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1986-11-26 第107回国会 参議院 国民生活に関する調査会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和六十一年十一月二十六日(水曜日)    午後一時三十一分開会     ─────────────   出席者は左のとおり。     会 長         長田 裕二君     理 事                 坂野 重信君                 水谷  力君                 吉川  博君                 山本 正和君                 高木健太郎君                 吉川 春子君                 三治 重信君     委 員                 井上 吉夫君                 小野 清子君                 大塚清次郎君                 倉田 寛之君                 斎藤 文夫君                 添田増太郎君                 高橋 清孝君                 中曽根弘文君                 松岡滿壽男君                 向山 一人君                 吉川 芳男君                 糸久八重子君                 及川 一夫君                 千葉 景子君                 八百板 正君                 刈田 貞子君                 平野  清君    事務局側        第二特別調査室        長        菊池  守君    参考人        評  論  家  天谷 直弘君        日本長期信用銀        行調査部     小沢 雅子君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○国民生活に関する調査  (日本における国際化に関する件)     ─────────────
  2. 長田裕二

    ○会長(長田裕二君) ただいまから国民生活に関する調査会を開会いたします。  国民生活に関する調査を議題とし、日本における国際化に関する件について参考人から意見を聴取いたします。  本日は、お手元に配付の参考人名簿のとおり、二名の方々に順次御出席をいただいております。  まず、評論家天谷直弘君から意見を聴取いたします。  この際、天谷参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ、本調査会に御出席をいただきましてありがとうございました。本日は、日本における国際化につきまして忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査参考にいたしたいと存じます。  議事の進め方といたしましては、まず最初に四十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対しお答えをいただく方法で進めてまいりたいと存じます。よろしくお願いいたします。  それでは、天谷参考人にお願いいたします。
  3. 天谷直弘

    参考人天谷直弘君) 御紹介を賜りました天谷でございます。本日は、国民生活に関する調査会にお招きいただきまして意見を述べさせていただく機会を賜り、まことに光栄に存じております。  この調査会の目的あるいは主たる関心事を私が必ずしもよく理解しているとは申せないのでございますが、事務当局の方から、国際化時代産業政策について少し私見を述べろという御注文でございましたので、そのとおりにさせていただきます。果たして御要望にこたえられるかどうか、やや心もとなく存じておりますが、お許しをいただきたいと存じます。  最初に、国際化意味でございますが、日本では国際化というキャッチフレーズが飛び交っている状況でございます。そこで、英語母国語とする日本語もできる外国人に、イギリス人でございますが、国際化という言葉英語ではどう言うんですかと聞きましたら、彼はしばらく考えておりまして、どうもインターナショナリゼーションと言うと国際化というのとは意味が違うようだということでございました。要するに、日本国際化というのはかなり特殊な響きを持っているかと思うのでございます。  そこで、例えばイギリスにおいては、国際化というのは、インターナショナリゼーションというのはどういう響きを持っているであろうかと考えてみますと、まず、イギリスでは、インターナショナリゼーションというようなことはほとんど日常は言っておりません。どうしてそういうことになるのであろうかと考えてみますと、例えば英仏関係ということであれば、昔からイギリスというネーション、フランスというネーションが存在しますから、その間にインターナショナルな関係もまた自然に存在する。これは何百年間続いてきているわけですから、いまさらとりたてて言うほどのことはない。  他方イギリスとそれから発展途上国との関係、例えばイギリスインドとの関係国際化ということがどういう意味を持っておったかと考えてみますと、これはインド国際化とはインド英国化意味しておったと思うのであります。インドのウエスタナイゼーションあるいはイングランダイゼーション、これを意味しておったと思うのでございます。イギリス自分国際化するというふうに考えたことはめったにないようであります。ですから、十九世紀あるいは二十世紀イギリス華やかなりしころ、イギリス人国際化と言う場合は、ヨーロッパの場合は別でございますが、発展途上国との関係で言えば、インド日本英国化するという意味を持っておったと思うのでございます。しかし、最近ではイギリスの勢威が衰えてきましたから余り国際化というようなことは言わなくなったということではなかろうかと思います。  他方、十九世紀におけるインド国際化ということを考えてみますと、これはインドが植民地化される、力でもって英国化されてしまうということを意味しておったと思います。それから、他方、十九世紀における日本国際化ということを考えてみますと、これはインドの場合と違いまして日本は自発的に開国をいたしましたから、したがって、これは日本の意思で国際化あるいはヨーロッパ化欧米化をするということを意味しておったと思います。しかし、受け身であったことはやはり間違いない事実でございます。  ところが、戦時中、いわゆる大束亜共栄圏時代になりますと日本は違った国際化をするようになりました。すなわち、日本東亜の盟主と自認いたしまして、中国や韓国、あるいはシンガポールを自分のいわば勢力下に置きましてこれらの国を日本化する。ちょうど十九世紀イギリスインド英国化したように、大東亜共栄圏日本化するということがその当時の日本国際化姿勢ではなかったかと思います。  しかし、それは十九世紀イギリス国際化と比べてみますと、イギリス国際化は、イングランダイゼーションということはイギリスが相当の普遍的な価値というものを持っておったのに対して、大束亜共栄圏時代日本は普遍的な価値を持っていなかったというところが非常に違っているのではないかと思います。  十九世紀イギリスを考えてみますと、イギリスは単に力でもって多くの国をイギリス化しただけではなくて、やはりイギリスの、例えばロックとかヒュームとかいう哲学者哲学、あるいはアダムスミスやリカードの経済学イギリス議会制民主主義議院内閣制度あるいはイギリスのジェームズ・ワットやスチーブンソンの開発した産業技術、こういうものはいずれも非常に高い文化的価値、普遍的な価値を持っておったわけであり、そのゆえにこそイギリス文化世界に普及するということが可能であったと思います。ですから、イギリスが行った国際化は、半面は暴力を伴っておりましたが、半面では文化的にかなりの高い価値を持っておったということが言えるかと思います。  他方、大東亜共栄圏時代日本は武力でもって中国を従えましたが、文化的な価値中国を従えさせることができたのかと言いますと、それは全然成功していない。それはやはり日本の掲げた価値が余りにも独善的であったということによるのではなかろうかという気がいたします。  戦後になりますと、再び日本はそういう日本価値観を押しつけるということをやめてしまいまして、専ら欧米技術あるいは文明、これを輸入してそれを学ぶということに全力を挙げてきたと思います。要するに、欧米キャッチアップするということに重点を置いて国際化を行ってきたかと思うのでありますが、最近になりまして、日本は少なくとも経済分野におきましてはキャッチアップという過程を終了するということになりました。一人当たりGNPで、為替レートのいたずらもありますけれども、ほぼアメリカと肩を並べるというような状況になり、経常収支の面では世界最大史上空前黒字国になるという状況でありますから、その意味ではキャッチアップ過程は終了したということになるのではないかと思います。  この段階日本国際化というのは二つの意味を持っていると思います。一つ意味日本の中で余りにも非国際的な分野が残存しておりますからそこの部分を国際化しようという動きと、それからもう一つは、日本世界の先頭に立つ国になりましたから日本文化海外輸出しよう、そして外国日本文化をわかってもらおうと、こういうような意味で積極的な国際化をしなければならない段階に来ていると思うのでございます。  ところが、大東亜共栄圏時代日本ほどひどくはありませんけれども、日本文化というものはどうもひとりよがりのところといいますか、自分ではわかっておるけれども人にわからせる、人というのは外国人でありますが、外国人にわからせるということは大変困難を伴っておるという欠点を含んでいると思いますが、その日本文化外国人にもわからせるようにする、そういう意味国際化というものを考えなければならない段階に今日の日本は来ているのではなかろうか。したがって今日の国際化という意味受け身国際化のみではなくて、能動態の国際化ということも考えなければいけないのではなかろうかというふうに考えております。そういうような時代におきまして産業政策はどういう意味を持つであろうかということでありますが、産業政策は非常に歴史的に発展し変化してきたものでございますから、産業政策というものを考える場合にはまず簡単にでも歴史を振り返ってみる必要があるのではなかろうかというような気がいたしております。  最近の英語辞書は大分変わってまいりましたが、もう十数年前でございますと英語のどんな大きな辞書を調べてみましてもインダストリアルポリシーという英語はないのであります。産業政策というのは日本オリジナル言葉でございまして、横文字から翻訳してできた言葉ではないのであります。ですから、外国経済学教科書を幾ら探してみましても、オーソドックスな経済学教科書には産業政策などという項目は出てこないのであります。産業政策日本で生まれたと言ってもよろしいかと思うのであります。ではなぜイギリスアメリカ産業政策が生まれなかったのかと言えば、彼らはプライスメカニズムに依存して、要するに自由主義でやれば経済はうまくいくのであって、政府がそこにくちばしを入れるなどということは原則として必要ないと、こういうふうに考えておりましたから産業政策というようなものは出てまいりませんでした。  ところが、日本の場合なぜそういうものが出てきたのかといいますと、これは一八五六年と一八六七年の不平等条約に起因していると私は考えております。安政年間に結ばれました条約によりますと、日本政府の、徳川幕府でございますが、日本政府の課し得る最高関税率は二〇%だとこういうことになっておったのでございます。ところが、主としてイギリスでございますが、この二〇%というのは高過ぎるというわけで徳川幕府圧力を加えましたから、一八六七年に徳川幕府は泣く泣く条約の改正に、あるいは改悪でございますか、に調印させられるのでありますが、この条約によりますと日本の課し得る最高税率は五%ということになりました。しかもこれは従価税ではなくて従量税である。従価換算五%、マキシマム五%の従量税率以下の関税しかかけてはいけないというのがこの慶応三年の条約でございました。  この条約のもとで日本産業を興すためにはどうすればいいのかということが当時の、一八六八年に成立した明治維新政府課題でございました。日本国開国をいたしましたけれども、なぜ開国をしたのかといえばこれは欧米文明を急速に取り入れてその技術によって日本でも黒船をつくるようにしたい、そしてその黒船によって欧米黒船による侵略から日本を防衛しなければならない、インド中国のようになりたくないと、こういうところから文明開化、殖産興業ということが始まっているわけでございますが、しかしプライスメカニスムに任せて卒然と開国してしまいますとどういうことになるかと言えば、当時の発達したイギリス産業の前に日本の幼稚な産業はとても競争力を持っていない、横綱と十両の勝負みたいになってしまいますから。そこで日本政府としては自由競争だけに任せておくわけにはいかない。日本で、五%の低い低い税率保護しかないところで産業を興すためにはどうすればいいのかということで必死になって考えたあげく、産業政策なるものが大変な試行錯誤を通じて歴史過程で次第次第に育っていくということになったわけでございます。  産業政策を行うのは、今日の役所の名前で言えば何も通産省だけではございません。農水省には農水省産業政策があり、大蔵省建設省にもそれぞれの産業政策があるわけでございます。しかし、明治以降の歴史を振り返ってみますと、日本が最も激しい関心を抱いておりましたのは欧米のような工業日本で発達させたいということであり、しかもこの工業が一番国際競争波風にさらされる仕組みになっておる。そういう荒い波風のもとでどうして日本工業を育てていくかというところに日本政府として最大関心事がございましたから、産業政策という中で、いろんな産業政策がございますが、特に商工省あるいは通産省産業政策関心を集めるということになったと思うのでございます。  戦前のことは時間もありませんから省略をいたしますが、戦後になりまして最初通産省産業政策は、商工業を完全に統制するということでございました。なぜ統制したのかと言えば、要するにありとあらゆる物資が不足しておりましたから統制せざるを得なかったということでございます。しかし、一九六〇年に岸内閣のときに貿易自由化計画大綱が策定されまして、それ以降六〇年代は自由化をどんどん進めていくということでございました。自由化を進めながら、しかし日本の幼い産業が壊滅するのを防がなければならない。 余り過保護にしておきますとこれは過保護のゆえに産業体質が弱体化してしまう。それから余り過保護をいたしますとガットとかIMFとかアメリカ政府の怒りを買うことになりますから、そこの国際関係も配慮しなければいけないというわけで、適宜タイミングを誤らず自由化を行っていくということが六〇年代の産業政策基本的関心事であったと思います。  この時代日本、特に通産省産業政策に対する外国評価は極めて低いものがございました。通産省俗称MITIと言われておりますが、英語ではこれにノートリアスとかユービクイタスという形容詞がついておりました。ノートリアスというのは要するに悪名高きということであり、ユービクイタスというのはあらゆるところにくちばしを突っ込むという意味だったと思います。通産省輸入ライセンスであるとかあるいは技術提携ライセンスアグリーメントの認可であるとかそういうところで一々くちばしを突っ込むものでございますから、特にアメリカ人等アメリカにはそんなひどい役所はないというわけで非常に強い反感を持っておったと思います。  しかし最近では、今度は評価が逆転いたしまして、日本経済がこれだけ復興した、特に日本工業がこれだけ強い競争力を持つようになった原因は一体何であろうかということに関しましてアメリカでいろいろ関心を持つ人がふえてまいりまして、これはいろんな説がございますが、その中の一つの説として、これは産業政策がよかったからではないだろうかというような意見が出てきております。そういう意見が果たして正しいのか誤っているのか、私はそれについて今ここで申し上げる立場にはございませんが、いずれにしろ、そういう見解がアメリカで強くなってきまして、最近では日本産業政策に関する評価は大変高くなっているという状況でございます。一部のアメリカ人は、アメリカにもデパートメントオブインターナショナルトレードアンドインダストリー、DITIというのをつくったらどうかということを言うような人もいるわけでございます。  こういうふうに日本産業政策が一応成功したと言われていることの原因を振り返ってみますと、これは言うまでもなく民間企業が非常にしっかりしておったということが第一。それから第二に、アメリカガットIMFからしかるべきタイミング自由化をしろという要請があったこと、これは当時の日本産業界もそれから日本通産省もこの自由化要請に対して大変強い反発を示しておりましたが、今結果から振り返ってみますと、あの当時日本に対する自由化要請があったということが日本工業を強くするために大変役立ったというふうに思っております。それから三番目は、通産省がそういう日本産業界状況とそれから外国からの要請とをてんびんにかけながらしかるべきスピードで自由化を進めてきたということ、そういうことの三つくらいが合わさって日本工業の急速な発展ということにつながったのではなかろうかというような気がしております。  外国との関係で見ますと、戦前においても戦後においても、まず国際化といいますか、そういう波が一番、圧力が一番強くかかってくる分野工業であり、役所で言えば通産省ということになります。それからかなりおくれて大蔵省金融行政に関しまして、これは特にアメリカから国際化しろ、自由化しろという要請が出てまいりました。その次は郵政省の通信行政に関しまして自由化をしろという要請が出てきて、最近では関西空港とかあるいはお米とかというふうに、建設省とか農林省の分野にも国際化しろ、自由化しろという波が押し寄せるようになってきたというような状況でございます。  こういうふうに国際化しろという要求を眺めてみますと、これは一面では既得権の侵害ということになりますから、温室から出るという要求でございますから、温室の中に入っている産業立場から見れば国際化という外圧は必ずしも好ましいものではないということになりますけれども、しかし過剰な保護というものが必ずしも産業体質を強くするのに貢献するとは言えないものでございますから、一面では自由化国際化要求というものは日本経済体質を強くする面でプラスの作用もしている。プラスマイナス両面があるということが注目されるんではないかという気がいたしております。  さて、現段階においてどういう産業政策をとるべきかということでございますが、かつて五%の関税率のもとにイギリスと競争しなければならない日本、その当時のせっぱ詰まった気持とか、あるいは昭和二十年、戦争の惨たんたる災害の跡から、灰の中からいかにして日本経済を復興させるかというようなときの産業政策課題、そういうようなものはほぼ今日では解消してしまいまして、したがって従来の産業政策とは違った課題を今日の産業政策は抱くに至っているというふうに考えられます。原則としては企業の自由な活動にゆだねればいいのであって、政府産業活動余り口を出すというようなことは原則ではなくて例外になると、そういう時代が次第に今日あらわれてきているかと思います。  しかし、例外的にやはり政府がある程度民間活動に対して干渉あるいは調整を加えた方がいいという分野が幾つかあるように思われます。第一が摩擦制御という分野でございます。今日では日本輸出産業が大変強い競争力を持って、そして輸出超過GNPの四%近くになるというような事態になりました。黒字額が八百億ドルとか九百億ドルの規模に達するというような状況でございます。もっとも今の百五十円ないし百六十円という為替レートではさすがの日本輸出産業競争力が大いに衰えてしまったという声も多分に聞きますけれども、しかし現段階でまだいろいろな日本輸出産業外国摩擦を起こしているというのは事実でございます。この摩擦につきましては、私はやはり政府がある程度調整をするということが必要ではなかろうかと考えております。  一九八一年に対米自動車輸出自主規制日本政府は実行いたしましたけれども、その際私はまだ通産省におりましてその問題に深く関係をいたしておりました。その際、日本の中にあった有力な意見は、日本自動車は値段が安くて、品質がよくて、油を食わなくて、故障を起こさなくて、アメリカ消費者に喜ばれておって、アメリカ消費者が買いたい、買いたいと言うのだから、買いたいと言うものを売るのが自由主義経済根本原則ではないか、しかるに通産省がそれに介入するなどというのはけしからぬという意見がございました。  それは大変正論であろうと思いますけれども、しかしそれではその正論のとおりアメリカに乗用車が二百万台、三百万台とどんどん輸出されるということになって、アメリカは、それはアダムスミス教科書に書いてあるとおりであるから歓迎いたしますと言うであろうかといいますと、そうではなくて、やはりそういうことになればアメリカ議会は血相を変えて日本車輸入制限立法をするであろう、そういうことは不可避であるというふうに思われましたから、やはりそういうような危機を招かないためには政府がある程度調整するということは必要だと考えて、自動車の対米輸出規制を実施したわけでございます。最近では、工作機械に関しまして類似の措置がとられております。あるいは、半導体に関しても措置がとられております。こういうふうに、今日のように日本輸出黒字が多過ぎるという事態で、しかも外国で失業がふえている、そして日本からの輸出が急増していると、こういう状況があります場合には、やはり輸出につきましてはある程度の調整措置ということが必要悪となる場合があるというふうに私は考えております。  それから、海外投資でございますが、今日の円が百五十円ないしは百六十円という状況におきましては、企業としてはやはりその企業の利益を守るために、場合によっては国内生産をやめて海外生産に移行するということがどうしても必要になる場合が少なくないということは明らかでござい ます。それからまた、日本黒字が大き過ぎる、これを少なくするというためにも海外投資が必要であるということが言えると思います。この海外投資は場合によっては政治的な摩擦を伴います。いろいろなリスクを伴うわけでありますから、これもすべて企業の自由におやりくださいというよりは、やはり政府がある程度の情報を提供するとか、あるいは若干の指導を行うとか、奨励なりあるいは制御なりの指導を行うとかいうようなことが必要ではなかろうかというふうに考えております。  それから二番目に、先進成長部門におきましても、今は非常に少なくなりましたが、まだある程度の政府の不必要な規制が残っている分野があろうかと思いますので、そういう分野におきましてはデレギュレーションをさらに推進するということが必要ではなかろうかと思います。  それから三番目に、研究開発投資でございますが、これはますます大規模化し、ますます巨大なリスクを伴うという傾向が強くなっております。それから、これまで基礎科学分野につきましては日本は主としてアメリカヨーロッパ基礎科学の成果に依存する、そういう姿勢でやってまいりましたけれども、今日のように日本世界のトップランナーになってまいりますと日本みずからが基礎科学の研究開発にもっと努力いたしまして、そして人類の共通の財産にもっと知的な貢献をしなければいけないのではなかろうかというふうに考えられます。そういう分野ではこれまたプライスメカニズム企業の自己責任ということだけでは済まない。諸外国でもこの分野政府が厚く関与をしておるところでございますから、日本におきましてもこのRアンドDの分野あるいは基礎科学研究の分野におきましては政府が相当の役割を演ずるということが必要ではなかろうかと思います。  それから衰退産業部門、これは今まで外圧が比較的加わらなくて国際競争から除外されておった、聖域化されておった分野が幾つかございます。例えば農水産業それから石炭業、皮革加工業等でございますが、あるいはお酒、たばこのたぐいもそこに入ってくるかもしれません。こういうような分野は従来は競争の聖域というようなことになっておりましたが、最近では日本黒字の増大につれましてこういう聖域にも国際的な風当たりが非常に強くなってくるようになりました。日本としましては、今日のように巨大な黒字を抱えておりますと諸外国並みというわけにはいかなくて、多分諸外国より一段進んだ自由化をしなければならないということになっているかと思いますから、この聖域に関しましても、これは聖域だから外圧は相手にしないということだけではどうも済まなくなってきているように思います。それから、例えば石炭業なんかの場合は、これまでは消費者、すなわち鉄鋼業や電力業の好意にかなり依存して生き延びるという面がございましたが、消費者である鉄鋼業の方も苦しくなってまいりましたから、とてもつき合い切れないということになりまして、聖域の縮小ということが起こり始めているわけでございます。こういう分野につきましては円滑な転進ないし撤退を行うための政府の援助なり指導なりということが必要ではなかろうかと思います。  三番目が内需の振興であります。今日のアメリカ状況を見ておりますと、一九八一年ごろはアメリカ経常収支黒字でございましたが、それが一九八五年になりますと一千億ドルを超すような赤字に転化してしまう。一九八一年にはアメリカの対外資産は千四百億ドルくらいネットでございましたが、これがたちまちのうちに雲散霧消してしまいまして、八五年末では一千億ドルくらいのネットの赤字ということになり、多分ことしの末にはその数字は二千億ドルに近づくのではないだろうかと思われます。このままの状況が続きますと、九〇年代前半にはアメリカの純債務残高は一兆ドルに達しまして、そしてそれの元利払いだけでも年間一千億ドルに近づくというような事態が予想されるわけでございます。  ところが、アメリカ経常収支黒字に転化させて、その黒字で借金を払えるのかといいますと、とてもそんなことにはなりそうもない。そういたしますと、この一千億ドルに近い元利払いを行うためにアメリカはさらに日本その他から借金をしなければならない、そういうサラ金経済に陥ってしまっていることは明らかであります。未来永劫サラ金経済が続けられれば問題は起こりませんけれども、世の中にそんなうまいことがあるはずがないわけで、ある段階で投資家がもうアメリカにお金を貸すのは危ないと思い出したならばそこでドルの暴落、円の暴騰という事態が起こらざるを得ないと思います。  そういうわけでありますから、今巨額のドルを稼いでその稼いだドルをアメリカに貸し付けているという姿は、私は極めて不健全なものだと言わざるを得ないと思っております。要するに、経済成長の大きな部分をドル建て輸出に依存してきた日本経済の行き方、これは大幅に是正する必要があると私は思っております。そういう方向でのマクロの経済政策、そして産業政策が必要だと思うわけでございます。ですから、ドル建て輸出依存を減らして内需依存の方を高めるという方向に経済運営の方向を切りかえていきませんと、今のままでいけばいわばタヌキの泥舟に乗っているみたいなことになりまして、いつか舟が沈んでしまうおそれがあると思うわけでございます。  内需の振興、これは非常に難しい問題でございまして、どうやって内需を振興するのかというのは大変厄介な問題であろうかと思います。しかし、日本の国内の状況アメリカヨーロッパ状況とを比較してみますと、まず住宅が非常に貧弱であるということは疑いのないところであろうと思います。さらに、住宅の入れ物であるところの町並み、都市、これも貧しい。それから、都市の入れ物であるところの国土もまだアメリカヨーロッパ等と比べて非常に貧しい状況にあると思うのでございます。住宅とか都市とか国土、これは目に見えるインフラストラクチャーでありますが、目に見えないインフラストラクチャーも大変重要だと私は思っております。目に見えないインフラストラクチャーとは、例えば人間をつくり上げるための基本的なインフラストラクチャーは教育制度でございますが、この日本の教育制度に関しましては今日大幅に改善しなければならない、そのためには相当の投資ということも必要であるというふうに考えております。  それから、日本が大東亜共栄圏時代のようにひとりよがりの日本文化輸出するのではなくて、もっと外国人評価するような高度の日本文化外国輸出するということを考えなければいけない、そういう国際化時代になってきていると思うのでございますが、ところがそれを今までのところは余りやっていない。したがって、外国から見ますと日本というのは金もうけだけか、ドルを稼ぐだけを信条としている国であるかというような見方が強くなってまいります。  日本のように黒字国になってまいりますと、やはりそれに伴っていろいろな力、政治力とか外交力とか文化力とか、こういうものがバランスして強くなりませんと国際社会において名誉ある地位を占めたいと思うといってもなかなか占められないというのが実際ではないかと思います。したがって、文化輸出ということも考えなければいけませんが、そのためにはもっと文化に投資をするということを考える必要があるだろうと思います。そういうわけで、日本国内でなすべきことはたくさんある、ただそれを行うシステムがうまくできていないということではないかと思います。したがって、それは産業政策の守備範囲かどうかはわかりませんが、日本全体としてもう少しそういうふうな非常に足りない内需を充実するということを考えるべきだと思います。  それから最後に、この産業政策というのはまだ学問的にも十分開発されているとは言えませんし、産業政策とは一体いかなるものであるかという概念も明確ではございません。時と場合によっていろいろな産業政策が行われてきたものでありますから、通産省をとってみましても、六〇年代の産業政策と八〇年代の産業政策とは相当な開きがございます。あるいは農林省の産業政策通産省産業政策との間には大変な開きがございます。それから国際的に見ますと、韓国とか台湾のような国は日本産業政策を非常に注意深く眺めております。そして、そこから学んで彼らの経済発展参考にしようという強い気持ちを持っており、現に日本産業政策はこれらの国の経済発展にかなりの貢献をしていると思います。中国もまた大変な関心を持って日本産業政策を見ております。  他方アメリカは賛否相半ばしておりまして、共和党の方は、産業政策などというのは日本では例外的にうまくいったかもしらないけれどもアメリカ体質には合わないと考えております。他方、逆に民主党の方は、アメリカも今日のような経済的苦境から脱却するためには、日本産業政策から相当取り入れるべきものがあるのではないかというような気持ちもあるようでございます。ヨーロッパも国によっていろいろ事情が違っております。しかし、今後の世界経済状況を見ますと、すべてプライスメカニズムに任せておけばうまくいくというほど世の中はうまく回っているようにも思えませんので、日本産業政策をある程度輸出するということは私は可能であると思っております。そういうこともまた発展途上国経済発展に資するところがあると思いますから、経済協力というのは何もお金だけやるということではなくて、そういう情報の提供ということも一つの協力ではなかろうかというふうに考えております。  四十分という割り当てでございましたが、少しオーバーいたしましたが、お許しをいただきたいと思います。  以上で冒頭のステートメントを終わらせていただきます。(拍手)
  4. 長田裕二

