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参考人(小沢雅子君) 小沢でございます。
本日、先生方のお手元に
天谷先生と私のプロフィールを書いた資料が既に届いていることと存じます。そちらの中に、
最初に私のプロフィールが出ておりまして、「女性、三十歳台」というところから始まっていろいろ出ているわけでございます。こちらに書いてありますことはまさしく正しいことでして、何ら訂正する必要はないんでございますが、ただその中に「
日本長期信用銀行調査部」という私の現在の勤務光の名前が入っております。こちらに私が参りましたのは、恐らく小沢という一人の個人に対する
参考人としての
意見の聴取をなされたのだというふうに解釈いたしておりまして、私どもの銀行並びに銀行業界に対する公式見解の聴取では毛頭ないだろうと想像いたしております。と申しますのも、もし銀行並びに銀行業界に対する正式な
意見をお聞きになりたいということであれば、当然頭取ですとか銀行協会会長とかしかるべき人にお声がかかるはずでございまして、私のような若輩にお声がかかる以上、これは個人的見解を申し上げて差し支えないのではないかと思って参った次第でございます。
それで、先ほど
天谷先生の方から恐らく
国際化ということに関する
歴史的な御発言があったことと存じます。そういったことは偉い先生にお任せいたしまして、私個人が今日の
日本の置かれた
状況の中で
国際化というのはどういう
意味を持っているかということから個人的見解を述べさせていただきたいと思います。
私は、今日の
日本の
国際化というのは三つの点において必要であり、
意味があることだというふうに考えております。
一番目に、
外国との競争条件においてフェアであるということ、フェアな競争条件を整備するということがまず第一に
国際化の要件になってくるであろうと考えております。
フェアという
言葉でございますが、これは
経済学的に申しますと、まず第一番目に、最もフェアな状態というのはどういう状態かと申しますと、あらゆる
経済主体、つまり個人でありますとか
企業でありますとか、こうした人々がいろいろな行動をとることを全くフリーにする、自由にする、何ら制限をつけない、これが一番フェアなやり方というふうに考えられております。つまり、いろんな商品ですとか生産物、サービス、あるいは資本とか労働力とか、こういったものがどういうところに出ていって、どこでどういう形で利益を上げるかについて何ら制限を設けないで自由にする、これが一番フェアな状態ということになるわけでございます。そうは申しましてもいろんな事情がございますので、何ら制限を設けないというのは現実において恐らく不可能だと思われます。
そうしますと、次善の策としてフェアとは何かといいますと、今度はいろんな
経済主体に対して制限を行う場合にその制限を公平に行うということがフェアになってくるわけでございます。これは、例えば
日本人と
日本に在住する
外国人に対していろいろな差別を行わないこと、あるいは
日本企業と
海外企業に対して差別を行わないこと、並びに個人と
企業との間で著しい格差を生まないようにすること等々において出てくるわけでございます。
さらに、もっと言いますと、例えばいろいろな制限の仕方によりまして、労働によって収益を得るのは著しく容易だけれども、資本を使って収益を得るのが著しく不利である、このような状態になりますと、これはこれである
意味ではフェアでないということになります。逆も当然しかりでございまして、資本によって収益を得るのは著しく簡単だけれども、労働を使って収益を得ることが著しくやりにくい状態であるというのは、これはまたこれでフェアでない状態になるというふうに考えております。
一番目に、フェアな競争条件の整備というのを
国際化の
意味として考えているわけでございますが、それに続きまして、そのフェアな条件のもとで
日本の
国際競争力を高める、このような政策を考えて実行するというのが現時点における
国際化の二番目の
意味になると考えております。このためには、例えば土地問題とか教育問題とか、後で述べますような幾つかの問題について何らかの改善策を試みなければならない時期に来ているのではないかと考えております。
そして
日本の
競争力を高めた上で、三番目に
国際化の要件として必要なことは、国際的な所得の再分配のシステムを考える、それによって
日本の安全保障を図るということでございます。これは
