゅうで
日本みたいに私立大学依存の教育制度をとっている先進国というのはないのでありますよ。医療もそうなんです。
日本みたいに私立病院依存の医療体制をとっている国は先進国には一カ国もありません。なぜか。それは
日本病だからです。それでいわゆる宇都宮病院的なスタイルが横行しちゃっておる。これも
日本病の典型的な症状でございます。ということで、明治百年病であるということを冷静に認識しませんと、
産業構造調整の問題というのは出発点から失敗するに決まっているんです。これは小手先で
海外投資がどうのこうのというふうな問題ではないのであります。
以上が私の
日本病の問題に関する御説明でございます。
次に、
産業構造の転換とは何かという問題でごさいますが、この点も実は皆さん方がお触れになります論調は次のような論調でしょう。
輸出重点型
産業構造を内需重点型に切りかえるのであるということを異口同音に述べるわけであります。これは先ほど
河野さんがおっしゃっていたように、具体的な
政策というのは全然附属していない。なぜそういう
状況が生まれるのであるか。これは皆さんが
産業構造の転換だなんということをあだやおろそかで口にしたり文字にしたりしてはいけないということを意味するのであります。
産業構造が転換できるのであるか、
産業構造というのはそんなコンニャクみたいなものであろうか、あるいはしん粉細工みたいなものであろうか、これはまずああいう
議論をなさっている方は根本から
考え方を改めないと、こういう人生と同じぐらい大きい問題をしん粉細工的に処理しようというのはとんでもない間違いである。
なぜ人生と同じぐらい大きい問題であると私は言うかといいますと、ここに
産業構造の三命題というのがございますが、これは私が昔、
産業構造課長というのを拝命しておりまして、
産業構造の
長期ビジョンの第一回目をつくりましたとき、一生懸命
考えまして発明した命題なんであります。
第一命題というのは、
産業構造論は応用倫理学である。倫理学ですよ、エシックスである、アプライドエシックスである。第二命題は、一国の
産業構造高度化の具体的
レベルを決めるものはその国の文化
内容である。第三命題は、
産業構造はバランス感覚の問題である。この三命題はこれは私が脳漿を絞り上げて発明した命題でありまして、
答申の最初の方に麗々しく掲げて
日本政府の
役人諸君に拳拳服膺してもらいたいと思っていたのでありますが、不幸にして、私が
役人をやめましてからこの三命題というのは完全に忘れ去られて、最近のような浅薄なる
議論の
状況に陥っているのであります。
次に、
産業構造転換の三条件というのがございますが、三命題というのはこれはちょっと難解でございますから、私は時間をつぶして皆様方を退屈させたくないので先へ行きますが、
産業構造転換の三条件というのは一体何であるか。つまりしん粉細工みたいにこれは変わるものであるか。転換の第一条件は、これはニーズの変化なんです。人間ニーズの変化なんです。これが変わらぬ限り
産業構造なんというのはびくともするものではないのでありますよ。
輸出重点を内需重点に切りかえるなんて、書くのは易しい、言うのは易しい。
どうやって切りかえられるかといいますと、これはまず第一にニーズが変化しなければいけない。人間生活のニーズが変化しなければいけない。第二はテクノロジーが変化しなければいけない。第三は
国際経済環境が変化しなければいけない。この
三つのどれでもいいんですが、その
三つのうちのどれか、または
三つ全部でもよろしいわけでありますが、これが変化しない限り
産業構造というのはびくともするものではありません。
そうなりますと、
輸出重点型
産業構造を内需重点型に切りかえる、こういう命題は私のこの三条件に照らしますとどういう条件で成り立ち得るのであるか。これは要するにニーズ、テクノロジー、
国際経済環境、
三つなんでありますが、一番大きい要因というのは最後ですね、
国際経済環境です。ニーズとかテクノロジーの問題というのは私は今回はすっ飛ばして先へ行きます。
国際経済環境の変化というのは、中身は何であるかといいますと、第一にこれは比較生産費構造を通ずる
輸出入の変化です。これは
円高でやむを得ずそういう形で進んでおります。もう
一つは
海外直接
投資であります。これは現在極めて盛大に論ぜられている問題でございます。
海外直接
投資である。要するにこの
二つといいますか、つまり三条件のうちの第三条件、
国際経済環境の変化、このうちの比較生産費構造の変化を通ずる
輸出入の変化、それと
海外直接
投資ですね。それから技術提携等もございますが、要するに現在
日本の
経済構造を変えるのに最も大きな影響を与えるのはこの第三因子である。その中でも特に
海外直接
投資であるということになります。
ところで、皆様方は恐らくいろんなところで数字はごらんでありましょうが、問題になっております産構審の計算をごらんになりますと、いろいろ
海外直接
投資残高何%かふえまして、二〇〇〇年にそれによって
輸出が幾ら減るというような計算がございます。もし皆様方が注意深く数字をごらんになりましたならば、あるいは注意深く表現をごらんになりましたならば、そうした場合、