    ○会長(長田裕二君) まことに意義のあるお話をありがとうございました。  以上で天谷参考人からの意見聴取は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行います。  質疑のある方は会長の許可を得て順次御発言を願います。
  5. 山本正和

    ○山本正和君 大変示唆に富んだ、また私ども学ばなければいけないお話を伺いまして感謝いたしております。  先生のお話をずっとお聞きしておりまして、確かに我が国が考えなければいけない重要な問題点の御指摘をいただいたわけでありますけれども、その中でもう少し御説明をいただきたいと思いますのは、我が国産業が国際的に非常に強い経済力というか競争力と申しましょうか、を持ってきているその背景に、我が国の特殊な構造と申しましょうか、中小企業の存在がある。この中小企業の存在が外国から見た場合にどうも理解ができないというふうな意見があるやに聞いたりいたします。また、中小企業といいましても態様がまちまちでございまして、まさにアメリカやその他海外にどんどん進出している技術力を持っている企業もあれば、いわゆるパート労働等の低賃金でもって必死になって取り組んでいるところもある。したがいまして、もし産業政策を今後我々が考えるとする場合、こういう中小企業やパート労働等の問題をどういうふうに考えていったらいいのか、その辺につきまして先生のお考えをお聞かせいただけたらと、こういうふうに思います。
  6. 天谷直弘

    参考人天谷直弘君) 日本産業が強い競争力を持っている一つの理由として、日本では広範な下請中小企業が存在しておって、そして大企業はそれを搾取することによって強い競争力を持っているのではないか、こういうような疑いを持っている外国人がかなりおるということは事実でございます。それから、日本の中にそういう傾向があるのかないのかということになりますと、胸を張って皆無でございますと言える人はまずいないだろうと思います。やはりある程度そういう傾向があるということも事実であろうかと存じます。  しかし他方、全体と個との関係アメリカヨーロッパにおける場合と日本における場合とはかなり概念が違っているという面があろうかと思います。極めて身近な例で言いますと、アメリカの場合には、退社の時間五時になりますとどんな仕事をしていようと、偉い人は別でございますけれども、普通の事務員は途端に仕事をやめてぱっと帰ってしまうというのが彼らのやり方でございます。しかし、日本のやり方ですと、労働協約にどう書いてあるのか知りませんけれども、五時になったからといって、続いている仕事があればそれはやり上げてから帰るというのが日本のやり方である。それを搾取だと思っている日本人は余りいないと思うんです。五時から十五分長くいたからといって、それは搾取されたと思う日本人は余りいないであろう。それから会社が経営ピンチになれば残業もするし、それから休暇も返上する。賃上げ率も少し下がっても仕方がないと思う。これも別に搾取されてそうやっているというわけじゃなくて、会社が破産すれば自分も困るわけだから、したがって会社と社員との間にそういう協力関係日本の場合は存在している。外国の場合は存在していない。それから大企業と中小企業の場合も、非常に冷酷な搾取の場合もあり得ると思いますが、多くの場合はやはり大企業と中小企業とが協力関係にありまして、大企業が百五十円の円レートで非常に苦しくなったという場合には中小企業も我慢してもらう、中小企業の方でも我慢しましょうということになって、合意の上で相当お互いに無理をするということもあり得る、多分どちらかといえばそっちの方が大勢ではなかろうかという気がいたします。アメリカの場合とかヨーロッパの場合はそういうことが不可能なものですから、それですぐレイオフしてしまうというやり方になっているのではなかろうかという気がいたします。ですから、日本で大企業は専ら搾取の上に成り立っているというような考えを外国人が持っているとすれば、それは誤りである。今後ともそういう式の大企業、中小企業関係はもちろん矯正していかなければならない。例えば公取委員会等が目を光らせまして、そういうことがもしありとすれば矯正しなければいけない。そして大企業も中小企業も、真の意味の分業関係において相互の利益になるような互恵的な関係で競争に対処していくということが必要なのではなかろうかというふうに考えております。  以上でございます。
  7. 山本正和

    ○山本正和君 それからもう一つ教えていただきたいのでございますけれども、例えば今のお話で、アメリカがこのままでいくと大変な赤字国になっていって、そしてアメリカ経済そのものがまさに危機的な状況になっていくんじゃないかと、こういう御指摘でございますし、また、いろんな書物等もそういう問題随分指摘があるんでございますけれども、私は社会党でございますが、今まで教育の世界でずっと教員をやっておったものですから、大学の教員仲間ともいろいろ話をしたりするんでありますけれども、どんなにアメリカが今弱っているといっても、教育とか研究とかいう分野で見ますとどうしても追いつけない。  というのは、アメリカの大学における研究制度あるいは条件というものが、我が国の大学と比べると比較にならないぐらい大変なゆったりした状況を保障している。また、まさに自由化で、いわゆる諸外国からの研究生、研究者、あるいは留学生等の受け入れ態勢がある。しかし、その背景が実は我が国と違うのは、国立大学よりもむしろ私立大学にその条件があって、しかもアメリカの財界の、財団と申しましょうか、そういう形式でもって大変な寄附等によって成り立っている。ところが、我が国の大変豊かな財政、経済黒字という意味で言えば豊かでございますが、国民生活は別にいたしまして、そういう力を持っている企業が大学あるいは研究機関に寄附する、我が社の、例えば東芝なら東芝の研究室でいえば大変整備されているようでございますけれども、そういう一般的な意味での問題等がないんじゃないかというような指摘がございまして、そういうふうな問題に つきまして、これは先生国際的な経験が随分おありでございましょうから、外国等の、日本のそういう大学、あるいは国際交流の分野におけるそういう財界等のかかわり等についてもし御意見等お聞きになっておられましたら、また先生御自身の御所見等がございましたらお伺いしたいと思うのでございます。
  8. 天谷直弘

    参考人天谷直弘君) 日本の文教予算は四兆五千億くらいだと思いますが、それの七四%が人件費ということになってしまいまして、したがって、政策目的に使えるお金というのは非常に少ない。ですから、極めて窮屈な文教予算というのが事実ではなかろうかと思います。そして、私立大学は別でございますが、国立大学については、そういう国の乏しい金が割り当てられる。そうしますと、それは大蔵省や会計検査院の極めて煩瑣で厳しいレギュレーションのもとに置かれておる。しかも、一年一年の予算で細切れにされてしまう。それから、民間が今度は寄附しようと思いましても、この寄附がまた大変複雑な手続で、例えばトヨタ自動車は、アメリカの何大学かは忘れてしまいましたが、トヨタ講座という講座を持っております。ほかにもいろんな例があると思います。ところが、日本で、例えば東京大学にトヨタ講座というのを置けるかといいますと、これは絶対だめなことになっているわけでございますね、レギュレーションが非常に厳しくて。  ですから、アメリカ日本とは歴史も違い、いろいろ制度も違っておりますから、アメリカのとおりに日本にやれと言ってもこれは難しいかと思いますけれども、しかし、今の日本の大学の活動に関しましては、お金の面はそういう予算制度、会計検査の制度等によりまして非常に厳しくコントロールされてしまっておりますし、それから人事に関しましては、これは学長はほとんど権限を持っておらずに、結局各学部の教授会に人事権がある。それから、アメリカの場合でありますと、無能な教授は首になるという制度がございますけれども、日本の場合は一たん教授になれば、これは定年まで絶対安全といいますか、食いっぱぐれなしというようなことになっておりまして、要するに人事行政というものもほとんどないに等しいような状況である。学長は予算権も人事権もほとんどないに等しい状況でございますから、マネジメントということは権限を持たないマネジメントで、したがって、卒業式のときにお説教するとか、そういうことくらいで、要するにマネジメントの経営者としての活動がほとんどできないというような状況になっている。  これに対しまして、アメリカの場合は私立学校でございますから、経営がまずいと大学はつぶれてしまうというような危機感がありますから、お金集めも一生懸命やりますし、人気のない講座はやめてしまいますし、人気のない先生はやめてもらうということにもなっております。それから先生もいろいろプロジェクトを民間やあるいは国防省からとってきませんと、今度は先生の座も危なくなるというようなことでありますから、アメリカの方がはるかにそういうシステムとしては活性的なシステムである。日本の場合はどちらかといいますと、昔の薩摩藩とか長州藩みたいな経営をやっておるんじゃないかというような感じがしないでもないかと思います。臨教審でいろいろ議論しておりますが、やはり日本の大学のシステムに関しましてはかなりの改革が必要なのではなかろうかという気がいたしております。
  9. 山本正和

    ○山本正和君 それからもう一つお願いしたいんでございますが、労働力と申しましょうか、労働者が日本の場合はまさに国内だけでもって自給と申しましようか、いろいろ賄われている。ところが、ヨーロッパにいたしましても、アメリカにいたしましても、海外からの労働力の流入というのが随分ありまして、また逆にそれが問題を生んでいるのでございますけれども、かなり東南アジア等も含めて、日本の労働力の流通と申しましょうか、そのことに対して、なぜ入って働けないんだというふうな声等が出ておるというふうな問題がございます。もし海外からの労働力を入れますと、日本の国ではまさに失業等の大変困難な問題が出てくる。しかし、これも国際社会の中で日本が生き残るとすれば避けては通れない問題になってくるんではないかということがございますので、きょうは先生時間の関係でそこのところにお触れになっておりませんが、若干お触れいただきたいと思うのでございます。
  10. 天谷直弘

    参考人天谷直弘君) それは大変難しい問題で、何とお答えしていいのか私もよくわかりません。  最近パリへ行きましたら、音はパリの町の掃除をしておるのは皆大体アルジェリアとかチュニジアとか、ああいうところから来た人たちでございまして、これがほうきで掃いて掃除をしているわけですが、このごろ行ってみましたら、皆機械化されまして機械を運転して掃除をするわけです。ところが、その運転手を見ますと、大概フランス人になっているわけですね。ですから、ほうきで掃くという、いわば下級の労働のときにはアフリカの人を入れてきて使っておった。フランス人はそんなものはやりたくないということだったんだろうと思います。ところが機械でやることになりますと、それほど下級じゃないからフランス人がやるということになりまして、この間まで使っておったアルジェリア人とかなんとかいう人たちが皆失業しちゃったんじゃないかという気がするわけですね。それからスイスやドイツなんかでも似たようなことが起こっておりまして、景気がよくなりますと外人労働者をどんどん入れてくる。悪くなりますとそれを一番先に首を切るということになっているわけで、したがって、これらの国でも外人労働者を本当に機会均等に扱っているのかというと、どうもそうではないようでございます。理想論を言えば機会均等でなければいけないはずであります。  日本の場合を考えてみますと、日本に外人労働者を呼んでくる場合に、一体それらの賃金は日本人並みにするのか、それとも低賃金労働で使うのか。住宅などは一体どうするのか。それから景気がうんと悪くなったようなときには、これは日本的経営の枠外に置いておいて直ちにレイオフするというやり方でいくのか。なかなか厄介な問題ではなかろうかと思います。  さらに、日本人は、伝統的に日本列島の中で日本人だけで暮らしてきましたから、何千年もの間そういうことでやってきましたから、とにかく内輪優先という思想といいますか、体にしみついたにおいみたいなものがございまして、何かというと内輪優先、外から来た者に対しては非常に冷たく当たるという風習があるかと思いますが、そういういわば異質たんぱく拒否反応を持っているような社会でございますから、そういうところにたくさん外人労働者が入ってきた場合に一体どういう現象を引き起こすだろうかというようなこともなかなか難しい問題でございます。  日本人が、全体としてコンセンサスをつくりまして、もっと外人労働者を入れるべきだという気持ちになれば、それは入れたらいいと思うんでございますけれども、今の日本でそういうコンセンサスがあるのかどうか。それから、コンセンサスというのがある以上は、入れた場合に外人労働者を差別してはいけないと思いますけれども、しかし実際問題として差別せずにやれるんだろうかというふうなことを考えてみますと、大変難しい問題だと思っております。
  11. 大塚清次郎