日本国内の場合、あるいは地球規模に拡大いたしました国際社会の場合、いずれの場合にいたしましても所得に著しい格差がある場合、そうした社会のシステムというのは必ず安定性を欠くものでございます。国内の場合にいたしましても、所得に著しい不平等があった場合には、それは単に気の毒だとか、かわいそうだとかいう同情論だけじゃなくて、社会を安定させるためにもある程度再分配の機能を社会の中に内在しないと、社会そのものが安定しにくいような状態になるわけでございます。
例えば、人間としての生存も不可能な程度に低い所得に甘んじている人、病気になっても医者にかかるだけのお金もない人、こうした人々をそのまま放置しておくことは社会的公正にもとるだけじゃなくて、さらにこうした方々が、例えば背に腹はかえられずに社会の秩序を破るような行動に出ざるを得なくなるという状態をつくるという
意味で、社会の安定性に対して阻害する要因になるわけでございます。これは、国際社会においても同様のことでございまして、地球的な規模で著しい所得の格差がある場合には、それはやはり国際平和のためには余り望ましくない状態でございますので、システム的に地球規模での所得の再分配を考えることが
日本の安全保障にもつながるということがあるわけでございます。
こうしたことは当然
日本の
経済援助の際に考えられているファクターでございますが、それをもう少し首尾一貫したものにして、例えば援助のための
哲学というものを考え、それをシステム化していくということも
日本の
国際化の最終
段階として必要になってくるのではないかと考えております。
それなら、
日本がなぜそうした三つの
意味で
国際化しなければいけないのかという点から申し上げたいと思います。
国際化の目的というのを私は二つ考えております。一番目が、先ほど最後の
段階で申しましたように、言うまでもなく
日本の安全保障、
日本人が生存権、安全権を脅かされずに無事に天寿を全うすることができるということがまず第一番目の要件であるわけでございます。そして二番目に参りますのは、そうした安全を確保した上で、なおかつ現在私たち
日本人が享受しているような生活水準をできるだけ長く維持する、あるいはできることならば少しでも向上を図る。こうしたことが
国際化が必要な二番目の理由になってくるというふうに考えております。
それで、一番目の安全保障の確立にはどうしたことが必要かというふうに考えますと、恐らく二つ必要ではないかと思います。
一つは、国際分業を順調に進展させていくということが必要になってくると思われます。安全保障を高める際の
経済的な巽件として今二つの
意見が言われております。
一つは自給率を高める。石油にしましても、石炭にしましても、エネルギー源にしましても、あるいは食糧にしましても、すべての
日本に必要な物資は他国に依存しないで
日本国内で生産できるようにする、これが
一つの考え方でございます。
これに対して、二番目の考え方としまして、そうではなくて、いろんな資源なり
技術なり商品なり資本なりさらに人間なりの交流を密にしまして、
世界のシステムの中で
日本がいろんな
意味において不可欠な要素になっていく。つまり
日本をうかつにたたくと
自分の国にも相当な被害が起こるという状態に持っていく、これによって
日本の安全を確保する、これが二番目のやり方でございます。
どちらがいいかというのは、いろんな
価値観によって分かれるところでございますが、今日の
状況をかんがみますと、一番目のやり方、すべての資源において
日本の自給率を一〇〇%にして、一切他国に依存しないというやり方は、まず現実問題として不可能でございます。不可能であるばかりでなく、仮に一〇〇%譲って、
日本人の生活水準を著しく低下させて、一〇〇%の自給状態、つまり鎖国状態が可能であったといたしましても、現在の地政学上の
立場から言いますと、それによって
日本の安全保障が保たれるという保証は実は全くないわけでございます。
したがいまして、これは私の個人的な見解ではありますが、むしろ二番目の方法、国際分業を円滑に進めて国際的な
経済が順調に進み、地球上の人間がつつがなく生きるためには、
日本の安全並びに
日本の
発展がいろんな
意味において不可欠であるというふうにシステムを持っていく方が
日本の安全保障が確立される可能性は高いのではないか、さらにこの方が実現性も高いのではないかというふうに考えております。
それから二番目の
日本国民の生活水準の維持向上という点でございます。これはもっと言い方をかえますと、現在の
