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上野雄文君
査定をそれじゃできるだけ早く
見通しを立てていただきたい。これで、
地元に帰ってこんな話ですよ、こう言ってみて、
地元の方がああそうですかということになるのかどうかというと、
復旧に関することですから一定の
見通しなり何なりが立った上で話しませんと、私だってそこに座っている
岩崎先生だって、
説明のしようがないじゃないかということになりかねないと思うので、ひとつそれはできるだけ早くやるように強い
要請をいたしたいな、こう思います。
災害は本来
過疎地域に起こってくる。つまり、人手が足らなくなっているわけですから、
治山治水などについてもわかってはおってもなかなか手を出すことができないというのが
実態なので、そこに起こりがちだというふうに普通思うわけですね。
実は、
役場の方の
担当者に、一体今あなた方一番何を望んでいるんだ、こういうふうに言いましたら、例の
農林水産業施設災害復旧費国庫補助の
基準についてなんですけれ
ども、十万円以上というものを、たしかおととしでしたか、三十万円以上に額を直したわけですね。これは私も当時
農林水産委員でしたからたしか賛成をしたかと思うんですね、
法案審議のときに。そのときに、当然そんなことを想定しながらこの
対応策というものを出して
議論をすべきことだったと思うのでありますが、起こってみて初めて私なんかも気がつく、指摘をされてみてなるほどと。今回の場合がまさしくそのことなんですけれ
ども、
担当者がそのことを言うわけですね。
昭和二十七年に定められた額が十万円。で、五十九年に法律改正するときに三十万円に上げるについて、三十年以上もほうっておいたやつを
インフレ補正なり何なりすれば三十万円に上げることはやむを得ないのではないかというふうに頭で考えてしまったことに、やっぱり間違いがあったのかなと
自分自身で実は反省をしています。過疎過密ということが
議論をされていながら、
災害の起こりやすい
過疎地域の問題について少し
配慮が足らなかった。提案される側は当然、受けとめる側もそれは仕方ないだろうという受けとめ方だったわけでありますけれ
ども、やはり
過疎地域という問題についてのとらえ方に非常に
配慮が足らなかったという、そういう
気分でいるわけです。
茂木町で実は一
番頭を抱えているのは、八十年来なかった
災害が突如襲ってきたということで、
昭和二十一年のあの
災害の多かったころであってさえも
床下浸水が五、六戸しかなかったという、そういう
経験しか持っていないわけですね。私もあの
逆川の
流域、
災害が起こって水が引いた後ずっと歩いたわけでありますけれ
ども、古いうちは全部
傾斜地の中腹にへばりつくように建っているわけですね。
水害を受けた
方々は、
水害のなかったときにあの
河川の
流域に出てきた。だから、ばっとやられた。その
経験を受けなかった連中が出てきたと言ってもいいんだろうと思うんです。だから、歴史的に見れば何回もあの
逆川が暴れて、あそこの住民は山腹にうちをつくるというふうにしたことには違いないだろうと、こう思うんです。ただ、
茂木町がやっぱり一
番頭を抱えているのは、
過疎地域の
指定を受けているこれがさらに
過疎化が進行してしまうのではないかと。もうあの古いしにせが、あれは
醸造業ですね、何百年も続いたお店をたたむことを決意したということも聞かされておりますし、本屋も全部流されてしまって、今後とても立ち直れないというのでもう店をたたみますと、大変悲惨な話が残っているわけなんです。
問題は、やはりそういう
過疎地域に対する
対応の仕方というようなことですね。法律を直したばっかりで、すぐにこうだという
議論にはなりかねないかもしれません。が、しかし、こういう抜け道といいますか、
例外規定といいますか、あるいはただし書きというのか、そういう
特例的な扱いというものは考えられないものかということですね。まあ私の気持ちは、共同責任的な
気分というか、私も当の
農林水産委員会におりましたから、そういうものを片っ方に持ちながらあえてお尋ねをするわけですけれ
ども、そんなことを考えられないかどうかということを、ひとつ所感を述べてみていただければと、こう思うんです。