    大塚清次郎君 天谷先生の最近の著書も興味深く拝見しておりまして、きょうはじかに大変有益な話を伺わせていただきました。ただいまお話しいただいたことにつきまして二、三ひとつお尋ねをいたしたいと思います。  まず第一に、さっきから国際化意味なり、あるいは産業政策日本で生まれた一つのルーツなりをお話しいただいたわけで、私もまことにそうだと思いますが、この日本独特の産業政策、それがあってこそ初めて日本がオイルショックをくぐり抜けて、適切適時に産業政策が適用されまして今の日本があるわけです。驚異的な経済発展をしておるということでございます。その中でこれを現段階で、あるいは今後持続させてまいりますためには、先進成長部門あるいは衰退産業部門、あるいは内需振興、国際交流、こういうことについてどうあるべきかというお考えを拝聴したわけですが、私がちょっと気にかかりますのは、輸出入の貿易摩擦は、これはそれぞれ今、表に出ておりますからわかるわけですね。総合的に、あるいは個体でとらえていってよくわかるわけでございますけれども、海外投資について、どうかすると日本産業の空洞化が先進国のように出てくるんではなかろうかという懸念が一つございます。  そういうことになりますと、非常に経済構造を変えると今盛んに言われておりますが、そういう中で、どうかすると日本の国内の社会問題にもこれは発展しかねないいろいろなものを含んでおると思いますが、これがこのまま一つ産業政策として、輸出入の制御とともにどこまで進めていくべきなのか、この辺についてなかなか我々も見通しがつきにくいわけでございます。その点について、まずいかがですか。
  12. 天谷直弘

    参考人天谷直弘君) 国内生産海外生産の比率でございますけれども、ちょっと正確には覚えておりませんが、今の日本は多分三%から四%くらいではないかと思います。これに対しましてアメリカは一六%くらいでしょうか。それから西ドイツは二〇%くらいかと思います。要するに一けた違うわけであります。ですから、そういう数字から見ますと、日本が今程度の海外投資をやったからといって日本経済が空洞化してしまうというのはやや心配のし過ぎではないだろうかというような気はしております。  ただ、スピードの問題がございまして、余り急激に、ドイツなりアメリカなりの数字というのは何十年かかかってそうなったわけでありますから、それなりに自然な姿だと思いますけれども、アメリカなどは行き過ぎておるかもしれませんが。日本の場合も最近特に円高が非常に激しいものですから、非常に急速に進んでいるという面はあると思いますね。ですから、そのスピードについては考慮する必要があるかと思いますけれども、しかし、それじゃ交通警察じゃありませんけれども、何キロならよくて何キロ以上はいけないんだということを例えば通産省が決められるのかといいますと、そうもいかないと思いますね。通産省でせいぜいできることは、まあゆっくり行った方がいいですよという程度のことでございまして、そのことについても民間が主導権を握ってやって、通産省はある程度の助言くらいはできるかもしれませんが、余り厳しいコントロールはできないかと思います。  しかし、空洞化のほかに、例えばアメリカ自動車を考えてみますと、日本自動車会社はほとんどアメリカに工場をつくったわけですが、今のままでいきますと多分、一九九〇年ぐらいになりますと百五十万台ぐらいつくるだろうと言われているわけであります。アメリカの国内の乗用車需要がうんと伸びればそれはいいですけれども、仮に伸びないといたしますと、進出した日本のメーカーとアメリカのメーカーとの食い合いということになりますから、そこできっとまた摩擦が起こるだろうと思います。  でも、アメリカはそういう点に関しましては比較的寛容な方ですが、ヨーロッパの方はかなり神経質でございますから、輸出黒字を出し過ぎましても摩擦が起こりますが、今度はそれを避けようとして投資が急激にいきますと、またそのことが摩擦を起こす可能性もございます。その辺のところはやはり注意深くやるということが肝要ではなかろうかというふうに思います。
  13. 大塚清次郎

    大塚清次郎君 それから今度はもう一点でございますけれども、先ほど産業政策、これは広い意味産業政策として内需の振興ということが一つのエレメントになっております。国もこれは行政、政治の分野から総合経済対策、これで内需の振興を一生懸命やろうということでございますが、問題はそのシステム、さっきおっしゃいました、これがなかなかすきっとしたものでとらえられていないというのが現状じゃなかろうかと思います。そうした場合、やっぱりここで、増税でやるか、それから国債、例えば建設国債ですね、そういったようなものの増発でこれを刺激していくか、これは政策誘導になるでしょうが、あるいはまた民活に頼るかという手法がございますね。  この前、天谷先生の論文をちょっと見ましたら、財政赤字を余り気にして、あるいは国債のリミットを余り気にして、どうも今、日本は過剰流動性がある。これがいろいろマネーゲームになってみたり、国際的にいろいろな証券投資になってみたり、国外にどんどん出ていっておる。そういったようなものをもっとこっちに向ける。非常に日本の中でお金があるわけですから、これを使うような方法の中で、今おっしゃられた、日本に一番おくれておる住宅だとかあるいは公園だとか、あるいは下水道だとか電柱の地下埋没だとか、そういう社会投資ですね、そういうように向けるそのシステムがなかなか定かに見通しができないわけです。そういう点についていかがでございましょうか。
  14. 天谷直弘

    参考人天谷直弘君) 国債の残高が百四十三兆もございまして、そして利子払いだけで十兆円にもなる、そのことで大蔵省が大変心配しておられるというのは、それはまことにごもっともな心配で、本当は我々もそのことは大変心配しなければいけないことは明らかだと思うのであります。しかし、今の日本経済段階で財政赤字がけしからぬといってこれをぎゅっと締めるとどういうことが起こるかといいますと、結局、日本政府の公債を買わなくなった分だけアメリカ政府の赤字公債を買うということになってしまう。そうすると、日本政府が赤字公債を増発してこれを日本の国民が買い込むというのも余り健全とは思いませんけれども、じゃ、アメリカ政府の赤字公債を買い込むのと一体どっちが不健全の度合いが大きいのか小さいのかということになりますと、私はどうもアメリカ政府の赤字公債を買う方に問題がより多いのではないだろうかという気がしているわけです。  したがって、日本政府が赤字公債を増発するということは、いいことだとは思いませんけれども、しかしもっと悪いことと比べれば少しいいではないかということ、その問題をちょっと考えなければ、ただ財政健全化だけすればいいのかというと、それはもっと不健全なところに流れてしまったんでは意味をなさないではないかと私は思っております。しかし、そうかといって日本政府が赤字公債を増発して米の値段をまた倍に上げるというようなことはどう考えたってそれはおかしいと言わざるを得ませんから、やはり使い道ということは考えなきゃいけない、将来の日本経済体質にためになるようなことで使うということでなければいけないと思っております。  それから住宅について考えてみますと、卒然と外国へ行って外国の町を見る、それで日本の東京とか大阪の町を見ると、どう考えても東京とか大阪は相当これは醜悪だと言わざるを得ないと思いますね。余りにもひどい、どうしてこんな乱雑なことになっているんだろうか。私は三百年前の江戸の方がずっといいと思いますね。北斎とか広重の絵を見ますと、江戸の町というのは大変美しい秩序のある町だと思います。三百年後の今の方がずっと悪くなっちゃっているのは一体どういうことなのか。根本にあるのはやっぱり土地所有権が間違っておるんだと私は思っております。余りにも土地というものに関して個人の私的所有権のわがままを許し過ぎたから現在のような乱脈が生じたんだというふうに思っております。  私的所有権はなぜ尊重されなければならないのかということになりますと、いろいろ理屈はありますが、大きな理由はプライスメカニズムを働かせるためということだろうと思います。私的所有権をなくしてしまいますと値段がなくなるわけですね。例えば空気には私的所有権はありませんから空気の値段というものはないということでございます。しかし、この時計は私の時計だとみんな所有権を認めれば、今度は、この時計売るからおまえの時計幾らで買うとかいうようなことで価格というものが発生してくる。  プライスメカニズムはなぜいいのかといいますと、価格メカニズムを通じて私的利益を追求すればそれは社会的な公共の利益につながる、社会的福祉につながるという仮説があるからいいということになっているわけであります。通常はそうなるわけですが、じゃ、土地の場合に私的所有権を尊重すると社会的利益はふえるのかといいますと、どうも、例えば銀座の土地が一億円になったらどうなるか。普通は値段が上がれば供給はふえて需要は減るというのがプライスメカニズムというものである。ところが、銀座の土地の場合を考えてみますと、土地の値段が上がりますと供給側は売り惜しみするわけですね、もっと上がるかもしらぬ。半坪も売れば一生食えるわけですから、ちょっとだけ売ってあとはやめて寝てしまう。それから需要の方を見ますと、これも今度はスペキュレーターが出てきまして、今買っておけばもうかるかもしれないといって、需要もふえる。ですから、東京の土地の場合は、値段が上がり始めると供給は減って需要はふえるという逆現象が起こるわけですから、プライスメカニズムは働いていないということになると思いますね。  地主だけが何らかの理由で、本人の努力と全く関係なしに、先祖から十坪も引き継いでおれば孫子の代まで寝て暮らせるということになる。他方、三十年も四十年も働いてもらった退職金で一坪の土地も買えないというのは、勤労に対する侮辱であると私は思っております。ですから、今の土地制度というのはどうもおかしいんだと私は思っておるんですね。これを直さない限りインフラストラクチャーの充実なんということは極めて困難じゃないだろうかというふうは思っております。ですから、それこそ私は政治の仕事じゃないだろうかというような気がいたしております。
  15. 大塚清次郎

    大塚清次郎君 どうもありがとうございました。
  16. 高木健太郎

    高木健太郎君 公明党・国民会議の高木と申します。私、経済の方は全く暗いわけでございまして、にわか勉強で大変外れた質問をいたすかと思いますが、どうぞひとつよろしくお願いいたします。  たった今、大塚委員からもお話ございましたことは、先般の十月の三十日の東京新聞ですか中日新聞に「銭屋五兵衛の教訓」というのがございまして、    〔会長退席、理事水谷力君着席〕 私、本日、ここでお話を直接お聞きするとは予期しておりませんでしたけれども、大変おもしろく、非常に示唆に富む論説であると思って読ましていただきました。  先ほどから先生から、また大塚委員からのお話もございましたように、今アメリカにいろいろ海外投資をする、あるいはアメリカの国債を買うというのは危険ではないか、それならばかえって日本の国債を買った方がいいじゃないかというようなことであったかと思います。それにつきましては、先ほどもお話がありましたように、投資を、あるいは公共投資をするということにつきましては、増税をするか、あるいはまた政府が赤字国債をもっと出すか、そういうことになるんじゃないか。百四十兆の赤字国債をもう既に出しておるというところにそれをやるということは、ただでさえ財政が破綻をしておるところにそれをやれるかどうかということを私やはり心配をしておったわけでして、かといって増税をするということは、国民の中には非常に貧しい人もあるわけでございまして、貧富の格差がかなり今大きくなっている、そういうときによほどうまい税制を考えない限りは、これは国民の怨嗟の声を大きくするんじゃないかということを心配しているわけでございます。とすれば、財源を実際はどこから持ってくるのかということについては先生どんなにお考えかということが一つでございます。  確かに、日本の社会資本といいますか、それは貧弱でございまして、下水にしろ、あるいは埋没の電線といいますか、そういうものでありましても非常に貧弱であり、住宅もまた非常に貧弱である。これから先高齢化が進んでまいりますと、ますます社会資本の回復ということが困難になってくる。ここ二十年か今世紀中にやり上げてしまわなければ、後になっては到底もう日本はできなくなるんじゃないかということも心配をしているわけです。それについてどうしたらいいかということをまずお聞きしたい。  それから第二番目は、アメリカが双子の赤字を抱えてここ何年かの後では一兆ドルのいわゆる赤字を出す、また貿易赤字もさらにふえていく、現在でも二千億ドル近くの赤字を持っている。こういうふうにやっていきますとアメリカ経済は破綻するんじゃないかというふうに思うわけです。これはレーガノミックスが、初めレーガンが考えた政策が間違ったのではないかというふうに思うわけです。減税をして国民が金持ちになれば産業も興る、だから軍事費を相当出してもそれで十分やっていけるというふうに非常に甘く考えたのではないか。それは最初のうちこそインフレを抑えて非常によかったわけですけれども、もうここまで来るとレーガノミックスはこれは失政であったというふうに私は思うわけでございますが、かといって、アメリカを見捨てて、このまま日本が内需だけに引きこもった場合に、アメリカは果たして復興できるだろうか。アメリカが復興できなければ世界経済が破綻していくんじゃないか。途上国の方も債務に苦しんでおりますからこれもうまくいかなくなる。そうすると、世界的のいわゆる経済的恐慌に陥る可能性は果たしてないのであろうかということも心配するわけですけれども、アメリカ経済の復興ということについてどのように日本が手をかせば、アメリカもうまくいく、日本もうまくいく、ひいては世界経済が各国ともうまくいくということになるかどうか。まずこの二つだけをひとつお考えをお聞きしたいと思います。
  17. 天谷直弘

    参考人天谷直弘君) 最初の公共投資の問題でございますけれども、財源は、あえて言えば、建設公債を増発してしかるべきプロジェクトを実施するということが、アメリカの赤字公債をどんどん買い込むよりは比較してましであるということが言えるんじゃないかと思います。ですから、その場合にはプロジェクトの内容が非常に問題だろうと思います。そのプロジェクトが将来の長期に見た日本経済体質の改善に役立つようなものであれば、それについては財源を建設公債で調達してそれを実行すれば、それは内需の振興ということになり、その分だけ海外への資金の流出を減少させるという効果を持つはずでございますから、そういうプロジェクトをよく精選して、そういうものを実行していくということが必要ではないだろうかと思っております。具体的にどんなものがあるのかと言われますと、今ちょっとお答えする立場にはございませんけれども、そういう方向で物事を考えるべきではないだろうかと個人的には思っております。  それから、レーガノミックスでございますが、これは先生が御指摘になりましたように、今の段階で考えてみますと、この膨大な財政赤字を膨らませたままそれに何らの手も打てない、近い将来に打つ見通しもないということであれば、これはレーガノミックスの失敗と言わざるを得ないのだと思います。この財政赤字を削減するためには、結局歳出を削るか、ということは軍事費を削るか福祉費を削るか、どっちかをやらなければいけない。ところが、共和党の方は軍事費は削れないと言っておりますし、民主党の方は福祉費は削れないと言ってにらみ合ったままであります。それから歳出をどうにもできないならば今度は歳入をふやすということが必要になりますが、それは結局大幅増税ということだろうと思います。しかし、レーガン大統領は増税は絶対やらないと、こういうふうに叫んでおる。  そうすると、歳出削減もだめ、歳入増もだめということになりますと、それじゃ今度は国民の貯蓄率を上げる方法があるかということになってくるわけですが、アメリカの貯蓄率はもう趨勢的に下がっておるわけであります。アメリカの税制はどちらかというと日本と逆になっておりまして、消費ないし投資を優遇して貯蓄を冷遇するという仕掛けになっておりますが、これを逆転させて日本のような仕掛けに仮に直したといたしましても、その結果それじゃアメリカの貯蓄率が目に見えて上昇するだろうかというふうに考えてみますと、とてもそんな楽観的な期待は持てないのではないだろうかというふうな気がいたします。  そうしますと、どっかで増税をするとか軍事費を削るとか、そういう政治的大決断をしない限り、今のこのアメリカの大幅赤字、双子の赤字は居座ってしまうということになり、居座ればこれはいずれ将来ドルの暴落を引き起こすということになるだろうというふうな気がしております。これは場合によったら世界恐慌につながるかもしれなことであり、大変危険なことだと心配をしておりますが、そうかといって日本にできることというのは大変限られていると思います。やっぱりアメリカ政府が覚悟を決めて、今そんなに奇手妙策なんというものがあるはずはないわけですから、今申し上げましたようないずれかの手を打って財政赤字を現実に削減させるということがなければ、危機はその角にいるということになると思います。
  18. 高木健太郎

    高木健太郎君 いわゆる内需を振興して輸出を削らしていくということはやらなきゃならぬことだと思いますし、これ以上輸出黒字日本がふやすということはとてもちょっとできない状況になりつつあると思います。しかし、輸出産業をとめてしまって、内需拡大ですべての業種についてうまくそれを転換できるか、いわゆる産業構造の思い切った変換をしなきゃいかぬということが一つあると思うんですが、その点についてどういうふうにお考えかということ。  それから、確かに日本の今までの教育というのは画一教育をやっておりまして、部品として使うのには非常に優秀な部品であった。しかし将来はそれだけではだめで、仰せのように創造力だとか新しい文化を築いていくというような教育に切りかえていく。その切りかえの一番先に立つものは私は大学あるいは研究所であろうと思うわけです。日本の大学は自治というものを持っておりまして、先ほどおっしゃいましたように、学長の権限さえも教授会がとっておりまして、学長というのは本当の飾り物であるというような状況にあるわけです。それを変えようとすると、自治というものがあってなかなかこれが変えにくい。臨教審で御関係になっておりまして、いろいろと議論もされておるわけでございましょうけれども、一番最初に直すべきところは大学ではないか、そこを直さないで入試をいじっても、本当は入試改善とか偏差値の排除というようなことはできないのじゃないかというふうに思うわけですね。この二つは、今の中小企業なりそういう二次産業産業構造を変えるということもこれは非常に大きな問題である。  それからもう一つは、大学の改革というものはだれが一体改革するんだということについてどのような方策があるか。非常に難しい妙な質問でございますけれども、お考えがありましたらお聞きしたいと思います。
  19. 天谷直弘