日本の
経済の成長率、これは一九七五年以降御承知のように
経済成長率が低くなったわけでございますが、それでも一応
プラスに成長いたしておりまして、比較的順調に
経済運営がいっている方だと言われております。この順調な
経済運営が続く期間を何とか長引かせようと、こういうことになるわけでございます。では、その望ましい
経済成長率というのはどのぐらいかと申しますと、二%というふうに言われております。二%という根拠はどこから出てきたかと申しますと、まず、
日本の人口が年率平均〇・八%で増加いたしております。これが一点でございます。それから二番目といたしまして、
日本の人口の高齢化の速度、こちらが大体一・二%ずつ平均年齢が高齢化いたしております。両方を足し合わせますと二%の
経済成長が必要になってくるわけでございます。これはとりもなおさず、人口がふえますと、仮にゼロ成長であったとしました場合、一人当たりの取り分が少なくなるわけでございますので、成長率がゼロになって人口がふえている状態というのは、一人当たりの個人にしますと生活水準が低下しているという状態になります。
それから、高齢化の影響についてでございますが、これは私ども年齢が
一つ高くなれば少しましな生活ができるというふうに考えております。現在私三十三歳でございますが、三十四歳の一年先輩を見ておりますと、もう少しましな生活をしておいでである。来年私が三十四歳になったときには、今の先輩レベルの生活はできるのではないかと、こんなふうなことを恐らく大勢の
日本人の大多数が考えていると思います。ですから、人口の高齢化分だけ
経済が成長していないと、実感ベースとしまして生活水準が低下したと感じる人が少なからず存在するという状態になるわけでございます。ですから、人口の増加分の〇・八%と人口の高齢化分の一・二%、合わせて二%分の
経済成長率が達成されて初めて国民の実感ベース、感覚ベースで生活は安定している、少なくとも落ちてはいない、こんなふうな感覚になるわけでございます。
それでは、そのために何が必要かという点でございます。これは大体六つあるのではないかと考えております。
まず、生産能力を維持する、もしくは高めるという点から五つ出てまいります。これを考えますと、まず一番目に原材料の問題がございます。これは御承知のように、先ほども申しましたように、
日本の場合、エネルギーを初めといたしまして原材料の多くを
輸入いたしておりますので、これを今からにわかに国産に変えるということも不可能でございますし、もしやろうとしますと、著しい
経済の停滞もしくは生活水準の低下を招きます。さらにコストもかかりますので、やはり
輸入をしないというのは無理な状態でございます。そのためには何が必要かと申しますと、備蓄率を高くするということ、つまり、国としての在庫をふやすということがまず必要ではなかろうかと思います。それからさらに、いろいろなエネルギー源なり食糧なり原材料なりについて
一つの資源に偏らずにいろんな代替性を持たせておく。石油なり石炭なりあるいはウランなり、いろいろな
技術を開発しまして、片方がだめなら別のやり方というのを考えておくというのが原材料について必要なことでございます。それからさらに、原材料の
輸入相手国を分散させておいて
リスクを分散させるというのも原材料について考えるべき点ではなかろうかと思っています。
それから、原材料に続きまして生産要素というのが三つございます。これは土地と労働力と資本でございます。
まず、土地から申しますと、これは今の
日本の
経済の
最大のネックというふうに考えられております。土地の問題は、国土が狭いこと以上に、むしろ余り有効に利用されていないということが
経済のネックとして大きな問題になっておりますので、これはもう少し有効に利用して、なおかつ生産効率を高めることが必要ではなかろうかというふうに考えております。こちらについては後でもう少し詳しく述べさせていただきます。
それから二番目の労働力についてでございますが、こちらについては必要とされる人材の質が変わってきたのではないかと考えております。これも御承知のように、明治以来ずっと百二十年間、一九七五年ぐらいまでの
日本というのは先進国に対して追いつき追い越せというやり方でやってまいりました。
経済的に言いますと、いろんな商品を先進国がつくっている、何とかそれを
日本の国内でつくれないだろうか、こういうふうに考えて一生懸命に生産手段を考え、生産の効率を上げるという努力をしてきたわけでございます。ところが、一九七五年以降、既に