日本の
経済摩擦はなくなるということが一言も書いていないという点に注意なさるべきであります。
例えば現在、
日本経済が生み出しております
経常収支の
黒字の大きさに比べまして、産構審で直接
投資の結果代替される
輸出額、しかもこれは二〇〇〇年ですよ、現在じゃないんです、二〇〇〇年で代替される
輸出額というのが問題解決に足りる大きさであるかどうか。これはそんなことはないですよ。ということは、前川リポートもそうであり産構審のリポートもそうでございますけれども、私のような本当の専門家から見ますと、これはさっき三命題を忘れてもらっちゃったと言いましたが、数字づくりの点でもこれはかなりの問題があるというふうに御
承知いただいた方がよろしかろうと思うのであります。問題はもっと深刻だというふうにお
考え願いたい。
それじゃ一体どうするのであるか。直接
投資もだめだとおまえが言うのだったら一体何があるんであるか。これは大変深刻な問題しかないとしか言いようがありません。じゃ何であるか。エンパイアステートビルの買収であるとか、つまり直接
日本の
黒字で
海外資産を相当大規模に買い占めるとか、そんな
段階の話だというふうにお
考えいただいた方がよろしかろうと思うのであります。もちろん、これは
アメリカからしましたら、核の傘のもとで
日本は何をやりおるか、とんでもない国である。これは貿易摩擦どころじゃない問題に発展しがちですよ。これはですから、いろいろなリポートがございますが、ああいうリポートの数字を眼光紙背に徹して吟味なさればよくおわかりになるという点であります。
最後三番目が、中・
長期成長率見通しと構造転換の諸問題というのがございます。これは皆様方が絶対にお聞きになっていない重要問題が
一つあると私は信じます。それは何であるか。石油危機前の
日本の
経済成長率は九・五%でございました。石油危機期間中、石油危機というのは私の定義では七四年から八四年でございますが、この十一年間の成長率は四%でございました。それで去年、八五年以降一体
日本の成長率は何%になると
考えられるか。私は、たまたま企画庁と
意見が一致するというか、
向こうが僕に合わせてくれたかどうか知りませんけれども、四%という説です。しかしこれは、論拠は企画庁と絶対違っておると思いますが。先進国がどうなるか。石油危機前は五%です。石油危機中は二%です。八五年以降は三%成長です。石油危機前に比べて、石油危機中の成長率は四掛けに低下するのです。四割にしちゃったのです。理由は、私は今時間がないから申し上げません。この理由については世界じゅうの
経済学者が口を緘して語らない。だから皆様方も御存じない。だけれども、これは根本問題でしょう。八五年以降の成長率が私は
日本は四である、先進国は三%であると申し上げます。
これは一体、石油危機前の九・五と先進国の五、これが
日本が四であり先進国が三である。ではなぜ一体成長率
レベルが今後がくっと下がるのであるか。これも天下の大問題ですね。これは米ソ軍縮なんかと並ぶ、あるいはむしろ人類
社会全般に通ずる問題としてはもっと大きな問題かもしれない。これについても実は世界じゅうの
経済学者は口を緘して語ろうとしない、それはなかなか語れない大問題ですから。ですが皆さん、我々が直面している明治百年病の解決というのは、実は数字的には甚だ心細い
検討結果の上に認識が支えられている。これをまず申し上げておく。
その次、今後予想される成長率見通しというのは、今申し上げたような
レベルでいくと私は確信していますから、これは容易ならぬ見通しである。つまり石油危機前の高度成長、
日本の場合は簡単に言って一〇である、先進国が五である。石油危機中は
日本が四で先進国は二であった。つまり四掛けであった。これが今後は
日本は四で、それで先進国は三%でいかざるを得ないのである。しかも一方においてマイクロエレクトロニクス革命は進行する。失業は多発する。これが現在の官製
ビジョンと言っては悪いんですがハイテクの評価が完全に違うのです。私はここに、私の経歴の中に書いてある、「
産業・
経済通説のウソとマコト」という中で書いてある。第一章は、ハイテクは成長しないと書いてあります。これは私の確信です。ですが、もろもろの
ビジョンはやはりハイテクに関しては成長率を上げるという前提で書かれております。これはとんでもない間違いなんです。だから、さっき言ったような、今後の成長率が
日本は四で先進国は三でしかあり得ない。つまり過去の高度成長時代は夢のまた夢であるということを申し上げたわけです。
でありますから、まず我々は明治百年病であるということをもっとよく認識すべきであり、かつ、現在いろいろ
検討のベースになっておる数字はずさん過ぎる、だからこれはもっとよく
検討しなければいけない。
それから第三は、見通しが明確を欠き過ぎている。しかも見通しに与える主要要因の評価が間違っておる。こんなことでございますから、これはまず危なっかしくて見ていられないというのが忌憚のない現状評価であろうというふうに思われるわけであります。
ちょうど時間でございますから、私の発言はこれで打ち切りたいと思います。