    参考人天谷直弘君) 両方とも大変難しい御質問でございまして、私もよくわからないんでありますが、産業構造の転換はオートバイの方向転換ほど易しいことじゃございませんで、多分それは五年、十年かかる極めて困難な事業だと言わざるを得ないと思います。ですから、急場の間に合わないから取りかからないといえばいつまでたったって進展しないということになるかと思います。そうかといって、今産業構造転換に取りかかれば一年もすれば歴然と効果があらわれるのかといえば、とてもそんなぐあいにはならないことも明らかだろうと思います。とにかく今まで輸出依存でずっと来ておりますから、これを内需に転換しろと言っても、その内需の方はどうやっていいのか今のところ極端に言えば皆目見当ついていないというような状況だろうと思います。ですから、これから政府、民間ともに知恵を絞ってどういうふうな内需に転換すべきかを考えなければいけないのではないかと思います。今のところは企業は、百六十円になったから何とかしてこれでも輸出できるように、歯を食いしばっても百六十円というハードルを突破しようとして大変な努力を傾けているわけでございます。これは企業としてはまことにもっともな努力だと思うんですが、しかし仮にもしほとんどの企業が突破することに成功したらどうなるかというと、やっぱり体質はもとのままということになりまして、問題もまたもとのまま残ってしまうということで、結局ただ先送りしただけということかと思います。したがって、やはり非常に難しくてもこの内需転換の問題というのは官民が知恵を絞って実行していかなければならない問題である。まずはとにかくその明確な問題意識を持つということが出発点ではないかと思っております。  教育改革に関しましては、それの突破口が大学改革であるという御意見に関しましてはまことに私もその御意見に全面的に賛成でございます。教育というのは非常に複雑な体系でございまして、それを全面的に改革するといいましても余り現実性がないのではないかというふうに考えております。  昔の話をして恐縮でございますけれども、乃木大将が旅順の要塞を攻めるときに、初めは旅順の正面の東鶏冠山とか磐竜山とかいう山を攻めて、そこから突破しようとしたわけですが、いつまでたっても落ちない。結局児玉源太郎がやってきまして、これは二〇三高地というところを攻めなければだめなんだと。それで二〇三高地をとったら旅順の要塞は全部落ちたわけでございますね。  ですから、教育の改革にも私は二〇三高地みたいなところがあるはずだと考えておりまして、それはどこだというと私も先生の御指摘のように大学だと思っております。日本じゅうの父兄とそれから子供が皆有名大学に行きたいといって睡眠時間も減らして塾に行って勉強するというようなことになっているわけですが、それじゃ大学で何を教えているのかと聞きますと、だれもわからないわけですね。ただ大学に入りたいというだけで、それじゃ東京大学に入って経済学部に入ったら何を教えているのかというと、それはどうでもいいんですね。これは極めていびつな状況だと思います。もっと東京大学なり何々大学の学問の中身というものが尊重され尊敬される、名前じゃなくて中身が尊敬されるようになるということが必要であろうかと思います。  大学が活性化しない最大の理由は、やはり私は今の大学の管理形態がよくないんじゃないかというふうに思っております。先ほども申し上げましたようにお金は大蔵省と文部省と会計検査院が決める。人事は学部の教授会が握っておる。それからいずれにしろ年功序列、終身雇用でございまして、仮に家で寝ていたところで首にはならない。学長はほとんど何も権限を持っていない。それから一たん講座ができますと、例えば人力車学科という講座ができてしまいますと、世の中に人力車が一台もなくなっても大学の人力車学科は残ってしまうというようなことがあるわけです。ですから、大学が何かもっと社会の動きに敏感に反応するようなシステムに変えなければいけない。それは多分臨教審の中にもある一つ意見は、大学を法人化しろという意見がございます。ただ、これは一つ意見でございまして、果たして実施可能なのか、その辺の見通しはまだついておりませんが、一つの行き方としては大学を法人化しろという意見がございます。
  20. 高木健太郎

    高木健太郎君 ありがとうございました。
  21. 三治重信

    ○三治重信君 私は民社党なんですが、ちょっとお伺いしたいのですが、国際収支で非常に日本黒字アメリカが赤字といっても、アメリカの方はえらい多国籍企業がたくさんあって、海外どこへ行っても多額の投資をしていてそこから収益を上げている。そうしてアメリカはどんどん赤字になっていくとドルが暴落するのじゃないかというお話ですね。この多国籍企業とドルとの関係、また日本も逐次これで円高になって多国籍企業になっていくだろうと思うんですけれども、そういうのと、国際収支の関係と通貨の価値関係というものが将来どういうふうに展開していくかということです。
  22. 天谷直弘

    参考人天谷直弘君) これはまた難しい御質問でございますが、今の世界を見ておりますと商品とサービスとお金と情報と企業、これは国境がないか、あるいはあっても非常に低いということで世界じゅうを流れるわけであります。企業も、税金が安くて政府が余りうるさいことを言わなくて、そしてセキュリティーが高いところに本社を移そう、あるいは利潤も移そうというようなことをやっておるわけでございます。ですから、多国籍企業にしてみれば余りアメリカにこだわるということはないわけです。都合のいいところに工場をつくって、利潤はまた別のところへ移すとか、そういうことをやるのは多国籍企業としては、特にアメリカの多国籍企業はそういうことを非常に活発にやっておるかと思います。  ところが、国境を越えて動かないものが二つございまして、一つは労働力であります。先ほど外国人労働者の移動の問題、雇い入れの問題がちょっと出ましたけれども、例外的に外国人労働者の雇用ということは、ヨーロッパでもアメリカでもまあまあ日本と比べればはるかに広く行われておりますが、しかしやはり原則としては労働者は国境を越えて動かないというのが原則であろうかと存じます。  それからもう一つ、国境を越えて絶対に動かないものがございまして、それは何か、クイズみたいなことを申し上げますと皆様政治家であります。政治家は選挙区と結びついちゃっているわけですから、選挙区は国境を越えて動くはずがない。これはアメリカであろうと日本であろうとヨーロッパであろうと同じことでございます。政治家は絶対に選挙区を越えるということはない、システムとしてそうなってしまっておるわけでございます。  もし労働者も動き、それから政治家も動くということであれば、多分世界一つ政府一つの国家になるということで、そうなれば為替レートなんていうものはなくなってしまうわけでございます。通貨は一つということになるわけであります。ところが今は中途半端でございまして、物とサービスと金と情報と企業は自由に動きます。しかし労働者と政治家は動きませんという極めて中途半端なことになっておりますから、したがってナショナルガバメントとか、ナショナルカレンシーとか、国家主権というものが存在する。そうしますとアメリカの場合は多国籍企業の行動によって工業の空洞化とかあるいはドルの垂れ流しとかというようなことが起こってまいるわけでございます。今のところ、この矛盾を解決する方法というのは私はないんじゃないかと思っております。したがって、どうすればいいのかという御質問には、ちょっと私は、要するにわからないと申し上げるよりほかに手がないということでございます。
  23. 三治重信

    ○三治重信君 そうしますと、国際収支というものが、あくまで国際貿易の中で今後とも非常に大きな役割というんですか、各国間の政治の役割というものは解消しない、ますます先鋭化していくと、こういうふうに見て間違いないわけですか。
  24. 天谷直弘

    参考人天谷直弘君) 普通は、例えばブラジルとかメキシコとかいう国はお金がなくなりますと借金するわけですが、借金もこんなになりますと、今度はIMFあたりからいろいろ難しいことを言われるわけでございます。賃金水準を下げるとか、予算をカットしろとか、いろいろなことを言われます。ただ、アメリカは特殊な国でございまして、キーカレンシー国でございますから、そういうことはないわけですね。IMFやそういうところからディシプリンというものが加わってこないというところに非常に大きな問題がある。本来ならば、今のような状況になりましたら、アメリカは予算も削らなければいけませんし、税金は多分上げなきゃいけませんでしょうし、そういうディシプリンというのが加わってくるはずになっているわけですけれども、キーカレンシー国であるがゆえにそこのディシプリンが不足してしまっておるというところが問題でございます。ですから、ドルについては、アメリカが自覚して財政の健全化ということを図らなければ問題は解決しないということになるのではないかと思います。
  25. 吉川春子

    吉川春子君 どうも本日はありがとうございます。私は、時間を節約するために四つの質問を最初に全部申し上げたいと思います。  まず第一に、日本経済の空洞化の問題についてですが、これまでの円高の推移は、米国の財政赤字に始まり日本の膨大な貿易収支の黒字原因としておりますけれども、日本が円高を受け入れ、前川レポートにあるような構造調整を進めることによって二つの重大な事態が起こると思います。つまり、産業の空洞化と雇用問題の深刻化ということであるわけです。  天谷参考人は、ある雑誌のインタビューに答えて、これからの日本はギブ・ギブ・アンド・テークの姿勢が大切だとおっしゃっておられますが、具体的にはこの二つのことを日本が受け入れるべきだという意味なんでしょうか。空洞化とは、あなたもかつて通産省で推進してこられた日本産業政策を大転換することになるわけですけれども、日本産業は空洞化を招かずに転換できる保証があるんでしょうか。これが第一点です。  それから第二点は、エコノミストの十一月二十五日号に、日米の産業空洞化を比較した記事が載っています。アメリカでは、製造業以外で依然として世界一の座を誇る基礎研究、ソフトウェア、サービス、流通、宇宙開発、農業があり、空洞化が埋め合わされているというふうに言われています。しかし日本はとってかわる産業がないので、輸出産業が消えると二流、三流の産業しか残っていないという事態が予想されるということが紹介されています。  また、仮に実現しても、新たな摩擦を生じます。例えば先端技術分野では、アメリカの大企業は知的所有権保護を、IBMを先頭にソフトウエア、バイオテクノロジーなどで一致して外国企業による侵害の調査、排除方法について検討を開始しています。これは第一に日本を意識していることは疑いありません。こうなると、ギブ・ギブ・アンド・ギブという結果になるのであり、いつかきっとギブ・ギブ・アンド・テークになるという参考人の見通しが甘いのではないかと思うんですけれども、その点はいかがでしょうか。  それから第三点ですけれども、失業の増大について伺います。失業の増加が社会問題になっておりまして、鉄鋼、造船など不況構造業種は特に深刻で、十二月から大手鉄鋼メーカーが一時帰休を実施、加えて三菱石炭鉱業高島砿の閉山、それから国鉄の労働者の約十万人の首切りも目前に迫っています。加えてある新聞によりますと、企業内に抱え込まれた潜在的余剰率が三%前後ある。仮に企業が経営的にも心理的にも耐え切れなくなって余剰労働力を企業外に流出させることになれば、失業は一挙に六%台にはね上がる、こういう指摘があるわけなんです。日経連の大槻会長によれば、現在の雇用水準を維持していくのは不可能だと、いずれ米国や英国並みの六、七%台まで悪化してもやむを得ない、こういう見解を示しているわけです。こういう事態は構造調整とか内需拡大あるいは時短などが具体化する前に失業だけがどんどん進んでいくということになると思います。これを打開する方法は、政府の責任による新たな失業対策事業、あるいは大企業に対して失業の歯どめをかける、こういう措置が必要だと思いますが、参考人の御意見を聞かせていただきたいと思います。  最後は、教育問題なんですけれども、臨教審の第二次答中の中に寄附講座というものがあります。今参考人が言われたように、日本でこういうことをやろうとすれば、大学の自治、これは憲法の保障するものですが、その他に抵触して、今のままではなかなか難しいわけです。教育も学問の自由も、経済の侍女にするというようなことには私は賛成できかねます。  それは私の感想なんですが、質問は、内需の拡大の一環として教育の分野にも相当な投資が必要であると今お述べになりました。臨教審の主要なメンバーである参考人が考えていらっしゃる教育投資というのは具体的に何を指しておられるのか、それが四番目の質問です。  以上です。
  26. 天谷直弘

    参考人天谷直弘君) 第一番日の空洞化の問題でございますが、経済は動いているものでございますから、単純労働に依存するような分野は必ず発展途上国からの競争に直面するということになります。アメリカの多くの産業日本との競争に負けて、次第にその生産のベースをアメリカから海外に移して、その結果アメリカの下の方の空洞化が起こっているわけでございます。しかし、今先生がエコノミストの記事で御指摘になりましたように、アメリカはすその方は空洞化しておりますが、そのかわり頭の方でサービス産業とかその他の産業が今発生しつつある、成長しつつあるということで、これがうまくいけば、要するに経済は空洞化しているのではなくて、新陳代謝しているだけということになります。ですから、空洞化なのか新陳代謝なのかというのはなかなか判断に難しいところでございますが、ともかく空洞化反対ということから、それはすべて現状を維持するんだということになって、それが保護主義につながるというようなことであれば、私はそういう政策は、政府がとるとすれば誤った政策だというふうに考えております。  人間と同じように、産業も寿命を持っておりまして、年をとればその産業は大体死ぬものであります。そのかわり、死んだらすべて終わりというわけじゃなくて、別にまた新しい産業が生まれてくる。そして一方で死に、一方で生まれということで、産業体質が次第に向上していくというのが自然の流れというものかと存じます。ですから、そういう競争力をなくしていくような分野につきましてはこれは発展途上国に市場を譲るということは当然な勢いであるというふうに考えております。日本企業が例えば途上国に進出していってそこからブーメラン現象が起こって日本にそういう品物が流れ込んでくるというようなことは、その速度、スピード等には問題ありますけれども、頭から否定すべきものではないと、それが要するに新陳代謝であり経済発展の姿であると考えております。  雇用問題が起こるということは、そういう新陳代謝あるいは空洞化が進めば当然摩擦的失業が起こるということはあり得ることでございます。    〔理事水谷力君退席、理事坂野重信君着席〕 それが何%になるのかちょっと私もよくわかりませんが、今の円高が進みましたために企業が大変苦しい状態にあるということは、その日経連の御指摘もかなり正しい御指摘だろうというふうに考えております。しかし、そうかといって現在の構造、現在の輸出依存をそのまま維持していけばそれでいいのかということになりますと、それは多分将来もっと危険な状態を招くということでありましょうから、現状維持が答えにならないということは明らかだと思います。  何とかして現状を変えていかなければならない。それについては内需を振興しなければならないと私は思っておりますが、ただ、内需を振興する具体策についてどうするのか。内需、内需と言っても何のことを言っているのかよくわからないとか、いろいろ御批判があることはそのとおりで、私も先ほど来の討論を通じて申し上げているわけでございます。しかし、従来どおりの輸出依存でそのままやるというのは私は最悪の政策だと思いますから、そこのところを避けて、難しいとは言いながら、そしてまた過渡的には失業の増大ということは避けられないと思いますけれども、何とかして苦難を切り抜けて新しい産業構造、新しい需要の分野を切り開いていかなければならないと思います。  アメリカが知的所有権その他を通じましていろいろ彼らの権限の確保をしようとやっている、これもある意味では当然のことでございます。物だけが財産で知的な財産というものを認めないというものを認めないということは私は間違った考え方だと思いますから、アメリカが知的所有権の尊重ということを主張するのは私は当然なことだと思います。ただ、アメリカをそのままコピーしようと思えば、アメリカの方が知的所有権を主張すれば日本はつらくなるということでありましょうが、それは日本の創造性なり独創性なりということを日本もまた発揮するということで解決すべき問題であろうかと思います。要するに、この知的財産の分野というのは大げさに言えば無限でございまして、地下資源のように有限ということじゃなくて無限と考えればいいわけで、アメリカだけがそれを開発する能力があって日本はないというわけではないと思いますから、日本はその分野における努力をもっと強化すべきではないかと思います。  それから、学問の振興は経済の侍女になってはならないというのは一〇〇%賛成でございます。私もそう思っております。  それから、内需の拡大ということと関連をして、教育投資としてどういうようなものを具体的に考えているのかという御質問でございますが、私は大学及び大学院の充実ということが大変必要だと考えております。この分野で見ますと、アメリカヨーロッパ等と比べて日本のレベルがかなり劣っている。その結果、非常に多くの日本人の優秀な学生は特にアメリカの大学院に引きつけられているというのが実情でございます。他方発展途上国のすぐれた頭脳で日本に来ようとする人たちは極めて限られているというのが現在の姿でございます。  今後の日本世界文明に対して貢献すべき役割というようなことを考えてみますと、大学院、大学の特に研究施設の整備、あるいは研究費の増額というようなことに私はもっと重点を置かなければならないというふうに考えております。  それから、小中学校の段階で考えますと、これは臨教審というより全くの個人的意見でございますが、学級編制といいますか、一クラスの中にいる生徒の数が諸外国と比べて日本は非常に過密になっておりますから、できるだけこれを減らす努力というものを、これはお金がかかるわけですけれども、そういうようなところでは今後もっと努力を強化すべきではないかというふうに私は考えております。  以上でございます。
  27. 吉川春子

    吉川春子君 どうもありがとうございました。
  28. 平野清

    ○平野清君 サラリーマン新党の平野でございます。本日はありがとうございます。私の総合的な時間が来ておりますので、質問を三つ続けさせていただきます。  先生は文化輸出について、もっと高度の文化輸出しなきゃいかぬというふうなお話でしたけれども、高度の文化とは何を指されるのかぜひお聞きしたいと思います。  それから、企業がどんどん進出してまいりまして国際化を図っているのは結構だと思いますけれども、例えばプラント輸出がございます。例えば、ソ連に大型の冷蔵施設を輸出いたしますと、今まで全然魚を食べなかった民族が大型な漁船を持って千葉の沖までやってきて、日本の漁業に大きな影響を与えるというようなことがございますけれども、そういうプラント輸出とそれから自国の国民に対する影響といいますか、そういうものは避けがたいものなのか。これはやっぱりプラント輸出の面である程度考えていかなきゃいけないのか。  それからもう一つ、最後に、世界の警察官と言われ、世界経済王と言われたアメリカがなぜ急にこんなにまで落ち込んでしまったのか。反対に日本の今の大型の黒字というものはこれからどのぐらい続いていくのだろうか。反面、造船に象徴されますように、韓国、台湾が物すごく進出をしてきている。そういう点で、韓国、台湾の経済というものが日本にかわってその王座を奪うことがあるのか。そういう三点についてお聞かせいただければ幸いでございます。
  29. 天谷直弘