日本がある程度先進国に到達いたしましたので、今度は、先進国が既に考えた商品をまねをして何とか効率的につくるということよりも、むしろ今までだれも考えたことのなかったような新しい商品を考える、こういうことが必要になってきたわけでございます。先進国に
キャッチアップするまでの期間というのは生産手段を考える人材が必要であったわけでございますが、一九七五年以降はそうではなくて、むしろ生産の目的、新しい商品をクリエートする、創造する人材が必要になってきたわけでございます。ここで人材の質、必要とされる労働力の質が変わってきたということがまず重要な問題として挙がってくるわけです。このことは当然、
経済的な条件から必要とされる教育に対する
要請というのもあるいは変わってくるとも考えられます。この問題についても後で個人的な
意見を述べさせていただきます。
それから三番目に資本の問題がございます。この問題は、現在ただいまのところむしろ一番イージーな状態になっておりまして、
日本の貯蓄率は高いのでむしろお金が余っているという状態になっております。ただこの問題に対しても、例えば
経済企画庁の
経済白書は昨年あたりから警告をいたしておりまして、今後
日本の人口が高齢化していくと今一七%であるという貯蓄率がどんどん下がって、例えば一九九〇年には一三%になるとか二〇〇〇年はは七%になるとか、こんなふうな予測が出ているわけでございます。
日本の人口が高齢化し貯蓄率が下がったときには今十分に足りている資本も足りなくなるかもしれない、こういう危険性があるわけでございます。これは私の
意見というよりは
経済企画庁の
経済白書の
意見でございますが、去年、ことしの
経済白書は、そのためには資本が十分に満ち足りている今のうちに住宅ですとか社会資本とか、こうしたものについて十分は手を尽くしておかなければいけない、こんなふうな
意見を述べられております。
以上、原材料並びに土地、労働、資本、こうした生産の三要素がいかに必要かということを申し上げたわけでございますが、これに続きましてさらに必要になってくることが
一つございます。それは、国内の需要を確立し、それによって国内の需要が
日本の
経済を引き上げていくという
経済システムをつくり上げなければならないという点でございます。
先ほど少し申し上げたんでございますが、一九七五年ごろを境に、
日本の
経済構造というのはそれ以前の百年とがらっと変わってまいりました。具体的に申しますと、七五年までの百年間というのは
日本においては
日本人の需要が
日本の生産能力を上回る状態でございました。ですから、生産能力を高めるということが求められ、需要はむしろ抑えなければいけないと考えられてきたわけでございます。
ところが、七五年以降は逆に生産能力の方が国内の需要よりも高い状態になりました。生産能力が高くなったのはひとえに
日本人が一生懸命資本蓄積を行ったり、設備投資を行ったり、一生懸命勉強したり、一生懸命働いたりした結果として大変めでたいことなんではございますが、これが国内の需要を上回ってしまったためにここに逆のデフレギャップというのが発生してしまったわけでございます。したがいまして、今後
日本の
経済が順調に、例えば二%以上の
経済成長率を確保する
ためには生産能力を高めるだけでは不十分でございまして、国内の需要を確立し、需要が主導するような
経済成長をつくっていかなければいけない、こういうことが問題になってくるわけでございます。
以上、こうしたことを踏まえまして、それではどのような政策を先生方につくっていただくとうまく
日本の
経済が回っていくかということに対して私の個人的な見解を述べさせていただきたいと思います。これはいささか夢物語の域がございますので相当大胆な
意見が出てまいりますし、いろいろな思いつきを列挙いたしますので、中には相互に矛盾するものもございますが、先生方の議論のたたき台として使っていただければと思いまして、あえて相当大胆なことを以下言わせていただきたいと思います。
それで、今後の政策として、
国際化の現状とまず見通しとして必要なことでございますが、国際分業とかフェアな競争条件とかいう点についてでございますが、これは一部の商品については競争がフェアじゃない、
日本はアンフェアにやっているという
海外からの批判がかなり強うございます。一部の商品というのは、例えばお酒に対する税金ですとか、あるいは食糧の
輸入の問題ですとか、あるいは航空運賃などの許認可の問題ですとか、絹とか革製品とか、いろんなものについて
海外から
輸入制限をやっているとか、あるいは必要以上に許認可制をつくって
輸入を抑えるようにしているとか、こういう批判を浴びているわけでございます。
それから、先ほど二番目に申しました
国際競争力を強化するという点についてでございますが、まず問題になっておりますのが土地の問題でございまして、これは
日本の土地の値段が非常に高いので、その分だけ
日本で生産される商品やサービスの値段が高くなり
競争力が将来において低下するのではないか、こうした懸念が持たれているわけでございます。
それから二番目に、先ほども少し話しましたが、必要とされる人材が七五年以前と以降とで変わってきましたが、
日本の教育体制の方は依然として変わっていないので、具体的に言いますと、非常に
キャッチアップ型の人材、つまり生産能力を高めるのに必要な人材がつくられていて、創造力にあふれた人材がつくられていないので、こちらをどういうふうに転換するか。今のままでやると、せっかく一生懸命教育していただいても、それが現在以降の
経済のためには余り有効には役に立たないということになる懸念があるわけでございます。
それから三番目に、
日本の労働時間が非常に長うございますので、こうしたことがいろんな点で問題になっております。例えば、非常に長い時間の労働に加えまして、東京の都心部当たりですと平均の通勤時間が片道一時間半、往復三時間になっております。こうしたことが続きますと、例えば平均の睡眠時間が七時間を切っているとかいう状態でございますので、国民の心身の健康が悪化するわけでございます。健康が悪くなれば当然これは労働力としての
競争力も低下するわけでございます。さらに、労働時間や通勤時間が長いので、余暇に使う時間、レジャーに使う時間ですとか、買い物に使う時間が少なくなっております。こうした点から消費需要がなかなか盛り上がらずに内需の拡大が阻害されているという
意見もございます。それからさらに、子供を育てたり、教育したりする時間、あるいは高年齢の方の面倒を見たりする時間、こうした時間も奪われているのではないか、こういったふうな
意見があるわけでございます。
さらに四番目に、こうした問題のためにどういう政策が必要になってくるかということでございますが、まず
最初に現在の
経済環境と税金の問題というのが
一つございます。これは、今
政府の税制
調査会あたりで大変に熱心に議論されているところでございます。今回の税制改正の引き金になりましたのは
アメリカの税制改正であるわけでございます。ところが、
アメリカと
日本とでは実は国内の
経済バランス、国内の需要と供給とのバランスが現在逆になっております。
アメリカの場合には、
アメリカ国内の需要が
アメリカの持っている生産能力よりも大きい、つまり需要が生産能力を上回っている、インフレギャップが発生しているという状態が問題になっておりまして、これを改善する
経済政策の一環として税制の改正も行われているわけでございます。
ところが、
日本の場合には、先ほども申しましたように、現在の
アメリカとは逆でございまして、国内の需要の方が生産能力よりも小さいことが問題になっております。生産能力の方が需要よりも大きいので、例えば商品が売れ残るとか在庫がふえるとか、こういうデフレギャップが発生しているのが問題になっております。ですから、ある
意味では、インフレギャップを
調整するためにとられている
アメリカの税制改革と同じような方向を
日本がとるというのは
経済的な安定のためにはまずいことであるとも言えるわけでございます。
経済的な安定だけをむしろ考えるのであれば、
日本がとるべき税制改正は
アメリカとは逆になるべきであるということが言えるわけでございます。
例えば、
アメリカは、設備投資を盛んにして生産能力を高めようとして個人の所得税の累進
税率を弱める、そうして比較的所得の高い人の
税率を低くして所得の高い人の貯蓄を促進させようとし、その貯蓄によって投資を拡大しようとしておりますが、
日本の場合には、同じようなことをやって貯蓄を高め、投資を拡大させますと、ただでさえ過大な生産能力がますます高くなって、ますますデコレギャップが大きくなるという現象に陥る危険性もございます。ですから、累進
税率を緩和することが生産能力を高めるのに役立つのであれば、生産能力が高過ぎる
日本はむしろ逆に累進
税率を高くして生産能力を落とす方が