    参考人天谷直弘君) 高度の文化の定義というのは私もよくわかりませんが、十九世紀イギリスとかあるいはフランスとか二十世紀アメリカとかを考えてみますと、これが世界でリーダーシップを握る国となったのは、ただ単に武力が強かったからということではないと思います。武力のほかにやはり徳というものがあったからである。徳というものは、一つは普遍的な価値を持っているということだろうと思います。例えば、ヒットラー・ドイツを考えてみますと、これは軍事力はかなり強かったけれども、価値観としまして他国民を納得させるような価値観は持っていなかったと思います。これに対して、戦後のアメリカが大きく発展した一つの理由は、アメリカ自由主義、民主主義という価値観がやはり人類に広く訴えるものを持っておったからだと思います。ですから、高度の文化一つの中身は、人類に普遍的な価値観を持つということが重要だと私は思っております。  それからもう一つは、いわゆる文化というもので、この文化は一体何が高度で何が低級なのかということはよくわかりません。「フォーカス」、「フラッシュ」のたぐいは一体高級な文化か低級な文化なのか言えと言われましてもその判断の基準はよくわかりませんが、しかしずっと今までの歴史を振り返ってみますと、百年、二百年たってやはり歴史の上にはっきりとした足跡を残しているような文化というものは厳然と存在すると思っております。今日の日本でも、例えばアメリカへ行きますと日本のすし、すしバーと彼らは言っておりますが、これが燎原の火のごとき勢いで広がっておりまして、これは日本文化アメリカ輸出されているということになると思います。すし文化というものは高級な文化か低級な文化かと言われましても、これも私も何と言って申し上げていいのかよくわからないところがございます。あるいは歌舞伎とか、それからこの間はフランスで相撲も大当たりをとったそうでございます。あるいはまた、ヨーロッパアメリカで従来の宗教が行き詰まったものですから、例えば日本の禅という仏教に対する関心が深まっているというようなことも聞いております。  そういうわけで、最近では日本文化も昔と比べますとはるかに輸出されるようになってきておるというふうに思いますけれども、何か直観的に言いまして、日本世界に誇る大文化輸出されているというふうにどうもまだ思えないものでございますから、日本が本当に世界指導的な国になるためには、自動車、VTRも結構でございますけれども、もう少し文化の薫り高いものが輸出されることが望ましいんではないだろうかと思います。  テレビを見ていましても、例えばアメリカ製のテレビソフトが日本には相当たくさん来ております。それから日本のソフトで言いますと、「ドラえもん」であるとかなんとかいうものはかなりフィリピンとかあの辺に行っているそうでございますけれども、この辺がやっぱり公平に見てまだ日本のテレビソフトとか漫画とかいうものの輸出はされているものの、余り文化の薫り高いものが出ているのかどうか私はやや疑義を抱いております。どういうものが文化性が高くてどういうものが低いかと定義はできませんけれども、おおむね常識か勘で申し上げているわけであります。  それから、ソ連にプラントを輸出したら彼らも魚を食うようになって困ったというお話がございましたが、しかしこれは日本人だけが魚を食う習慣を持つべきであってょその国は魚を食っちゃいけないというのもどうも、そうするとすしバーなどがアメリカへ行くのはやめさせた方がいいということになりますけれども、それもなかなか難しいことじゃございませんでしょうか。プラント輸出に関してソ連に輸銀がファイナンスか何かつけておりますが、外国人が余計魚を食うようになるようなプラントについては輸銀はつけないというのも、そういうこともやはり通産省としては多分できないと言うだろうと思います。  それから、アメリカが没落した理由、これも複雑でございまして、いわばそのためにきっと本が何冊も書けるような、私は書けませんけれども、トインビーでも頼んでくれば本が何冊でも書けるような大問題であろうと思いますから、もうアメリカが没落した理由とか十九世紀イギリスが没落した理由というのを一言で申し上げるのは非常に難しいと私は思っております。  しかし、おおむね世の中はつきっ放しということはないわけでありまして、つきがあればその次はつかないときが来るというふうに、マージャンであろうとゴルフであらうと競馬であろうと大体そういうめぐりというものがあるのではなかろうかという気がしております。今韓国とか台湾は、これはつきについておる状況でございまして、かつて五〇年代、六〇年代の日本がそういう状況にあったと思います。基本的には韓国や台湾が非常について成功しておるということは喜ぶべきことだというふうに思っております。日本だけが成功するのはよくて、ほかのやつが成功するのは皆悪いというのは、それはやはり国際社会で余り通用しない考え方でありますから、韓国や台湾が成功したということは、私は非常にそれは喜んであげるべきことではないだろうかと思っております。そのため日本がやや苦しくなる点が出てくると思いますが、それはやはり新天地を開拓することによって問題を解決していくということが望ましいのではなかろうかと思います。  余りお答えになっていないと思いますが、お許しをいただきたいと思います。
  30. 平野清

    ○平野清君 どうもありがとうございました。
  31. 坂野重信

    ○理事(坂野重信君) 以上で天谷参考人に対する質疑は終わりました。  天谷参考人には、お忙しい中を御出席いただきましてまことにありがとうございました。非常に有意義なお話を承りました。ただいまお述べいただきました御意見等は今後の調査参考にさせていただきます。天谷参考人に対しまして調査会を代表して厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)     ─────────────
  32. 坂野重信

    ○理事(坂野重信君) 次に、日本長期信用銀行調査部小沢雅子君から意見を聴取いたします。  この際、小沢参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ、本調査会に御出席をいただきましてありがとうございました。本日は、日本における国際化につきまして忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査参考にいたしたいと存じます。  議事の進め方といたしましては、まず最初に四十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対しお答えをいただく方法で進めてまいりたいと存じます。よろしくお願いいたします。  それでは、小沢参考人にお願いいたします。
  33. 小沢雅子