経済的な安定のためには好ましいというふうに言えるわけでございます。もちろん、これは
経済的な安定ということを第一義に置いておりまして、税制改正の目的が必ずしも
経済的な安定ではなくて、例えば税負担の公正の問題ですとか、あるいは徴税の簡素化の問題ですとか、あるいは税制の中立化とか、こうしたところから行われているという点はもちろんあるわけでございますが、ただ、今の形の税制改正が行われた場合に、日米の
経済構造の逆という
経済環境がまずございますので、むしろ今の
日本が陥っています
経済的な問題点を逆に増大させる危険があるということを
一つ申し上げておきたいと思います。
それから二番目に土地の問題というのがございます。
日本の地価が下がらないのはもはや宿命的な問題であるというあきらめ気分すら世の中には漂っているわけでございますが、必ずしもそうではないのではないか。地価を下げる方法がもっといろいろ考えられるのではないかというふうに見ております。私、これから五つほどそれについて申し上げます。
まず一番目に、土地の供給をふやすというのがございます。
日本の人口密度というのは実はそれほど高くございませんでして、
ヨーロッパのオランダとかベルギーとか、あるいは香港とかシンガポールとか、こうした国々の人口密度の方が
日本よりもはるかに高いわけでございます。ただ、
日本の場合、例えば国土の八〇%が森林にされているという状態でございまして、利用されていない土地というのが相当あるわけでございます。もちろんこうした森林とか農地とか市街化
調整区域というのは、例えば自然
保護の問題ですとか、あるいは農業生産、林業生産の問題とかもありますので、無制限に開発してはよくないというのはこれは当然言われるわけでございます。ただ、現在の線引きの八〇%対二〇%というやり方が果たして妥当なのかどうかというのはもう一度考えてみる必要があるのではないでしょうか。自然
保護の問題を十分に考慮した上で、将来のための自然
保護と現在の
国民生活の向上というのをはかりにかけまして、もう一度土地の線引きを見直して、もしそれによって可能であればもう少し多くの土地を開発させていただくとか、あるいは土地の固定資産税、現在いろいろな利用方法によってこれが分かれておりますが、これを公平にして、それによって土地の供給をふやすということが可能ではないかというふうに
一つ考えられます。
それから、二番目の土地の値段を下げる手段といたしまして、現在の土地の値段を見てまいりますと、御承知のように東京の都心部並びに東京の郊外の高級住宅地だけが異常に値上がりいたしております。これはなぜかと申しますと、都心部に対するオフィス需要というのが高まっているからでございます。なぜ都心部でオフィス需要が高まっているかと申しますと、これは国会を初めといたしまして政治や行政の機能が東京の都心部に集中しているからでございます。したがいまして、
企業は当然そちらに集まってまいりますので、人口も東京に集中するわけでございます。ですから、逆に、例えば政治や行政の地方への分権化を進めるか、もしくは議会並びに中央官庁の所在地だけを地方に移転させるか、こうした形で政治、行政機能を地方に分散させますと
企業が地方に移転しますので、それに伴って人口が地方に分散するということが考えられるのではないかと見ております。そうしますと、地方の活性化、過疎地の活性化ということも達成できますし、例えば通勤に一時間半かかるという状態がもう少し改善されて、職住接近した状態になるということも可能になるのではないかと見ております。
ただ、この二番目のやり方は
一つだけネックがございまして、例えば地方分権を行うにしましても、あるいは中央集権のまま議会や官庁の所在地だけを地方に分散させるにしましても、行政あるいは立法府の効率が低下する、こういう弊害は多少免れないところがあるだろうと思われます。
それから、三番目の土地の値段を下げるやり方としまして、二番目とは逆でございまして、むしろ東京への通勤圏をふやすという方法がございます。これは新幹線とか航空機とか高速道路ですとか、つまり高速度の交通網をどんどん拡大してきて通える範囲を広くするということでございます。ただ、このやり方をとりますと値段が著しくかかるということがございますし、さらには例えば地方に空港をつくったり新幹線をとめたり駅をつくったりしますと、その周辺の地価が今度は上がっちゃうという弊害もあるようでございます。
それから四番目のやり方といたしまして、現在土地の利用方法というのはある程度持ち主に任されているわけでございますが、これを相当大きく制限して、所有者の自由には土地を利用できないようにするというやり方でございます。こういたしますと、財産として土地を持っていることによるうまみというのがなくなりますので、値上がりを期待して土地を持っている人というのは比較的土地を手放しやすくなるのではないかと、こういうメリットがあります。したがって、土地の供給がふえるのではないかと考えられます。
ただ、これに対しては相当に多くの有権者から反対が出るだろうと考えられます。と申しますのも、
日本の有権者、つまり選挙権を持っている人のうち大体六〇%が土地の所有者でございます。これはもちろんマンションなどの区分所有者も含めた数字でございます。さらにその六〇%の半分に当たります人々がささやかな土地を買うために借金を背負っております。ですから、この人たちのせっかくの財産に対して利用方法に制限をつけるということをやりますと、相当大きな抵抗がくるというふうに予想されます。
それから五番目のやり方として、既にいろんなところで計画されて考えられているわけでございますが、山手線の中を高層化しちゃって高層ビルを建てる、こういうやり方も考えられております。ただ、こちらも幾つか難点がございまして、例えば物すごく値段がかかるとか、あるいは山手線の中を高層化するのは結構だけれども、それによって日照とか通風とかあるいは下水道とか交通渋滞とか、こういった環境悪化が行われるのではないか。特に
日本の場合には湿度が高うございますので、通風が阻害されたり日照が阻害されたりしますと環境衛生の問題、例えばネズミがふえるとかダニ、ゴキブリがふえるとか、こういう不安もあるというデメリットがございます。
土地については大体そんな五通りの土地の下げ方が考えられ、それぞれにメリット、デメリットがあるようでございます。
それから次に、「教育の
国際化」というふうに書きましたが、先ほども申しましたように、今後必要とされる人材が過去百年間に必要とされた人材と質的に変わってきているという面がございます。こうした点にどういうふうにして対応していったらいいのだろうかということから少し
意見を申し上げさせていただきたいと思います。
もちろん教育というのは必ずしも
経済発展に必要な労働力をつくるということだけが目的でないのは言うまでもないわけでございます。ただ、教育の目的というのをもう一度ここで考え直してみた上で、さらになるべくならば有用な人材をつくった方が、
経済発展に役立つ人材をつくった方が
日本の
経済にとって、あるいは
日本国民全体にとって役に立つばかりじゃなくて、一人一人の子供あるいは一人一人の人間本人にとっても役に立つことではないかというふうに考えております。
では、今の教育制度がどういう点で将来において問題になりそうかと申しますと、先ほども申しましたように、過去百年間の
日本の人材育成というのは生産効率を上げるということを第一義に考えられてきましたので、比較的画一的な人材となるように教育されてまいりました。例えば生産ラインの中で一人の人が風邪を引いて休んでも次の人が幾らでも交代できるように、なるべく均質な労働力、同じようなものを考え、同じような
言葉をしゃべり、同じような好みを示すようになるように教育されてきたわけでございます。それでそうした型にはまらない子供に対しては、例えば落ちこぼれというレッテルが張られたりしますし、あるいはそうした
日本の教育にはなじまない
海外で教育を受けてきた人の子供、帰国子女という
言葉で言われておりますが、こうした人たちに対しては、おまえ
日本人じゃないんじゃないかというふうないじめの問題も問題になってきているわけでございます。
こういう比較的画一的な人材、いつでも代替可能な人材をつくるという教育方法もある時点においては非常に重要な役割を果たしたわけでございます。先ほどから申しておりますように生産を効率化し、生産手段を考えるということのためにはこれは大変に役に立ってきまして、そのおかげで
日本が高度成長を達成できたということもあるわけでございます。ところが、今後はそうではなくて、生産を効率化するというよりはむしろ今までとは全く違った発想のもとに新しい商品を考えるということが
要請されておりますので、むしろ型にはまらない人材、こちらの方が求められているわけでございます。したがいまして今落ちこぼれと言われている人たちの方がむしろ将来においては有用な人材になってくれる可能性もあるわけでございます。ですから、こうした人たちが活躍できるような形に学校教育を少し変えていくという方向も必要なのではないかと考えております。