    参考人(小沢雅子君) 小沢でございます。  本日、先生方のお手元に天谷先生と私のプロフィールを書いた資料が既に届いていることと存じます。そちらの中に、最初に私のプロフィールが出ておりまして、「女性、三十歳台」というところから始まっていろいろ出ているわけでございます。こちらに書いてありますことはまさしく正しいことでして、何ら訂正する必要はないんでございますが、ただその中に「日本長期信用銀行調査部」という私の現在の勤務光の名前が入っております。こちらに私が参りましたのは、恐らく小沢という一人の個人に対する参考人としての意見の聴取をなされたのだというふうに解釈いたしておりまして、私どもの銀行並びに銀行業界に対する公式見解の聴取では毛頭ないだろうと想像いたしております。と申しますのも、もし銀行並びに銀行業界に対する正式な意見をお聞きになりたいということであれば、当然頭取ですとか銀行協会会長とかしかるべき人にお声がかかるはずでございまして、私のような若輩にお声がかかる以上、これは個人的見解を申し上げて差し支えないのではないかと思って参った次第でございます。  それで、先ほど天谷先生の方から恐らく国際化ということに関する歴史的な御発言があったことと存じます。そういったことは偉い先生にお任せいたしまして、私個人が今日の日本の置かれた状況の中で国際化というのはどういう意味を持っているかということから個人的見解を述べさせていただきたいと思います。  私は、今日の日本国際化というのは三つの点において必要であり、意味があることだというふうに考えております。  一番目に、外国との競争条件においてフェアであるということ、フェアな競争条件を整備するということがまず第一に国際化の要件になってくるであろうと考えております。  フェアという言葉でございますが、これは経済学的に申しますと、まず第一番目に、最もフェアな状態というのはどういう状態かと申しますと、あらゆる経済主体、つまり個人でありますとか企業でありますとか、こうした人々がいろいろな行動をとることを全くフリーにする、自由にする、何ら制限をつけない、これが一番フェアなやり方というふうに考えられております。つまり、いろんな商品ですとか生産物、サービス、あるいは資本とか労働力とか、こういったものがどういうところに出ていって、どこでどういう形で利益を上げるかについて何ら制限を設けないで自由にする、これが一番フェアな状態ということになるわけでございます。そうは申しましてもいろんな事情がございますので、何ら制限を設けないというのは現実において恐らく不可能だと思われます。  そうしますと、次善の策としてフェアとは何かといいますと、今度はいろんな経済主体に対して制限を行う場合にその制限を公平に行うということがフェアになってくるわけでございます。これは、例えば日本人と日本に在住する外国人に対していろいろな差別を行わないこと、あるいは日本企業海外企業に対して差別を行わないこと、並びに個人と企業との間で著しい格差を生まないようにすること等々において出てくるわけでございます。  さらに、もっと言いますと、例えばいろいろな制限の仕方によりまして、労働によって収益を得るのは著しく容易だけれども、資本を使って収益を得るのが著しく不利である、このような状態になりますと、これはこれである意味ではフェアでないということになります。逆も当然しかりでございまして、資本によって収益を得るのは著しく簡単だけれども、労働を使って収益を得ることが著しくやりにくい状態であるというのは、これはまたこれでフェアでない状態になるというふうに考えております。  一番目に、フェアな競争条件の整備というのを国際化意味として考えているわけでございますが、それに続きまして、そのフェアな条件のもとで日本国際競争力を高める、このような政策を考えて実行するというのが現時点における国際化の二番目の意味になると考えております。このためには、例えば土地問題とか教育問題とか、後で述べますような幾つかの問題について何らかの改善策を試みなければならない時期に来ているのではないかと考えております。  そして日本競争力を高めた上で、三番目に国際化の要件として必要なことは、国際的な所得の再分配のシステムを考える、それによって日本の安全保障を図るということでございます。これは日本国内の場合、あるいは地球規模に拡大いたしました国際社会の場合、いずれの場合にいたしましても所得に著しい格差がある場合、そうした社会のシステムというのは必ず安定性を欠くものでございます。国内の場合にいたしましても、所得に著しい不平等があった場合には、それは単に気の毒だとか、かわいそうだとかいう同情論だけじゃなくて、社会を安定させるためにもある程度再分配の機能を社会の中に内在しないと、社会そのものが安定しにくいような状態になるわけでございます。  例えば、人間としての生存も不可能な程度に低い所得に甘んじている人、病気になっても医者にかかるだけのお金もない人、こうした人々をそのまま放置しておくことは社会的公正にもとるだけじゃなくて、さらにこうした方々が、例えば背に腹はかえられずに社会の秩序を破るような行動に出ざるを得なくなるという状態をつくるという意味で、社会の安定性に対して阻害する要因になるわけでございます。これは、国際社会においても同様のことでございまして、地球的な規模で著しい所得の格差がある場合には、それはやはり国際平和のためには余り望ましくない状態でございますので、システム的に地球規模での所得の再分配を考えることが日本の安全保障にもつながるということがあるわけでございます。  こうしたことは当然日本経済援助の際に考えられているファクターでございますが、それをもう少し首尾一貫したものにして、例えば援助のための哲学というものを考え、それをシステム化していくということも日本国際化の最終段階として必要になってくるのではないかと考えております。  それなら、日本がなぜそうした三つの意味国際化しなければいけないのかという点から申し上げたいと思います。  国際化の目的というのを私は二つ考えております。一番目が、先ほど最後の段階で申しましたように、言うまでもなく日本の安全保障、日本人が生存権、安全権を脅かされずに無事に天寿を全うすることができるということがまず第一番目の要件であるわけでございます。そして二番目に参りますのは、そうした安全を確保した上で、なおかつ現在私たち日本人が享受しているような生活水準をできるだけ長く維持する、あるいはできることならば少しでも向上を図る。こうしたことが国際化が必要な二番目の理由になってくるというふうに考えております。  それで、一番目の安全保障の確立にはどうしたことが必要かというふうに考えますと、恐らく二つ必要ではないかと思います。一つは、国際分業を順調に進展させていくということが必要になってくると思われます。安全保障を高める際の経済的な巽件として今二つの意見が言われております。一つは自給率を高める。石油にしましても、石炭にしましても、エネルギー源にしましても、あるいは食糧にしましても、すべての日本に必要な物資は他国に依存しないで日本国内で生産できるようにする、これが一つの考え方でございます。  これに対して、二番目の考え方としまして、そうではなくて、いろんな資源なり技術なり商品なり資本なりさらに人間なりの交流を密にしまして、世界のシステムの中で日本がいろんな意味において不可欠な要素になっていく。つまり日本をうかつにたたくと自分の国にも相当な被害が起こるという状態に持っていく、これによって日本の安全を確保する、これが二番目のやり方でございます。  どちらがいいかというのは、いろんな価値観によって分かれるところでございますが、今日の状況をかんがみますと、一番目のやり方、すべての資源において日本の自給率を一〇〇%にして、一切他国に依存しないというやり方は、まず現実問題として不可能でございます。不可能であるばかりでなく、仮に一〇〇%譲って、日本人の生活水準を著しく低下させて、一〇〇%の自給状態、つまり鎖国状態が可能であったといたしましても、現在の地政学上の立場から言いますと、それによって日本の安全保障が保たれるという保証は実は全くないわけでございます。  したがいまして、これは私の個人的な見解ではありますが、むしろ二番目の方法、国際分業を円滑に進めて国際的な経済が順調に進み、地球上の人間がつつがなく生きるためには、日本の安全並びに日本発展がいろんな意味において不可欠であるというふうにシステムを持っていく方が日本の安全保障が確立される可能性は高いのではないか、さらにこの方が実現性も高いのではないかというふうに考えております。  それから二番目の日本国民の生活水準の維持向上という点でございます。これはもっと言い方をかえますと、現在の日本経済の成長率、これは一九七五年以降御承知のように経済成長率が低くなったわけでございますが、それでも一応プラスに成長いたしておりまして、比較的順調に経済運営がいっている方だと言われております。この順調な経済運営が続く期間を何とか長引かせようと、こういうことになるわけでございます。では、その望ましい経済成長率というのはどのぐらいかと申しますと、二%というふうに言われております。二%という根拠はどこから出てきたかと申しますと、まず、日本の人口が年率平均〇・八%で増加いたしております。これが一点でございます。それから二番目といたしまして、日本の人口の高齢化の速度、こちらが大体一・二%ずつ平均年齢が高齢化いたしております。両方を足し合わせますと二%の経済成長が必要になってくるわけでございます。これはとりもなおさず、人口がふえますと、仮にゼロ成長であったとしました場合、一人当たりの取り分が少なくなるわけでございますので、成長率がゼロになって人口がふえている状態というのは、一人当たりの個人にしますと生活水準が低下しているという状態になります。  それから、高齢化の影響についてでございますが、これは私ども年齢が一つ高くなれば少しましな生活ができるというふうに考えております。現在私三十三歳でございますが、三十四歳の一年先輩を見ておりますと、もう少しましな生活をしておいでである。来年私が三十四歳になったときには、今の先輩レベルの生活はできるのではないかと、こんなふうなことを恐らく大勢の日本人の大多数が考えていると思います。ですから、人口の高齢化分だけ経済が成長していないと、実感ベースとしまして生活水準が低下したと感じる人が少なからず存在するという状態になるわけでございます。ですから、人口の増加分の〇・八%と人口の高齢化分の一・二%、合わせて二%分の経済成長率が達成されて初めて国民の実感ベース、感覚ベースで生活は安定している、少なくとも落ちてはいない、こんなふうな感覚になるわけでございます。  それでは、そのために何が必要かという点でございます。これは大体六つあるのではないかと考えております。  まず、生産能力を維持する、もしくは高めるという点から五つ出てまいります。これを考えますと、まず一番目に原材料の問題がございます。これは御承知のように、先ほども申しましたように、日本の場合、エネルギーを初めといたしまして原材料の多くを輸入いたしておりますので、これを今からにわかに国産に変えるということも不可能でございますし、もしやろうとしますと、著しい経済の停滞もしくは生活水準の低下を招きます。さらにコストもかかりますので、やはり輸入をしないというのは無理な状態でございます。そのためには何が必要かと申しますと、備蓄率を高くするということ、つまり、国としての在庫をふやすということがまず必要ではなかろうかと思います。それからさらに、いろいろなエネルギー源なり食糧なり原材料なりについて一つの資源に偏らずにいろんな代替性を持たせておく。石油なり石炭なりあるいはウランなり、いろいろな技術を開発しまして、片方がだめなら別のやり方というのを考えておくというのが原材料について必要なことでございます。それからさらに、原材料の輸入相手国を分散させておいてリスクを分散させるというのも原材料について考えるべき点ではなかろうかと思っています。  それから、原材料に続きまして生産要素というのが三つございます。これは土地と労働力と資本でございます。  まず、土地から申しますと、これは今の日本経済最大のネックというふうに考えられております。土地の問題は、国土が狭いこと以上に、むしろ余り有効に利用されていないということが経済のネックとして大きな問題になっておりますので、これはもう少し有効に利用して、なおかつ生産効率を高めることが必要ではなかろうかというふうに考えております。こちらについては後でもう少し詳しく述べさせていただきます。  それから二番目の労働力についてでございますが、こちらについては必要とされる人材の質が変わってきたのではないかと考えております。これも御承知のように、明治以来ずっと百二十年間、一九七五年ぐらいまでの日本というのは先進国に対して追いつき追い越せというやり方でやってまいりました。経済的に言いますと、いろんな商品を先進国がつくっている、何とかそれを日本の国内でつくれないだろうか、こういうふうに考えて一生懸命に生産手段を考え、生産の効率を上げるという努力をしてきたわけでございます。ところが、一九七五年以降、既に日本がある程度先進国に到達いたしましたので、今度は、先進国が既に考えた商品をまねをして何とか効率的につくるということよりも、むしろ今までだれも考えたことのなかったような新しい商品を考える、こういうことが必要になってきたわけでございます。先進国にキャッチアップするまでの期間というのは生産手段を考える人材が必要であったわけでございますが、一九七五年以降はそうではなくて、むしろ生産の目的、新しい商品をクリエートする、創造する人材が必要になってきたわけでございます。ここで人材の質、必要とされる労働力の質が変わってきたということがまず重要な問題として挙がってくるわけです。このことは当然、経済的な条件から必要とされる教育に対する要請というのもあるいは変わってくるとも考えられます。この問題についても後で個人的な意見を述べさせていただきます。  それから三番目に資本の問題がございます。この問題は、現在ただいまのところむしろ一番イージーな状態になっておりまして、日本の貯蓄率は高いのでむしろお金が余っているという状態になっております。ただこの問題に対しても、例えば経済企画庁の経済白書は昨年あたりから警告をいたしておりまして、今後日本の人口が高齢化していくと今一七%であるという貯蓄率がどんどん下がって、例えば一九九〇年には一三%になるとか二〇〇〇年はは七%になるとか、こんなふうな予測が出ているわけでございます。日本の人口が高齢化し貯蓄率が下がったときには今十分に足りている資本も足りなくなるかもしれない、こういう危険性があるわけでございます。これは私の意見というよりは経済企画庁の経済白書の意見でございますが、去年、ことしの経済白書は、そのためには資本が十分に満ち足りている今のうちに住宅ですとか社会資本とか、こうしたものについて十分は手を尽くしておかなければいけない、こんなふうな意見を述べられております。  以上、原材料並びに土地、労働、資本、こうした生産の三要素がいかに必要かということを申し上げたわけでございますが、これに続きましてさらに必要になってくることが一つございます。それは、国内の需要を確立し、それによって国内の需要が日本経済を引き上げていくという経済システムをつくり上げなければならないという点でございます。  先ほど少し申し上げたんでございますが、一九七五年ごろを境に、日本経済構造というのはそれ以前の百年とがらっと変わってまいりました。具体的に申しますと、七五年までの百年間というのは日本においては日本人の需要が日本の生産能力を上回る状態でございました。ですから、生産能力を高めるということが求められ、需要はむしろ抑えなければいけないと考えられてきたわけでございます。  ところが、七五年以降は逆に生産能力の方が国内の需要よりも高い状態になりました。生産能力が高くなったのはひとえに日本人が一生懸命資本蓄積を行ったり、設備投資を行ったり、一生懸命勉強したり、一生懸命働いたりした結果として大変めでたいことなんではございますが、これが国内の需要を上回ってしまったためにここに逆のデフレギャップというのが発生してしまったわけでございます。したがいまして、今後日本経済が順調に、例えば二%以上の経済成長率を確保する ためには生産能力を高めるだけでは不十分でございまして、国内の需要を確立し、需要が主導するような経済成長をつくっていかなければいけない、こういうことが問題になってくるわけでございます。  以上、こうしたことを踏まえまして、それではどのような政策を先生方につくっていただくとうまく日本経済が回っていくかということに対して私の個人的な見解を述べさせていただきたいと思います。これはいささか夢物語の域がございますので相当大胆な意見が出てまいりますし、いろいろな思いつきを列挙いたしますので、中には相互に矛盾するものもございますが、先生方の議論のたたき台として使っていただければと思いまして、あえて相当大胆なことを以下言わせていただきたいと思います。  それで、今後の政策として、国際化の現状とまず見通しとして必要なことでございますが、国際分業とかフェアな競争条件とかいう点についてでございますが、これは一部の商品については競争がフェアじゃない、日本はアンフェアにやっているという海外からの批判がかなり強うございます。一部の商品というのは、例えばお酒に対する税金ですとか、あるいは食糧の輸入の問題ですとか、あるいは航空運賃などの許認可の問題ですとか、絹とか革製品とか、いろんなものについて海外から輸入制限をやっているとか、あるいは必要以上に許認可制をつくって輸入を抑えるようにしているとか、こういう批判を浴びているわけでございます。  それから、先ほど二番目に申しました国際競争力を強化するという点についてでございますが、まず問題になっておりますのが土地の問題でございまして、これは日本の土地の値段が非常に高いので、その分だけ日本で生産される商品やサービスの値段が高くなり競争力が将来において低下するのではないか、こうした懸念が持たれているわけでございます。  それから二番目に、先ほども少し話しましたが、必要とされる人材が七五年以前と以降とで変わってきましたが、日本の教育体制の方は依然として変わっていないので、具体的に言いますと、非常にキャッチアップ型の人材、つまり生産能力を高めるのに必要な人材がつくられていて、創造力にあふれた人材がつくられていないので、こちらをどういうふうに転換するか。今のままでやると、せっかく一生懸命教育していただいても、それが現在以降の経済のためには余り有効には役に立たないということになる懸念があるわけでございます。  それから三番目に、日本の労働時間が非常に長うございますので、こうしたことがいろんな点で問題になっております。例えば、非常に長い時間の労働に加えまして、東京の都心部当たりですと平均の通勤時間が片道一時間半、往復三時間になっております。こうしたことが続きますと、例えば平均の睡眠時間が七時間を切っているとかいう状態でございますので、国民の心身の健康が悪化するわけでございます。健康が悪くなれば当然これは労働力としての競争力も低下するわけでございます。さらに、労働時間や通勤時間が長いので、余暇に使う時間、レジャーに使う時間ですとか、買い物に使う時間が少なくなっております。こうした点から消費需要がなかなか盛り上がらずに内需の拡大が阻害されているという意見もございます。それからさらに、子供を育てたり、教育したりする時間、あるいは高年齢の方の面倒を見たりする時間、こうした時間も奪われているのではないか、こういったふうな意見があるわけでございます。  さらに四番目に、こうした問題のためにどういう政策が必要になってくるかということでございますが、まず最初に現在の経済環境と税金の問題というのが一つございます。これは、今政府の税制調査会あたりで大変に熱心に議論されているところでございます。今回の税制改正の引き金になりましたのはアメリカの税制改正であるわけでございます。ところが、アメリカ日本とでは実は国内の経済バランス、国内の需要と供給とのバランスが現在逆になっております。アメリカの場合には、アメリカ国内の需要がアメリカの持っている生産能力よりも大きい、つまり需要が生産能力を上回っている、インフレギャップが発生しているという状態が問題になっておりまして、これを改善する経済政策の一環として税制の改正も行われているわけでございます。  ところが、日本の場合には、先ほども申しましたように、現在のアメリカとは逆でございまして、国内の需要の方が生産能力よりも小さいことが問題になっております。生産能力の方が需要よりも大きいので、例えば商品が売れ残るとか在庫がふえるとか、こういうデフレギャップが発生しているのが問題になっております。ですから、ある意味では、インフレギャップを調整するためにとられているアメリカの税制改革と同じような方向を日本がとるというのは経済的な安定のためにはまずいことであるとも言えるわけでございます。経済的な安定だけをむしろ考えるのであれば、日本がとるべき税制改正はアメリカとは逆になるべきであるということが言えるわけでございます。  例えば、アメリカは、設備投資を盛んにして生産能力を高めようとして個人の所得税の累進税率を弱める、そうして比較的所得の高い人の税率を低くして所得の高い人の貯蓄を促進させようとし、その貯蓄によって投資を拡大しようとしておりますが、日本の場合には、同じようなことをやって貯蓄を高め、投資を拡大させますと、ただでさえ過大な生産能力がますます高くなって、ますますデコレギャップが大きくなるという現象に陥る危険性もございます。ですから、累進税率を緩和することが生産能力を高めるのに役立つのであれば、生産能力が高過ぎる日本はむしろ逆に累進税率を高くして生産能力を落とす方が経済的な安定のためには好ましいというふうに言えるわけでございます。もちろん、これは経済的な安定ということを第一義に置いておりまして、税制改正の目的が必ずしも経済的な安定ではなくて、例えば税負担の公正の問題ですとか、あるいは徴税の簡素化の問題ですとか、あるいは税制の中立化とか、こうしたところから行われているという点はもちろんあるわけでございますが、ただ、今の形の税制改正が行われた場合に、日米の経済構造の逆という経済環境がまずございますので、むしろ今の日本が陥っています経済的な問題点を逆に増大させる危険があるということを一つ申し上げておきたいと思います。  それから二番目に土地の問題というのがございます。日本の地価が下がらないのはもはや宿命的な問題であるというあきらめ気分すら世の中には漂っているわけでございますが、必ずしもそうではないのではないか。地価を下げる方法がもっといろいろ考えられるのではないかというふうに見ております。私、これから五つほどそれについて申し上げます。  まず一番目に、土地の供給をふやすというのがございます。日本の人口密度というのは実はそれほど高くございませんでして、ヨーロッパのオランダとかベルギーとか、あるいは香港とかシンガポールとか、こうした国々の人口密度の方が日本よりもはるかに高いわけでございます。ただ、日本の場合、例えば国土の八〇%が森林にされているという状態でございまして、利用されていない土地というのが相当あるわけでございます。もちろんこうした森林とか農地とか市街化調整区域というのは、例えば自然保護の問題ですとか、あるいは農業生産、林業生産の問題とかもありますので、無制限に開発してはよくないというのはこれは当然言われるわけでございます。ただ、現在の線引きの八〇%対二〇%というやり方が果たして妥当なのかどうかというのはもう一度考えてみる必要があるのではないでしょうか。自然保護の問題を十分に考慮した上で、将来のための自然保護と現在の国民生活の向上というのをはかりにかけまして、もう一度土地の線引きを見直して、もしそれによって可能であればもう少し多くの土地を開発させていただくとか、あるいは土地の固定資産税、現在いろいろな利用方法によってこれが分かれておりますが、これを公平にして、それによって土地の供給をふやすということが可能ではないかというふうに一つ考えられます。  それから、二番目の土地の値段を下げる手段といたしまして、現在の土地の値段を見てまいりますと、御承知のように東京の都心部並びに東京の郊外の高級住宅地だけが異常に値上がりいたしております。これはなぜかと申しますと、都心部に対するオフィス需要というのが高まっているからでございます。なぜ都心部でオフィス需要が高まっているかと申しますと、これは国会を初めといたしまして政治や行政の機能が東京の都心部に集中しているからでございます。したがいまして、企業は当然そちらに集まってまいりますので、人口も東京に集中するわけでございます。ですから、逆に、例えば政治や行政の地方への分権化を進めるか、もしくは議会並びに中央官庁の所在地だけを地方に移転させるか、こうした形で政治、行政機能を地方に分散させますと企業が地方に移転しますので、それに伴って人口が地方に分散するということが考えられるのではないかと見ております。そうしますと、地方の活性化、過疎地の活性化ということも達成できますし、例えば通勤に一時間半かかるという状態がもう少し改善されて、職住接近した状態になるということも可能になるのではないかと見ております。  ただ、この二番目のやり方は一つだけネックがございまして、例えば地方分権を行うにしましても、あるいは中央集権のまま議会や官庁の所在地だけを地方に分散させるにしましても、行政あるいは立法府の効率が低下する、こういう弊害は多少免れないところがあるだろうと思われます。  それから、三番目の土地の値段を下げるやり方としまして、二番目とは逆でございまして、むしろ東京への通勤圏をふやすという方法がございます。これは新幹線とか航空機とか高速道路ですとか、つまり高速度の交通網をどんどん拡大してきて通える範囲を広くするということでございます。ただ、このやり方をとりますと値段が著しくかかるということがございますし、さらには例えば地方に空港をつくったり新幹線をとめたり駅をつくったりしますと、その周辺の地価が今度は上がっちゃうという弊害もあるようでございます。  それから四番目のやり方といたしまして、現在土地の利用方法というのはある程度持ち主に任されているわけでございますが、これを相当大きく制限して、所有者の自由には土地を利用できないようにするというやり方でございます。こういたしますと、財産として土地を持っていることによるうまみというのがなくなりますので、値上がりを期待して土地を持っている人というのは比較的土地を手放しやすくなるのではないかと、こういうメリットがあります。したがって、土地の供給がふえるのではないかと考えられます。  ただ、これに対しては相当に多くの有権者から反対が出るだろうと考えられます。と申しますのも、日本の有権者、つまり選挙権を持っている人のうち大体六〇%が土地の所有者でございます。これはもちろんマンションなどの区分所有者も含めた数字でございます。さらにその六〇%の半分に当たります人々がささやかな土地を買うために借金を背負っております。ですから、この人たちのせっかくの財産に対して利用方法に制限をつけるということをやりますと、相当大きな抵抗がくるというふうに予想されます。  それから五番目のやり方として、既にいろんなところで計画されて考えられているわけでございますが、山手線の中を高層化しちゃって高層ビルを建てる、こういうやり方も考えられております。ただ、こちらも幾つか難点がございまして、例えば物すごく値段がかかるとか、あるいは山手線の中を高層化するのは結構だけれども、それによって日照とか通風とかあるいは下水道とか交通渋滞とか、こういった環境悪化が行われるのではないか。特に日本の場合には湿度が高うございますので、通風が阻害されたり日照が阻害されたりしますと環境衛生の問題、例えばネズミがふえるとかダニ、ゴキブリがふえるとか、こういう不安もあるというデメリットがございます。  土地については大体そんな五通りの土地の下げ方が考えられ、それぞれにメリット、デメリットがあるようでございます。  それから次に、「教育の国際化」というふうに書きましたが、先ほども申しましたように、今後必要とされる人材が過去百年間に必要とされた人材と質的に変わってきているという面がございます。こうした点にどういうふうにして対応していったらいいのだろうかということから少し意見を申し上げさせていただきたいと思います。  もちろん教育というのは必ずしも経済発展に必要な労働力をつくるということだけが目的でないのは言うまでもないわけでございます。ただ、教育の目的というのをもう一度ここで考え直してみた上で、さらになるべくならば有用な人材をつくった方が、経済発展に役立つ人材をつくった方が日本経済にとって、あるいは日本国民全体にとって役に立つばかりじゃなくて、一人一人の子供あるいは一人一人の人間本人にとっても役に立つことではないかというふうに考えております。  では、今の教育制度がどういう点で将来において問題になりそうかと申しますと、先ほども申しましたように、過去百年間の日本の人材育成というのは生産効率を上げるということを第一義に考えられてきましたので、比較的画一的な人材となるように教育されてまいりました。例えば生産ラインの中で一人の人が風邪を引いて休んでも次の人が幾らでも交代できるように、なるべく均質な労働力、同じようなものを考え、同じような言葉をしゃべり、同じような好みを示すようになるように教育されてきたわけでございます。それでそうした型にはまらない子供に対しては、例えば落ちこぼれというレッテルが張られたりしますし、あるいはそうした日本の教育にはなじまない海外で教育を受けてきた人の子供、帰国子女という言葉で言われておりますが、こうした人たちに対しては、おまえ日本人じゃないんじゃないかというふうないじめの問題も問題になってきているわけでございます。  こういう比較的画一的な人材、いつでも代替可能な人材をつくるという教育方法もある時点においては非常に重要な役割を果たしたわけでございます。先ほどから申しておりますように生産を効率化し、生産手段を考えるということのためにはこれは大変に役に立ってきまして、そのおかげで日本が高度成長を達成できたということもあるわけでございます。ところが、今後はそうではなくて、生産を効率化するというよりはむしろ今までとは全く違った発想のもとに新しい商品を考えるということが要請されておりますので、むしろ型にはまらない人材、こちらの方が求められているわけでございます。したがいまして今落ちこぼれと言われている人たちの方がむしろ将来においては有用な人材になってくれる可能性もあるわけでございます。ですから、こうした人たちが活躍できるような形に学校教育を少し変えていくという方向も必要なのではないかと考えております。  それで、例えばもう少し自由に学校を選べるようにするというのも一つのやり方でございます。公立の学校というのはほとんど税金で賄われておりますので、納税者である親に学校並びに先生を選ばせるというのも一つのやり方かもしれませんですし、あるいは私立の学校などは比較的公立の学校に比べますと特色のある教育方針をやっておりますので、こうした私立の学校と公立の学校とがフェアに競争できるような形にするというのも一つのやり方かもしれません。  例えばそのやり方としまして、現在公立学校のサービスというのはほとんどただに近い形、つまり無償に近い状態になっておりますが、こうした状態をやめまして、例えば公立学校のサービスを有償化し、私立の学校と競争条件においてフェアにする、そしてその上で親が自分の判断に基づいて学校を選択できるようにするというのも一つのやり方かもしれません。もちろんこういうやり方をとりますと、所得の低い人は教育を受けられなくなるという問題が出てまいります。こうしたことに対しては、例えば義務教育就学児童を抱えている親に対しては税金の扶養控除額を極めて大幅に拡大するというやり方によって救済することはあるいは可能ではないかと思っております。  それからさらに、現在いろんなところで学校教育が相当に管理的、画一的になっていると言われている理由の一つとして、学校の先生に対する締めつけがきつくなっているという意見もあるようでございます。これも、学校教育というのがそもそも納税者の負担によってなされているという原点にかんがみますと、例えば教育委員というのを公選制にするというのも一つの方法かもしれませんし、そうした公選制にした教育委員会に学校の教師の勤務評定をゆだねちゃうというのもあるいは一つの方法かもしれません。  また、こんなようなやり方をしますと質にばらつきができるんじゃないかという意見が出てまいると思うのでございますが、そうした場合に備えて、例えば資格試験を強化する、義務教育修了認定試験とか、そんなようなものをつくって、それによって最終的なチェックを行う、こういったことも可能なのではないかというふうに考えております。  もちろん私、教育問題の専門家じゃございませんので、あくまで経済的な側面から教育について仮はコメントするとすればこんなような意見もあるのではないかという思いつきにすぎないわけでございます。  それから四番目に、食糧とか流通機構の問題がございます。こちらについては、現在フェアじゃないとか、もっと自由化すべきだとかいう意見が相当に高くなってきているわけでございます。これもある程度自由にして、生産者の創意工夫が生かされ、なおかつ消費者の利益も得られるような形にするのが望ましいのではないかというふうに考えております。例えば食糧の自由化をいたしますと確かに値段が安くなりますので、消費者の方はまずプラスになります。一方、生産者の方はそれによってマイナスになるかといいますと、必ずしもそうじゃございませんでして、例えばそれによりまして、それぞれの地方で、それぞれの生産者が自分たちに有利な作物をつくるというふうな形にできますので、今のように作付面積や作柄までいろいろ制限されているという状態よりはむしろ生産者にとってもプラスになる面が多くなるのではないかと考えております。これは商業、小売業の調整の問題についても同様でございまして、例えば現在営業時間とか売り場面積が制限されておりますが、これももう少し自由にして構わないのではないかと見ております。  それから、労働時間の短縮についてでございますが、こちらの問題についてはきょうの新聞なんか見ていますと、労使の話し合いに任せるべきだという意見も相当多いようでございます。ただ、こちらは御承知のように、今のような不況の状態でございますと、人手が余りておりますので、労使の話し合いに任せておきますとどうしても労働側が不利な状態になってまいります。労働時間はなかなか短縮いたしません。労働時間の短縮というのは、単に労働者側を有利にするというだけじゃなくて、国内の内需を拡大するという点でも大きな状況を持っておりますので、この点につきましてはもう少し行政もしくは立法が主導して労働時間の短縮ということに力を注がれてもよろしい時期ではないかというふうに考えております。  以上、時間が超過したようですのでこれで終わらせていただきます。どうもお世話さまでございました。(拍手)
  34. 坂野重信

    ○理事(坂野重信君) まことに有意義なお話をありがとうございました。  以上で小沢参考人からの意見聴取は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行います。  質疑のある方は会長の許可を得て順次御発言を願います。
  35. 及川一夫

    ○及川一夫君 大変有意義と同時に興味ある御発言をしていただきましてありがとうございました。  二、三、ちょっとそういう意味でお尋ねしたいと思うんですが、小沢先生が言われた幾つかのことがあるんですけれども、特に我が国にとって、国際化という問題の視点から見て一体何が足りないかという前提に立つと、今まで先生が言われたものに順位をつければ、一番大事なものはこれで、その次にこれとこれぐらいはというようなものが先生のイメージの中でありましたら教えていただきたいということが一つ。  それから二つ目には、一体我が国は先進国に比べて何が一番おくれているというふうに思いますかということなんですが、その点についてお考えがあったらお願いをしたいというふうに思います。  同時に、今お話を聞いていて、一番我が国にとって大事なことは何かなというふうに考えると、余暇というものに対する理解、それから余暇というものに対してどういう対応をすべきかというようなことについて、どうも決定的におくれているような気がするんですが、私から見ると。ですから、労働時間の短縮も当然なんですけれども、労働時間の短縮を幾ら言っても、あくまでもそれは労働時間という側面しか見ない。労働時間を短くするということは、逆に余暇がふえてくるということになるわけですから、むしろ逆に余暇をどうやって暮らすのかという、余暇というのはどういう意味合いがあるのかという、八十歳人生だということに今なってきているわけですから、私の計算によれば八十歳まで生きていくということは、余暇時間にすると三十二万時間というふうに言われて、労働時間よりも、寝る時間よりも、余暇時間が一番多いという計算が実はされてくるわけですね。ですから、余暇というものに対してどういう認識と理解を持ってみずからどう対応するのかという、その辺の国民的な確立というものがないと、今いろんなことを先生に教えていただきましたけれども、何をとっても中途半端になってしまうじゃないかというような気がしてしようがないんですが、その立場から私は御質問申し上げていますので、先生の御見解があったら聞かしていただきたいというふうに思います。
  36. 小沢雅子

    参考人(小沢雅子君) まず一番目の国際化のために優先順位をつけるとどうなるかという御質問に対してでございますが、今一番必要とされている、つまり一番早く解決しなければならない問題というのは、恐らく海外から競争条件がアンフェアだと思われている諸問題について何らかのアクションを起こして、実際にだれから見てもフェアな状態にするというのが最も望ましいわけでございますが、なかなかそこに到達できないとすれば、少なくともフェアだという印象を与えるということが一番早急に行わなければならない点だというふうに考えております。ですから、優先順位の一番目はフェアな競争条件の整備、もしくはフェアな競争条件の整備に向けてかくかくの努力をしているというアピールを海外に向けてする、これが必要だというふうに考えております。  それから二番目の日本が一番おくれているという点は何かという御質問でございますが、これは私は土地の問題であると考えております。これがさらに長期的には一番重要な問題、一番のガンになってくるというふうに考えております。今日本経済成長率が非常に高いとか、あるいは日本の潜在成長率が非常に高いというので海外企業、特に証券とか銀行などを中心に海外の金融機関がどんどん東京に進出いたしております。そのために先ほども申し上げましたように、東京のオフィスビルの需要がふえ過ぎまして、土地の値段が上がっているという面があるわけでございます。ところが、土地の値段が余りに上がりますと、これは当然のことながらオフィスのテナントの家賃の上昇となってはね返ってまいります。テナントの家賃が高くなりますと、東京で生産する金融サービスというのは非常に割高なものになるわけでございます。そうしますと、当然これは、例えばシンガポールと競争して勝てなくなるとか、ロンドンとかニューヨークと競争しても勝てなくなるとか、こんなふうな状態になってまいります。ですから、土地の問題を今このまま放置しておきますと、日本国際競争力というのが遠からず土地の高さというのをネックにして落ち込んでいく可能性が非常に強いというふうに考えております。  それから三番目に、余暇の過ごし方という点について御質問があったわけでございますが、通常余暇と言われますと、例えば労働時間と睡眠時間を除いた全部について余暇という言われ方をする場合もあるわけでございます。ところが、働いていない時間、眠っていない時間が全部余暇かと言いますと、これ決してそうではございませんでして、例えば乗り物に乗っている時間なんていうのがございます。これが近年非常に高くなってまいりまして、例えば首都圏の場合ですと一日平均三時間と、こういう数字になっているわけでございます。ですから、二十四時間のうち、例えば八時間働いて八時間眠れば八時間が余っているじゃないかとか、三、三、三で分けられるじゃないかというふうな意見もあるんですが、この残りの余暇の八時間のうち三時間が睡眠であるとか、二時間が食事であるとか、一時間がおふろであるとか、こんなふうにとってきますとだんだんと少なくなってくる、こういう点があるわけでございます。こうしたいろんな生活に対する必需時間みたいなものが非常に多うございますので、なかなか本当に遊ぶ時間というのはないわけでございます。  それからもう一つ、余暇をどう過ごすかについての国民的コンセンサスという御意見もあったわけでございます。確かにそれは余暇を人に遠慮なく過ごすためには大変に重要な問題になってくるわけでございます。ただ、私の個人的な見解について言いますと、本当の意味での正味の余暇ですね。食事とか、移動とか、おふろに入るとか、そういう生活必需時間を除いた本当に自分の自由になる時間というのは、これはその人その人が好きなように使うのが一番望ましいのではないか。こういうふうにして遊びなさいというふうに押しつけられると、だんだんそれが自由な時間じゃなくて義務になってまいりますので、全くフリーにしてあげるのが一番望ましいのではないかというふうに考えております。  それでは、そうした余暇をふやすためにはどうすればいいかという点でございますが、先ほども申しましたように、今の状態は不況でございますので、なかなか余暇時間がふえないような感じになっておりますので、やはり労働基準法を改正するなり何なりして労働時間を短縮するということが必要になってくるのではないかと考えております。  以上でございます。
  37. 小野清子

    ○小野清子君 先ほど天谷先生の方からは、日本の場合は外国基礎科学の面では大変依存しているところが多いので、その辺は政府の大きな役割が必要であるというお話が出てきたわけです。片や、今独創的な教育体制というものが出てきて、私ども教育界で今一番言われているのは、個性を伸ばす教育あるいは独創性の教育というふうなことが言われているわけです。先ほどのお話の中でも、七五年以降というのは新しい商品を考える人材育成というものが必要であるという、考え方によっては教育そのもののすべての何か見直しがきょうのこの国民生活の会議の中で出されてきたような、そんな感じを持って拝聴さしていただいたんです。人材育成のための、今臨教審も教育問題いろいろ討議していらっしゃいますけれども、端的にお考えになられて、いわゆるこれからの教育の改正に当たってどういう点を一番改良されていかなければならないか、大ざっぱで結構ですけれども、感触をちょっとお聞きかせいただきたいと思います。
  38. 小沢雅子

    参考人(小沢雅子君) 先ほども申しましたように、私は教育の専門家じゃございませんので、教育理念とかそういう大きなことは余りお答えする立場にはないわけでございますが、例えば本人にとっても幸福であり、なおかつ日本経済にとってもいいような形で人材を育成するという観点から教育について考えますと、先ほど小野先生の方から個性の尊重、個性を伸ばすというお話があったんでございますが、なるたけ自由にしてやるのが一番個性が伸びるのではないかと考えております。もともと人間というのは、ここにお集まりの先生方もお一人お一人お顔だちも違えば背の高さとか体重とか体つきも違いますし、お好みの色とかお料理とかそういったことも違っておりますので、一人一人違っているわけでございます。ですから、ほうっておいても全く個性的なわけでございます。  ところが、従来の教育というのは、ともすればこうした個性をある一つの型にはめようとして抑制してきた面がなきにしもあらずだというふうに思っております。そうして、ほうっておけば全く自由奔放になる個性を矯める、あるいは訓練する、しつける、一つの型にはめるということが教育だというふうにとられてきたように思っております。もちろん教育にはそういう要素も必要であるということは十分私も承知いたしておりますが、ただ経済情勢の変転を見ますと、一九七五年ごろまでは個性を抑えて一つの型にはめるという形の教育に対する重要性が非常に要求されていた時期であったけれども、七五年以降今日については型にはめることに対する経済的な要請はどんどん減ってまいりまして、逆にほうっておいて自由に伸び伸びさせるということに対する経済的な面からの要請も強くなってきているんではないかというふうに考えております。
  39. 小野清子

    ○小野清子君 感触として、感覚的にはよく理解できるんですけれども、現場の教育者にとっては一番難しい問題点じゃないかな。先日、私も日曜日の朝テレビを見ておりましたら、例えば日本の学校給食の場合には、嫌いなものがあると次の時間まで越してもそれを食べさせるというのがいい教育だという、そういう体制が行われているわけですね。朝のテレビを通して聞きましたら、アメリカの教育と日本の教育の違いは、向こうは週間別の献立が出てくるわけですね。そうすると、この日は私にとっては嫌いなおかずの日だというと弁当を持っていくことが自由だという、これが本当の自由の教育だと言われて、私も相当管理者的な感覚で今まで生きてきたのかなという、そんな気持ちを持ったんですけれども、この自由という言葉のたがをどこまで自由として考えて、どこまでを個性として見るかというのは非常に大きな問題で、ここでは結論の出ない問題だと思いますけれども、自由とか個性尊重という言葉は非常によく、あるいは安易に使われる割に、それが具体的にどう教育的に体制づくりの中でとられるかということになると本当に難しい問題ですね。これは国民性とかやはり歴史的な背景もあろうかと思いますけれども、まさに答えは私もわかりませんけれども、非常に難しい点だと思いますけれども、それだけにちょっとお伺いしてみたかったわけです。
  40. 坂野重信

    ○理事(坂野重信君) 今のは答えは要りませんか。
  41. 小野清子

    ○小野清子君 結構でございます。
  42. 大塚清次郎

    大塚清次郎君 ただいまいろいろ示唆に富むお話を承ったわけでございますが、そしてこれは国際化という一つのテーマの中でのお話だったわけでございますが、問題は、今政策課題として最後にまとめられましたいわゆる税制の問題、私も本当にこれはそういう意見もあるのかなと思いますが、アメリカ日本を比較して、ただいまインフレギャップの中にあるアメリカの税の減税、税制の改革、それに調子を合わせたような、日本はデフレギャップと、全く相反する環境条件があるわけでございます。そうした場合、確かにそういうことでございますけれども、直間比率、直接税と間接税の比率、一般的に非常に日本は間接税のウエートが少ない、これを是正するという一つの税制改革の今度の眼目があるわけですが、これとのかかわり合いはどうなっていくのかというのが一つでございます。  それから第二点では、今小野先生との質問のやりとりにも関連いたしますが、従来日本経済がここまで発展してきましたにつきましては、やっぱりキャッチアップ型の人間、これを均質化してつくっていって、そしてここまで日本経済発展した。今後はこういうことでいけないので、創造力に富む人を教育しつくっていかなきゃならぬということですが、これが一面では非常に危険な要素もはらんでいるんじゃないかと思います。と申しますのは、日本は御承知のように土地が高い。非常に狭い国土で、八〇%が山。もう非常に狭い、国際的に見た場合。それから資源がもうほとんどないんですね。土地がない、資源がない。いわゆる加工組み立て型の産業、これに依存して今ここまで経済力が上がったわけでございます。そういうどうしても償い切れないハンディキャップがあるわけですね。  そこで、我々がよく海外に行きまして外から見た場合、なぜ日本はここまで経済力が発展したかといいますと、それは平均的に器用であるということが一つ、それから物まねがうまいということ、模倣がうまいということが一つ、それから勤勉であるということが一つ、その三つが日本の現在の経済力の発展につながったと、こういうことを実感で今まで持っておりましたが、国際化をやるためには今後に対してはこういうことを一応切りかえていかなきゃならぬ。果たしてそれで日本の国が国際競争の中で、フェアな状態の中で現在の繁栄を維持できるだろうかと、こういうことを考えるわけですが、その点についてひとつお伺いしてみたいと思います。
  43. 小沢雅子

    参考人(小沢雅子君) まず直間比率の問題についてですが、税制の経済的な効果だけに絞って申しますと、まず間接税のウエートが高くなりますと、これは当然のことながら消費を抑制する働きをいたします。したがいまして、内需の拡大という政策目標とこれは逆方向に行くと、まあ一部矛盾する面が出てくるように見ております。  それから二番目に、キャッチアップ型の人材育成をやめちゃうと、恐らく大塚先生のおっしゃいたかったのは外貨が稼げなくなるんじゃないか、こういう御意見ではないかと思うんですが、むしろ逆ではないかと私は考えております。キャッチアップ型人材育成によって明治以来百年間、一九七五年までに日本が外貨を嫁げたのは、そもそも既に欧米諸国がいろんな商品をつくってくれていてそれをまねすればいいと、商品を開発するというところは海外のどこかの国がやってくれていて、日本は商品を開発するという創造力が必要な仕事はやらないで、ただ、できた商品をいかに効率的につくるかという手段が必要で、先生の御意見に従いますと器用さ勤勉さが物を言う部分だけを担当することが可能だったわけでございます。  ところが、七五年以降世界経済の構造が変わりまして、もはや日本が外貨を獲得するためには既に世の中に出回っている商品を器用につくるということでは無理でございまして、今全く世の中のどこにもない、しかしもしこの商品をつくり出せば世界じゅうの人がきっと買いたいと思うであろうような商品をつくらなきゃいけない。極端に言いますと、無から有を生み出さなければならない時期に達しております。無から有を生み出すことに日本がうまくいかないとすればだんだんと外貨は稼げなくなります。したがって、大塚先生のおっしゃる加工貿易国日本は生きる道を失っていくわけでございます。ですから、大塚先生がおっしゃるように、加工貿易国日本として生きていくためには、むしろここで発想を転換しなければいけない。そのためには無から有を生み出すようなクリエーティブな人間をつくらなければならないのであって、今までのようにキャッチアップ型の人間をつくっていては売れ残り商品の在庫の山ができでしまう可能性がある、そんなふうに経済の構造が変わってきたのではないでしょうかというふうに考えている次第でございます。
  44. 大塚清次郎

    大塚清次郎君 ちょっと私の言い方が余り御理解願えるような尋ね方でなかったように思いますが、これはもう単に今までの日本人の非常にいいところ、これをいきなり捨て去ってそっちに転換しろということになると非常に問題だから、やっぱりキャッチアップ型の特性というものは持ちながら、器用、物まね上手、それから勤勉さ、これを失ってはならないと思うんですね。ですから、創造性というものは色濃く出していかなければなりませんが、どうも右か左かということに割り切り過ぎちゃいけないのじゃないか。というのは、すべて加工組み立て型の日本の得意とする工業にしましても、やはり資源がないんですから、土地は限られているんですから、どこかに土地を、例えばブラジルあたり買い込むとか何とかということであれば別ですが、これはなかなか日本に基礎的なものがないから、いきなりそういうふうに転換するとこれは容易じゃない、こういうふうに私は見ているんですが、その辺の兼ね合いをどうしていくかということです。
  45. 小沢雅子

    参考人(小沢雅子君) 確かに先生のおっしゃるとおり、器用さとか勤勉さとかというのは別に捨てる必要はないと思います。ただ、クリエーティブにやるということは、別に土地とか資源をむだ遣いするということじゃなくて、むしろより付加価値の高いものをつくるということでございますので、逆に言いますと土地や資源というものは余り使わないで、むしろ人間の手とか頭とかで稼ぐ、平たく言えばこういうことになるのではないかと考えております。
  46. 高木健太郎

    高木健太郎君 最初にまとまってお話をいただきましてありがとうございました。先生の論文という論文は読んだことはございませんが、中央公論だとかその他で対談とかを少し読ませていただきました。その中で、先生のものでお読みをしておりますと中流意識というのがあるわけですが、どうも中流意識というものが私にもはっきりしませんが、本当の上流意識というものは日本でいうと何%ぐらいあるのか。一〇%ぐらいと書いてあるように思いますけれども、日本人に中流意識が非常に多いというのをどのように分析されておられますか。  それからもう一つは、現在は消費の時代とか女性の時代とか言われているけれども、実際は豊かな時代の後に来た不況時代であるというように先生はおっしゃっておられます。だんだん不況の中へ入っていくんじゃないかという寂しさをちょっと感ずるわけなんですけれども、女性が職場に進出してきたということは、一つは女性のいわゆる人間としての意識が高まったというふうに考えられますが、もう一方では何だか経済的に少し押し込まれて、それでやむを得ずパートででも働かざるを得ない、あるいはもう少し家計を豊かにしたいというような女性の意識であるとか、あるいはそれだけまだまだ豊かではないのか、そういうことについてどう思われておるんでしょうか、これが第二点目です。  三つ目には、マネーゲームあるいはハイテクというのが盛んでございますが、かなりのお金を持っておる人は余り働かないでマネーゲームをやっているんじゃないか、これはいわゆる労働というものの価値を下げていくんじゃないかという心配もしているわけです。この点についての御意見。  それからもう一つあるんです。いわゆる教育とそれから労働の質が変わったということですが、教育がある程度の効果をあらわすのにはかなりの年数がかかると思いますけれども、今からやり始めてそれが効果をあらわすのに、日本が現在の何か締められつつあるような窮境を抜けるのにそれで間に合うだろうかということです。  それからトヨタとかそういう大きな企業でやっているQCというのは、クオリティコントロールですが、クオリティコントロールというのは、私は一つの創造性を引き出すためのブレーンストームだと思いますけれども、学校では余りもう役に立たないが、企業に入ってからの創造性というものの発揮はどういうふうにお考えでしょうか。  雑然とした質問で大変失礼でございますが、先生のお考えだけを話していただければ結構でございますけれども。
  47. 小沢雅子