それで、例えばもう少し自由に学校を選べるようにするというのも
一つのやり方でございます。公立の学校というのはほとんど税金で賄われておりますので、納税者である親に学校並びに先生を選ばせるというのも
一つのやり方かもしれませんですし、あるいは私立の学校などは比較的公立の学校に比べますと特色のある教育方針をやっておりますので、こうした私立の学校と公立の学校とがフェアに競争できるような形にするというのも
一つのやり方かもしれません。
例えばそのやり方としまして、現在公立学校のサービスというのはほとんどただに近い形、つまり無償に近い状態になっておりますが、こうした状態をやめまして、例えば公立学校のサービスを有償化し、私立の学校と競争条件においてフェアにする、そしてその上で親が
自分の判断に基づいて学校を選択できるようにするというのも
一つのやり方かもしれません。もちろんこういうやり方をとりますと、所得の低い人は教育を受けられなくなるという問題が出てまいります。こうしたことに対しては、例えば義務教育就学児童を抱えている親に対しては税金の扶養控除額を極めて大幅に拡大するというやり方によって救済することはあるいは可能ではないかと思っております。
それからさらに、現在いろんなところで学校教育が相当に管理的、画一的になっていると言われている理由の
一つとして、学校の先生に対する締めつけがきつくなっているという
意見もあるようでございます。これも、学校教育というのがそもそも納税者の負担によってなされているという原点にかんがみますと、例えば教育委員というのを公選制にするというのも
一つの方法かもしれませんし、そうした公選制にした教育委員会に学校の教師の勤務評定をゆだねちゃうというのもあるいは
一つの方法かもしれません。
また、こんなようなやり方をしますと質にばらつきができるんじゃないかという
意見が出てまいると思うのでございますが、そうした場合に備えて、例えば資格試験を強化する、義務教育修了認定試験とか、そんなようなものをつくって、それによって最終的なチェックを行う、こういったことも可能なのではないかというふうに考えております。
もちろん私、教育問題の専門家じゃございませんので、あくまで
経済的な側面から教育について仮はコメントするとすればこんなような
意見もあるのではないかという思いつきにすぎないわけでございます。
それから四番目に、食糧とか流通機構の問題がございます。こちらについては、現在フェアじゃないとか、もっと
自由化すべきだとかいう
意見が相当に高くなってきているわけでございます。これもある程度自由にして、生産者の創意工夫が生かされ、なおかつ
消費者の利益も得られるような形にするのが望ましいのではないかというふうに考えております。例えば食糧の
自由化をいたしますと確かに値段が安くなりますので、
消費者の方はまず
プラスになります。一方、生産者の方はそれによってマイナスになるかといいますと、必ずしもそうじゃございませんでして、例えばそれによりまして、それぞれの地方で、それぞれの生産者が
自分たちに有利な作物をつくるというふうな形にできますので、今のように作付面積や作柄までいろいろ制限されているという状態よりはむしろ生産者にとっても
プラスになる面が多くなるのではないかと考えております。これは商業、小売業の
調整の問題についても同様でございまして、例えば現在営業時間とか売り場面積が制限されておりますが、これももう少し自由にして構わないのではないかと見ております。
それから、労働時間の短縮についてでございますが、こちらの問題についてはきょうの新聞なんか見ていますと、労使の話し合いに任せるべきだという
意見も相当多いようでございます。ただ、こちらは御承知のように、今のような不況の状態でございますと、人手が余りておりますので、労使の話し合いに任せておきますとどうしても労働側が不利な状態になってまいります。労働時間はなかなか短縮いたしません。労働時間の短縮というのは、単に労働者側を有利にするというだけじゃなくて、国内の内需を拡大するという点でも大きな
状況を持っておりますので、この点につきましてはもう少し行政もしくは立法が主導して労働時間の短縮ということに力を注がれてもよろしい時期ではないかというふうに考えております。
以上、時間が超過したようですのでこれで終わらせていただきます。どうもお世話さまでございました。(拍手)