    参考人(小沢雅子君) まず、一番目の中流意識でございますが、これは依然として高いと言われております。これは御承知のように、お宅の暮らし向きは次の五つのうちどれですかと言いまして、まず一番目に上という項目をもってきて、二番目に中の上というのをもってきて、三番目に中の中、四番目に中の下、五番目に下とありまして、この五つから一つ選んでくださいという質問です。そうしますと中という項目が真ん中に三つございますので、どうしてもこの部分が多くなりがちである。つまり、ある意味では、上中下と三つをフェアに並べて一つ選ばせるというのではなくて、中の方がどうしても多くなるような形に並ばせて、それで多くなっているという、こういう結果でございます。ですから、多かれ少なかれ、五つのうち三つが中ですから、どうしても中が多くなるという点が質問のやり方自体の中に含まれているわけでございます。  それから、女性の職場進出が豊かさの証明かどうかという話ですが、これは私も書きましたように、七五年以降は非常にふえてきております。どういうところでふえてきているかといいますと、パートタイマーとかアルバイトとか内職とか、こういったところでふえておりまして、こうした人たちの時間当たりの賃金というのは、いわゆる正社員という人の賃金に比べますと半分以下のような数字になっております。にもかかわらず、こういった人たちが働かなければならないというのは、やはり七五年以降お父さんとかだんなさんの賃金がふえなかったり、あるいは住宅ローンの重さが重くなってきたり、教育にお金がかかるとか、あるいは老後が心配になってきているとか、こういう問題が少なくないんじゃないかと考えております。  ただ、最後に高木先生が教育の問題、教育が実を結ぶには時間がかかるとおっしゃいましたが、これも多少あるのではないかと思っております。戦後四十年たっておりますので、終戦当時に小学校の教育を受けた人、新憲法のもとでの教育を受けた人たちが今ようやく四十代から五十代ぐらいになっております。ですから、男女同権思想を物心ついたときから身につけてきた人たちが今ようやく社会の中堅になったということがございますので、こうした女性の方々が、四十代、五十代の方々が特に多く職場に進出していらっしゃいますので、やはりここに教育の効果というのがあらわれていると見ることもできるのではないかと考えております。  それから、マネーゲームについてでございますが、これはまず、基本的に、先ほども申しましたように国内がデフレギャップになっておりますので、お金が余っているという状態がございます。余ったお金を何とか使おうとして勤勉に考えた結果マネーゲームになっているのではないか、そんなふうに見ております。  それから、先ほどマネーゲームがはやると労働に対する尊敬がなくなるんじゃないかという御意見があったわけでございますが、労働というのは必ずしも肉体労働だけが労働じゃございませんでして、手を使ったり足を使ったり、筋肉を使うだけじゃございませんでして、頭を使ったり、中には胃が痛くなるようなストレスを抱え込んだりするというやり方もまた労働の一つではないかと私は思っております。マネーゲームも、それを趣味でやっているのならともかく、例えばファンドマネージャーみたいな形で、多額の金品を預けられて収益一〇%ずつ出せなんて言われますと、それだけのノルマを上げるために、やっている本人としてはそれこそ胃潰瘍になったり胃がんになったり、あるいは偏頭痛を起こしたりして、相当苦しみながらやっているという面がございますので、これはある意味では、先ほどからも申し上げておりますように、需要の構造が変わり、職業の種類が変わったがために労働の種類も変わったという一例ではないかと考えております。  それから、教育の年数については、確かに高木先生がおっしゃるとおりでございまして、小学生の子供を教育してあしたからすぐ役に立つわけじゃないことは言うまでもないことでして、最低でも二十年はかかるという大変重要な問題でございます。したがいまして、教育問題の御専門の方が、余り経済的な要請云々というのを教育の現場に持ち込むな、今は、例えばクリエーティブな人材が必要だといってにわかに小学校で創造力育成のための教育をやったとしても、その人たちが大人になる二十年後にはまた経済構造が変わっているかもしれない、確かにこういう点はあるわけでございます。ですから、経済的な面から教育について発言するというのはあくまで参考意見一つということでございまして、教育については、やはり御専門の方が主導権を持って御研究なさるべきだというふうに考えております。  それから、企業のQC活動についてでございますが、これはむしろ学校教育以上に企業人としての同質化を強いる教育という点がございまして、必ずしもそこからはクリエーティブな発想というのが生まれていないというのが現状のようでございます。ですから、企業におけるQC活動というのは、同質な、均質な事業、何々企業の人間というカラーを色づけるのに役立っておりますので、それによって、先ほど大塚先生がおっしゃいましたように、キャッチアップ型の人材、生産効率を高める人材をつくるという点では非常に役に立っているわけでございますが、では、画期的な新商品を生むのにQCが役立つかというとこれは必ずしもそうじゃございませんでして、そのためにどの企業も必死になりまして外部のアイデアをお金を出しても募集している、こういった事態のようでございます。  以上でございます。
  48. 三治重信

    ○三治重信君 民社党の三治でございます。  最近、七五年以降日本で非常にデフレギャップになっておる、これは私もそう思っておるんですが、このデフレギャップをどういうふうに解消していくかという対策というものについて、政府が先頭を切って内需拡大していくのか、それから個人に消費の拡大をどうしてやらしていくのか、あるいは生産力を海外へ早く移して、そうして日本の生産力を少なくしていくか、そんなようなことだろうと思うんですけれども、デフレギャップの解消の策というものについてどういうふうな段階で解消したら一番いいと思われますか。
  49. 小沢雅子

    参考人(小沢雅子君) まず、デフレギャップについてでございますが、これは、一番お金がかからなくて効果が高い方法というのは、先ほども述べましたように労働時間を短くするということ、それとあわせて営業時間を自由化するということ、この二つをやるとかなりの程度の需要が見込まれるのではないかと考えております。  労働時間については、例えば、労働基準法を改善いたしまして所定内の労働時間を短縮するというのをまず一番目にやるのが労働時間短縮に役立つように思われます。今一日八時間、一週間で四十時間というふうになっておりますが、これを例えば西ドイツ並みに一週間三十七・五時間にするとか、あるいは一日七・五時間にするとか、こういったことにするということは十分可能なラインではないかと考えております。  それから二番目に、日本の場合には、所定内労働時間もさりながら、時間外労働、つまり残業が長いというのが非常に問題になっております。時間外労働が長いというのはなぜかと申しますと、人をふやすよりも同じ人を時間外労働させた方がコスト的に安くなるからでございます。ですから、もし時間外労働を減らそうとするのであれば、逆になるように、つまり、時間外労働をさせるよりも人をふやした方が企業にとって得になるような形に仕組みを変えていくしかないだろうと考えております。  具体的に申しますと、時間外労働に対する割り増し賃金率というのがございまして、これは現在のところ八時間を超える労働に対しては通常の賃金の二五%増しの賃金を払わなければいけないという規則になっております。この二五%という割り増し賃金率は、西ドイツ、アメリカあたりの五〇%、一〇〇%という数字に比べますと低い数字でございますので、例えばこれを五〇%にするだけでかなりコスト的に違いが出てきますので、時間外労働は減り、逆に人をふやす、つまり、雇用がふえるという効果が生まれるのではないかと考えております。  それから、有給休暇が、やはり日本の場合には、まず初年度の有給休暇の日数が十五日と少ないという点が一つと、有給休暇をとる人が、有給休暇は一応二十日与えられているんだけれども、なかなかとらないという問題があるようでございます。この問題については、例えば同盟の方なんかもかなり力を入れてやっていらっしゃるようでございますが、有給休暇の下限、初年度十五日というのを例えばもう少し高くして十八日ぐらいにするとか、あるいは同じように二十日にするとか、こういうやり方も一つの方法でございますし、それからさらに、例えば有給休暇を十分にとらせなかった企業とか、あるいはやみ残業をさせた企業、つまり、残業しましたと申告しないで、残業手当をつけないで残業をさせてしまった企業に対しては何らかの罰則を科する。財政難の折ですから、例えば税金をかけるなんというのも一つの方法かもしれないと思っております。  それから、今問題になっておりますので育児休暇というのがございまして、これが十分にとれないためになかなか子供がつくれないでいる、あるいは子供をつくっても十分に面倒を見ることができない、こういうのが問題になっていますので、やはり育児休暇の法制化というのも問題になるんじゃないかと考えております。  ただ、以上のようなやり方をやった場合に企業にとってかなりコストアップになりますので、特に中小企業などの場合には問題が出てくるかと思われます。そうしたことに対する例えば見返りとしまして法人税の減税なんというのも考えてもよろしいんではないかと、私の個人的な意見としてはこんなようなことを考えております。ただ、労働時間を減らしましてもその部分お店が休んじゃいますと買い物ができなくなります。ですから一人当たりの労働時間は以上申し上げましたようなやり方で減らした上で、お店自体は人をやりくりして、例えば交代勤務をするようにしてずっと年中無休でやっても構わないんじゃないか。例えば月曜日と火曜日を休みにしてその日に買い物に行くとか市役所に用足しに行くとか、こういったふうにすればいろんな消費者の時間ぐりもやりやすくなりますし、内需も拡大するんではないかと考えております。
  50. 吉川春子

    吉川春子君 小沢参考人にお伺いいたします。きょうはどうも御苦労様でございます。私は日本共産党の吉川ですが、まず最初に中流意識の揺らぎについて伺います。総理府国民生活に関する意識調査で、先ほどお話もありましたようにその調査のやり方自体に多少問題はあるわけですが、それでも去年と比べてみますと中の中が減り中の下、下がふえています。また昨年に比べて生活が向上している人が七・九%、低下している人が二〇・三%。そしてその向上している人は生活程度が高い人ほど割合が高くなっている、こういう事態について今後ますます所得、資産の格差が増大し、あなたの唱えていらっしゃる階層社会がより進行していくと考えられるんじゃないでしょうか。参考人の御意見によりますと大衆社会から階級社会へあるいはその逆に移行する過渡的状況が階層社会というふうにおっしゃっておられるわけですが、中流社会の揺らぎがさらに進めば日本はどういった社会に向かって進んでいくんでしょうか。それが第一点です。  それから二番目は、これもお話の中でも一部触れられておりましたけれども、労働省の購買力平価を物価水準から見た試算が発表され、一ドルが二百三十一円であるということが発表されています。特に日本で割高な食料、住居費、光熱水道費のうち深刻な大都市圏を中心とした土地の価格の高騰により住宅問題がさらに深刻になっていること、また賃金水準についても時間当たり日本が千三百十五円、米国が二千四百十九円、西ドイツが二千五百十三円で大きく差があります。この点で日本国民生活は決して豊かとは言えず、賃金水準の向上、また賃下げなしの時間短縮が特に必要だと思うわけですが参考人の御意見を伺いたいと思います。  それでさっき土地の問題でお話があったわけですけれども、光熱水道料、食料など国際的に見て割高な商品の価格を下げていくためには政府並びに企業はどういうことをしなければならないのか、それが第二点です。  それから第三点は、これも参考人が書かれているんですが、不況から脱出する方法として財、サービス供給を減らすことを挙げておられてそれが労働時間の短縮だということで今お話がありました。労働時間の短縮というのは非常に緊急な課題であると思います。あなたは雇用機会均等法が男性労働者の救済に効力を発揮しそうだと言っておられるわけですが、労働時間の短縮という点から見て私はこの法律はいろいろ問題があるのではないかと思うのですがその点いかがでしょうか。  それから不況を克服するもう一つの方法として購買力の低い人に購買力を与えて需要をふやす方法として累進課税の強化、社会保障の充実で所得の再配分機能を高めるということを言われた中で、現在進められている政策はむしろ逆に所得の再配分機能を弱めようとしているというふうに指摘されていますが、これは具体的にどういうことを指しておっしゃっておられるのか、その点についてお考えをお聞かせください。
  51. 小沢雅子

    参考人(小沢雅子君) まず、中流意識が揺らいで中の下がふえてきたという御意見なんですけれども、これは確かにここ十年ぐらい揺らいでいるようでございます。やっぱりこの根拠にありますのが不況でございまして、不況によって世の中で人手が余ってまいりますと生産性の差の分だけ賃金の上昇率に差が出てまいります。これは企業の側からいいますと当然のことだということになるわけでございますが、一方働いている人の側から見ますと所得に差が出るのは歴然としてまいりまして、隣の生産性の高い会社で働いている人が十万円賃金が上がったけれども、うちのお父もゃんの会社は生産性が低いので賃金が上がらないなんというのが二、三年も続きますと、歴然と格差が出てきたななんて思うわけでございます。こうしたのが最近になってはっきりあらわれてきて、中の中が減って中の下がふえてきたということがあるんではないかと考えています。こうした所得の格差というのは、どうしても人手が余っている状態が続きますと拡大する傾向にあるわけでございますので、だんだんとその意識の方でも格差が出てきたなという感じになるのじゃないかと思います。ただ、これがはっきりといろんな生活様式すべてにわたって意識の変化があらわれるまでには一世代の代がわりぐらいが必要なのじゃないかと見ています。  先ほど高木先生の方から教育の効果に時間がかかるとおっしゃいましたが、それと同じようなことでして、家庭の中における教育、これは教育というふうな意識を持たずに親が自然にやっている生活スタイルの継承というのにもやはり時間がかかりますので、子供が大きくなって代が一代かわるまで二十年ないし三十年ぐらいはかかるのではないか。あるいは経済の実態からおくれるのではないかと考えております。  それから、海外に比べて日本の土地とか光熱費が高いとかあるいは賃金が低いとかという問題でございますが、これもかなり前から言われておりました。為替レートが円高になりますと日本の生活水準というのは相当に上げ底状態になりまして、ドルベースでいきますと高く表示されますし、これが逆に何らかの業種で円安になりますとどどっと落ち込むということがございます。一人当たりの国民所得なんというのでとりますと、円高のときには世界じゅうで第九位ですなんということになるのですが、為替レートが安くなると一気に十七位になる、こんなような状態があるようでございます。全体でならしてみますとやはり労働時間が長いことですとか住宅コストがかかる、あるいは食料費が高いとか、こうした点においてやはり生計費が割高になっているので、経済的に見れば先進国に比べて特別豊かな生活というのでもないということが言えるように思います。こうした状態をもう少しよくするためにはある程度企業なりあるいは生産者に競争をさせて、それによって価格を下げるという方法が有効ではないかと考えております。  それから三番目の機会均等法の話でございますが、これは御承知のように最近女性の労働力がふえまして、こうした人たちがパートとかアルバイトとか内職とか比較的安い賃金で働いているわけです。企業にすれば人件費というのもこれはコストでございますので、やはり安い賃金で働く人がいればその人を使った方が得になるという判断が成り立つわけでございます。そうしますと男の労働者を一人雇うよりも女性のパートを一人雇った方が賃金は半分以下で済むと、こんな状態になっておりますので女性のパートタイマーをどんどん雇う、こういうふうになっています。ですから、逆に機会均等法というのができまして、同じ職種については同じ賃金を払わなければいけない、あるいはこれはまだパートタイマーについては何ら今の均等法はコメントしてないのですけれども、パートタイマーについても同じような条項が及ぶとすれば今度はその競争において女性のパートタイマーと男性のフルタイマーがイーブンになるわけですから、企業にとって女性は安いというメリットがなくなりますからまた男性の方に行く可能性もあるんではないかと見ております。  それから今の税制改正が逆に所得の低い人に対して増税になるというのは、例えば本間正明さんという方がいらっしゃいまして、この方の試算によりますと今の税制改正、例えば累進税率を弱めたりあるいは付加価値税五%をつけたりしますと年収五百万円以下では増税になるという、こういうシミュレーション結果を出されたりしております。  以上でございます。
  52. 平野清

    ○平野清君 本日はどうも御苦労様でございます。  一つ二つ質問させていただきたいんですけれども、盛んに余暇利用の問題が出ましたけれども、実際のサラリーマンというのは、私も三十五年間サラリーマンやってきましたけれども、参考人が言われるとおり、なかなか有給休暇を申し入れることが難しいわけです。特に、お勤めが長期信用銀行ということをお伺いしましたけれども、私が見ている限り、余暇を利用できないでむしろ勤務時間が長いのは銀行屋さんじゃないかと思っています。夜遅くまで勧誘に見えて、だんなさんが帰ってこないと預金獲得ができないということで、朝早くから夜まで一生懸命走り回っているのが何か銀行屋さんと証券会社屋さんのように思います。実際の、本当のサラリーマンが労働時間を短縮するということは口で言うほど易しくないわけですね。  それからもう一つは残業の面ですけれども、残業のコストの問題も出ましたけれども、零細企業の面ではむしろ残業が定収入になってしまっているわけですね。もう小さな工場だと五時で帰ってしまっては食えないわけですよ。一日に一時間も二時間もきちっと残業をしないとある程度の生活ができないという実態があるわけです。  大変卑近な例で申しわけないんですけれども、私のところに国から割り当てられている車があります。夜なるべく使わない方が国家のためにもなるということで、しばらく割り当てがあってから使わなかったら後で運転手さんにちょっと嫌みを言われました。私は全然残業がつかないので、サラリーマン新党の運転手になったら食えないんじゃないかと思うと、そういうこともありました。  サラリーマンの権利としての余暇利用とかそれから勤務時間の短縮、それはもう大きな力で何かしなければだめじゃないかというような気がするんですね。それに対する御意見をお聞かせいただきたいんです。  それからもう一つ、先ほど累進課税をむしろ小刻みにした方が云々ということを言われたんですが、ちょっと聞き漏らしてよくわからないんですが、もう一度御説明していただいて、その真意は何なのか。例えば今までのサラリーマンはほんのちょっとぐらいのベースアップがあっても累進課税によって実質収入はちっともふえない、そのことに大きな不満を持っているわけですね。これ以上累進課税の幅を二十段階とか何かにしてしまったらベースアップというものは何のためにやられているのか、要するにベースアップは税金を払うためにもらっているようなことになってしまうような気がするんです。その点もひとつお伺いしたいんです。
  53. 小沢雅子

    参考人(小沢雅子君) まず、サラリーマンの余暇がなかなかふえない、なおかつ生活のために残業をしなきゃいけない、この点についてでございますが、余暇がふえないのも生活のために残業しなければいけないのも、やっぱり根本的には不況ということがあって、不況のために労働力が余っている。商品の場合でも、商品の方が余っていますと売り手はバーゲンしなきゃいけませんが、労働の場合にも同じでして、労働力の方が余っていますと売り手はバーゲンしなきゃいけない。安い賃金で働かなきゃいけないし、休暇も返上しなければいけないという状態になっているようでございます。ですから、この状態を回避するためには、一番早いのは人手が余っている状態から足りないような状態に持っていけばいいわけでございます。これは方法が二つありまして、一つ経済の異常な高度成長ということが一つのやり方だと。それから二番目には、例えば労働法規を変更いたしまして、一人当たりの労働時間を強制的に短くさせる。そうしますと、企業としては、今までと同じ生産量を上げるためには人をたくさん雇わなければいけない。人をたくさん雇うようになりますと失業が減りまして、人が余っている状態が解消されますので、一人当たり時間当たりの賃金は高くなっていく、こういう効果があるようでございます。  それから、累進税率についてのお話でございますが、今の政府・税制調査会の答申の結果、いろんな方がいろんな試算をなさっていますが、おおむね出てきていますのが、それによって一番減税効果を受けるのが所得八百万から一千万までの層であると、こういうシミュレーションが出ておりまして、先ほども申しましたが、年収五百万以下の層につきましては、特に付加価値税率が五%というのを導入いたしますと逆に増税になっちゃう、こういう結果が多く出ているようでございます。そうしますと、より所得の低い年収五百万以下で増税になり、より所得の高い年収八百万から一千万で減税になるというのは、これは、税制の機能の一つに所得の再分配というのがありまして、高い所得の人から低い所得の人にお金を再分配するという効果も税制の機能の中に持たせられている、あるいは期待されておりますので、この機能が当然その分だけ薄まることになるのではないかと、こんなふうに考えている次第でございます。
  54. 平野清

    ○平野清君 どうもありがとうございました。
  55. 坂野重信

    ○理事(坂野重信君) 以上で小沢参考人に対する質疑は終わりました。  小沢参考人には、お忙しい中を御出席いただきましてまことにありがとうございました。非常に有意義なお話を承りました。ただいまお述べいただきました御意見等は今後の調査参考にさせていただきます。小沢参考人に対しまして調査会を代表して厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)  本日の調査はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。    午後五時十六分散会